駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

モダンスイマーズ『雨とベンツと国道と私』

2024年06月30日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京芸術劇場シアターイースト、2024年6月26日19時。

 コロナの影響で心身ともに病んでいた五味栞(山中志歩)は、知人の才谷敦子(小林さやか)の提案で、彼女の自主映画製作を手伝うため群馬へと誘われる。そこには、かつて五味が参加していた撮影現場で罵声や怒号を日常的に役者やスタッフに放っていた監督・坂根真一(小椋毅)の姿があった。しかし彼は名前を変え、別人のように温厚な振る舞いで監督をしていて…
 作・演出/蓬莱竜太。劇団結成25周年の新作、全1幕。

 前作『だからビリーは東京で』は観ていて、すごくよかったので今回も気になっていたのですが、仕事が忙しくて見送ろうかな…と日和っていたところ、友達にすごくよかった!と勧められたので急遽駆け込んできました。口コミで後半日程は完売したそうですね、良きことです。
 真ん中に背もたれのない椅子が置かれているだけの、ほぼ何もない舞台。よく見ると両脇に椅子の列があって、その後出てきた役者たちは、舞台中央で芝居をしていないときはそこに座っていたり、次の場面に出るために着替えをしたり小道具の準備をしたりします。真ん中の空間にはときどき机が出る他はほぼ物が増えないのですが、照明などの効果もあって、ほぼ自在に撮影現場や映画館や車内になるのでした。演劇の魔法がまさしくそこにありました。
 冒頭、栞が出てきて、ややたどたどしい口調で「私の話をします」みたいなことを語り始めます。彼女は本当に栞そのものにしか見えないのだけれど、きっと中の女優さんの素顔はもっと全然違うんだろうな、とか思いました。なんというか、それくらい、怖いくらい、みんなそれっぽかったのです。これは前回の観劇でも感じたことですが…役者はまさしく千の顔を持つ。ここにも演劇の魔法があるのでした。
 さて、なので栞が語り始め、壁に彼女の名前が大写しになるので、彼女が物語の主人公なのであり、タイトルの「私」というのは彼女のことなのかな、と思わせられます。しかしその後、彼女に手伝いを頼んだ敦子もまた彼女の話を語り始めて、彼女の名前も壁に出ますし、その映画の監督をしている坂根の名前も壁に出ます。彼は貰い物のベンツに乗っていました。敦子はかつて、夫とともに国道を散歩していました。栞は雨の中、確かに初恋を感じていました。「雨とベンツと国道」とはこの三人を指しているのであり、では「私」はといえば、つまりは観客ひとりひとりのことなのでしょう。みんな、何かを失ったり、何かに傷ついたりしながら、今なお続くコロナ渦中の現在を生きている人間だからです。これは私たちの物語なのでした。
 私はおそらく未だにコロナに罹患したことがなく、なんとか心身ともに健康でいられて、栞のような創作現場にいたこともあり、似たようなパワハラ、セクハラに遭ったり目撃したりしてきたけれど、彼女のようにここまでひどく追いつめられたことは幸いにしてありません。芝居を観ていて、坂根監督の言う極端な二元論に私は脳内で反論できます。「真剣だからこそちょっとくらいキツいことを言われても耐えてがんばっていいものを作る方がいいのか、みんなで仲良く気を遣い合って優しくぬるま湯に浸かって中途半端なものしか作れない方がいいのか」みたいな、しょうもない二択です。私はその二択の立て方自体が間違っている、と言えます。みんなが健康で安全で安心して打ち込めて、それでいいものができる、という道が必ずある、と言えます。というかあることを知っている、信じている、と言ってもいい。
 でもそういう経験や信念がないと、あるいは経験がなくても信念や理想を信じられるようなある種の図太さがないと、生真面目に受け止めすぎて追い込まれてしまう人がいる…というのも、すごくわかります。配られたブログラムには「一部、恫喝や暴力の表現があります」とごく小さくアナウンスされていますが、観ていてダメな人はこれは全然ダメでしょう、とヒヤヒヤしました。抽象化され様式化されていたけれど、それでもリアルでシビアで、トラウマが蘇っちゃう人は多いんじゃないかな、と思ったのです。別に撮影現場でなくても、どこでもこうしたことは蔓延している、それこそコロナ以上に…と改めて思わされました。誰もが身に覚えがある、そういう意味でもまごうかたなき現代劇です。
 こうしたハラスメントの顕在化とか、コンプライアンス遵守の徹底が叫ばれ出したのは、たまたまコロナ禍と軌を一にしていただけであって、感染症との直接の関係性はないのでしょう。ただ、栞はコロナに感染したこともあって、心身ともにダウンしてしまった…
 栞に対しての坂根、が置かれているだけでなく、彼らとは直接関係がないような、あるいは彼らと三角形を描くようにやや離れて、敦子の物語が置かれているのがまたとても深いですよね。彼女はコロナで夫(古山憲太郎)を亡くしました。喘息の既往症があったものの、基本的には健康な壮年の男性が、あっという間に感染して、家族の見舞いも受けられずにあっけなく死んだのです。忘れていたけれど、今でも目を背けがちだけれど、コロナってそういう病気です。報道されていないだけで、今でも人はバンバン死んでいます。田舎暮らしを始めたり、野菜作りを始めたり、子供を持つか真剣に悩んだり、人生のプランがいろいろあった敦子は、配偶者の突然の死というある種の運命の暴力によって、立ち止まらせられ、呆然とさせられ、それで再出発のために自主映画の製作を始めたのでした。それで坂根に監督を依頼し、手伝いに栞を呼んだ…
 私は映画にはくわしくないけれど、映画は監督のものだ、とはよく言われますよね。でも物語の根幹は脚本にあるだろう、ということもよくわかります。しょーもない脚本はどうやっても素敵には撮れない。敦子は素人です。けれど夫の物語を書かないではいられなかった。再出発したかった坂根は名前を変えてでも、しょーもない脚本でも、もう一度映画が作りたかった。でも…やはりカタストロフは訪れてしまうのでした。
 前作で役者としてデビュー?した凛太郎(名村辰)が、ほぼ演技の経験のがないようながらも敦子の夫を演じる役者として登場しているところが、ミソです。そして彼は暴言や暴力というものにほぼ絶対的に否定的な人間でした。演技はアレでも良識はちゃんとしているのです。もちろん彼には彼の物語があるのだけれど、今回はそこはピックアップされていません。
 同様に助監督の山口(津村知与支)にも彼の物語があって、彼が圭(生越千晴)に好かれていると思い込むところとか、ホント男子あるあるで笑っちゃったんですけれど、彼だって栞と同じくらいトラウマになっていいくらいに坂根に痛めつけられているはずなのに、彼は呼ばれたらまた行っちゃうんですよね…でも暴言の録音はしている。このホモソーシャルの害悪、マジでヤバい…そういうこともあぶり出される物語です。
 ユーモアは確かにある舞台で、客席からもよく笑いが沸いていましたが、それはパワハラやセクハラを容認しての笑いではなかったと私は感じました。だから私は嫌な感じは受けませんでした。問題がちゃんとわかっていて、でもこういうしょーもなさってホントある、とついしょーもなく笑っちゃう感じで沸いた笑いに思えました。でもこのあたりは、もしかしたら回によって、観客によって違ったかもしれませんね。そこは笑っていいところではない!ってところで無神経な観客から無邪気な笑いが起きて、別の観客の繊細なハートが傷つくような回もあったのかもしれません。
 ゴールも、解決策も、正解もない作品だったと思います。ラストの栞の叫びは、確かに当人が言うとおり、ハラスメントの一種だったのかもしれません。真剣なら許される、とか正しければ許される、ということはない。怒号はそれだけで暴力であり犯罪です。でも、栞の意図が、真意が、真剣さが、誠実さが、欲していることが、求めていることが凛太郎に伝わっているなら、彼は特に傷つくことなく、とりあえず素直に走り出せて、もしかしていい絵が撮れているのかもしれません。脚本がしょうもなくても、映画としては駄作でも、敦子はそれで救われるのかもしれません。坂根は今度こそ少しだけ変われて、再出発できるのかもしれません。凛太郎は役者として一歩前進できるのかもしれません。山口はどうだろう…そして圭は、今はどこかで元気になっていて、幸せに暮らしてくれているといいな、と祈らないではいられません。でもみんなが回復し乗り越え元気で幸福でいられている、なんてそれこそ幻想なのでしょう。だから彼女のその後の姿はこの物語には出てこない。そういうほの暗さもある舞台でした。まさしく現代劇、だと思いました。
 人は何故物語るのでしょう。物語を必要とし、創作しないではいられないのでしょう。物語ることでしか得られないものとはなんなのでしょう。大事なのは、命であり、その生き様、人生です。物語の、創作の力を借りて、それが少しでも明るく輝くとか、楽になるとか、幸福に近づけるとかがあると、いいんだろうな、など考えました。「人は本当に変われるのか」、進化し、前進し、滅亡から逃れられることができるのか…そういうことを考え続けていこうとする、舞台だったように思いました。










