駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』

2011年10月29日 | 観劇記/タイトルか行
 東京宝塚劇場、2011年10月26日マチネ、28日マチネ。

 17世紀、フランスは冷酷無常な国王ルイ14世(音月桂)による絶対王政の下、民衆たちはその日のパンにも事欠く暮らしを余儀なくされていた。前国王ルイ13世に仕え「三銃士」と謳われた英雄、アトス(未涼亜希)、ポルトス(緒月遠麻)、アラミス(蓮城まこと)も今では銃士隊を去っていたが、彼らとともに戦ったダルタニアン(早霧せいな)だけは銃士体長として現国王に仕えていた。あるときルイはひとりの美しい娘、ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール(舞羽美海)に目を留める。彼女はアトスの弟ラウル(彩凪翔)の婚約者だったが…
 原作/アレクサンドル・デュマ、脚本・演出/児玉明子、作曲・編曲/玉麻尚一。

 大劇場版があまりの悪評(と言っていいのでしょう)を呼び、東宝公演では大きく改定されたという問題作。
 とはいえ私は東宝待ちだったので、大劇場版を観ていませんし、比較はできません。大劇場版は闇から闇へと葬られてしまうのでしょうか? 評価していた人も少なからずいたわけですし、いったん出したなら簡単に引っ込めるなよ情けない、と思わなくもありませんでしたが、一方で間に合う修正なら一刻も早く手を加えたほうがいいとも思っていたので、もあ致し方ない事態だったのかなとも思います。
 というわけで東宝版のみを観た感想ですが、私は普通におもしろく観ました。
 ただしもちろんつっこみどころはたくさんある。でもそんなのいつものことですし、ただの凡作になり下がってしまった、とかも思いませんでした。

 一番いいなと思った点は、ミュージカルらしいショーナンバーがあったこと。
 宝塚歌劇は海外ミュージカルに比べてどうしても「ただの歌入り芝居」になってしまうことが多いと私は思っていて(というかそういう意味ではまだまだミュージカルって日本に根付いていないのではないかとさえ思う。宝塚歌劇に限らず、日本オリジナル作品でよく出来たミュージカル作品ってぱっと思いつかない、ぶっちゃけ…)、それはやはり歌やダンスの入れ方がまだまだ下手なせいなのではないかと思っているのですが(主役カップルの恋愛感情を表現するような幻想的なソング&ダンスナンバーは宝塚歌劇はさすがにメソッドが出来ていてちゃんとしていると思うのですが)、今回の作品ではショーナンバーが良かったと思いました。
 唇の淑女の「ゴシップ、噂」の場面とか、「王は何でもお見通し」の場面ですね。
 児玉先生の留学の成果なのか、もともとセンスや才能があったのかはわかりませんが。
 ただし「努力しないで無銭飲食する方法」の場面は楽屋落ちとして下の下だと思ったし、地下牢獄の場面でも囚人たちによるナンバーがあったそうですが東宝でカットされたということはなんらかの問題があったということでしょうから、なんともほめづらいな…
 まあでもシリアスでロマンチックな物語だろうとストレート・プレイではない以上楽しいショーナンバーはミュージカルには必須だと思うので、とにかくその点は評価したいです。

 では順にねちねちと語らせていただきます(^^;)。

 プロローグ、まず冒頭のナレーションに引っかかりました。
 仮面の男の説明を客観的にする台詞なんだけれど、キムに語らせるとフィリップの台詞でもルイの台詞でもないんだからヘンじゃん…と思えてしまって。まっつないしコマ(つまりアトスかサンマール)にさせるべきだったのでは?
 主役の登場の仕方と、仮面のふたつの目の部分からヒロインと二番手が現れる演出は素敵だと思いました。
 その後の三銃士と闇の騎士たちの登場の仕方もかっこいいし、これがのちの「一大ページェント」のリブライズ(順が逆なので変な言い方ですが)となっているのも素敵でシビれました。いったいに素敵なプロローグだったと思う。
 しかしキムから歌い継ぐチギのマイク調整はどうにかならないの? いきなりずっこけましたがな。
 下手なのはまあがんばって上手くなってもらうしかないとして(ヒドいな…でも歌が課題なのは本当のことですよね)、せめて音量はマイクで上げてあげられるだろう。ミミちゃんの歌も弱くて残念でした。
 それで言うとキムの歌が上手いのは知っていたけれど、今までどうしてもハマコだのユミコだのばかりが朗々と歌い聞かせてきて、歌手としてのキムの起用って実はあまりなかったのではなかろうか。きりやんみたいな本当に歌が上手いタイプとはまた違うけれど、抜群の安定感と聞きやすさは武器だなーと思いました。他のトップさんはほら、みんな歌声に癖があるタイプだからさ((^^;)いやチエちゃんはそうでもないかな?)。

 続く第2場。
 時代背景を説明しよう、という意図はいいと思います。
 しかしまずその時代を日本でいうと水戸黄門の時代、とするのはアタマが悪すぎる。
 テレビドラマでおなじみの水戸黄門がフィクションのキャラクターではなく実在の人物だった、ということはおそらく多くの人が知っていると思います。
 しかし「先の副将軍」とは言われていますが、ではそのときの将軍は誰で第何代で西暦でいうと何年くらいの頃の人である、ということを知っている者がはたしてどれだけいると脚本家は思っているのでしょうか。
 少なくとも私は知りません。不勉強なだけだと言われても仕方ありませんが、とにかく考え落ちすぎるアイディアだと思います。
 フランスといえば有名なのはジャンヌ・ダルクとマリー・アントワネットで、今回のお話はその真ん中あたり、という説明はとてもいいと思いました。
 ただしアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という台詞は有名なエピソードとしていいとして、ルイ16世の「私は罪なくして死んでいく…」みたいな台詞は『ベルサイユのばら』の原作および宝塚歌劇版からきているわけですが、今この作品を観ている観客の全員が宝塚歌劇ファンとは限らないし、ファンでも『ベルぱら』を観たことがないとかこういう細かい台詞まではぴんとこない人なんてものはたくさんいるワケですよ。
 なのにこういうマニアックなパロディを嬉々としてやっている子供っぽさが本当に見苦しいと思いました。
 この場面、少なくとももっとシンプルにコンパクトにやって、浮いた3分でも5分でも芝居にまわしてほしいと思いました。

