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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

パラドックス定数『ズベズダ』

2025年02月25日 | 観劇記/タイトルさ行
 ザ・ポケット、2025年2月23日13時(第一、二、三部縦断上演)。

 第一部は1947年~1957年。第二次世界大戦終結から一年、ソビエト連邦の天才ロケット設計士セルゲイ・コロリョフ(植村宏司)率いる第一専門設計局は、ナチスドイツが開発したV-2号機ロケットの国産化に着手した。抑留されているドイツ人工学者アルベルト・レーザ(大柿友哉)らの協力を得ながら、彼らはかつて単純兵器だったロケットを多段式R-7号機ロケットへと昇華させ、地球周回軌道上へ「寄り添うもの スプートニク」を打ち上げるが…
 第二部は1957年~1964年。スプートニクが成功し、ソ連最高指導者ニキータ・フルシチョフ(今里真)は米国を出し抜いた歓喜に震えていた。しかしアメリカ航空宇宙局NASAは驚愕のスピードでソビエトを追走し…
 第三部は1964年~2025年。熾烈を極めた米ソの競争についに終止符が打たれる。軍事、政治と宇宙開発を分離できないソビエト連邦は、次第にNASAに追い詰められていき…
 作・演出/野木萌葱。三部構成で、それぞれは約二時間。縦断上演では第一部と二部の間に15分の小休憩があり、第三部開演までに一度劇場を退場させられる大休憩が1時間半ほどありましたが、ずっと同じ席で観られるスタイルでした。
 パラドックス定数の過去の観劇感想はこちらこちら
 今回の演目は過去に青年座での上演もあるそうで、新作ではなく、ブラッシュアップ再演なのでしょうか。前回より群像劇みが増した、という感想も見かけました。
 作者の言によれば、「モノを創る仕事」に憧れがあり、演劇も触ることはできないけれどモノを創る仕事だろう、とのこと。そして宇宙へ向かうロケットを創る仕事は、モノ創りの最高峰なのではないか、とのこと。そして「史実を題材にしたものを自分の作品と言ってしまう烏滸がましさは自覚し」つつ「私は!この作品が!!好きなんだあ!!!」とのこと。でもそれって、単純で当然のようで、素晴らしいことですよね。
 ラストシーンは現代ですから、おそらく今回の上演に際して加筆修正されているんでしょう。今の、『ズベズダ』。ロシア語で「星」、サブタイトルは「荒野から宙へ」。ロケット発射場が作られたバイコヌールはかつて遺跡があった、今は何もない荒野で、でもそこにも人類は暮らしていて、数十万年の昔から、夜には星空に手を伸ばしていたはずなのです。そこに、ロケットを作る人々が集まり、働いていた…ロシア宇宙開発史をたどる、6時間の旅でした。
 私はアポロ11号による月面着陸の年生まれです。中学生くらいの時にカール・セーガンが流行り、ギリシア神話と星と宇宙とスペースシャトルとスペースコロニーなどなどを学んだSF者です。大学の専攻は素粒子物理でした。なので出てくる単語にたぎりまくりました。スプートニク、ボストーク、バイコヌール、ライカ、ベルカ、ソユーズ、ミール、ダー・チャイカ…!
 本当に脚本が秀逸で、無駄な台詞や無意味な台詞、意味不明瞭な台詞がまったくありませんでした。知らない役者(すみません、何回か観ているのにまだちゃんと識別できていなくて…)の知らない国の知らない時代の物語なのに、ロシア人、ドイツ人、技術者、学者、軍人、政治家などのキャラクターたちがあっという間にくっきりと立ち上がり、その人柄、思想、その状況、過去の歴史などがまざまざと理解できるようになるのです。
 セットらしいセットはほぼなくて、床にいくらかの段差があるだけ、机と電話機と椅子が数脚あるだけ。ほぼ会話劇で、でも舞台は研究室その他なんにでもなるし、床は狭く天井は低く、しかし役者たちは上手下手に二箇所ずつある出入り口をめまぐるしく出入りしてガンガン場面を進め、熱く物語を進めていきます。実に鮮やかで、舞台って本当になんでもできるんだな…!と胸アツでした。
 冷戦という状況、米ソの熾烈な宇宙開発競争、ソビエトという国の在り方ゆえの恐ろしいまでのトップダウンなどなど、いろいろなことが重なって、人類はあっという間に月に達しようとしたのでした。しかし私たちは最初に月に人類を到達させるのがアメリカだと知っている、さらにソビエト連邦という国家がやがてなくなることも知っている…もうすっかり彼らに親身になっているのに、どうなるんだっけ、どうなるんだろう、と泣きそうになりながら見守りました。キューバ危機その他、今に続く戦争の歴史もまた、彼らの活動に影を落としていく…
 そして第三部になると、今までなかった正面奥の出入り口から、寿命をまっとうしたキャラクターたちがひとり、またひとりと去っていく…コロナ渦で、ロシアのワクチンにはスプートニクという名前が付けられていたんですね。そしてまた戦争…
 おそらく一番若くて、だから生き残ったのだろうアレクサンドラ・スヴィーニナ(松本寛子)が、それでも星空に手を伸ばして、暗転…ラインナップは、役者さんたちが亡くなったのと逆順に出てきて、揃ってお辞儀して、泣かされました…