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宝塚歌劇月組『Eternal Voice/Grande TAKARAZUKA110!』

2024年06月28日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2024年4月5日13時。
 東京宝塚劇場、6月13日15時半(新公)、25日18時。

 ヴィクトリア女王統治下のイギリス。考古学者のユリウス(月城かなと)は、古美術商を営む叔父ジェームズ(凛城きら)に頼まれてアンティークハンターとして各地を飛び回る生活を送っていた。ある日、エディバラの鑑定即売会を訪れていたユリウスは、ひとりの男からスコットランド女王メアリー・スチュアート(白河りり)の遺品とされる首飾りを見せられ…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/玉麻尚一。月組トップコンビの退団公演となるミュージカル・ロマン。

 マイ初日雑感はこちら
 結局その後、東京では新公を先に観ることになってしまい、どれが誰の役だっけ、とか点呼しているうちにあっもうオチ?てかじゃあさっきのくだりがクライマックスだったってこと??と新鮮に驚いてしまい、そのあと観た本公演ではもっとおちついて観たつもりでしたが、しかし私はやっぱり全然ダメなのでした…
 なので、感動した! 超名作判定!! …という方はここまでで読むのをおやめくださいませ……
 ちなみにもちろん生徒さんにまったく罪はなく、完全にハリーの問題だと思っています。

 私は理屈っぽい人間なので、遺品に残る残留思念が読み取れるとかの特殊能力、あるいはいわゆる超常現象なるものに対しては全体に懐疑的です。非科学的だと思う。ただないという証明は難しいものだし、現実にできていないわけですよね。それにロマンとしてはあっていいとも思います。
 ただ、フィクションのモチーフとして扱うなら、明確なルールが必要だと思うのです。どういう条件でどんな能力がどう発動するのかを定めてほしい。でないと魔法や超能力と同じで能力者は無敵の人になってしまい、その力ですべて難なく解決できてしまうはずで、物語としてまったくおもしろくなくなってしまうからです。あと、観客とか読者とかはそうした能力を持たない一般人が大半だと思うので(まれに「わかる! 私のことだ! よくぞ描いてくれた!」って人がいるのかもしれませんが…)、自分とは関係のない、知らない星の人の話だ…となってしまわないよう、よりキャラクターに感情移入させる工夫が必要だと思います。
 主人公だから、ヒロインだから、トップスターが演じるキャラクターだから、観るのは宝塚歌劇のファンが大半だから、そのあたりは担保されているのかもしれません。でも、甘えないでほしい。少なくとも私は、もしかしたら意地悪すぎる見方をしているのかもしれませんが、ユリウスのこともアデーラのことも特に好きにはなれませんでした。どういう人間なのかはそれなりに描かれていたと思うけれど、あまりチャーミングに思えなかったのです。それでお話そのものにもノレなかったというのはあると思うけれど…もっと主役を好きになって応援する気持ちでお話を追えるよう、脚本や演出にきちんとお膳立てしてほしかったんですよね。望みすぎですか? でも、それって創作の基本では? 主役が嫌なヤツのお話なんてごまんとあるけれど、たいていは共感しやすい視点人物が他に置かれているものですが、今回のヴィクター(鳳月杏)やダシエル(風間柚乃)、カイ(礼華はる)がそれを担えていたとは思えません。というか要ります?この役、みたいな役しかなかったじゃん…もちろんそれが贔屓ならなんとしてでも萌えて観ていたかもしれないけれど、正直、今回、つらくないですか…?
 ユリウスはなんかオラついた男で、それは自分の特殊能力故の生きづらさにイラついていて、でも開き直って生きていくことにしているのでその虚勢なのかもしれないし、考古学だけでは食べていけないことにもイラついているのかもしれないけれど…いくられいこちゃんが素敵でも、ちょっと幼稚で、周りに甘えて当たっている、よくいるプチ傲慢な男性の典型にも思えて、私はなんか萌えませんでした。アデーラも、そうなる状況に追い込まれている、というのはわかるにしても、神経質でヒステリックな女性に見えて、またそれ以外の個性や特徴は特に描かれていないので、私にはなんか好きになるも何もなかったのでした。
 それは他のキャラクターも同様で、ジェームズ(凛城きら。東京でやっと観られた! お元気そうで何より)とアマラ(羽音みか)の謎のイチャつきとかもニヤニヤしないことはないんだけれど、それでなんなんだ?という気がしたし…エゼキエル(彩みちる)とマクシマス(彩海せら)も、あみちゃんの「もうやめよう、姉さん…!」みたいなのには萌えたんですが、結局なんだったの?という気しかしませんでした。てかアデーラが先祖の意志云々っていうなら彼女たちだってそうだったんでしょ? ヴィクトリア女王(梨花ますみ)を呪うのは筋違いだから叶わなかったんだ、ってこと? そんなのもっと早くわからないものなのか…? トリックスターにしてはエキセントリックすぎて、そしてそれなりに上手いみちるちゃんがいろいろかなぐり捨ててやっているのを観るのは、私はなんかホントしんどかったんですけど、やや考えすぎなんですかね…?
 有能で敏腕なしごでき女性エイデン(天紫珠李)と、その後輩でやはりやる気がある若い女性エレノア(花妃舞音)、ってのだけは、好みもあるけど響きました。ただ、話の本筋にはあまり関係ないキャラ立てだった気もしますけどね…あと、フツーならこのあたりを七城くんとかわかとかしゅりんぷに振ってもよかったんじゃないの?とも思うので、正直言って微妙なフェミ媚びに感じました。まあ次期トップ娘役にまあまあちゃんとした役を書いた、という意味では評価できるのかな…?(毎度上から目線ですみません)実質的に彼女の救出劇がお話のクライマックスになっているわけでもありますしね。ただ、そんなんでいいのか?ってのはあるけど…なんせ主役ふたりは彼女自身とはほとんど関わりがないようなものなので、今ひとつドラマチックに盛り上がらなかった気がするのです。
 それこそエイデンは家の都合によるユリウスの婚約者なんだけど、当人同士は全然その気がなくて…とかにしてアデーラ含めてちょっとこじらせたりしたほうが、もう少し何かのドラマが生まれたのでは…? なんでも色恋にすればいいということではなくて、人の感情が動くエピソードを作ってほしい、という意味です。だって昔のスコットランド女王の無念が云々言われても、大多数の人にはなんじゃソレ、ってなもんじゃないですか。イヤそれが国家元首の隠遁につながっていて政情不安で、ってのは国民としては大問題なんだろうけど、あの説明台詞ではその深刻さは上手く伝わっていないんじゃないでしょうか…てか「クイーン・オブ・スコッツ!」ってナニ? カッコいいから言わせてみた、みたいなの、やめたら…? ただでさえイングランドとスコットランドとかカトリックとプロテスタントとか、わかりづらいんだからさ…
 生徒さんはみんな脚本に書かれたことを上手く演じてみせていたと思うんですけれど、なんせその脚本がまたひどくて、「ル・サンク」を買っていたら私は5行に1回は赤入れしていそうな気がします。指示代名詞が何を指しているのかわかりにくい、省略された語尾や言葉が類推しづらい、掛け合いの意図がわかりづらいなどなど、問題山積だったと思います。実際の人間のしゃべり言葉や会話ってこうだよ、というんだとしても、芝居の台詞は現実とは違うものであるべきだし、ハリー節云々という味わい深さはあってもいいけど、無駄にわかりづらいんじゃ台無しじゃないですか。
 こういう引っかかりも全部飲み込んで、補完して、思い入れて観れば、味わい深いれこうみの関係性が楽しめて、なかなかいい佳作だったよ…みたいな評価になるのでしょうか。そこまで人間ができていなくて、すみません…という気持ちにはなっています。ホント申し訳ございません。

