駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『蜘蛛女のキス』

2010年01月31日 | 観劇記/タイトルか行
 東京芸術劇場中ホール、2010年1月26日ソワレ。

 南米の辺境らしき国の、とある刑務所。未成年の少年に対する買春・強制猥褻行為により懲役8年を求刑された中年のゲイ、ルイス・アルベルト・モリーナ(石井一孝)の監房に、ひとりの傷だらけの青年が投げ込まれた。逃亡中の政治犯に偽造パスポートを手渡した容疑で逮捕され、反政府テロ集団との関与が疑われているヴァレンティン・アレギ・パス(浦井健治)である。「お友達になれるわ」とヴァレンティンを介抱するモリーナだったが…原作/マヌエル・プイグ、脚本/テレンス・マクナリー、作曲・作詞/ジョン・カンダー&フレッド・エッブ、演出・訳詞・上演台本/荻田浩一。1981年にストレート・プレイとして初演、91年日本初演(ロバート・A・アッカーマン演出)。その後85年に映画化され、ミュージカル化は90年(ワークショップ、改訂版初演は92年)、96年日本初演(ハロルド・プリンス演出)。今回は07年の新演出版の再演。

 98年のハロルド・プリンス演出版再演(モリーナは市村正親、ヴァレンティンは宮川浩、蜘蛛女/オーロラは麻実れい)を観て感動し、05年のストレート・プレイ版(モリーナは今村ねずみ、ヴァレンティンは山口馬木也)は今ひとつに感じた記憶があります。
 荻田版の初演は蜘蛛女/オーロラがコムちゃんだったそうで、そちらを観たかったかなー。
 キム・ジヒョン(金志賢)はパンチはあったけれど、美人とは言い難く、幻想的な美しさが欲しいキャラには物足りなかったかなーと思ってしまったからです。
 ともあれ、主役ふたりのがっぷり芝居を観るならストレート・プレイの方がいいのかもしれないし、タイトルロールの幻想性を考えるとミュージカルという手法が合う、そんな作品なのかなーと思います。

 浦井くんは小汚い髭面がいかにもで、あいかわらず頭が小さくてスタイル抜群。
 石井さんもちゃんとモリーナに見えました(^^)。

 でも、なんか、ふたりがついにベッドを共にする部分が、なんかわかりづらかったんですけれど…
 倒れこんで暗転、とか、これまでの舞台ではしていたと思うんだけれど…
 そこが寂しかったわ…

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『血の婚礼』

2010年01月29日 | 観劇記/タイトルた行
 東京グローブ座、2007年5月17日ソワレ。

 南スペインのアンダルシア地方のとある村で、一組の男女が三年の恋を実らせ婚約した。母親(江波杏子)とふたり暮らしの花婿(岡田浩暉)は誠実で器量ある青年。父親(陰山泰)とふたり暮らしの花嫁(ソニン)は優しく家庭的な娘。ふたりは誰もが羨む幸せな家庭を築くはずだった。だが花嫁の前にかつての恋人 レオナルド(森山未来)が現れる。彼は花嫁との恋が破局したのちに花嫁の従姉(浅見れいな)と結婚し、姑(根岸季衣)と子供と暮らしていた…原作/フェデ リコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出/白井晃、音楽/渡辺香津美、振付/斉藤克己。全1幕。

 ごくシンプルな二村周作の美術と太田雅公の衣装がすばらしく、いかにもスペイン、いかにもアンダルシアな空間を作り出しています。渡辺香津美の 生ギターと出演者たちのパルマ(手拍子)がまたすばらしい。ブルースシンガーでもある根岸季衣のまた決して美しくない声で歌われるカンテもすばらしい。遠く血の熱い異国に運ばれました。

 原作戯曲は1928年に実際にアンダルシアで起きた殺人事件に着想されたものだそうで、因習が支配する閉鎖的な社会と、そんな共同体の中で個人の情熱を 達成するために結婚式から逃げ出す男女を描いたものです。それはまた、時を越え国を選ばない物語でもありました。

