駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

アキリ『ヴァンピアーズ』(小学館サンデーGXコミックス全9巻)

2023年10月27日 | 乱読記/書名あ行
 14歳の一花は亡き祖母の「然るべき相手は自分の心が教えてくれるもの」という教えを胸に抱き、まだ見ぬ王子さまが自分の心を奪ってくれるのを待っていた。だが、そんな彼女が心を奪われたのは、怖いくらいに綺麗で可愛い異国の少女、そして人の血を吸う吸血鬼だった…

 楽しく萌え萌えで読んできて、先日めでたく完結しましたが、作品としては残念ながらちょっと微妙な仕上がりに終わったかな、という感想です。
 吸血鬼もので百合、というだけではベタで、わりによくある気がしますしねえ…
 まず、吸血鬼でも異星人でもタイムトラベラーでもなんでもいいけど、そうしたいわゆる「ストレンジャー」が人間の主人公と出会って云々となる物語の場合、その主人公は、もちろんキャラとしての魅力や個性は持っていないといけないんだけれど、感覚としては平均的というか常識的でないといけないんですよ。人間代表のスタンダードな存在でないとダメなわけです。そうでないとストレンジャーとの差異が出ないし、我々ごく一般の人間である読者とも乖離しちゃうから。でもこの一花はわりとちょっとズレたところのあるキャラになっちゃってるので、この作品世界のスタンダードがどこにあるのかがわかりにくくなってしまい、読者としては読んでいて不安なのです。決まった軸がないと、そこから外れたものが不思議だとか怖いとかおもしろいとかの判断もできないわけですからね。
 主人公がアレのときでも、たいていはそこに親友役を配して、そのキャラに常識やスタンダードを体現させ、なんなら差異を解説する役目を負わせるのが定番ですが、一花の親友とされている真帆はその機能を果たしていません。せっかく、一花がアリアと親しくなっていくので真帆が疎外感を感じ自分の恋愛を打ち明けられない…みたいなエピソードもあるのにねえ。
 それから、最初に二郎、次に咲耶と、次々と吸血鬼側のキャラ、つまりリルが出てきますが、どのキャラも特に物語に対して機能していないんですよね…それぞれ思うところがあってアリアのそばにいる、ないし現れたはずなのに、説明がほとんどなされないし、その後もいてもいなくても話の展開にあまり関わらず、ときどき便利使いされるだけです。作家の中にはいろいろ設定があって、各キャラが背負っているドラマもできているのかもしれませんが、一花とアリアの物語にはほとんど絡めていないのです。単なる賑やかしになってしまっていて、作劇としてあまりに下手すぎます。あと、これは画力の問題ですが、描き分けも怪しいのでなおさら微妙なのでした。
 これは、担当編集が作家と作品世界設定を共有できていないか、それを一般読者にわかりやすくまたドラマチックに伝えられるよう有効なアドヴァイスができていない、要するに編集としてあまり機能していないせいだと思われます。でも絵が可愛いからそこそこ人気があって、まあまあちゃんと連載が続けられたのでしょう。でもヌルい、もったいない…そこが何より残念でした。
 あと、百合としてもヌルい。まあ大手版元の作品だしヒロインたちは14歳設定なので、あまりエロいことはさせられないのかもしれませんが、吸血もキスも気持ちがいいからしている、とされているのにふたりがディープキス以上のことをまったくしないのはリアリティとしても私は納得がいかないのでした。あとディープキスって口腔内で舌を絡め合うのが気持ちいい、とかだから、絵として描きにくくて、結局キスの合間に唇が離れたときの飛び出た舌とか漏れる唾液とかしか描写できないんですよね。なんかまどろっこしいんだよなー…
 アリアは貧乳で一花は巨乳という設定なので、作家の中にはこだわりがあるはずなのに、キャラ同士は触りも揉みもしないとか、不自然すぎると思っちゃうんですよねえ…何を真面目に論じているんだ、とつっこまれそうですが。でも理想の百合作品を探す旅ってホント困難なんですよ…BLと比べて絶対数が少ないのと、読者はヘテロ女性がほとんどでしょうが百合となると自分と同性なので余計に目が厳しくなるんだと思うのです。ゲイものは異性というファンタジーの魔法がかかるけど、レズビアンものはそうではない、ということです。その上でいい塩梅の、いい萌えの、いいセクシャルさの、好みの、よくできた作品に出会うのって本当にレアなので、私はなおさら求めてやまないのでした…