 前日に知人からお声がけいただいて、生で観劇できた東京新公についても、以下簡単に感想を。ちなみに最後のラインナップで正面がまのんたんのお席で、ホクホクでした私…
 ま、全体としてはハリー芝居はやはり下級生には難しかったかな、という印象でした。
 初主演コンビで、ユリウスは雅耀くん。前回の新公でおださんのところをやっていて、華がある若手キター!な印象はありました。確かに美形、でももちろんメイクはもっと洗練されていくことでしょう。立ち姿なんかも、登場時がズボンの皺とかがあまりにも美しくなくて、本役の着ている物をお直ししているから限界があるのは当然なんだけれど、とりあえずこういうこともスキル、場数、年季で、どんなに好素材でもそれだけでは舞台は務まらないものなんだなあぁ、と改めて痛感しました。歌も緊張もあってかけっこう怪しかったし、デュエットはどこをハモってるの?という微妙さでしたね…でも声は深くていいなと思いました。これは役者として武器ですよね。上手く育ててほしいなと思いました。
 アデーラは乃々れいあちゃん、組ファンには美人で知られた存在だそうですが私はほぼお初。確かにこちらも美形。まあソツなくやれていたのかな? でもこちらもまだまだ天然なだけの美でぷくぷくしていて、娘役として洗練されていくのはこれからだな、と感じました。のびのび育てー!
 それからするとヴィクターの七城雅くんはさすがおちついていました。主演経験者はやはり違うなあ…!
 あとはザンダー和真あさ乃くん、よかったです。上手い! 印象に残りました。
 わかのダシエルは…フツーだったかな…どうにも伸び悩んで見えるけど大丈夫かしらん…
 エイデンは俺たちのまのんたん、キリッと作れていて、よかったです!
 ジェームズまひろんは安定の上手さ。てかまだ新公内なの…!?
 エゼキエルはスーパーおはねタイムでした。しゅりんぷのマクシマスもなんせ顔が良くて、やっとわかりやすく目立つところがキタ!って感じでしたね。
 ヴィクトリア女王は私が大好きな静音ほたるちゃん、素敵でした。
 アンナ・クリフトンの美渦せいかとメアリー・スチュアートの咲彩いちごの歌声は圧巻。
 ハリエットの澪花えりさもクールでしごできで良きでした。
 あとはフィンレイの美颯りひとくん、顔がいい! 期待!!
 …そんなところかな……


