東京文化会館、2006年11月1日ソワレ。
古代エジプトの首都メンフィスはエチオピアが侵攻してきたことに揺れている。若き将軍ラダメス(ヴォロディミール・クジメンコ)は神が告げるエジプト軍の指揮官に選ばれることを願っている。勝利を得、愛するアイーダ(テチヤナ・アニシモヴァ)を得るのだ。だがラダメスに想いを寄せるファラオの娘アムネリス(アッラ・ポズニャーク)は複雑な思いでいた…作曲/ジュゼッペ・ヴェルディ、原作/オーギュスト・マリエット・ベイの草案によるカミーユ・デュ・ロークルの台本、台本/アントーニア・ギスランツォオーニ、全4幕。1871年カイロ初演のグランド・オペラ。舞台総監督/ドミィトロ・フナチューク、首席指揮/ヴォロディミル・コジュハル。タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場オペラ初来日公演。
いやー、おもしろかった、すばらしかった、楽しかったです! また行きたいなあ、オペラ!!
私はミーハークラシックファンで、オペラも好きですが、CDで聴くばっかりで本物の舞台はこれまで一度も観たことがなかったのでした。今回、海外の著名な歌劇場の引っ越し公演であるにもかかわらず、チケットがそれほど超高額というわけでもなかったので、思いきって行ってみましたが、非常に堪能しましたし、いろいろ発見もあって本当に楽しかったです。
人の声が最高の楽器、と言われるのがわかる気がしました。アリアの美しさも合唱の迫力もすばらしかった!
席は関係者席の数列後ろのほぼ正面で、前列が何故か5、6席ほど空席だったため、大変観やすかったです。また、以前字幕付きの海外ミュージカルを観たときに、字幕を見てしまって舞台に集中できず、字幕付き公演には二度と行かないと決めていたのですが、今回は大体の筋を知っていたので字幕を見ないでも平気かと思って行きました。でもやっぱり字幕って見ちゃうものなのですが、オペラの役者は激しく踊り動くわけではないので、めちゃくちゃ舞台を注視していなければならないわけではなく、実に快適でした。
私が愛聴している『アイーダ』の全曲版CDはカラヤン指揮のウィーン・フィルのもので、タイトルロールはレナータ・テバルディ、ラダメスがカッロ・ベルゴンツィ、アムネリスがジュリエッタ・シミオナートです。
こうして聴くとやはりテバルディは声がリリカルで透明感あるタイプなのかもしれませんね。逆に言うとアイーダには弱い。舞台のアイーダはしっかりした声で力強く聴きやすかったです。ラダメスとアムネリスはCDと似たタイプの印象だったかな。でもアムネリスは遠目に十分きれいな押し出しのいい王女さまで素敵でした。アイーダはパンフの写真は恐ろしいおばさまなんだけど、これまた遠目にはいい感じで、女奴隷というわりにはやや豊満すぎるだろうと突っ込みたくはなりましたが十分なヒロイン姿でした。
問題はラダメスですよ…
幕が開くと板付きは神官(セルフィ・マヘラ)と太鼓腹のおじさんで、神官が「神のお告げが出た」と歌うと、太鼓腹のおじさんが「それが俺だったらなあ」とか言うので、私はすっかりこの人はラダメスのライバルの武将なのかと思ってしまいました。だって日本人的な感覚で言うと、こういうヒーローは「君が司令官だ」と宣託を下されて初めて「ええっ、私なんか…でもがんばります」とか答える奥ゆかしさがあってほしいところじゃないですか。
それを物欲しげに「俺が俺が」と美しくないことを言っているので、絶対にあとでラダメスに嫉妬したりするライバル役なんだと思っていたら、その彼がそのまま『清きアイーダ』を歌い出してしまったので愕然となったのでした…しくしく。
こんな太鼓腹のずんぐりむっくりの「若き英雄」なんて嫌だよお。アイーダと並んでもアムネリスと並んでも、同じくらいしか背がないぞ…
