駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『THE KINGDOM』

2014年07月26日 | 観劇記/タイトルさ行
 日本青年館、2014年7月24日マチネ、ソワレ、28日ソワレ(千秋楽)。

 20世紀初頭のイギリス。新しい世紀の幕開けとともに、これまでの体制が変貌の兆しを見せ始めた頃。学生時代最後の夏を避暑地で過ごすドナルド・ドースン(凪七瑠海)と伯爵家次男パーシバル・ヘアフォール(美弥るりか)は、男に絡まれていたロシア人留学生サーシャ(早乙女わかば)を助けたことがきっかけで互いに知り合う。ひと夏の間に確かな友情を育んだドースンとヘアフォールは、やかでそれぞれの目指す道を歩み始めるが…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城、玉麻尚一、高橋恵。2013年の本公演『ルパン』のスピンオフ。全2幕。

 『ルパン』の感想はこちら
 私は何しろ宝塚歌劇デビューが初演『メランコリック・ジゴロ』だったのでハリーにはいろいろイロイロ甘いのです。『ルパン』だって大好きだった、いろいろ問題はあったと思うが。今回もまあギリギリ及第点かな、私はもちろん嫌いじゃないんだけれどね、という印象です。
 なんてったってハリーは「熱血痛快スパイ・アクション!」みたいにならないところが問題ですよね。まあシブかろうが地味だろうがハードボイルドすぎようがいいんだけれど、わかりやすくここがクライマックスですよ!と盛り上がる場面やスカッとしたカタルシスがある展開がないのは作品としてやはり大きな弱点だと思うのです。
 でも今回も私は好きです。いろいろ足りなくてもったいないところはあるし、それは脚本の上がりが遅くてお稽古の練り込みが足りなかったせいだろうと思うので猛省を促したいところですがね。
 でも好きです。以下、ネタバレ全開で語ります。これから舞台をご覧になる方はご留意ください。

 まずセットがいかにもハリー!(装置は大橋泰弘)こんなん『マリポーサ』とか『はじ愛』でもなかったか? それか『ダンセレ』か? まあいい。小さい床を出し入れして人と小道具を運び場面転換をするのはこれまたザッツ・ハリーだけれど、鮮やかです。カーテンが無意味に締まるより何万倍もいい。
 冒頭は「社交クラブ」。この時代ならむしろ紳士のみのクラブにいそうですけどねー。人待ち顔のドースンをちゅーちゃんアドリアナ(咲希あかね)が口説きますが、ドースンは取り合いません。彼はあくまで友達を待っているのであり、空いた時間にさらりと知らない女と踊るような芸は持ち合わせていない、意外と(?)熱くてまっすぐな青年なのでした。
 アドリアナは去年の夏にブライトンにいたドースンを覚えていて声をかけたのであり、そのとき彼が女性と一緒だったことも覚えていました。だから私をフるのね、とひやかす。ドースンは「友人ですよ」と応じます。それはそのときの女性が恋人などではなくただの友人にすぎない、という意味なのか、今待っている相手がその彼女ではなくただの友人の男性である、という意味なのか…こうした舞台ではわかりづらいダブルミーニングの台詞を書いちゃうハリーが好きで、ニヤリとしてしまう私なのでした。

 舞台はリゾートホテルの改装場面に飛びます。バイトのリゾートの男のゆりやん、まんちゃん、ちなつにウハウハです。
 ヘアフォールは初対面のサーシャとダンスを楽しんでいます。彼はこういうことができる男なのです。そこにベタに絡むジョー、たまらん!
 子分も連れて再度ヘアフォールに報復してきたジョー(役名はレノックス、輝城みつる)を撃退するドースン、たまらん!! 「くだらねえ」「どっちが」たまらん!!!
 サーシャは母親がロマノフ家の系譜に連なるというお嬢さま(ありちゃんのアレクセイはここでは見張りというよりお目付け役、ボディガードといったところなのでしょう)、ヘアフォールも次男坊とはいえ伯爵家のボンボンです。しかし今はただの学生であり、最後の夏を楽しむバカンスの最中であり、ドースンも隔てなく加わって、ひと夏のアバンチュールを楽しみ…そしてふたりともサーシャにフラれて夏は終わり、男ふたりの友情だけが残ったのでした。