 タイトルからはなんとなく、同族結婚とか近親相姦の話なのかと思ってしまっていたのですが、そうではなくてこれは、流血沙汰を呼ばざるをえない愛とか、それでも惹きよせ合う情熱とか、そういうことを意味しているのではないでしょうか。

 『スウィーニー・トッド』で のヒロイン役(…じゃないか、正確には)がすばらしかったソニンを観たくて取ったチケットですが、今回も大熱演。もちろん森山くんも私は大好きなのですが、今回はちょっと押されちゃっていたかしらん?
 彼のダンスはもちろんすばらしかったし、アンコールに踊られたまるで宝塚歌劇のデュエットダンスのようなふたりのフラメンコはすばらしかったんですけれども、ストレート・プレイが初めてというだけに、詩的なセリフにまだやや振り回されている感じがあったか もしれません。
 その点ソニンは完全に言葉を自分のものにしていたと思うなあ…女の身贔屓すぎかしらん。しかし今やこれは名前すら与えられていない花嫁こそ が主人公の物語だとも言えると思いましたですよ。

 テレビドラマ『天国の樹』でソニンとも共演していた浅見れいなは、ちょっと声がテレビとは違って聞こえて、まだ舞台は二度目ということで慣れていないん だろうなと感じさせましたが(何しろソニンが達者なだけに…そして脇がまたすばらしすぎるために)、歳からしたらかなり難しい役を非常に上手くやっていたと思います。
 後でパンフレットのコメントを読んだら役が全然理解できてなさそうでアプローチの仕方が間違っていそうでオイオイと思いましたが、結果オーラ イなので全然問題ないです。
 かつて自分の従妹と恋愛し破局し自分と結婚することになった夫、子供もできたし一度は夫の愛をつかんだと思った、今もお腹には 夫の次の子供がいる、でも夫は今夜も馬に乗ってひとりどこか遠くへ出かけていってしまう、夫の愛はやはり別のところにある気がする、その不安…そんなもの を抱えて日々暮らすつらい女…

 そんな娘を見守る母親もまた、おそらくは昔夫に裏切られた女です。婿に対する、男というものに対するやや冷めた視線、自分の同じ運命をたどりそうな娘に対する母としての憐れみや悲しみと同じ女としてのあきらめの視線…

 一方花婿の母親は若くして嫁いだ後、男の子をふたり持ったところで夫を殺されているので、その後寡婦として寂しく暮らしてきましたが愛はむしろ理想化され、殺された上の息子を深く悼み、夫の姿を継ぐ下の息子を深く愛し、男を盗む女や女を盗む男を深く憎んで、愛の中に生きています。だから恋愛の噂のあった 嫁には不満で威丈高ですが、息子のために信じて譲ります。だがその嫁がかつての恋人と出奔したとき、そしてその男が夫を殺し上の息子を殺した男の一族の者 だと知ったときの、彼女の怒り…

 そしてまた一方、花嫁の父は、妻に愛されていず妻に男と逃げられた男だったようです。土地を持ち人格者で立派な人物なのでしょうが、後半まったく出番が ないところから言っても、愛に生き愛と戦わなかったこの人物の生はそういう意味で希薄です。役者はパンフレットで「大人の男」「父なるもの」を演じるつもりだと語っていましたが、それはおそらく違うと思う。そんなものはこの世界には存在しないも同然なのではないでしょうか。他の男は愛に生き、死んでいきました。レオナルドも、花婿も。残るのは女ばかり。そして残った男に意味などないのです。愛に生きなかった男はまた死なない、しかしそれではその存在の意味 がない。そういうことを具現した役なのではないでしょうか。

