駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『20世紀号に乗って』

2024年03月29日 | 観劇記/タイトルな行
 東急シアターオーブ、2024年3月24日13時。

 世界恐慌を脱出し、人々が再び自信と活力を取り戻し始めた1930年代のアメリカ。かつてはブロードウェイの花形舞台演出家兼プロデューサーだったオスカー・ジャフィ(増田貴久)は華麗で非情、そして誇大妄想気味。現在は多額の借金を抱え、シカゴの荒れた小さな劇場で芝居を打っていた。彼は世界一と言われる豪華客室を備えた高級列車「特級二十世紀号」に乗り込み、元恋人であり、現在はハリウッドの大女優リリー・ガーランド(珠城りょう)に偶然を装って出会う計画を立てるが…
 脚本・作詞/アドルフ・グリーン、ベティ・カムデン、作曲/サイ・コールマン、原作/ベン・ヘクト、チャールズ・マッカーサー、ブルース・ミルホランド、演出・振付/クリス・ベイリー、演出補・共同振付/ベス・クランドール、翻訳・訳詞/高橋亜子、音楽監督/八幡茂。1932年に書き下ろされた戯曲で、ストプレとして上演され、34年アメリカで映画化。その後ブロードウェイにて1978年にミュージカル化、2015年リバイバル上演。全2幕。

 宝塚歌劇雪組版の感想はこちら
 よく笑った、ということしか覚えていませんでしたが(笑)、そしてきぃちゃんのところを珠城さんがやる上演と聞いて素直に「無理では!?」と思いましたが、ともあれ観たくてチケット取りはまあまあがんばったつもりです…が、玉砕に次ぐ玉砕。嘆いていたら、心優しき相互フォロワーさんがお声がけくださいまして、無事の乗車とあいなりました。
 観るのがけっこう公演後半になってしまい、漏れ聞こえてくるのが好評ばかりだったので、ちょっと期待して行ってしまったのですが…みなさん、本当に心優しいんですね。私はダメでした、主に珠城さんが…みんな、他人に目につきやすいSNSではいいことしか言わない良識人なのかもしれませんね。聞けば増田さんファンは抜群にお行儀がいいそうな…でもここは私のブログなので、私は私の感想を書きます。素晴らしかった、最高だったと思う、という方はここでUターンしてください。あ、作品そのものはおもしろかったと私も思いますよ、でもそもそも映画はヒロインが主役なんでしょう? 雪組版も今回もオスカーを主役にしていますが、リリーは立派なヒロイン、大役です。そこがこうつらくっちゃ、そら全体もつらかろう…というのが、私の所感でした。
 言い訳しますけど、ここを読んでくださってきている方はご存じかと思いますが、私は珠城さんのファンなんです。でも私は好きな人にほど点が辛くなる、そういう自覚は確かにあります。でもね、好きだから心配で、過剰に期待し求めてしまうんですよね。だって全然知らない人が観たら「なんであんな下手な人がヒロインやってんの?」って言われかねないじゃん!って思っちゃうからです。イヤ歌えない人が出ているミュージカルなんてざらにあるよ、と言う方もいるでしょうが、歌上手しか出ていないミュージカル舞台もたっくさん知っているしそれがあたりまえであるべきだと考えている私としては、そこで「だからしょうがないよね」とは言いたくないのです…
 てかどうしてこういうオファーをするんだ、あるいは受けるんだ。そもそもタカラジェンヌは、特に男役は、現役時代は歌上手と言われていても退団後は苦労する人がとても多いと思います。おそらくキーの他にもいろいろ違いがあって、チューニングが大変なのでしょう。だいもんだって未だ完璧な出来ではない気がするし、最近こそなんでもござれなきりやんだって退団直後の『マイ・フェア・レディ』とか散々でした。トウコは私が退団直後を観ていないし、みっちゃんも全然観ていないので語れませんが、みりおちゃんも未だに苦労していると思います。なのに大作ミュージカルにばっか出るんだよなあ、『王様と私』も正直めっちゃ心配しています、私。
 逆に娘役スターは、現役時代に歌の印象がそんなにない人でも、卒業して外部に出るとめっちゃ上手っ!と驚かされることが多々あります。これまたキーの問題で、要するに現役時代はものすごく高いところを無理して歌わされていたんでしょうね。そして男役は無理して低いところを歌ってきた…だから高音が弱い。ある意味、自然なことです。
 でもプロなら研鑽してしいし、歌えるようになってほしいし、そうなってから大作ミュージカルに出てほしいんですよ…それは決して望みすぎなことではないと思うんですけれど……しょぼん。