 場面は再び社交クラブに戻り、アドリアナと踊りかけたドースンは遅れてやっと現れたヘアフォールを見つけるとさっさと彼女から離れます。
 アドリアナの「彼は知ってるの?」ってのはしかし、なんのことでしょうね? ハリーはときどき省略部分を類推しづらい中途半端な台詞を書く癖がありますが、ここは本当にわからない。アドリアナも連絡員か何かなの? 彼女はドースンの就職先を知っていて、それをヘアフォールも知っているのか、という意味? 「そんな場面なかったぞ?」
(追記。コメントいただきちょうど追加した千秋楽で心して聞いたところ、アドリアナの台詞は「彼も知ってるわ」のようでした。彼のこともブライトンで見て覚えている、だからご一緒しましょうよ、というあくまで口説きの台詞だったのですね、失礼! しかしこんな美女よりパージバルの方がいいのかドナルドそーかそーか…)
 ところで、ミステリーにおいてフェアプレイは大事な要素であり、謎解きに必要な情報は事前にさりげなく出しておく必要があります。今回の作品は二点においてそれができていない、それはかなり大きな問題だと私は考えます。
 具体的に言うと、この場面でのふたりの会話に、さりげなくその二点を織り込んでおくべきだったと思うのです。新国王ジョージ五世の戴冠式にカリナンダイヤがお披露目されると話題になっていること、それをフランスの怪盗ルパンが狙うのではないかと噂されていること、です。
 冒頭で振っておいてしばらくそれを忘れさせておいて、あとで「ああ、あれか! ああしてやられた!!」と観客に思わせてこそのミステリーもの演目でしょう。それが後出しで「は? なんの話? 初耳なんですけど?」とポカンとさせるようでは駄目なのです。
 ともあれ彼らは久々の再会を祝い(ボーイくらい出してグラスを用意させてほしかった。事故かと思いましたよ)、希望どおりドースンは軍情報部に就職したこと、ヘアフォールは入隊して訓練に入ること、を報告し合います。
 世紀は変わり、国王も代替わりして、ロシアでは打倒帝政の革命の機運が盛り上がりここイギリスでも煽りを食って反王政派のデモが喧しい。しかし我々は祖国のため国民のため、粉骨砕身働くのだ…若き青年ふたりはさわやかに歌い誓うのでした。

 というワケでドースンは情報部の工作員としては新米なのですがなかなか優秀な様子。舞台は情報部オフィスに移って、ハワード(貴澄隼人)がジェニファー(海乃美月)と組んでの仕事が上手く行かない、とラトヴィッジ部長(鳳月杏)に訴えています。ラトヴィッジはドースンにジェニファーと組むよう命令します。新米のお守りなど嫌がるジェニファーのキャラクターがきちんと立っていて、くらげちゃんも好演。ハワードのコメディリリーフっぷりも素晴らしい。
 ジョージ五世の戴冠式にロシア皇帝ニコライ二世が出席予定で、ふたりは従兄弟同士でもあり、ニコライ二世が亡命を望むかもしれないこと、国内の反王政派に手を焼いているジョージ五世としては簡単には受け入れがたいこと、などの情勢が語られます。ジェニファーは反王政派の地下組織に潜入捜査中なのでした。

 一方、ヘアフォール家の屋敷では急に体調を崩した兄サイラス(貴千碧)をヘアフォールが見舞っていました。私はすっかりこのお兄さんは生来病弱なのかと思っていたのですが、これが実はすでにロシアから帰国してのことだったのですね。
 サイラスには婚約者のキャサリン(叶羽時)が常に付き添っていました。実は彼女はかつてヘアフォールと想い合っていたのですが、家同士の釣り合いで彼女とサイラスとの縁談が持ち上がり、彼女は家を捨ててもいいとヘアフォールに迫ったのですが、彼は「僕の望みは君が兄と幸せになってくれることだ」と言って本心を告げなかったのでした。…どこの『バロンの末裔』!
 キャサリンは今ではヘアフォールとの間に一線を引いており、ヘアフォールも複雑な表情を見せはしますが、想いは過去のものとなっていたのでしょう。サーシャとのひと夏の恋もあったわけですしね。トキちゃんは可もなく不可もない感じ、だったかな…

 続く場面は「ライブハウス」だったのか!? 確かにあれが地下組織の集会場面だったとしたらヴィクター(蓮つかさ。声がいい! 素顔はわりとふにゃんとしているのに今回は男っぽく作っていてよかった)の「集会に来いよ」って何?って感じではあったのだけれど。
 ジェニファーがトリシアという偽名で潜入操作中の地下組織にドースンも同伴され、ひと悶着起こしつつもがっつり食い込みます。そこにはロシアから逃げてきた政治犯だというイワノフ(紫門ゆりや。黒い役でなかなか良かったわ!)たちロシア人三人組がいたのでした。
 ヴィクターたちは歌う歌からしてアイルランド系移民とかなのかな? 反王政派で共和制を望んでいるというのもあるけれど、宗教的・民族的な悶着が常にあるのでしょうね、この国には。彼らもまた理想と自由を歌います。

 舞台はドースンとヘアフォールを交互に追って、スコットランドに赴任したヘアフォールに兄の危篤が伝えられ、ラトヴィッジがロンドンまで送りに来ます。ロマノフ家とも親交があるヘアフォール伯爵として、サイラスはジョージ五世とニコライ二世の間を取り持つ任務を負っていたのでした。サイラス亡きあとヘアフォールにその任務を引き継いでもらいたい、とラトヴィッジは語ります。この「失言」、好きだなあ。こういう台詞ホント上手いよねハリー。

 そのロンドンの路地裏で、ジェニファーはドースンの性急で危険なやり口に怒りをあらわにしています。ドースンは治安が悪いこのあたりにも暮らしていたことがあると言いますが、彼女はそこの出身なのでした。身ひとつで身を挺して働いてきたのでしょう、その矜持もあるので新人の後輩なんかに大きな顔で勝手をされたくないのでした。
 このジェニファーのつっぱらかり感と、特に女性だからと甘やかしたり気を遣ったりする気はさらさらないという感じのドースンのつんけんトゲトゲしたやりとりはニヤニヤさせられますな(*^o^*)。
 そのドースンのところに謎の女が現われて、主人からだという手紙を渡します。この手紙の文面、ドースンに読み上げてほしかった。観客には内容がまったく類推できないからです。そしてここでカリナンダイヤが初出だと、なんのことやらちんぷんかんぷんです。ルブラン読者の私はジム・バーネットと聞いてニヤリとできますが、このくだりはあまりに意味不明すぎて不親切でした。
 ともあれダイヤに関する警告を残して、女は去ります。

