今月から、母校の講座に週一回、通い始めました。院生と社会人向けの、キャリアデザインとかライフステージ設計指南みたいなテーマのもので、全11回、受講無料。
卒業してからは一度か二度しか大学に寄ったことがなかったので、最寄り駅が綺麗になっていたのには仰天しました。
しかし大学はあいかわらずこじんまりとしたまんまで、あいかわらずのほほんとして感じられました…
しかし構内が暗い! 節電にも程がある!! 女子大なのに治安悪いよ!!!
私は鳥目なので夜がこんなに暗いところはかなりつらいです。これはホントどうにかしてほしいわ…
講座は、ゲスト講師が講義というか講演してくれるような回もあれば、受講生同士数人で班を作ってグループ討議してみる回なんかもあったりして、今のところはなかなか楽しいです。
私は本当のところ、キャリアアップというか、近く管理職になる心構えとかが自分の中でできていなくて、よりどころとか精神的支柱みたいなもの、あるいはもっと具体的なノウハウみたいなものがあるならそういうものも教わりたい、と思って受講したのですが、今のところそうダイレクトな講義があったわけではありませんでした。
むしろ最初のうちはずいぶんと漠然とした講義が続いている印象で、「仕事とは何か、人生とは何か」みたいな哲学的なというかそんなそもそも論は今さらもういいんだよ、とか思えたときもあったのですが…
でも、そういう回からでもやはりそれなりに発見はあって、いい刺激になっています。
受講生も、これから就職するという院生から、私と同じくらいの社会人歴がある年代の人までさまざまなので、これからそういう受講生同士のワークショップみたいなものもよりおもしろく思えてくるかもしれません。
私は仕事自体はとても楽しくやっているし、ぶっちゃけ天職だとも思えています。これはかなり幸運なことだと思います。
バブル最後の世代として、まだまだ売り手市場だったころに入社し、あまり深く考えていなかったけれど配属された先で習い覚えた仕事が向いていて好きで楽しくて得意だとも言えて、その界隈でのみいくつか部署を異動しましたが、基本的には同じようなことをやっていて。
さすがに不景気がしみてきましたけれど、よっぽどのことがなければ早々つぶれない会社だとも思うし、定年までしっかり勤め上げるつもり出います。これも今やかなり幸運なことですよね。
で、そうした中で、うちは業界的にもなんとなく出世が遅い傾向があるので、これで普通のペースくらいなのだけれど、ぼちぼち「長」が見えてきているのです。
ポストは減る傾向にあるし、ここまではなんとなく年次で誰もがほぼ公平に上がってきましたが、ここから先は全員が全員「長」になるものでもない、しかしでは「長」にならなかったらどんなコースが待っているのかといえばそういう事例は今まであまりなかったのでビジョンも持ちにくい、そんな状況です。
今、私は「副」「長」ですが、「長」以外は結局現場の担当を持っているしペーペーも「副」も一緒です。しいていえばペーペーのトップとして、「長」に対するサブとして、全体を統括するような職務を請け負うことは、部署によってはありました。そしてそれは私の性格的にも能力的にも得意なことで、ストレスなくこなしてこられた、と思っています。
でも「長」はどうか、と言われると、固まる。
そもそも「長」になりたいのか、と言われると、それも固まる。
そんなところに今現在、私はいるのでした。
現場の仕事が一番楽しいから、「長」になって管理職務をやるようになって担当が持てなくなるのは寂しいだろうな、とは思いますが、部署によっては「長」も担当を持って一現場担当として働くこともあるので、これはなんとも言えません。
もともと子供のころは学級委員とかやってクラスメイトを仕切りたがる性分だったし、そういうリーダーシップでみんなをひっぱるとか、一方でみんなの様子をちゃんと見て和を大事にするとか、適材を適所に配するとか決断するとか判断するとかトラブルシューティングをするとかは、おそらく得意です。できると思う。