 第3場、4場はルイの女好きを表現する場面でしたが…
 下品なのにやや鼻白んだなあ。ショーならまだアリかなと思うんですけれどね。
 ルイは本当に悪役であるべきなので、あまり素敵なプレイボーイ、みたいに表現してしまうのも違うと思うんですけれど、もう少しやりようがなかったのかな、と思うわけです。悪役、敵役でも宝塚歌劇では演じるのはあたりまえですがタカラジェンヌであり、しかもこの場合はトップスターなワケですしね。
 少なくともここももっと短くすることは出来ますよね。
 あと、マントノン夫人(沙月愛奈)に関して「もうひとつの顔がある」みたいなことを言っていますがそれって結局なんのこと? ベッドではすごいとかそういうこと? よくわからなかったのは私だけ??

 第5場「ゴシップ、噂」は前述のとおりショーナンバーとしてよかったと思いました。
 ミレディ(舞咲りん)の顔の映像の使い方なんかもおもしろかったし。
 ルイーズの矢印は私は気になりませんでしたが(^^;)、もちろん不必要だったと思います。というかこのときのルイーズとラウルが別の時空にいるように舞台上で見えなかったことのほうが問題だと思いました。

 第6場の『H2$』パロディがいただけないのも前述のとおり。
 あと、三銃士たちが無銭飲食なんかするキャラでいいのかってこともあります。もちろんチャーミングに表現することも可能ではありますが、だったら堂々とツケで呑んでるんだっていいと思いますしね。ぶっちゃけ私はここはロシュフォール(大湖せしる)が正しいと思いました。アトスたちがやっていることは立派な犯罪です。
 ただしダルタニアンの登場の仕方は彼らの窮地を救うものとしてカッコいいし、二番手の登場の仕方としても印象的なので、そこはいいかなと思いました。
 でもその後の会話がなあ…贔屓組であれば「ル・サンク」買って脚本に赤字を入れるところですよ。
 まずダルタニアンが「血よりも主従」みたいなことを言うのがわかりづらい。ダルタニアンが三銃士と義兄弟の契りを交わしたような、かつては肉親以上の仲間だったが、今はその絆よりも仕えるべき主君の命令の方を大切にしている、みたいなことを言いたいのだと思うのですが、伝わりません。
 そのあとアトスだかポルトスだかが「自由より欲」みたいなことを言うのですがこれも抽象的で台詞として良くない。三銃士たちが自由でいたいとそれを選んだのならそれだって「欲」なんだから。
 そうではなくて、これは、かつて三銃士とダルタニアンはルイ13世に仕えたけれど、その後代替わりしたとき、三銃士たちは暴君のルイ14世に嫌々仕えるよりはむしろ浪人(って騎士でもいうのかな)することを選び、一方ダルタニアンは出世欲に駆られて居残ったのだ、というようなことが言いたいんでしょう? だからそれをもっとわかりやすく伝える台詞にしてください。

 第7場「ダルタニアンの歌」は、まあ歌はがんばってもらうことにして(しつこい)、気になったのはコンスタンス(愛加あゆ)は台詞だけでもよかったのではないのかな、デュエットするにしてももっとパートが少なくてもよかったかな、ということ。
 というのはその前にヒロインであるルイーズがほとんど全然歌っていないようなものだからです。スターシステムを取る宝塚歌劇の構造として、ちょっと私は引っかかりました。

 第8場「王は何でもお見通し」がショーナンバーとしていい、というのも前述のとおり。
 生き生きと悪役ルーヴォア(彩那音)を演じるヒロミが楽しそうでとてもよかったです。
 ルイが暴君であり国民から支持されていないこともきちんと表現されていていいと思いました。国王の座から引きずりおろされるのもやむなし、と見えないとまずいわけですからね。
 ところでミレディがラウルを逮捕するためにルーヴォアのペンダントを使って催眠術のようなものをかけているようですが、ラウルはそれであることないこと自白させられちゃう、みたいなくだりが必要ではないかなあ。単に捕縛するためだけなら殴って気絶させるだけでも捕まえられるでしょ。催眠術というならそれくらいやらないと。のちに「証拠がある」とかいう台詞がでてきますがそんなものあるわけがないはずで、だったらやっぱり嘘の自白くらいないとおかしいでしょう。
 ルイーズに侍女になるよう迫るルイのワル顔したキムはサイコーでした(^^)。

 修正されたというのは第9場の地下牢獄のくだりでしょうか。
 ここでほとんど初めて、物語の主人公であるフィリップ(音月桂の二役)が登場することになるわけで、はっきり言ってここまでもっともっと巻いてなるべく早く展開されるようにするべきですよね…
 ここではもちろんサンマール(沙央くらま)のコマがいい仕事しています。