 一方、サイラスの元に戻ったヘアフォールはキャサリンから病の経緯を聞いて不審を感じます。なんらかの交渉でロシアに行って、帰国してから急に発作を起こすようになったこと、検査では何も見つからなかったが毒でも盛られたのではないかと疑われること…
 しかし「ありうべきことではない」というのは日本語としてはヘンだろう。単に「あってはならないことだ」でいいのでは?
 やがてサイラスは亡くなり、ヘアフォールは爵位とともにサイラスの任務も引き継ぐことになります。サイラスに続いてヘアフォールも何者かに狙われることになるのではと恐れたドースンが屋敷を訪ね、お悔やみに訪れたサーシャと再会します。彼女がサイラスと連絡を取っていたロシア側の工作員だったのでした。
 サイラスを暗殺したのは、皇帝の亡命を阻もうというロシア貴族のようでした。ドースンはイワノフたちロシア人がボルシェビキに送り込まれ革命を扇動しようとしているのではないか、戴冠式にテロでも起こすのではないかということを懸念しているのですが、サーシャは彼らは活動家の仮面を被って犯罪を犯す小悪党なのではないかと言います。このあたり、ミステリーとしてはちょっと作り手都合の筋書き説明で鼻白みましたけれどね…ダメよハリー手を抜いちゃ。
 このやりとりでサーシャのキャラクター、性格づけ、人間としての魅力がもう少し見えてくると良かったんだけれどなー。任務に押しつぶされそうになっているけなげなお嬢さま、でもいいし意外にに勝気でがんばる気満々のお嬢さま、でもいいんだけれど、わかばちゃんの演技はただ任務を負っているプリンセスということ以上の性格や魅力が見えなくてちょっと残念でした。
 ここの三人の歌は『ブラック・ジャック』の「それぞれの思い」が始まるデジャブ感満載でしたよ、手抜きしないで城先生!
 それぞれがそれぞれの思うところがあり生きている様を歌って、第一幕は幕。真相はいかに!?

 二幕は情報部の取調室、尋問ダンスから。拷問を思わせないこともない振りは、カッコいいスーツの男役のダンスだとしてもちょっと怖いぞ。
 囚われて責められていたのはヴィクターです。デモの規模、テロの計画を聞きだそうと「ここは警察じゃない、おまえに黙秘権なんかない!」と迫るちなつ部長が怖くて素敵!
 イワノフたちは姿を消し、ヴィクターも行方は知らないと言います。ジェニファーは自分の正体はばれていないものとして、イワノフを追います。

 一方、ヘアフォールは宮殿へ伺候しておそらくは爵位継承の挨拶などをし、その際にサイラスが尽力していたニコライ二世亡命の件を訴えたのでしょうが、ジョージ五世は周囲の大臣などをはばかって言葉を濁したのでしょう。
 一幕でサイラスの看護士役だったみくちゃんが二幕では伯爵家の第一秘書メアリー(花陽みら)として登場し、しっとりといい仕事をしてくれていました。彼女が国王も内心では従兄弟の亡命に助力したいと思っているだろうことを告げ、サーシャは慰められます。
 このあたりのくだりで、彼らが守ろうとしている国王、王政といったものへの疑問とかその価値とかが語られるのですが、ちょっと抽象的でわかりづらかったかなー。彼らはただ特権階級だから王政の存続を願っているのではなくて、古き良き文化に敬意を払っているだけなのだ、それは決して簡単に破壊していいものではないのだ、というけっこういいことが訴えられているのですけれどね…残念ながら耳が滑る気がしました。
 謎の女のドースンへの警告は続き、ついにはシャーロック・ホームズ(佳城葵)までがドースンを訪問してきます。ここでカリナンダイヤをアルセーヌ・ルパンが狙っているとか、イワノフ一味の誰かがルパンなのではないかという話を初めて出すのは、後出し感アリアリでミステリーの構成として疑問です。
 あと、ホームズのキャラクターはこれでいいのかな…イヤ変人なのは原作どおりだとは思うんだけれど…演技が追いついてないのかな…ちょっと三文芝居っぷりがつらかったです。

 ドースンは、ルパンはともかくイワノフたちがデモやテロでなくカリナンダイヤを狙っているだろうことをラトヴィッジに進言します。しかしなんなんだこの報告連絡相談ソングは…笑うところなのか?
 あれこれ言ってなかなか取り合わない部長と違って、ドースンの言い分をすぐさま信じてぱっと動こうとするジェニファーがとても素敵。驚くドースンに「また?」とイラつくのもいい感じでした。