 ヒロインは、とある女優のオーディションの伴奏ピアニスト、の代理、として現れます。まず歌詞を忘れた女優のプロンプをし、次に音を外した女優を正しい音で歌って導き、さらには曲そのものをアレンジして朗々と歌い上げてしまう…それがオスカーの目にとまり、華やかな芸名が与えられて、女優への道が開ける。そういうお役じゃないですか、リリーって。
 でもこの、音を外した女優のために歌ってみせる音が、もう正しくないんだもん。珠城さんに出ない音がある、常に半音下がる音があるのなんてファンはみんな知っていて、私だって愛嬌だと思って愛してきましたが、ここで歌えないのは駄目じゃん。しかも声量がない。だから自信なさげに聞こえる。なのでこの場面の説得力が全然ない。あ、駄目じゃん…とこの時点で目を覆いたくなりましたよ、私…いや、耳を塞ぎたくなる、が正しいのか…
 ミルドレットは着込んでいたダサダサの服や帽子を脱いでいく。美しく波打つブロンドが現れ、ショートパンツだけどほぼダルマみたいに腕も脚も出た赤と青のデーハーなお衣装に
なり、舞台は劇中劇『ヴェロニク』に突入していく。そら珠城さんはスタイルが良くて美しく、真ん中力があり、華もありましたよ。でも声はやっぱり出ていない。マイク音量、もっと上げちゃったら? 音量が弱いから余計に頼りなげに聞こえて、一躍スターダムに駆け上がった女優!って説得力が全然出せてない。おまけに、腕も脚も綺麗でしたが膝が美しくなくて、私はしょんぼりしました…これはルッキズムに当たるのか? バレリーナは脚のために決して正座しないと聞くけれど、あの膝はなんなんだ、学生時代のスポーツの名残なの? 女優としてやっていくためには今後も脚を出す機会はまあまああるものだと思うんだけれど、あれはなんとかなるものなのかしら…
 あとはこれは個人的な好みもあるけれど、胸はないならもっと詰めた方がお衣装が映えるしスタイルのバランスもより良くなる、と思いました。ほとんどないんだもん、単に美しくないよ…ヘルシーでいいとか清潔感がとか色気云々の問題ではなくて、ただ胸が足りない、と私は感じたのです。
 そして…さらに続けて申し訳ございませんが、私は珠城さんの芝居もよくわかりませんでした。これも声のせいもあるのかなあ…男役として出していた低い声はむしろ無理して出していたもので、それにこっちの耳が馴染んでいるだけなのかもしれませんが、素の珠城さんの声ってまあまあヘンじゃないですか。イヤ私はそこも好きなんですけれどね、ヘンな声スキーなので(まったく褒めているように聞こえないことでしょう、ホントすんません)。でもなんかあの声で早口でつっかかるようにキンキンしゃべられると、どうもなんか変に無理しているっぽく聞こえるんですよね…
 つまりリリーって、ハリウッドの人気女優として群がるマスコミやファンに見せる顔と、プライベートになってポンコツ・ボーイフレンドのブルース(渡辺大輔。絶品!)に見せる顔と、彼すら追い出してひとりになったときに見せる本音の顔と、があるわけじゃないですか。その演じ分けが、なんか全然わからなかったんですよね。オスカーと対峙しているときなんかはリリーとしてナチュラルな部分も多くあったはずなんだけれど、珠城さんリリーのナチュラルさをあの発声からでは私は感じられなかった、というか。なのでなんか、だんだんオスカーにほだされていって…とか焼けぼっくいに火が点いて…とか本当は映画でなく舞台がやりたいしそれをわかってくれる人がいて嬉しい…とかの感情の変化や揺らぎみたいなものが、観ていて全然追えなかったんですよね。お友達のおかげで、ほぼオペラ要らずで表情まで追えるような6列目から観ていたにもかかわらず…!
 なので、「わー、全然ダメだ。みんなはこれで大丈夫なの?」と勝手にハラハラしながら全編観たんですよ…あげくオチが雪組版とちょっと違ったのでなおさらトートツに感じられて、それでも最後はむりくり大団円ハッピーウェディングなわけで、まあ早速ウェディングドレス着ちゃって珠城さんよかったねえぇ…などと見送るしかなかったのでした。
 しかしカテコで娘役お辞儀ができていないことにまたイラついてしまい…ドレス着るんだからそこも学んで! くれあ姐さんに今すぐ教わって! と思いましたよ…女優は美しくいることも仕事なのよ!?
 思えば私、『天翔ける風に』も駄目だったんですよね…どうしよう、卒業後2連敗…? あ、『8人の女たち』はちょうどいい胡散臭さだったんですけれどねえぇ……

