駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

月『エリザ』初日雑感~再びしつこく私のエリザ論

2018年08月25日 | 日記
 月組『エリザベート』大劇場公演初日(2018年8月24日15時)を日帰り遠征してきました。
 なんと言っても開演アナウンスの主演の名乗りに気持ちよく拍手できるのがいいですよね! これは初日と千秋楽(と新公)だけのもの、あとは指揮者に拍手するだけ、ってのが宝塚歌劇の古き良き伝統だと私は信じているので、最近通常公演の通常回でも起きる拍手には違和感しかありません(お披露目公演の通常回はギリ許せるかも…とかちょっと前までは思っていましたが、今やホントになんでもかんでも入るんだもん!)。ただ、それだけニューカマーが増えていて自然にやっちゃうってだけだろう、それ自体はいいことなのであろう…と思ってはいますけれどね…
 さて、宝塚歌劇では記念すべき10回目の公演で、これが史上最も下級生のトートと史上最も長く主演娘役を務めてきたシシィてせの上演となるそうです。月組では2005年2009年に上演されていて9年ぶり、前回の2016年宙組から2年ぶりの再演。
 ちゃぴのサヨナラ公演ともあっていつにもましてチケ難で、私もあとは友会が当ててくれた東京初日しか現時点でチケットを持っていません。この初日もすごくツテをたどって人に頼みました…オタクとして役替わりは観ておきたいので、これは取り次ぎ頼みと友会二次頼みですが、なんとかしたいと思っています。
 でも、逆に言えば、それで十分かな、とも個人的には思うのでした。やっぱりもう一生分観た気がするし、結局のところ個人的にはそんなに好きな話じゃないし、楽曲はともかくテキストはそろそろ力を失ってきた気がするし、なのであとはファンの方にお譲りします…という気持ちなのです。鬼リピートする意味を私は感じない。初日を観たくて観られなかった方、観たいと思いながら現時点で観る算段が整っていない方も多いでしょうから、ツイッターで言うのははばかられましたが、ここでは自分の現時点での本心として、記録しておきたいと思います。
 もちろん目新しさはありました。この人がやるとこの役はこうなるんだね、というような。でも台詞も音楽も演出もお衣装もセットも大きな変更はなく(お衣装の新調はもちろんありましたが、同じコンセプトの中でのブラッシュアップやバージョン違いのものばかりだったので)、演目としてもうできあがりきっている印象でした。もちろん月組のこと、お芝居がより深まっていきどんどん印象が変わっていくことはありえるでしょう。でもそれはファンの方々に追っていただいて、チケットもないし私は遠慮しますね…という心境なのです。愛がないところには冷たくて申し訳ない。いやちゃぴには泣いたし珠城さんの愛情あふれるトートには感動しましたよ? でも結局私が観たい『エリザ』は今回も観られそうにないということが確認できたので、なので私はもういいや、と思ってしまったのでした。不遜な物言いで申し訳ない。しかしお金も時間も有限なのです。ちなみに私が観たい『エリザ』論はこちら
 あと、新作オリジナル主義を掲げて100年以上やってきて、結局のところ代表作と言われドル箱とされるこの作品が所詮は海外ミュージカルの翻案でありオリジナル作品ではないのだけれどそれで本当にいいの劇団?という残念感も引き続き感じています。トップ娘役の花道となる作品が他にない、ということにも絶望している…未だ世間一般の人が知っているのはあとは『ベルばら』くらいで、それも漫画原作じゃないですか。そこも憂えているのですよ、だって私は宝塚歌劇のファンだからね。そして『エリザ』のファンではないのでした。
 前書きに結論を書いてしまって、読んでしまってご不快になられた方にはすみません。以下は生徒の各論など語って、あとはマイ楽後にまたまとめた記事を書きたいと思っています。おつきあいいただけるなら嬉しいです。

 さて、珠城さんのトートはスカステのお稽古場映像での目つきがすごくよかったので、このまま短髪でいけばいいのに…と思いましたがやはり今回も叶わずでしたね。そういうところだよイケコ…それはともかく、強いメイクにしていましたがやはりどかんと体格が良く明るく温かいオーラは隠しようがなく、なのでむしろ愛情あふれ表情豊かな、だけど冷酷なところももちろんある黄泉の帝王、というものをちゃんと作り上げられていたと思いました。よかったです。
 歌も大健闘していて、これは前回のまぁ様のときも思ったけれど、どんなトレーニングをさせられるのかいわゆる歌手じゃない生徒も『エリザ』では格段に歌が上手くなりますよね。珠城さんはまぁ様ほど確変した感はなかったけれど、私の愛する上がりきらない音(笑)あたりのごまかし方というかフォローの仕方がかなり上手くなっていて、全観客がほぼストレスなく聴いていられるようになったのではないでしょうか。なんてったってファンもくわしい演目なので一音外したりリズムが狂ったりするだけで引っかかるという、おそろしいものですからね…
 ただ、これまた直近のまぁ様との比較ばかりで申し訳ないのですが、「最後のダンス」の爆発力が意外とないなと思いました。前回の初日ではここでまぁ様が乗ってきたのがわかったし(まあダンサーだからかもしれませんが)、客席もあったまってきて一体化して、自然と弾けるような拍手がわいて緊張が解けて、「ああ『エリザ』ってここまで拍手入れるところがないんだ!」ってことに逆に驚き感動したくらいだったので(みりおのときによく入った「またの名を死!」での拍手を私は憎んでいます。いらない!)、今回はその熱を、パワーを私は感じなかったのです。というか珠城さんってダンサーでもないから、こういう踊りを見せるのが意外と難しいのかしらん、とさえ思いました。実はフィナーレにもそれを感じて、もちろん振り付けの問題もあると思いますし『BADDY』が良すぎたってのもあるかもしれませんが、正直ちょっとピンとこなかったんですよね…残念。
 まあでも全体としてはやはりお芝居が良くて、相手の言うことにちょいちょい反応して変わる表情がとても雄弁で楽しいし、ルドルフに対してけっこうクールなところもツボでした。千秋楽まで、がんばっていっていただきたいと思います。

 ちゃぴシシィには泣かされました。当人がことあるごとに好きだと言っていた「パパみたいに」が本当にとても良くて! 子役がしんどかったりただ少女らしくリリカルに歌われるだけのことも多い場面かと思いますが、ものすごくドラマとキャラクターを感じました。マックスを史上初めて組子が務めていたというのも大きいのかもしれません(注※初演雪組は組子の古代さんだったとのちにご指摘いただきました、失礼いたしました)。単なるいいお父さんとか困った夫とかいうのとは本当はちょっと違う、まためんどくさいところのあるキャラクターなんですよねマックスって。どなたかがつぶやいていましたがバートイシュルでいなくなるマックスは狩りは狩りでも女を狩りに行っている、というのがほんのり窺わせられた色気と茶目っ気と邪気のあるマックスで、さすがまゆぽん!といったところでした。そういう父親に憧れる娘シシィというのが、放浪癖があるとかもの想いに浸りがちでメランコリー気質だとか束縛を嫌う野生児だとかではなくて、もっと単純でまっすぐな、自分のことは自分で考えて自分で決めたいなと思っているごく普通の健やかな少女、に見えたのがよかったのかもしれません。貴族の子女の自覚とか王族に嫁ぐ決意とかはそりゃ足りなかったかもしれないけれど、考えナシなわけでも単なるわがままなわけでもなく、けなげで一生懸命で、なのにそのままに受け入れてもらえないことに傷つく…という流れに、とても共感できました。寝室でペーパーナイフによる自殺を思いついてしまうくだりや、そのナイフをしまうときの芝居など、とてもとてもよかったです。「私だけに」のラスト一音も綺麗に出ていて、まあエフェクトが仕事していましたけどいらないよって感じでした。というか今回の音声さんはもう少し生徒の力量を信じてもいいのではあるまいか…クリアにしすぎだよ…
 ラストの昇天であたりを見渡す表情が、歴代不安げだったりトートしか見ていなかったりいろいろでしたが、ちゃぴの笑っているような泣いているような口の開いた笑顔がなんとも言えずよかったです。トートの方がむしろ不安そうでした。これはおもしろい。今後のさらなる進化が楽しみです、ご卒業のその日まで輝き続けてほしいです。『ジプ男』のころのおたおたしていたところから、まさかこんなに大輪の花が咲くことになろうとは思ってもいませんでした。
 次期トップ娘役のさくさくに対してガタガタ言う意見のうちにくらげちゃんがかわいそうみたいな言い方をしているものもありましたが、くらげが就任できなかったのはさくさくが台頭してきたからではなくちゃぴが意外と長くやったからだと私は思う。ともあれこうしたことは本当は誰のせいでもないのだしそこからまたどんなスターが生まれていくかわからないのだから、ファンは真摯に応援するしかないのだと思うのでした。