 黒い男(新納慎也)と少女(尾上紫)がまたいかにも劇的ですばらしい。

 ちょっとだけわかりづらく感じたのは、結局レオナルドと花嫁が別れた理由です。かつての恋を引き裂かれたのは、身分違いが許されなかったとかレオナルド の一族に殺人者がいたせいとかなのでしょう。出奔後花嫁が離れようとしたのは、いずれ絶対に捕まるしそうなったら罰せられるのはレオナルドの方だと考えた からでしょう。でもそのあたりのセリフが少なく感じました。
 花婿の葬式のあと、花嫁が花婿の母に我が身の純潔を主張する意味もよくわかりませんでした。私は花嫁はすでにレオナルドに身を捧げていたのだと思う。そ れも結婚式の夜の出奔のときにではなく、かつて、恋人時代に。こんな保守的で男性優位の社会で、傷物になるリスクは高貴な女だからこそ高く、花嫁はそれを 失っているからこそ破局したときの自尊心云々という台詞があったのだと、私は思っていたのだけれど…?
 レオナルドも花婿も死んで残されるのは女ばかりなので、花嫁にレオナルドの子が残されていてもいい…というようなことを考えたわけではないのですが、とにかくあの純潔の主張の意味はわかりませんでした。

 太陽が照り付ける乾いたこの地で、人は愛に生き愛に死し、男たちは去って女たちが残されるばかりで、流される血は地に広がるばかり。土地から逃げ出すこ とは叶わず敗れて、ひとりは死にひとりは土地に帰り、またその土地を作っていく。愛が勝つことはなく土地がなくなることはない。それでもそれはやめられな いし永遠に続く、人の宿業のようなものだ…というような、お話なのではないでしょうか、これは。
 幕のない舞台だったので、暗転後また役者が板付きのままカーテンコールに応じるパターンだったのが本当に興冷めで、これだけは本当になんとかしてもらいたいのですが…
 でも、舞台としては本当に、いいものを観ました。
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『モダン・ミリー』

2010年01月29日 | 観劇記/タイトルま行
 新国立劇場中劇場、2007年4月19日ソワレ。

 1922年、流行の先端を行く街マンハッタンに、夢と希望を抱えた田舎娘ミリー・ディルモント(紫吹淳)がやってくる。怖いもの知らずで元気いっぱいの 彼女は、とびきりのモダン・ガールになってお金持ちの社長と結婚し玉の輿に乗ることを夢見ていた…演出・振付/ジョーイ・マクニーリー、翻訳・訳詞/高橋知伽江。1967年公開のジュリー・アンドリュース主演の同名のミュージカル映画を舞台化、2002年トニー賞受賞。日本初演。全2幕。

 いかにもアメリカ~ンな、「ブロードウェイ・ミュージカルっ!」という作品で、何も考えずに楽しめました。一幕、二幕とも幕開きのロケットとタップがとても楽しかったです。

 タイトルロールのリカちゃんは、まだまだ歌のキーが女役になっていないようで(^^;)、低いところは上手いんだけどねえ…という感じで残念。
 ミリーの ルームメイトで実はお嬢様というやや天然のミス・ドロシーを演じたジュリちゃん(樹里咲穂)の方がずっときれいなソプラノで(アニタをやったときとかはこんなではなかったかと思うのですが)、ミスター・グレイドン(岡幸二郎)とのデュエットがすばらしかったこともあって、こちらが儲け役すぎるんだけど、 ちょっと分が悪かったかな。
 でも脚がもうものすごく美しくて、ダンスはもちろん抜群。「モダン・ガール」になって長いスカートを脱ぎ捨てて足を出した瞬間に客席を鷲づかみにできるパワーがありました。

 それで言うとジミーを演じた川崎真世はもっとずっと不安定というかなんというかで、岡幸二郎と役を入れ替えた方が良かったんじゃなかろうか…彼の方がずっと背も高くてリカちゃんと合うし。

 しかしさらによかったのがベテランのふたり、ミセス・ミアースの前田美波里とマジーの今陽子。声量も歌の上手さも半端じゃなくて場をさらいました。
 中国人兄弟のセリフや歌は字幕を出さずに訛った日本語とかにしてしまえばよかったのに、とかは思いましたが、まあ理屈抜きで楽しいお話で、「玉の輿狙い」と言っても嫌味じゃなくて、愛らしいチャーミングな作品でよかったです。
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宝塚歌劇花組『明智小五郎の事件簿~黒蜥蜴/TUXEDO JAZZ』

2010年01月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2007年4月12日ソワレ、17日マチネ。