 物語の主軸としてはよくあるもので、不死のストレンジャーが生きるのに飽きて、自分を殺す力を持つ人間の主人公のもとを訪れる、というものです。一花に何故その力が伝わっているのか、何故祖母にはあって母親にはないのか、みたいなこともほぼノー説明でしたけれど…
 で、こういうストレンジャーとの恋愛ものの場合、オチは二択です。ストレンジャーが主人公側つまり人間側に来るか、その逆か、です。前者が多いのは、我々読者が人間だからです。ぶっちゃけ、向こうが来てくれた方がこちらのリスクが少ないからです。だからこそ、後者のオチのものの方にこそ傑作が多い、というのが私の考えです。どちらもいわゆるタイムトラベル、タイムスリップものですが、『漂流教室』とか『天は赤い河のほとり』はその例ですね。特に『天河』は主人公が、自分が生まれた現代日本社会に戻ることを放棄したあたりから俄然お話のエンジンがかかりましたし、その後もそこで展開するドラマのおもしろさだけでラストまで引っ張れたのはなかなか稀有なことで、素晴らしい作品だったと思います。ちなみによく引き合いに出される『王家の紋章』は、ずっとグルグルやっているので完結前に作家が寿命を迎えてしまいそうですが、これは主人公が過去のエジプトから現代アメリカ社会に帰ってきて終わる方が美しい、と個人的には考えています。現代で主人公を待っている兄のキャラがまあまあ立っているし、これが実は相手役の生まれ変わりで…みたいな形で、現代の方でともに生きていくことになるハッピーエンドがゴールなんじゃないかと思うからです。あと、確かメンフィスって歴史的には若死にした王だとされているんじゃなかったでしたっけ、通して読んだのがもうだいぶ昔で忘れましたが…なので過去にはハッピーエンドがない構造なのでしょう。
 脱線しましたが、なのでこの作品では、アリアが一花に「殺してくれ」と迫り、一花はそれを嫌がって、むしろ自分がリルになってアリアとともに永遠に生きていきたい、と願うようになります。しかし誰でも彼でもリルになれるものではなくて…という設定があって、それでドラマが盛り上がり物語が進むのでした。
 なので、終盤の展開は上手い、と思いました。8巻の帯のアオリが「あなたのためなら一線を越えたって構わない。」というものなのですが、「一線を越える」とは一般的には、というか恋愛ものにおいてはぶっちゃけセックスするとかその類のことが想起されるでしょう。ですが、これは一花が、自分が持つリルを殺す力でアリアの敵のリルを殺すことを指していたのでした。
 不死、ないし何千年もの寿命を持つ生き物は、我々人間とは死生観が異なって当然です。一花はまさに一線を越えて、そちら側へ一歩踏み込んだのでした。だからこそ、最終的には風の砂漠に至れたのでしょう。そしてアルカミールともどもアリアを殺す、という選択ができた。それでリルとしてのアリアは死んで、アリアは人間に戻り、しかし一花はリルと関わった記憶を失っていて、しかしふたりはキスをして、お姫さまは眠りから覚めて、めでたしめでたし、となるのでした。
 人間をやめる勇気を愛によって得た者だけが、愛する者を人間に戻すことができた…
 なのでやはり、ふたりの触れ合いをずっとキスだけにこだわって描いてきたのは正しい演出だったのかもしれません。
 最終巻の帯のアオリは「永遠に生きるよりあなたと生きたい、そう願ったんだ。」。死にたがっていたアリアを殺すのではなく、自分が不死者になってふたりで永遠に生きるのでもなく、ふたりで死んでしまうのでもなく、ふたりで人間として「死ぬまで一緒」に生き、愛し合おう、という結論…美しい。綺麗な終わり方、ラストシーンでした。
 本当は、人間としてこのまま大人になっていけば、心変わりすることもありえるし別れることすらありえるんだけれど、それはまた別の物語。ふたりを見守る元リルたちもたまたま同性カップルばかりだけれど、まあ別に他の作品が異性カップルばかり描いているんだからいいよね…という気もしました。
 タイトルロゴもカバーデザインもお洒落で、よかったんですけれどねえ…やはり愛蔵して繰り返し読むには完成度の低さが気になるという、実にもったいない作品なのでした。が、気になる方にはオススメの一作です!