 第10場「ラウルの手紙」で気になったのは、洗濯女が手紙の内容を読んでいたらなんだったんだということ。つまらないことですが。読み書きできたらどうだったっていうの? 読まれてまずい内容か?
 それから「先立つ不幸をお許しください」ってフレーズを実際に使う人はあまりいないのではないでしょうか…私はなんのギャグだと思いました。
 ところでラウルはアラミスと並び今回なかなかの儲け役だったと思うのですが、今上り調子でありスター性十分のナギショー、歌はがんばってもらうことにして(しつこい)、私は今回のビジュアルがやや残念だったと思っていて(ああいうヘアスタイルが好みねじゃないだけかもしれないのですが。そしてきんぐはビジュアルはとても素敵だったと思ったので、余計に)、もっと自分を美しく見せる技を磨いていってほしいなあと思いました。上背に恵まれている人ってそういうところがけっこうおろそかだったりするからさ…
 そしてこの場面でのまっつはよかったなあ、さすがだったなあ。なんということもない芝居をしているんですけれどね。でも能天気なポルトスや神の支えがあるアラミスと違って、現状を憂いしかしやさぐれることしか出来ないでいる知能派のアトスのくすぶり、苦悩…みたいなものがとてもよく表れていたと思いました。…贔屓しすぎ?(^^;)

 脱獄のくだりはランボーだがまあいいか(^^;)。
 でもその後の第11、12場ももう少していねいに台詞を書いてほしかったです。
 というのは、私がこの作品を嫌いじゃないのはこのもチーフが好きだからなのですね。王位、とは限らないけれど、あるポジションに着くことが期待されているあるいは決定しているのに、その才がない人の苦悩、とか、才があるのにポジションの方が回ってこない人の苦悩、とかがドラマのモチーフとして個人的にすごく好きなんですね。
 まあルイは自分に王たる才がないとか思っていないので苦悩もしていないわけですがそれはいいとして(^^;)フィリップとしては、助け出されたことはありがたいけれどルイと入れ替わってくれと言われてもそんな無茶な、と思うのは当然の流れですよね。
 それに対して三銃士たちももっと言葉を尽くして説得してほしいのです。というのは、今のままだと単なる私怨というか弟の復讐のためにやっているようにも見えてしまうから。ルイを罰したいというのはわかるけれど、それと一国の王を入れ替えていいかというのとは問題が違うでしょう? だから私怨だけでなく復讐だけでなく、国民のため国のため、あの王ではもうダメだから、君に代わってもらいたい、というようなことを語るぺきだと思うのですね。

 そもそも私はフィリップが双子の兄であり正統な王位継承者だったのに、弟ルイに王位を簒奪されていたようなものなんだから王位を取り戻すべきなのだ、というような理屈があるのかなと思っていたのですよ。
 けれどフランス王家の慣わしでは双子の場合は弟を跡継ぎとするんだそうですから、あくまでルイが正統な王なのであり、双子の兄だろうがなんだろうが普通にしたらフィリップの方が簒奪者ということになってしまうわけです。
 そこに正当性を持たせるためには、ルイが君主としてはダメダメであること、フィリップは優しく賢いのでちゃんとした教育を受ければもっとずっといい国王になるであろうこと、がきちんと表現される必要があると思うわけです。

 第12場はまさしく「フィリップの苦悩」というタイトルになっているのですが、ここでのアラミスとの会話も抽象的で理屈が通ってなくて疲れました…
 なんだっけ?「私はこう見えても神に仕える身を目指しているんですよ」だっけ? だからなんなんだ。アラミスがどう見えようがどうでもいいだろう。そのあとに「神は越えられない試練はお与えになりませんよ」とかなんとか、神に絡めてフィリップを励ます台詞でこの場面を閉めないと意味がないだろう。
 ここも変更されたくだりだと聞きますが、なので練れていないのでしょうか…

 第13場「一大ページェント」もショーナンバーとしておもしろかったです。
 大女優(晴華みどり)がミラーボールになっても別にいいと思いましたしね(^^;)。
 ただここで私がちょっと驚いたのは、ルイがフィリップの、というか仮面の男の存在を知っていたことでした。
 フィリップを王宮から離して育てたことはもちろん幼かったルイの与り知らぬところで、当時の国王と側近とがやった処置でしょうが、おそらくルイが成人するなり親政を始めたときに初めて聞かされたのでしょうね。
 で、そのままにしておいてはまずいとルイが判断し、コンスタンスを襲わせ、フィリップを捕らえて仮面を被せて牢に閉じ込めたのでしょう。
 のちにルーヴォアの台詞でそうした経緯も語られますが、私はずっと側近が勝手に良かれと思ってルイには何も知らせずにやっていて、ルイはフィリップの存在をまったく知らないということもありえるな、となんとなく思っていたので、ちょっと驚いたのでした。
 知っていたらむしろなんとかしてやりたいと思うのが人間の情だろう、と考えるから、ルイは何も知らなかったのだと思いたかったのかもしれませんが、でもルイは知ったからこそ捨て置けぬと追っ手を差し向けちゃうような極悪非道な人間だったってことですね。
 でもとにかく事前にサンマールとかルーヴォアを使って、仮面の男に関する命令はルイから直接出ているのだ、というようなことを出しておいてもよかったかなと思いました。
 入れ替わりは見事。
 そしてそのあとのアンヌ王太后(梨花ますみ)とフィリップとの会話もとてもよかった。泣かされました。母子ものというのはドラマの定番のひとつですが最近はあまり見ませんね。でもいいくだりだったなあ、こんないいシーンも書けるのになあ…

