北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

パナマ文書と違法カジノ問題、尊徳先生ならどういうか

2016-04-07 23:07:34 | Weblog

 昨日今日の印象的な事件を二つ。

 一つは、世界各国の政府高官や著名人らがタックスヘイブン(租税回避地)を利用した秘密の金融取引に関与していたという事実(?)が暴露された「パナマ文書」の問題。

 権力や資産を持つ人たちあるいはその周辺の人たちが、本来国に対して責任を負う税金を逃れていたという情報が漏れたということで、多くの国のリーダーがその誠実さを問われています。

 アイスランドのグンロイグソン首相は5日、資産隠しに対する国民からの批判を受けて辞任に追い込まれました。

 その一方で、ロシアのプーチン大統領は「外国の陰謀で、犯罪性は無い」として一蹴。また腐敗撲滅で国民の支持を集めようとしていた中国の習近平氏は義理の兄が疑いをかけられており、こちらはインターネットなどの情報を統制するという、まあ中国らしい対応で凌ごうとしています。

 どこまでが違法なのか、という線引きも国によっては微妙なところですが、権力者に近いところで私服を肥やす輩がいるというのは、国民からの批判を受けることでしょう。


 もう一つは、バドミントンで世界的に活躍していて今度のリオデジャネイロオリンピックでもメダルが期待された選手が違法賭博に出入りしていたことが発覚し、どうやらオリンピック派遣の芽が失われたようだ、というもの。

 どう考えても、活躍して有名になる中で彼らに近づいていった魔の手があったわけで、本当の悪は誰なのか、と思いますが、それにしてもやはり軽率だとのそしりも免れないことでしょう。

 特に政治でもスポーツでも、特に高い潔癖性を求められる立場ですが、政治的スキルあるいはスポーツの才能と、道徳性をどこまでリンクさせて考えるべきなのかなあ、と考えずに入られません。


      ◆ 

 
 私が敬愛する二宮尊徳さんの言行を弟子たちが後世に残した書物のうち、『二宮翁夜話』という本に、『ものの勢い、水の勢い』と題されたお話があります。

 それは、老中を務めたさるお方の家臣が市中であれこれ傘に着たようなふるまいを行い、それを尊徳さんに近い者が批判したときのこと。

 老中というのは国のまつりごとを発するところで、国家を正しくして不正が無いようにする職であるのに、その家中の者でその威を借りて不正を行うというのは好ましいはずがありません。国を正しくする者が家を正しくできていないということです。

 尊徳先生のことだから、「老中はなっとらん!」と一喝するかと思いきや、ここでは、「それは家政が行き届かないということではなく、勢いというものがそうさせるのだ」と批判する側を諌めています。

 その考えとは、「まつりごとが国家で行われるということは、川の水が低いほうへと流れるようなもので、それには勢いがある。水流が急であればあるほど、岩や石垣に当たったところで急流が変じて逆流になるものだ。老中の権威というものも同じようなもので、召使たちで法を犯すようなものがあるのは、急流の当たったところが逆流になるようなもので、これは自然にそうならざるを得ないものだからとがめるべきではない」というもの。

 かたやでトップリーダーたるもの誠実でなくてはならぬ、ということを説いている尊徳先生でありながら、リーダーの周囲で目の行き届かないものが出てくるのは仕方の無いことだ、とおっしゃっておられるのは実に面白くも思えます。

 さて皆さんはどう思われますか。

コメント (3)
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