 ロケット開発全権主任のコロリョフと、エンジン主任設計士ヴァレンティン・グルシュコ(神農直隆)のコンビ感は萌え燃えでしたね。第零部として過去のいきさつを描いてほしかったくらいです。しかしロシア革命からこちら、粛正その他大変なことがあったのだろうし、どんな天才でもそれだけでは生き延びられなかったろうことを思うと、本当に恐ろしいです。私は社会主義というのはとても素晴らしい理論だけれど、人類はそこまで賢く優しくなれていないのではないか、と考えているんですよね…
 サーシャはレイラ・ゼレノヴァ(前園あかり)やルカ・ヤノフスキー(岡本篤)らとともにソビエト連邦科学アカデミーから協力のためにやってきた後発隊で、このヤングな雰囲気もよかったです。みんな愛称で呼び合っていましたしね。でもサーシャもレーリャもバリバリの研究者や技術者で、いわゆる女言葉をほとんど話さないし、誰かと恋仲になったり結婚や出産でリタイアする様が描かれることがなく、とてもよかったです。性別がそういうドラマの要因にされることがなく、もちろん研究者たちの男女誰にでもそれなりの家庭生活はあったのかもしれないけれどそれはここでの物語とは関係ないので…というスタイルがよかったのです。で、そう思っていたらなんとルカーシャとサーシャは結婚しているようなのでした。定年退職、みたいなものがシステムとしてあるのかわかりませんが、物語終盤の現代パートはこのふたりが自宅のリビングのソファに並んで腰掛けて、テレビを見る様子から描かれるのでした。上手い…!
 フルシチョフとか、こんなおじさんだったのかなあニヤニヤ、ってのもたまりませんでしたし、いろんな意味で体制派に見えたウスチノフ大臣(谷仲恵輔)や逆に学問一辺倒っぽかったケルディシュ博士(酒巻誉洋)もどんどんいい味出していくし、そういう人間の多面さを描く展開も素晴らしかったです。英雄視されて重荷に悩むユーリー・ガガーリン(鍛冶本大樹)もとてもよかった。
 いろんな人がいて、完全な善人も完全な悪人もいなくて、政治や経済がしっちゃかめっちゃかでも夢を追う人はいて、でもやっぱり全部つながっているのでそれだけでは駄目で、もしかして人類は衰退期に入っていて新しい国際宇宙ステーションもなんともならないかもしれないしアルテミス計画も怪しいし火星も金星も遠いままなのかもしれない。それでも…という、想いが、伝わりました。人間ってすごいし、演劇ってすごい。心震える観劇でした。











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通し狂言『妹背山婦女庭訓』

2025年02月24日 | 観劇記/タイトルあ行
 きゅりあん大ホール、2025年2月12日11時(第一部)、12日15時(第二部)。 文京シビックホール大ホール、2月20日18時(第三部)。

 天智天皇の寵妃・采女の局に仕える久我之助は、雛鳥と互いに恋心を抱く。ところが久我之助は大判事家の嫡男、雛鳥は太宰家のひとり娘で、仲違いをしている家の子女だった…第一部は小松原の段、太宰館の段、妹山背山の段。
 天智天皇は寵妃の采女の局が入水したと聞いた猿沢池を訪れ、その死を悼むが、鎌足の嫡男・淡海に励まされて都を離れる。藤原家の旧臣・玄上太郎は今は芝六と名乗り、猟で生計を立てている。淡海は帝を芝六の家に匿わせるが…第二部は猿沢池の段、鹿殺しの段、掛乞の段、万歳の段、芝六忠義の段。
 杉酒屋の娘・お三輪は、恋人である求馬の家に女が訪れたのを知って、女と争う。実は彼は身をやつし市井に潜伏している藤原淡海で、素性の知れない女は蘇我入鹿の妹・橘姫だったが…第三部は杉酒屋の段、道行恋苧環、鱶七上使の段、姫戻りの段、金殿の段。
 1771年に大坂竹田新松座で初演された、人形浄瑠璃黄金期の名作者とされる近松半二ほかによる合作。大化の改新や、大和地方に点在する名所旧跡や伝説を題材とした複雑な伏線と鮮やかな謎解きが、洗練された義太夫の演奏で進行し、舞台一面に日本の美しい四季が展開する大作。

 都民劇場の半額観劇会に申し込み始めて半年ほど、初めて当選しました。しかも第二部が…
 くわしいお友達に聞いてみたところ、有名なのは妹山背山のくだりだろうし、人間国宝が出るのは第三部だし、でも通しで観なくてもいいし、観るとしても一日で全部観るのは体力的にやめたほうがいい、みたいなことを助言されました。
 なので、会社の同期で歌舞伎も文楽も観る、という友達に相談し、彼女も観るつもりだったということで、一部と三部を彼女の分と一緒にチケットを取ってもらい、それぞれ別の日に、順に観ていくことにしたのでした。
 結果的には、確かに一連の物語ではあるんだけれど、それぞれのまとまりごとに上演されているので、通しで観なくても、そして順番に観なくても、特に問題はないんだな、と感じました。でも、文楽デビューの身としては順に全部観ていろいろ観察できて、これでよかったかと思います。
 今は国立劇場が建て替えのために閉まっているので(といいつつ工事が全然着工されなくて問題視されているわけですが)、東京の文楽はあちこちのハコを転々として公演しているようで、どこも専門劇場ではないためにいろいろと大変なようです。本来なら字幕が出るんだそうですね。私は文楽とはお人形を観るものかと思っていたのですが、人形浄瑠璃というからには浄瑠璃、義太夫を聴く部分もとても大きく、そしてそれは耳だけでは今では意味が取れない言葉も多いので、目で字を見るとだいぶ違うだろう、ということもすぐ察せられたのでした。勧められてイヤホンガイドも借りたのですが、私にはうるさく感じられてすぐ聞くのをやめてしまいました。アプリの字幕サービスみたいなのも申し込まなかったので、結果的には三割も意味が取れなかったと思いますが、一応お話がわからないことはなかったし、浄瑠璃のエモーショナルさは堪能できて楽しかったです。お人形の声優さんというよりもっとずっとミュージカルみたいな、歌い上げも多く、心揺さぶられました。こういうものなんですねえ、文楽って…! 次は専門のハコで観てみたいな、とも思いました。大阪に行けばいいのかな…(と、すぐ遠征する…)

