駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇宙組『王家に捧ぐ歌』

2016年05月30日 | 観劇記/タイトルあ行
 博多座、2016年5月5日15時(初日)、6日11時、15時半、7日11時、14日15時半、15日11時、28日11時、15時半(千秋楽)。

 4500年前のエジプト。エチオピアとの度重なる戦いに勝利するため、新たな将軍の名が王ファラオ(箙かおる)の前で神官たちによって告げられようとしていた。エジプトの若き戦士ラダメス(朝夏まなと)は、自分こそが選ばれるのではとの期待に胸を躍らせていた。彼はエチオピアに勝利したあとに、密かに恋するアイーダ(実咲凜音)に求婚しようと決心していたのだ。エチオピアの王女だったアイーダは先の戦いの折にラダメスに命を救われ、今はエジプトの囚われ人となっていた…
 脚本・演出/木村信司、作曲・編曲・録音音楽指揮/甲斐正人。2003年に星組で初演、中日劇場での再演を経て2015年に12年ぶりに宙組で再々演したミュージカルを、一部配役を変えて再度再演。ヴェルディのオペラ『アイーダ』が原作のグランド・ロマンス。

 本公演の感想はこちら
 初日雑感はこちら

 というワケで演目発表時から理屈っぽいことはさんざん語ってきたので、ここではごく簡単な感想の覚え書きにしたいと思います。と言いつつ長くなるのが常なのですが…
 結果的に楽しく通いましたし、一幕にできるだろうとか役が少ないからむしろ梅田とか赤坂とか中日とか博多とかの地方公演向きだよねとかいろいろ思うところはあるものの再演に足るクオリティを持った佳作ではあると思っていますし、原作オペラにはない平和への祈りを込めてある点も私は好きです。公演期間中におりしもオバマ大統領の広島訪問がありましたが、安倍総理ともども長崎まで回っもらってて、ついでに博多座で観劇していったらもっといろいろ得るところがあったかもしれないよ、とまで思っているくらいです。物語には、舞台にはそれくらいの力があると、私は信じているので。だから私は今日も(今日は休観日なのでこれは比喩ですが)劇場に通うのです。
 もちろん新作宛て書きオリジナル作品の上演が一番望ましいし、『王家』の次の再演だってしばらくは全然先でいいと思っています。でもなんの推敲もなされていないようなやっつけ仕事みたいな出来の新作に出されるくらいなら(もちろんそれでも何がしかを勉強するのが宝塚の生徒の良さであり、ファンもまたなんだかんだと通うのでしょうが)、こっちでよかった、と私は今回心底思うのでした。裏公演担当の方すみません、通っていたらまた全然違うことを言った自覚もありますすみません。選ばなかったほうの人生もなんちゃら、みたいな台詞がありましたね…
 でもこれも、贔屓の番手が上がってかつ逆サイドの配役になったために新鮮な見方ができて楽しかった、というのが大きかったのかなとも思っています。あとは、交通費は大変なんだけれど、博多の街の楽しさが大きい(^^;)。
 当初はウバルドを希望していたワケですが、結果的にケペルでよかった。やっとエジプト側が見られたし、金ピカになれてとにかく嬉しそうなのが嬉しかったし、単純にカッコよかったし(笑)。だからメレルカからウバルドになったずんちゃんファンも金ピカ度は下がっても楽しかったでしょう。逆にサウフェからカマンテというりくファンは、エチオピア側のままだったのでどうだろう?とかね。
 そしてそれでいったら、主役のふたりは仕方ないとして、それ以外で役名があって役が変わらなかった組子ってすっしぃさんとりんきらだけですよね。これは本当にもったいなかったと思うし、どうにかしてあげてほしかったです。たとえばずっと女官のエビちゃんとかずっとエジプト戦士のかけるとかエチオピア兵のりおとかもいるけれど、それは役名がないくらいの役だから仕方ないとも言えるし、チームの中での役割は変わっていたりします。でもネセルとヘレウはまったくそのまんまだからさ。
 もちろんその中で進化しているんですよ? ヘレウの「何故なら我々にはお金があるから」という台詞の嫌みったらしさの増し増し加減は素晴らしすぎました。でもファンはもっと変化を、そして新しいものを見たがるものじゃないですか。同じ神官ならネセルりんきらを見たかった。今回の再演では専科の特出はなしで、すべて組子でやるというのもアリだったと思うんですよね。そうすればもっと動いてくる配役もあったと思います。そこは残念でした。
 でもいつもどんな公演でもそうだけれど生徒は本当に一生懸命で、ファンも本当に一生懸命に応援し熱く盛り上げ通い支え、楽しい三週間あまりとなりました。銀行口座は大変なことになっていますが、元気に健康に通えて楽しかったです。遊んでくださった方々にも感謝します。今回初めてご挨拶した方、初めてごはんした方、バッタリした方も、みなさままたどうぞよろしくお願いいたします。お友達たちも引き続き、懲りずに遊んでやってくださいませ。

 さて、初日にはやや物足りないような感触を持たないこともなかったずんちゃんウバルドとしーちゃんアムネリスは、やはり激変してきましたね。
 ずんちゃんを私はすごく買っていて、でも今回はこういう長髪だと丸顔が強調されるようで女顔に見えるな、とか心配していたのですが、アイーダとの双子設定に説得力を持たせられているようでもあり、ゆりかウバルドとはまた違ったアプローチでいいな、というところに着地しました。かなりギラギラできるようになってきていましたしね。
 でもホントに必要以上にギラギラすることがいらないくらい、正統な王子で、一心同体同然だったアイーダの変化にとまどい怒り悩みそれでも寄り添おうとする(一幕ラストのアモナスロとアイーダと三人でかばい合おうとする構図の美しさたるや、本公演と全然違っていたと思いました)優しい王子で、狂気に取り憑かれた破滅的なテロリストというよりはもっと純粋な青年のやむにやまれぬ行動のように思えて、よかったと思いました。
 ただ、だから、これは初演からけっこうそうでむしろ前回が特殊だったんだけれど、ウバルドってやはりそんなに大きい役に見えない気がしました。おいしい役に見えない、というか。二番手役っぽくないというか。やっかみ半分なのかもしれないけれど。今回のパレードでは羽根を背負ったのはトップコンビだけで、ウバルドは役の衣装のまま金ピカのケペルとヒロインの間で降りてくるので、余計に地味に思えたのかもしれません。
 でもずんちゃん自身は本当に華のあるスターだと思うし、今回もかなりファンを増やしている様子がうかがえたので、杞憂かなとも思います。とにかく、よかったです。
 まあでもフィナーレの黒燕尾のゆりかポジションにはあっきーを入れてもおもしろかったかもしれないけどな、とは思っていますけれどね。番手とかではなくて、身長その他の絵面としてね。あと、ライバル同士が踊るのと同じくらい親友同士が踊るというのもアリだったと思うので。ラダメスのことがどうにも理解できないでいたケペルがやっとここで和解できたのかもしれないよ、と思えたかもしれないので。まあ、言ってもせんないことですかね、すみません。

