駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ジェフリー・ディーヴァー『ソウル・コレクター』(文藝春秋)

2010年01月12日 | 乱読記/書名さ行
 科学捜査の天才リンカーン・ライムのいとこアーサーが殺人の罪で逮捕された。自分はやっていない、とアーサーは主張するが、証拠は十分で有罪は確定的に見えた。しかしライムは不審に思う--証拠が揃いすぎている。アーサーは罠にかかったのではないか? そうにらんだライムは、刑事アメリア・サックスらとともに独自の捜査を開始、同様の事件がいくつも発生していることを知る…千兆バイトの闇に潜む卑劣な殺人鬼を追う最新作。

 オーウェル『1984』がモチーフのような、デジタルデータのサイバーテロによるリアル殺人…みたいな今日的な作品でした。
 しかし根底にある人間関係のドラマとしては、むしろ竹宮恵子『変奏曲』を思わせました。第二部の『カノン』の方です。
 タイプのちがう従兄弟同士で、それぞれ実の父親とは折が合わず、父の兄弟の方と話が合う。そして自分の父と話が合う従兄弟を羨ましくも妬ましくも感じている、という…
 そこが読ませどころでした。
 
 原題は『The Broken Window』。
 そのままではキャッチーさに欠けるので仕方がないとはいえ、安い邦題だな、と思っていたら、著者が提示したものだそうでした…失礼…
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東京バレエ団『眠れる森の美女』

2010年01月12日 | 観劇記/タイトルな行
 東京文化会館、2006年2月21日ソワレ。

 フロレスタン14世夫妻に姫君が生まれた。オーロラと名づけられ、城では祝宴が開かれる。オーロラに祝福を与えようと6人の妖精もやってくる。しかし最後に、宮廷式典長カタラビュットが招待し忘れた悪の精カラボスが登場し…オーロラ/吉岡美佳、デジレ王子/ウラジーミル・マラーホフ、リラの精/上野水香、カラボス/芝岡紀斗。オリジナル振付/マリウス・プティパ、音楽/ピョートル・I・チャイコフスキー、初演は1890年。2005年ベルリン国立バレエ団で初演されたマラーホフ振付・演出版の日本初演。美術・衣装/ワレリー・クングロフ、演奏/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。全3幕。

 『眠り』は昔々一度観て、長くて退屈した記憶があったので、しばらくずっと観ていませんでしたが、さすがにシャープになっていて楽しく、大満足でした。お話は第二幕で終わっていたとしても結婚式のディベルティスマンが大好きな私は、第三幕があまり省略されていなくてこれまたよかったです。

 ヒロインはオーロラなんだけど、そしてローズ・アダージョとか本当に力技が多くて大変なんでしょうけれど、リラの精は本当に儲け役と言うかなんというか、不思議なポジションのキャラクターなんですねえ。王子とちょっと絡みはしますがほとんどひとりで踊ってしまう役だし、のびのびできて楽しそう…上野水香のキャスティングがまたピッタリでした。
 吉岡美佳が小柄で可憐で16歳のオーロラにちゃんと見えるのと対照的に、上野水香には年齢に似合わぬオーラと威厳があるので好配置なのです。他の妖精とは登場の仕方がちがうしチュチュもちょっと長いのでもちろんすぐわかるのですが、何よりオーラが飛び抜けていてすぐわかります。しかもほんとにすごい爪先です…

 マラーホフは、ものすごく慎重に正確にやっているようで、かえって余裕たっぷりに見える不思議な王子さまぶりでした。デジレって簡単なの? そんなことないですよねえ…そういえば唯一、パンフの表紙写真にも使われるような有名なポーズの最初のホールドで、珍しくバランスを崩して慌てたのにはひやりとしましたが。トリノ五輪のアイスダンスの転倒続出大荒れオリジナルダンスが頭を過ぎりました…

 席もよかったのですが前列中央よりの席が空席で、ものすごく視界がよかったのも幸せでした。
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阿佐ヶ谷スパイダーズ『桜飛沫』

2010年01月12日 | 観劇記/タイトルさ行
 世田谷パブリックシアター、2006年2月16日ソワレ。

 二部構成の時代劇。作・演出/長塚圭史。

 パンフレットにあらすじがないし、書きようがありません…
 「桜飛沫」は「さくらしぶき」と読み、第二部の表題。第一部に至っては字は出ないし読めもしない。そんなんです。

 でも、非常に中味が濃く役者がすべて達者ですばらしかった。
 「ザッツお芝居!」というものを観たなー、という感じがしました。仕事が忙しかったんだけど無理して観ておいてよかった!
 売り出し中の長塚圭史ですが、確かにクドカンやケラサンと同じ才気があります。言うなればツカケイ?(笑)