ただ、私が「長」になるにあたり一番恐れていることは、そういうことではなくて、結果を出すことを求められること。結果が出なかったら責任を取らされるということ。
もっと言うと、売り上げをたてろと言われることです。
仕事のジャンルはエンターテインメントです。いいもの、おもしろいものを作ろうと思って働いているけれど、それが売れるとは限らない。何が売れるか、当たるか、ウケるかなんて法則はまったくないしやってみないと全然わからない。そんな業界です。
入社時がバブルを引きずっていたのでなおさら、当時はどんなものでもある程度売れてしまうような景気の良さでしたし、だからそれを今までずっと引きずってきていて、売れるかどうかなんてやってみないとわかんないんだからまずは自分を信じていいもの、おもしろいと思えるものを地道に作っていこうよ、結果はあとでついてくることもあればついてこないこともあるかもしれないけれど、それはそれで仕方ないさ…という精神でここまできてしまっているんですね。
でもさすがに昨今の不景気はかなりキている。そしてどこの部署も「長」は赤字なら黒字にすること、黒字ならそれをもっと増やすこと、をとても厳命されているように私には見える。
そしてそれはもちろんそんなに簡単なことではないし、どこの部署もそうそう儲けなんか出せていない。すると、それが原因というわけでは必ずしもないんだろうけれど、かなり短いスパンで「長」は挿げ替えられていて、それをもうすぐ自分がやらされるのかもしれない…と思うと、とても心穏やかではないのでした。
営利企業は儲けを出すのが第一義なんてあたりまえ中のあたりまえのことで、何を今さら甘えたこと言ってんの、と言われればまったくそのとおりです。メーカーでも生保でもなんでも、どこでも普通の会社員はまず売り上げを上げる仕事をする教育を受けて育てられると思います。
でもうちはそうじゃなかったんだよね。オーナー企業だし、鷹揚ぶる社風がある。ここにきてさすがに売り上げ、売り上げと言い出してきたところがみみっちくて嫌なんだけどさ。いいものを作っているんだから売れなくてもそれはそれさ、私財を投じるからいいよ、くらい言ってほしいんだけれどさ。でもまあそんなことを言っていても仕方がない。
それに本当に、いいものを作ってさえいれば売れなくても仕方ない、なんと思っていませんしね。
売れてナンボですよ。少なくとも、たくさんの人に届いて、喜んでもらえてナンボだと思っている。本当にいいものなら、おもしろいものなら、絶対にたくさんの人の心に響く、そう信じている。そういうものを作りたいと思っている。
たくさんの人に喜ばれたい、たくさんの人を楽しませたい。そういうものを作りたい。自分がそういうもので育てられてきたように。そうやって社会に恩返ししたい。世界をより豊かに、明るく楽しい、素晴らしいものにしたい。その一助になりたい。そう考えて、仕事してきました。
そう、だから答えは、すでに自分の中にあったんですよね。
「長」になったら結果を出すことを求められる、売り上げを立てることを求められる。それに必ず応えられるという自信がない。だって周りの先輩もみんなそんなことできていないように見えるし。こんな時代だし。
勝ち目がない勝負をさせられるのが怖い。勝てる勝負しかしてこなかったような生き方をしてきたからです。そういうひ弱い人間だからです。負け戦をする際の心の支えみたいなものが欲しかった。
そういう何かを教えてもらえるかもしれないと思って、この講座を受講したのです。
でも、あたりまえだけれど、そんなものは簡単には与えられませんでした。必勝の法則なんてものは存在するわけないからです。
でもだからといって、何も見出せなかったかというと、そうでもなかったのでした。
理想のリーダー像を考えてみましょう、という講義がありました。具体的な例をあげてもいいし、条件みたいなものを並べてもいい。そして自分がそれになるために、何が足りないのか、何が問題になりそうなのか考えてみましょう、というような。
そのときに、理想はこうだけれども、自分がなるとなったらまた別だ、ということだってありえる、という話になりました。