 レビュー・アニバーサリーは作・演出/中村一徳。
 安定のBショーで舞台にいつも人が多く、銀橋にもいろんな生徒がバンバン出してもらっていて、娘役が銀橋にズラリなんて珍しい場面もあって、まあフツーに楽しかったです。目新しさはまったくなかったですけどね…れいこちゃんセンターの荒城の月くらい?
 大劇場では初舞台生ロケットだったところが東京では多少構成が変わって、スーパーおださんタイムになっていたのも良きでした。イヤすごいよホント、大スターさまだよ…!
 我らがまのんたんは2列目の一番端っこ、みたいな立ち位置が多く、2階席からの方が被りなく見えたかな…とも思いましたが、どの場面でもくるくる表情変えて良きだったので満足です。マスカレードの扱いなんかは良くて、もっと起用してくださってかまわないんですのよ?のキモチ…あー今から『BLUFF』が楽しみすぎます!!
 この期に及んでやっばりみちるあましシンメってなんなんだ、とは思いますが、次代も楽しみです。
 れこうみもご卒業、おめでとうございます。まあいろいろ思うところはありますが…私はくらげちゃんはひらめのように先にやめてくれるものとばかり思っていたのですけれど、当人は自己評価が低いタイプなのか、全然満足できず、なので結局同時退団となったようですね。なんなら残ってまだやりたい、突き詰めたい、くらいすらあったのかなとも思いますもんね…なんとも不思議なコンビでした。まあれいこちゃんは安心できる相手でよかったのかな。個人的には、違う相手役とも組んでより新しい顔を見せてくれていたら…とも思いますけれどね。
 2番手に関しても、結局変わらないままでしたしね…まとぶんも大空さんからえりたんになって、珠城さんもみやちゃんかられいこちゃんになって、こっちゃんも愛ちゃんからせおっちになって…やっぱりのびのびしたと思うんですよね、やっぱり上級生2番手って変則的なんですよ。なんなら珠城さんのあとちなくらげだってよかったんじゃないの?とすらも思いますけれど、まあこういうたらればは言っても仕方ないんでしょうし、劇団はそもそもレールを敷くのが下手でかつ事が敷いたレールどおりに進むとは限らないんだから、もう仕方がないですね。私はれいこちゃんのお芝居は好きなので、芸能のお仕事を続けてくれたら嬉しいです。まあその美貌を活かして、ただのめっちゃ綺麗なお姉さん、になって生きていく…というのもアリなのでしょうが…
 まずは七夕まで、どうぞご安全に。そしてそのあとは少しゆっくりのんびりしてください。組子と組ファンのご多幸をお祈りしています。







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花組芝居『レッド・コメディ』

2024年06月25日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 シアタートラム、2024年6月24日19時。

 昭和十二年、秋。東新聞社主の田岡(小林大介)の家に、作家の乾(丸川敬之)と編集者の西村(八代進一)がいる。彼らは東新聞で連載を持つ作家・手塚(桂憲一)から呼び出されたのだ。耳の遠い婆や・ツネ(秋葉陽司)や顔の爛れた謎の男・桃田(押田健史)に案内されつつ待っていると、若い小説家の川野(武市佳久)が叫び声を上げて飛び出してくる。そこに現れたのは赤姫の様相をした女形・葵(加納幸和)だった…
 脚本/秋之桜子(西瓜糖)、構成・演出/加納幸和。白粉で塗り固められた虚構の世界を支える「男」たちの、涙、怒り、嫉妬…「女形」が生むその内実を、文壇の愛憎劇に仮託して描く悲しきコメディ。サブタイトルは「赤姫祀り」、全2幕。

 かつてこちらこちらなどを観たことがあり、その後私の歌舞伎の解像度も多少上がって「赤姫」が何かも知ったことだし、漫画家の波津彬子がポスタービジュアルを描いていたのにも惹かれて、出かけてきました。
 舞台の中央に山積みにされた椅子。白塗りにタキシード姿の男たちが現れてその山を崩していき、次いで幻のように現れて踊る赤姫姿の女形たち…アングラだったか、と覚悟しましたが、ワケわからんということはなくて、演劇らしい演劇を楽しめました。
 ただ、葵の話、手塚の話、川野の話と盛りだくさんというかやや乱立しているというかごった煮な感じで、主人公は田岡なのかなとも思ったのですが彼自身は特に何もしないまま終わり、かといって視点人物や観客が感情移入して観るキャラクターが立てられていない印象の話運びに思われたため、わかりづらいということはないんだけれど、ちょっともったいない気もしました。もともとは座長の還暦に赤姫を、という企画が、コロナ禍で上演が四年越しになってしまったものだそうなので、その間にいろいろ肉付けされて盛り込まれすぎてしまったのかもしれません。
 葵を庇った桃田が負った顔の傷はお岩さんを連想させましたし、その後に出てきた手塚の妻・文子(永澤洋)とその父・兵右衛門(横道毅)なんかはお梅とその祖父を思わせました。というか私は編集者歴が長いので、書けない作家に変わってその妻と担当編集が改作、というかほとんど代筆をしちゃうエピソードがすごくおもしろかったんですけれど、それがテーマとかストーリーの本筋って感じではなかったのでアレレ、となってしまった、というのも大きいかもしれません。
 でもラストは赤紙を受けた川野が前線に出征していき、残された原稿が傑作で…みたいなものなんですよね。赤は赤だけれど、赤姫の葵の物語ではなかったの…?とさらに困惑してしまったのでした。それとも、人は去るが芸術は残る、みたいな話だったのか…??
 歌舞伎も文壇も男性ばかりのホモソーシャル社会だし、同性愛者もいるだろうし、母親に強姦される少年も世にいないことはないだろうけれど、なんか全体にどうしても、男のドリーム、男のロマンの世界だな…?とも感じました。脚本家は女性なのかもしれませんが…でも別にBLっぽくもないんですよね。葵と田岡と手塚の三角関係のドラマにしては中途半端だった気もするし…見方、間違ってますかね?
 ただ、気が触れた(と装っている)葵が突然始める歌舞伎ごっことか、イメージや回想の舞台なんかの元ネタが私も少しはわかるようになっていたので、ニヤリとさせられましたし、もっとくわしい人が観たらもっと楽しいのかもしれません。でもそうやって層やフェーズがすぐスライドするところが舞台のおもしろさだと思うので、その魔法に楽しく酔い、ストーリーの整合性を別にすれば楽しく、おもしろく観ました。
 団員のみなさんが、みんな声がいいのもさすがだと思いました。個人的には、米吉ケチャを観たときに「女子がいる…!」と思ったのと同様に、永澤さんにリアル女性みを感じました。ホント性別なんて、特に舞台ではいくらでも越境できるんだなあ…!
 フィナーレ?とパレードもあり、そういう点も芝居を観た!という満足度があってよかったです。手拍子したいくらいでした(笑)。またご縁があれば拝見したい劇団です。