 フランツのみやちゃんは、プログラムの高慢そうな表情がすごくツボで、なのにシシィへの愛が強いフランツになりそうとか語っていて、そして私はキャラクターとしてはフランツみたいなタイプはすごくツボなのでとても期待していたのですが…なんか舞台からは特に強い印象を受けなかった気がしました。なんでだろう? まあ私がみやちゃん自身のことが特に好きでも嫌いでもないのが大きいのかもしれませんが…
 歌は高音を裏声にするようになっていて、なんか色気が増していてよかったです。でも今までは絶対地声でがんばっちゃっていた音なのに、今でも地声で出す音もあるのに、不思議です…

 ルキーニのれいこも、これまた私がれいこを特に好きでも嫌いでもないからかもしれませんが(こういう美人に本当に興味なくてすみません…)、そして私はルキーニというキャラクター自体にもどうもピンときていないので、出世役だとは知りつつも、ふーんと眺めてしまいました。とても上手く舞台を回していて、まったく危なげがありませんでしたし、汚いヒゲしてても美貌なのでそれは素晴らしかったです。

 そしてルドルフありちゃんにこれまたびっくりするくらい何も感じなかったんだコレが…これは贔屓のルドルフと比べて、とかではなく、なんかあまり闇が広がっていない気がしました。ニンじゃないということなのかなあ…母親に対してわりと最初からあきらめているふうに見えたところはちょっとおもしろかったのですが。うーんわからない…自分でも意外…あ、女官たちが傘をクルクル回し始めると「ヤバい、次、出番」とそわそわする感覚がフラッシュバックしたのは自分でもおもしろかったです。

 ゾフィーのすーさんはやりすぎていない感じがよかったです。それでいうとさち花姉さんのマダム・ヴォルフもやりすぎてなくてお化粧が本当に綺麗でよかった。るうさんツェップスも渋くてよかったです。なっちゃんルドヴィカも手堅い。
 重臣sはゆりちゃんがさすがイケメン。ひびきちも素敵。からんちゃんもさすがです。
 ところで死刑囚の母ってなんかいつもあんま上手くない人がやっている気がする…何故…?
 はーちゃんリヒテンシュタインがきびきびシシィの世話妬いていて、香咲蘭ちゃんのスターレイが控えめに仕えている対比もよかった。くらげちゃんのヴィンディッシュもさすがでしたね、場をさらっていたと思います。扇の交換があるバージョンで嬉しいです。
 ときちゃんは私は苦手なんだけれど、ヘレネのおたおたっぷりはとてもよかったです。でも他にもバイトで目立つところをけっこうやっているんですね…
 革命家はみんなエエ声でよかったです。歳をとってからはゆりちゃんかれんこんにときめくつもりだったんですけれど、意外やおだちんがいいイケオジでしたよ…!
 黒天使も美形揃いで振りが綺麗に揃っていて、トートの心情をよく踊っていました。女官も各国美女も娼婦もよかった、ロケットにいる黒天使も味わい深かったです(笑)。
 フィナーレは、定番の男役群舞「闇が広がる」以外は、振り付けの問題もあるかもしれませんが今ひとつだった気がしました。でもデュエダンでちゃぴのセリ上がり、ライト、拍手!としてくれたので満足です。エトワールのさくさくも、緊張しているように見えましたがとてもよかったです。娘役の貴重な出番を次期トップ娘役の顔見せで奪うな、という人も多いようでしたが、普通に考えて今の月組の歌姫ってさくさくじゃないかなと私は思うので、これでよかったと思っています。も、ちゃぴのあとは誰でも大変だよ、がんばれさくさく!


 さて、エリザ論でも書きましたが、要するに私がこの話で納得できないのは、シシィに愛されるのを待っていたトートが何故ルキーニにナイフを渡しちゃうのか、という点に尽きるのだと思います。
 最終答弁でフランツに「彼女はあなたを憎んでいる」「あなたは恐れている、彼女に拒絶されるのを」と言われて「違う!」とキレるトートですが、どっちが正しいのかこの時点で実は観客にはよくわかっていない気がするのです。ルドルフの死後、絶望のあまり死を望んだシシィがトートに拒否されたそのあと、のドラマが実はないのだと思います。何故そこで、息子を亡くした父と母としてフランツと寄り添えなかったのか? 旅先まで来てくれたのに何故心が開けず、すれ違うままなのか? シシィはずっとトートを拒否してきたのに、旅のゴールに彼がいる気がすると言うのは何故なのか? いやトートがいるとは言っていないんだけれど、「ずっと誰かが待っている」ってトートのことでしょう? でも何故それを容認しているのかよくわからない…
 もちろん実際にはシシィは暴漢に襲われて死んでいるのだけれど、それをトートの愛を受け入れたからだ、とするためのステップがもうひとつふたつ、私には足りていない気がするんですよね…それでこの話がよくわからない、と思ってしまうのかもしれません。
 そしてこのあたりを考え出すと、おそらく原作のウィーン・ミュージカルからものすごく遠く離れていってしまうのだろうな、とも感じます。それくらい死生観って違いそう…そこに男女めいた愛めいたものを持ち込もうとするのってかなりマゼルナキケンな気もするけれど、イケコはそれをやってしまったのだし、だからこそ日本でこれだけヒットしたのでしょう。とりあえず今後も再演されれば一度は観に行って、考え続けたいと思ってはいます。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇雪組『凱旋門/Gato Bonito!!』

2018年08月22日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚大劇場、2018年6月26日13時、18時(新公)。
 東京宝塚劇場、8月16日18時半、21日18時半。

 1938年、第二次大戦前夜の暗黒に覆われたヨーロッパ。戦火を逃れた者や各国からの亡命者たちず、わずかに火を残すパリの街に集まり始めていた。ナチスの強制収容所の拷問から逃れ、ドイツから亡命してきた外科医ラヴィック(轟悠)もそのひとりである。彼は今、亡命者たちの唯一の救いの場所である「オテル・アンテルナショナール」に身を置き、モグリの医者として生きていた。ある雨の夜更け、ラヴィックはセーヌ川に架かるアルマ橋の上で今にも身を投げそうなジョアン・マヅー(真彩希帆)と出会う。彼女はイタリアからパリに来たが、滞在先のホテルで連れの男に死なれ、錯乱していた…
 脚本/柴田侑宏、演出・振付/謝珠栄、作曲・編曲/寺田瀧雄、吉田優子、玉麻尚一。エリッヒ・マリア・レマルクの小説を原作にしたミュージカルで、2000年雪組初演。