 第14場でやっとトップコンビ場面になります(^^;)。
 ところでルイーズのお衣装はもう一着作ってやってもよかったのでは…酒場の場面やルイに迫られる場面でピンクのドレスも着ていますが、最初と後半はずっとこのブルーのドレスでは? 侍女だから質素なのかもしれませんが、ルイはお気に入りの侍女にドレスくらいもっとたくさん与えたと思いますよ…
 ここでちょっと笑ったのはダルタニアンの「俺の目はごまかされないぞ!」発言。立ち聞きしてただけやん、とか思ってしまって。いや怪しいと思ったから立ち聞きしたんだよね、ごめんねダルタニアン(^^;)。

 で、ダルタニアンがルイ奪還に行くわけですが、第15,6場のつながりがよくわかりませんでした。
 つまりルイが助け出されて、フィリップが偽者の王だということがバレて、それでルイーズがフィリップをかばって王宮をともに脱出してくれて、その道行き…というのがあまり説明されていないので、状況が当初よくわからなかったのでした。
 影絵は…おもしろかったけれど、ま、長いかな。最初のいちゃいちゃアイテムとしてだけでもよかったかもしれません。
 というのは、その後のウサギと亀の童話が比喩として不発になってしまっているから。
 ルイーズは、王座に胡坐をかいて悪さばかりして王としての歩みを止めてしまったウサギのようなルイに対して、フィリップが王になるための努力をこつこつとたゆまず続けていくなら亀のようにウサギに勝てるよ、と言いたくてこの童話を選んだのでしょう?
 なのにそのあとのフィリップの台詞で「僕は歩みを止めてしまっていた」とか言わせちゃダメじゃん。じゃあこっちが休んで寝ていたウサギなの?って観客は混乱しちゃうでしょうが。ああアタマ悪い。

 第17場も変更されたそうですが、映像で疾走する馬を映すのはなかなかよかったのではないでしょうか。この手の場面では失笑ものの演出を他にもこれまでたくさん見てきましたからね…
 そして「ファイナル・バトル」。殺陣がなかなか激しくてカッコよくて、みんながんばっていましたねー。
 ツボだったのはサンマールがまったく戦闘に参加せず、指示出してにらみ利かせていてカッコよかったこと。悪役っぽいわー。
 そしてルーヴォアは小悪党っぽく自分から戦闘に参加しちゃうのもいい。
 ただしコンスタンスのペンダントに関する説明はクドい。観客はみんなもう十分わかっています、冗長です。
 どんでん返しも気持ちよく、マナハルの仮面の男(真那春人)の芝居も確かで、舞台としてもスリリングで楽しかったです。
 コンスタンスは帰らないけれど、ダルタニアンと三銃士はまた仲間に戻れました。
 これはフィリップが仮面を取って表舞台に出てくる物語ですが、やさぐれて人生の意義を見失っていた三銃士が再び仕えるべき主君を見つけ、その治世を助けるという使命、仕事を手に入れるまでの物語でもあるのです。
 ダルタニアンも、恋人の死の真相を探るためだけに生きてきたのが、仲間と人生を取り戻すことが出来たのです。すばらしい。
 ラストは主役カップルの愛の歌で幕、すばらしい。
 ただし紗幕だけ下ろして暗転、では次の場面が続くかもしれないと思ってしまって、観客は気持ちよく拍手できません。緞帳を下ろすべきです。

 あー疲れた長くなりました。
 でも生徒さんはみんな適材適所でかつ大熱演、がんばっていて観ていて気持ちがよかったです。
 東宝からの変更は大変だったと思いますが、がんばって乗り越えているのではないでしょうか。
 本当はなんのせいで変更に至ったのかは知りませんが、児玉先生も今後もがんばってください。
 でも生徒は演出家の道具ではないから。そういうことがしたいんだったら外部で自分でキャスト集めてください。宝塚歌劇の作品は組子を生かすために作られるのが当然です。そういう仕組みの劇団であり舞台なのです。どんな新しい試みもその枠の中でなされるべきです。生徒たちが清く正しく美しく、愛と夢と希望を届けるべく舞台に臨んでいる以上に、演出家にはその心構えが必要です。それは肝に銘じていただきたいです。

***

 ドリームステージ『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』は作・演出/斎藤吉正。
 初見時はあまりのきらびやかさにぎやかさに当てられてわはははーとなり、「今年のマイ・ベストショーだな!」と思いました。
 二度目に観たときの方が緩急がなく一本調子に見えて気になったかな。でも楽しい元気なショーでいいと思います。これももちろんまず演出家が楽しんでるやろ!とつっこめるタイプのものなのですが、ショーの場合はそれでいいんですよね(ということはこだまっちも一度ショーにトライしてみては…?)。

 まずもって冒頭の赤マントのハートのAあゆっちか可愛すぎる!
 あゆっちは一皮剥けましたよねー、キムとの映りもよさそうで、ちょっとミミちゃんが気の毒なくらいの上げっぷりだったなー。
 私は二番手娘役は確定していた方がいいしちゃんとした個性のある娘役さんがたくさんいたほうがいいと考えている人間ですが、今回は今さらだけれどミミちゃんのトップ娘役お披露目公演でもあるのでねえ…
 トップコンビが確定して数公演後だったら、「WESTERN-K」の場面とか、キムの相手がミミちゃんじゃないのもアリだと思うんだけど、今回に関しては工夫してあげてほしかったです。
 しかしあゆっちはマジシャンの場面のキューティーもよかったし人民戦士の場面の希望のアオザイもよかったし可愛かったわああああ。