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宙大階段マイ初日雑感

2024年06月22日 | 日記
 宝塚歌劇宙組特別公演『Le Grand Escalier』、大劇場公演2日目になる6月21日13時回を日帰りで観てきました。
 その気になれば初日もなんとか手配できたのでしょうが、なんか報道とかもだし自分の感情もいろいろ揺れそうでちょっと怖じ気づいたというか、そこは真性ファンの方にお任せしお譲りします…みたいなキモチになり、ちょうど会社で部署全員が出席する会議の日程と被ったこともあって、そちらを選んで2日目を友会で申し込みました。ら、ちゃんと当たったので、有休取って出かけてきました。
 初日のレポは、取材の加熱なんかもそうそうなかったようですし、恐れていたようなヤジや怒号やブーイングとかが飛ぶこともなかったそうなので、それは本当によかったなと思いました。ですが、開演前の理事長挨拶(これは必ずあるだろうと思っていました)かカーテンコールで黙祷くらいあるのかな、とは私は漠然と考えていたので、直接的な言及はなく、演目が変更になったことや公演初日が遅れたこと、迷惑や心配をかけたことへのお詫びのみだったと聞いて、ちょっと愕然としました。
 献花台みたいなものを設えることはご遺族側がやってくれるな、と言っているのかな、と私は勝手に思っています(一方で、ご遺族が断るも何もないような、そもそも劇団が申し出てもいない、そんな発想も持っていない…こともありえる、とも考えています)。もしかしたら弔意の表明なんかについても、やってくれるなということで劇団と合意がなされているのかもしれません。でも彼女にも、集合日付けで退団した妹さんにもファンはいたんだし、お別れが出来なかった分なおさら、お悔やみを告げたい、悼みたい、あなたがいなくて寂しいと想いをはせるひとときを持ちたい…というのは人としてごく自然な感情ではないでしょうか。遺族にもそれを阻む権利はない気がしますし、いろんな要因があったにせよ仲間を失って寂しい、と思いそれを訴えることは組子にとっても自然な感情、動きなのではないでしょうか。
 下級生から、同期から、上級生から、キキちゃんから、まっぷーから、やりたいという申し出があっても、そのもっと上が握りつぶしているのではないか…そんな疑惑が、拭えません。それくらい私は劇団を信用できていません。
 まったく、なんにも、触れないなんて、なかったことにしようとしているんだ、隠蔽しようとしているんだ、と思われても仕方なくないですか? ご遺族との合意のあとも、どんな改善が進められているのかが劇団からはかばかしく見えてこないことへの不信感があるから、どうしても悪く捉えてしまうのです。株主総会でも散々な様子だったようですし…
 週の公演回数が減り、公演期間は延び、千秋楽から集合日までのお休みも延びて、お稽古の時間もゆるやかになったと漏れ聞きます。生徒やスタッフの負担が本当に減っているなら、それは喜ばしいことです。でも、それだけ?という気もします。
 たとえば、「当該生徒を減給しました」みたいな処分、報告があるだけでも、印象は違うってくるんじゃないでしょうか…パワハラは全体の責任だ、というのは正しい、とは私も思うのですが、それで組プロデューサーが理事長に昇格してるんじゃ、責任を取ってることにはならなくないですか? 誰かをやめさせる、とかはなくても、中ではちゃんと調査がされていて当人も反省していてそういう処分も納得して受け入れています、改善していくと誓ったので在籍を続け出演も続けます…というようなアナウンスがあれば、それが誰かまでは問わないし、全員でニコニコ舞台に上がっていてもそれは改善の証…と信じられたのかな、と思ったり、します。それがないので、なんかやったもん勝ちになってませんかね?と不安で、不快なのです。
 初日前日を狙って今度は星組に関して週刊誌での告発がありましたが、それも劇団はスルーです。それは事実無根だから取り上げるのも馬鹿馬鹿しいので…ということはないはずだ、どこの組でもまだまだ問題はあって、探られたら痛い腹があるんだろう、というのはもうファンにもバレちゃっているわけですよ。というかどんな組織も多少なりとも問題はあるんだからさ。なのに何もコメントしない…そりゃ不信感もますます募ろうというものです。ファンはますます減りますよ…私たちも馬鹿じゃないんです。
 ただ、こういう劇団の態度があるので、たとえ哀悼表明や黙祷があったとしても、「ああ、これで全部終わったことにして、禊ぎは済んだ、もうこれでチャラでここからはこれまでどおりだ、もう何もなかったのと同じだ、さあ次、次!」と逆にぐいぐい進んでいっちゃいそうな怖さがあったな…とも考えました。なのでなくてまだマシだったのかもしれません…私たちファンも同じで、一緒に黙祷してなんなら泣いて、それで気がすんじゃったかもしれませんからね。
 でも、それじゃ駄目です。忘れちゃ駄目、なかったことにしちゃ駄目です。人の命はそれほど重い。重くあるべきなのです。改善、改革は引き続きなされなければ、また違う形の事件、事故が起きるでしょう。夢のフェアリーたちが安全でも幸福でもないと私たちはもう知ってしまったのです。完璧はないからキリがないんだけれど、もう盲目的に信じてただうっとり楽しんじゃ駄目なんだと思います。それは搾取です。加害への加担です。そういうことを、私たちファンも苦しいけれど学び、変わらなければならないはずなのです
 今後も命日は休演日にするべきだし、公演するなら終戦記念日や原爆忌同様に必ず黙祷の機会を設けるべきだし、公表しなくていいから理事長以下劇団幹部や各組組長なんかは墓参に行くべきだと私は考えています。なんなら一三先生のお墓参りより大事だろう、と言ってもいい。
 形式的でもそれはやって、毎年毎年思い出させないと、人は絶対に忘れます。そしてまた元の木阿弥になります。それじゃ駄目なんだって、いい加減に学びましょうよ…! 人はもっと優しく、賢くなれるはずなのです。でなきゃ夢なんて描けませんよ…!!
 2日目からでもいいから何か違うアクションでもあれば…と期待して行きましたが、特に何もありませんでした。千秋楽では何か改善されるといいな、と思います。そういう前進が、欲しいのです。


 さてしかし、この公演はショルダータイトルがないのですね…作・演出は齋藤吉正。ちなみにプログラムに演出家のコメントページはなし。東西共通でいつもよりちょっと薄いけれど、スターのプロフィールページなどもあって、値段はいつもどおりの1000円でした。まあ宝塚歌劇のプログラムはお安くて、それはありがたいですよね…
 全30場のショーのみの80分、S席は5000円、A席は3500円。これも、宝塚歌劇のチケット代は他のミュージカルに比べてお安いのでなんとも言えませんが、どこから算出された額で妥当なのかどうかなんとも…という気はしました。
「積み重ねてきた歴史と、携わってきた先人たちへのオマージュを込めた華麗なるレビュー」ということで、まあフランス、スペイン、アメリカといったお国巡りスタイルで過去の主題歌や名曲を歌い綴る、勝手タカスペというかカラオケショーというか…な舞台だったかな、と感じました。強いて言えば『BMB』のくだりがややストーリー仕立てだった程度で、あとは本当にただ歌い踊るだけだったので、私としてはちょっとスターのカラオケ大会みを感じてしまったのです。まあショーってスターを観るものだから、それでもいいんでしょうけれど、これって組ファンでも通うのは楽しいのかなあ…まあ私はショーの見方が下手なので、このあたりの感覚はあまり参考にならないかもしれません。私自身はあとは東京で一度観られる予定で、それで十分かな、という感じです。大劇場公演はなんせ短いのでそこそこチケ難なんでしょうが、まああるところにはあるわけですし、東京はなんでも売れるのでこれも完売するんでしょうけれど、ホントそのあとの全ツとか大丈夫なの…?ってのはあります。
 というかなんで全ツなんて回らせるんだ、あとなんで『大海賊』なんだ、駄作だし人が無意味に死にまくる芝居だよ? どういう神経してるんだよ…ずんちゃんが回るというならまだないこともないかな、と思えましたが、ホント劇団の考えていることはワケわからないし、これで信頼なんて回復できるわけないよな、と思います…

