北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

布おむつには戻れない

2021-12-28 23:53:31 | Weblog

 先日私と妻の両親の元へ、娘と孫を連れて行った時のさらなる話。

 前回は「人見知り」の話を書いたのですが、今回は隔世の感のある「暮らし」の話。

 両方の実家へ行ってまったく同じように「いいねえ、今のお母さんは」と言われたのが"おしめ(=おむつ)"のこと。

「今の人はおしめを洗わなくていいから楽だよね。私の時なんか布おむつで、おまけに水だってお父さんの職場まで行って水を借りて洗ったものだよ」

 布おむつを何枚も洗った話と言うのは、両方の母親から全く同じ話が出たのでおもわず妻と娘と3人で苦笑いをしたのですが、それだけ私の世代を育ててくれたその当時の母親は大変だったことでしょう。

 1980年代後半に私たち夫婦が長女・次女を育てたときは既に紙おむつは市場に出回っていたものの、妻は布おむつを自分で何枚も縫って来るべき出産に用意をしていました。

 「赤ちゃんには布おむつ」という常識と、当時の収入で使い捨ておむつを買うことには抵抗があったのだと思います。

 その後1990年代になって、ようやくおでかけのときには使い捨ての紙おむつを使うようになり、いつしか生まれたときから紙おむつという時代になったのでしょう。

 また赤ん坊を生んだときの暮らしも話題になりました。

「稚内にいたときは4人で六畳一間だったからね(笑)」

 私の一番古い記憶は3歳の時に稚内で弟と一家四人で共同アパートに住んでいたときのものですが、そのときは一家で六畳一間でした。

 トイレと流し台は共同で、お風呂は週に2~3回お風呂屋さんへ通うという生活。

 今でもそのときの六畳一間の様子とアパートの長い廊下の風景は記憶の片隅にわずかに残っています。

 今思えばよくそれで暮らしていけたなあ、と思うところですが、それが当時の常識の範囲だったことを思えば、おむつが使い捨てられるようになり、住まいもだんだん広くなったりすることはとても想像ができなかったことでしょう。

 振り返ればこれこそ、時代とともに国の技術と工業生産力が向上した恩恵にほかならず、日常の暮らしや住まいにお金をかけられるようになったのも社会経済の成長があったからです。

 今日、経済は成長しなくても良いのではないか、という論調が出る一方で経済格差が広がっているのではないかという話もあるなか、やはり経済が成長して一人ひとりの暮らしが去年より今年は向上しているという実感が必用だと思います。

 我々のようなそろそろ高齢者も、簡単には年金にお世話になることなく、「いつまでも働かされる」というそしりに負けず、健康を保ちながら社会に参加し貢献し稼ぐという暮らしを続けたいものです。

 もう布おむつや六畳一間には戻れません。 

 

【パンパースの歴史】 https://bit.ly/3ziVpzr

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