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高瀬隼子 『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)

2023年08月31日 | 乱読記/書名あ行
 職場でそこそこ上手くやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。ままならない人間関係を、食べものを通して描く、最高に不穏な傑作職場小説。第167回芥川賞受賞作。

 ほぼホラーでした。
 小説のジャンルっていろいろあるけれど、これはいわゆるお仕事小説ではありません。確かに職場小説なの、それも怖い。そしてタイトルにごはんとあるし料理も食事も出てくるけれど、グルメ小説ではない。食べもの小説、とは言えるかもしれない。でも登場人物たちは誰もあまり幸せな食事も調理もしていない。そこが怖い。
 さらにオチが怖い…転勤を機に別れればいいじゃん、なんでつきあい続けるの? なんで結婚とか視野に入れちゃってるの? こういう男がいるから、今の日本から不幸な結婚がなくならないんだよ、と心底思います…ホント怖い。『こっち向いてよ向井くん』より怖い。
 結婚はしたい人、向いている人だけがきちんと完遂する意志を持ってするべきです、本当に。なんとなく、とか周りに言われて、とかみんなしてるから、とかホントやめてほしい。誰も幸せにしません、当人含めて。
 食の好みとかが近くないと結婚とか共同生活はつらいかも、みたいなことはよく言われるものですが、本当にそうですよね。好き嫌いも、アレルギーも、興味やこだわりの有無も人それぞれですが、人はみんな食べないと死ぬので、生命とか人生とかに直結している問題なわけです。そんな問題で歩み寄れないなら他はまして推して知るべし、じゃないですか…何故なんだ二谷、おまえはまあまあ賢い人間ではないのか、何故そこまで自分というものがないのだ、そしてこういう人間はどうして男性にいがちなんだ…闇すぎます。

 毎年、芥川賞と直木賞受賞作のうち、興味が惹かれたものは読むようにしていますが、芥川賞受賞作って、観念的すぎて哲学的にはおもしろくても小説としてはハテ…みたいなものが多いような気もします。が、これはフツーにおもしろかったです。そこも怖い。装丁がカワイイ、それも怖い。
 オススメです。





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高山真『エゴイスト』(小学館文庫)

2023年03月30日 | 乱読記/書名あ行
 14歳で母を亡くした浩輔は、同性愛者である本当の自分を押し殺しながら過ごした思春期を経て、しがらみのない東京で開放感に満ちた日々を送っていた。30代半ばにさしかかったある日、癌に冒された母と暮らすパーソナルトレーナーの龍太と出会う。彼らとの満たされた日々に、失われた実母との想いを重ねる浩輔だったが…鈴木亮平と宮沢氷魚主演で映画化された、2020年に没したエッセイストの唯一の自伝的小説。