 同期の推しが最初の段のヒロイン雛鳥役の豊竹咲寿太夫さん、人間国宝・桐竹勘十郎さんのお三輪は第三部ということで、注目してみました。雛鳥、確かにかーいかった! そしてお三輪は本当に動きが細かくて、まさに生きているようでしたよ…!
 お話はどれも歌舞伎、というか浄瑠璃あるあるのトンデモ展開も多く、出たよまた生首!など思いつつ、それなりに楽しく観ました。真に感動できたかというと、ナゾですが…お人形が演じている分、物語の骨格が際立つような気がする、と同期は語っていましたが、そうかも…と思う一方で、これは歌舞伎だとどんな感じなんだろう、とまた興味もわきました。例えば4月の大阪の国立文楽劇場の公演って『義経千本桜』の通しで、第三部は四段目で「道行初音旅」「河連法眼館の段」って、先日私が大阪松竹座で観てきたヤツってことでしょ? これならわかるかも? あるいはここで通しで観ておくと、今年10月に歌舞伎座でやる通しの『義経~』が理解しやすくなるかもしれないってことでしょ? …ってホラまたこうして誘惑が…
 どんどんつながり広がり、なかなかに楽しいのでした。












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猿若祭二月大歌舞伎『鞘當/醍醐の花見/きらら浮世伝』

2025年02月23日 | 観劇記/タイトルさ行
 歌舞伎座、2025年2月19日11時(昼の部)。

 ひとつめは四世鶴屋南北『浮世柄比翼稲妻』(1823年初演)の一場面で、『鈴ヶ森』と並び単独で上演されることが多いもの。仇同士がすれ違い、刀の鞘が当たったことから争いが始まって…というもので、今回は不破伴左衛門が板東巳之助、名古屋山三が中村隼人、割って入るお梅が中村児太郎。
 鞘当て、というと今は恋の~みたいな、つまり恋敵同士がマウントの取り合いをするような状況に使われる表現かな、と思いますが、本来?は、今でいうヤンキー同士が肩いからせて歩いてぶつかって難癖付け合う…みたいな状況のことだったんでしょうね。その難癖部分の台詞の掛け合いが見どころ、聴きどころになるんだから、歌舞伎ってすごいよなあぁ。
 刀を抜いて斬り合って、交差したところに割って入る人が布を投げかけて押さえるヤツは今回もあって、初めて観たときは「これが『バレンシアの熱い花』でロドリーゴとラモンの決闘にフェルナンドが割って入るヤツの元ネタ…!」と震えたものでした。ちなみにこの役割は「留女」というんだそうですね。名前があるくらい、様式化されたものだということでしょうか。それとも男が喧嘩っ早いのは昔から変わらない、ということなのか…(笑)
 あと、あの編笠は、歌舞伎用のもので本当のサイズはもっと小さいんですよね? 髷を潰さないよう、デカくしてあるだけなんだよね?? これを観るたびデカすぎて頭身低すぎて、シルエットがカネゴンみたい(古い)…とつい笑いそうになる私なのでした。
 …と、くだらないことばかり考えつつ楽しく眺められる、肩の凝らない一場面でした。華やかなお衣装は目に楽しいし、おふたりの声も私はもう識別できるようになっていて、巳之助さんが荒々しく、隼人さんがはんなり麗しく動くキャラなんだということも見て取れたので楽しかったです。前後のお話はまたいろいろあるのでしょうが、おそらく通しで上演されることはほぼない演目なのかもしれませんね。

 ふたつめは、史実としては1589年に醍醐寺で豊臣秀吉が催した花見の宴のことで、それを1921年に中内蝶二の作詞、四世吉住小三郎の作曲で初演。2017年に台本を改訂、さらに2020年に新たな構成で上演したものを今回は再演、とのこと。脚本は今井豊茂。
 秀吉/梅吉、まつ/雀右衛門、淀殿/福助、利家/又五郎、北の政所/魅春。
 これは要するに、人気役者が人気の歴史上の人物に扮するのを観て楽しむ、仮装大会と言ってはなんなんですが、コスプレパレードみたいな、なんかそういう演目なんだな、と思いました。もちろんみんな出てきて一指し踊るので、舞踊劇ではあるのでしょうが、眼目は踊りよりあくまで扮装にある、というか…こういう楽しみ方もあるんだな、と感じて、それもおもしろかったです。『美しき生涯』を思い起こして、あ、ともちん、とかあ、みっちゃん、とか思い出していました(笑)。