 カリナンダイヤはロンドン塔の宝物館にありましたが、人員が戴冠式の警護に回されて警備は手薄になっていました。イワノフたちがダイヤを盗み出したところに、ドースンとサーシャ、ヘアフォールが行き会います。
 ストーリー的にはここがクライマックスなんだけれど、『ルパン』同様それぞれの思惑が錯綜しすぎていて盛り上がりきらず、カタルシスもないままなんだよねー…(><)
 何者かの援護射撃があったもののドースンは銃撃で負傷し、ジェニファーが追うもダイヤを持ったイワノフは逃亡します。熱くなって怒り狂うドースンをしゃらんといなすヘアフォールが素敵。怪我人が焦っても追撃の邪魔になるだけだし、ダイヤなんかガラスで代えても大丈夫さ、という現実主義な大人っぷりがいいのです。ここでもうちょっと男の友情ロマンが盛り上がるとなお良かったのになー。
 そして同じ頃、コヴェントガーデンで火事が起きます。私立探偵ジム・バーネットの事務所から…「ミミズは裏庭!」のギャグはしかし、必要なのか?
 
 謎の女はどうやらイワノフたちからカリナンダイヤを取り上げたようで、王冠と王杓に宝石をつける職人アッシャー(輝城みつる)に届けて去ります。ここで「眠れそうにないけどね…」という場面を作るのがいかにもハリーだなあと思いました。
 女はここで初めてヴィクトワール(憧花ゆりの)と名乗り、それは『ルパン』でナガさんが演じたアルセーヌ・ルパンの乳母の名前なのだけれど、私は彼女の役名を「謎の女」として、これがドースンが言うようにルパンの変装だったのだ、とした方がおもしろかったかな、と思いました。ルパンは老若男女に変心できる変装の天才なのです。すーちゃんに化けているまさお、「美男子でございます」とか自分で言っちゃうまさお、良くない?(笑)

 そしてウェストミンスター寺院、戴冠式の日。
 ドースンは怪我を押して出席することにし、ジェニファーに着替えを手伝ってもらいます。ここでホームズが種明かしを語るのだけれど、結局のところイワノフたちがめくらましのためにルパンがダイヤを狙っているという噂を流し、それに怒ったルパンがドースンやホームズに警告の手紙を出し、イワノフとの銃撃戦に援護もしてドースンを助け、ダイヤを取り上げてアッシャーに届けさせたのです。
 思えば『ルパン』本編でも、ルパンは自分の名を騙られたことに怒って行動を開始したのでした。彼は泥棒ではあっても怪盗紳士とも言われる義賊でもあり、自分の名前がつまらない犯罪に利用されることなど我慢ならない高いプライドを持った男なのでした。その意味でこれは正しいスピンオフのあり方なのでしょう。

 ヘアフォールはキャサリンと語らいのときを持ちます。サイラスが死んでヘアフォールが爵位を継いだからといってキャサリンが嫁ぐわけにもいかず、いずれ彼女は他家に縁付いていくのでしょう。貴族社会というものも永遠ではないかもしれない、しかし真摯に生きていくしかない…そんなことを語り合って、ふたりは別れます。
 サーシャはお目付け役のアレクセイ(暁千星)にイギリスに残ってもいいのよ、と言います。自分は戴冠式後にロシアに戻るが、その後イギリスにまた来られるとも限らないし、彼にそんな危険につきあう義理はないと言うのです。しかしアレクセイは彼女に命を捧げているのでした。その忠犬っぷりに胸キュンです! その重さがサーシャには耐えがたかったのだろうけれど、せっかくのいいやりとりが、芝居がちょっと追いついてなかったかな…
 ドースンは杖を持ちたがらず、ジェニファーの肩を借りています。ラトヴィッジの「部内恋愛は禁止だからなっ!」ってのがおかしい。ラトヴィッジは、シブいしカッコいいんだけど意外に間抜けで実は仕事できないんじゃ…ってボケたキャラにしちゃった方がいっそよかったかと思ったけどなー。普通にしているとカッコいいので仕事ができるクールな中年に見えちゃうので、ちょっと中途半端だったかも。「理の書」についてはご愛嬌。
 サーシャが現われてしゃっきりするドースンに対して、妬いて嫌みったらしく割って入る形になるジェニファーが可愛い。そんなことしなくても、ドースンはサーシャをロシア側の連絡員としてしか見てないよ、大丈夫。
 しかし「承らざるをえないだろう」って、何を? 日本語としてヘンでは?

 戴冠式が始まり、けれどジョージ五世もニコライ二世も舞台に姿を現さないまま終わる「『ベルばら』か!」って形でお話はおしまい。
 フィナーレは素敵でした。お洒落に踊るみやカチャもいいし、男役たちを従えて颯爽と踊るカチャもカッコいい。主にちなつしか見てなかったけど!
 娘役ちゃんに囲まれて歌い踊るみやちゃんはマジで王子様。ノーブルなヘアフォールが美しい敬語で国王のことを語るから、自然と王政を、この王国を良きものだと思え、国のために働こうとする若き彼らを温かく見守れ、作品のタイトルの意味がわかる。たいしたものです。今あまり「国のために」とか言うとキナ臭い現状なのが残念です。
 ダブルデュエダンも素敵。みやわかばは元星組コンビだもんね。
 ラインナップとゆるゆるカテコでは主演ふたりをニコニコ見守るまんちゃんの笑顔が印象的でした。おしまい。