 原作小説は未読、初演も未見。以前スカステで映像を見た気もするものの、なんかしょっぱい話だったような…?というイメージしか沸かない程度の記憶でした。当時からイシちゃんがそんなに得意ではなかったのだと思われます。
 主演として本公演に特出するのはもうどうなんだ、という引っかかりもありましたしね。『ドクトル・ジバゴ』は下級生メインだからまだよかったけれど『長崎しぐれ坂』とか…しかも私には声が、特に歌がつらく感じられ、クオリティとして引っかかったんですよね。芝居が渋くていいのはわかるんだけど、いかにも苦しそうに発声されると百年の恋も冷めます。また、トップコンビが恋愛を演じる、というのが私にとって宝塚歌劇のほとんど大命題なので、それを壊されるのも正直言って嫌でした。これがラストらしいからさ、なんてまことしやかにささやかれたりもしましたが、その後続報はありませんよね…でも、たとえばではボリスを演じていたらどうなんだ、とか、ありますよね。そういう専科の在り方ならあると思いますしね。それかもう理事に徹するか…組子には勉強になるのかもしれないけれど、やはりもっとファンの在り方を考えてほしいなあ、とは思ってしまいます。
 という感じで、ややブーブー目線でノー知識で出かけたので、初見はけっこう混乱しました。まずもってラヴィックがスカした男に思えて全然好感が持てなかったし、有名な「いのち」がストーリーが全然始まっていないように思えるけっこう前半に歌われるのに唖然とし、そんなふうに歌い上げられてもまだ誰の気持ちにも寄り添えてないのに感動なんかできないよ、無理…となってしまいまして。シュナイダー(奏乃はると)のくだりも、当初私は、ラヴィックは彼への復讐をずっと胸に秘めていて、それでジョアンに対しても深く関わるのをやめようとしていたの?でもなら最初からそうちゃんと説明しておいてよ…とか思ってしまったのでしたが、おちついて観ると偶然再会して初めて、自分の中に復讐を考えるような憎悪やこだわりがあったことに気づく…みたいな流れだったんですね? でもじゃあ最初からジョアンに対して一歩引いているのは何故なんだ、やっぱりよくわからん男だぜ…とますます混乱したりもしました。
 ラヴィックは世が世なら外科部長、とか言われているのでまあまあ壮年の男なんでしょうし、だから女優の卵とかいう小娘ひとり偶然助けたからってそうそう簡単にはなびかないよ、ってことなのかもしれませんが、それじゃ物語にならないわけでさ。あっさり恋に落ちるか、そうでないなら逡巡の説明をきちんとしてほしかったです。
 だいもんボリスがちゃんとラヴィックの友人に見えたのはさすがでしたし、悪い女だとかメンヘラだとか言われがちなジョアンですが私はきぃちゃんはすごく上手く演じていた気がしました。てか別にフツーの女ってだけじゃない? ジョアンって。性悪でもなんでもないと思うけど…
 咲ちゃんアンリ(彩風咲奈)も甘さとエキセントリックさが覗く役作りでよかったです。でも総じて、群像劇だから仕方ないんでしょうが、スター組子の面々がすべて役不足に見えて残念でしたね。博多座とかの、半分のメンバーで上演する別箱公演くらいが似合いの演目なのではないでしょうか…しょっぱいけどシックでストイックな舞台で、嫌いではないのですがね…
 なので新公は楽しく観ました。あがちんのラヴィックが、若いけど若すぎない感じで、だからジョアンの世話を焼ききれないでちょっと距離を置こうとしてしまうのがわかるな、と思えたのが大きかったです。そして潤花ちゃんのジョアンもとてもよかった。どうしても賢さがにじみ出てしまうきぃちゃんジョアンより、より体当たり感とか刹那的なワイルドさ、乱暴さ、それゆえの剥き出しの魅力みたいなものを感じました。眞ノ宮くんの優男っぷりもよかったし、かりあんのメガネはマジでヤバかったし、あみちゃんハイメが本当にリリカルでアイドルで、そして野々花ひまりちゃんのケートが超絶よかったのが印象的でした。あゆみちゃんの本役さんは自分の病気を知っているのかな、と思わせたところはよかったけれど、社交界の花感とかラヴィックとのワケあり感は圧倒的に新公の方がよかったと思いました。
 さすがのくーみん演出で、ラストにセリを使って印象を変えてきたのもお見事でした。
 新公を踏まえてさらに本公演をおちついて観ると、イシちゃんがちゃんと若作りして歳のわりには稚気のある普通の男をしっかり演じているのがわかりましたし、だからこれはヒーローとヒロインのスカッとした恋物語なんかではなくわりと普通の男と女のわりと通俗的なメロドラマで、その背景に戦争直前のパリというものがあるからせつなくしょっぱくなっているけれど意外と本質はそこにはないのかもしれないな…と思うようになり、そのメロドラマ感を楽しめるようになりました。
 でもだからこそ、そういう普通の、決して高潔すぎない、むしろ情けないところも多々あるラヴィックというキャラクターを演じる主演だいもん、というものを観たかったかな…とも思ったのでした。うーむむむ。

 ショー・パッショナブルは作・演出/藤井大介。
 暑苦しくて濃くて激しくてピカピカでギラギラで観ているだけで消耗する、いいダイスケショーでしたね! 楽しかった!!
 私は犬派なので猫縛りについてはそこまでハマりませんでしたが、とにかく生徒の起用が上手いと思いました。路線スターだけでなく歌手やダンサーをきちんと使って、多くの生徒にちょいちょい出番を与え、娘役ちゃんもいろんな拾い方でいろんなグループを作ってバンバン場面に出し、さらに全員に銀橋を渡らせる快挙。近年屈指の中詰めだったのではないでしょうか。
 まず白猫ちゃん6人のセレクトがヤバい。咲ちゃんがオケピから出てきて男役がずらり銀橋に並ぶとかヤバい。だいもんときぃちゃんががっつりコンビなのも嬉しい。
 ひらめのピンクの猫が可愛くてたまらん。上級生娘役たちを薙ぎ倒していくだいもんがたまらん。カリとすわっちが歌うとか素晴らしすぎる。がっつりタンゴの振り付けも素晴らしい。
 ヒョウ柄あーさにまとわりつくヒョウ柄娘役たちのセクシーさがたまらん、ひらめやみちるのお尻ガン見でしたよ。からの銀橋パレードたまらん、そこに混ざっている女装の男役たちもたまらん。背中が開いてるお衣装にショートヘアというかほぼ男装のままの髪型での女装、というのも新鮮で、汗をかいている背中がやらしくてたまらん。でもちゃんとトップコンビがカップルになって丁々発止の「コパカバーナ」たまらん。
 からのあすが歌手でまなはるひーこ、カリあゆみのダンスで一場面作るなんてすごすぎる。そしてちょっといいとこだけ歌ってあとは揺れてるだけでも許されるようなトップスターがガンガン働かされて客席登場のアドリブ祭り、楽しすぎる。ダイスケショーあるあるのなんか土着的な総踊りに神が降りてきちゃうのも、刺し殺し合ったあとの復活みたいなヘンなドラマがなくてよかった。そしてりさみちるを連れてひとこが銀橋を渡り、咲ちゃんが歌ってだいもんが娘役たちをまたまた薙ぎ倒し、男役たちがざかざか大階段を降りてきて踊り、そのまま熱いデュエットダンスに突入するのもいい。視線ガンガン絡めて息ぴったり合わせて超爽快! そしてやっとパレード、というおなかいっぱい大満足の豪華さでした。
 ショーの代表作、まして黒塗りショーを持つことはトップスターの勲章かと思います。だいもん、よかったね! 次が一本立てだけに、ここはがっつり楽しんでおきたいよな、でも目が足りなくて困っちゃうよなという心が忙しいショーでした。楽しかったです。好き!!!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小野ハルカ『桐生先生は恋愛がわからない。』(小学館マンガワンフラワーコミックス全5巻)

2018年08月17日 | 観劇記/タイトルか行
 桐生ふたば、32歳、漫画家。ラブコメ漫画を描いているにもかかわらず、「恋愛感情」がわからない彼女はかなりいろいろこじらせている。「そもそも女性が恋愛好きって誰が決めた!?」そんな彼女に対して職場の寡黙なアシスタント・通称アサシンと、脚本家の年上男子・通称軍師からのアプローチが始まり…!?

 仕事でネット発の最近の漫画をあれこれ読んでいるのですが、既存のコミック誌に連載される形式でないというだけで、作家の性別も読者の性別もごたまぜになるというかなんというかで、実におもしろいものです。少女漫画を読みたがる男性読者はあまりいないかもしれませんが、少年漫画や青年漫画の方が少女漫画より好き、という女性読者は一定数いて、ネットならよりアプローチしやすくなっているのかもしれません。女性漫画家でも少女漫画ではなく少年漫画や青年漫画を描いている人は多いですが、ネットではさらにそれが、男性向けとも女性向けともつかない、混在した、全ジェンダー向けと言ってもいいようなノンジャンルの作品群を生んでいるようでもあります。
 最近だとたとえばこちらとかを記事にしましたが、2巻になってますますラブコメ度が上がりつつもとにかく前提が新しくおもしろいので本当に先を楽しみにしていましたが、どうやら紙ではあまり売れていなくて3巻は電子版のみになる模様…残念です。ネットでバズっても紙のコミックスで採算が取れるほど売れるかどうかはまた別、という世知辛さはこれらの作品群にどうやらつきもののようですね。
 今回のこの作品は私の発見が遅れただけでもう二年ほど前の作品になりますが、これがまた新しかった! ただ、この体裁で出してもそら売れなかったろう…という気はしました。もうちょっと洒落た絵だったなら青年誌に連載して青年誌レーベルでコミックス化するか、女性漫画誌に連載して大人向け少女漫画レーベルのコミックスで出しても成立したかもしれません。でもそこにハマらなかったからこその作品、なのかな…イヤ味わい深い絵なんですけれどね、ヘンな萌えがないのも好感度高い。特にこのヒロインをもっとセクシュアルに描くことはできたと思うんだけれど、当人のキャラクターを重んじてかそういうサービスはまったくしていないんですよね。というかそういうものを読者サービスと考えてしまう私の感性がもう古いのかもしれません。そんなサービスはなくても中身がおもしろければ十分なのですから。
 この作品は、恋愛経験がないけど恋愛漫画を描いてヒットしちゃったヒロインがモテちゃってタイヘン!みたいな古くてナンパな話ではありません。ヒロインは本当に恋愛とか性欲とか情熱とかいったものが感覚的にわからず、自分はノンセクシャルなのだろうかアセクシャルなのだろうかと悩み、バイセクシャルの女友達と実に理屈っぽくも赤裸々なトークをするようなアラサー女なのです。自分のマイノリティさ加減に打ちのめされながらも、戦い抗い生きています。男性キャラクターとの間に看病エピソードも無理チューも出てきますが、従来の少女漫画にありがちなものとは全然意味合いが違っています。この視点が新しく、とても今日的だと思います。
 また、漫画家漫画としても新しい。アシスタントとか編集者とかアニメ化されたときの監督とか脚本家とかプロデューサーとかのキャラクターも出てくるんだけれど、これまた古くナンパな逆ハーものになんかまったくなっておらず、お仕事ものとしてものすごくちゃんとしています。でもキャラが立っていて愛嬌もちゃんとあり、でもリアルなあるある感もある。なかなかできないことです。
 なんとなく異性に恋できちゃう人には思いもよらないことでしょうが、こうして違和感を抱いてしまう人、どうしても頭で考えてしまう人って、いるものなのです。そこに焦点を当てて、かつエンタメとして作品に仕上げていることが素晴らしい。ヒロインが描いている漫画同様、テンプレを上手く入れつつ新鮮な展開をしているのも本当に上手いし、ワクワク読みました。
 結論はある種の保留のようでもあるし、オチていないと言えばそう言えるのかもしれませんが、人生ってそういうものでもあると思うしそういう意味でもリアルだし、安易でなくシビアだけれどそれでも、励まされた読者も多いんじゃないかなあ。もう少し広く読まれてもよかったのにな、と思う作品でした。書店店頭でもまだ注文できるし、電子ならさらに入手しやすいはずなので、気になった方はゼヒご一読いただきたいです。
 …っていうかここまで書いて今どんな作品を描いているんだろう、って検索したらなんと『四代目の花婿』と同じ作家なの!? えええぇさすがに絵が違くない!?!? ああでもシフトしたのか、そしてさらに進化したんだな、偉いなあ…てか私、好みがゆるがないなあ…ああ驚いた。なので、ゼヒ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇宙組『WEST SIDE STORY』

