駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

キエフ・オペラ『アイーダ』

2010年01月21日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京文化会館、2006年11月1日ソワレ。

 古代エジプトの首都メンフィスはエチオピアが侵攻してきたことに揺れている。若き将軍ラダメス(ヴォロディミール・クジメンコ)は神が告げるエジプト軍の指揮官に選ばれることを願っている。勝利を得、愛するアイーダ(テチヤナ・アニシモヴァ)を得るのだ。だがラダメスに想いを寄せるファラオの娘アムネリス(アッラ・ポズニャーク)は複雑な思いでいた…作曲/ジュゼッペ・ヴェルディ、原作/オーギュスト・マリエット・ベイの草案によるカミーユ・デュ・ロークルの台本、台本/アントーニア・ギスランツォオーニ、全4幕。1871年カイロ初演のグランド・オペラ。舞台総監督/ドミィトロ・フナチューク、首席指揮/ヴォロディミル・コジュハル。タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場オペラ初来日公演。

 いやー、おもしろかった、すばらしかった、楽しかったです! また行きたいなあ、オペラ!!
 私はミーハークラシックファンで、オペラも好きですが、CDで聴くばっかりで本物の舞台はこれまで一度も観たことがなかったのでした。今回、海外の著名な歌劇場の引っ越し公演であるにもかかわらず、チケットがそれほど超高額というわけでもなかったので、思いきって行ってみましたが、非常に堪能しましたし、いろいろ発見もあって本当に楽しかったです。
 人の声が最高の楽器、と言われるのがわかる気がしました。アリアの美しさも合唱の迫力もすばらしかった!
 席は関係者席の数列後ろのほぼ正面で、前列が何故か5、6席ほど空席だったため、大変観やすかったです。また、以前字幕付きの海外ミュージカルを観たときに、字幕を見てしまって舞台に集中できず、字幕付き公演には二度と行かないと決めていたのですが、今回は大体の筋を知っていたので字幕を見ないでも平気かと思って行きました。でもやっぱり字幕って見ちゃうものなのですが、オペラの役者は激しく踊り動くわけではないので、めちゃくちゃ舞台を注視していなければならないわけではなく、実に快適でした。

 私が愛聴している『アイーダ』の全曲版CDはカラヤン指揮のウィーン・フィルのもので、タイトルロールはレナータ・テバルディ、ラダメスがカッロ・ベルゴンツィ、アムネリスがジュリエッタ・シミオナートです。
 こうして聴くとやはりテバルディは声がリリカルで透明感あるタイプなのかもしれませんね。逆に言うとアイーダには弱い。舞台のアイーダはしっかりした声で力強く聴きやすかったです。ラダメスとアムネリスはCDと似たタイプの印象だったかな。でもアムネリスは遠目に十分きれいな押し出しのいい王女さまで素敵でした。アイーダはパンフの写真は恐ろしいおばさまなんだけど、これまた遠目にはいい感じで、女奴隷というわりにはやや豊満すぎるだろうと突っ込みたくはなりましたが十分なヒロイン姿でした。

 問題はラダメスですよ…
 幕が開くと板付きは神官(セルフィ・マヘラ)と太鼓腹のおじさんで、神官が「神のお告げが出た」と歌うと、太鼓腹のおじさんが「それが俺だったらなあ」とか言うので、私はすっかりこの人はラダメスのライバルの武将なのかと思ってしまいました。だって日本人的な感覚で言うと、こういうヒーローは「君が司令官だ」と宣託を下されて初めて「ええっ、私なんか…でもがんばります」とか答える奥ゆかしさがあってほしいところじゃないですか。
 それを物欲しげに「俺が俺が」と美しくないことを言っているので、絶対にあとでラダメスに嫉妬したりするライバル役なんだと思っていたら、その彼がそのまま『清きアイーダ』を歌い出してしまったので愕然となったのでした…しくしく。
 こんな太鼓腹のずんぐりむっくりの「若き英雄」なんて嫌だよお。アイーダと並んでもアムネリスと並んでも、同じくらいしか背がないぞ…
 まあでも仕方ないか、声と歌はもちろんすばらしかったです。

 しかし3幕以降、実はドラマとしては微妙な展開になるんですね、このお話って…だいたいの流れは知っていても、歌詞対訳表とかを熟読したことがなかったので、細かい台詞の流れを知りませんでした。