ライフプラントかキャリアデザインとか、言葉はなんでもいいけれど、要するに仕事とか役割とかを会社や社会や家庭の中で担いながら、なるべくストレスなくハッピーに生きられるといい、そういう人生設計をしたいよね、というようなことなのだから、ストレスがあまりに大きいこと、つらいことはできないししなくていいんだ、だから自分にとって何がストレスなのかを見極めるのが大事なのだ、という話になったのです。
そのとき私は、負け戦を強いられることがストレスなのだ、だから負けない方法みたいなものを教えてくれないか、というようなムシのいいことを考えていたのだけれど、この話を聞いて、ああ、そういうことじゃないのかもしれない、と思ったのです。
売り上げを立てろと言われることがそんなにも苦痛なら、たとえば人事とか総務とか、会社の中でも売り上げとかとは関係ない部署に異動したっていいんです。
でもおそらくそういうことではない。
先述したように私は今の仕事が好きだし、楽しくやっている。そしてやった仕事がたくさんの人に届くといいと思っている。届く保障をくれと願ってもそれは無理なことで、神様にだってできないことなんです。
だったらもう開き直るしかない。
勝つこともあれば負けることもあるだろう。でも結局この仕事が好きで、かつたくさんの人に届いてナンボだと考えているんだったら、やっぱりそこに売り上げの多寡が絡んでくるのはあたりまえだし、そこまでセットでこの仕事なんだし、この仕事から離れるということの方がよっぽどストレスなんだろうし、もう多分やるしかないんだよ、ということなのです。
負けたって何もかもが失われるわけじゃない。命まで取られるわけじゃない。人生は続いていくし会社員生活だって続いていくし仕事も続いていくでしょう。開き直ってやるしかないんです。だってこの仕事が好きなんだから。
そう、ふと、ぱっと、思えた瞬間が訪れたのでした。
なので、覚悟ができたので、あとは本当にそんな辞令が下るまでは、忘れたようにして心穏やかに働いていこうと思います。
そして私は記憶をあまり反芻する方ではないので、楽しいかったことも悲しかったこともすぐ忘れちゃって、なので思い出せるように読書感想でも観劇記でもこうして書きつけておくことにしているのですが、とにかくそんな記憶に自信がない人間が言うことなのでまったく信憑性のかけらもないと自分でも思うのだけれど、実は自分の人生は今が一番楽しくて輝いているのではなかろうか、と思えるのです。
去年のちょうど今ごろ、胆管結石で人生初入院をやらかしましたが、腹腔鏡手術の跡もかなり薄くなって、現在はバリバリの健康体だし。
親も元気だし、弟も元気だし。
ローンだけど住む家あるし。そのローンを払えるだけの稼ぎのある仕事があるし。
前々「長」とは気が合わなくて最後の一年がホントにつらくて、異動希望出したら異動したのは向こうで、替わった「長」とは問題なかったけれど業務的にはちょっと飽きてて、結局この夏に新しい部署に異動して、今度の「長」とはさらに気楽で仕事も楽しくて。
かといって残業地獄というほど担当が多いわけでもなく、適量で。だから習い事が始められたり講座に勉強に行けたりしているし。
遊んでくれる友達がいるし。彼氏がいるし。趣味があるし。
子供はもともと好きじゃないけど、もう持たないなと明言していい歳になって、あきらめがついたいとうか身軽になれたというか、だし。
こんな時期、絶対長く続かないと思う。
だから別にこれは自慢しているわけではなくて、ただただ感謝して、大事にすごしたいと思っている、という宣言です。
いずれ親の介護とか自分の老後とかのしかかってくるに違いないし、それはそれでがんばるけれど。
今は、この幸せに感謝して、日々楽しく暮らします。楽しく働いて楽しく食べて飲んで遊んで、楽しい眠りにつきます。
そんなことを考えた、今日この頃なのでした。
卒業してからは一度か二度しか大学に寄ったことがなかったので、最寄り駅が綺麗になっていたのには仰天しました。
しかし大学はあいかわらずこじんまりとしたまんまで、あいかわらずのほほんとして感じられました…
しかし構内が暗い! 節電にも程がある!! 女子大なのに治安悪いよ!!!