2018年08月12日 | 観劇記/タイトルあ行
 梅田芸術劇場、2018年7月24日15時(初日)、25日12時、16時半、29日12時、31日13時、8月5日12時、9日13時(千秋楽)。

 1950年代アメリカ、ニューヨークのウエストサイドでは、若者たちが集まるふたつのギャャング、ジェッツとシャークスが戦いを繰り返していた。リフ(澄輝さやと)をリーダーとし、この地域を支配しているジェッツは、ヨーロッパ系移民の親を持つが自分たちはアメリカで生まれたいわば「アメリカ人」と呼ばれる白人の青年の寄せ集め。一方ベルナルド(愛月ひかる)を中心に置くシャークスは、いずれもアメリカに移り住んできたプエルト・リコの青年たちだ。縄張り争いが続く中、リフは親友トニー(真風涼帆)に助けを求める。トニーはかつてリフと共にジェッツを作ったが、一か月ほど前に仲間たちから離れてドク(英真なおき)の経営するドラッグストアで働き始めていた…
 原案/ジェローム・ロビンス、脚本/アーサー・ロレンツ、音楽/レナード・バーンスタイン、作詞/スティーブン・ソンドハイム、オリジナル演出・振付/ジェローム・ロビンス、演出・振付/ジョシュア・ベルガッセ、演出補・訳詞/稲葉太地、翻訳/ 珠麗。1957年ブロードウェイ初演、1961年には映画化もされた傑作ミュージカル。宝塚歌劇団では1968年初演、1998年、1999年にも再演。今年1月にも上演されたものの再演版。

 初日の感想はこちら、国際フォーラム版の感想はこちら
 今回初めて観た方も多かったのか、前回のとき以上に「宝塚歌劇で観たいものではなかった」という意見のツイートを多く見た気がしたのが個人的には印象的でした。でも私はこの作品が好きだし、宝塚歌劇でこそやる意味があるのではないかな、とも思いました。確かに宝塚歌劇に清く正しく美しく、愛と希望に満ちあふれた作品を望むのは自然だし正しいことだとも思っています。でも私個人は単なる現実逃避としてのフィクションを求めることはほとんどしないんですね。そんなことしたって現実から完全に逃れることなどできないからです。観ている間だけ、そのときだけ逃れられればいいの、みたいにも私には思えない。だから完全に現実から遊離したお伽話の絵空事は楽しめない、そういう寂しいつまらない人間なのです私は。だから宝塚歌劇にもある程度のリアリティとか普遍性とか現代性を求めてしまうんですね。で、『WSS』の物語は、武力闘争とか人種差別とか今なお解決されていない問題がテーマになっているからこそ今もなお上演される意義があるのだとと思うし、ぶっちゃけアニータ(桜木みなと)の輪姦といった性暴力、もっと言って作品の全体的なトーンにある女性差別、女性への人権侵害に関してはもう現代日本では最近やっとやっと顕在化されてきたもののまだまだまだまだ認知も怪しく解消へはほど遠い状況なので、なおさらどんな形であれ訴え続けていかなければならない問題なのだろうと思うし、けれどそれを現代演劇で男優にやられるとかえってげんなりする部分があると思うので、全出演者が女性であるここで古典ミュージカルの再演という形で演じられる方がまだ救いがある部分があるのではないか、と私は考えているのです。
 とはいえ実は贔屓出演により私の視界はかなり狭かったので、今回は作品そのものへの考察は意外とできないままに終わってしまった印象でした。チケットが余っていたわりには配席があまり良くなくて、親友と観た一階最後列ほぼどセンターのときが最も舞台全体が観やすく、ノーオペラができました。距離はあるし梅芸一階の通路から後ろはA席にしてもいいだろうとも思うけれど、たとえばのちにもらった二階最前列サブセンターなんかよりも私はこちらの方が好みでした。あとはたいてい二階前方列だけどかなり上手か下手寄り、の席ばかりで、三階バルコニー席なんかは見切れも激しかったし、いずれも舞台からはかなり遠いのでオペラグラスが手放せない鑑賞になってしまったなあ…という結果だったのでした。やはりなんとか自券を調達して一度はいい席で観たいものです…
 ま、作品そのものについては前回わりと語りましたしね。なのでよかったらそちらも参照してくださいませ。でもリフというのは本当に大きなお役で、ルドルフロドリーゴもそりゃ大きかったんだけれどお話の根幹には実はそれほど度大きく関わってはいなかったかなとも思うのだけれど、リフは出番はほぼ1幕だけなんだけれど1幕でのその運動量はぶっちゃけ主役を凌駕しているとも思うし、物語のめっちゃキーパーソンなので、いくら全体が見えていないとはいえリフを通して感じたことはやはり多く、それは最後に語らせていただきます。
 なので、まずは、キャラクターというか、中の人の感想などから始めます。