 そしてしーちゃんは本当に確変していました。自信がついたのかなあ、芝居を変えてもいい、もっと自分を出していっていいと思えたのかなあ、すごいなあ。歌は上手いけどパンチが弱いかも?と感じていた初日近辺から一変、押し出しが良くなり芝居にメリハリがつき、普通のお嬢さんから高慢で威厳のある王女になっていました。その上でゆうりちゃんとはまた違った味わいがありました。すごい。
 何より歌唱力が素晴らしくてこちらとしても安心して聞いていられて楽、どころか感情がビンビン伝わってくるようになってむしろ引き寄せられるようだったので、感情移入も半端なく、作品が本当に「アムネリスの物語」になって見えました。なので本公演以上に、ラダメスどうしてアムネリスじゃダメだったの?感があったのは結果的に問題だったかもしれません。やはりラダメスとアイーダの出会いの場面は必要だろう、百歩譲って「命を救い、連れてきた」以上の説明が必要だろうと思いました。それは、トップコンビのラブラブさだけでは埋められないと私は思いますよ…
 しーちゃんアムネリスは単なるお嬢さまからきちんと王女になって、でもやっぱり王になる覚悟はできてなかったしそもそもする気も全然なかったごく若い女性で、「うろたえてはなりません!」と立ち上がったもののラダメスの剣を引き抜いたときは本当に重そうで掲げるのなんか無理っぽそうで、「♪亡きファラオもきっとそう望んでいることでしょう」が完全に泣きが入った歌い方でせつなくて、そのあとの「♪さあエチオピアを滅ぼしに行きましょう」もけっこう悲愴感が漂うんですよね。ゆうりちゃんアムネリスは「うろたえてはなりません!」ですでにファラオ・スイッチが入っていて勇壮で、処刑前のラダメスとの場面ではその揺り戻しのような女心がまたよかったと私は思っていたのだけれど、しーちゃんアムネリスは処刑前の場面ですらまだまだ全然ファラオになりきれてなくて、なんなら今からでもすべて放って逃げ出したいくらいで、だからラダメスを掻き口説くのにもあんなに泣きが入るんだよね。それがもうせつなくてせつなくて…
 でもラダメスは、祖国を裏切ってしまった罪を負い愛に殉じるために、せめて最後にできることとして、ファラオであるアムネリスに帝王学を授けて去っていく。これがすべてで、だから最後の最後の「最後にあなたに問いたい」は蛇足だし甘えなんだよね。でも最後に人としてもう一言だけ言いたかったんだよね。そして地下牢が閉じられ、そこで初めて、やっと、しーちゃんアムネリスのファラオ・スイッチが入るんだよね…
 だから彼女はこのまま孤高に生涯独身で過ごすのかもしれない、とも当初は思いました。愛ちゃんケペルのややウェットなゆうりちゃんアムネリス・ラブがあっきーケペルには感じられなかったから。でもここにも変化があったんですよねえ、芝居って本当におもしろい。

 以下ファンモードの語りになりますが、そのケペル、素敵だったなあ。
 登場時のエチオピア三兄弟たちを見下げはてている目つきもいいし、「♪勝利を、勝利を」と歌う暑苦しさ、好戦的な様子も素晴らしい。私は本来マッチョな男性は苦手なのですが、男役が演じる男性キャラクターとしては全然アリなんだなと学習しましたよ。ホントこんな単細胞で鈍感で単純そうな熱血漢を「馬鹿は嫌い」と切り捨てることなく、むしろ好漢に思ってしまう日が来るとは自分でも意外でした…もちろん、当の生徒の役作りとしてもとても意外でした。
 伝令が来てファラオの前に召集するとき、アムネリス様とうなずき合うところが好き。神官からラダメスの名が告げられて、ぱっと喜んで、すぐ、ようし一緒にやったろうじゃん!みたいな表情になるところが好き。青い槍を持って絵になる姿が好き。戦場場面で上手花道で「アイーダ強き光よ」(「♪友よ」から始まるこの歌の正式なタイトルはなんとコレなのです)の前半パートを歌うときの苦しげな表情が好き。その表情だけで戦場の様子が目に浮かぶようでした。戦場に出てからの非情で非道でえげつない戦いぶりも好き。美しいだけにより怖ろしいんだけど、戦闘の悲惨さ、非人道ぶりを描く、体現するってこういうことだと思うから。戦いに、勝利に酔っている凄みとえぐみを表せていると思うから。
 凱旋ダンスの前半の崇高さが好き。勝利を神に捧げ祈り祝う気持ちで踊っていると言っていたけれど、正しい解釈だと思う。手足を完全に左右対称にして踊れる体幹が素晴らしい。後半は晴れやかに誇らしげに驕ったように踊るのがまたいい。
 アモナスロを引き出したあと、駆け寄ってきたアイーダに対して冷たい感じがまたいい。女子供相手だろうと頓着しない感じというか。そこからの、ラダメスの「望み」が理解できないわ納得できないわで混乱する様子もいい。これまで兄弟のように育ってきたのに、一心同体同然だったのに、急にワケわからんこと言い出して、無理だし無駄だよそんなこととしか思えなくて、ラダメスが離れていってしまうようで悲しくて、ショックで、でもどうしようもなくて。ファラオは認めるって言ってるけど、さっぱりワケわかんなくて。そのやるせなさが全身からうかがえました。
 そこからどんな和解があったのかといえばおそらくそんなことは特になくて、別にいつもいつも一緒にベッタリいるわけでもないし、また平時の生活に戻ってお互いなんとなく忙しくしてて、だからこの件についてはまとまった話もしていないしむしろ触れないでいるようにしていたのかもしれないし、棚上げにしていっそ忘れたことにしてしまっていたくらいで、だからケペルはラダメスのアイーダへの恋心なんてことは本当に全然わかっていなくて、だからこそあんなに大声で「待ち合わせと言ったか?」なんて言って乱入してこられる。その傍若無人さ、無骨さ、無頼漢ぶりが愛しい。モテたいがために戦士をやっているようなタイプではなくて、ただ戦場しか知らなかったしまあまあ力量があってここまで順調に武勲を挙げてきて他の生き方とかを考えたこともなかったんだろうけれど、世間の風向きが変わってウケなくなったのはおもしろくなくて口とんがらかしてプンスカしてる。愛しい。あんまアタマ良くないけど(笑)、正当に評価されていないことはちゃんと感じていてちゃんと不満に思う、そういうまっとうな男なところも好き。
 アドリブに及び腰だったところも、やるとなればがんばってやるところも好き(笑)。
 石室前場面で、ラダメスが王家の婿に選ばれて嬉しそうな顔をするところが好き。メレルカとハイタッチ(私はあの仕草をエジプト戦士ふうハイタッチとテキトーに呼んでいるのですが、ホントはなんと表現すればいいんでしょう?)して早くも祝宴のごちそうのこととか考えてそうなところも好き。会席が二階前方下手だったとき銅鑼があるかのように見てくれるのが好き。
 乱入した暗殺者たちに対してけっこう後手後手なところが間抜けでまた愛しい。「何故そんなことをした!」という甲高く悲痛な叫びがすごくいい。「♪エジプトが滅ぶ、滅んでしまう」とけっこう簡単にパニックになるところもいい。もちろん場としてそういう演出なんだけれど、そういう単純さがすごく似合うキャラクターだとも思う。アムネリスの宣言に正気を取り戻してぱっと仕事に戻るのもいい。
 地下牢前で「♪裏切り者に死を」とラダメスを指差すとき、初日近辺はけっこうもうわりきってそうだったのに、どんどんだんだんつらそうになっていっていたのもいい。ラダメスがフォラオに向けて最後に問い始めたとき、本当はその話を聞きたくて、ラダメスのことをやっぱり好きで理解したくてでもわからないままででも見限れなくて、けれどネセルが指示するから彼を牢に突き飛ばすしかできなくて、それは彼がさらなる不名誉を負うのを避けさせるためでもあったのかもしれないけれど、でもやっぱり無念で。背中で泣いていて。
 沈む牢に駆け寄るアムネリスを押し留めて、その嘆きと涙が移るようで。でも「地下牢を閉じなさい」と命令したアムネリスが真にファラオとして何かを振り切ったときに、初めてケペルの心に何かが生まれたのではないかしらん、と私は前楽にして初めて思いました。彼にとって彼女はずっと「ファラオの娘さん(中の人談)」にすぎなかったし、彼女がラダメスを気に入っていたことも知っていたのでその後恋愛感情がどうこうということはなかったと思う、とも以前には言っていたけれど、でもやっているうちに変わることだってあったかもしれないじゃないですか。あの強さの陰の脆さを間近で見て、愛しいと思い支えたいと思うようになったのかもしれないじゃないですか。
 最後に蓮の花の前で「世界に求む」を歌うアムネリスの背後に、一歩引いて控えるケペルの姿が見えるような気すら、私にはしましたよ。
 千秋楽の出待ちで、ケペルに彼女は結局できませんでしたと笑っていたけれど、それは結局そういうことなんじゃないかと思った私なのでした。

