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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

渡部昇一著「実践快老生活」を読む~幸せな年寄りとはなにか

2016-11-17 23:30:14 | Weblog

 

 上智大学名誉教授として、様々な保守系論壇に登場する渡部昇一さんの「実践快老生活~知的で幸福な生活へのレポート」(PHP新書)を読みました。

 個人的には渡部さんの論調は好きな部類で、知的好奇心を掻き立てられる思いがする書き手のお一人。

 その方が86歳になった今、「歳を取るとはどういうことか」、「凡人にとっての本当の幸せとは何か」、「お金をどう考え、どう扱うべきか」、「『幸せな日々』のためにやるべきこと」などといったテーマについて、過去に自分が書いた文章どおりになったかどうかのチェックも含めて感想を書いた本。

 著者は昭和5年生まれでまさに私の父と同い年。そういう年代の識者が老境を顧みて何を語るのかに興味をひかれました。

 著者はある意味、裕福でまっとうな両親に恵まれ、またご本人も明晰な頭脳に恵まれた境遇と言って良いでしょう。そしてそれならばごく普通に努力してもそれなりの身分や立場にはなれたはず、と思うでしょう。本人も「自慢のように響く部分もあるかもしれないが、敢えて率直なレポートとしたい」と決意のほどを述べています。
 
 私としては著者の、「本人なりに努力して」、「知ることへの好奇心を意図して持ち続け」、「批判を恐れず自分の考えを述べる」という生き方のスタイルを貫いてこられたことは立派で、私も理想とする「生涯学習的生き方」の実践者として私淑するものです。

 著書の中では「自分が老いたあとの生活というものは、自分がそれまでなしてきたことの到達点であり、自らの『実り』の収穫なのだ。だからよほどの不運に見舞われた人以外は、自らの到達点については自分自身で責任を取るしかない」と語り、「杞憂に陥らされていずに、まず一歩を踏み出して足下を着実に固め、老後を充実させる工夫を一つでも重ねたほうが良い」と言います。

 そしてそのときには、「恐怖に追い立てられて歩むよりも、『こんな快い老後の生活を送りたい』と希望に向かって歩んだほうがいいに決まっている」と言います。結局、幸福や満足は、畢竟(ひっきょう)その人の心の内なるものなのです。けだし名言なり、と思います。


          ◆ 


 著者は85歳になって体力が落ちて、好きでそれまで元気の源だった散歩ができなくなった、と言います。また、食事も一日一食や二食で十分になり、若いときはぺろりと食べたステーキももう食べられなくなったそう。

 そして論語に言う「心の欲するところに従えども矩をこえず(=羽目を外さない)」という心境が、『矩を超えようと思ってももう超えられなくなるのだ』と理解した、と言います。
 決して孔子が高邁な人格だったのではなく、歳を取るという事を正直に言い表した言葉だったと気が付いたのだと。

 しかしながら不思議なもので記憶力は歳とともに自動的に落ちるものではなく、英語の詩や和漢の古典を暗記してそらんじることだって単純に努力すればできることだ、と自身の経験談を語ります。一丁やってみますか。


 結婚観については、「まあまあ幸福な家庭生活と、まあまあ満足のゆく知的生活の両立を求めるのが無難」と過去に書いた著作を引いて「大正解だった」と言います。

 結婚をして家をなし子を産み育てる、ということは「栄えている社会の良き伝統」であり、家族が重んじられる国が滅びることはない。それは社会に不平や不満を言う事ではなく、自ら実践すべき徳目なのでしょう。

 
           ◆  

 お金については、著者は本多静六氏のベストセラー「私の財産告白」に学んだ、としたうえで、「先生の教えのベースは二宮尊徳であった」と記しています。

 そして尊徳の「分限論(=分度)」と「推譲」の精神を褒めます。渡部さんともなるとやはり報徳思想についてはしっかりと勉強されていて嬉しくなります。

 全般を通じてうかがえるのは、「好奇心は貪欲に持ち続け」それ以外は「あまり偏らずにほどほどの中庸で良いのではないか」といった穏やかな幸福論と理解しました。


 結論として著者は、「凡人の幸せは平凡なところにある、ということで良い」と書かれていますが、それは振り返ってみて答えがわかっている年寄りゆえのこと。
 一寸先の未来の分からない若輩者は一つ一つの選択と判断に迷い懊悩するのが現実です。しかしそれすらも「歳を取ってみると、そんなこと一つ一つが大したことではないとわかった」と言うのです。

 こつこつと良かれと思う事は継続しながら、境遇を恨まず、未来に希望をもって歩むべし、とまとめてしまうとそういうことですが、それを真に理解するには一生と言う時間が必要なのかもしれません。

 答えは教えてもらえても、それを「本当かな?」と確認することが歳を取るということかな。

 この本を読んで、お互いに「快老生活」を目指しましょう。
 

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