 映画は楽しく観ました。ゲイ映画としての評判を聞いて観に行って、前半はBLとして楽しく観て(こういう言い方はいけないのだとわかってはいるのですが…しかし実写BLとしてさすがの迫力だなとか、BL漫画でしか観たことなかった絡みだけど本物の人体で本当にこういう体勢になるのかとか、ちゃんとインティマシーコーディネーターが入ったそうだけどどういうふうに撮影したんだろうとか、恋愛描写も演技も上手くて適切でホントキュンキュンするなとか、そういう消費を確かにしました)、後半の展開は個人的には意外だったので、最終的にはタイトル含めてなるほどこういう作品だったのか、とラストでやっと把握したような気持ちになりました。
 原作小説がある、しかも自伝的小説らしいと聞いて、読んでみたいと思ったものの、知らないエッセイストさんでしたし(重ね重ね申し訳ない…)きっとそんなにおもしろくない、ないしそんなに出来が良くないものを、すごく上手く映画化しているのではなかろうか…などと考えていました。映画を観たころには書店で売り切れていて、やっと重版が入ったのか先日遠征先の書店で見つけたので購入し、帰京の新幹線内でほぼ読み終えてしまいました。
 ごく短い、というのもありますが、非常に読みやすく、それは簡易だとかそういう意味ではなくて、とてもナチュラルでわかりやすかった、ということです。情景描写みたいなものに特に手をかけず話がさくさく進むのは、書き手がプロの小説家ではないからかもしれませんし、書きたいことはそういうことではなかったからでしょう。どこまで事実そのものなのか、かなり歪曲されているのかはわかりませんが、とにかくこうした相手とこんなような出会いがありこういう経緯を経て失った、ということは確かなのでしょう。それがごくシンプルに捉えられ、描かれていた、読みやすい小説で、それがなんとも意外でした。もっと照れ隠し紛れのゴタゴタした虚飾があるか、単に稚拙かで読みづらいものなのではないか、と勝手に類推していたからです。我が身の不明を恥じ入ります。
 小説では映画以上に、主人公が早くに母親を失っていることがフィーチャーされている印象で、相手との恋愛も純粋な好意や性欲よりも、彼を通して母親との関係を生き直すことができる相手、みたいに捉えられているようだったのが印象的でした。私は映画を観ていてそういう側面をほとんど感じなかったので…根が薄情なのかもしれません、すみません。小説では最終的に、龍太の母親ですら自身の母親との関係を語り出し、浩輔との間でそれを再構築し出そうとします。まあそれくらい、母親との中断された絆というものはその人にとって甚だ大きく太い、ということなのでしょう。それがぴんとこない私は、未だ両親ともに健在だということもありますが、恵まれて育つことができた子供だったということなのでしょう。ただ、龍太の母親のこの視線がなければ、私は「男ってホントーにマザコンだね」みたいで終えてしまいそうでもあったので、よかったなと思いました。もちろん種が必要ですが、人は誰でも母親からしか生まれないので、やはり大事で重要な存在なのです。そしてもちろんごく自然なものに思えるこうした愛情、こだわりもまた、単に自分のためだけのもの、わがまま、エゴイズムなのです。そういうタイトルだし作品だと思いました。それが人間で、だから愛しい、という作品なのかな、と…
 もう一度見直したい、という意味で円盤を買いたいなと思っていますが、発売されますよね…? それか、まだやっている映画館があれば見に行きたいな。そういえばドキュメンタリーふうの手持ちカメラでの撮影が多用されていて、私は臨場感があってとてもいいなと思ったのですが、三半規管が弱い方には苦行だったそうですね。そういうところも鈍感で健康な我が身をありがたいと思ったのでした。
 書籍化、映画化にもいろいろ顛末があったと聞きました。円盤解説にそうしたものもあると嬉しいな、と思ったりもしています。






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パット・バーカー『女たちの沈黙』(早川書房)

2023年02月25日 | 乱読記/書名あ行
 トロイア戦争最後の年。トロイアの近隣都市リュルネソスがギリシア連合軍によって滅ぼされた。王妃ブリセイスは囚われ、奴隷となった。主は彼女の家族と同胞を殺した男、英雄アキレウス。ブリセイスは同じく「戦利品」として囚われた女たちと新たな日常を築いていくが、アキレウスと不仲である総大将のアガメムノンがブリセイスを無理やり我がものとしようとして…ブッカー賞作家の傑作歴史小説。