 トニーのゆりかちゃんは、お披露目本公演を経てさらにピュア度が増しましたよね。良き良き。ゆりかちゃんは、スターとしてのニンはもっと大人の渋いタイプの男にあって、少年ギャングよりはもっとゴッドファーザー的な、スーツの裏社会の…みたいな方が似合いそうな気もするのですが、中の人は意外とのほほんとした好青年(イヤ女性なんだけど)だってこともファンはみんな知っているので、ロミオ系のこういうお役も意外ときちんとこなすんですよ。でも、前回より明らかに「ピュア」の見せ方が上手くなっていたと思いました。歌はそんなに上達していないな、と私は思ったんですけれど(^^;)、まあそれは仕方ないことでしょう。てかトニーとマリア(星風まどか)の歌って本当にオペラチックで、それを女性同士でハモろうとしたら上下の音が大変なことになるのはあたりまえなんですよね。出ていない音は楽器がよく支えていたと思いました(^^;)。
 そしてマリアのまどかにゃんは上手くなっていたと思いました! イヤもともととてもできる子なんですけれど! 丸顔なので幼いキャラかと思われがちですが、声が深いし、意外と大人っぽい芝居の方が上手いタイプですよねまどかにゃんは。でも若いユーリを経てまた若いマリアに戻って、でも前回のマリアよりより深く賢く強いキャラクターを打ち出せていたと思いました。歌もそれこそもともと上手いんだけど、さらに任せて安心になっていました。初日から少しの間はやや喉に負担がかかりそうな歌い方をしているようにも思えましたが、中盤ではそんなことはなく、終盤ですごくカマした回もあったそうでしたが千秋楽はなんの問題もなく、とてもよかったです。
 ベルナルドの愛ちゃんは、声の特徴がやっぱり損に出ている気がしましたし、大きなナンバーがあるわけではないので出番的にも損しているようにも思えましたが、存在感の濃さ熱さはさすがでしたよね。ベルナルドが単なる敵役に見えないことはこの作品において重要なことだと思うのです。彼らへの差別は不当である、と観客に思わせなければならないんですからね。ちょっと古臭いかもしれないけれど家族を大事にする、女性のこともある意味で大切にしてくれている価値観の男たち。アニータだって彼を「小僧」と呼ぶ一方で「アメリカ人」になってもらいたくて、揺れているんですよね。ベルナルドがこの国に来た最初の日に誰かがつっかかっていったのではなかったなら、優しく手を差し伸べていたのだったら、世界は変わっていたのかもしれません。それくらいの度量がある男に、愛ちゃんはきちんと演じていて素晴らしかったです。あとホント脚が長い! それはまあ全宙男デフォルトみたいなもんなんだけれど、スタイルの良さに心底惚れ惚れしました。決闘での居方もいいし、倒れる姿も素敵でした。
 アニータのずんちゃんは、以前は私は「ちょっとおばちゃんっぽいかも」みたいな評価をしてしまいましたが、要するにそらよりちょっと大人に見えた、ということなのかなあ、ともあとあと思いました。たとえばアニータがマリアに男という存在について牽制したり揶揄したりするくだりも、それは彼女が身をもって得た知識なのだろうと思えたり。ずんそらなんて一期しか違わないのに、そらアニータはまどかマリアと歳はそんなに違わないのに性格とかがお姉さん的存在、というキャラクターに見えて、私の中のアニータ像と合致しやすかったのかもしれません。あと、両方を観た親友がそらアニータはこのあと、ニューヨークでそういうお店が成立するのかわからないけれどいわゆるクラブのママみたいなものになって、水商売であれ経済的に自立してある程度優雅にやっていきそうだけれど、ずんアニータはまた別の男と恋をして結婚して妊娠して毎年のように子供を産んでその男に死なれたらまた別の男と結婚して妊娠して出産して、そうやって10人とかの子持ちになって、でもどの子供もまっとうに育たず子供にマイナスのバイアスをかける毒親になっちゃいそう…と言っていたのがなかなか印象的で、そういう印象の違いもあったのかなあと思いました。
 トニーがブライダルショップに来るのを待ってマリアがアニータに言う「先に帰っててケリーダ」をアニータが繰り返して冷やかして見せるとき、そらアニでは毎回笑いが湧いていたのにずんアニはそうでもなかったのは気になったかな。
 あと、すごく細かいことなんですけれど、例のシーンでずんちゃんはほぼ右膝を折っていて足首は左足の下に回っていて、つまり両脚が4の形になっていることが多かったんですけれど、私はこれでは駄目だと思ったんですよね…ヒドい話で申し訳ないんですが、でもここは気になりました。
 しかしホント脛が長い美脚で、「アメリカ」は堪能しました。でもじゅりぴょんは自分たちのときより振りが易しくなっていると言っていたなー(笑)、ホントかな? でもそれがジョシュア先生の振り付けだからなー。
 チノは続投のりく。ラストの芝居は毎回本当に素晴らしかったんだけれど、千秋楽はことに、マリアに拳銃を渡すあたりからの動揺と涙顔への変化が激しくて、胸をつきました。すぐにフィナーレで明るい笑顔で出てくる切り替え、毎回本当に大変だったろうなあ。でもやっぱりフィナーレがあって救われますよね。1幕ラストなんかは拍手したくないくらい、どーんと暗くなって終わるのが正解、と思っているクチなんですが、2幕はね…暗く重いまま一度緞帳は降りるんだから、そのあとは明るいカーテンコール、サービスタイムのフィナーレで言い、と思うのです。りくはナウオンなんかを見ていてもすごく役を引きずってそうで、それだけ深く役を理解し役を愛して生きているということなんだろうけれどなんか哀れで心配で、、でも無事の完走を今は祝いたいです。
 クラプキのりんきらは、私は役不足かなと思わなくもないんだけれど(りんきらのシュランク、すっしぃのドクも観てみたかった)、まっぷーとはまた違うチャーミングさと嫌みったらしさがよく出ていて、素晴らしかったと思います。
 ぺぺさお、ディーゼルかける、スノウボーイかなこは続投で任せて安心。てかかなこ茶で、スノウボーイはトニーとリフと喧嘩してそこからジェッツに加わったとかなんとかな設定があるとかないとか話に出たと漏れ聞くのですが、そこんそこもっとくわしくプリーズ…! 「やるな、おまえ」「おまえもな」からのガシッと握手、とか、そんななの!? どうなの!? ときめくわー。てかジェッツもシャークスも役作りの話をみんなからもっと聞きたかったわー、なんで別箱公演って宝塚ニュースのSSWコーナーないの…!?(ToT)
 エイラブまりなはやっぱり声があんまり良くないのが残念だったんだけど、エニボディーズ(ところで前回この役の意味がわからないと言った私ですが、これまた親友が、トランスジェンダーということではなく男の世界に入りたがる女、という意味では今でいうキャリアウーマンというか、ガラスの天井にもがき苦しむ女性像なんかに当たるのかもしれないと言っていて「ほう!」となりました)へのなんというか残念な片思い感がにじみ出ているようなのはよかったかな。アクションあーちゃんも一本調子でうるさいよ、と当初は思えたのですが、いかにもアクションっぽくはあるしこういう子ってもちろんいるしチームの中にそういうキャラを抱えたときにリーダーがそれをどう抑えるか、って問題でリフがまた違って見えたので、結果的にはよかったのかもしれません。そしてそれで言ったらビッグディールのりおくんですよね! モンチのビッグディールも良かったけれど、りおくんになってよりシュッとして見えてでも単なるメガネくんキャラではまったくなくて(それはグラッドハンドのあちゃぴなくんがやってくれている。こちらも好演でした)、私の中では中の人のイメージもあってスノウボーイがけっこうトンガった切れキャラなんですけど、そんな彼といつも対になってけっこう喧嘩ふっかけてまわる困った面もあるような、要するに実はけっこう暗い屈託がありそうなキャラクターに見えて、密かに萌えていました実は。アニータに対してもけっこう当たりがきついし、紳士的では全然なくてむしろ女嫌いっぽそうな、「クラプキ巡査殿」でふざけて女装の真似事をするのが余計にそれっぽい、要するに無自覚のゲイっぽい空気すら私は勝手に感じていて、そしてこれまたりお茶でビッグディールはトニーよりむしろリフがいたからジェッツに入ったんだとかなんとか言ったとか言わないとか漏れ聞くともうマジでソコもっとくわしく…!となりました。そんな彼だからこそ、ラストのラスト、トニーの葬列に加わらずに立ち尽くし、すがりついてくるヴェルマに手を回すんですよ…!!
 きよとどってぃの屈託のなさやなごやかさやキュートさに毎回癒やされましたし、シャークスならなっつ、ナベさん、りっつにアラレと絶対この子たちいい子…!って気がしたし、琥南くんのスタイルの良さは常に目を惹きました。ロザリアきゃのんの安定感が頼もしく、しぐれちゃんりずちゃんの黒塗りの美しさといったらハンパなく、さよちゃんは歌も芝居も絶品で、ヒロコちゃんはホントに美人で可愛くて、さらちゃんのダンスの素晴らしさに毎回見惚れていました。
 グラツィエーラには私はずっとゆいちゃんの面影を追ってしまっていたのだけれど、千秋楽の「サムウェア」でのまりあちゃんのアラベスクの美しさに「お見それしました!」となって泣きました。そこから千秋楽は、まりあとアニータの号泣デュエットも熱かったしマリアの死を聞かされてチノを呼び求めるトニーの声の揺らぎ震えもすごかったしマリアに拳銃を渡してからのチノの泣き顔もすごかったしマリアの「触らないで!」の咆哮もすごかったし、泣きっぱなしでした。
 いい公演だったと思います。

