東急シアターオーブ、2024年10月4日18時。
人類が史上未曾有の「死」に取り憑かれた第一次世界大戦の悪夢から覚め、「狂乱の」1920年代が始まって間もないころ。深夜、イタリア北部の山道を飛ばして走る一台の車があった。乗っているのはランベルティ公爵一家。ひとり娘グラツィア(この日は美園さくら)の婚約をヴェニスで祝った帰りなのだ。だが突如現れた「闇」にハンドルを取られた車がスピンし、グラツィアは夜の闇へと投げ出される。そして「死神」(小瀧望)が現れる…
作詞・作曲/モーリー・イェストン、潤色・演出/生田大和、音楽監督・編曲/太田健、振付/三井聡、桜木涼介。イタリアの劇作家アルバート・カゼッラによる戯曲に基づき、ウォルター・フェリスが1929年に英語で戯曲化。34年、98年には映画化もされた。オフ・ブロードウェイ版は2011年初演、17年ウェストエンド初演。23年には宝塚版が上演された。全2幕。
宝塚歌劇月組版の感想はこちら。
今回の配役は他にエリック/東啓介、コラード/内藤大希、アリス/皆本麻帆、デイジー/斎藤瑠希、ヴィットリオ/宮川浩、ステファニー/月影瞳、ダリオ/田山涼成、エヴァンジェリーナ/木野花、フィデレ/宮下雄也。
宝塚歌劇団を卒業後、大学院に進学し、最近ではご結婚もなされたそうで、もう芸能活動はしないのかな…と思っていた俺たちのさくさくが! ヒロインで! 舞台に復帰する! と狂喜乱舞したものの主演が旧ジャニーズということもあってチケットが全然取れず、しかし蓋を開けたらおけぴにまあまあ出ていたので、無事にお譲りいただけて観てこられました。1階最高列でしたがセンターブロックで視界良好音響良好、お値引きもしていただけてまさしくお値打ちものでした。ありがとうございました…!
そして、なかなかにおもしろい観劇体験となりました。
『ドン・ジュアン』とか『赤と黒』とか、遡れば『1789』や『ロミオとジュリエット』、『ファントム』、『エリザベート』も、宝塚歌劇でやったあと外部で、という海外ミュージカルは、もちろんもとの舞台があるんだからそれなりに似るんだけれど、でもやっぱり演出や装置や衣装や、作品のどこにどう力点を置くのかなどがけっこう違ってくるもんだな…という印象が私にはあったのですが、今回はわりと見た目というか演出が宝塚版まんまな気がしました。当時印象的だったやたら回る盆はなくて、セット(美術/伊藤雅子)は上下の袖から横に出てくる形でしたが、ミザンスなんかも含めてほぼほぼ同じだったのでは…? イヤ二回しか観ていないし円盤を買っていないので、記憶違いならすみません。またそれがいいとか悪いとかいうつもりはありません。むしろ「この形でベスト」と決まっているならその方が正しい、とも私には思えました。
その上で、全体に、だからこそわりと違う感触を得たので、それが私にはとてもおもしろく感じられたのでした。
先にキャストの話をしますと、小瀧くんは私は『ザ・ビューティフル・ゲーム』や『検察側の証人』で観ていて、スタイルのいい、ちゃんとした役者さんだなーという印象は持っていました。ただ『ビューティフル~』はミュージカルだったけれど、歌の記憶はなく、やはり今回は歌がめっさ上手いのに仰天しましたね…! ただ、好みとしては、もうちょっと芝居歌になっていてもいいかな?とは感じました。でも死神なので、あまりウェットにやっていない…のかもしれない。演技ももちろんそつがなかったんですけれど、でももう一息引っかかりが、あるいはチャーミングさが欲しい気もしたんですよね…あとホントにスタイルが良くて長身で頭身バランスも素晴らしいんですけど、顔はもっと描いてもいいのでは、とか思いましたすみません…でもちょっと寂しくなかったですか? いやファンはあの顔が好きなんでしょうし、別に宝塚ばりのメイクを求めているわけではないんですが、これもなんかちょっと引っかかりがないというかチャーミングさが足りないというか、物足りなく感じたんですよね…ホントすみません。でももっと美形になれる気がしてしまったのです…もしかしたらまた開幕して間もなくて、まあまあいっぱいいっぱいなのかもしれません。これからもっと表情豊かになって、より魅力的になっていくのかも。それか、クールで豊かな感情を知らない死神、という役作りならその方向でさらに深めてきたり、後半の変化を表現してくるのかも。今回のところは私にはやや一本調子に見えたのです。が、とにかくこれだけ歌える、踊れることは貴重だと思うので、もっとバリバリにミュージカル・スター街道を驀進していくといいと思います。楽しみです!