 私がアイドルとしての姿をまったく存じ上げない、舞台で観るのもお初な増田さんは、それはもう素晴らしいミュージカル・スターでした。歌も芝居もダンスも上手い、そして大ナンバーのあとそのまま演技、とかも難なくこなす体力お化けでした。すごいなあぁ!
 オスカーの部下、オリバー(小野田龍之介)とオーエン(上川一哉)もあたりまえですが任せて安心の上手さで、安定感しかない…! ただ三人とも似たような茶系のスーツ姿だったので、宝塚歌劇ならここはブルー、グリーン、紫のスーツとかで遠目にも識別しやすいようにしたろうな、などと考えてしまいました(衣裳/前田文子)。
 プリムローズ(戸田恵子)も素晴らしいマダムっぷり、可愛らしいボケ老婦人っぷりと安定の歌唱で、これまた抜群でした。アンサンブルもみな達者で、素晴らしい座組だったかと思います。
 なので、ホントいろいろ気にしすぎて楽しめなかった自分を恨めしく思います…いいよいいよ、可愛いよがんばってるよ綺麗よー、と褒めそやしてみることが私はできなかったのです。くうぅ…ホント、私の問題だと思っています。でも私はもっと安心して、たとえ中身のないスクリューボール・コメディだろうと(オイ)もっと深いところで鑑賞したいんだー! 雪組版よりラブロマンスとして、お芝居として深い、みたいなことを語る有識者さま方の感想ツイートを見ると、そこまでとても読み取れなかった自分が不甲斐ないのでした…しょぼん。
 でも、しつこいですが未だファンのつもりではあるので、またおもしろそうな作品に出てくれればいそいそと出かけたいと思っています。とりあえずなんかもっと渋い、小さいハコでのストプレとかどうかな…向いてると思うんだけどな…
 ところでお衣装や私服のスカートはもう見慣れましたが、プログラムの稽古場写真のお稽古スカート姿にはなんかときめきました…(笑)りょうちゃん、として周りから愛されているようなら何よりです!











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『三月花形歌舞伎』

2024年03月27日 | 観劇記/タイトルさ行
 南座、2024年3月22日11時(桜プログラム)、15時半(松プログラム)。

 桜ブログラムの前半は、『女殺油地獄』。野崎の観世音への参詣人で賑わう徳庵堤に、大坂天満町の油屋・豊島屋七左衛門(尾上右近)の妻女・お吉(中村壱太郎)が娘のお光と乳飲み子とともにやってきて、夫が来るのを待っている。そこへ河内屋徳兵衛の倅・与兵衛(中村隼人)がやってくる。次男坊の気軽さもあって、放蕩のうちに暮らす与兵衛は、今日は新地の馴染みの芸者が自分の誘いは断ったにもかかわらず、会津の客と野崎参りに来ていると聞いて、喧嘩を売ろうと遊び仲間とやってきていて…作/近松門左衛門、監修/片岡仁左衛門。人形浄瑠璃として書かれた世話もので、1721年初演。1909年の上演後、歌舞伎のレパートリーになった。三幕。
 松プログラムの前半は『心中天網島 河庄』。大坂の色町・曽根崎新地の河庄に、天満の紙屋の丁稚の三五郎(上村吉太朗)が、遊女の紀の国屋小春(中村壱太郎)に手紙を届けに来る。手紙は紙屋の女房・おさんから小春に宛てたもので、おさんは夫の治兵衛(尾上右近)との間にふたりの子までなしている。一方で小春は三年前から治兵衛と深い仲となり、心中の約束を交わしていて…原作/近松門左衛門、改作/近松半二、指導/中村鴈治郎。『心中天網島』を改作した『心中紙屋治兵衛』の上の巻を歌舞伎に移した一幕で、1781年初演。
 二作とも近松門左衛門没後三百年を記念して上演。プログラム後半はともに舞踊劇『忍夜恋曲者 将門』で、桜は光圀/右近、松は光圀/隼人、ともに傾城如月実は将門娘滝夜叉姫/壱太郎。