 さて、では最後にリフあっきー語りを。
 初日の「Jet Song」はねー、もともと拍もメロディも難しい歌だとは思うんですけれど、音響との不和もあって私には本当に不安定に聞こえて、ずんちゃんのときのここでの「ミュージカル、キターっ!」って感じをすごく覚えていたからこそものっすごく不安になっちゃったんですよね。「Cool」はよかったんだけど。というかいつもいつも心配しすぎて見守る体勢になるのをやめたい、もっと陶酔して観ちゃった方が楽なのに多分それは私にはできない…という、いたって勝手な自分都合の葛藤を日々抱えての観劇でした(笑)。
 でも、冷静に考えて、公正に見て、よかったと思います。これまた親友が、国際フォーラム版の方が海外ミュージカル色が強くて、梅芸版の方が宝塚歌劇色を強く感じた、と評していたのですけれど、それは彼女にとっても親友の贔屓が出演している舞台を観るんだからよりスター色というか生徒の色を感じるバイアスもかかっているんだろうけれど、フォーラム版の方が技術的なクオリティは高かったかもしれないけれどだからこそ作品そのものの強さ素晴らしさを強く感じてしまい全体がそこに寄与して終わり、みたいに見えたのが、梅芸版では役と役者の個性が際立って見えたしロマンチック度やラブ度が増して見えて結果的に宝塚歌劇として楽しく観られた気がする、というようなことを言ってくれて、単なる出来の上下といった意味ではなくて安心しましたし嬉しかったです。そしてそれはやっぱり、ロイヤルの申し子みたいに言われがちなあっきーが(笑)リフを好演してみせたからこそのことだったのではないかしらん、と思うからです。
 中年女性のエジプトの王太后から、マンハッタンのやんちゃなハイティーン青年へ。ダボッとしたデニムを腰履きしてもまだまだ脚は長くズボンの中で脚は細く泳ぎ、だけど生来のがに股がいい感じにこの時代のこうした青年のやんちゃ感になっていて、コンバースのベタ靴履いててもスラリと背が高く、けれど補正が決まってスタジャン姿もスーツ姿も細すぎてはかなくてぺらっぺら、なんてことはない。無骨さもあるワイルドさとちょっとの洗練されたスマートさが、一世代早くアメリカに移ってきているアメリカ生まれアメリカ育ちの垢抜けた感じを表していました。
 そしてまごうかたなきリーダーっぷりが素晴らしかった! みんながキラキラした目で集まってくれるから(お茶会でのトークによればフィンガースナップからの地面指差しでみんなが集合してくれるのが気持ちよくて仕方ない様子でした。カワイイ…)、っていうのもあるけれど、黙って立っていてもちゃんと彼がボスに見えました。もっとガタイがいいディーゼルがいても、もっと熱そうなアクションがいても、もっと賢明そうなビッグディールがいても、リフがリーダーでした。集合をかける台詞が走りがちで最後まで聞き取りづらかったのは残念でしたが、いいんですボスなんですボスの指示はみんなにはすぐ伝わるんです!
 そしてトニーに対してもあくまで対等かむしろ偉そうな感じなのがまた良かったです。「おまえが来るってみんなに言っちゃったんだよ」は後半はかなりしょんぼりわんこモードでしたが、前半はけっこう不承不承というかホントにブーたれててめっちゃ可愛くて、でもトニーに甘えたりすねたりしているというよりは本当に怒って見えるのがよかったんですよね。ずんちゃんリフはやっぱりトニーの弟分に見えましたが、今回のトニーとリフは本当に兄弟同然の親友で歳も同じかかなり近く見えましたし、なんならジェッツを始めたのは最初っからリフに見えました。ずんリフだと、トニーが始めてトニーがいた頃はリフが副官で、今はトニーが引退気味だからリフがリーダーを継いでいる、ように見えた気がしますが、今回のあきリフの突っ走り方とトニーのいなし方を見ていると、トニーがいた頃もトニーが副官でリーダーはずっとリフで、だから今は副官の位置は空位なのかな(プログラムではディーゼルということになっているんだけれど、戦争会議ではアクションが立っています)、と思えました。
 こういうまかあきが新鮮でしたし、スター事情を考えてもまた組み合わせの妙や映りの良さを考えてもここには金鉱があるので、劇団にはゼヒともここを深く広く掘ることを全力でオススメします! てかトップスターをちゃん付けして呼ぶ別格上級生スターがいることって、今の月組みたいにそもそもトップスターが若いということ以外ではなかなかないレアケースなのですよ!! 貴重なの!!! あと中のゆるさが共通なのもツボでしかないと思うのですよ! 掘って!!
 リフは両親を失っていて、でも伯父に引き取られるのが嫌というなんらかの屈託を抱えていて(この伯父貴って絶対すっしぃさんの二役ですよね、そんで児童性的虐待とかしちゃうやつですよねリフはそれから逃れたいんですよね絶対です)、遠い親戚ではあるのかはたまた全然血縁ないけどトニーの両親が引き取ってくれたのか、とにかく親友の家に転がり込んでいて家族同然に暮らしてやっと居場所が得られた気でいるんですよね。そしてジェッツの仲間たちがよりどころ、彼らといる街のシマが居場所。今までトニーに何かを頼んだことなんかなかったのは、常に一心同体でいちいち頼まなくてもお互いの志向がわかっていたからです。今だってきっと、リフは毎晩気持ちよくグースカ寝ていて(なんならヴェルマといちゃつく夢を見ている)トニーが手を伸ばして夜中に目を覚ましていることなんか知りゃしないのです(この時代、この層の住宅事情を考えれば彼らは同室で暮らしているのです絶対です)。トニーが真面目に働き出してもどうせ続きゃしないと思っている、ある意味のんきでまっすぐな青年で、礼儀を守ろうとする固い面もあったりする若者です。
 でも伯父貴への屈託はそのまま大人への憎悪に通じているのか、リフはベルナルドよりシュランクやクラプキを憎み嫌っているように見えます。だからそこでベルナルドたちと共闘できていたらよかったんでしょうけれどねえ…でもおそらくリフたちの親世代は移民してきた当初とても差別され苦労させられていたのだろうし、それを見て育った彼らは同じことをプエルト・リコ移民に対してしてしまうのです。
 戦争になぞらえるような決闘なんぞしなくても、バスケットボール対決でもダンス対決でもよかったのに…とドクでなくとも思わないではいられません。つーかヴェルマとアニータのダンス対決でよかったと思うよ…
 マリアが「私、アメリカのレディになるんだもの!」と言いアニータが「私はもうアメリカの女だから、男なんか待たない」と言うそのアメリカの女に一足早くなっているヴェルマですが、しかしこれがまた基本的にいつも不機嫌そうでつんけんしているのがいいんですよね。性格の問題もあるのかもしれないし、女友達と集まってアタマ空っぽな女の振りして笑ってみせてもいるんだけれど、いつもブーたれていて不満そうなのがいいんです。彼女にも屈託があって、別にアメリカの女の全部が全部幸せなんかじゃない、アメリカって別にゴールじゃない、ってことをきちんと体現してくれているところがとてもいいと思います。ちっちゃくても強いエビちゃんヴェルマがプンスカしているところに、そういうことにはあんまり気づいてなさそうなあきリフがヘラヘラすり寄ったり無造作に肩抱いちゃったりする感じがまたとてもいいわけです。
 私は男役と娘役の身長差に萌える、というのがあまりなくて、むりやりに身長差を作らなくても男女の差は表現できるだろうと思っているし、男が大きくて強くて女が小さくて弱いのがいいみたいなのはむしろなんか嫌なんですね。話はズレるでしょうがフィギュアスケートのペア競技もマッチョな男性選手と子供みたいな女性選手、の組み合わせになるじゃないですか。そういう競技だから仕方ないんだけれど、ならば私は身長も体格もむしろ近いくらいの男女ふたりがカップルを組むアイスダンスの方が好みなんですね。宝塚歌劇においても、娘役の身長の低さを美点とするような空気はどうなんだ、と思っていましたし今も思っています。しかしこのリフヴェルは…バランスとしても素晴らしかったですね!(手のひら返し)実際には同期って今も今までもダンスも芝居もあまり組まないものなんですけれど(路線であればなおさら)、こうしてがっつり組んで踊って息ぴったりなところはさすが上級生という気もするしさすが同期とも思えました。体格が全然違うのに振りが揃うし、リフが半円になった仲間たちとハイタッチして回っている間にその半円の中心でかがんで回転していたヴェルマがパッと腕を伸ばすとそこにリフが来て手を取って引き上げる、そのくだりが最高に好きでした。
 前回の月組、星組公演ではリフの恋人はグラジェラだったんだけれど、どういう改変だったのかしら…そしてずんリフをいい男に見せていたエビちゃんはさすがでしたが、今回も本当にこのヴェルマのおかげでなおさらリフがいい男に見えていたと思うので、素晴らしかったです。「Cool」のラストでリフの左脚に手を回して下から仰ぎ見てキメるヴェルマ、カッコよかったなあぁ!
 そしてあきリフは愛ちゃんの濃く熱い役作りのベルナルドともすごく映りが良かったです。ドラッグストアでシュランクに踏み込まれて、一瞬の共闘を見せるんだけれどそれでも、というかそういうことができても結局は、やっぱり話が通じないんだろうなこのふたり、って空気がちゃんと作れていたと思うんですよね。
 だから決闘で、結局リフがジャンパー脱いでナイフ抜いちゃうのも、トニーのためとか親友を馬鹿にされて怒ってみたいな生ぬるいものじゃなくて、もう生き様のぶつかり合い、みたいなものを感じました。ジェッツのために、リーダーとして、自分自身のプライドとして、ここで立たなきゃ男じゃねーだろ!ってキレてるんだと思うんです。そのトートツさにこちらが毎回新鮮に驚けるくらい、中の人は毎回真剣にリフを生きていたんだと思うのです。もうだからそういうこと含めて全部、とても彼らを愚かだとか思えませんでした。そして筋なんかわかりきってるのに、やめて!と毎回目を覆いたくなっていました。でも、物語はわかりきっている展開をしていってしまう…