 芝居の原作は江戸川乱歩、脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人。
 先の大戦から十数年ほどたった東京、銀座。クラブ「黒トカゲ」のマダム緑川(桜乃彩音)のもとへ、元ボクサーの雨宮潤一(真飛聖)が現れる。過って人を 殺してしまったので高飛びする金を貸してほしいと言う雨宮に、緑川は自分に任せろと言う。やがてクラブに大勢の客がやってくる。その中のひとり、明智小五郎(春野寿美礼)と名乗る男は探偵で、宝石商岩瀬氏の令嬢・早苗(野々すみ花)が彼女を呼んでいると告げる…

 めっきりひいきの生徒のいなくなってしまった花組なのですが、桜乃彩音はよかったわ。艶然としたマダムっぷり、色っぽい声で一人称に「僕」を使ったりするところ…ただし歌はかなりしんどかったし、ショーを観るとダンスもだいぶ娘役ダンサーに場を与えられているので、そんなにうまくはない模様。
 抜擢された野々すみ花も大健闘大好演だったと思います。

 敵対しているのに惹かれ合ってしまう男女、しかもそれが生き別れた兄妹だったと知れる…というストーリーは嫌いじゃないだけに、「セリフが足りない!」 とか「学芸会チックなミュージカル演出を止めろ!!」とか、イライラハラハラしながら舞台を見守る形になってしまいました。
 オサは、演出の問題もあるのでしょうが、もう少しナチュラルな芝居をしても、後半のシーンには効いてきたんじゃないかなーと思いますけれどね…ずーっとカッコつけて大時代的な台詞回しなのに疲れた私は、もはや宝塚を観劇する純真さを失いつつあるのかしらん…

 しかし三度歌い手を替えて歌われる「プロポーズ」は名曲だとは思いました。恋愛が結婚に純粋に結びついた古き良き時代の話とはいえ、感傷的なロマンチシズムと笑わば笑え…と言いたいです。

 ショーの作・演出は荻田浩一。アメリカ、ジャズと限定されるタイトルだけに仕方がないのかもしれませんが、こんなにダラダラとメリハリのないショーを観たのは久しぶり。いつまでもイントロが終わらない感じだったし、印象的なシーンがひとつもない。タップのロケットが唯一愛らしかったかな。
 二回ともそんなにいい席ではなかったため、ショーになると男役陣は私には誰が誰だかまったくわかりませんでした…ううーむ。
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『AOI/KOMACHI』

2010年01月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 世田谷パブリックシアター、2007年4月11日ソワレ。

 03年初演。作・演出/川村毅。謡曲『葵上』をベースにしたストレートプレイと、『卒塔婆小町』をベースにした舞踊性の高い舞台との、現代能楽集シリーズ第一弾。

 私は『源氏物語』の女君の中では葵の上が一番好きです。年上でプライドが高く素直になれない正妻。萌える。
 ただし『葵上』という作品では、タイトルロー ルは彼女ですが主役はむしろ六条見御息所なのでしょうね。
 この舞台では、光源氏に当たる光を長谷川博己(去年『トーチソング・トリロジー』で恋に落ちました。彼を見に行ったようなものです)が、六条を麻実れいが、葵を剣持たまきが演じます。カリスマ美容師である光の後輩で、葵に惹かれている青年・透という役どころで中村崇が配されています。

 六条は光を取りたててくれた男の夫人で、光の昔の愛人。葵は光の幼妻という感じですが、神経症気味です。彼女は、光が自分の髪しか愛していないのだと思い込んでいるのです。
 というわけで「髪の精」と名のついた、黒子のようなコロスのような黒衣のふたりも舞台に出てくる演出になっていますが、要するに光が固執する黒髪とは女 性性の真髄のようなものを表していて、それに振り回される彼らの姿はほとんどホラー…という感じの舞台になっていました。怖。
 『卒塔婆小町』の方は元ネタをよく知らないので、なんとも…ユーモラスでおかしかったですけれどね。男を手塚とおる、老人を福士恵二、老女を笠井叡。
 お能の代表作なんて、教養として知っているべきなのかもしれませんが、万全の楽しみ方ができたとは思えない我が身が恨めしいです…
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