 というワケで、以下は蛇足の妄想。
 私は『ルパン』で最後にルパンにカーラのところを行くよう諭すヘアフォールが本当に好きで、この人にはいろいろと恋愛経験があったのだろうし、今も故郷の領地では誰か素敵な女性がその帰りを待っていたりするのではないかしらん…とか妄想していたのですよ。
 で、それはメアリーがいいです! キャサリンじゃヤダ、サーシャじゃヤダ!!
 この後パージバル・ヘアフォールは伯爵業(?)をしつつも軍属も続け、どこかでルパン(というかアルベール・ド・サヴリー?)と知り合い、カーラの取り巻きを任ずることになっていくのでしょう。
 その間に、第一秘書として務めてくれているメアリーを女性として愛してしまうの。でもメアリーは身分違いだと言って応じない。むしろ「ご命令なら夜伽だろうといたします」とか言っちゃう形で拒絶するの。
 もちろんメアリーもパーシバルを愛している。しかし彼のためにもその愛を受け入れてはいけないと考えているのです。彼は伯爵としてしかるべき身分の女性を妻に迎え、家名と血筋を続けていく義務があるからです。
 メアリーは暇を願い、パーシバルも許諾するかもしれません。メアリーを解放してあげなければならないから、縛り付けておくわけにはいかないから。
 本当は愛を受け入れてもらえなくてもそばにしてほしい。でもそれでは彼女から幸せな人生を奪うことになるし、自分だってやっぱり受け入れられないままただそばにいるだけなのがつらいから。そばにいたらもっと欲しくなってしまうから。そんなことをしたら彼女の人生を台無しにしてしまうから。
 メアリーは伯爵家を出て姿を消し、パーシバルは結婚してもいいかもしれません。人に勧められて決めた身分にふさわしいだけの縁談でも、きちんと愛情を注ぎ、ささやかな幸せも得たかもしれない。でも病弱な妻は早くに亡くなったりするのよ。
 一方で故郷に帰っても居場所がないメアリーは、また都会に出て働いたりして…偶然の再会はどんなシチュエーションがいいでしょうね?
 その間にメアリーだってつきあった男のひとりやふたりはいたかもしれません。結婚だってしたかもしれない。上手くいったのかもしれないしいかなかったかもしれない。伯爵夫人の病没は新聞などで知っていても、「君はどうしてる? 幸せ? 結婚は?」と聞かれて嘘を告げるかもしれない。
 でもどこかで彼女が本当はひとりだと聞いて、パーシバルはもう一度プロポーズするんですよ、かつて差し出した、そして受け取ってもらえなかった、その後ずっと持ち続けていて箱の角とかがボロボロの指輪を差し出して、跪いて!
 二度目ならこの時代でも貴賎結婚が許されると思うの。帰ったら返事を聞かせてほしい、そう言って彼はフランスに発ったのよ。そしてカーラの面倒を見終えて、メアリーの待つ屋敷に帰っていくのよ! どうかな!?(聞かれても)

 こういうことを考えているときが私は一番幸せです。困っちゃうね。

 





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宝塚歌劇月組『宝塚をどり/明日への指針/TAKARAZUKA花詩集100!!』

2014年07月26日 | 観劇記/タイトルた行
 博多座、2014年7月20日ソワレ。

 本公演の感想はこちら

 和物ショーは冒頭の100の人文字がなくなったのは寂しかったですが、あとは大過ない感じ。
 よさこいでちなつの代わりに入ったのはあーさ。としちゃんがはんなり微笑みながら優しく踊り、あーさが美しくしゃきしゃき踊り、たまきちが凛々しくいなせにセンターを取る。素晴らしい。
 すーちゃんのソロはさち花ちゃん、こちらもいい感じでした。
 みやカチャの胡蝶はせりちゃんとるうちゃん。
 下手前方席だったのでたまきちポジションで楽しゅうございました。

 お芝居はカチャだったナイジェル(珠城りょう)がたまきち、みやちゃんだったルーカス(宇月颯)がとしちゃん。ぶっちゃけたまきちしか観ていなかったのでルーカスがどう変わってきたかまったく把握できていないのですが((^^;。ニンとしてはみやちゃんのほうが合っていたのではあるまいか。好きだからこその欲目か…)、ナイジェルはさすが素晴らしかったです。
 真面目で誠実で、だからこそ過去の真実を婚約者にも告げられず苦しんできた青年。カチャには、そうは言っても忘れていられるときもあるだろうと思えるいい意味でのある種の器用さも見えたかと思いますが(人間だから当然です)、たまきちにはそういう器用さすらない感じがたまらなくいいのです。
 その上で、いい歳して未だチャラくてフラフラしているジェイク(龍真咲)を親身に案じる良き親友、という空気がちゃんと作れている。この似たところのないふたりが意外にいい友達だという雰囲気がちゃんと醸し出せている。たいしたものだと思いました。カチャはそうは言っても自分でも深入りしないなら人妻とのおつきあいだってなくもなかったかもしれないと思わせるような助言の仕方でしたが、たまきちは絶対にそんなこととんでもない、って感じなのに説教くさくなく忠告する様子が良かったです。
 アンジェラ(晴音アキ)もはーちゃんのほうがなんとなくよかったなー。くらげちゃんより明るく子供らしい明るさがあって、だからこそ「おばさんにな」れない悲しさがせつなく輝きました。
 すーちゃんだったドーラ社長(夏月都)はなっちゃん。マギーによりベタぼれな感じが出ていてキュートでした。
 航海士のひびきちが素敵メガネで悶絶しました!

