北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

おクモさまにムカデにジョロウグモ

2021-12-21 23:18:56 | Weblog

 

 静岡は掛川のサトー君が仕事で札幌へ来て、「小松さん、飲みに出られますか?」という突然の電話。

 こちらは職場の会議の打ち上げで宴会中だったのですが、「二次会で合流しましょう」ということで、次の会場で久しぶりの旧交を温め合いました。

 会った時にはいつの話をすべきなのか。

 昔懐かしい話は共通の話題で盛り上がります。一方お互いの今現在の話をすると、「そんなことをしているのか!」と、互いの成長を感じられものです。

 さらに未来の話をすると、より一層お互いの志を確かめ合うことができます。

 友達といつの時代の話をしますか?。

 …とまあ大上段に振りかぶったものの、結局は昔の話が一番盛り上がるわけで、私からすれば北海道から見た掛川の驚きや衝撃は今でも忘れられないことが多く、サトーさんからすると、北海道での驚きというのは私にとって新鮮です。

 サトーさんは国道230号線を走っていて、「目的地を案内するのに『数十キロ先右折』とあったのには驚きました」と言い、確かに私も車を走らせているとその類の看板を見ることがあるなあ、と笑いますが、彼はいたって真剣です。

 一方私が掛川で驚いたのは、家の中にいる蜘蛛の大きさです。

 私が「10センチくらいあったよ」と多少大げさに言うとサトーさんは「いやいや、掌くらいあったでしょう」とさらに輪をかけてきます。

「そういえばそのくらいあったかなあ」

 生来、蜘蛛が大の苦手ときている私。それなのに家の壁にとてつもなく大きな蜘蛛が張り付いているのを見つけたときは腰を抜かしそうになりました。

 それをどうしたのかはもう記憶にありませんが、まずは家の外に追い出したような気がします。

 後から聞くと、「それはアシダカグモですね。こちらでは"お蜘蛛さま"と呼んでいて、ゴキブリなどを食べてくれる益虫として殺してはいけない、と言われています」と教わったのですが、いくら益虫と言われようと、また「お釈迦様の生まれ変わりだ」と言われても怖いことに変わりはありません。

 その後も何度か家で見かけることがあり、さすがに少しずつ慣れたは来たものの、素早く動かれたときには恐怖が先に立ってなかなか近づけなかったことを今でも思い出します。


 そんな話をしたところサトー君は、「そういえば北海道ではあんなに大きな蜘蛛は見かけませんね。いないんですか?」
「いない、いない」

「じゃあムカデはどうですか?
「ムカデ?北海道の人は、ムカデとゲジゲジとヤスデの区別がつかないね」

 話はどんどん気持ちの悪い方向に向かっています。

「そういえば、静岡の山の中でムカデに食われた人がいましてね」
「ムカデって人をかじるの!?」

「かじるんです、結構痛いですよ」
「うわ」

「それがね、その山の中でムカデに食われたという人がいたときのことなんですが、近在のおばちゃんが『ムカデに食われたかね?ジョロウグモ、ジョロウグモ…』と言って、ジョロウグモを捕まえると、それをすり潰してムカデに食われたところに塗ってくれたんです。そうしたらなんと、『ああ、痛くない…』と食われたところの痛みがすぐに消えたってんです」
「今度はジョロウグモも!」

「いや僕もですね、さすがにジョロウグモを捕まえてそれをすり潰して塗るとは思わず、おばちゃんの知恵とか、すり潰すとか、そのギャップに驚きました(笑)」

 北海道の生き物も大きいけれど、北海道では見かけない本州の生き物も結構大きいものがいるものです。

 笑い話のようですが、結構苦笑いにもならないような。

 お食事中の方がいたらごめんなさい。
 

コメント
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