 それから単なる退団オーラとか言いたくないけどカオリがどの場面も綺麗で可愛くて眼福だったわああああ。

 アリスMIMICHANGはとてもよかったです(^^)。
 せしるときんぐのドライバーとライダーの場面も短いけれどとても楽しかった。
 キタさんは猛獣使いが本当に楽しそうでよかった(^^)。
 GIの場面では、ヒロミにヒメを、カオリにコマを相手役として配する愛情がイイ。
 そしてまっつの歌はどこでも本当にすばらしい。
 インディアンのヤングトリオ銀橋もいい。あみちゃんはこういう形で使っていくのが正しいと思います。
 せしるの女役姿も美しい。どうなんだ。
 デュエットダンスのお衣装が変わったということですが、しかし「インディアン」という表記も問題だがそのコンセプトそのものも変わらなかったのですね…

 しかしとにかくおもしろすぎてネルソン衣装もファンサン衣装の使いまわしも意外に気になりませんでした。
 パレードの下り順は話題でしたが、カードの関係もあるし、舞台や銀橋での位置はいつもどおり…だったのではないのかな?
 あと雪組さんは歌える娘役さんも踊れる娘役さんも多くて、今さらですがショーが本当に楽しいなと思いました。
 個人的にあまりくわしくない組のはずなんだけれど、こんなにもスターがざくざくいるんだなあ!って気がしました。うん、楽しかった!!
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『ピアフ』

2011年10月27日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタークリエ、2011年10月27日マチネ。

 エディット・ピアフ、本名エディット・ガシオン(大竹しのぶ)はフランスの貧民街で生まれ、路上で歌いながら命をつないでいた。ある日、ナイトクラブのオーナー(辻萬長)がエディットに声をかける。「小さな雀」ピアフ、の愛称がついたエディットの愛の歌はたちまち評判になる。華やかで順風満帆に見えたピアフだが、私生活は孤独で切実に愛を求めていた。ピアフが見出し、愛を注ぎ、国民的歌手に育て上げたイヴ・モンタン(田代万里生)、シャルル・アズナブール(KENTARO)、ボクシング・チャンピオンのマルセル・セルダン(山口馬木也)、生涯最後の恋人となるテオ(碓井将大)…最愛の恋人を失ったときも、病が体と心を蝕んだときも、ピアフはマイクに向かい続けるが…
 作/パム・ジェムス、翻訳/常田景子、演出/栗山民也、音楽監督/甲斐正人。1978年イギリス初演、2008年改訂。

 「台本をいただいた時は正直、情報量が少なくてよく分かりませんでした」と語る出演者がいるとおり、ピアフのレパートリーが何十曲と歌われる中、短いエピソードがスピーディーにパタパタと展開され、ある程度史実を知らないと何が起きているのか誰が来て誰が去っていったのかそれは何故なのかよくわからないことも多く、観ていてやや疲れる作りの舞台でした。二幕はまだゆっくり芝居がなされる感じなのですが。
 それでも、やはり、泣かされました。
 才能にあふれ、けれど愛に恵まれず、もがいて苦しんで自分で自分を傷つけるようなことまでして、転落していく不幸な天才…というのは手垢のついたモチーフだと思います。必然的すぎる、あたりまえすぎる。
 だから私の涙腺が決壊したのはそういう部分に対してではなくて、二幕のラスト近く、テオとのデュエット(音が取れてなくて歌が下手なのはわざとなんだよね? ね?)「愛はなんの役に立つの」。
 これまで何度も何度も恋をしてきて、何度も何度も恋人に去られて傷ついて、それでも次の恋を見つけていったピアフが、
「あなたは私の最後の恋人」
 みたいなことを歌ったことです。
 今度ばかりは、自分の方が恋人を残して先に逝く、ということを、この時彼女はわかっていたのです。それくらい体調が悪く、見も心も病に折れそうになっていたにちがいない。まだまだ若いのに、これまで過酷な人生を生き抜いてきたというのに…
 なのに、自分の死期を予期してなお、恋人と愛の歌を歌うピアフは喜びに輝いて若く明るく見える。その明るさに、美しさに、泣けて泣けて仕方がありませんでした。
 そして畳み掛けるように、「愛の讃歌」の熱唱…卑怯すぎる。号泣でした。
「ステージで失敗することをいつも恐れている。でももっと怖いのはステージが上手くいったとき。終わらせたくなくなるから、終わったらまたひとりだから…」
 というような、なんともせつない台詞がありました。ピアフは天国に行ってやっと、好きなだけ歌い続けられたのでしょう。愛する人たちに囲まれて…

 大竹しのぶの「天国への階段」というCDを持っていますが、そしてこれはごく綺麗なソプラノで歌われているのですが、ミュージカルの舞台などでは歌が上手いと思ったことはないし、そもそも声が本当はあまり良くないのではないかとすら私は思っています。
 しかし今回はそれでも地声で力任せに歌う様子が本当にピアフのイメージをよく表現していて、功を奏していたと思いました。
 舞台にほとんど出ずっぱりで、ちょっと袖にはけてもすぐものすごい早変わりで出てくる。
 そして毎回こんな濃い人生を歌い生きる…こんな公演を日によっては二回、ほぼ毎日続けていくなんて、消耗するだろうなあ。役者ってすごいなあ…
 下品で露悪的な台詞もチャーミングに見せるところはさすがでした。

 タイトルロール以外は、キャストは何役もこなします。
 マレーネ・ディートリッヒとピアフの秘書マドレーヌを演じたサエちゃん(彩輝なお)、鮮やかでした! 男装の麗人姿も白いフルレングスのドレス姿も素敵、そしてすぐ早変わりでマドレーヌに変わってみせたこと! すばらしかったです。女優のサエちゃん、好きなんだなあ。
 シャルルの「忘れじのおもかげ」、田代くんを中心にカンパニーで歌う「Misericorde」もとても良かったです。
 実力派キャストが贅沢に使われた舞台でした。
コメント (1)
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入院日記