 というワケで生徒さんにとっても新たな視点で取り組めた、いい公演になったのではないでしょうか。アドリブも鍛えられたしね!(笑)
 最初の数回はなしで済ませていて、まあ劇場が狭くて引っ込みまでにそんなに尺がないしねと思っていたのですが、途中からまぁ様に「やってもいいんだよ」と言われるいう、むしろやれという圧がかかって、そこからもえこと必死で相談する日々が始まった模様です(笑)。
 全部を追えているわけではありませんが、最終日は博多弁祭りでしたね。まず、初日や総見の日にありさとららがやっていた「♪エジプトはすごか、エジプトはつよか」が千秋楽では女官全員もそのまま「♪すごか、つよか」と歌っていて大ウケで、アムネリス様まで「ファラオの娘だから」を博多弁で歌ったらどうしようと心配になるおもしろレベルで、私は幕間にはどうしようケベメレのハードルが上がって今ゼッタイお腹痛くなってる…みたいな心配をしていたのですが、二幕の美人選びではららの決め技「好いとーよ!」にエジプト戦士たちが「オレも好いとー!」と合唱して客席から大拍手、という流れになったのでもうホント貧血起こしそうでした…こんな流れで失敗できない…登場時に階段コケたらどうしよう…なんせNW!のスティックキャッチを初日と千秋楽に失敗した人ですよ!?という…私はファン一贔屓を信じていない女なのでした(^^;)。
 ま、スカステニュースでもありましたように、結果的にはちゃんとできたんですけれどね! 合格点を出せたら返す、と言っていたらしいまぁ様が前楽からは返してくれていましたからね! よかった…(涙)(アイーダヴォイス)
 そう、全然信じていないんですけどそれは私が心配性というか幻滅しないためにむやみにハードルを下げる悪い癖があるからで、いいよいいよダメでも私は絶対嫌いにならないよとよくわからない甘やかしを自分のためにしたいタイプで、けれど当人は全然ちゃんとしているのでした。千秋楽出待ちのガードからのアンコール対応もたいしたものだと思いましたよ。テレやだし流してやらないままですませるかな、と思っていたらちゃんとやるんだもんね、偉いよね、さすがだよね。でもあざといとかじゃ全然ない、ホントにただのファン思いの、ただの素直ないい人なんですよね。ああカワイイ…(盲目)
 というワケで、さらに恋の病が篤くなった五月となりました。
 もう半分も集結しての『エリザベート』、楽しみです!

 ついでのようですみませんが、まぁ様はまた新しいラダメス像を作っているようで、素敵でした。よりおちついた、思索家の青年…みたいな。ケペルがあんなで孤独を抱えさせちゃってごめんね。
 そしてみりおんも進化していたことが、愛ちゃんケペルを確認するためにブルーレイを見てわかりました。このときの歌はまだ一本調子に聞こえます。そもそも上手いからずっと安定していて変化がないのかと思っていたけれど、そんなことはなかったのでした。
 あとはりくカマンテがやっぱりどこかちょっと悲しそうなところがよかったなとか、モンチサウフェのラスボス感すごかったよなとか、せーこファトマのしっとり感とそこから晴れやかに「アイーダの信念」を歌うエトワールがよかったなとか、かける先輩マジかっけーです!とかりおくんホントにイケメンだよねとか、かじふみな卒業おめでとうとか、いろいろあって常に胸一杯の観劇でした。ありがとうございました。