「西洋文学の正典がホメロスに基づいているとしたら、それは女たちの沈黙に基づいている。奴隷となったトロイアの女たちの視点から『イリアス』の出来事を描き直すバーカーの見事な介入は、♯Me Too運動や、抑圧された声を拾い上げるための広範な運動と調和した。依然として戦争のなくならない世界において、その試みは現代人にぞっとするような共感を与える」…というのが、帯でも紹介されている英ガーディアン紙の評だそうです。確かに再びキナ臭くなっている世界において、そして女性を始め弱き者や数の少ない者の声が未だ届きにくい世界において、ブリセイスの一人称で描かれた『イリアス』が読まれることはとても意義があるでしょう。ただ私はそれ以前にただのトロイア戦争オタクなので、この作品ではあのエピソードは、あのキャラクターはどう描かれているのかしら…という興味だけで萌え萌えで読んでしまいました。ものすごくおもしろかったです。
 が、それはそれとしてブリセイス視点で『イリアス』を描き直す、というアイディアは確かに秀逸でした。これでアキレウスとアガメムノンの諍いからヘクトルの葬儀まで、トロイア戦争末期の重要なエピソードがほぼ網羅できるので、とてもおもしろいのです。途中どうしてもブリセイス視点では追い切れず、三人称で、むしろアキレウスに寄った視点の章が挟まれますが、これは致し方ないことでしょう。ブリセイスはアキレウスには全然恋をしないのですが、それでアキレウスを全然見ない、彼のことを考えない、彼の描写をしないとなると、やはり物語としては成立させづらいのです。やはりアキレウスはこの戦争のスーパースターですからね。
 ただ、ブリセイスがアキレウスに恋したり、懐いたり、馴染んだり、あるいはいわゆるストックホルム症候群のようになったりしないのは納得できました。普通に考えれば当然だろうとも思います。昨日までは都市国家の王妃でも、いやだからこそ今はただの奴隷で、それでも過酷な労働を強いられるような類の奴隷からははるかにましな待遇で、しかし夜伽はさせられ宴会の給仕をさせられて見世物にはされる、そういう屈辱は引き受けなければならない。しかもそれを屈辱に感じていることは表せない、薄笑いを浮かべていないとならない。でないといつ主人の気分を損ねて殺されるかもしれないから。殺されないように、怒らせないように、目立たないよう、息を潜めて、最低限のことだけしてあとは小さく縮こまっている。そこに愛だの恋だの生まれる余裕なんぞないのです。彼女はいたってシビアな生死の境にいるのですから。
 パトロクロスは、他の男たちよりは紳士的で親切で、彼女の主人であるアキレウスへの影響力もあるから、ブリセイスはちょっとだけ心を開く。なんなら感謝を、友愛を感じていたと言ってもいい。でも、それだけ。もっとあたたかいものが生まれる余地はない、そんな過酷な環境での物語。アキレウスが父ペレウスと母親である海の女神テティスとの間であまり幸せでない少年時代を送ったことなどを知っても、同情はできない。そんな心の余裕はない、ただ怖いだけ、ただ傷つけられたくないだけ、生き延びたいだけ…
 なんともしんどいです。けれど本当にそうだったろうと思う。そしてこういう描写はまったくされることなく『イリアス』は進むのであり、のちに語り直された物語たちもほぼすべて男の手になるもので男の見方で書かれていて、だから女たちは簡単に主人に心を開き恋をし尽くし愛するようになっている。そんな都合のいいことあるかい、とこの作品は言ってやっているわけです。そしてそれでちゃんと物語になっている、そこがすごいです。
『トロイアの女たち』とでも訳されそうな続編があるそうで、それはおそらく『オデュッセイア』が語り直されるのでしょう。戦争が終わってギリシア兵たちは故郷に帰る、そこに伴われる女たちから見た物語もまたあるのでした。
 まだ少女のころのブリセイスが、姉に伴われてトロイア王宮に行き、ヘレネと出会って好感を持ったことが語られるくだりが印象的でした。ヘレネは周りの女たちからは敬遠されていたようだけれど、それをあまり意に介せずただ泰然と正直でいる様子に、ブリセイスは感銘を受け、なんならちょっと恋をしたのでしょう。別にヘンにユリっぽくなくてもいいんだけど、そういう女たちの交情が続編ではもっと描かれるといいな、と思いました。戦争後の方がまだ、女たちにもその余裕があるのではないかしらん…
 今回もアキレウスとパトロクロスの関係は別にBLめいて描かれてはいません。でも、たとえばパトロクロスの死後のアキレウスの様子からでも、その特別なことは全然窺える。それで十分なのでした。せつなくて、しんどくて、とてもよかったです。女神の息子でも、伝説の英雄でも、全然欠けていて、栄光に包まれてはいてもおそらくは不幸のうちに死んだアキレウスを、私は愛してやまないのでした。