2011年10月26日 | 日記
 昨年暮れからナゾの腹痛に悩まされてきましたが、なんとこのたび人生初入院をしてしまいました…

 そもそもは去年の12月中旬、深夜と言うか朝方に腸がねじ切れるような痛みに飛び起きたこと。
 うんうん唸っていましたが一向に痛みは引かず、引っ越したばかりで近所の救急病院に心当たりもなかったので、人生初の救急車を呼んでしまいました。
 近所の救急センターもある某大学病院に運び込まれ、レントゲンなどの検査を受け、結果を待っているうちに、しかし痛みは徐々に引いていきました。
 で、レントゲンでも大腸にちょっとガスの偏りが見られるので、広い意味での便秘というか、それで腸が動いて痛みが感じられたのではないか、というような診断でした。
 私は便通は毎日あるわけではないのですが、数日おきでも自分では詰まっているとかでなくて苦しいと感じたことはなく、これが自分のペースで自分では便秘だと思ったことはなかったので、ちょっと首をかしげたのですが、痛みも引いたこと出しまあいいか、と朝方帰宅しました。

 そのきっかり二週間後、やはり朝方にまた同じような痛みで目が覚めました。
 しかしこのときは、我慢していれば2,3時間で痛みは引くと学習していたので、病院にもいかずにそのままじっとしていました。
 で、痛みは引いて、寝なおしたわけですが、やはりこうも続くのではなんかおかしいんだろうな、と思いました。

 なので春になってからですが、以前に喉の嚢包のことでかかったことのあるやはり大きな病院に行ってみて相談し、婦人科の検査や大腸カメラ検査を受けました。
 しかしこのときもさしたる異常はなく、その後も痛みはずっと出ていなかったので、じゃあまあいいか、と一応安心することにしておいたのでした。

 ところが七月になって、またも深夜に痛みが出ました。
 しかもこのときは痛みが全然引きませんでした。なので朝方まで我慢して、最初の病院の救急に行きました。
 またまたレントゲンだのCTだのの検査に行くのに、私があまりに痛がるものだから、ついに車椅子で運ばれました…人生初車椅子でした。
 さらに痛み止めを点滴で入れたので、人生初点滴…
 このときは本来なら小腸には見られないはずのガスがレントゲンで見えたとのことで、やはり腸の動きによる痛みだろう、と診断されました。
 しかしこの痛みはその後もずっと場所を変えながら頻発し、薬をもらっても鈍痛としてずっと続きました。
 外来でMRI検査や再度の大腸カメラ検査、胃カメラ検査などにかかっているうちにやっと一月ほどで痛みはなくなりましたが、結果はやはり異常なし。
 血液検査に炎症反応が見られるものの、下痢もしていないし発熱もしていないので症状とは合わず、原因不明のままでした。
 で、この次に痛みが出たらもう検査入院してもらうしかないね、と言われてはいました。
 なので心の準備はできていたのです、一応。
 両親にも職場にも報告していましたしね。

 8月には人間ドックがあり、ひととおり診てもらいましたがやはり異常なし。
 二年ほど前から胆石の所見は出ていたのですが、小さいし、油っぽい食事を控えるよう意識する程度でいいでしょう、とのことでした。

 9月の末になって、今度は明らかに腸というより胃が痛いというか重く、鈍く痛むように感じられるようになりました。
 食べても食べなくても鈍痛がある。吐いたり下したりはしない、ただ重くじんわり痛い。
 なので、今度は会社の近くの消化器内科クリニックにかかってみました。胃カメラの評判が良かったからです。
 もらった薬を飲んだら痛みは治まり、胃カメラの結果も異常はなく、流行の逆流性食道炎だろうから薬は飲み続けてみたら、みたいなことを言われて帰社し、そのまま普通に数時間働きました。
 で、夜に急に具合が悪くなりました。
 職場のデスクを抜け出して休憩室で横になっていたのですが、ついにトイレで吐きました。
 クリニックがまだ開いている時間だったので、歩いて数分なので携帯と財布だけ持って向かったのですが、吐いて脱水症状を起こしていたのかフラフラでした。
 病院に着いたときには吐き気のほかに激しい腹痛も起きていて、血管が締まってしまって点滴も打てないということだったので、またしても救急車が呼ばれてしまいました。

 で、またもさる某大学病院の救命救急センターに運ばれてしまいました。
 痛みに転げまわりながらも、医者とか看護師とかが五人も六人もストレッチャーの周りを囲んであれこれ作業してくれるのを見て
「わー医療ドラマみたい」
 とか思ったりもしました。

 実家は神奈川県なので、同じく東京でひとり暮らしをしている親友と、何かあったときにはパジャマと下着を持って駆けつける役をお互いにしようね、と約束していたのですが、救命救急だったからか肉親にしか連絡を取ってくれませんでした。
 なのですでに21時を回っていたかと思いますが、両親が呼び出されたのでした。
 何も言わないまま職場を抜け出してきてしまい、そしてとても一泊では帰れない雰囲気があったので、それだけ電話してもらいました。
 この救命救急センターは病院のICU(集中治療室)も兼ねていることもあり、病院は職場への電話で
「救急車で運ばれてICUで治療中」
 とだけ伝えたようです。それ以上の安否はプライバシー保護の問題もあって言えなかったようなので、職場の方ではややパニックになったそうでした。
 職場においてきた手帳や鞄、携帯充電コードなどを気の利く後輩が届けてくれたのですが、面会は肉親のみで預けただけ。これは心配かけましたよね…
 親への電話でも、電話ではくわしいことは言えないと言われ、ただ意識はあるとだけ伝えられたそうでした。
 23時過ぎに両親が到着し、まだ原因がわからないのでどんな痛み止めを使っていいかもわからず生理食塩水の点滴だけで痛みに唸っている状態で会いました。
 こんな時間じゃ帰宅するのに終電逃しちゃうよ、私のマンションに泊まっていったら…みたいなことを必死で言った覚えがあります。
 結局この夜は痛みでほとんど眠れないうちに明けて、朝方やっととろとろしたかなあ、という感じでした。
 ただしもう四半世紀使っているハードコンタクトレンズを入れたままだったので、両親がマンションから眼鏡を持ってきてくれるまでは熟睡しちゃうとまずいかも…みたいなことを心配していたので、そのせいもあって眠れなかったのかもしれません。