 さてさて、そしてやっと秋の全ツの演目が発表になりましたね。これで今年も終わったも同然です(笑)。
 『バレンシアの熱い花/HOT EYES!!』、いいねいいね!
 『あかねさす』か『琥珀』が観たいと思っていましたが、『バレンシア』も私は好きです。クラシカルな柴田ロマンで、古臭いという人もいるだろうし、しょっぱい悲劇でもあるとは思うのだけれど、そういうところが私は好きなのです。初演はもちろん観ていなくて、タニウメお披露目公演も映像でしか見ていません。『薔薇雨』同様、新公の方が芝居として好きです。
 柴田先生のお芝居は全ツには持っていきやすいんだと思います。地方の観客も喜ばせやすそうな、古典的でロマンチックな王道ロマンスで、半分になった組子の活躍が期待できる役の多さで、セリとか盆とかがそんなに多用されずどんな劇場ででも上演しやすそうな構成で。もちろん名作ぞろいなので本公演でも再演を観てみたい作品はたくさんあるけれど、本公演は新作をがんばるべき、というのもあると思うので、これでいいと思います。
 そして全ツにショーがあるのは絶対にイイ! これまた地方の観客は喜ぶでしょうし、お芝居でちょっとくらい寝られちゃってもショーの華やかさ、きらびやかさは絶対に楽しんでもらえます。ミュージカルをする劇団はよそにも多々あれど、ショーやレビューは他にはほとんどないのだから、絶対に持っていくべきです。
 大階段がなくてもホッタイズはできるし楽しいよ、広い平場でのびのび踊る組子たちを早く見たいよ…! 楽しみです。
 一方、いわゆる裏公演は東上つきバウだったため愛ちゃん主演かな?と思っていたところ、なんと理事降臨でみりおんヒロイン、景子先生の『双頭の鷲』と来ました。美輪明宏とかで有名ですよね、私は未見。そしてきっと好きそう。
 イシちゃんはかつてまりもやみみちゃん、ふうちゃんを育てたような「トップ娘役メイカー」ではもはやなくなっているので、相手を務めるとすれば確かにみりおんくらいでないとつりあわないよね、とは思います。というかみりおんは『エリザ』で辞めないならそれはもう専科クラスってことですよね?ってことだと思います。まぁみりファン、トップコンビ・ファンというものは世に多いでしょうし、私も確かにトップコンビというものは特別かつ神聖なものだとは思っていますが、どちらかの任期が長すぎる場合はやはり相手を変えていって新鮮味を出さないと…とも考えているので、これはおもしろい企画だなと思っています。
 ただ、イシちゃんはそろそろ主演ではなくてもいいのではないか、主人公でない重要な役をやるような専科スターになっていいのではないか、とは思います。そしてこの作品も例えばドラマシティ公演とかでもよかったんじゃないの? バウホールは演出家も生徒ももっと若手を起用していく場にすべきなんじゃないの?
 現状、どの組も三番手スターが東上主演を果たしていませんが、若手にここまで番手を付けておいて、そこから先は生徒もファンも育成しようとしないんじゃ、このあとどうするつもりなの?という気がして、心配です。
 そして気になるのは、現状「主演・朝夏まなと」というだけの発表の全ツのヒロイン格をどうするか、ですよね。
 『エリザ』集合日あたりにみりおんのその次の本公演での卒業が発表されたりするのであれば、全ツのヒロインがほぼ次期トップ娘役確定、ということになるのでしょうね。そこまでの発表がなされるかはまた別ですが…芝居とショーのヒロイン格のスターを変えるとか、扱いを散らす、というのはあるかもしれません。チャーミングアイズは二番手格の男役スターがやってもいいだろうし、イザベルって実はヒロインとしてそんなに大きな役じゃないですしね。シルヴィアもマルガリータも素敵なキャラクターです。でも主人公フェルナンドの恋の相手はイザベルだからなあ、どうするんだろうなあ。
 『双頭の鷲』の方に、主演ふたりの他にどんなキャラクターがいるのか私はまったく知りませんし、振り分けが出るのも宙組のことだからおそらく遅いんだろうけれど、でも今からでも懸念はいろいろ口にしていきたいです。とりあえず、まどかでは、早い。
 なんでも達者にできる娘役さんだと思っています。でも、娘役芸としてはまだまだだとも思います。素敵な少女が演じられる娘役であることと、当人が素敵な少女であることとはまったく別物です。まどかにはまだまだ場数が必要です。劇団は、男性は、女は若ければ若いほどいいと思っているのかもしれませんが、そういうものでは絶対にありません。
 『相続人の肖像』ではずんちゃんが若かったから、そして若いキャラクターの主人公像だったから、特に問題はなかったと思います。でも『ヴァンパイア・サクセション』でのゆりかとの意外なほどの似合わなさはちょっと残念すぎました。アルカードが、というかゆりかがただのロリコンにしか見えませんでした。
 まぁ様は丸顔で若く見えるし、フェルナンドってけっこう若い、青臭い青年だからもしかしたら大丈夫なのかもしれませんが、それでも不安です。まどかでは幼すぎ、組んだまぁ様が素敵に見えないかもしれません。ただのロリコンに見えてしまうかもしれないのです。それではダメなのです。相手役を素敵に見せない娘役ではダメなのです。男役が素敵に思えない宝塚歌劇はダメなのです。
 男役偏重は、私は男女差別とかの問題ではないと思っています。だってやってるのはすべて女性ですからね。世の男性以上に素敵で魅力的で理想的な男役を、男性キャラクターを女性である生徒に演じさせ、それを存分に愛することで、宝塚歌劇の女性ファンは男社会にほの暗い復讐を果たしている部分があるのではないか、とか私は考えているのでした。だから男役はどれだけ素敵であってもいいし、素敵でなければならないのです。
 でも若すぎる、幼すぎるヒロインはそもそも魅力に欠けますし、そんなヒロインを愛する男の格を下げます。それじゃ観客を幻滅させます。それじゃダメでしょ?
 ここは、イザベルは、ゆうりちゃんでいきたいな。ゆうりちゃんは美人だし大人っぽい役も上手いから、シルヴィアとかをすぐ想定されちゃうのかもしれませんが、少女っぽいのも上手いし本当に可愛らしいんですよ? それくらいでないとフェルナンドが惹かれる説得力を醸し出せないと思いますよ?
 といってマルガリータをまどかがうまくやれるかというと、意外にこれまた難しいと思いますけれどね…いわゆるアンフェリータ、フランソワーズ・ポジション、実は力量が必要な役です。つまり彼女にはまだまだ引き出しが少なくて、できる役の幅が狭いのだと思うのです。若いから若い役、ってだけじゃ役者としてはダメでしょ? もっと違う勉強をさせる必要があるのだと思うのです。私は『ヴァンサク』は彼女のステップアップになっていないと思いました。
 みちるやくり寿はもっとうまく育てられていると思うのになあ…ともあれ将来の歌劇団を担うスターさんではあるでしょうから、がんばっていただきたいです。
 さてさて、私はキャラクターとしてはロドリーゴが大好物ですが、配役はどう来ますかねえ。ルカノール、ってのもおもしろいかもしれないけどなあ。
 それかバウで二番手格をやらせていただけるのならばそれはそれでおいしいかもしれません。でもあまり役の数がない芝居なんだそうですね? あまり高望みはできませんが…さてさて振り分けはどうなりますことやら。
 とまれこうまれ、楽しみと悩みの尽きないファン・ライフなのでした。





コメント (12)
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青山文平『つまをめとらば』(文藝春秋)

2016年05月21日 | 乱読記/書名た行
 女という生き物は美醜に関係なく、いや、なにものにも関わりなく、天から自信を付与されているのではないか…女という圧倒的リアルを描き、男の心に巣食う弱さを描く滋味あふれる短編集。第154回直木賞受賞作。

 初めて読んだ作家でした。いわゆる江戸もの、人情もの、武家ものの短編集で、よくあると言えばよくあると思うのだけれど、男とか女とか夫婦とかを主に描いていて、ちょっとざらりと引っかかるところもあって、これを男性が書いて主に男性が評価すると賞に値するのだな…と思ったり、しました。
 おもしろくないとかつまらないとかいうこととは違って、ね。なんか、ね。
 ま、小粒なんじゃないかとも思いましが…なかなかねちねちと読みました。

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桐野夏生『ハピネス』(光文社文庫)

2016年05月12日 | 乱読記/書名は行
 高級タワーマンションに暮らす岩見有紗は窒息寸前だ。ままならぬ子育て、しがらみに満ちたママ友たちとのつきあい、海外出張中の夫からり離婚申し出。そして誰にも明かせない彼女自身の過去。軋んでいく人間関係を通じて徐々に明らかになるそれぞれの秘密と、幸せの裏側に潜む悪意と空虚を描く衝撃作。