私は鳥目なので夜がこんなに暗いところはかなりつらいです。これはホントどうにかしてほしいわ…
講座は、ゲスト講師が講義というか講演してくれるような回もあれば、受講生同士数人で班を作ってグループ討議してみる回なんかもあったりして、今のところはなかなか楽しいです。
私は本当のところ、キャリアアップというか、近く管理職になる心構えとかが自分の中でできていなくて、よりどころとか精神的支柱みたいなもの、あるいはもっと具体的なノウハウみたいなものがあるならそういうものも教わりたい、と思って受講したのですが、今のところそうダイレクトな講義があったわけではありませんでした。
むしろ最初のうちはずいぶんと漠然とした講義が続いている印象で、「仕事とは何か、人生とは何か」みたいな哲学的なというかそんなそもそも論は今さらもういいんだよ、とか思えたときもあったのですが…
でも、そういう回からでもやはりそれなりに発見はあって、いい刺激になっています。
受講生も、これから就職するという院生から、私と同じくらいの社会人歴がある年代の人までさまざまなので、これからそういう受講生同士のワークショップみたいなものもよりおもしろく思えてくるかもしれません。
私は仕事自体はとても楽しくやっているし、ぶっちゃけ天職だとも思えています。これはかなり幸運なことだと思います。
バブル最後の世代として、まだまだ売り手市場だったころに入社し、あまり深く考えていなかったけれど配属された先で習い覚えた仕事が向いていて好きで楽しくて得意だとも言えて、その界隈でのみいくつか部署を異動しましたが、基本的には同じようなことをやっていて。
さすがに不景気がしみてきましたけれど、よっぽどのことがなければ早々つぶれない会社だとも思うし、定年までしっかり勤め上げるつもり出います。これも今やかなり幸運なことですよね。
で、そうした中で、うちは業界的にもなんとなく出世が遅い傾向があるので、これで普通のペースくらいなのだけれど、ぼちぼち「長」が見えてきているのです。
ポストは減る傾向にあるし、ここまではなんとなく年次で誰もがほぼ公平に上がってきましたが、ここから先は全員が全員「長」になるものでもない、しかしでは「長」にならなかったらどんなコースが待っているのかといえばそういう事例は今まであまりなかったのでビジョンも持ちにくい、そんな状況です。
今、私は「副」「長」ですが、「長」以外は結局現場の担当を持っているしペーペーも「副」も一緒です。しいていえばペーペーのトップとして、「長」に対するサブとして、全体を統括するような職務を請け負うことは、部署によってはありました。そしてそれは私の性格的にも能力的にも得意なことで、ストレスなくこなしてこられた、と思っています。
でも「長」はどうか、と言われると、固まる。
そもそも「長」になりたいのか、と言われると、それも固まる。
そんなところに今現在、私はいるのでした。
現場の仕事が一番楽しいから、「長」になって管理職務をやるようになって担当が持てなくなるのは寂しいだろうな、とは思いますが、部署によっては「長」も担当を持って一現場担当として働くこともあるので、これはなんとも言えません。
もともと子供のころは学級委員とかやってクラスメイトを仕切りたがる性分だったし、そういうリーダーシップでみんなをひっぱるとか、一方でみんなの様子をちゃんと見て和を大事にするとか、適材を適所に配するとか決断するとか判断するとかトラブルシューティングをするとかは、おそらく得意です。できると思う。
ただ、私が「長」になるにあたり一番恐れていることは、そういうことではなくて、結果を出すことを求められること。結果が出なかったら責任を取らされるということ。
もっと言うと、売り上げをたてろと言われることです。