 ま、気を取り直して。ヨシマサにしては凡庸なタイトルロゴの吊り電飾から始まって、幕開きは大階段に三色旗の布がかけられてキキちゃんがセンターに板付き。ここから布が引き抜かれるのは想定内として、その下に男役さんたちが屈んで板付いていたのは予想していなくて、次々立ち上がっていくさまがまさに花が咲き綻んでいくかのようで、素直に感動しました。
 「モン・バリ」から主題歌へ。主題歌はフツー…てかコレが唯一知らない歌になりました(笑)。
 さーちゃんの両脇はこってぃとナニーロで、そのあとずんちゃんがどかどか下りてくる構成でした。で、次々銀橋へ…だったかな? もえこ、じゅっちゃんとブッキー、ちっち、あのん、りせ。3組デュエダンもありました。雪輝くんとおさよちゃんがバリバリ歌っていて良き。
 プロローグのあとによくある箸休めタイム(オイ)はなんとここさく、愛未サラちゃん、ちっちの「エスカイヤ・ガール」で、まずこれが新鮮に感じました。ここさくちゃんは今スカイフェアリーズもやっているけれど(このターンで司会をさせる配慮はとても良き)、こんなふうにピックアップされることって今までほぼなかったと思うので…てかもう上級生が全然いないってのもあるんですけどね。愛未サラちゃんはこのあともどこでも、でっかいお口をニカッと開けて笑顔全開で、娘役にしてはかなり長身なんだけれどのびのび踊っていてダルマの脚も美しく、とても目を惹きました。好き! エトワールも良かったです。
 セリ上がってきたタキシードのもえこが『ダル・レークの恋』の「まことの愛」をせつせつと。もえこの歌の上手さ、スタイルの良さを忘れていましたよ、震えましたよ…! モンマルトルの淑女のセンターはじゅっちゃん。そこから男役群舞になってずんちゃんの「夜霧のモンマルトル」、からのましろっちの歌で踊るずんもえこ…くーっ! ただここ、紳士の群舞があまり揃っていなくて、珍しいなと思いましたし、きちんとお稽古できてるのかなとかおちついてやれるようになるまでまだ回数が要るのかな、とかちょっと心配しちゃいました。
 そしてこってぃ蛇にキキちゃん旅人の「夢人」! ここの妖鳥ダミーのひろこブッキー優勝! てかこのあとの妖鳥さーちゃんが大優勝!! お衣装ホント好きーッ!!! ここの歌手は嵐之くん、好き! 私は『BMB』にはそんなに思い入れはないのですが、ここが好きな人はこのためだけに通えるよね…
 続いて中詰め。私が初めて宝塚歌劇を観たときのショー『ラ・ノーバ!』から「フィエスタ アイ・アイ・アイ」! 何故その選曲!! 大好きだけれども!!! あのんりせなるでまた胸アツ。てかここから全員アタマ悪い真っ黄色のお衣装でサイコーにハッピー!
 ナニーロとブッキーのリオブラも良き。てかブッキーも垢抜けましたよね…! じゅっちゃんからノバボサターンへ。キキちゃんのシナーマンもあるのにぶった切るようにまなちゃんの「黒きバラ」、いいぞ! もえこの『華麗なる千拍子』、さーちゃんの「パッショネイト!」どこどん! ずんちゃんの「CONGA!!」、たまらん! からの「Aye Caramba」も珍しい選曲な気がしましたが私は大好き! ここのトップコンビはパイナップルだったのか…(笑)
 そして中詰め終わりにありがちな若手男役ターンはこってぃセンターのサザレビで、あのんりせなるにまなちゃん(もうお兄さん枠では!?)嵐之波輝奈央華楽までオラオラバリバリ踊っていて、彼らはこういう場が欲しかったろうウンウン…とちょっとうるうるしてしまいました。
 継いでさーちゃんセンターの「ラ・ヴィオレテラ」でしたが、ここのドレスはゴージャスだったけれどトップ娘役が着るタイプのものではなくないかい…? 100周年の時のちゃぴのドレスとかがよかったんじゃないのー? まあでもさーちゃんもなんでも着こなすタイプですよね。あとはお化粧だと思う、まだ地味ですよ。特に目! もっと綺麗に大きく描けるはず!!
 スペインターンでナニーロのマタドールにサラちっちで「エル・アモール」。流れたバウ主演がまた決まったナニーロはしっかり上げてもらっていて良きでした。ずんちゃんとりっつがバリバリ歌う「グラナダ」、トロはのあんくん! ピカドール女のりずちゃんここさくちゃんも良かったです。
 そしてアメリカ、ニューヨーク…ほとんど生観劇ぶりくらいの『マンハッタン不夜城』! 当時トンチキで大騒ぎだったお衣装のデジャブが…でもダウンタウンのボーイズ&ガールズがみんな可愛いんで安心しました。赤ずきんちゃんみたいな魔法使いのさーちゃんもカワイイ。今プログラム読んでて気づきましたが、それでブロードウェイで夢をつかんだショーマンたちが歌う「ゴールデン・デイズ」という流れだったのか…! どういう文脈だよ、と思っていたので(^^;)。
 そこからフィナーレかな? ロケットのお衣装が『クライマックス』初舞台生のものでしたっけ? これまた組ファンには胸アツ…! てかもう最上級生が渚ゆりちゃんとかなんですけど…! ただなんかこれもわりとバタバタした振付であまり揃ってなくて良くなかった気がしました。
 大階段でキキちゃんが「愛の旅立ち」をしっとりと。またまたぶった切る勢いでずんちゃんの「セ・マニフィーク」、サイコー! さーちゃんにおさよちゃんじゅっちゃん他娘役さんたちで「夢を売る妖精」、これは歌詞が刺さりましたね…そうよフェアリーなのよでも命あっての物種なのよ…!
 そこからのまっぷーが歌う「未来へ」はちょっと、かなり、卑怯…でもぐっときてしまいました。やはりキキちゃんが贖罪を歌っているようで、でももうずんちゃんに代替わりして初の生え抜きトップスターを出さないとこの組は再生できないんじゃないの?とかも思えて、だけど組長のまっぷーだって生え抜き組子なんだった、ズンコの『エクスカリバー』からここまで来た組なんだった…!と考えるともうたまらなくて…20年をなかったことになんてできないし、でもそこで失われた命は戻らないし……
 シルバーというかグレーというか、なお揃いのお衣装でのデュエダンは「世界に求む」…これまた鎮魂の想いが感じられるものでした。カゲソロは志凪咲杜くん。知らない下級生ですが、オーディションとかで勝ち取ったのかな、すごく良かったです!
 そしてパレード。ダブルトリオではなくコンビで、風翔奈央、風羽華乃。持ち物がいわゆる本当にシャンシャン鳴るシャンシャンだったのもいいなと思いました。トップトリオのお衣装も色味がなんか意外とゴツくて、綺麗にまとめすぎていなくてよかったです。
 緞帳が下りきると「Fin」の映像が出るところがヨシマサ…コロナ以降、終演アナウンスにも拍手が送られるようになりましたが、私はあまり好きじゃないのでしませんでした。開幕もシオティーとオケにだけしました。これは私の主義です。