 ゆりかちゃんがお茶会で言っていた、決められたサスライトのちょうどいいところにリフを横たえる「大役」と上ズレ(位置が上手側にずれることをこういうらしい)の話はめっちゃおもしろかったんだけれど、ここでのリフの横たわり方というか身体の伸ばし方がホント優雅なにゃんこのようでもあって、実に美しかったですよね…
 2幕は「サムウェア」の幻想をぶった切るシビアな登場で(ジャンパー姿だった国際フォーラム版から出血跡バッチリのシャツ姿になって痛々しさ倍増。いい改変です)、無表情なのがまたいいんですよね。当人はその前の場面が美しすぎて出ていきたくないそうですが…いやいややはり人の命は重いものなのです。そう簡単にはいつかどこかでどうにかして…なんて、得られないものなのです。
 チノがトニーを撃った銃声で集まる人々の中に、リフのジャンパーを羽織ったヴェルマがいます。あのあと、パトロール警官が高架下でふたりの遺体を発見し、遺体は警察に収容され、リフの身元引受人としてはトニーの親が呼ばれ、トニーママがヴェルマに連絡したのでしょうか。ジャンパーは遺品として下げ渡されたのでしょうか、それとも誰かが持って逃げてこっそりヴェルマに届けて伝えたか…
 これまたじゅりぴょんのトークショーで(「樹里咲穂の宝塚歌劇を愛でる会」の『ウエストサイドストーリー』を考える回に参加してきたのですが、これが抱腹絶倒のトーク&ライブだったのです)前回星組版でシャークスの女だったキンさんが、マリアが「私たち全員でこの人を殺したのよ」って言うけど、ワタシ全然悪くないって思ってた、って言ってたのがものすごくおもしろかったんだけれど(すみませんレポ禁なんだけどもっとヤバい話は黙ってるんでここは許してください)、確かに彼女からしたらトニーって悪いヤツでチノが復讐するのも当然で、そりゃ血で血を洗う復讐にゴールなんかないし虚しいとか良くないことだと頭ではわかるかもしれないけれどその責任の一端が自分にあるなんて思えない、ってのは残念ながらすごくリアルな感情なんじゃないかなと思うんですよね。彼女たちからしたら敵方のトニーと恋に落ちたマリアの方が悪いし、理解不能なんでしょう。
 でも、ヴェルマにはマリアの叫びが届いたと思います。あまつさえマリアはリフの名を挙げましたからね。「私たち全員でこの人を殺したのよ。兄を、リフを!」と。恋人を殺されたという点でヴェルマもアニータもマリアも同じです。でもそれは殺した相手が悪いというよりは、憎み合い殺し合うことしかできなかった男たちの愚かさが悪かったのだろうし、彼女たちは聡明ですから三人ともそのことがわかっていたことでしょう。だから相手を憎むとか恨むとかより、ただただもうすべてが虚しかったに違いありません。
 そしてビッグディール。「もうこれ以上は…」とアクションを一度は止めかけた彼もまた、結局は流されてしまいました。彼がトニーの葬列に加わらないのは、当初は呆然としすぎていたためかとも思いましたが、その後ちゃんと反応するくだりがあって、そして彼はそこに残ることを選んで立ち尽くしているんですよね。彼には思うところがあって、単純に改悛し葬列に加わりそれですべてをなかったことにする、みたいな安易なことができなかったんだと思うのです。彼は違う責任の取り方を自らに課したのでしょう。それくらい、リフを、トニーを、愛していたのだと思います。そんなビッグディールに、最後の最後にヴェルマがすがりついて泣く。彼が彼女の身体に腕を回すように上げるうちに、幕…
 シャークス側にも葬列に加わらず残っている男たちが何人かいます。それはひとつになって、後悔して、謝罪して、ハイ手打ち、ハイ平和、なんてありえない、そういうことを表しているようにも思えます。そして女たちはマリア以外はみんな残っています。それもまた何かを表していると思うのです。もしかしたらここで女たちが、もう愚かな男たちの争いごとなんかにつきあわない、って宣言して離反してしまえば、また違うかもしれないのです。でもマリアはすでについていってしまっている。そこにもまた断絶があるのです。
 カテコでゆりかちゃんは愛と平和を訴えていましたが、平和は結果的に訪れるもので、まずは愛と理解と寛容が求められるのかな、とか私は思いました。でも、ことがここまで至らないとそれがわからない人もいるし、ことここに至ってもわからない人がいる、ということを見せつけて、この舞台は終わります。なんというシビアさ、なんというリアル。そして、それでも…と未来への希望を捨てられない私たち観客が残される。この舞台を観てこのメッセージを受け取って、さあどう生きる何をすると問われているのでした。
 だからこそフィナーレは必要で、ヴェルマが脱いだジャンパーを着てリフが袖を走って再び出てくるのだ、ってなプチ情報も私たちには必要なのです。ドラッグストア場面のあとハケてきたずんちゃんを愛ちゃんが袖で待っていて抱擁している、とかね。大事。でないと心が折れちゃう。
 あのしんどい本編のあとに晴れやかな笑顔でフィナーレを展開してくれる組子の底力ってすごいし、踊るベルナルドとアニータをジェッツもシャークスもなく盛り立てて騒ぐこの光景こそ「サムウェア」なんだと思えるし、明るい青空の下に笑顔で出てくるトニーの広げられた両腕と広い胸に希望を見られます。そしてみんなが手をつなぐ…その手を放さずにいれば、いつか、きっと。
 やっぱり、いい公演でした。いいお役でした。
 大空さんは結局観てくれたのかなあ、フェスタで宝塚に来ていたのになあ。スカステでのトークDXは『天河』公演中の収録でしたが、大空さんが『神土地』のコンスタンチンについて言及してくれたときの言葉が本当にツボでした。まあ宝塚歌劇によくありがちな、真面目でちょっと気弱で優しい、みたいなキャラクターなんだけれど、役を単にそういう類型的なものにしないで、その人が演じていてその人の個性がにじみ出ることでそのキャラクターが物語の中の男性像として魅力的になること、それができるのがいい男役だ、みたいなことを言っていて、宝塚歌劇の作品の中に「男」を求める姿勢が大空さんっぽいと思ったし、その文脈で贔屓の演技を褒めてくれたときにはもう膝を打ったものでした。そうよそうよそうなのよ、そういう役が似合いそうだし簡単にできちゃいそうに思われがちだったけれどそれを押してなおそれ以上の魅力があの役では出せていたと思うのよ、そこをわかってくれる人がいて嬉しい! さすが私の元贔屓!!(「元」なのかという突っ込みはナシで)
 そしてリフにもそれはあったと思いました。あっきーがやったからこその、単なるリフというキャラクターというだけではない男としての魅力が、あったと思うのです。
 あとは「正統派」という言葉もドンピシャで嬉しかったです。そういう意味ではこのふたりは、普段のテンションが低かったりガツガツっ気がマイナスだったりとかは似ているかもしれないけれど、大空さんはやっぱり正統派ではないところがよかった気もするのでそこは似ていなくて、そしてあっきーのその正統派っぶりってあっさり路線に乗っていたならまだしもことここに至っては要するに弱いってことだと捉えかねられないものなんだけれど、でもホントそうとしか言えない特徴だと思うので、ズバリ言ってもらえて本当に嬉しかったです。これはもう本当に、純然たるタイプの問題だと思います。
 思えば私がきちんと見てきた間だけでも、ゆるゆるとでも変化していて進化していて、日々本当に楽しそうだしあんなにぺらっぺらなのに強いし元気だし、いろいろ案じつつも安心して楽しんで応援できていることには感謝しかありません。パーティーも楽しかった!(笑)二度と着ないままに水玉ワンピをしまい込むことになろうとも、なんの悔いもございません。
 真冬の『不滅』の梅田も楽しかったけれど、今回の真夏の梅田もたいそう楽しかったです。仕事はめちゃくちゃ忙しい時期でしたが、台風などに邪魔されることもなく予定どおり通えて幸せでした。千秋楽出待ちに招集をかけてもらった集合日は行けなくて申し訳ありませんが、あの世界一カッコよかったフィンガースナップからの地面指差しを反芻して次の初日まで生きていきたいと思います。
 てか今からでも舞台写真くらい出してくれていいんですよ劇団…そこは交渉できたんじゃないの…?(ToT)スチールだって…主演ふたりが同じだから出さない宝塚ルールってだけで、そこは著作権は関係ないと思うんですよね。会販の写真めっちゃいいよ…? そりゃ舞台は生ものだし生が一番ですけれど、よすがってものも必要よ…? そのあたりだけが、残念だったでした。
 あとは、トニーとリフが同居することになった前後のいきさつとか、リフがヴェルマを口説いて口説いて口説き落としてつきあうことになったのかなとか、勝手スピンオフを脳内で創作してロスを慰めますね。下手なパートナーと仏頂面ででもキレッキレに踊るヴェルマに一目惚れして勝手にカットインして踊って怒られてひっぱたかれたところから始まるとかどうかな、とか。夜中に何かに手を伸ばして起きたトニーが隣のベッドでクースカ寝ているリフの平和な寝顔にイラッとして鼻つまんで起こしてそこから枕投げになって大騒ぎしてトニーママに叱られる一夜、とか。トニーの服を勝手に着てめっちゃ怒られるリフとか。お互いジーンズ取り違えて履きかけて「でっか!」「きっつ!」ってなってるふたりとか。リフの苦手なものをママの目を盗んで食べてあげるトニーとか。リフが端から散らかす部屋を片付けて回るトニーとか。…だんだん単なる中の人エピソードになってきた気もするけれど、そういうのです欲しいのは…ああ、一生妄想できるな(笑)。そんな作品を、本当にありがとうございました。