 みっつめをお目当てに来ました。
 脚本・演出/横内謙介、1988年銀座セゾン劇場初演。サブタイトル(歌舞伎のこういうのはなんと呼ばれるのでしょうか?)は「版元蔦屋重三郎魅申し候」、全2幕。
 今、大河ドラマ『べらぼう』でやっているのと同じ主人公の物語です。生まれ育った吉原で起業した重三郎が文化人たちのネットワークを巧みに利用し、身分や階級を超えて自由な人脈を広げ、寛政の改革で処罰を受けたあとも写楽の雲母摺りを用いた役者絵などの新機軸を打ち出していく様を劇化したもの。初演の重三郎は一八世中村勘三郎(当時勘九郎)、今回は中村勘九郎主演。他に遊女お篠/中村七之助、遊女お菊/中村米吉、勇助後の喜多川歌麿/中村隼人、伝蔵後の山東京伝/中村橋之助、左七後の滝沢馬琴/中村福之助、鉄蔵後の葛飾北斎/中村歌之介、初鹿野河内守信興/中村錦之助、恋川春町/中村芝翫、大田南畝/中村歌六。
 私は『べらぼう』は今のところ『光る君へ』ほどのめり込んで見ているわけではないのですが、毎週楽しく見ています。なので出てくる版元やら問屋やら遊女屋やらの名前がドラマとおんなじだったりして、とてもとっつきやすく感じ、楽しく観ました。
 ただ、これは新作歌舞伎ではない、かな…とも感じました。歌舞伎の世話物でもないし、よそのハコでやるストプレとしてもややヌルく感じちゃったのです。今後ブラッシュアップしていけば、また違うのかな…歌舞伎座で、歌舞伎役者でやることにちょっと浮かれて甘えてないかい?と思わなくはなかったのです。ただ、ドラマとしてやっていることはイイしメッセージは刺さったので、ダダ泣きしたんですけどね。
 初演当時、「寛政期の青春グラフィティを」というオーダーだったそうで、ここからコクーン歌舞伎なんかにもつながっていくような、豊かな越境、融合、情熱のエンターテインメントの気風があったんだろうな、と容易に想像されます。その後、再演依頼があってもずっと辞退していて、今回歌舞伎座で、歌舞伎役者で、歌舞伎で…となって、リメイク上演となったそうです。それはいいし、タイミングとしても素晴らしい。勘九郎さんも念願だったそうですしね。大河ドラマで鬼平の若かりしころを演じている隼人さんがここではのちの歌麿で…なんてのもいい。ただ、舞台としては、わりと細部が私にはけっこうヌルく、雑に感じられたので、浮かれてるんでないかい?とちょっとつっこんでおきたかった、ということです。まあ今だと、外のハコでやった方がむしろ客入りはいいのかもしれませんが、歌舞伎役者が扮するんじゃなかったらどうかな、みたいな…なんかもっとタイトに作ってもっといいものになれる要素がある気がしたんですよねー…
 売られてきた娘が、大門口で蔦重に絵双紙をもらって、それがつらい勤めの心の支えになって、恋心になって…という筋と、寛政の改革で洒落本が風紀を乱すと処罰されることになって…という筋が、どうも上手く絡んでいないような気が、私は観ていてしました。勘九郎さんの蔦重が、横浜流星ほど内心を語らないので、主人公が何をどうしたくて何に悩んでいて何を我慢しているのか…みたいなことがわかりにくくて感情移入しづらく感じたのかもしれません。ミュージカルならいいモノローグソングの一曲も必要なところなんでしょうけれど。大河ドラマの花の井同様、吉原の女郎と男衆の色恋は御法度なのはわかるんですけどその明言はあってもよかったと思うし、ところででは蔦重は嫁取りしなかったの?なども思いました。脇筋で実る恋もあるので、みんながみんな大義のために我が身を犠牲にしているわけではないのでそれはいいし、お上の締め付けは方向性が間違っている、創作やエンタメは人々の笑顔のために必要なものだ、法をかいくぐってでもやってやる…!みたいな展開も胸アツだったんですけれどね。
 写楽の謎は、大河ドラマの方ではあのいなくなっちゃった少年が彼として帰ってくるのでは、など言われていますが、この作品ではこういうことになっているんですね。それも素敵です。「おまえも写楽だ、みんな仲間だ、みんなでやるんだ」…泣けました。だからこそ、これがもっと一大ラブストーリーに見えるようなもっと繊細な脚本、演出がもうちょっとある気がしちゃったんですよねー…贅沢ですみません。
 あとは、私がもうこの兄弟が恋仲を演じるのにちょっとテレちゃうようになっちゃったのかもしれません。特にせつない系のロマンスのときは…気心は知れているしいい相手役なんだろうけど、やはり兄弟は兄弟なので、お互い違う似合いの相手役を探していった方がいいんじゃないのかなー、など思ってしまうのでした。
 ところで二幕二場、初鹿野の妾宅にいるお篠を蔦重が訪ねちゃうくだりは、『月雲の皇子』の笹百合場面を想起させませんでしたか…! 弱った男がこうして女に甘えるのは卑怯なんだけれど、ドラマとしてはあるよねー、となったのでした…
 それと、確か珠城さんのファンなんだっけ、みたいなところから認識が始まった橋之助さんと、タケヒコやヘタルベを観てきた福之助さん、歌之助さん三兄弟の順番や声、顔、キャラやニンの感じが今回で私はやっと把握できました。遅くてすみません…でももう大丈夫な気がします。親子アドリブギャグ?にも笑えました。
 あとは隼人さんの歌麿がツボでした。私には隼人さんは美形すぎるので、ど真ん中二枚目をやられちゃうと鼻白むのです。いい男なのに意外と自己肯定感が低く、こうやってスネて横恋慕しているような男の役の方が、似合うと思うし色気を感じるのですよ私は…すみません(笑)。
 政治批判もちゃんとあって、今上演されるに足る作品だなとは思いました。外部で一般の役者さんでまた上演してみては?とも思うし、横内先生のさらなる新作にも期待しています。
 筋書と一緒に「かぶき手帖2025年版」も買ってみました。ことあるごとに眺めては「ほほう」となっています。私の歌舞伎美人(ご存じでしょうが松竹の公式サイト名です、「かぶきびと」と読みます)レベルがまたひとつ上がったのではないかと思います。スローな足並みですが、沼の浅瀬をちゃぷちゃぷ楽しんでいます…!