さて、さくさくは…ピッカピカでしたよツヤッツヤでしたよ! イヤそういうメイクだってーのもあるんだけれど、ブランクなんか全然感じさせない、むしろ進化している艶やかでまろやかな美声! くらげちゃんもめっちゃ上手かったけれど、かなり難しい楽曲を楽々と歌いこなして、かつどのお衣装もお似合いで綺麗に着こなして、それほど踊らないんだけど身のこなしが美しく舞台での居方も素晴らしく、もちろん台詞も芝居も良くて、イヤもうホント素晴らしかったです。ファンの欲目もあるでしょうけれど、でもホント絶品でした。
くらげちゃんはいかにも死に魅入られそうな、ちょっとエキセントリックな不思議ちゃんっぽい役作りをしていたような…な私の記憶なのですが、さくさくはもっと天真爛漫でフツーの、例えばちょっと愚かしいところも含めてごくフツーのどこにでもいるお嬢さんって感じにしているのかなー、と感じました。そしてそのグラツィア像でも成立する物語、世界観、作品になっている…というところが、とてもおもしろく思えました。
たとえば、宝塚版では当時の座組で2番手スター格だったおだちんがグラツィア父をやっていて、さすがおださんなのでそれは上手かったんですけれど、でもやっぱりいろいろ無理があったわけじゃないですか。それからグラツィア母もグンちゃんがとても艶やかででもどこかのほほんとしていて、戦争で亡くした息子を歌う場面なんかはもちろん泣かせるんですけれど、さくさくの母親ってのがすごく納得できるというか、まあOGだからでもうひとりのダブルキャストとはどう見えていたのかはわからないしアレなんですけれど、要するにとても似合いの母娘に見えました。つまり何が言いたいのかというと、この舞台にはあたりまえですが男性も、おじさんもおばさんも、おじいさんもおばあさんも普通にいるんですよ。そういう年格好の役者がちゃんと揃っている。そのリアリティってすごいな、と改めて感じ入ったのです。声の幅や体格、背格好とかがバラバラで、それぞれ役どころに単純にふさわしいわけです。無理する必要がない、というか…それからすると宝塚はみんな綺麗すぎる、揃いすぎている。年齢の幅だってせいぜいが二十くらいしかないだろうし、何より全員女性です。それでやっているファンタジーなんだな、と改めて感じました。
だから、なのかあるいは月組の特性なのか、宝塚版は芝居がめっちゃリアル方向に寄っていた気がしました。この役はこういう人柄で、ここではこういうことを感じていて、だからこういうふうに台詞を言うんだ…みたいなことが、ものすごく深く計算され、丁寧に演じられている気がしました。また、こちらもそういうものを読み取ろうとして真面目に舞台を観ていた気がしました。
でも、なんか今回は、まあ私が単なるさくさく目当てのお客さん気分で観ているとか、お話自体は知っているものを観に来ているという気安さとかもあったかもしれませんが、なんかもっとあっけらかんとした空気感を感じたんですよね。家族を演じるのにふさわしい年格好の役者が揃っている、しかし彼らはあたりまえですが本物の家族ではない、家族に扮しているだけである。これはお芝居だし、死神なんてものが出てくるファンタジーだ…という、戯画化というか大人のお伽噺感というか、海外ミュージカルって冗長なくらい華やかなナンバーとかがバンバンあって楽しいよねー!みたいな、いい意味での作り物感、「お話」感を私は観ていて感じたのでした。
リアルな身体を持った役者さんたちが、あえてライトに、記号的に役を、家族を演じている。だからおださんやさち花に泣かされたようにはこの両親を気の毒に思えなかったんだけれど、その分グラツィアの選択が受け入れやすかった、というか…全体としてとてもスッキリとした、ある種の筋の通ったわかりやすい作品に仕上がっている気がしました。