 ラダメスはアイーダを愛していて、エチオピアに打ち勝って凱旋したらアイーダと結婚する許可をもらおうと思っていたのに、ファラオから戦勝の褒美として娘をやる、ゆくゆくは国王となってエジプトを治めよとか言われちゃって仰天、でも国民は狂喜乱舞しているしその場でいいえとはとても言えないのでとりあえずその場は笑って承諾する…というのはまあ理解できます。しかしそのまま手を束ねていて、明日は婚礼という日まで事態をほっておくのはけしからん。アイーダならずともその愛情を疑うし、彼女が彼の栄達のために自分は身を引こうと考えるのも当然です。
 そこへ虜囚となっているアイーダの父アモナスロ(イヴァン・ポノマレンコ)が、エチオピア復興のためにラダメスからエジプト軍の弱点を聞き出せとアイーダに迫ります。孝行娘としては拒めない。そこへのんきなラダメスがやってくるわけですが…

 ということはここからは、アイーダはもうラダメスを見限っていて、父と祖国のために彼を利用しようとしちゃっているんでしょうかね? でもそれだとホントはラブストーリーとしては美しくないんですよね。一方のラダメスも、アイーダの口車に乗る形で「エジプトを捨ててアイーダとエチオピアに逃げちゃえばいいかな」なんて思っちゃうのはなさけない。あげく、秘密をばらしてしまい、かつアイーダの父がエチオピアの国王だったと知ると「騙された! 俺の名誉は汚された!!」とショックを受けちゃうわけでまたまた情けない。
 ラブストーリーとしては愛至上主義を貫くべきだから、むしろラダメスの方からアイーダを選んでエジプトを捨てる形にしたいところなのですよ。アイーダは父よりラダメスを取ろうとするんだけど、ラダメスが秘密をしゃべってしまってアモナスロに聞かれてしまってさあ大変…という形の方がいいわけですね。宝塚歌劇版『アイーダ』の『王家に捧ぐ歌』はそこらへんはさすがに上手く作っていたんだけれどなあ。

 と、やや愛の強さと美しさと悲しさに陶酔して酔う…とならなかったのが残念でしたが、音楽には酔いました。本当に楽しかったです。
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劇団四季『コーラスライン』

2010年01月21日 | 観劇記/タイトルか行
 四季劇場・秋、2006年10月20日マチネ。

 実は今自宅の引っ越しを目前にしていまして、いろいろ整理していましたら昔観た『コーラスライン』のパンフレットが出てきました。でも観たことを忘れていて、観ておかなければと思って取ったんですよね、今回のチケット…そしてパンフレットは荷造りしてしまったので、今手元に細かいデータがありません。すみません。

 というわけでオチのライン上に並ばせて落とすくだりしか覚えていなくて観に行ったのですが、メンバーの衣装を見るとすぐ思い出すものですねー。ジュディー、シーラなど「ああ、いたいた、そうだった」と思い出しました。

 しかし意外と退屈した…休憩なしの2時間25分は意外と集中力が続かないものなのでしょうか。
 この日のキャストはザックが飯野おさみ、キャシーが坂田加奈子、シーラ(ベテランというか中年女の役どころなんだろうけれど、体がもはや見苦しいのはつらい)が八重沢真美。なんとボビーを荒川務でした。
 細かくは引っ越しがすんだらまた追記するかもしれません。
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『ゴルフ・ザ・ミュージカル』

2010年01月21日 | 観劇記/タイトルか行
 パルコ劇場、2006年10月18日ソワレ。

 人生のさまざまな人間模様を、ゴルフのエピソードにからめ、18曲のナンバーに乗せて描いてオフ・ブロードウェイでスマッシュヒットとなったレビュー・ショー『GOLF:THE MUSICAL』を日本版ミュージカル・コメディとしてブラッシュアップ。全二幕。脚本・作詞・作曲/マイケル・ロバーツ、日本語台本・演出/福島三郎。

 ミュージカルなのにアンサンブルのいない五人舞台で、コピーライターのワッキー役が川平慈英、キャディーさん役が高橋由美子、接待される次期社長カラクサギさん役が池田成志、接待するクロちゃんが相島一之、その女性部下サカシタちゃんが堀内敬子という布陣。

 相島一之は東京サンシャインボーイズ出身だったんですねえ、知りませんでした。よもやミュージカルで観ようとは。二度目だそうで、メンバーの中では一番心もとない歌でしたが、キャラクターとあいまっていい感じでよかったです。テレビドラマで観るより長身だったのにも驚きました。
 高橋由美子は一癖ありそうなキャディー役にぴったりで、あいかわらず歌は上手いしダンスもこなしています。堀内敬子も35歳の役には見えませんでしたが、いかにも劇団四季なソプラノが綺麗でした。
 川平や池田の芸達者ぶりは言わずもがなです。
 もともとは四人の舞台だったようですが、日本向けに大きく改変されているようです。そうですよねえ、こんなベタな接待ゴルフがアメリカにあるとは思えないし、社内不倫もベタベタだし。でもみんな一癖あっても真からの悪人ではなく、いがみ合ってトゲトゲしていたのがラウンドするうちにいつしかほぐれてまとまって、最後はハッピーエンド、というのはたわいないかもしれませんが可愛らしくていい舞台でした。
 客席に戸田恵子と堺雅人が来ていました。
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二兎社『書く女』