 血液検査では肝機能の数値が跳ね上がっていて、でもエコーだのCTだのMRIだのをやっていってもなかなか原因がわかりませんでした。胆嚢が丸々と腫れていたので胆嚢炎という所見がとりあえず出ました。
 次の夜には、運び込まれたベッドがエアマットでやわらかすぎて腰が痛くなり、眠れませんでした。入院ってこんなに大変なんだ、寝たきりってこんなにつらいんだ(トイレには車椅子ないしもう歩いて行っていましたが)、とすっかり疲れてしまいました。
 しかしこれは硬い普通のマットレスのベッドに変えてもらったところすぐに解消し、三日目の夜には普通に熟睡していました。私って図太いな、意外に元気で健康なんだな、と我ながら感心しました(^^;)。
 このころには点滴が効いて痛みが取れており、かなり楽になっていました。部屋も救命救急センターの中では緊急度が低いのであろう部屋に移り、絶食にもかかわらず日に三度歯磨きさせられるのは何故だろうとか思いつつ、あれこれ検査に担ぎ出されるので退屈する暇もなく過ぎていました。
 入院翌日の昼には廊下でメールをさせてもらえたので、職場や仕事の担当先、週末に会う予定のあった友人知人にひととおりの連絡もすませました。
 ただしベッドの周りは機械だらけで、自分も心電図だの血中酸素だのなんだののコードにつながれていたので、電波はやはりあまりよくない気がする、と携帯はほとんど使わないでいました。
 
 仕事を押し付けてしまうとあきらめがついて、わりとのんびりまな板の上の鯉状態になりました。
 やはり非日常すぎるというのか、食べていないのが効いているのか脳内スピードというか考えるスピードが落ちていて、難しいことが考えられないのですね。だから逆にくよくよ考えたり退屈したりすることもなく、まったりとすごしていました。
 両親は最初の三日は毎日来てくれて、下着だパジャマだ歯ブラシだと運んでくれました。逆に言うとそれくらいで身の回りのものは十分だったなあ。

 連休もあったので、五日たってやっと一般病棟に移りました。
 このときはかなり黄疸が出ていたらしく(自分では顔色が悪いなとは思っても黄色いなとは思わなかったのですが)、黄疸は症状が進んで敗血症を起こしたら致死率は五割だというので、ますますおとなしくしていよう、と神妙になりました。
 一般病棟に移って二度目のエコー検査をすると、結石と詰まって太くなった胆管がバッチリ映りました。やっと原因が判明した瞬間でした。

 というワケで、その翌々日には内視鏡でこの結石を取ることになりました。特殊な胃カメラみたいなものの先から針金みたいなものが出る仕組みになっていて、それで詰まっているところに切りこみを入れて結石が出るようにする、というのですね。
 処置は寝ている間に終わりました。ただし黄疸を治めるために胆汁を体外に出す管を喉を通って鼻から出すのですが、その作業がつらく、それも寝ている間にやっておいてくれたらよかったのに~(><)という感じでした。
 この管のせいもあり、その翌日くらいから始まった食事は本当に液体のみの流動食からでした。それでも10日ぶりくらいに何かを食道とか胃とかに入れることになるので、なんかものすごく慎重にゆっくり飲み下したことを覚えています。
 食事は徐々に三分粥、五分粥と進化していきましたが、おかずのほうは最後まで肝機能が悪い人向けの油っけのないものばかりで、さびしかったなあ…

 鼻の管は五日ほどして外してもらい、やっとお見舞いが受けられる体になりました。
 また点滴スタンドがお友達でしたが、足腰もしっかりしていてどこへでもスタスタ歩いていましたし、入浴許可が出なくて看護師さんに二度ほど洗髪してもらっただけで全体に薄汚れている意外はかなり元気でした。
 持ってきてもらった本も読んでいたし、一般病棟に移ってからはこっそり携帯もいじれていたし、かなり精神状態が復活していた感じでした。
 お見舞いに来てくれた職場のメンバーはもっと枕も上がらぬような態を想像していたらしく、驚いていましたが…(^^;)

 このころには、血液検査で肝機能の数値が正常に戻れば2週間目くらいでの退院が見える、と言われていたのですが、これがなかなか下がらず、最後はかなりイライラさせられました。
 点滴も取れて入浴許可が出て患者というよりは旅館の泊まり客みたいで、なのに読む本がなくなりすることがなくなりイライラする…みたいな。
 見かねたのか週末には外出許可が出てので、マンションに一時帰宅しました。
 届いていた郵便や宅配便を片付けたり、タカラツガスカイステージの録画予約をしたりできたので、かなり気が済みました。
 で、数値が完全には正常ではないものの下がり気味である、ということで、やっと退院許可が出ました。
 19泊20日の長旅でした…

 胆管結石は取れたものの胆石はまだいくつか胆嚢にあって、胆嚢炎が慢性化する前に胆嚢を取ってしまった方がいいと言われていて(胆嚢とは胆汁を貯めておくだけの袋で、盲腸のように取ってしまっても問題ない器官なんだそうです)、12月には外科に再入院して処置してもらう予定なのですが、そちらは順調に行けば3泊4日ですむということですし、準備と心構えができていくので小旅行みたいなものです。
 再入院までは肝機能を助ける薬を飲み続け、禁酒と粗食を心がけること、と言われています。

 そんなこんなで10月はほとんど働いていません(^^;)。有休がたくさん取ってあってよかったよ!