 真ん中のお芝居は変わり映えがしないかなと思っていたのですが、意外やジェイクもレイラ(愛希れいか)も演技を変えてきていてなかなかよかったです。
 まず、アンジェラを探すジェイクに声をかけられたときのレイラがしっとり落ち着いているのが良かった。以前の「女の子って? ここにいるけど?」みたいな台詞は、口説かれる気満々の浮かれた口調で正直言ってなんだこの人妻、って印象だったので。今は本当に、妹に花を手向けに来たのに邪魔されてちょっと迷惑、という皮肉が感じられるくらいでした。
 それに合わせてジェイクも、そのやりとりの中でレイラの顔がドナルド(輝月ゆうま)に口説くよう依頼された女性だと気づいて、あわててちょっとモードを変えて…というのがうかがえました。
 ま、でもやっぱり、ストーリーがどうというよりこの主人公像がどうかと思う話なんですけれどね。
 ラストでミーナ(楓ゆき)を後ろからがっと抱き寄せるナイジェルに悲鳴上げかけました。いつの間にそんなワザを…!

 ショーも初舞台生ロケットがなくなってしまのったのは残念ですが、人数が減っても華やかさはちゃんと残っていて楽しかったです。
 プロローグのパレードに続く「マロニエの花」場面ではまさおがのびのびやりたい放題の客席釣り、イイと思います。
 マーガレットではカチャの白王子をたまきちがやることになりましたが、大丈夫だよちゃんと白い人に見えましたよ本来こっちがニンですよ! でもこういうコスプレがホントに合わないけどね、サークレットはせめてもっと細くしてその上に額がもう少し見えるようにするともっと綺麗だと思うわよ(^^;)。歌はとても良かったです。
 たまきちがやっていた黒王子はとしちゃん。マーガレットを彼に奪われて初めて暗い黒い感情を知り、怒りに赤く顔を染めるたまきち白王子にシビれましたわ! でも時遅く、マーガレットはさらわれてしまうの…せつないわ。
 赤いケシではひびきちやゆうきの目が効くこと! 酒の女の玲実くれあ、扇の女の楓ゆき、仮面の女のはーちゃんみんな素敵。そしてみやちゃんだったタバコの女がみっしょん! ゴージャスなウェーブのブロンドが美しかったわあぁ。ご卒業は残念ですが、お幸せに。
 蘭の歌姫るうちゃんは「殿方、ご用心しんしゃい」! 香咲蘭ちゃんがイキイキしていたなあ。月下美人はあーさ。たまきちが好きすぎて比べられません…まあでもあーさの方が色っぽかったよね(^^;)。
 そのたまきちは蘭の男になって、上手ポジションが多かったので遠かったのが残念でしたがまあ楽しそうに踊る踊る、ラテンの男役ができて嬉しかったんだろうなー(^^)。
 ちゃぴの掛け声があいかわらず男前でいい感じ。
 スミレの青年のコマは精彩を欠いたかな? ちょっと心配。
 羽根扇の男たちが大好きなんですが、今回の席からは扇の向こうでニコニコしている男役たちがよく覗けて楽しかったです。ひびきち可愛いよ!
 そして黒燕尾ね! 素晴らしいよね!! たまきちしか見てなかったけどね!!! 珍しくちょっと踏み外したのにもきゅんとしました。
 バラのロケットはさすが上級生たちもたくさん出て、100人バージョンの簡易版をちゃんと展開していて、よかったです。
 ブラックローズはまさおが客席でやりたい放題なので舞台の6人に目が行かず気の毒ですが、続く詩人たまきちが新調お衣装で登場するから問題ナイ(笑)。
 銀の花のデュエダンも大好き! でもまさおがちゃびの手をギュッと握ってない感じなのが気になるわ…
 パレードではみっしょんのセンター降り配慮に泣き、ラインナップではマギーの内側になって二番手としてトップスタート会釈し合うたまきちに震えました! それまでかたくなに学年に配慮してきたのに~!!
 イヤでもまったく遜色なかったけれどね。そして黒燕尾ではオールバックのせいかお化粧のせいか初めて天海のユリちゃんに似て見えましたよ。『PUCK』楽しみだなあ!

 いつも大劇場や日比谷や渋谷で会う博多のお友達と水炊きなどいただいて、楽しく遠征してきました。





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『ブラック メリーポピンズ』

2014年07月12日 | 観劇記/タイトルは行
 世田谷パブリックシアター、2014年7月10日ソワレ。

 1920年代初頭、ドイツの著名な心理学者グラチェン・シュワルツ博士の屋敷で火事が起こった。博士は亡くなったが、博士の四人の養子たち、ハンス(小西遼生)、ヘルマン(上山竜司)、アンナ(音月桂)、ヨナス(良知真次)は家庭教師メリー・シュミット(一路真輝)によって救出された。しかしメリーは失踪し、残された子供たちはその夜のことを何も覚えていなかった…
 脚本・作詞・音楽/ソ・ユンミ、演出/鈴木裕美、上演台本/田村孝裕、訳詞/高橋亜子、美術/二村周作。2012年にソウル・テハンノで初演された心理スリラー・ミュージカル。全一幕。

 卒業後ずっと映像の仕事をしていたキムちゃんがついに初舞台というのでいそいそと出かけてきました。韓国ミュージカルが元気なのは知ってはいましたが、個人的には未だにアタリに巡り会えていなくて、このキャストでなければ手を出せないでいたかもしれないので、出会いに感謝です。とてもおもしろかった。号泣しました。
 天井の高さを生かした簡素で美しく効果的なセット、美しい照明(原田保)、聞き取りやすく意味が伝わりやすく的確に訳された歌詞、不安げな不安定な楽曲を歌いこなす役者たちの歌唱力、一瞬で時間を行き来する舞台の魔法を見せ付ける役者たちの演技力、椅子とソファの素晴らしい使い方、効果的な盆の回り方…私が舞台に求めるほぼすべてのものがそこにあったと言っても過言ではなかったかもしれません。そして長編小説のようなミュージカルがえてして大味なものになりさがりがちなことを思えば、このシャープな舞台のあり方は確かに好みです。短編小説、と言うほどコンパクトかつアイディア勝負、みたいなものではなかったとは思いましたけれどね。

 「ブラック」とは何を差すのか、私には当初ぴんと来ませんでした。そもそも原作、というか元ネタの『メリー・ポピンズ』を私は読んだことがなくて、傘をさして空から降りてくる乳母の話…?くらいの知識でした。
 イチロさんのメリーは幼い子供たちの家庭教師で、優しく愛情深く、絵本を読んで不思議な楽しいお話をしてくれる「母親」的存在でした。黒い服を着ていますが、地味な使用人に徹しているだけとも思えます。裏、とか悪、といった意味での黒衣ではない。
 彼女は子供たちのために生き、子供たちを守ろうとし、しかし博士の実験を止められず、結果的に博士を殺してしまった子供たちを現場から救い出し、記憶を奪うことで助けようとしたのでした。その方が子供たちのためだと思ったからです。自分にも忘れたい記憶があるからです。
 しかし記憶とは決して人工的に完全に失わせられるものではないのでした。記憶がない、という記憶が残ってしまうからです。だから人は忘れた記憶を取り戻そうとしてしまう。失われた真実を確かめようとしてしまうのです。真実は必ずしも人を幸せにしないのだけれど、それでも知らないままでは彼らはもう先へと進めなくなっていたのでした。
 だから兄弟たちは再び集い、失踪したメリーを探し出します。そして火事の夜の真実を再び手に入れる。
 それはそれこそ目を覆いたいような、忘れてしまいたいような、ひどいものでした。完全な無慈悲な暴力でした。そして確かに彼らにはそのときメリーの手で記憶を奪われることが必要だったのかもしれません。事件はそうでないと乗り越えられないくらいひどいものであったかもしれません。
 けれどそれでも乗り越えきれずに苦しい思いをした日々があり、そして今に至って再度真実に向き合ったからこそ、今度はその真実を抱えたままでも生きていける、強い人間に生まれ変われたのではないでしょうか。
 忘れてもなかったことにはならない、だからやっぱり記憶したまま生きていくしかない。記憶していれば消化することもできる。理不尽な暴力の非が自分にはないこと、自分は決して損なわれてはいないこと(「きみは決して汚されてなんかいないんだよ、うさぎさん」ですよ!)を確信して生きていけるようになる日が来る。
 そして子供たちのそんな姿を見て初めて、メリーもまた救われたのではないでしょうか。かつて実の父から同じような暴力を受けていた記憶、消せないでいた記憶を受け入れて飲み込む、あるいは逃げ出す、解放される日が来たのです。自分でなかったことにすることはできる。それはいいのです。でも外から強制的にやられるとひずみが出るのです。
 メリーと子供たちが一緒に屋敷を出て明るい日の差す屋外へと出て、物語は終わります。号泣。

 子供たちのキャラクターのバランスが素晴らしかったし、これしかないという感じでした。役者も好演。
 キーパーソンのアンナも素晴らしかった。プレ運動会か!という椅子取りゲーム場面、サイコーでした。
 この役、強い男役ができたことを知っているキムでよかったな。でももちろん女子なんだけれど、たとえばそれこそこれをマリアも演じたスミカがやったらイタすぎたでしょう。大空さんじゃ歳がアレだし(オイ)。
 そしてイチロさんのラスボス感、月影先生感がまたハンパなくて素晴らしかったです。

 キムがこういう作品を選んだことは意外だったけれど、とにかくすごくいい作品を観せてくれて嬉しかったです。ストレート・プレイのコメディエンヌっぷりも楽しみ。でもミュージカル女優としても羽ばたいていってほしいなー。期待しています。











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清水玲子『DeepWater<深淵>』(白泉社花とゆめコミックススペシャル)

2014年07月12日 | 乱読記/書名た行
 病院で行方不明になった女児。地区大会で記録を出した美少女。事件現場に現われた潔癖症の刑事。すべてがゆっくりと絡み合い出す…