 帰宅してからスカステニュースの初日映像を観ましたが、確かにキキちゃんは全開の笑顔ではない気もします。実は観劇時も、ちょっとオーラが弱い気がする…とは思ったんですよね。でもそりゃ当然だと思うんですよ、こんな状態で主演を務めて、ファンの愛も感じてはいるだろうけど世間からどう思われているかも絶対に知っているはずで、心からばーんと嬉しー!楽しー!!なんてなれないでしょうからね…でもじゃあこれをずっと続けるのか、という問題もあります。でもファンの疑念も完全に払拭されることなんてないと思うし、生徒も全員、自分は悪くないと思っていようが駄目なことをしていたんだと悟り悔やんだり内心謝ったりしていようが、なかったことにはできないし完全に元どおりになるなんてことはありえないわけです。じゃあどうすればいいんだよ…という袋小路ではあるんだと思います。そういうしんどさを背負って、やる方も観る方も、続けるのか、という選択の問題なのか、と…
 私はショーは見方が下手なのでアレですが、でもミュージカルはともかくこういうものを
見せる舞台は他にないので、やはり宝塚歌劇は芝居とショーの二本立てがいい、とは考えています。でも今回みたいなショーだけの演目なら(別箱公演でもコンサートの類とか)観る回数は少なくしてもいいか、とか思っちゃうんですよね。芝居、物語の方が好きなので。
 でもじゃあ、次の宙組でお芝居を観たときに、純粋に役や物語として観られるんだろうか、やっぱりいろいろ考えちゃったりするんだろうか…とかの不安も、感じています。なんせ今回も、演目を楽しむというよりは、あっあの子がいるこの子もいる、元気そうかな痩せたかなやつれてないかな、歌えてないな上手くなったな、あの子は芸名なんだっけ愛称はなんだっけ何やってた子だっけああ自分の勘が鈍っているうぅ…というような感情が忙しすぎてけっこう疲れたので。
 まあ、観ないという選択肢はないんですけどね私には、観てアレコレ言いたい質なので。好きじゃなくなった、もう信じられない、幻滅した、加害に加担したくない、観たくない…と離れられる人は、ある意味で幸せです。もちろんそういう選択も全然アリだと思います。別に無理してつきあうことはない。
 ただ、そうやって、受験生の心が離れるとか、少なくとも娘を受験させようとする親は減るとかの影響は大きく出るだろうな、とも考えています。ただでさえ子供そのものが減っているこのご時勢に…
 私は100歳まで生きて宝塚歌劇150周年を観る気満々だったんですけれど、向こう10年くらいの存続がけっこう怪しいのでは…という気にもなってきました。これが終わりの始まりなのかもしれません。そういう危機感を劇団経営陣が持ってくれているのか、はなはだ不安です。所詮電車のおじさんたちは親会社に戻ればいいとしか考えていないのではないかな…貴重な文化を担っていることを理解できていないんじゃないかな、そんな不信感が本当に拭えないのです。それが、つらい。
 とりあえず、OSKを見習って、受験年齢を引き上げる、というのはいいんじゃないかな、と思いますけどね。たとえば高校卒業から二十歳まで、とかね。無垢な子供を囲い込んで染め上げようだなんて、考え方として間違っていますよ。もう少し成長して、自分で自分の人生のプランを立てられるくらいの人間を集めて仕事をさせていく方が、明らかに正しい。女性に若さばかりを求めるのは日本のおっさんの悪い癖です。入学できなかったり、卒業後も彼女たちの人生は続くのだし、そういうセカンドキャリアのためにも、タカラヅカ以外何も知らない、みたいな人間を作っちゃ駄目なんです。
 できることはまだまだたくさんあるはずです。伝統が、とかに囚われることなく、よく考えてみてほしいのです。何が大事なのか、何が愛され求められているのか…
 出演者もスタッフも、健康で安全で幸福であってほしい。でないと良きものは生まれません。こちらも安心して楽しめません。難しいかもしれないけれど、ごくシンプルな、基本的な願いです。どうぞそれを目指してください。見守り続けます。
 すべての公演が無理なく無事に完走することを、お祈りしています。だが理事長は祈っていてはいけない(『歌劇』より)。動け、働け。頼みますよ…?











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宝塚歌劇星組『夜明けの光芒』

2024年06月20日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 シアター・ドラマシティ、2024年6月3日15時(初日)。
 東京建物Brillia HALL、6月18時15時。

 19世紀初頭のイギリス、テムズ川河口近くの片田舎。幼くして両親を失ったピップ(暁千星、少年時代は藍羽ひより)は唯一の身寄りである姉ジョージアナ(澪乃桜季)と、その夫である心優しき鍛冶屋のジョー(美稀千種)とともに暮らしていた。近所の大邸宅サティス荘の女主人ミス・ハヴィシャム(七星美妃)は養女エステラ(瑠璃花夏、少女時代は乙花菜乃)の遊び相手として、週に一度ピップを屋敷に招いていたが…
 脚本・演出/鈴木圭、作曲・編曲/吉田優子。チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』を原作にしたミュージカル・ロマン、全2幕。