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藤間勘十郎文芸シリーズ其の五『其噂妖狐譚』

2025年02月19日 | 観劇記/タイトルさ行
 あうるすぽっと、2025年2月18日18時半(東京公演初日)。

 玄奘法師(荒井敦史)はもとは漁師であったが、最愛の妹を狐の妖魔に殺されて出家した。修行の旅の最中、那須野原で道に迷い、俄かに見えた一ツ家に一夜の宿を借りる。そこの主である賤の女(白石加代子)が一夜の慰みに、糸繰りの歌に乗せて妖怪の話を語り始める。時は殷王朝末期、皇帝・紂王(荒井敦史の二役)の弟・薄雲(沢柳優大)が王朝を我が物にせんとたくらみ、人心を乱すと噂のある、天竺の秘宝・花陽夫人の姿絵を兄王に見せる。その様子を見ていた側臣・費仲(冨岡健翔)は、薄雲を諫めて怒らせてしまうが…
 上演台本・演出・振付・音楽/藤間勘十郎。これまで坂口安吾の『桜の森の満開の下』、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』、三遊亭円朝の『怪談牡丹灯籠』など、江戸末期から昭和初期の文学に古典芸能の要素を取り入れて、エンターテイメントとして立体的に作劇してきたシリーズが、初めて原作を定めず、能・文楽・歌舞伎からテーマを取って独自のエッセンスを織り交ぜて作劇した、雅やかで怪しいオリジナル作品。全2幕。

 タイトルの読みは「そのうわさだっきものがたり」。みみちゃん、ひらめちゃんが出る舞台で、妲己とくれば宙組の『白鷺の城』で、ご宗家には去年團子ちゃんが春秋会でお世話になったし…というんで、よくわからないけれど出かけてきました。でも今、自分の中で歌舞伎に対するめっちゃ解像度が上がっているので、なかなか楽しく観てしまいました。
 これまでのシリーズの傾向からして、「歌舞伎の手法を全面駆使した演出に、出演は現代演劇の俳優だけ」の、でも生の邦楽演奏もついちゃう、要するに「僕が考えるさいきょうのかぶき」を作ってるんだな、と思いました。いのうえ歌舞伎なんかと同じで、あれも仕上げれば歌舞伎NEXTになるわけですが、こちらは現状まだそこまでではないので、お弟子さんと外部俳優でやっているワケです。
 でも要素は出揃っているし、その意気は買えるのです。もちろんみんな歌舞伎には素人だし、セットや装置らしいものもほとんどないし(美術/齋藤浩樹)、お衣装も照明のせいかかなり安っぽく見えたこともあって(衣裳/阿部浩、照明/阿部典夫)、全体におさらい会感がないことはないな、とは感じてしまったんですが(観客もお弟子さん筋の方などが多いように思えましたしね…)、それでもあまりある情熱、こういうものを作りたい感、楽しんで作っている感がにじみ出ていて、なかなかに胸アツだったのでした。
 でも、見得って首回して止めるだけじゃ決まらないんだなとか、特にツケが遅くて、振りかぶったときのタイミングがベストで音が鳴ったときはもう遅い気がしたとか、そりゃいろいろ気にはなるんですよ。でもおもしろかった。下手通路と中通路の使い方は完全に花道でしたし、でも歌舞伎にはまずない上手通路を使った客席登場もけっこうあってサービス満点、スッポンがないのは残念でしたがドロドロいったり鐘が鳴ったりはしましたし、海老反りもあったし、殺陣の中でよくあるコサックダンスみたいな振りもありました。コロスもやって後見もやるふたり(藤間勘松音、藤間勘知恵)は差し金も使うし(蝶とかを飛ばすあのしなる竿のことを「差し金」と呼ぶんだそうですね、覚えた! 歌舞伎用語から慣用表現になっている言葉って、いっぱいあるなあぁ…!!)、とにかく姿勢が美しくて踊りももちろん素敵で、観ていて楽しかったです。
 そもそも『玉藻前㬢袂』という浄瑠璃があるんだそうですね。他にも『殺生石』『三国妖婦伝』などなど。まあ今でも漫画やアニメやゲームのキャラになる、一大スターです。美人にたぶらかされる男の話は男こそ好きだしね…そこに兄弟の王位争いだの、家臣の忠義だの、悪役の横恋慕だの、夫を思っての賢妻の嘘の愛想づかしだののドラマ要素も盛り込まれていて、まあおもしろくないわけがないのでした。そこに、長く一人語りシリーズ『百物語』をやってきた白石加代子を迎えて外のくくりをバッチリ作り、文楽の人間国宝・二世桐竹勘十郎の娘という三林京子の怪演も加わって、なかなかに盤石な布陣なのでした。
 みみちゃんは薄雲に横恋慕される費仲の妻・張揚(舞羽美海)役で、また声がいいし芝居がいいんだ…! ひらめちゃんはもちろん妲己(朝月希和)、金髪ロングヘアが似合っちゃうわけですよ! 可愛いのに怖い顔がちゃんと作れる、ちゃんとタイトルロールが張れていました。
 他に観世音菩薩役(!)の白勢未生。
 最後は全員揃って、今日はこれ切り、でキターーーー!となりました(笑)。

 エンタメってすごい、歌舞伎ってすごい、と本当ならざるをえません。『ナウシカ歌舞伎』からこっち、ダラダラ観てきたものが最近やっといろいろつながり出して、ホントに楽しくなってきました。これはすごい沼ですよ…でもこの出会いに感謝です。これからもいろいろ観ていきたいです!