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恩田陸『愚かな薔薇』(徳間書店)

2022年09月02日 | 乱読記/書名あ行
 夏が近づく季節、母方の故郷・磐座を訪れた奈智。14歳になると参加することになる2か月に及ぶ長期キャンプは、「虚ろ船乗り」の適性を見極めるためのもので…14年の連載を経て紡がれた、美しくもおぞましい吸血鬼SF。

 この作家の作品をそんなにたくさんは読んでいませんが、どうも毎度好みと違う気がします…今回は特に、あえてそうしているのかもしれませんが、ヤングアダルト小説臭が私には気に障りました。私がヤングでないからかもしれませんが…とにかく無意味な開業が多い気がしました。束が4センチくらいあるハードカバーになっていますが、本来もっとコンパクトに収まった気がします。
 また、登場人物たちに個性や魅力が足りない気がしました。なのでなんかキャラの見分けがあまりつかなかった…特にヒロインは、読者と立場を同じにするべく、何も知らされないままにこの地に送られた少女…ということにしたのでしょうが、あまりにもおたおたしすぎていて、自分の意志や考えというものがほとんどなく、イライラさせられました。これでは読者は共感したり感情移入したり、応援して読む気にはならないのではないかしらん…
 さらに、「変質」しても全然変わらなくて、つまらなかった…ここは読者から離れてしまっても、もっと何かすごいものになってしまうべきなんじゃないのかしらん…?
 また、吸血鬼と新人類(あるいは生命飛来説)と亜空間航法と惑星植民と…というイマジネーションのつながりはすごくわかるんですけれど、科学考証としてどうなのという点と、それを全然描かないまま終わるという、SFとしてのだらしなさ、情けなさが承服しがたかったです。焦点はそこにはなかったのだ、というならでは何が描きたかったのかと問えば、それも見えてくるものがなく、中途半端な、感傷的ですらない、ぼんやりした展開のままのオチで、ええぇ~ここまでこの枚数かけて書いてきてコレなの~!?とちょっとびっくりしてしまいました。
 長い期間をかけて連載されたものだそうで、その間に世の中も作家本人も変わったことでしょうし、一冊にまとめるときに何かもっと手を入れてもよかったんじゃないかと思うのですけれど、それでも手を入れてコレだったのでしょうか。あああ、もったいない…イヤ作家はこれで満足しているとかファンは大喜びで世評も高いのだ、とかならすみません。私が読みたいものが書かれていなかった、という難癖をつけているだけだったらすみません。でもなあ…なんだかなあ…
 萩尾望都に期間限定カバーのイラストを描かせていたり、14歳だの薔薇だの、『ポーの一族』にインスパイアされて生まれた作品だろうとは思うのですが、たとえば萩尾望都ならもっとおもしろいSFに、あるいは青春ものに仕立てたよ?と思うのでした。彼女が結局描かないままにしている『小鳥の巣』のキリアンの子孫のお話って、たとえばこんな世界観のものなのではないかしらん、とずっと以前から私は密かに考えていたのですけれどね…
 そんな、痒いところに手がちょっとだけ届かない、残念な読書でした。




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