 タイトルがキョーレツで有名な『女殺~』を観てみたいと思い、友会が当たっていた宝塚歌劇花組大劇場公演の前日に観ようとしたら、その日は昼の部でやっていて、なら夜も観るか、とさくっと二回とも三階正面席を取りました。南座へ初めて来たが楽前回しかったこともあり、どんどん腰が軽くなっている気がします…
 南座のこの月での花形歌舞伎は今年で四年目とのこと。コロナ禍が最も厳しかった頃、東京以外での上演機会を求めて企画されたものだそうですね。それがちゃんと続いているところが胸アツです。
 毎回、アタマに手引き口上がついていて、この日の昼の部は壱太郎さん。『女殺~』について、解題として「油の地獄で女が殺されるお話です」と言ってのけていて、笑っちゃいました。でも「歌舞伎ってすごいですね、タイトルでオチを言っちゃうんですね、でも何故そうなるか、というのを見せてくれるんですね」とも語っていて、さすがだな、と思いました。で、どうしてそうなる話なのかまったく知らずに、ワクワク観ました。
 結果として、朝11時から観る芝居なんかいな…とは思いましたが、一日通すとやはりこれが一番おもしろかった気がしました。なので組み合わせとしてはやはり夜の部で観るべきだったかもしれません(^^;)。まあでもいいのです、トータルで一日本当に楽しかったので!
 これは実際にあった事件がもとになっているそうで、その犯人はちゃんと捕まって処刑されているんだそうですが、歌舞伎では例によってのやりっ放しエンドです。与兵衛が逃げて終わり、オチてない。ただその事件の凄惨さとしょうもなさ、そこはかとなく漂ってしまう滑稽さと、それでも救われない悲しさ、虚しさが圧巻で、観客の心を揺さぶり、掴んで放さない作品なのでしょう…いやぁすごかったです。
 与兵衛とお吉に恋愛感情がある形の映画などもあるそうですが、今回はそうではありません。そこがいいな、と思いました。あくまで同業者で知人程度で、まあお吉は与兵衛に対してちょっと情けない近所のボンとして心配したり案じたりはしているし、放っておけない弟分くらいには思っているんだろうけれど、あだめいた気持ちはない。それは夫がちょっと嫉妬深いからでもあるし、当人の賢さ、たしなみ、慎み深さ故でもある。それなのに…
 与兵衛の方も、父親を早くに亡くし、母親が番頭と再婚して家を盛り立てて、父親違いの娘が生まれて病弱で手がかかり、優秀な兄はさっさと独立してしまい…で、肩身が狭いようなおもしろくないような、なのはわかるけれど、いつまでもグレていられる歳でもあるまいし、親の想いも身に染みただろうに、なのに…という、ものすごいこじれたドラマなのでした。
 しかしそれはそれとして借金もあって切羽詰まり、どうとでもなれと思ってしまって、優しい姉貴分だった人に無心を断られ、「夫が帰ってきたら不義だと誤解されそうだからとっとと出ていってくれ」みたいに言われて、かえって「なら不義になって金を貸してくれ」と迫れる神経ってホントなんなんだ…と人間の恐ろしさに震撼しますよね。与兵衛がだんだんヘンな意味でハイになっちゃってるのがビンビンに伝わりましたし、そこでまさかの帯クルクルがこんな形で観られるとも思わなかったし、その後与兵衛は床の油を避けるためにこの帯が作る道を踏んで逃げるんですよ、ホント人としてサイテー!とも思うし、当然の行為のようでもある…正気づいて怖くなって、でもやったったでー!みたいな興奮もあるし、狂乱したまま、奪ったお金もぽろぽろ落としそうな勢いで、震えながらどたどた去っていく男…その哀れさ、悲しさ、おかしさ、せつなさよ…!
 与兵衛の母・おさわ(上村吉弥)がめっちゃいいんですよ、めっちゃ泣かせるんです。最初の結婚や夫婦としての暮らしがどうだったかはあまり語られませんが、家のために再婚せざるをえなかったんだろうし、それで商売のことがよくわかっている番頭上がりの徳兵衛(嵐橘三郎)と…となったのでしょうが、もちろん当時も口さがなく言う人は周りにもいたことでしょう、今でもコソコソ言われているのかもしれません。でもそこから協力し合って家を盛り立てて、連れ添ううちにお互い愛情も湧いたろうし、なんならハナから実は好き同士だったのかもしれないし、そうやってがんばって長男も独立させて、末娘の看病をして、フーテンの次男もどうにかしたいと思いつつ上手く叱れないでいて…というその遠慮、気兼ね、でもあふれる情愛…深い、濃い。それは与兵衛にも伝わってはいるのだけれど、でも改心できないものなんですよねえぇ…
 というわけで壱太郎さんのお吉のちょうどいい感じのお姉さんっぷり、女房っぷりが素晴らしく、隼人さんの与兵衛の青さ、若さ、しょうもなさ、悪さ、でもちょっと色気が漂っちゃう感じも素晴らしかったのでした。隼人さんはこれが初役で、これから十年とかかけて何度か演じて、どんどん仕上げていくのではないかしらん…
 そして、観ていて何度「右近さん早く帰ってきてー!」と心で叫んだことでしょう…イヤこの人も商売熱心だからこそ掛け取りに忙しく出歩いているんだし、留守にしたのは別に彼のせいではないんだけれど…少しでも早く帰ってこられていたら、この惨劇を止められたかもしれないのにねえぇ…などと、また泣くしかなかったのでした。イヤしかしすごい話だよ…また観たいです!(笑)