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立春歌舞伎特別公演

2025年02月17日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 大阪松竹座、2025年2月14日16時15分(夜の部)、2月15日11時(昼の部)。

 昼の部は『本朝廿四孝』の十種香、『恋飛脚大和往来』の封印切、『幸助餅』の三本立て。
 夜の部は『義経千本桜』の鼓ターンで、序幕は大内の場、堀川御所の場、同掘外の場、二幕目が道行初音旅、大詰が川連法眼館の場、奥庭の場。

 團子ちゃんの女形が見たくて、そして初めてのハコに行ってみたくて、いそいそとチケットを取りました。夜の部は1階とちり席どセンターの一等席、昼の部はケチって2階中通路すぐ後ろほぼどセンターの二等席にしましたが、正解でした。
 まあどこでも観やすそうな客席で、階段もあるけれど細いエスカレーターで客席階まで上がる構造はややアレでしたが、ロビーその他そこそこの広さがあり、いい劇場ですね。トイレもそれなりに回転していました。そして外観がとにかく素敵でした! 夜に行ったときは位置をよく把握していませんでしたが、翌朝行ったらかの「かに道楽」がすぐ近くにあることに気づき、道頓堀にも気づいてグリコ看板も眺めてきました。このあたりは大学生のころに観光として来たことはあるけれど、以後はただ混んでいるだけのどこにでもある繁華街、という印象だったので、なんばをゆっくりすることもなく、さっと地下鉄で移動してしまいました…
 昼過ぎののぞみで出かけて、まず夜の部を観ました。『義経~』は二世竹田出雲、三好松洛、並木千柳合作の全五段の人形浄瑠璃で、1747年大阪竹本座初演。翌年には歌舞伎に移されたそうです。源平合戦の後日譚で、戦死したはずの平家の武将を生きていたとしてその後を描く筋と、初音の鼓の皮に張られた親狐を慕い、義経の家臣・佐藤忠信に化けた狐の筋の、ふたつに大別されるそうです。
 きちんと観たことはありませんでしたが、学校の日本史で学んだり大河ドラマで見たり『平家物語』は一応読んだことがあったりで(あとテレビ人形劇も見ました)、なんとなくの史実の知識はあるつもりでした。というか二幕目は去年、春秋座で團子ちゃんの素踊りで観た「吉野山」ですよね。その前後の物語が観られるんだな、とワクテカでした。とりあえずお話が知りたい派の素人なもんで、通しが好きなんですよ…これで今度の歌舞伎座の全通し?版も観やすくなるのかな、楽しみです。
 初音の鼓とは、桓武天皇が雨乞いをしたおりに、大和国に棲む千年の功を得た雌雄の狐の生き皮を使って作られたものだそうで、今回はそれが内裏の宝蔵からしずしずと出されるところから始まりました。義経は中村扇雀、弁慶は中村亀鶴、鼓を渡す藤原朝方は市川青虎。
 しかしド古典の台詞は何故あんなにゆっくり語られるのか…? 昔の人のしゃべりはスローモーだったという解釈なの? それともお弁当したりしながらのんびり観るものだったから、あまりシャキシャキ進まない方がいいとされていたということなの? 義太夫ともども音律を聴いて楽しむ音楽のようなものだから、ということ? ド素人の私には単純に不自然に思えて、いつも鼻白むのでした…イヤホンガイドが嫌いなので半分ほども聞き取れてはいませんが、意味というかお話の流れはわからなくはないので、とりあえずおとなしく観ました。てか昼夜観ると、同じセットを使い回しているんだな、ということにのちに気づくのでした(笑)。
 第二場、義経の館である堀川御所の座敷。幕がさーっと開いたらピンクのべべ着てお姫様ポーズの團子ちゃん卿の君がセンターにいて、思わず「かっわ!!!」と声漏らしましたすみません…
 卿の君は義経の正妻で、夫君の心労を思ってご自身も気が晴れないご様子。それをお慰めするべく、義経の愛妾・静御前(市川笑也)が例の「♪しずやしず…」を踊っています。居並ぶ腰元たちもほのぼの見守り、ひとりの殿御にふたりの女性なれど仲良くて良き、みたいなことを言うのですが、ほんまかいなと思わないこともない…(^^;)でも笑也さんがすっきり美しいので許してしまう(笑)。
 そこへ頼朝の使者・秩父庄司重忠(市川中車)がやってきて、まあ要するにアレコレ因縁をつけ出す。最後には卿の君が平大納言時忠の娘であることを持ち出し、それを北の方に迎えたことへの申し開きを要求する。と、卿の君は義経の潔白を示すため、自ら飛び出ていって胸元ガッと開けて乳の下に懐剣をグサリ! ぎょえーーーそんな展開!?と驚きつつも、覗けた赤い襦袢に悶絶する私…本当の下着としての色なのか、出血を表現したものなのか? そしてはらりと乱れる君の前髪…ヤダ素敵…!(ヒドい)
 重忠が「でかした娘!」とか言うんで、出たよこういう忠義とかなんとかのために犠牲にされた生命を称える歌舞伎あるある…!と思っていたら、なんと卿の君は時忠の養女で、実の親はこの重忠とのこと。えええーーーそういう設定!? てか実の親子が実の父娘を演じるて…「あっぱれ娘」と再び言われて、これまた物語のために女が死ぬパターンではあるのだけれど、泣かせることは間違いないのでぐぬぬ…となりました。
 重忠が介錯し、その生首を鎌倉殿への申し立てに使うことに。出たよまたも生首…とこのとき思いましたが、その後すぐに十作分ほどの生首を見ることになろうとは、このときはよもや思わず。
 鎌倉方が攻め込んできて弁慶の大立ち回り。攻め寄る軍兵の首を次々引っこ抜き、襟元から赤い風呂敷出して広げてブシャーッてな鮮血が表現されるのが妙にコミカルで、生首は用水桶みたいなのにホイホイ投げ込まれるし、最後に箍が外れて真っ赤な本水と生首がゴロゴロ転がり出る演出だったりしたらどうしよう…とかドキドキしました(笑)。凄惨なバトルシーンもエンタメに変える歌舞伎の懐の深さよ…!
 で、最初の幕間。新大阪駅のエキマルシェで買ってきた喜八洲のみたらし団子をいただきました。イヤしかし卿の君、出てきたと思ったらあっという間に自害まで走り抜けて退場する、エリザのルドルフみたいなお役だったな…
 二幕目は源九郎狐が中村虎之介、静御前はここから中村壱太郎。團子ちゃんの素踊りでもこの旅装外して…とか付けて…みたいなの、やってたなーといろいろ思い出しました。
 逸見藤太(中村鴈治郎)と追っ手たちがドタドタ出てきて大騒ぎしていって…というのは以前観たものにはなかったので、コミカルパートとして楽しかったです。ラストは、これもぶっ返りというんでしょうか? 虎之介くんが狐の本性を表す白いお衣装にダーンと早替わりして軽快に花道を去って行き、拍手、拍手…! ホントにエンタメ!!
 大詰からの忠信/源九郎狐は中村獅童。義経に静の安否を尋ねられて、会っていないのでわからない、みたいなことを答えるしかない様子を見て、そうだよね静と会っていたのは虎之介くんだからね! 別人だね!! みたいな気持ちになりました(笑)。引っ込んですぐ早変わりしての二役、これも歌舞伎あるあるですよね。
 その虎之介くんは駿河次郎になっていて、團子ちゃんの亀井六郎とともに忠信を詮議する役回り。團子ちゃんは初の赤っ面役。勇ましさを表しているんだろうけど、床をドカドカ鳴らす登場や大音声、学校なら帰りの会で学級委員の女子に「廊下は静に歩きましょう」って怒られるヤツ…!とニマニマしてしまいました。
 そこへ静ともうひとりの忠信が現れて…忠信が狐であることが明かされて…引っ込んだと思ったら白い毛皮のお衣装になってパッと出てくるアレを初めて生で観ました。イヤお客は喜ぶよね! 親子の別れを悲しんで鼓が鳴らなくなる、という展開は知りませんでした。鼓は狐に下賜されて、ワンコのように喜んで去る狐…
 奥庭。横川覚範(中村鴈治郎)、実は平家の残党・能登守教経が攻め込んできたところに、全員揃ってビシッと決めて、この続きはまた別のお話…みたいな感じでおしまい。華やかで大満足、というところでしょうか。團子ちゃんの黄色いタータがキュートでした、これも勇ましさの記号なのかな…
 あ、一本ものには必ずあるものなのかな? 大薩摩(東武線久大夫、三味線は東武線松)が今回もあって、私はこれがクライマックス前の盛り上げみたいで大好きなので、嬉しかったです。