 「VERY」に連載した、ということがまたおもしろい小説で、おもしろく読みました。
 というか、こういうことになるのが怖くて、私は子供を持たなかったのだな…と改めて思いました。こちらがあれこれ手をかけないとそれこそ死んじゃうくらいに無力なのに、こちらとは明らかに違う個性で、思うようには育たない生き物で…絶対ムリ。私には耐えられないと思いました。
 このヒロインも息絶え絶えでこの暮らしをしていて、自分で選んだんだから開き直ってもっとハキハキがんばらんかい!と言いたいくらいなのですが、実は彼女にもいろいろ事情があって…ということがゆっくり明かされていく展開になっているので、イライラしつつも楽しく意地悪く読み進められてしまうのでした。
 ふわっとした終わり方になっているのは続編を連載する企画が最初からあったからかもしれないし、人生がどこかでキリよく大団円落着するなんてそれこそ死ぬまでありえないのだから、ということもあるのかもしれません。
 解説もおもしろかったです。



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博多座『王家』初日雑感~澄輝日記5.5

2016年05月08日 | 澄輝日記
 宝塚歌劇宙組『王家に捧ぐ歌』博多座公演を、初日から四回連続観劇して帰京しました。
 今でも一幕にまとめてショーつけて!と思ってはいますが、それはそれとして、メインふたり以外の配役変更がなかなかにおもしろく、結局は楽しく通ってしまいそうです。千秋楽まであと2回遠征しますが、現時点でのごく個人的な感想の覚え書きをしておきますね。
 『ヴァンサク』とのテンションの違いは、そら贔屓目だからですすみません…

 脚本・演出の大きな変更はありませんでした。
 アイーダの「アイーダの信念」のあとの台詞が
「お父様…ああ、ラダメス…私はどちらの勝利を…」
 で途切れて、「祈ったらいいの?」(でしたっけ?)をなくしたことと、「月満ち」の前にアイーダが「ふたりで…遠くへ?」と言う台詞が増えたこと、くらい?(これ、前からあったらすみません)
 フィナーレでみりおんが歌うスゴツヨソングが「♪アフリカはすごくてステキ」になったのは、改善かな。アフリカは大陸の名前だからエチオピアとイコールではないとは思うのだけれど、お芝居でエチオピア王女だった人に「エジプトはすごくて強い」と歌わせるより100万倍いいですね。
 後半の歌詞も「強い国にはお金がある、お金はあるけどただそれだけ」みたいな感じに修正されていましたが、まあでも全体としては微妙かな…スゴツヨソングってトータルでギャグであり風刺の歌なんだと私は思っているので、あまり姑息な手入れをしても意味ないんじゃないかなと思うのですよ…
 そうそう、エチオピアが全滅してアモナスロが本当に発狂してしまうくだりの台詞が、死者に「戦え!」と命じて「新たな戦いの始まりだ!」みたいなことを言う台詞に変更になっていました。
 が、私は以前のものの方がよかったかなと思っています。
 たとえば後述しますが、ケペルなんかは純粋に戦うのが好きなんだと思うのですよ。でもそれは「アラアラ男の子は元気でいいわねえ」みたいなレベルのもので、アモナスロみたいな男は、というか世の一般的な男たちは、戦うことが好きというよりは勝つことが好きなのであり、権力を得ること、君臨すること、周りから崇められること、やりたい放題できることを求めているんだと思うんですよね。
 だから王になりたがる。そして臣下に命令を聞けと強要する。その臣下はもう絶命しているのに…国民なき、国土なき名のみの王の虚しさを、以前の台詞はよく描き出していたと思います。
 まあでも、変更した方が、アイーダの「♪戦いは新たな戦いを生むだけ」という主張を強調する効果が出ていて、作品全体のテーマとしてもより「愛と平和」の平和寄りになって、いいのかもしれません。キムシンはそうは意図していないのかもしれないけれど…今回のプログラムではこのあたりのことは語っていなくて、主にアムネリスについて語るコメントになっていました。
 あとは、エチオピアの女囚たちがエチオピア戦士のバイトもしててみんな凛々しくて惚れそう、とか、アムネリスの女官たちがメンバー替わっても怖さはそのまま、かつこちらもエジプト戦士のバイトしてて小さくてもカッコいいぞ!とか、くらいでしょうか。
 あと、さすがに全体に人数は足りていないというか、寂しい感じはしましたね。普段の物量作戦はやはりこういうときには貴重ですね…コーラスなどは録音の助けもあって、薄くなっていることはなかったかと思いました。凱旋あとのてんれーのソロ(フェイクパート)はりんきらが歌っていました。

 あ、フィナーレのゆりかポジはすべてずんちゃんでした。
 でもこれはあらかじめ聞いていましたし、心の準備もできていましたし、当然だとも考えているので、大丈夫でした。パレードはウバルドのお衣装でだったし、パステル5もゆりかソロだったところを5人で歌う形にしていたり、ナウオンの席も学年順だったり、配慮というか、気を遣ってもらえてるのはわかりましたしね。
 あっきーは本公演ではわりとずっと上手にいるイメージだったけれど、今回は立ち位置なども変わって上下双方によくいるようになったのも新鮮でしたし、黒塗りに黒燕尾も素敵だったけれど白いお化粧での黒燕尾もまた違って素敵…!と、結局はなんにでもウットリしてしまう有様でした。
 ただ、パレードには本当に動揺しました。事前に特に何も想定していなかったのですよね。だから、余計に。
 エトワールのせーこのあと、センター下りがまず下手からもえこメレルカ、しーちゃんアムネリス、りくカマンテで、えっモンチをセンターで下ろしてあげないの? とここでまず動揺して憤っているうちに、あっきーが現われて階段てっぺんセンターに立ち(博多座の階段は段数がたくさんあって素晴らしいですね!)、並びのメンバーはだいぶ離れて、というか等間隔に間を空けて上手下手にふたりずついて、5人のセンターとは…とか思っていたらみんな一緒に下り始め、違うわこの上手のふたりと下手のふたりは上下の流れの中での降りなんだ、じゃあ何ひとり降りってこと!?と動揺し、ああでもそれで歌はナシみたいな妙な扱いされることもあるよねとか身構えてたら階段真ん中に止まって、「♪友よ」と歌い出したものだからもう、心臓止まるかと思いました。ちなみに私の本名には「友」の字がつくのです。
 泣かなかったけど! でもそれは動揺しすぎたためというか、なんかホント呆然としたためというか…でも晴れやかな笑顔に、本当に本当に、力いっぱい拍手しました。感動しました、幸せでした…