 とにかく40数年間どちらかというと無事故無違反できたので…と書きかけて思いましたが、そういえば私は小さいころは体が弱い子供だったのでした。
 レントゲンで心臓だか肺だかに影が映るとか言われていて、毎月血液検査とレントゲンに通っていたし、体育の授業ではマラソンとプールはお休みしていました。
 しかし基本的には症状は特になく、おてんばな子供で普通に遊んで駆け回っていましたね…そして検査もいつの間にかなし崩しになり、小学校高学年で水泳も始めたんじゃなかったかな。
 それ以来は病気知らず、病院かからずできていたわけですが、まあいい勉強になりました。
 大部屋でお互いの病状が筒抜けのような環境でも平気でいられる図太さを発見したりとか、身の回りのものも最低限のものがあれば全然平気でいられることがわかったりとか、基本的にはベッドの上で暮らしていてもそんなに簡単に足腰がなまるような歳でなくてよかったなと思ったこととか…
 いずれ両親が老齢で病院のお世話になることがあったりしたときの心構えができたり、とか。
 仕事も趣味も大事だけれど、やはり健康あってのもので、そのためには断念できないものはないんだ、ということがわかったりとか。
 そんな経験が積めた、今回の体験なのでした…

 セカンドオピニオンとか言いますが、実質的には四軒目の病院でやっと原因がわかって処置もしてもらえて助かりました。
 来年の箱根駅伝はこの大学を応援せんといかんと思っております(^^;)。




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鈴木おさむ『芸人交換日記』(太田出版)

2011年10月25日 | 乱読記/書名か行
 結成11年目、いまだ鳴かず飛ばずの漫才コンビ「イエローハーツ」。これまでコンビの今後について真剣に話すことを避けてきたふたりも、気がつけば30歳。なんとかして変わりたい、そう思ったふたりは「交換日記」を使ってコミュニケーションを取り始めるが…

 泣きはしませんでしたがほっこりじんわりしました。
 よくできている。オチもいいと私は思う。
 もちろん田中派です。

 しかし甲本は家族や相方のために夢をあきらめたのではないと思う。
 単に彼には「夢を諦める才能」がちゃんとあったから、だからやめられたのだと思う。誰のためということではなく、何よりも自分のために…

 それにしても「夢を諦める才能」とはすごい言葉だなあ。
 才能だけで勝負する世界というのは本当に恐ろしい。
 そういう業界のひとつに長く勤めた人でないと書けない作品だと思いました。

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池井戸潤『下町ロケット』(小学館)

2011年10月25日 | 乱読記/書名さ行
 佃航平は宇宙工学研究の道をあきらめ、東京都大田区にある実家の佃製作所を継いでいたが、突然の取引停止、さらに特許侵害の疑いで訴えられるなど、大企業に翻弄され、会社は倒産の危機に瀕していた。一方、政府から大型ロケットの製造開発を委託されていた帝国重工では、百億円を投じて新型水素エンジンを開発。しかし、世界最先端の技術だと自負していたバルブシステムは、すでに佃製作所により特許が出願されていた。宇宙開発グループ部長の財前道生は佃製作所の経営が窮地に陥っていることを知り、特許を20億円で譲ってほしいと申し出るが…
 今年の直木賞受賞作。

 エンターテインメント企業小説としても、金融小説としても、よくできているし、おもしろく読みました。
 パンチに欠けるかもしれませんが、手堅いし、受賞作としても問題ないのではないでしょうか。
 一部には「震災によるご祝儀受賞だ」みたいな声もあったそうですが…

 ただ、もうひとつ押せたな、と思うのは、夢や仕事と同じくらい人生に不可欠であるはずの家族のドラマがない部分。
 というかぶっちゃけ女性キャラクターが描けていない、というかほとんど出ていない部分について、です。

 WOWOWのドラマでは協力してくれる敏腕弁護士が女性キャラクターに変更されたようですが、それだけでは生ぬるい。
 主人公はバツイチなのに、元妻とも娘ともドラマがないなんてありえないはずです。なのにスルーですもんね。
 まず、キャリア志向の女性だからって年頃の娘を夫の元に置いてくるなんてありえないと思う。たとえば娘が父親を選んだ、というのならわかるけれど。
 それでいて難しい年頃になると父親とは口も利かなくなり、母親に恋愛相談していたりとか、万引きで捕まるとかさ、何かドラマがあってもいいはずですよね。
 そういう厚みがない。
 ただただ男たちが仕事に汲々しているだけってのは、社会はドラマとしてもやはり一面的過ぎると思います。

 女性研究者は現実にまだまだ数が少ないので、主人公の小さな会社に影も形も見えないのは不思議ではないかもしれない。
 しかし唯一ある女性社員の描写が、先代社長のころから総務にいる「オバサン社員」だというのですが、これがまったくもっていただけない。
 たとえば著者は自分が「オジサン作家」と表現されたとしたらどう思うのか、何を指しているのだと考えるのか? 本当に問い質したいよ。
 この点に関してはやかましいと言われようがなんだろうが、もの申しておきたいと思います。
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