 昼の部の『本朝廿四孝』は近松半二らによる全五段の時代浄瑠璃で、1766年大坂竹本座初演。四か月後には歌舞伎になったそうです。竹田、上杉両家の争いを主題とした物語だそうで、「十種香」の通称で知られる今回の演目はその四段目とのこと。このあとの「狐火」とともに上演の多い人気狂言だそうです。三大赤姫のひとつ、八重垣姫は30年ぶり(!)の扇雀さん、腰元・濡衣(すごい名前ですが、たまたまなのか…)が壱太郎さん、武田勝頼が虎之介くん。今度は親子が恋人役ですよ…
 扇雀さんはさすがに声が若い娘には聞こえなかったので、それこそ長男に譲ってやっても…と思わなくもなかったですが、大名家のお姫様の品格、を出すにはこれくらいのキャリアが要るものなのかもしれません。
 これも、死んだと思われた勝頼は実は子供のころに取り替えられていた偽者で…みたいな設定なのですが、双子じゃないんだからそっくりに成長することはないのでは、とはつっこみたかったです。ともあれ八重垣姫は許嫁の絵姿とそっくり、と騒ぎ、また偽者の勝頼の恋人だった濡衣も心乱れて…みたいな感じでしょうか。うん、虎之介くんの美麗な武者ぶりに胸とどろくのは仕方ないやね(笑)。
 長尾謙信(中村鴈治郎)が白須賀六郎(市川團子)を勝頼征伐に差し向ける。またドタドタやってきて颯爽と去る團子ちゃん…お声が凜々しく、素敵でした。八重垣姫と濡衣が謙信にすがりついて、幕。いいところまでやってパッと切る、歌舞伎あるあるよ…!
 最初の幕間で、ロビーで買った一口いなり弁当をぺろりといただき、舞台写真が出ていてので注文。次の幕間で受け取れてお支払い、というスタイルでした。團子ちゃんばかり5枚ほど購入。
 続く「封印切」は、宝塚歌劇の『心中・恋の大和路』を始め、さすがにいろいろ観ています。大坂で実際に起きた事件をもとに、近松門左衛門が書いた『冥途の飛脚』とその改作『傾城三度笠』を素材にした人形浄瑠璃『けいせい恋飛脚』が生まれ、それが歌舞伎化されたもの。1796年初演。「新口村」と並び、独立して上演されることが多い場面ですね。亀屋忠兵衛/獅童、梅川/壱太郎、槌屋治右衛門/中車、井筒屋おえん/扇雀、丹波屋八右衛門/鴈治郎で大阪で観る上方和事の代表作、趣深かったです…!
 てかさー、忠兵衛ってホントなんやねんって男なんだけど、獅童さんにまたしなしなやられると腹立つやらおかしいやら情けないやらで…梅川もビシッと言ったり!とか思うのですが…おえんさんや槌屋の大人チームがちゃんとしていて頼もしく、また八右衛門がもう憎たらしくてほんまに友達なんか!?とキレそうになり、なかなかに感情を揺さぶられました。しかしすごい話ではあるよ…
 ラストの「幸助餅」は1915年京都谷座で初演された、創作喜劇みたいなものだったんでしょうか。長く松竹新喜劇で受け継がれ、2005年歌舞伎化とのこと。なんというか、推し活の悲劇みたいなものが題材のお話でした。贔屓の相撲取り・雷(中車)に入れあげて身代を傾かせかけた大黒屋幸助(鴈治郎)が、雷に嘘の愛想づかしをされて一念発起して商売を再興し、雷の真意もわかってめでたしめでたし、みたいな人情劇。女房おきみの青虎さん、女郎屋に売り飛ばされかける娘のお袖の虎之介くん、その女郎屋三ツ扇屋の女将・お柳の笑三郎さんがそれぞれ素敵で、途中ヒヤヒヤさせられつつもよかったよかった、となって大満足の締めくくりでした。もちろん鴈治郎さんの愛嬌は素晴らしい…! そして昼夜通してうっかり中車パパに惚れそうになりました(笑)。
 でも先日、勘九郎さんが関取だかヤクザだかで恩返しをしていたような…お相撲さんは義に篤いというイメージがあるのかな?とか思っていたのですが、江戸時代だと女児は遊女、男児は相撲部屋に口減らしで売られ、そういう苦労人は義理人情に篤くなる…というイメージがあるのではないか、とのちにお友達に解説していただきました。なぁるほどねえぇ。せつない…