 というわけで、では以下、変更された配役の感想を。
 まずはずんちゃんウバルド。大柄に見せることに成功していたと思いました。
 みりおんとは同期ということもあって、ウバルドとアイーダは双子という設定で演じているそうですが、なんとなくそれが似合って見えました。
 ゆりかってホントにデカくてギラギラしてて、その分アモナスロからの扱われ方もけっこうぞんざいに見えて、ああ彼は妾腹の息子とかで跡継ぎではないんだな、正統な王女のアイーダの方が大事にされてるんだな、って感じがしましたが、ずんちゃんはずっとマイルドでノーブルなウバルドを演じていて、心なしかアモナスロも優しい気がするのです。
 だからゆりかウバルドみたいな野卑な、自爆ありきの狂気じみたテロリズムとかではなく、正統な王子が国家再生のために真剣に立ち上がっているような、凛々しさやある種の清々しさすら見える気がしました。それはそれでアリなんじゃないかなーと思いました。
 ただ、エチオピア三兄弟の差異が、あまり出ていない気もするんですよね…これは、贔屓目もかなりあるかもしれませんが。声も意外とみんな似ている気がする。本公演では、ゆりかは深くあっきーはシャープで、りくは甘くてバランスがよかった気がするんですよね。
 りくカマンテが私には物足りないのかもしれません…これまた贔屓と比べてるんだからあたりまえだし欲目で申し訳ないんだけれど、ギラギラさが足りない気がするというか、どうしても優しげに見える気がしました。あと、歌がやっぱりなかなか上手くならないよねえ…ルドルフが控えてるんだからがんばってくれー!
 「神の許し」のダンスなんかはすっごくシャープでコンパクトで、同じ振りを踊ってても全然違う…!とおもしろかったのですが。あと階段、もっと高いところまでいってましたね。
 モンチのサウフェがまた歌が上手くて、そして特に優しいとか弱気だとかの役作りをしていないように見えました。だから余計に三人ダンゴに見えてしまう気がしました。
 このあたり、何度も言いますが私の目は曇っていますし、これから一番変わってくる部分なのではないかと期待しています。楽しみです。

 そしてしーちゃんアムネリス。
 私は新公ららたんはかなり健闘していたと思っているのですが、それでも歴代アムネリス、つまりダンちゃん、新公ウメちゃん、ゆうりちゃんにららたんと並べたらやはり初めての、と言わざるをえない歌上手のアムネリスがついに降臨…!でした。とっぱしの「♪ああ、あなたのまなざし」からしてすでにまろやかで、全然違う…!と仰天しました。音程が確かで美声で歌詞も明瞭、素晴らしい。
 ただ、芝居歌になっているか、感情が伝わるか、ドラマチックかと言われると、これは場数の問題もあるかとは思いますが、ゆうりちゃんに一日の長があったかと思います。これまたゆうりちゃんの芝居が好きな私の贔屓目かもしれませんが。ゆうりちゃんアムネリスは、歌はからっきし下手だったけど、ハートのあり方が的確だったと思うのです。
 しーちゃんは、もちろんあえての役作りなのかもしれませんが、王女としての大芝居とう点からは物足りない、と私は感じてしまいました。高貴さとかプライドの高さとかわがままさとかがあまり見えなくて、わりとフツーの思慮深いお嬢さん、くらいになっている気がするんですよね。でもアムネリスってやっぱりこの作品の裏ヒロインだから、というか裏主人公だから、フツーじゃ弱いのではないか、と思うのです。
 この人がファラオになって、エジプト大丈夫かいな、という気もしました。また愛ゆうりほどケペル→アムネリスを感じなかったので、ケペルちゃんと王配になってあげて支えてあげてー!って気がしました…
 ただ、四回目に二階席から全体をゆっくり観る見方をしていたとき、ああけっこう強さが出せているんだな、オーラ出てきたな、とも感じたので、これもこれからの進化に期待したいと思います。

 さてではそのあっきーケペルですが。
 私はカマンテのときと同じ過ちを繰り返しましたよ…あのときも私は、あっきーが役に求められるよりも優しくしか作れないのではないか、と心配しました。そして杞憂に終わりました。登場時のカマンテの暗い目にシビれました。
 今回も、お稽古場映像とかを見て、凱旋センターなんかも両脇のかけるともえこが精悍に獰猛にやっていてやっぱりあっきーはロイヤルでノーブルだなあ、とか思ってこっそり心配していました。そしてそれはまた杞憂に終わったのです。なんと学習しない私であることよ…でもでもそれは、贔屓を信用していないとかじゃないのです、ただただ私が心配性なだけなのです、すんません。
 登場時の、ウバルドたちが殴る蹴るされている様をただちろんと見下すケペルの瞳の怖さと美しさに、シビれました。
 あっきーケペルは、ギラギラガツガツプンスカしていました。そして正しいケペルだったと思いました。愛ちゃんをあまり見ていなかったので(すすすすみません! ホラ、エジプトパートは基本的に精神的休憩タイムだったから…)比較ができないというところがまた甘くて申し訳ないのですが、多分きっと全然違うんだと思います。
 ウバルドたちが殴る蹴るされてるのに加わりもせず、ただ冷然と見下している様子が、その怜悧な美貌ゆえに非情さが増して見えるという恐ろしいことになっていましたし、戦場でのラダメスとのやりとりもかなり好戦的で、待たされて歌っている間もかなりイライライカイカしていて、喧嘩っ早い武闘派だなーという感じがよく出ていました。本当に戦場ですべてを学んだ、戦場でしか生きてこなかった、単細胞な武人っぷりを感じたのです。
 でもラダメスが将軍やファラオの婿に選ばれたときには、すごーく嬉しそうに喜ぶ。俺の方が、みたいなところが全然ない、裏表のない感じ。その単純さ、さっぱりした性格してそうな感じもイイ。
 そして多分、ラダメスより少し年上設定をしてるんじゃないでしょうか、「♪そうとも、時代は変わった」のくたりもすっごく兄貴風を吹かしている感じがしましたし、「すなわち」って台詞の言い方なんかがすごく上からっぽく感じたんですよね。こうきたか、と新鮮でした。
 対照的にラダメスが思慮深く穏やかな好青年に見えるので正解だと思いますし、エジプト戦士のあり方としても正しいのだと思います。エチオピア勢が本公演よりより素朴で心温かな人々になったのに比べて、エジプト側は綺麗でノーブルで洗練されていて、でも実はギラギラガツガツしていて野蛮で獰猛だ、というのは対比として効くと思うのです。こういう国だから侵略戦争を仕掛けるのだし、平和な明日は遠い、それでも…といのが、この作品のテーマだと思うからです。
 こんな強さが、怖さが、恐ろしさが出せるようになるなんて…ともう謎の感動で泣きそうでした。だって素の本人は本当に本当に優しくていつもにこやかでいい人なんだもん。
 いつもいつも信じてなくて心配ばかりしててすみません、と謝りたいです。信じてついていきたいです、と強く言いたいです!
 いいケペル、新しいケペルでした。

 なのでもえこがこれまたあまり見られていません、すみません…
 私はずんちゃんはけっこう好きで、だからメレルカはけっこう記憶はあるんですよね。愛ちゃんケペルに比べて理知的に作っている感じとかが好きでした。
 それからすると、もえこのメレルカはどうかな…凱旋で、マントをつけて出直してきてからはあっきーケペルはけっこう笑っているというか、不敵な、傲慢な笑みを浮かべているのですが、もえこメレルカはにこりともしていないことが多くて、それは勝利に驕っていないということでとてもいいなと感じているのですが、あとはやはりまぁ様との学年差も障っているのか、まだあまり親友感が出ていない気がするんですよね…だったらもっと年下感、弟感を出しちゃう作りでもいいと思うんだけど、またヘンにおちついて見えちゃうタイプだからなー。これからかなー、これも今後に期待。