まあでも仕方ないか、声と歌はもちろんすばらしかったです。
しかし3幕以降、実はドラマとしては微妙な展開になるんですね、このお話って…だいたいの流れは知っていても、歌詞対訳表とかを熟読したことがなかったので、細かい台詞の流れを知りませんでした。
ラダメスはアイーダを愛していて、エチオピアに打ち勝って凱旋したらアイーダと結婚する許可をもらおうと思っていたのに、ファラオから戦勝の褒美として娘をやる、ゆくゆくは国王となってエジプトを治めよとか言われちゃって仰天、でも国民は狂喜乱舞しているしその場でいいえとはとても言えないのでとりあえずその場は笑って承諾する…というのはまあ理解できます。しかしそのまま手を束ねていて、明日は婚礼という日まで事態をほっておくのはけしからん。アイーダならずともその愛情を疑うし、彼女が彼の栄達のために自分は身を引こうと考えるのも当然です。
そこへ虜囚となっているアイーダの父アモナスロ(イヴァン・ポノマレンコ)が、エチオピア復興のためにラダメスからエジプト軍の弱点を聞き出せとアイーダに迫ります。孝行娘としては拒めない。そこへのんきなラダメスがやってくるわけですが…
ということはここからは、アイーダはもうラダメスを見限っていて、父と祖国のために彼を利用しようとしちゃっているんでしょうかね? でもそれだとホントはラブストーリーとしては美しくないんですよね。一方のラダメスも、アイーダの口車に乗る形で「エジプトを捨ててアイーダとエチオピアに逃げちゃえばいいかな」なんて思っちゃうのはなさけない。あげく、秘密をばらしてしまい、かつアイーダの父がエチオピアの国王だったと知ると「騙された! 俺の名誉は汚された!!」とショックを受けちゃうわけでまたまた情けない。
ラブストーリーとしては愛至上主義を貫くべきだから、むしろラダメスの方からアイーダを選んでエジプトを捨てる形にしたいところなのですよ。アイーダは父よりラダメスを取ろうとするんだけど、ラダメスが秘密をしゃべってしまってアモナスロに聞かれてしまってさあ大変…という形の方がいいわけですね。宝塚歌劇版『アイーダ』の『王家に捧ぐ歌』はそこらへんはさすがに上手く作っていたんだけれどなあ。
と、やや愛の強さと美しさと悲しさに陶酔して酔う…とならなかったのが残念でしたが、音楽には酔いました。本当に楽しかったです。
古代エジプトの首都メンフィスはエチオピアが侵攻してきたことに揺れている。若き将軍ラダメス(ヴォロディミール・クジメンコ)は神が告げるエジプト軍の指揮官に選ばれることを願っている。勝利を得、愛するアイーダ(テチヤナ・アニシモヴァ)を得るのだ。だがラダメスに想いを寄せるファラオの娘アムネリス(アッラ・ポズニャーク)は複雑な思いでいた…作曲/ジュゼッペ・ヴェルディ、原作/オーギュスト・マリエット・ベイの草案によるカミーユ・デュ・ロークルの台本、台本/アントーニア・ギスランツォオーニ、全4幕。1871年カイロ初演のグランド・オペラ。舞台総監督/ドミィトロ・フナチューク、首席指揮/ヴォロディミル・コジュハル。タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場オペラ初来日公演。
いやー、おもしろかった、すばらしかった、楽しかったです! また行きたいなあ、オペラ!!
私はミーハークラシックファンで、オペラも好きですが、CDで聴くばっかりで本物の舞台はこれまで一度も観たことがなかったのでした。今回、海外の著名な歌劇場の引っ越し公演であるにもかかわらず、チケットがそれほど超高額というわけでもなかったので、思いきって行ってみましたが、非常に堪能しましたし、いろいろ発見もあって本当に楽しかったです。
人の声が最高の楽器、と言われるのがわかる気がしました。アリアの美しさも合唱の迫力もすばらしかった!