仕事のジャンルはエンターテインメントです。いいもの、おもしろいものを作ろうと思って働いているけれど、それが売れるとは限らない。何が売れるか、当たるか、ウケるかなんて法則はまったくないしやってみないと全然わからない。そんな業界です。
入社時がバブルを引きずっていたのでなおさら、当時はどんなものでもある程度売れてしまうような景気の良さでしたし、だからそれを今までずっと引きずってきていて、売れるかどうかなんてやってみないとわかんないんだからまずは自分を信じていいもの、おもしろいと思えるものを地道に作っていこうよ、結果はあとでついてくることもあればついてこないこともあるかもしれないけれど、それはそれで仕方ないさ…という精神でここまできてしまっているんですね。
でもさすがに昨今の不景気はかなりキている。そしてどこの部署も「長」は赤字なら黒字にすること、黒字ならそれをもっと増やすこと、をとても厳命されているように私には見える。
そしてそれはもちろんそんなに簡単なことではないし、どこの部署もそうそう儲けなんか出せていない。すると、それが原因というわけでは必ずしもないんだろうけれど、かなり短いスパンで「長」は挿げ替えられていて、それをもうすぐ自分がやらされるのかもしれない…と思うと、とても心穏やかではないのでした。
営利企業は儲けを出すのが第一義なんてあたりまえ中のあたりまえのことで、何を今さら甘えたこと言ってんの、と言われればまったくそのとおりです。メーカーでも生保でもなんでも、どこでも普通の会社員はまず売り上げを上げる仕事をする教育を受けて育てられると思います。
でもうちはそうじゃなかったんだよね。オーナー企業だし、鷹揚ぶる社風がある。ここにきてさすがに売り上げ、売り上げと言い出してきたところがみみっちくて嫌なんだけどさ。いいものを作っているんだから売れなくてもそれはそれさ、私財を投じるからいいよ、くらい言ってほしいんだけれどさ。でもまあそんなことを言っていても仕方がない。
それに本当に、いいものを作ってさえいれば売れなくても仕方ない、なんと思っていませんしね。
売れてナンボですよ。少なくとも、たくさんの人に届いて、喜んでもらえてナンボだと思っている。本当にいいものなら、おもしろいものなら、絶対にたくさんの人の心に響く、そう信じている。そういうものを作りたいと思っている。
たくさんの人に喜ばれたい、たくさんの人を楽しませたい。そういうものを作りたい。自分がそういうもので育てられてきたように。そうやって社会に恩返ししたい。世界をより豊かに、明るく楽しい、素晴らしいものにしたい。その一助になりたい。そう考えて、仕事してきました。
そう、だから答えは、すでに自分の中にあったんですよね。
「長」になったら結果を出すことを求められる、売り上げを立てることを求められる。それに必ず応えられるという自信がない。だって周りの先輩もみんなそんなことできていないように見えるし。こんな時代だし。
勝ち目がない勝負をさせられるのが怖い。勝てる勝負しかしてこなかったような生き方をしてきたからです。そういうひ弱い人間だからです。負け戦をする際の心の支えみたいなものが欲しかった。
そういう何かを教えてもらえるかもしれないと思って、この講座を受講したのです。
でも、あたりまえだけれど、そんなものは簡単には与えられませんでした。必勝の法則なんてものは存在するわけないからです。
でもだからといって、何も見出せなかったかというと、そうでもなかったのでした。
理想のリーダー像を考えてみましょう、という講義がありました。具体的な例をあげてもいいし、条件みたいなものを並べてもいい。そして自分がそれになるために、何が足りないのか、何が問題になりそうなのか考えてみましょう、というような。
そのときに、理想はこうだけれども、自分がなるとなったらまた別だ、ということだってありえる、という話になりました。