 昼の部はバラエティに富んだ幕の内弁当みたいな三本立てで、夜はしっとり一本もの、という、よく考えられたプログラムに思えました。昼の部の團子ちゃんの出番は一瞬でしたが、どうせだし昼夜観よう、と手配してよかったです。全然くわしくないなりに、いろいろつながり出して楽しかったし、なるべく機会を捉えてさらにいろいろ観ていくと、いつかさらにもっといろいろとつながるんでしょうしね。
 例えば来月の南座はついでの関係もあって今のところ桜プログラムしか観ない予定なのですが、来週文楽の『妹背山婦女庭訓』第三部を観るので、となるとこれを歌舞伎で観たら…となって松プログラムも気になってくるかもしれないんですよね。沼だわ…
 6月の博多座も、他に旅行の予定があるから日和ろうかな…とかも思いましたが、街もハコもホント楽しいし、行ったら絶対おもしろいわけで、やっぱり観ておこうかなあ、とぐすぐず考えたりし出しているのでした…ホント、困った趣味に手を出してしまったものです!

 ところで、ひとつおもしろいことがありました。
 私はひとり観劇のときはわりとスンッとしているというか、話しかけられたりかまってほしくないオーラを出しているタイプだと思うので、お隣の見ず知らずの方から話しかけられてちょっと歓談する…みたいな経験がほぼないのですが、今回は夜の部の最初の幕間に、お隣のおじさまに話しかけられました。真横だしよく見ていませんが、おじさん呼ばわりしつつ同年代くらいだったかもしれません、すみません。でもなんか、教えたがりの困ったおじさんとかでは全然なくて、もちろんナンパでもなくて、普通に標準語で「ここ、観やすいですねえ」みたいに実にフランクに話しかけられたので、こちらもフツーに受け答えしてしまったのですが、意外に、と言ったら失礼かもしれませんが、その交流がとても楽しかったのでした。
 夜の部の席は1階席の前後左右ちょうどまん真ん中、みたいな位置で、左手を見ればものすごく首をねじらなくても花道もひととおり観られるし、前列との段差もあって視界に人の頭が被ることもなく、とても快適だったのです。そして何故かこの1列だけが妙に空席が多かった…私は発売初日にネットで買ったのに、隣は二席空いていたようで(逆隣も一席座った先がまた空いていました…)、おじさまは昨日、別のチケットを買いに来たついでに、いいところが余っていたのでここをたまたま買ってみた、と語っていました。なんと…予約されたけど決済されなかった、とかの席だったのでしょうか?
 大阪の方で、昼の部はもう観たとのことで、でもチラシも番附もお持ちでなくて、「静御前は壱太郎じゃなかったでしたっけ…でも今は…」「笑也さんですね、壱太郎さんはこのあとからでは」「ああそうか、で、もうひとりのお姫様は…」「自害した正室は團子さんですね、私は彼を観たくて東京から来ました」「へー…」みたいな。で、一緒に私の番附の配役を眺めたりして。忠信はこのあとも虎之介と獅童なんですね、とか、チケットは普段はネットで買うんですか?とか、まあたいした話じゃないんですけどなんとなく世間話ができて、楽しかったのでした。
 最後まですごく楽しく見終えた終演後に、でも親の皮を張られた鼓をもらって子狐が喜ぶ、というのはどうにもシュールに思える、みたいなことを言ったら、「でも、位牌をもらうようなものなんじゃないですかね」と言われて、なるほど!と腑に落ちたりもしたのでした。勉強になりました、ありがたかったです。

 また、いろいろな楽しい出会いに恵まれるといいな、と思います。行ったことのないハコはまだまだあるので、チャンスを見つけて出かけていきたいです!









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