グラツィアはあくまでフツーの、どこにでもいそうな女性で、でも人間どんなに若かろうと美しかろうと交通事故に遭うことはあるし、それで人生が終わることはある。悲劇だけれど、特別なことではない…むしろオマケの2日で「真実の愛」なるものがつかめたのだとしたらラッキーでハッピーなことだし、そもそも人間をやっている限り「永遠の愛」なんてものは得られないので、それが欲しいというのならグラツィアの選択は正しいし、その意味でこれはハッピーエンドの物語なんだ…と、私は素直に思えたのでした。要するに、自分でも意外なほど楽しく、おもしろく観てしまったのでした。宝塚歌劇のフィルターを外して、やっと作品そのものを観られた気もしました。もちろん宝塚版はそれはそれで楽しかったしおもしろく観たし、好きだったので、あくまで別物で、でも同じ作品で、不思議だな…という、味わい深い観劇体験となったのでした。
りりもおはねも素敵だったけれど、ミュージカルでよく観る皆本さんとかホント達者。とんちゃんとの身長差はややエグかったけど…木野花も歌えるの?とか思ってたんですが(私はテレビでばかり見ていたので…)、さすがに味で聞かせるタイプの歌でしたがこれも役に合っていました。ダリオのフォローがしみましたしね。コラードがしょーもなかったりフィデレが噛んだりのアドリブも楽しかったし、アンサンブルも素敵でした。気持ち長いかなーという気もしたのですが、このおおらかさも含めて楽しむべき大人の娯楽、なのかなーとも感じました。
劇場はいつも私が見かける観客よりお若く綺麗にしたお嬢さんたちが多く、主演さんファンなんでしょうがミュージカル、舞台そのもののファンにもなってくれると嬉しいな、など思いました。私には楽しい出会いだったので、彼女たちにとってもそう出会って欲しいと思いました。
ひとつあるとすれば、エアチューでよかったかな…ということでしょうか。一幕ラストの、グラツィアからブチューっといく感じのキスはグラツィアっぽくてよかったんだけれど、どうしても「俺たちのさくさくが…! 珠城さんにもしたことないのに…!!」とか脳の片隅でつい考えちゃうわけですよ。別に知らない役者さん同士のキスだって、他が演技なんだからそこも演技で、振りでいいのよ? 別に覗き趣味とかないよ? とかは思ってしまうのでした。背の高ーい小瀧サーキの首に抱きつくのに爪先立ちになっているさくさくグラツィア、とかは萌えたんですけどね…そのあたり、生田先生はどうお考えなんでしょうかね? 妻であるきぃちゃんも『モーツァルト!』とかがっつりチューしてましたが…もちろん海外ではエアなんて発想はないのでしょうが、それはそもそもの文化の違いなのであって…うぅーむ。
ともあれ、千秋楽まで無事に上演されますよう、お祈りしています。
人類が史上未曾有の「死」に取り憑かれた第一次世界大戦の悪夢から覚め、「狂乱の」1920年代が始まって間もないころ。深夜、イタリア北部の山道を飛ばして走る一台の車があった。乗っているのはランベルティ公爵一家。ひとり娘グラツィア(この日は美園さくら)の婚約をヴェニスで祝った帰りなのだ。だが突如現れた「闇」にハンドルを取られた車がスピンし、グラツィアは夜の闇へと投げ出される。そして「死神」(小瀧望)が現れる…
作詞・作曲/モーリー・イェストン、潤色・演出/生田大和、音楽監督・編曲/太田健、振付/三井聡、桜木涼介。イタリアの劇作家アルバート・カゼッラによる戯曲に基づき、ウォルター・フェリスが1929年に英語で戯曲化。34年、98年には映画化もされた。オフ・ブロードウェイ版は2011年初演、17年ウェストエンド初演。23年には宝塚版が上演された。全2幕。
宝塚歌劇月組版の感想はこちら。
今回の配役は他にエリック/東啓介、コラード/内藤大希、アリス/皆本麻帆、デイジー/斎藤瑠希、ヴィットリオ/宮川浩、ステファニー/月影瞳、ダリオ/田山涼成、エヴァンジェリーナ/木野花、フィデレ/宮下雄也。
宝塚歌劇団を卒業後、大学院に進学し、最近ではご結婚もなされたそうで、もう芸能活動はしないのかな…と思っていた俺たちのさくさくが! ヒロインで! 舞台に復帰する! と狂喜乱舞したものの主演が旧ジャニーズということもあってチケットが全然取れず、しかし蓋を開けたらおけぴにまあまあ出ていたので、無事にお譲りいただけて観てこられました。1階最高列でしたがセンターブロックで視界良好音響良好、お値引きもしていただけてまさしくお値打ちものでした。ありがとうございました…!
そして、なかなかにおもしろい観劇体験となりました。
『ドン・ジュアン』とか『赤と黒』とか、遡れば『1789』や『ロミオとジュリエット』、『ファントム』、『エリザベート』も、宝塚歌劇でやったあと外部で、という海外ミュージカルは、もちろんもとの舞台があるんだからそれなりに似るんだけれど、でもやっぱり演出や装置や衣装や、作品のどこにどう力点を置くのかなどがけっこう違ってくるもんだな…という印象が私にはあったのですが、今回はわりと見た目というか演出が宝塚版まんまな気がしました。当時印象的だったやたら回る盆はなくて、セット(美術/伊藤雅子)は上下の袖から横に出てくる形でしたが、ミザンスなんかも含めてほぼほぼ同じだったのでは…? イヤ二回しか観ていないし円盤を買っていないので、記憶違いならすみません。またそれがいいとか悪いとかいうつもりはありません。むしろ「この形でベスト」と決まっているならその方が正しい、とも私には思えました。
その上で、全体に、だからこそわりと違う感触を得たので、それが私にはとてもおもしろく感じられたのでした。
先にキャストの話をしますと、小瀧くんは私は『ザ・ビューティフル・ゲーム』や『検察側の証人』で観ていて、スタイルのいい、ちゃんとした役者さんだなーという印象は持っていました。ただ『ビューティフル~』はミュージカルだったけれど、歌の記憶はなく、やはり今回は歌がめっさ上手いのに仰天しましたね…! ただ、好みとしては、もうちょっと芝居歌になっていてもいいかな?とは感じました。でも死神なので、あまりウェットにやっていない…のかもしれない。演技ももちろんそつがなかったんですけれど、でももう一息引っかかりが、あるいはチャーミングさが欲しい気もしたんですよね…あとホントにスタイルが良くて長身で頭身バランスも素晴らしいんですけど、顔はもっと描いてもいいのでは、とか思いましたすみません…でもちょっと寂しくなかったですか? いやファンはあの顔が好きなんでしょうし、別に宝塚ばりのメイクを求めているわけではないんですが、これもなんかちょっと引っかかりがないというかチャーミングさが足りないというか、物足りなく感じたんですよね…ホントすみません。でももっと美形になれる気がしてしまったのです…もしかしたらまた開幕して間もなくて、まあまあいっぱいいっぱいなのかもしれません。これからもっと表情豊かになって、より魅力的になっていくのかも。それか、クールで豊かな感情を知らない死神、という役作りならその方向でさらに深めてきたり、後半の変化を表現してくるのかも。今回のところは私にはやや一本調子に見えたのです。が、とにかくこれだけ歌える、踊れることは貴重だと思うので、もっとバリバリにミュージカル・スター街道を驀進していくといいと思います。楽しみです!
さて、さくさくは…ピッカピカでしたよツヤッツヤでしたよ! イヤそういうメイクだってーのもあるんだけれど、ブランクなんか全然感じさせない、むしろ進化している艶やかでまろやかな美声! くらげちゃんもめっちゃ上手かったけれど、かなり難しい楽曲を楽々と歌いこなして、かつどのお衣装もお似合いで綺麗に着こなして、それほど踊らないんだけど身のこなしが美しく舞台での居方も素晴らしく、もちろん台詞も芝居も良くて、イヤもうホント素晴らしかったです。ファンの欲目もあるでしょうけれど、でもホント絶品でした。
くらげちゃんはいかにも死に魅入られそうな、ちょっとエキセントリックな不思議ちゃんっぽい役作りをしていたような…な私の記憶なのですが、さくさくはもっと天真爛漫でフツーの、例えばちょっと愚かしいところも含めてごくフツーのどこにでもいるお嬢さんって感じにしているのかなー、と感じました。そしてそのグラツィア像でも成立する物語、世界観、作品になっている…というところが、とてもおもしろく思えました。
たとえば、宝塚版では当時の座組で2番手スター格だったおだちんがグラツィア父をやっていて、さすがおださんなのでそれは上手かったんですけれど、でもやっぱりいろいろ無理があったわけじゃないですか。それからグラツィア母もグンちゃんがとても艶やかででもどこかのほほんとしていて、戦争で亡くした息子を歌う場面なんかはもちろん泣かせるんですけれど、さくさくの母親ってのがすごく納得できるというか、まあOGだからでもうひとりのダブルキャストとはどう見えていたのかはわからないしアレなんですけれど、要するにとても似合いの母娘に見えました。つまり何が言いたいのかというと、この舞台にはあたりまえですが男性も、おじさんもおばさんも、おじいさんもおばあさんも普通にいるんですよ。そういう年格好の役者がちゃんと揃っている。そのリアリティってすごいな、と改めて感じ入ったのです。声の幅や体格、背格好とかがバラバラで、それぞれ役どころに単純にふさわしいわけです。無理する必要がない、というか…それからすると宝塚はみんな綺麗すぎる、揃いすぎている。年齢の幅だってせいぜいが二十くらいしかないだろうし、何より全員女性です。それでやっているファンタジーなんだな、と改めて感じました。
