駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

メリッサ・マール『妖精の女王』(創元推理文庫)

2011年06月11日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 フェアリーを見る力を持つ少女アッシュリンは、彼らの不気味な世界など見えないふりをし続けてきた。ある日、人間の男の姿をまとったフェアリーに誘いをかけられるまでは…ロマンティック・ファンタジー。

 障害があるほどロマンスは燃え上がる、というのはもはや定説なわけで、現代のロマンス小説は、いかにその障害を設定するか、というアイディアにかかっているところがあると思います。
 私が最近愛読しているものとしては、ブックストアが云々かんぬん、というシリーズも、それがよくできているもののひとつ。
 ヒロインがサキュバスで、吸血鬼が糧として人間の生き血を必要とするように、男の精気というか、ぶっちゃけ男とセックスすることが必要な存在、として設定されている。
 だけどセックスすると相手の男からは精気を奪ってしまうので、下手をすると死に至らしめることもある。だから本当に好きな男とはセックスできない。なのにとある人間の男性を好きになってしまった…
 というこのジレンマ、障害の作り方は絶妙だと思います。
 現時点で、相手の男性はヒロインに貞節を貫いていますが(つまり性欲解消のためだけに他の女性とセックスする、というようなことはしていない)、ヒロインは何しろ生きる糧なので仕方なく、嫌々ではあるのですが、それでも他の男性とセックスはしている、というのがいかにも現代的だ、とも思います。
 ま、本当は義務でやるセックスは男にしろ女にしろ能動的だろうと受動的だろうとしんどいものなので、得だとかそういうことはないものだとは思いますけれどね。

 まあそれはともかく。
 で、ではこの作品ではその障害の設定がどうなっているかというと、これがまた実にうまくできているわけです。感心しました。

 フェアリーに関する設定はよくあるものというか、古くからの伝説その他で定義されているようなものをうまく使っています。
 サマークィーンとかウィンターキングとかハイコートとかとかとか…
 で、フェアリーを見る力を持つという以外はごくごく普通の人間の女性であるヒロインが、サマーキングに見初められる。
「きみこそサマークィーンだ」
 と言われて。当然相手は絶世の美男子、フェロモンたっぷり。
 しかしヒロインには友情以上恋人未満の関係を続けてきた人間の男性がいる。フェアリーに接近されたことを通して彼との距離も縮まり、とりあえずシリーズ第一作であるこの巻では、ヒロインは結局サマークィーンにはなるがサマーキングとは番にならず、人間の男性と恋人同士になる。
 サマークィーンになってウィンターコートと戦う、というフェアリーとしての義務は引き受けるが、人間としての暮らしも手放すつもりはなく、大変かもしれないがいいとこ取りをすることを決意して第一作は終わるワケです。
 すごいよなあ。
 もちろんサマーキングは苦渋の選択でヒロインの決心を了承するけれど、ヒロインへの恋心はあるわけで未練タラタラ。
 ヒロインもサマーキングに対して揺れる心がないわけではないわけで、物語としては本命の相手としてはこちらにも見える。
 つまり、究極の恋人を手に入れますか、その代わり人間やめますか、というジレンマ、障害の設定をしているわけです。
 さてさてはたして今後どう展開されていくのか、楽しみです。

 しかし縦書きでイタリック書体は読みづらいので考え直してほしいなあ…
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Kバレエカンパニー『ロミオとジュリエット』

2011年06月11日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 オーチャートボール、2011年6月4日ソワレ。

 ロミオ/熊川哲也、ジュリエット/ロベルタ・マルケス、マキューシオ/橋本直樹、ティボルト/遅沢佑介、ベンヴォーリオ/伊坂文月、ロザライン/浅川紫織、パリス/宮尾俊太郎、キャピュレット卿/スチュアート・キャシディ、乳母/前川真由子。
 原作/ウィリアム・シェークスピア、芸術監督・演出・振付/熊川哲也、音楽/セルゲイ・プロコフィエフ、舞台美術・衣装/ヨランダ・ソナベンド。指揮/井田勝大、演奏/シアターオーケストラトーキョー。
 全2幕。

 ロザラインって原作でもそもそもキャピュレットの女なんでしたっけ…
 ロミオあんたって人は…
 それはともかく熊川くんのロミオはまっすぐでキラキラしていて誰よりも高く飛んでくるくる回るはつらつとした青年で、ナイーブだったり神経質そうな感じはまったくない役作り、という感じでした。
 それはそれで好感。
 ジュリエットは小柄でザッツ少女で、そして女優でした!
 乳母相手にかくれんぼしたりする可愛らしさ、意に沿わぬ結婚相手を押し付けられて父親に反抗する気の強さ、といったものもあらわでしたが、なんと言ってもラストの霊廟で死んだロミオを見つけてからの嘆きっぷりがものすごかった…
 絶望のあまり、神もこの世もすべて呪って死んでいったように見えました。
 そしてそれが決して醜くなかった。それくらい彼女にとって、彼と彼女にとってこの恋が真剣で絶対で唯一のもので、なんとしてでも貫き通したかったものなのだ…というのが伝わってきました。
 暴走した若者の逆恨みとか、不愉快な身勝手さ、といったものはまったく感じなかった。
 感動し共感し同情し、気持ちよく泣いて終われました。
 両家の和解シーンも、恋人たちが天上で復活するくだりもなく、ただジュリエットがロミオの死体に覆いかぶさってこと切れる、刹那的と言っていい終わり方なのですが、余韻は残り、むしろすがすがしい…という不思議さ。
 とてもよかったです。

 乳母のハートフルでユーモラスなお芝居も印象深かったです。
 キャピュレット卿が娘につい手を上げてしまったとき、ジュリエットをかばって主人の前に立ちふさがる姿には、レミちゃんの歌声が聞こえましたよ…(ToT)

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