 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇宙組『ハッスルメイツ!』

2018年08月07日 | 観劇記/タイトルは行
 宝塚バウホール、2018年8月3日14時半。

 発足20年を迎えた宙組の軌跡を名曲や名場面を中心にショー形式で振り返りながら未来へとつないでいくライブ・パフォーマンス。作・演出/石田昌也、作曲・編曲/吉田優子。全2幕。

 『WSS』の休演日にしか行けないしな…となんとかチケットを確保したら、すっしぃさんゆりかちゃんきゃのんあきエビに愛ちゃんりおくんかなこまりなずんちゃん、あきもやなべさんからあーちゃんあたりまで、総勢15人以上?の観劇にぶち当たりまして、さながら宙組総見!と盛り上がりました。出演者ではあおいちゃんだけ、客席にいる組子でもすっしぃさんだけが発足時からの宙組メンバーですが、そらのトークにもあったように観客の方には長く観続けてきた人も多かったろうと思いますし、懐かしかったり改めて新鮮に感じたりと忙しくも楽しい時間、空間となりました。
 このタイミングに、こういう芸名でこういうポジションのショースターがいること…ミラクルですよねえ。というか、そらがなんでもできるって知っているつもりでしたけれど本当に本当に声が良くて歌が上手くて、今さらながらに仰天しました。現役ならだいもん、こっちゃん並みに歌手だよね。本公演のショーなんかでももっとバリバリ歌手として起用されていいのにな、なんで宙組のスター育成ってこう下手なんだろうな、というかチギちゃんみたいに早くに組替えさせてたら全然違ったんじゃないですかね…やっぱり宙組だと小柄なのがネック、ってなっちゃうじゃん。どうするつもりなんでしょうねえ…
 ともあれ、新公でもやったルキーニでの客席降りもちろん良かったし大漁ソーランも裸足のダンスもよかったけれど、とにかく本当に歌がいい、どの歌もいい、とにかく声がいい。踊りながら歌おうがまったく音程が揺るがずブレスもバタつかない。本当に耳福。そしてセンターで赤を着るハッタリ力(ハッタリ言うな)がある、素晴らしい主演でした。
 ヒロイン格はじゅっちゃんでした。いいんだけど、上手いんだけど、可愛いんだけど、個人的にはもうちょっと、振りだけでも、まいあと分け合う形にしてほしかったですよ…基本的には学年順に並ぶから、まいあいつも端か奥なんだもん…ソロももらっていたし素晴らしかったけどさ…まあまいあだとそら相手にはデカいのかもしれないけどさ…あと、ボヘミアン・ラプソディのあとにじゅっちゃんのたっぷりすぎるソロ場面があって何事!?とさすがに思ってしまったのですが、これはその前の場面のソルジャーの恋人としての場面で、つながっていたんですね…プログラムをきちんと読むまで気づきませんでしたよ…
 二番手格はもえこ。こちらもやっとハジけてきましたね。スタイル抜群なんだしこちらも歌唱力はあるんだからあとは押し出しだよね。そして三番手格にこってぃ、こちらも歌手ですね。あいかわらず美形とは言いがたい…と私は思っているのだけれど(すみません)、お化粧や見せ方次第だとも思うし、華はあるのでがんばっていただきたいです。
 あおいちゃんとまっぷーがしっかり固めて、せとぅーが頼れるのは知っていたんだけど、今回私が開眼したのがあいーりで、おへちゃに見えていたんですけれど(重ね重ねすみません)こうして並ぶと上級生娘役力を圧倒的に感じました。とにかく笑顔の作り方が可愛いの! 下級生の中では湖々さくらちゃんがやはり可愛くて(でも口元が気になった…歯かな?)、でもやっぱりお化粧なんかまだまだで、舞華みりあちゃんも花城さあやちゃんももっと自分を綺麗に見せられるはずで、でもあたりまえなんだけどまだまだ場数が足りなくて、それからしたらあいーりの洗練ってもう素晴らしかったです。
 そして頼れる、知ってた、なほまちゃんとなぎくんに、大汗かいて勉強中だねでもいいよがんばってるよ!ななつ颯都くんと亜音有星くん。そんな全16名が輝いていました。
 
 主題歌二曲のあとはもえこセンターの『Copacabana』から。『NW!宙』でもやったね懐かしいね!となりました。こってぃセンターの『ファントム』、あおいちゃんとまっぷーの『TOP HAT』、『雨唄』からの娘役全員で歌い継ぐ『エリザベート』の「私だけに」、男役が歌い継ぐ「最後のダンス」がとても良くて、そしてそらルキーニの「キッチュ」になる流れが素晴らしかったです。
 なのにそのあとは「パーシャルタイム監獄」という名のコントで、タカスペのパロディ場面かよって駄目ターイシ炸裂の寒い場面でしたが、出てくるお衣装やキャラクターは懐かしいしみんなが楽しそうだったのでまあいいです。女看守せとぅーがさすがすぎました。
 もえこホセとじゅっちゃんカルメンが残って何故か『テンプテーション』、アカペラの「アマポーラ」のあとはフィナーレで、ファンからのリクエストを募ったショー・メドレー。ミレチャレ、ダンフォユ、ファンサン、ナイガイ、フェニタカからホッタイと盛り上がりました。そして「明日へのエナジー」で1幕は終演。『天シト』大千秋楽でこれも見納めか…!と思っていましたが、再び聞けてやっぱり感動しました。
 2幕は大漁ソーランから。「宝塚行進曲」を経て和物メドレーとして『美生涯』や『維新回転・竜馬伝!』など。お芝居仕立ての雨の場面ではまっぷー神様?がしっかり美声を聞かせてくれて、青年そらとわんこなじゅっちゃんがキュートでお似合いでルリルリしてました。傘のダンスもとても良かったです。
 そして『ネバセイ』とそらの裸足のソロ・ダンス。からの何故『ガイズ』? しかも何故「私がベルなら」をあえて原曲で歌わせるの? 著作権の都合? もえことせとぅーってのも謎配役でしたし、ここはぽかんとした人も多かったのでは…
 ソルジャーと母と恋人、みたいな「ボヘミアン・ラプソディ」のあとは黒燕尾で「愛」、いいねー! そしてパレード、主題歌リプライズ、でした。冒頭のお衣装が全員色が違っていて賑やかで、それに娘役は黒のTシャツ重ねてきていて、これまたよかったです。

 客席降りではまいあがエビちゃんにハイタッチするのも眺められたし、ほまちゃんにあーちゃんやなべさんが手を伸ばして群がってたのも可愛かったし、まあ宝塚歌劇はある程度どの公演もそうかもしれませんがこういうファンしかいない公演っていいな、温かいなと思いました。下級生にもショー力が付くだろうし、有意義だったのではと思います。一番若い組だからというのもあるけれど、何かと手をかけてもらえていてありがたいねえ宙組。あとは生え抜きトップを生み出すのみだよね、それで初めて組として一人前なのかもしれませんね…ファン含め、みんなしてがんばり続けていくしかないですね。がんばるよハッスルするよ!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする