吉祥寺シアター、2006年12月6日ソワレ、7日ソワレ、15日ソワレ。
1989年初演の『ソウル市民』の舞台は、1909年夏。日本による朝鮮半島の植民地化、いわゆる「韓国併合」を翌年に控えたソウル(当時の現地名は漢城)で文房具店を経営する篠崎家の一日を淡々と描く。今回はキャストを一新しての6年ぶりの再演。2000年初演の『ソウル市民1919』はその10年後の篠崎家の一日を描く(ソウルの当時の呼び名は京城)。とりとめのない会話の背後に、日本の植民地支配に抵抗する三・一独立運動が見えてくる。2004年には韓国を代表する演出家イ・ユンテクによりソウルでも上演された。ソウル市民三部作の完結編『昭和望郷編』は今回が初演、舞台は昭和4年・1929年の秋のソウルの篠崎家。日本国内は関東大震災から断続的に続く不景気から抜け出しきれず、一方で植民地支配化のソウルは相次ぐ大型百貨店の開店などで本格的な大衆消費時代が始まっていた…作・演出/平田オリザ。
青年団の舞台を初めて観ましたが、平田オリザは「現代口語演劇理論」なるものを展開しているんだそうで、『ソウル市民』でそれは確立された、とされているんだそうです。この作品は韓国語・英語・フランス語・ロシア語に翻訳されて海外でも公演され、高い評価を受けているそうです。
幕はなく、舞台は篠崎家の食堂というかなんというか、大テーブルに七、八脚の椅子という洋式なんだけれど本質的にはお茶の間、という空間だけで、会場時から舞台は明るく、開演前からときおり登場人物が出入りしたりしてナチュラルさを演出します。なんとなく話が始まり、客席が暗くなってスタート、というわけ。で、120分、家族やら客やらが出たり入ったりしてくっちゃべっているうちになんとなく暗転しておしまい、という形式?です。
三作見ても、基本的には同工異曲なんですが、だんだんと登場人物の、というか篠崎家のメンバー構成が若くなっていき、やわくなっていく感じはわかるので、それが現代化の駄目さ加減を表しているんだろうな、と思いました。
それよりも眼目は、要するに「篠崎家」というソウルに暮らすごく普通の日本人一家であったであろう彼らたちが、ごく普通に、彼らにとってはごく自然に、朝鮮人差別をし植民地支配をしている、その恐ろしさを観客に見せること、です。もしかしたら彼らはリベラルな方か(当時「リベラル」という言葉があったかどうかは知らないんですが)、少なくとも自分たちをリベラルだと思っているフシがある、それでもこうだった、ということですね。実際そうだったのでしょう。
自分たちはリベラルだ、朝鮮人を差別したりいじめたり嫌ったりなんかしていない、お手伝いさんたちとは友達のように接しているし…みたいなくせして、結局は彼らを使役しているのだし、「朝鮮人だけのときは朝鮮語で話しなよ」と親切として言ったり、朝鮮人との結婚なんて考えられなかったり、朝鮮人より貧しい日本人を見るとむやみと怒ったり、する。この感覚には、彼らが普通で自然でほとんどいい人たちと言ってもいいだけに、肌が粟立つ思いがしました。
イ・ユンテクは「この作品は韓国人作家によって書かれなければならない内容だった」と言ったそうですが、日本人の作家が(ところで平田オリザって日本人なんでしょうか)日本人自身の醜さを客観視できてこの作品を書きえたことそのものを、日本の、日本人の、反省と後悔だと捉えてもらえればと、日本人のひとりとして思ってしまいました。
役者さんは入れ替わり立ち代わりしていて、同じ役を同じ役者さんがやっているとも限らないのですが、印象的だったのは『ソウル市民』で現実逃避ばかりしている優等生の総領息子・謙一を演じ、『ソウル市民昭和望郷編』では精神を病んで入退院を繰り返している、あるいは精神を病んだふりをしているやはり総領息子の真一(謙一の長男)を演じた松井周。まあこういうほにゃららした優男がもともと好みだっていうのもあるんですが。それから『望郷編』で長女の寿美子を演じた、普通にしていてもニコニコしているよう(イヤそういう芝居なんだけど)井上三奈子、『ソウル市民』で朝鮮人女中・淑子を演じた角館玲奈が可愛かったです。
この女中さんたちがどんなふうに育ったものなのかよく知らないのですが、日本語をしゃべって日本人家庭のお手伝いをして、それでも朝鮮語の歌を聴けば朝鮮語で歌って朝鮮風の舞を踊ってしまうその美しさと悲しさには胸つかれました。愛国心がどうとか政治家が何やらやっていますが(それからすると日本はやっぱりまだ愚かで悪いままなのかもしれません)、故郷に自然に息づくものを取り上げられ禁じられたことがない幸せすぎる身としては、そのつらさがほんとうのところわかるようでわからないものだと思いますが、そんなことがあってはならないものなのだということだけはわかっているつもりです。
最後に、この茶の間は家族の団欒の場にもなれば客の応対にも使い、女中たちの休憩にも使われ、主従仲良く入り乱れてお茶を飲んだりまた下げたりされるのですが、それでも目上の者が現れると自然に上座を譲ったり、許されてくだけてお茶を飲んでいても出入りのときにはきちんと深々とお辞儀をしたりする、そのお行儀の美しさは感動ものでした。こういうものはもう、失われてしまっているかもしれませんねえ…