 私は原作小説は未読、月組版もスカステでも見たことがないと思います。Kスズキ、生きていたのか…など思ったりもしましたが、ともあれ観てみなくては語れないからな、と初日からいそいそと出かけてきました。なんか孤児が見知らぬ誰かから遺産を相続することになって…みたいな話らしい、とは聞いていて、まあベタに考えれば舞い上がって転落するようなお話なのかな?くらいの想像で席につきました。なのでわりとまっさらな状態で観ましたし、どう進むお話なんだろう?とかなり興味深く観ました。
 で、結果として、私はとてもおもしろく観ましたし、おちついてブリリアで観てもなかなかいい作品なのではないか、と確信を深めました。というかブリリアへのサイズアップが正解だった気がします。それくらいのスケールはある作品ですよね。ありちゃんものびのびやっていたし、広い空間を2階席まで楽々と掌握していたと思いました。
 もちろんディケンズ様々でキャラクターやストーリーがまずおもしろい、というのはあるかと思いますが、演出の手腕もなかなかよかったように思います。恋敵のドラムル(天飛華音)を演じるかのんくんにもう一役「闇」という役を与えて、これが主人公と光と影になるような、あるいはダーク・ピップとも言えるような存在として働かせる…というアイディア自体は目新しいものではないと思いますが、なんせかのんくんがバッチリ機能していて素晴らしかったですし、闇ダンサー男女のナンバーもとてもよかったです。生徒の起用を増やすためもあるとはいえ、少年ピップのひよりんと少女エステラのなのたんがまた抜群に上手くて、素晴らしく機能した、というのもあります。簡素ながらいろいろ形を変えるセット(装置/稲生英介)もよく工夫されていましたし、時代を反映したお衣装(衣装/植村麻衣子、衣装監修/有村淳)もとてもよかったです。主題歌は私にはやや凡庸に聞こえて、ありちゃんの特に芸のない声で二度もただまっすぐ歌われるとちょっと恥ずかしいくらいでしたが、ルリハナがスキャットのように歌うリブライズは素晴らしかったです。脚本もちょいちょい言葉が足りないように思われなくもなかったけれど、目をつぶれる範囲でしたし(毎度上から目線で申し訳ない)、本当に良い仕上がりだったように思います。
 一幕が、風呂敷を広げただけのお話の序盤で終わったように感じ、二幕は逆にぎゅうぎゅうのてんこ盛りでかえって観客の気持ちがついていききれず中だるみすら感じないこともない…という、やや困ったナゾ緩急はあったかなと思いますが、たっぷりのフィナーレもあって、やはり総じてよかったんじゃないかと思います。期待しすぎていなかったせいなのか(すんません…)私はすごく満足度が高かったです。
 一幕ラストの、暗転や時計の音が入るのや客電がつくのや休憩アナウンスが入るタイミングが、ブリリア公演では上手く調整されていたのもよかったです。まあリピーターが良きところで上手く拍手を入れる効果もあるとは思いますが、初日は段取りが良くなくて観客もとまどっていたので…そういう気まずい思いをお客にさせてはいけません。
 要するにザッツ・ディケンズなビルドゥングス・ロマンですが、なんというか「大人のお伽話」的な部分もあると思うので、『BIG FISH』とはまた違った意味で宝塚歌劇と相性がいいんだろうな、とも感じました。ファンタジーを成立させる力が、宝塚歌劇にはあるんですよねえ…! また、私はありちゃんのことは特に好きでも嫌いでもないのかもしれない…とか思っていたのですが、今回、やはり真ん中に置くのになんの遜色もないしむしろ引き立つし、リアル男優が演じるピップには「ケッ」と言っていたろうけどありちゃんピップだと多少愚かでも薄情でもしょうもなくても許せちゃうんだな、とか感じ、改めて男役の魔法のすごさ、スターの魅力、ありちゃんの持ち味やパワーといったものを考えさせられました。それはエステラもそうで、これはずいぶんと難しいヒロイン役だと思うのですが、やはり綺麗なだけの女優さんにツンケン演じられたら「ケッ」と思いそうだな…と感じました。イヤしかしルリハナは素晴らしかったなホント! このカップルの相乗効果もあり、ノーストレスで楽しく観られた、というのも大きかったのかもしれません。
 好みで言えば『ブエノスアイレスの風』が好きだけれど、ニンだったかと言われると…とも思うし今となれば若干まだあっぷあっぷしていたようにも思うので、今回はありちゃんはいい主演作を引き当てた、ということなのではないでしょうか。てか宝塚歌劇はこういう文芸路線ももっとちゃんとやるべきですよね。いい企画がいい座組で出来て、何よりでした。

 というわけでありちゃんピップ、よかったです。童顔で長身の超絶スタイルが、鍛冶屋エプロンからフロックコートまで似合いまくっちゃってたまりませんでしたし、ある意味で等身大の青年を屈託なく丁寧に演じていて、素敵でした。そしてラストのチューね! アレにはもう「あっ、同意取ってない!」とかつっこめませんよね、はーきゅんきゅんした!
 ルリハナのヒロインもホント素敵で、まず登場の赤いドレス姿の艶やかさったら! 顎も首も肩も背中も素晴らしく美しく、洗練されていました。深みのある声がミステリアスで役に合っていたし、そう育てられてしまった、という悲しみがにじみ出てからのお芝居もとてもよかったです。フィナーレのデュエダンもとても良きでした。うたちとは持っている手札がほぼ同じだと思うので、あとはこっちゃんの好みで決まるんでしょうか…ぐうぅ、ふたりとも好きなだけにつらいわ…!
 そしてかのんくんがホントよかった、なんでもできるのは知っていたけどホント上手かったです。一度バウ主演してからの別箱2番手、飛躍しますよね…! あとは補正か、もうひと息下半身が痩せるといいのかな…タッパがないのでありかりんに並んでいくとなると見せ方を工夫しないとね、とは案じています。
 3番手格はつんつんなのかな、これがまた上手いんですよね…! これは単にニンでやっているんじゃないと思います。こちらも華はあれどタッパがないからそこは心配ですが、次のバウ主演候補になっていくんだろうから(同期の大希くんとどうするんだ問題もありますが)、期待しかありません。
 オレキザキや朝水パイセンが頼れるのもデカい。りらたん、澪乃ちゃんの手堅さ、七星ちゃんのなかなかな冒険もハマりました。そしてビディ(綾音美蘭)ですよ! 私は初日はビディエンドなのか!?と思ったくらいでした。なのでジョーとの結婚についても初日はちょっと驚きと笑いのさざ波が客席に広がっちゃってましたけど、そこから調整してきたと思うんですよね。ジョージアナに近いくらいの年上のおちついた女性で、ピップのことが好きではあったんだろうけれど、もっと親身になってくれていたタイプで、だからジョーの後添いに納まるのも納得…というふうに、上手く持っていっていたと思いました。可愛いダンサーだけでなく、演技も出来るんだよ!となればこれから起用も増えていくでしょうから、楽しみです。
 そしてひよりんとなのたんのしごできっぷり…! 単なる子役ではない、がっつりお芝居パートを担当する存在として光っていました。パレードは最初に出てきて最後までふたりで真ん中でキャッキャしていて、実に良きでした。なのたんはお歌もよかった…! 実は、子役かー…とちょっとしょぼんとしていたのですが、蓋を開けたら出番も多いし歌も演技も見せ場があってしかもとてもいいし、フィナーレの闇の女ではバリバリ踊っていてサイコーだしで、ファンとしては舞い上がったのでした(//o//)。
 フィナーレはデュエダン、かのんくんセンターの群舞、そしてありちゃんのソロという贅沢仕様でした。このソロダンスがまた圧巻で、でも単に身体が利くネー、みたいなだけじゃない情感がある踊りなのがとてもよかったです。そしてこの尺、場が保つんだからホントたいしたものです…!
 わりと短い公演期間ですが、愛される作品に仕上がってよかったです。
 なのでなおさら、次の本公演、頼むよ…!というキモチです……










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