だから、なのかあるいは月組の特性なのか、宝塚版は芝居がめっちゃリアル方向に寄っていた気がしました。この役はこういう人柄で、ここではこういうことを感じていて、だからこういうふうに台詞を言うんだ…みたいなことが、ものすごく深く計算され、丁寧に演じられている気がしました。また、こちらもそういうものを読み取ろうとして真面目に舞台を観ていた気がしました。
でも、なんか今回は、まあ私が単なるさくさく目当てのお客さん気分で観ているとか、お話自体は知っているものを観に来ているという気安さとかもあったかもしれませんが、なんかもっとあっけらかんとした空気感を感じたんですよね。家族を演じるのにふさわしい年格好の役者が揃っている、しかし彼らはあたりまえですが本物の家族ではない、家族に扮しているだけである。これはお芝居だし、死神なんてものが出てくるファンタジーだ…という、戯画化というか大人のお伽噺感というか、海外ミュージカルって冗長なくらい華やかなナンバーとかがバンバンあって楽しいよねー!みたいな、いい意味での作り物感、「お話」感を私は観ていて感じたのでした。
リアルな身体を持った役者さんたちが、あえてライトに、記号的に役を、家族を演じている。だからおださんやさち花に泣かされたようにはこの両親を気の毒に思えなかったんだけれど、その分グラツィアの選択が受け入れやすかった、というか…全体としてとてもスッキリとした、ある種の筋の通ったわかりやすい作品に仕上がっている気がしました。
グラツィアはあくまでフツーの、どこにでもいそうな女性で、でも人間どんなに若かろうと美しかろうと交通事故に遭うことはあるし、それで人生が終わることはある。悲劇だけれど、特別なことではない…むしろオマケの2日で「真実の愛」なるものがつかめたのだとしたらラッキーでハッピーなことだし、そもそも人間をやっている限り「永遠の愛」なんてものは得られないので、それが欲しいというのならグラツィアの選択は正しいし、その意味でこれはハッピーエンドの物語なんだ…と、私は素直に思えたのでした。要するに、自分でも意外なほど楽しく、おもしろく観てしまったのでした。宝塚歌劇のフィルターを外して、やっと作品そのものを観られた気もしました。もちろん宝塚版はそれはそれで楽しかったしおもしろく観たし、好きだったので、あくまで別物で、でも同じ作品で、不思議だな…という、味わい深い観劇体験となったのでした。
りりもおはねも素敵だったけれど、ミュージカルでよく観る皆本さんとかホント達者。とんちゃんとの身長差はややエグかったけど…木野花も歌えるの?とか思ってたんですが(私はテレビでばかり見ていたので…)、さすがに味で聞かせるタイプの歌でしたがこれも役に合っていました。ダリオのフォローがしみましたしね。コラードがしょーもなかったりフィデレが噛んだりのアドリブも楽しかったし、アンサンブルも素敵でした。気持ち長いかなーという気もしたのですが、このおおらかさも含めて楽しむべき大人の娯楽、なのかなーとも感じました。
劇場はいつも私が見かける観客よりお若く綺麗にしたお嬢さんたちが多く、主演さんファンなんでしょうがミュージカル、舞台そのもののファンにもなってくれると嬉しいな、など思いました。私には楽しい出会いだったので、彼女たちにとってもそう出会って欲しいと思いました。
ひとつあるとすれば、エアチューでよかったかな…ということでしょうか。一幕ラストの、グラツィアからブチューっといく感じのキスはグラツィアっぽくてよかったんだけれど、どうしても「俺たちのさくさくが…! 珠城さんにもしたことないのに…!!」とか脳の片隅でつい考えちゃうわけですよ。別に知らない役者さん同士のキスだって、他が演技なんだからそこも演技で、振りでいいのよ? 別に覗き趣味とかないよ? とかは思ってしまうのでした。背の高ーい小瀧サーキの首に抱きつくのに爪先立ちになっているさくさくグラツィア、とかは萌えたんですけどね…そのあたり、生田先生はどうお考えなんでしょうかね? 妻であるきぃちゃんも『モーツァルト!』とかがっつりチューしてましたが…もちろん海外ではエアなんて発想はないのでしょうが、それはそもそもの文化の違いなのであって…うぅーむ。
ともあれ、千秋楽まで無事に上演されますよう、お祈りしています。