 こういうお話はまたカーテンコールが難しいんだけれど、暗転したあと灯かりが入って散った桜が絨毯のようになっていて…ぞくっとさせられました。

 最初のうちは、この手の人ってこういうヘンなねじれた笑いを散らばせるのが好きだよなー、とかやや渇き気味で観ていたのですが、二部に入るとエスカレートしてそのねじれが産む狂気とかしょうもなさとかつらさとかがすごいすごい。
 もちろんこうなるしかないというオチで、タネやマルセが報われない形なのは女好きの私としては悲しいし文句の言いたいところなのですが、でもしょうがないしなあ。
 三回席の最後列から二列目という席で役者の顔が全然見えませんでしたが(角度的にはセンターやや上手よりで申し分なかったのですが)、みんな個性が強くて声がいい人ばかりでまったく問題ありませんでした。満足。
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『レインマン』

2010年01月12日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京グローブ座、2006年2月8日ソワレ。

 幼い頃に母を亡くし、厳格な父に育てられたチャーリー(椎名桔平)はネットトレーダーとして巨額のマネーゲームに翻弄される日々を送っていた。そこへ、彼が憎しみ続けてきた父の訃報が届く。恋人スザンナ(朴王路美…字が出ない…)を連れて遺産目当てに帰郷した彼は、ブルーナー(大森博史)のもと施設で暮らす自閉症児の兄レイモンド(橋爪功)の存在を知ることになる…原作/バリー・モロー、脚本・演出/鈴木勝秀、音楽/横川理彦、美術/二村周作。1988年の映画(ベルリン映画祭金熊賞、アカデミー賞作品賞・主演男優賞・監督賞・脚本賞受賞)の世界初の舞台化。

 今何故『レインマン』…と思いつつも、いそいそと出かけてしまいました。
 グローブ座は何度か来たことがあるし椎名桔平も何度も舞台で観ているのに、今回はずいぶんと近く見えまた大きく見えました。こんなにすらりひょろりと背が高い人だったっけ?とずいぶんと新鮮に感じたものでしたが、もしかしたらそれは、彼が全身でチャーリーを演じていたからこそ故に与えられた印象だったのかもしれません。

 トム・クルーズとダスティン・ホフマンの映画版に比べて、今回の舞台版はキャストに合わせて兄弟の年齢設定は上がっています。また株のネットトレーディングや携帯電話など現代的なアイテムも取り入れられ、時代も現在に移されています。

 だからこそ、実は私はあまりというかほとんど映画版を覚えていないのですが(落としたマッチの数を瞬時に言い当てて見せたエピソードだけが鮮明に記憶にあります)、ともかくトム・クルーズが演じたチャーリーと椎名桔平のチャーリーは、その「若者ぐあい」がおんなじです。
 椎名桔平のチャーリーは、40歳前後で、だけど未だに結婚もせず定職にも就かず、夢を追うような霞を食べるような生きているんだか死んでいるんだかはっきりしないようなフラフラした日々を送っていて、長いつきあいで親からは別れて別の男と結婚しろとせっつかれているような35歳の恋人に愛想を尽かされかけているような青年です。そう、まだ彼は青年なのです、歳はいっていても、大人になりきれていない、若者なのです。

 だから椎名桔平はすっくとは立ちません。何かいつも猫背気味な、斜に構えたような立ち方をして、背骨があるんだかないんだかみたいなぐにゃぐにゃした姿勢を取っている。その不安定さ、頼りなさが、なおさら彼を細身に、実のない体に見せていたのでしょう。だとしたら、役者さんって、やっぱり、すごい。

 そして同様に、レイモンドを演じた橋爪功も、あのぼさっとしてゆるゆるとぼとぼと動くレイモンドを演じて見せるには、実際にはぼさぼさしていてはダメで、きっと役者として年齢よりもずっと若くて身軽い肉体を持っているのでしょう。そういう裏打ちがあって、演技で作って見せているよたよた感でした。すばらしい。

 そして朴さんは、私は当初子役でもやるのかと思ったくらいで、すっかりアニメ声優さんかと思っていましたがそうではなくて、実は舞台出身で、すらりと細くしっとりしなやかな強さと美しさを持った女優さんで、生の声は決して少年っぽくなど全然なく、綺麗な存在感を持った人でした。よかったです。

 精神科医にして弁護士を演じた大森さんは、変な色を付けなかったのがよかったと思いました。ブルーナーが本当に高潔な人間なのか、チャーリーたちの父親を本当に尊敬していたのか、それとも信託基金や管財人の立場に色気があったのか、どっちとも取れずにあくまで無味無臭に徹していた感じが、そのままチャーリーに跳ね返ってくるので、よかったと思うのです。チャーリーもまたレイモンドの遺産に関しては色気は簡単には捨てきれなかったはずだと思うし、そういう部分を、ブルーナーを悪役にしてしまうことでチャーリーから取り去ってしまっていたら、きれいごとすぎていて嘘くさかったと思うのです。

 という、この4人のみで構成された、シンプルな舞台。二面取られた八百屋舞台が効果的に回転します。

 最初に滝のように泣いてしまったのが、チャーリーの火傷がレイモンドのせいだったとわかるシーン。風呂の音に怯え、父の怒鳴り声や母の泣き声を思い出して小さく縮こまるレイモンドに、だだ泣きしてしまいました。彼はブルーナーが言っていたような、完全に他者と関われないタイプの自閉症児ではなくて、家族に対しては多少は心を開いてもいたし関わろうとしていたんですよね。育児に忙しい母親を助けたかったから、喜ばれたかったから、手助けしようとしただけだったのに…その、人の役に立ちたい、でも不器用で上手くいかないという、どんな子供でも経験するせつない体験に、身を切られるようでした。

 そうして過去のことが思い出せたり新たに見えてきたりして、チャーリーの心はほどけていきます。彼もまた心を閉ざして生きてきたという点では、自閉症的だったのです。彼はレイモンドをレインマンだと認め、兄だと認め、一緒に住もうと言う…
 でも、お話としてもうっすら覚えている映画の筋からいっても、このままハッピーエンドの大団円になるわきゃないし、どうなるんだっけ、どうなればいいんだろう…と思っていたところに、これまた実にリアルにスザンナが立ちはだかります。

 彼女はチャーリーの心無い生き方を非難しもするロマンティストだし、最初はまったくレイモンドを認めなかったチャーリーと比べて実に自然にレイモンドと親しくなる優しさも持っています。でも、楽園を思い描いて舞い上がるチャーリーに対して、そんなに上手くいくの、お金は足りるの、危ないことは本当にないの、と現実的な話を持ち出すのも彼女なのです。実に女らしいと思う。そして正しい。
 そしてそんな彼女に気を使ったからでは決してなくて、やっぱりレイモンドは施設に本気で帰りたがったのだと思いました。彼が施設で決まりきった日々を過ごし世界を危機から守っていたのは、そうしていればその世界のどこかでチャーリーがすこやかに育っていけるからでした。彼はどこまでも弟のレインマンだったのです。そして弟は、ハンサムだった父親そっくりに大きく成長して自分の前に再び現れた。彼は報われたのです。だけどそのときにはもう、手段が目的と化してしまっていた、ということもあるし、そんなに急に一遍に新しいことを受け入れるには彼は繊細すぎたのです。だからとりあえず施設に帰らなければならない。そして彼がこんなにも弟に近づいてしまったことで世界は壊れはしないんだということが確認できたら、今度はまた少しだけ弟に近づいてもいいかもしれない。だけど今はだめ、帰らなくては…『はみだしっ子』のクークーと一緒です。

 別れて終わりの皮相なエンディングなんだろうか、そしてこういうお話ってカーテンコールが取ってつけたようになったり今までの雰囲気ぶち壊しで興醒めになったりしがちなんだよな…とこれまたつまらないことをいろいろ考え始めた矢先に、衝撃的なまでに美しいラストシーンが私の心を横殴りにしたのでした。

 二面だった舞台は間の壁が取り払われてひとつになり、今まで主に室内の灯かりを表していた天井は高く初夏の日差しを振りまき、おそらくはいつもどおりの読書の時間なのでしょう、木陰で本を読むレイモンドは、けれど本を暗記することばかりに集中していた今までとはちがって、ときおり鳥の歌に耳をすませたりなんかする。
 そこへ、今まで長袖の、黒や紺しか着なかったチャーリーが、夏らしく白の、半袖のシャツを着て現れる。火傷の跡が見えても気にしていない。そしてその後ろから、これまた今まで紫や青の服ばかり着ていたスザンナが、白いワンピースに身を包み、白い乳母車を押してやってくる。おくるみごと抱き上げられた小さな赤ん坊の名は、彼の伯父と同じか、はたまた祖父と同じなのではないでしょうか。家族は再びひとつになる。またレイモンドが小さな赤ん坊に傷を負わせてしまうような事故が起きたとしても、大丈夫、今度はみんながそばにいるから、大事にはならないから、大丈夫…

 もうだだ泣きでした。

 舞台は明るい夏の日から暗転して、やがてゆっくり灯かりが点ってのカーテンコールになりましたが、泣いてしまって拍手ができないなんて初めての体験でした。周りで拍手の音がしているので、泣いて声が出てしまうのが紛れて助かったくらいです。そのあとはもう舞台なんか観ていられなくて、ひたすらハンカチで顔を覆っていました。今も思い出し涙が…ううう。

 きれいすぎるんじゃないかとか何故今なんだとか何がツボだったんだとかいろいろあるんだけれど、とにかくあの涙という事実の前にはただもう…という感じです。なんかホント、自分でも不思議な観劇感激体験でした。感謝したいです。
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