2010年01月21日 | 観劇記/タイトルか行
 世田谷パブリックシアター、2006年10月12日ソワレ。

 樋口夏子(寺島しのぶ)は歌塾「萩の舎」で和歌を学んで頭角を現していたが、作家を志し、知人の野々宮菊子(江口敦子)がその妹・幸子(小澤英恵)と同級生だった縁で、朝日新聞の小説記者だった半井桃水(筒井道隆)に師事するが…作・演出/永井愛。全2幕。樋口一葉の恋して借りて書いた日々。

 永井愛のお芝居を初めて観ました。確かフェミニズム的にも評価が高いようなことを聞いたと思うのですが、わかる気がしました。

 さて、樋口一葉ですが…お恥ずかしいことに私は日本近代文学に関する教養がまったくなく、ついぞ読んだことがありません。彼女の著作を知っていればもっと楽しめた台詞も多かったことでしょう。
 何しろ私はこの舞台を筒井道隆目当てで行ったので(好きなんだー。いやもちろん寺島しのぶもすばらしい女優だと思ってはいますが)、私は彼の役は樋口一葉の書生か何かかとばかり思っていました。つまり「年下の男」の役だと思っていたわけ。だって筒井道隆の方が寺島しのぶより明らかに年下ですからね。それがなんと師匠の役だったとは。
 でももちろん寺島しのぶは、父亡きあと母と妹を抱えて一家を背負いつつも、文学への思い断ちやまぬ、でもおぼこい小心なややおどおどした娘を十分に演じているので、筒井道隆がちゃんと師匠役に見えます。というか半井桃水という人は師匠というよりも、なんというか…ファム・ファタールの男性版ってなんていうんですかね。一葉にとって「運命の人」だったということだけじゃなくて、なんかこういう、薄ぼんやりした優男というか、はんなりした朴念仁というか、女を狂わせるというより女の運命を狂わせる、罪がないようでオマエ罪なオトコよのう、と言いたくなるような人だったんじゃないでしょうか。またそういう役が似合うんだ筒井道隆! というワケで十分だったと思います。

 別に不倫でもあるまいし、とも今からするとちょっと思いますが、こうまでストイックだったのはふたりとも相続戸主でそれぞれ家のために婿取り・嫁取りしなければいけない立場だったから、というのが大きいのでしょうね。つまり当時の社会規範として結婚に結実しない恋愛はご法度だったわけです。それでも桃水の方は魚心あればなんとやらというか、ある程度モテる男のだらしなさというか男性特有の後先考えなさで一葉にずいぶんとなれなれしく出たこともあったのでしょうが、一葉が一線を引いてしまったのは(研究としては意見が別れるところだそうですが)やはり、下宿させていた妹の同級生を妊娠させたのが彼だという噂を信じてしまっていたから…という、乙女らしい潔癖さがあったからなんじゃないでしょうか。

 それでも恋は恋であり、作家はそれを作品に昇華させます。後年は貧乏はそのままでも評価もされ支持もされ、若い文学者が集うサロンの女王でもあったようです(享年わずか24だというのに…昔の人は、貧乏だったり社会経験があったりということかもしれませんが、大人だし若くても老成していたんだろうなあ)。
 それでも想いが帰るのは桃水のところなのですね。それからすると、ふたりの出会いにはもう少し印象的な演出なり台詞のやり取りがあってもいいのかもしれません。一葉が桃水のところを訪れるシーンから舞台は始まるので、観客は状況や主役のキャラクターをつかむのに精一杯で、ここでは桃水の「運命の人」っぷりはなかなかフィーチャーされづらくなってしまっていると思うからです。

 特にオチやメッセージはないようですが、評論家としてほとんど一葉にからんでいるばかりに見えた斉藤緑雨(向井孝成)も「晩年の最大の理解者」ということですし、このからみ方はしょせんは恋の一種だし、妹のくに(小山萌子)にも小説のモデルにされたような秘めた苦しい恋があったようだし、そういう、文学の周りに咲いたがゆえに普通に結実することのなかった、それでも確かに花咲いた恋の形、を描いて見せたのかな、と思います。その花を手折ることなくただ書く性の女…というのは、一般観客からはちょっと遠い姿だとも思いますし。なかなかしみじみと、よかったです。

 しかしセリフもいいし味もあるけど、場のつなぎが暗転と明らかに気分転換を強いる形で入る音楽というのは、舞台としてはいただけない気がするのですが…そういう作風なのかな?
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