 それからすると『河庄』は、上方和事芸を堪能する演目ということでしたが、私にはちょっとまったりしていたかな…こちらの隼人さんは『女殺~』の右近さんより出番があり、なんかまたおかしいようなしょうもないようなな兄弟を演じていておもしろいのですが、女性視点で観るとホント男ってやつぁ…って気持ちになるので。出てこないけれど、小春に手紙を書いたおさんに共感しやすい観客も多いことでしょう…
 で、どうまとめるんだと思っていたらこちらもやりっ放しの、三人があれこれああでもないこうでもないと言い合ってのその愁嘆場のままのエンドなのでした。ホント歌舞伎ってやつぁ…!
 でも右近さんの柔らかさが治兵衛の情けなさ、しょうもなさ、でもそれが愛嬌にもなっちゃうところに通じていて、よかったです。壱太郎さんもあたりまえですが『女殺~』とは全然違う小粋な遊女で、素敵でした。ふたりを別れさせようとして武士の振りまでしてわたわたする隼人さんもラブリーでした。おもしろかったです。

『将門』は、このネタは私ですらもう何度か観ている気がする…という(イヤ実際には滝夜叉姫に関して、ですが)人気、定番のキャラ、エピソードなのでしょうね。正直、常磐津連中の歌詞は私はちゃんとは聞き取れないし舞踊も読み取れないので、筋書(番附、とされていたのがいかにも関西でした)のあらすじ頼りでしたが、それでも演じられている情景や心情はよくわかったかと思います。壱太郎さん、素敵でした!
 右近さんの方が踊りっぽく、隼人さんの方が決めポーズっぽい感じ。蝦蟇に関する演出が桜と松でちょっと違っていて、姫が引っ込むと蝦蟇がどろんと現れる形もいいし、最後に蝦蟇と並んだ姫が赤旗ばーんと広げる形もいいな、とこれもまあやりっ放しエンドなんだけれど、大満足でした。ドリフ…じゃない、屋体崩しのスペクタクルも楽しかったです。てかこの蝦蟇の手乗りサイズくらいのぬいぐるみを出したら売れると思うんだけれど、どうでしょう松竹さん…(笑)

 恒例のお手製弁当も持ち込みましたが、幕間は30分、マチソワ間もきっかり1時間しかなくて、お茶やごはんするにも慌ただしく、周りのグルメその他は今後またじっくり攻めていきたいな、と思いました。てか頑丈、鈍感な私の腰とお尻をもってしても最後はさすがに…だったので、安易にマチソワせずゆっくり行って周りも楽しもうよ、ってことなんでしょうけれど、ついつい貧乏性なもので…
 古典はやっぱり難しいなあと思いつつも、引き続きいろいろ観ていきたいと思いました。楽しかったです!








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『メディア/イアソン』

2024年03月25日 | 観劇記/タイトルま行
 世田谷パブリックシアター、2024年3月21日18時半。

 月光の中に子供がふたり(三浦宏規、水野貴以)、月光から外れた暗がりに子供がひとり(加茂智里)いる。彼らはメディア(南沢奈央)とイアソン(井上芳雄)の子供たちだった。月光の中のふたりが話し始める。それは両親の愛憎に富む波乱の人生の物語だった…
 原作/アポロニオス『アルゴナウティカ』、エウリピデス『メディア』、脚本/フジノサツコ、演出/森新太郎。全1幕。