 少女漫画家は長く活動していると、キャラクターやストーリーの作り方が時代の流れからずれること以上に、絵がまず枯れたり乱れたりしていくものです。
 清水玲子は絵が上手い、と言うか上手すぎるくらいなのでそれはないのだけれど、上手くなりすぎて愛嬌が欠けてきました。わざとなのかもしれませんが。何故なら『秘密』は薪さんという萌えキャラ(笑)がいるせいもあるかもしれませんが、まだキャラクターの瞳が力を入れて描かれていて、読者は登場人物に共感したり感情移入したり好感を持つことができます。
 しかしこの作品ではそれを拒むかのようにキャラクターの顔、特に目があっさりと描かれています。もう少しだけ大きくはっきりと、かつ目と目を離して描くだけで顔立ちは華やぎ愛嬌が出て読者はそのキャラクターに好感を持ちやすくなるにもかかわらず、まるでわざとのようにそう描いていません。
 題材が題材なだけに、キャラクターに感情移入させて読ませるには重すぎる話だと判断してのことなのかもしれません。だからわざとドライに描いて読者を突き放しているのかもしれません。
 でも私はそれはやはり寂しいと思いました。少女漫画だろうと社会派の青年漫画だろうと、漫画でありエンターテインメントであり、読者はキャラクターを愛しながらストーリーを追いたいものだと思うのです。
 それがさせてもらえないなら、そこで描かれるお話はただの他人の起きた自分にはなんの関係もない事件で、心揺すぶられるドラマにはなりえないのです。
 このお話の中でキャラクターたちが体験することは一般的でもないし普遍的ですらないかもしれない。けれどこういう深淵、暗い闇の淵は形を変えて我々の日常のどこにでも潜むものであり、それを知っている読者にはこのお話はもっと響いたはずです。キャラクターの描き方にもう少しだけ愛嬌があって、こちらの思い入れを許してくれるものであったなら。
 それがないのが残念です。それではせっかくの感動的なラストシーンも感動できません、心が揺れません。
 それではもったいないと思います。読者の心をや揺らしてこその漫画、漫画家なんじゃないのかなあ。なんの遠慮をしているのかなあ。残念だなあ、と私は思います。
 全然違う意図で描かれたものだったらすみません…
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シス・カンパニー『抜目のない未亡人』

2014年07月05日 | 観劇記/タイトルな行
 新国立劇場、2014年7月4日ソワレ。

 現代のイタリア、ベネツィアにあるホテル・アマンテス。国際映画祭の華やぎの中、高齢の夫を看取ったばかりの元大女優ロザーウラ・デ・ビゾニョージ(大竹しのぶ)がこの地を訪れていた。彼女のハートと女優復帰作の双方を射止めるべく、イギリス人のルネビーフ(中川晃教)、フランス人のルブロー(岡本健一)、スペイン人のドン・アルバロ・デ・カスッチャ(高橋克実)、イタリア人のボスコ・ネーロ(段田安則)という4人の映画監督が互いを牽制し合いながらしのぎを削っている…
 原作/カルロ・ゴルドーニ、上演台本・演出/三谷幸喜、美術/松井るみ。全1幕。

 お金持ちの明るい未亡人、という意味では『メリー・ウィドウ』、別人のふりをして相手の真意を探るという意味では『めぐり会いは再び』を思い起こさせました。舞台を原作の18世紀から現代に変えて、人物造形や人間関係は原作そのままに、95パーセントの台詞は三谷氏が書き起こしたものだそうですが、祝祭感は変わっていないだろうとのことです。テレビでもよく見る、けれど芸達者なプロフェッショナル揃いの俳優たちが、ホテルの庭園だけれどそのまま半円形の屋外劇場のステージにも見えるセットの中で、生身で演じるからこそファンタジックな、楽しくはかないラブコメディ。堪能しました。
 一番存在感の薄かったボスコ・ネーロの純愛が通じてハッピーエンド、なんかじゃなくて、監督と恋をすることもセットだけれどそれよりやっぱり映画、演技という仕事がしたいヒロインがプランしかない夢みたいな企画を怒ってうっちゃるラストが、ほんのりせつなく物悲しくてなかなかよかったです。まさに一夜の夢なのでした。もうちょっとその情感が漂えばよかったと思うけれど…
 大竹しのぶは舞台女優としてけっして声も良くないしいろいろアレだと思うのだけれど、それでもこの上手さはすごいなと思いました。この小柄なおばちゃん女優に対する大柄な美人のエージェント・マリオネット役の峯村リエも素晴らしかった。
 そしてロザーウラの妹で美人だけれど大根女優のエレオノーラを演じた木村佳乃のまたキュートなこと! こんなに可愛い木村佳乃、見たことない! テレビドラマだと賢かったり幸薄そうだったりする役が多い気がするんですよねー。いいコメディエンヌっぷりでした。
 ホテルの従業員アルレッキーノ役の八嶋智人がもちろん素晴らしく、私が大ファンの浅野和之のパンタローネがまたくだらなすぎて素晴らしかった。イヤ全力で褒めてます。
 「深刻なものだけが演劇じゃない。そう、演劇は、お祭りなのですから」というプログラムの言葉にふさわしい、ちょっとミュージカルでもある、楽しい舞台でした。

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