久しぶりに実家を訪ねて両親の様子を見てきました。
よもやま話をしているうちに、母が「そうだ、近くの奥さんがかわいそうなんだよ」と言い出し、話題がご近所の住人の話になりました。
「どうしたの」
「なんか体が動かなくなる難病で、『このままなら余命があと○年です』って余命宣告までされたんだってさ。まだ若いのに可哀想なのさ」
「余命宣告かい。可哀想だなあ。何歳の奥さんさ?40歳くらい?」
「んー?71歳さ、若いのに…」
「それ『若い』って言わないでしょ!!」
「えー?私より一回りも下だよ?」
「年下だという事は分かるけど、若いって言われたら40歳くらいかと思うよ、普通」
「そうかね?」
お友達は誠に気の毒ですが、我が家では話が変な方向に逸れていきました。
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世の中にはいろいろな判断基準の基となる感覚がありますが、それが自分を基準にすると、実は基準が動いているということに案外気が付かないのかもしれません。
企業や官庁などでも、大きくなればなるほど困るのが前例主義です。昨年はどうやったかが基準になって、それを変えるには説得力のある理由が必要です。
しかし多くの場合、変化は微妙で小さな変化しかないために、十年単位で見ると大きく変化しているものが毎年だとほとんど変わっていることに気が付かないか、対応すべきほど大きな変化とは思えないのです。
常に「時代の変化をとらえて昨年から変化する」ということが大事ですし、「時代の変化によって、やめてしまうこと」だってあるかもしれません。いや、変化を後追いしているようではだめで、変化の先を読むというくらいの視点でこそちょうどよいくらいなのかも。
そういう意味では、大きな船よりも小さな船の方が小回りが利くように、大きな組織よりもより小さい組織ほど判断が早く動けるかもしれません。会社でも自治体でも我々のような組織でも、小さいことの利点を活かして、時代を先取りしましょう。