 子供たちは黒い服で、3人で年齢も性別も超えて18の役に扮し、白い服のイアソンとメディアの周りの人々を演じて、壮大な叙事詩を紡いでいきます。舞台奥のホリゾントが印象的で、ほとんどシルエットだけの船やメディアの寝室、寝台などの装置も多少は出てきますが、基本的にものすごくシンプルな構造です。歴史ものの中華ドラマのお祭り場面によく出てくるような、あるいはタイあたりでもやっていそうな、紙人形と語りのお芝居、劇がありますが、ちょうどあんな感じでした。抽象的で、幻想的で、それがギリシア神話の世界にぴったりでした。
 でも、もともとふたつの作品をくっつけたから、かもしれませんが、あるいはそれが狙いだったのかもしれませんが、イアソンとメディアの物語は、全然別に独立しているもののようでした。イアソンはわりと流されるだけの、やや頼りない若者で、でも結果的にいろいろと活躍することになるアルゴー船の冒険の物語はまさしく神話で、対してそんな若者にうっかり恋をしてしまうメディアは、彼にとっては外つ国の女でありまた特殊な力を持つ魔女でもあったので、ふたりはうっかり恋に落ちますがスタート地点からしてすでに暗雲が漂っていて、メディアはそれに自覚的で、ハナから重く濃いドロドロしたシェイクスピアばりの長台詞を吐く、暑苦しいリアル心情劇なのでした。南沢奈央がまた強烈に上手いんですよ…なので芳雄さんは霞んだ気がしました。そういう意図だったのかもしれない、とは思いつつも…なのでイアソンはもっと若い男優でもよかったし、いっそ三浦くんにやらせればいいのに、とあとからお友達と話していて気づかされました。演出家は「常々、心底ひどい男をやってもらいたいと思っていました」とプログラムで語っているので、そういう意図ありきのキャスティングだったのでしょうし、芳雄くんもこれが初ギリシア悲劇だそうでチャレンジしてみたかったんでしょうが、なんというか…フツーだったというか、彼である必然性があまり感じられなかった気がしたんですよね…うぅーむ。
 そしてふたつの物語をつなげても、結局間で時間が飛んで、次の場面ではメディアはもう捨てられていて恨み節全開なので、やっぱりトートツだし、その経緯を知りたかったんだけど…?と私は思ってしまいました。浮気されて怒り狂うだけの『王女メディア』でなく、その前日端からしっかり描きたかったんだとしても、肝心のところが話が飛んでるのでは意味がないのでは…?
 まあ神話なので、整合性とか、意味とか、現代の視点で解釈して納得したり共感したりできるかというとなかなかに難しい問題ではあるのですけれど、でも愛は激しければそれだけ容易に憎悪に転じるとか、母親は子供を自分のものと見做しがちなので、子供の父親への復讐のためなら子供を殺してしまうこともありうるだろう、それくらい男の裏切りは女にとって残酷なことであるのだ…というようなことは、ちゃんと伝わってきていたかな、と思いました。
 諸説ありますが、イアソンとメディアの子供は息子ふたりでどちらも殺されてしまう、というのが定番な気がします。でも他にも、男女1ダースくらいいる説もあるし、ひとりが難を逃れる説もあるんだそうですね。それは希望とか救いとばかりも安易には言えないのだけれど、でも命あっての物種です。恐ろしさと悲しさと滑稽さと、そしてかすかな希望の光が残る、静かな、良きオチかと思いました。

 ところで休憩なし2時間なら平日夜は19時開演にしてくれてもいいのでは…いや今のご時勢、平日夜公演を設けてくれるだけでありがたがるべきなんでしょうけれどね。でモヤるからには遅めに設定しないと、来られない人もでちゃうんだから無駄でしょう。21時終演なら十分だと思うんですけれど…ご考慮いただきたいです。

 ところで私はトロイア戦争オタクなんですけれど、そういえばアキレウスの父ペレウスはアルゴナウタイなんだった、と名前しか出てきませんでしたがちょっとテンション上がりました。ともあれおもしろかったです、集中して観られました。










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ふらり、ひっそり、ひとり。旅 その11/福島県

2024年03月21日 | 日記
 個人手配の旅が続いていたので、久々にツアーにひとり参加しました。
 中央競馬にハマっていたころも福島競馬場には行ったことがなかったような…でも、二十年ほど前の冬にいわきだったか、どこだったかの温泉旅館にデート旅行で行った記憶があります。なので、またしてもお初の県ではないのでした。