1989年初演の『ソウル市民』の舞台は、1909年夏。日本による朝鮮半島の植民地化、いわゆる「韓国併合」を翌年に控えたソウル(当時の現地名は漢城)で文房具店を経営する篠崎家の一日を淡々と描く。今回はキャストを一新しての6年ぶりの再演。2000年初演の『ソウル市民1919』はその10年後の篠崎家の一日を描く(ソウルの当時の呼び名は京城)。とりとめのない会話の背後に、日本の植民地支配に抵抗する三・一独立運動が見えてくる。2004年には韓国を代表する演出家イ・ユンテクによりソウルでも上演された。ソウル市民三部作の完結編『昭和望郷編』は今回が初演、舞台は昭和4年・1929年の秋のソウルの篠崎家。日本国内は関東大震災から断続的に続く不景気から抜け出しきれず、一方で植民地支配化のソウルは相次ぐ大型百貨店の開店などで本格的な大衆消費時代が始まっていた…作・演出/平田オリザ。
青年団の舞台を初めて観ましたが、平田オリザは「現代口語演劇理論」なるものを展開しているんだそうで、『ソウル市民』でそれは確立された、とされているんだそうです。この作品は韓国語・英語・フランス語・ロシア語に翻訳されて海外でも公演され、高い評価を受けているそうです。
幕はなく、舞台は篠崎家の食堂というかなんというか、大テーブルに七、八脚の椅子という洋式なんだけれど本質的にはお茶の間、という空間だけで、会場時から舞台は明るく、開演前からときおり登場人物が出入りしたりしてナチュラルさを演出します。なんとなく話が始まり、客席が暗くなってスタート、というわけ。で、120分、家族やら客やらが出たり入ったりしてくっちゃべっているうちになんとなく暗転しておしまい、という形式?です。
三作見ても、基本的には同工異曲なんですが、だんだんと登場人物の、というか篠崎家のメンバー構成が若くなっていき、やわくなっていく感じはわかるので、それが現代化の駄目さ加減を表しているんだろうな、と思いました。
それよりも眼目は、要するに「篠崎家」というソウルに暮らすごく普通の日本人一家であったであろう彼らたちが、ごく普通に、彼らにとってはごく自然に、朝鮮人差別をし植民地支配をしている、その恐ろしさを観客に見せること、です。もしかしたら彼らはリベラルな方か(当時「リベラル」という言葉があったかどうかは知らないんですが)、少なくとも自分たちをリベラルだと思っているフシがある、それでもこうだった、ということですね。実際そうだったのでしょう。
自分たちはリベラルだ、朝鮮人を差別したりいじめたり嫌ったりなんかしていない、お手伝いさんたちとは友達のように接しているし…みたいなくせして、結局は彼らを使役しているのだし、「朝鮮人だけのときは朝鮮語で話しなよ」と親切として言ったり、朝鮮人との結婚なんて考えられなかったり、朝鮮人より貧しい日本人を見るとむやみと怒ったり、する。この感覚には、彼らが普通で自然でほとんどいい人たちと言ってもいいだけに、肌が粟立つ思いがしました。
イ・ユンテクは「この作品は韓国人作家によって書かれなければならない内容だった」と言ったそうですが、日本人の作家が(ところで平田オリザって日本人なんでしょうか)日本人自身の醜さを客観視できてこの作品を書きえたことそのものを、日本の、日本人の、反省と後悔だと捉えてもらえればと、日本人のひとりとして思ってしまいました。
役者さんは入れ替わり立ち代わりしていて、同じ役を同じ役者さんがやっているとも限らないのですが、印象的だったのは『ソウル市民』で現実逃避ばかりしている優等生の総領息子・謙一を演じ、『ソウル市民昭和望郷編』では精神を病んで入退院を繰り返している、あるいは精神を病んだふりをしているやはり総領息子の真一(謙一の長男)を演じた松井周。まあこういうほにゃららした優男がもともと好みだっていうのもあるんですが。それから『望郷編』で長女の寿美子を演じた、普通にしていてもニコニコしているよう(イヤそういう芝居なんだけど)井上三奈子、『ソウル市民』で朝鮮人女中・淑子を演じた角館玲奈が可愛かったです。
この女中さんたちがどんなふうに育ったものなのかよく知らないのですが、日本語をしゃべって日本人家庭のお手伝いをして、それでも朝鮮語の歌を聴けば朝鮮語で歌って朝鮮風の舞を踊ってしまうその美しさと悲しさには胸つかれました。愛国心がどうとか政治家が何やらやっていますが(それからすると日本はやっぱりまだ愚かで悪いままなのかもしれません)、故郷に自然に息づくものを取り上げられ禁じられたことがない幸せすぎる身としては、そのつらさがほんとうのところわかるようでわからないものだと思いますが、そんなことがあってはならないものなのだということだけはわかっているつもりです。
最後に、この茶の間は家族の団欒の場にもなれば客の応対にも使い、女中たちの休憩にも使われ、主従仲良く入り乱れてお茶を飲んだりまた下げたりされるのですが、それでも目上の者が現れると自然に上座を譲ったり、許されてくだけてお茶を飲んでいても出入りのときにはきちんと深々とお辞儀をしたりする、そのお行儀の美しさは感動ものでした。こういうものはもう、失われてしまっているかもしれませんねえ…