ライフプラントかキャリアデザインとか、言葉はなんでもいいけれど、要するに仕事とか役割とかを会社や社会や家庭の中で担いながら、なるべくストレスなくハッピーに生きられるといい、そういう人生設計をしたいよね、というようなことなのだから、ストレスがあまりに大きいこと、つらいことはできないししなくていいんだ、だから自分にとって何がストレスなのかを見極めるのが大事なのだ、という話になったのです。
そのとき私は、負け戦を強いられることがストレスなのだ、だから負けない方法みたいなものを教えてくれないか、というようなムシのいいことを考えていたのだけれど、この話を聞いて、ああ、そういうことじゃないのかもしれない、と思ったのです。
売り上げを立てろと言われることがそんなにも苦痛なら、たとえば人事とか総務とか、会社の中でも売り上げとかとは関係ない部署に異動したっていいんです。
でもおそらくそういうことではない。
先述したように私は今の仕事が好きだし、楽しくやっている。そしてやった仕事がたくさんの人に届くといいと思っている。届く保障をくれと願ってもそれは無理なことで、神様にだってできないことなんです。
だったらもう開き直るしかない。
勝つこともあれば負けることもあるだろう。でも結局この仕事が好きで、かつたくさんの人に届いてナンボだと考えているんだったら、やっぱりそこに売り上げの多寡が絡んでくるのはあたりまえだし、そこまでセットでこの仕事なんだし、この仕事から離れるということの方がよっぽどストレスなんだろうし、もう多分やるしかないんだよ、ということなのです。
負けたって何もかもが失われるわけじゃない。命まで取られるわけじゃない。人生は続いていくし会社員生活だって続いていくし仕事も続いていくでしょう。開き直ってやるしかないんです。だってこの仕事が好きなんだから。
そう、ふと、ぱっと、思えた瞬間が訪れたのでした。
なので、覚悟ができたので、あとは本当にそんな辞令が下るまでは、忘れたようにして心穏やかに働いていこうと思います。
そして私は記憶をあまり反芻する方ではないので、楽しいかったことも悲しかったこともすぐ忘れちゃって、なので思い出せるように読書感想でも観劇記でもこうして書きつけておくことにしているのですが、とにかくそんな記憶に自信がない人間が言うことなのでまったく信憑性のかけらもないと自分でも思うのだけれど、実は自分の人生は今が一番楽しくて輝いているのではなかろうか、と思えるのです。
去年のちょうど今ごろ、胆管結石で人生初入院をやらかしましたが、腹腔鏡手術の跡もかなり薄くなって、現在はバリバリの健康体だし。
親も元気だし、弟も元気だし。
ローンだけど住む家あるし。そのローンを払えるだけの稼ぎのある仕事があるし。
前々「長」とは気が合わなくて最後の一年がホントにつらくて、異動希望出したら異動したのは向こうで、替わった「長」とは問題なかったけれど業務的にはちょっと飽きてて、結局この夏に新しい部署に異動して、今度の「長」とはさらに気楽で仕事も楽しくて。
かといって残業地獄というほど担当が多いわけでもなく、適量で。だから習い事が始められたり講座に勉強に行けたりしているし。
遊んでくれる友達がいるし。彼氏がいるし。趣味があるし。
子供はもともと好きじゃないけど、もう持たないなと明言していい歳になって、あきらめがついたいとうか身軽になれたというか、だし。
こんな時期、絶対長く続かないと思う。
だから別にこれは自慢しているわけではなくて、ただただ感謝して、大事にすごしたいと思っている、という宣言です。
いずれ親の介護とか自分の老後とかのしかかってくるに違いないし、それはそれでがんばるけれど。
今は、この幸せに感謝して、日々楽しく暮らします。楽しく働いて楽しく食べて飲んで遊んで、楽しい眠りにつきます。
そんなことを考えた、今日この頃なのでした。