 朝食は家でしっかり食べてきて、9時過ぎに上野から東北新幹線「なすの」に途中乗車してツアーに合流。小一時間ほど乗って新白河駅で下車し、バスに乗り込みました。老夫婦や中年女性グループの他に、もうひとり女性のひとり参加があるグループでした。添乗員さんは、若くはなかったけどキャリアが浅そうな感じでしたかね…
 東京はめっちゃ暖かな日でしたが、こちらの天気予報では最高気温が15度ほど低く、ビビって来たのですがそれほどでもなかった…かな?
 バスはまずは「塔のへつり」へ。「へつり」とは方言で断崖、絶壁みたいな意味だそうで、国の天然記念物になっている奇岩、怪石の景勝地だそうです。川に架かる吊り橋は冬季は閉鎖中とのことで、私は橋だの高いところだのがわりに好きなので、これは残念でした。獅子搭岩と名付けられている岩が、確かに獅子舞の頭のような、それともおへちゃなワンコのようなでラブリーでした。きのこ汁の振るまいがあって、あったまってからバスへ。
 その後は大内宿へ。藁葺き屋根の集落で、雪景色だと見頃だそうですが、雪は屋根に少しと路肩に寄せられて残るだけで、溶けて汚れて、あまり見場は良くなかったかも…でも、なるべくそのままに保存された藁葺きの家屋に、お土産屋さんやごはん屋さんが色とりどりに入っているのは趣がありました。
 名物はねぎそば、とのことなので適当なお店に入って頼んでみたところ、山菜蕎麦の丼の上に長葱がまるっと一本横に渡されて出てきて、囓りながら食べてください、とのことでした。ご、豪快ですね…? でも葱が好物なので美味しくいただきました。
 雪解け道に足を取られないよう用心しつつ、見晴台まで上がったり、後白河法皇の第二皇子だった高倉宮以仁王を奉る高倉神社などを散策して腹ごなし。『平家物語』のヤツ…!ってなりましたよねー…
 バスに戻るころ、曇天から霙まじりの雨になり、バスはそのまま東山温泉のお宿へ。早めについて宿でゆっくり、なコースでした。おひとりさまでも立派な和室に通されて、前室に広縁付きの十畳間を独り占めでした。ひゃっほーい!
 荷解きしてお風呂支度して、早速大浴場へ。広い! 洗い場もたっぷり! そして空いていました。露天風呂はベランダみたいな作りで、露天というよりはオープンエアなだけでしたが、十分でした。無色透明だけどなんとなくまったりしているお湯は熱く、風に吹かれてずーっと浸かっていられました。
 18時から夕食、アルコール飲み放題付きのバイキング。まああまり期待していませんでしたが、まあそれなりだったかな…温かいものがそれなりに温かだったのでよかったです。赤白ワインに地酒をいただきました。
 部屋で大河ドラマをリアタイしつつ食休みして、再び温泉に浸かりに行き、日が変わるころ就寝。まあまあな煎餅布団でしたが、何故かそんなには身体が痛みませんでした…

 翌朝は7時に起きて朝風呂へ。昨日と男女入れ替わっているので楽しみにしていましたが、露天は強風のため閉鎖されていました…しょぼん。ただ朝日が燦々と入る大浴場も快適で、山並みが眺められて、それなりに満足しました。
 またまたバイキングの朝食をがっつりいただいて、9時前に出発。晴れているんですが粉雪が舞い、風がめっちゃ強いという「吹く島」なお天気でした。
 まずは鶴ヶ城公園へ。戊辰戦争で籠城した、「ならぬものはならぬのです」の八重のお城ですね。有料の天守閣には上がらず、ミュージアムショップでお土産物を買い込んで、本丸跡や二の丸跡をぐるぐるお散歩しました。
 さらにバスで猪苗代湖へ。白鳥の飛来地として有名だそうですが、大きな白鳥型の観光船はいましたが本物は影もなく…もう北へ帰ってしまったようでした。代わりに鴨がわらわらいて、パンくずを撒く観光客について回っていて可愛かったです。ここでは雪もなく、お天気で、散策も快適でした。透明度も高い湖だそうで、確かに水が綺麗そうでした。
 すぐ近くの世界のガラス館、猪苗代地ビール館でランチタイム。会津地鶏の親子丼と地ビールのヴァイツェンをオーダーしましたが、待っている間にあっという間に窓の外が横殴りの吹雪になり、磐梯山を眺めるも何もないホワイトアウトに…! すごいな吹く島!!
 その後は、絶景の渓谷を走るローカル線の只見線に乗るべく、会津柳津駅へ。しかし強風で減速して運転しているとのことで、予定より20分遅れての到着、乗車となりました。ちなみに時刻表によれば運行が日に4本しかなかった…! シビれますね。
 景色は、まあこんなものかなという感じでしたが、雪が舞って綺麗は綺麗。30分弱乗って会津宮下駅で降りて、先回りしてくれていたバスに乗り込みました。
 本当はこのあと、伊佐須美神社に参拝予定だったのですが、列車が遅れた分、行程カットとなり、まっすぐ新白河駅へ。帰りの新幹線は大宮で飛来物があったそうでこれも15分ほど遅れていましたが、その分駅で白河ラーメンが食べられました(笑)。19時過ぎに上野駅に着いて、最寄り駅にも雨はなく、無事に帰宅しました。

 桃の缶チューハイだの缶ジュースだのグミだのを買い、喜多方ラーメンも買いました。ただ地ビールも地酒もいい感じの小瓶がなくて、今回は断念…経済的にはあまり貢献できなかったかな?
 私は普段ほとんどテレビを見ないのですが(録画したドラマは見るけど、ニュースやバラエティ番組なんかを見ることがほぼないのです)、旅先ではなんとなくつけてみることが多く、それでいいなと感じたのが、前回の金沢といい今回といい、ローカルニュースでちゃんと震災について報道されているのが見られたことでした。福島ですら、未だ完全に復興したとは言いきれず、まだまだいろいろな影響下にあることが窺えました。まして能登半島は…戦闘機を飛ばすくらいしか能がないような政府に、本当にうんざりです。
 できれば私も今回、もっと海沿いの方へ出かけてみるべきだったのかもしれません…機会があれば行ってみて、自分の目でいろいろ見てきたいと思っています。関東でも最近また地震が増えていますし、生きているうちに絶対にまた大きな地震が来るものとして、備えていかなければ…と改めて思ったのでした。