 最期に、主演のふたりを。
 まぁ様は、初日こそ歌がケロッたり辛そうに聞こえる部分がありましたが、かぐにチューニング完了して、ラダメスでの歌い方を取り戻した感じでした。
 そしてやはり一年たって、ちょっとおちついた、若いは若いけど優しくもしかしたらちょっと物静かそうな、心温かな好青年になっている気がしました。
 仕事は軍人だし、能力もあるし、戦うことに疑問を持ってはいないけれど、でもかすかな違和感をずっと抱いていて、そこにアイーダが現われた…という、描かれていないドラマが十分窺えました。あいかわらず素敵です。
 みりおんは、私は特に変化を感じなかったかなあ。もともと上手い人だからな、というのはありますかね。

 というワケで、ホント贔屓目全開で申し訳ありませんが、楽しく通いたいと思います。千秋楽後に、また感想をまとめる予定です。





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宝塚歌劇宙組『ヴァンパイア・サクセション』

2016年05月08日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアタードラマシティ、2016年5月4日12時。

 時は現代。2015年のニューヨークに、ヴァンパイアのシドニー・アルカード(真風涼帆)が蘇る。700年に渡って眠りと目覚めを繰り返すうちに、「退化という名の進化」を遂げ、生き血を求めて人を襲うこともなくなっていた。それどころか、かつての敵であるヴァンパイア研究家の末裔ノイマン・ヘルシング(愛月ひかる)と友情を育み、記者兼小説家であるヘルシングにこれまで見聞きしてきた様々な出来事をネタとして提供していた。ある日、ヘルシングの小説出版記念を兼ねたハロウィン・パーティーに参加したアルカードは、歯科医を目指す大学生ルーシー・スレイター(星風まどか)と出会うが…
 作・演出/石田昌也、作曲・編曲・録音音楽指揮/手島恭子、振付/御織ゆみ乃。全2幕。

 プログラムの作者の「カミング・アウト」を読んで、嫌な予感はしていたんですよね…
「2.5次元男子、BL、韓流の知識が薄く、アニメ・コスプレ・ゲーム好きの友もなく、長年虚構の世界で禄を食んでおりますのに…ツノの生えた鬼、羽根の生えた天使の類を描くのが苦手で…昨今流行りの演劇感覚から”置いてきぼり”を喰らっております」
 …苦手なら、興味ないなら、くわしくないなら、萌えがないなら、無理してモチーフにすることなかったんじゃないの? 作家として恥ずかしくない? 好きな人に失礼だと思わない? 不勉強を居直るのってクリエイターとして終わっていると思うし、そんなことわざわざ言わずに、書ける題材で、書きたいものを書けばいいじゃないですか。ファンは誰もアナタに吸血鬼ものを書けなんて強要していないよ?
 それとも強要されたのでしょうか? 真風主演の小公演で、吸血鬼もので、石田先生に、という、三点セットの劇団リクエストだったということですか? だとしたら劇団がアタマおかしいとしか思えませんよね。無理強いしてる、負け戦を仕掛けたってことですからね。これが成功していたら、してやったりとか新境地開拓とか狙いが当たったとかいばれたのかもしれませんが、失敗してますよねコレ? というか作家自らがこんな泣き言、言い訳を書いてる時点で成功するわきゃないってことですよ。新しいものが生まれる可能性、成功の可能性があるなら賭けてみてもよかったとは思うけれど、この言い訳はないよ、勝つ気なんかないってことだもん。だったら石田先生がもっと得意なフィールドで書けばまだ勝負になったんじゃないの?
 それとも、モチーフがどうとかジャンルがどうとかじゃなくて、石田先生にはもう書きたいことがないのかもしれないな…だってこの作品、そういう設定部分と現代用語の基礎知識みたいな部分を取っ払ったら何もナイですよね? だから観た人みんながストーリーを語らないんですよ、だってストーリーなんかないんだもん。キャラクターもドラマも何もないんだもん。現代風俗に関する作家の浅薄な料簡が散発しているだけで、お話になっていません。だったら、誰も読まないだろうけどエッセイでも書けばいいのでは…SNSとかさ。
 ヴァンパイアが人間になりたがって、本当に愛する人ができて、その人からも愛されたら人間になれる、ってどこの野獣だよって設定ですかまあそれはいい、とにかくそういうことらしく、そんなわけでとある少女と出会ってくっつきました、人間になりました、おしまい、ってだけのストーリーが、きちんと作れていない。これはつらい作品ですよ…
 石田先生にだって以前はもっとマシな、イヤおもしろい作品だってあったじゃん…やりたいことがきちんとあって、宝塚歌劇としてギリギリかもしれないけれどちゃんと成立している作品だって、過去にはあったじゃん…どうしちゃったの? 枯れちゃったの、耄碌しちゃったの? なら引退して? つきあわされる生徒がかわいそう…生徒は定年まで劇団にいられる座付き作家と違って、ずっとずっと短い現役生活の一瞬一瞬を勝負していかなきゃならないんですよ?
 最初から期待なんかしなきゃよかったのに、ともけっこう言われましたが、私はそういうことはできません。というかしたくない。タカラヅカだからおもしろくなくてもいいとか、多くは望まなくていいとか、そんな考え方は私にはできません。ちゃんとエンターテインメントとして成立していてほしい、オリジナルの劇創作として一定以上のクオリティを持っていてほしい、つねに新規ファンが呼べる出来であってほしい、興行的にも成功していてほしいのです。だって素人じゃないんですから、商売なんですから。現状儲けが出てるんだからいいでしょ、じゃなくて、クリエイションとしてより高みを目指してほしいのです。でないと新世紀マジつらいって! 望み過ぎなのかもしれないけれど、私は求めたい。最初からあきらめて、「いいよ、つまんなくても、くだらくなても」なんて気持ちで劇場に出かけていきたくないのです。プライドを持ってお仕事していただきたいです。
 ホント、めんどくさいファンですみません。ここまで書いておいてなんですが、ご不快な方はお読みにならないでくださいね…