席は関係者席の数列後ろのほぼ正面で、前列が何故か5、6席ほど空席だったため、大変観やすかったです。また、以前字幕付きの海外ミュージカルを観たときに、字幕を見てしまって舞台に集中できず、字幕付き公演には二度と行かないと決めていたのですが、今回は大体の筋を知っていたので字幕を見ないでも平気かと思って行きました。でもやっぱり字幕って見ちゃうものなのですが、オペラの役者は激しく踊り動くわけではないので、めちゃくちゃ舞台を注視していなければならないわけではなく、実に快適でした。
私が愛聴している『アイーダ』の全曲版CDはカラヤン指揮のウィーン・フィルのもので、タイトルロールはレナータ・テバルディ、ラダメスがカッロ・ベルゴンツィ、アムネリスがジュリエッタ・シミオナートです。
こうして聴くとやはりテバルディは声がリリカルで透明感あるタイプなのかもしれませんね。逆に言うとアイーダには弱い。舞台のアイーダはしっかりした声で力強く聴きやすかったです。ラダメスとアムネリスはCDと似たタイプの印象だったかな。でもアムネリスは遠目に十分きれいな押し出しのいい王女さまで素敵でした。アイーダはパンフの写真は恐ろしいおばさまなんだけど、これまた遠目にはいい感じで、女奴隷というわりにはやや豊満すぎるだろうと突っ込みたくはなりましたが十分なヒロイン姿でした。
問題はラダメスですよ…
幕が開くと板付きは神官(セルフィ・マヘラ)と太鼓腹のおじさんで、神官が「神のお告げが出た」と歌うと、太鼓腹のおじさんが「それが俺だったらなあ」とか言うので、私はすっかりこの人はラダメスのライバルの武将なのかと思ってしまいました。だって日本人的な感覚で言うと、こういうヒーローは「君が司令官だ」と宣託を下されて初めて「ええっ、私なんか…でもがんばります」とか答える奥ゆかしさがあってほしいところじゃないですか。
それを物欲しげに「俺が俺が」と美しくないことを言っているので、絶対にあとでラダメスに嫉妬したりするライバル役なんだと思っていたら、その彼がそのまま『清きアイーダ』を歌い出してしまったので愕然となったのでした…しくしく。
こんな太鼓腹のずんぐりむっくりの「若き英雄」なんて嫌だよお。アイーダと並んでもアムネリスと並んでも、同じくらいしか背がないぞ…
まあでも仕方ないか、声と歌はもちろんすばらしかったです。
しかし3幕以降、実はドラマとしては微妙な展開になるんですね、このお話って…だいたいの流れは知っていても、歌詞対訳表とかを熟読したことがなかったので、細かい台詞の流れを知りませんでした。
ラダメスはアイーダを愛していて、エチオピアに打ち勝って凱旋したらアイーダと結婚する許可をもらおうと思っていたのに、ファラオから戦勝の褒美として娘をやる、ゆくゆくは国王となってエジプトを治めよとか言われちゃって仰天、でも国民は狂喜乱舞しているしその場でいいえとはとても言えないのでとりあえずその場は笑って承諾する…というのはまあ理解できます。しかしそのまま手を束ねていて、明日は婚礼という日まで事態をほっておくのはけしからん。アイーダならずともその愛情を疑うし、彼女が彼の栄達のために自分は身を引こうと考えるのも当然です。
そこへ虜囚となっているアイーダの父アモナスロ(イヴァン・ポノマレンコ)が、エチオピア復興のためにラダメスからエジプト軍の弱点を聞き出せとアイーダに迫ります。孝行娘としては拒めない。そこへのんきなラダメスがやってくるわけですが…
ということはここからは、アイーダはもうラダメスを見限っていて、父と祖国のために彼を利用しようとしちゃっているんでしょうかね? でもそれだとホントはラブストーリーとしては美しくないんですよね。一方のラダメスも、アイーダの口車に乗る形で「エジプトを捨ててアイーダとエチオピアに逃げちゃえばいいかな」なんて思っちゃうのはなさけない。あげく、秘密をばらしてしまい、かつアイーダの父がエチオピアの国王だったと知ると「騙された! 俺の名誉は汚された!!」とショックを受けちゃうわけでまたまた情けない。
ラブストーリーとしては愛至上主義を貫くべきだから、むしろラダメスの方からアイーダを選んでエジプトを捨てる形にしたいところなのですよ。アイーダは父よりラダメスを取ろうとするんだけど、ラダメスが秘密をしゃべってしまってアモナスロに聞かれてしまってさあ大変…という形の方がいいわけですね。宝塚歌劇版『アイーダ』の『王家に捧ぐ歌』はそこらへんはさすがに上手く作っていたんだけれどなあ。
と、やや愛の強さと美しさと悲しさに陶酔して酔う…とならなかったのが残念でしたが、音楽には酔いました。本当に楽しかったです。