〈旅のお小遣い帳〉

ツアー料金 37,000円
上野駅入場券 150円
上野駅までの乗車賃 170円
チョコレート、ガム 323円
お味噌汁の具(自分土産) 850円
ねぎそば 1,100円
ラーメン5点セット(自分土産) 1,100円
そば茶(自分土産) 750円
白桃オレ、白桃缶サワー 430円
部屋飲みおつまみ、お土産お菓子 2,556円
扇子、赤べこタオルハンカチ、蒔絵キャップオープナー(自分土産)5,610円
桃ジュース2点 334円
親子丼、地ビール 1,760円
桃グミ 184円
東北限定缶チューハイ3本セット 516円
白河ラーメン 750円




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パラドックス定数『諜報員』

2024年03月18日 | 観劇記/タイトルた行

 リヒャルト・ゾルゲ。父はドイツ人、母はロシア人。ドイツのジャーナリストとして日本に入国したが、その正体はソビエト連邦の諜報員。独自の情報網を作り、信頼できる協力者たちとともに数年にわたり活動。しかしついに特別高等警察に逮捕される。協力者たちは知らなかった、信じていたのに、裏切られた、と口々に叫ぶが…
 作・演出/野木萌葱。全1幕。

 前回は何故かあまりピンとこなかったのですが、これはおもしろかったです。なんといってもオチがよかった!
 舞台中央に、二段ベッドがふたつある留置所らしき部屋。通路になるスペースがその周りを囲んでいるんですが、ところどころに段差があるのがとても効果的(舞台美術・舞台監督/吉川悦子)。舞台の両サイドは取り調べなどが行われる別室などになり、けれど照明の変化(照明/伊藤泰行)と二役をやる役者の演技で、舞台のすべてが時間も空間も飛び越えるのでした。
 その留置所? 監獄? に、次々と逮捕されてきた「協力者」たち4人が揃うところから、舞台は始まります。他に彼らを取り調べている刑事と、その部下の、男優6人芝居。
 お話が進むにつれて、協力者たちの境遇や活動や思想や人となりが見えてきて、でも4人のうちのひとりは二重スパイだったりして、さらに回想なども混じって、いわゆるゾルゲ事件を通して、当時の「活動家」と呼ばれる人々の想いや、彼らが何と戦っているのか、などが浮かび上がってくる。彼らは何を守ろうとしているのか、国家か、秩序か、正義か、自由か…スリリングで、そしてまるで現代のお話のようでした。腐敗していく国家権力に対して危機感を持ち、立ち上がろうとしている者たちの物語。現代もこうあるべきなのでしょう、けれど今も、かつても「この国に革命は無理だ」と言われてしまう現実…そうなのでしょうか? 本当に? でも革命を起こしてでも守らなければならないものがあるのでは?
 この国が社会主義や共産主義国家になることはまずない、けれど独裁国家になる道はもう見えている。それくらい、民主主義、放棄主義が全然根付いていない国なのです。我々はこの当時からまったく学べていない、賢くなっていないようなのです…もうもう、怖くて、悔しくて、泣きそうでした。
 でも、これはあくまで歴史の物語でもあるので、私はまたしても「…で?」ってなりそうだな…などと考えていたところに、鮮やかなオチが来た、という感じでした。でも歴史的にも納得の、そしてだからこそより無力感を感じさせるような、オチ…
 でも、釈放された者たちが紡ぐ未来がある。そこに私たちは今、生きている。希望や理想を捨ててはならない、戦わなくてはならない。「嵐は来ない。もう来てる。」とは、そんなことなのかな、と思いました。
 いい声の役者さんが多くて、二時間みっちり集中して観られました。ユーモラスなくだりがところどころあるのも、とてもいいなと思いました。開演前に銃声に関するアナウンスがあったのもとても良き。大きな音がダメな人もいますからね。

 次回公演は来年2、3月で『ズベズダ~荒野より宙へ~』とのこと。ロシア語で「星」、国際宇宙ステーションのモジュールの名前じゃないですか。私が嫌いなわけないヤツじゃないですか…ザ・ポケットか、大空さんで行ったなー、また小さいところでやりますねー…行きますね。











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