 でもなあ、一幕終盤まではホント、こら論評に値しないや、とほとんど放り出した気分だったんですけど、ラストは急にシリアスに盛り上げやがって!と思いつつも、そういうドラマをもっとちゃんとやればいいんじゃない!?と目が覚めた気分になりましたし、二幕もちょこちょこ見どころはあって、あああもったいないよおぉ、だったらもっとさあ…!とアレコレ言いたくなったのだから、私も甘いなと思うのです。
 だからやっぱりアレコレ言いたくなりました。改善案を模索したくなりました。でも企画段階だったら、全没にした方が早いと言っていたと思うけれどね。
 というかこんなのこのまま通しちゃだめだよ、もっと練ろうよ、誰か口出そうよ、だってゼッタイおかしいじゃん!!!
 今話題のテレビドラマ『重版出来!』見てないの? まああれは漫画原作だけどさ、その漫画からして、とにかく世に出る雑誌に載ってる漫画ってプロットからネームから下絵から何度も何度も漫画家は担当編集者と打ち合わせして直すんですよ? ちょっとでも良くしようと他人の意見を聞くんですよ? そういうの、必要だと思いますよ?
 おそらく初期になんとなく思いつきで並べた、ゴーストライター設定とか歯科医とか911とかの設定が全然機能していないのも観ていてつらかったです。真に書きたいものがあれば、ストーリーを練るうちに不必要になった設定などは捨てていけるのに、それがないからできていなくて、ますますワケわからなくなっちゃっているように見えました。
 石田先生は仮にも作家なのに、アルカードにゴーストライターをやらせているヘルシングがそれについて何にも考えていないことにしてよく平気ですね? …まあこの人のデリカシーのなさには慣れているつもりですけどね…
 アルカードが手を引いたらヘルシングの作品はまたつまらなくなって売れなくなっちゃうんじゃないの? そんなんでカーミラ(伶美うらら)を養っていけるんでしょうね? 彼女を幸せにしなかったら許しませんよ? あの愛ゆうりに一瞬ほだされてすべて許してやっていい、くらいは思ったんですからね!?
 それはともかく、彼らは14年とか友達だったんでしょう? その間ヘルシングだけが年をとっていたんでしょう? 男性にだって14年ってけっこう大きいですよ、その屈託を描いた方がドラマになったのでは?
 あるいはアルカードはやたら従軍したりレスキュー隊に入ったりしているみたいだけど、それはヴァンパイア自慢の体力を使った人類への貢献なのかもしれないけれど、そこで戦争を繰り返す人類の愚かさに悩むとか、そういうドラマも作れたのでは?

 何より、ルーシーとのラブストーリーがまったく見えないのがつらかったです。
 アルカードはルーシー以外にもたくさん人を助けてきたんじゃないの? 彼女の何がどう特別だったの? なんでルーシーは犬笛を持ってたの?
 このロマンス部分がどうにも弱いのは、宝塚歌劇として致命的ですよ。あと、まどかは達者だけれど娘役スキルはまだまだ足りなくて、現状はただの若い、可愛いだけの女の子にすぎないと私は思います。それは宝塚歌劇の娘役ではない、お芝居のヒロインではない。劇団は、作家は、要するに男は、女は若ければ若いだけいいと思っているのかもしれませんが、観客の大半を占める女性はそんなふうには考えていません。嫉妬と言いたければ言えばいい。でもゆりかがロリコンに見えてカッコよく見えないのがイヤだから、これじゃダメだと言っていることをわかっていただきたいです。まどかに場数を踏ませるための修行なのだとしても、だったらなおさら、もっとなんとかなる役なり作品なりを与えなくちゃダメです。若いんだから等身大の女子大生の役を与える、とか、演劇ナメてんのかって話だと思います。

 あと、観客には妙齢、というか老齢のご婦人も多いんだから、その方たちが舞台を観てくれるからアナタたちの給料は出てるんだから、中途半端に介護とか老後とかお墓とかの話を出すんじゃありませんよ。デリケートな問題なんだから、安易に触れられてもみんなが不愉快になるだけなんだから。
 そこに、作者にどこに出て喧嘩してもいいというだけの見識があるならともかく、今っぽい問題だからって程度に飾り程度に出してるようなものじゃないですか。そういうの、失礼です。ホントやめてほしい。
 あとアルカードにマーサ(京三紗)を「マーサおばあちゃん」とか呼ばせるのもやめてくれ。アルカードの方が年上なんだし、彼は女性をちゃんと「マーサさん」と名前で呼ぶはずの人です。こういうダーイシのデリカシーのなさ、あるいはわざとやっているのであろう幼稚な底意地の悪さが本当に本当に大嫌いです。
 あと、たとえゆうりの台詞でも、女性観客が大半の宝塚歌劇の台詞で安易に「ブス」とか出すなボケ!!!!!
 いちいちうるさいと言われようと、言わなきゃわかんないんだろうから私は言います。
 人種差別とか、宗教とか、専制国家とか、軍事企業とか、ネットのプライバシーとか、そういうの全部ホントいらない。やるならきちんと扱わなきゃいけない題材で、なんとなく触っていいものではありません。

 私にはサザーランド(華形みつる)の立ち位置が最後までよくわからなかったんだけれど、アルカードをつけ狙うような、それでいて最大の理解者でもあるような研究者、ということであれば(それは本来はヘルシングの役回りだったわけですが)、もっとおもしろく使えたのではないのでしょうか。
 アルカードにとって避けたい、けれど避けがたい相手で、執拗ででも純真な人間で、手間暇かかる研究を完遂するには寿命が足りなくて、でも病気で余命いくばくもなくて、だからアルカードが折れて、永遠の命を授けてあげようとする…とか、もっといいドラマになったはずなのになあ、と歯がゆいです。なのに彼はもう人間になっていて、サザーランドも死を受け入れて微笑んで死んでいく…とか、アリだったかもしれないのに。
 長生きに飽きて、死にたい、死ぬ人間になりたいと言っていたアルカードがあっさりサザーランドを噛もうとするとか、おかしいやろ意味不明やろ。
 まあそれで言ったらアルカードがルーシーを噛もうとするところも全然理屈が通ってなくて、だから全然萌えないんですけれどね。ああヤダヤダ、ああもったいない。
 あと、さおもあゆいってなんだったのでしょうか…あれはどういう演出なのでしょう? ふたりとも秘書かつ愛人なのでしょうか? 私はオリーブ(愛白もあ)の方だけがベタベタしてて、ジャスミン(結乃かなり)はそれをみっともないと思ってやめさせようとしているのかと思ってたのですが、ハーマン(美月悠)はジャスミンにもベタベタしますよね…そんな両手に花、男の夢かもしれないけれど宝塚歌劇で生徒使ってやられると私はすっごい不愉快でした。『太陽王』フィナーレのイタいトリプルダンスを思い出しました。
 さおファンが喜ぶだろとか、サブキャラだからええやろ悪役だからええやろってことじゃないと思うんですよ、外部のお芝居と違うんですから。宝塚歌劇の出演者はすべてスターですべてファンがいて、中の人はみんな女性なんですから! 女が一夫多妻とか望むワケないだろう!!
 ホントーにホントーに、疲れた観劇になりました…

 でも、ライトに楽しめました、という方がいたのなら、それはもちろん正解だとも思っています。

 かなことりらの美貌の無駄遣いとか、そらの便利使いとかにも私は胸が痛みました。
 マキセルイ完全復活は喜ばしかったけれども!

 愛情を持ってリピートすればまた違う見え方もしてくるのでしょう。でも私は現状、振り分けがこっちでなくてよかった、うっかり神奈川を追加しなくてよかった…!と心底思っています。
 狭い見方しかできないファンで、本当に申し訳ございません。
 だがダーイシには謝らん!






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