駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ウィーン国立バレエ団『こうもり』

2012年04月29日 | 観劇記/タイトルか行
東京文化会館、2012年4月29日ソワレ。

 振付・演出/ローラン・プティ、音楽/ヨハン・シュトラウスⅡ世、舞台美術/ジャン=ミッシェル・ウィルモット、衣装/ルイザ・スピナテッリ、振付指導/ルイジ・ボニーノ、ジャン・フィリップ・アルノー。

 以前観た時の観劇記はこちら
 10年ぶりに観たのか! あいかわらずお洒落で素敵な舞台でした。装置も衣装も美しい、色彩が素晴らしい。ギャルソンもよかったなー。
 ベラはイリーナ・ツィンバル、ヨハンはウラジーミル・シショフ、ウルリックはデニス・チェリェヴィチコでした。
 プリマドンナは顔が小さくでスタイル抜群でしたが、太ももの存在感はすごかったなー…!

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宝塚歌劇団花組『長い春の果てに/カノン』

2012年04月29日 | 観劇記/タイトルな行
 市川文化会館、2012年4月28日ソワレ。

 初演の感想はこちら
 その後、映像で一度見たくらいで、あまり覚えていなかったのですが、主題歌をまゆたんが歌った途端に
「わああ全然違う…!」
 と驚きました。
 原作映画を知らないのですが、初演はやはりかなり上手く当て書きされていたんだろうなあと思います。
 ステファンはなんかいい人感がにじみ出ていた(^^;)。リカのやさぐれ感、ニヒルさはやはり役者の個性だったんだなあ。
 エヴァは可愛かったけれど、でかかった(^^;)。もうちょっとエキセントリックさがでてくるといい役なんだけれどなあねこれから馴染んでくるのかな?
 今回はナタリーもフローレンスも娘役で(^^;)、イチカはとても知的ででもナイーブそうで、とてもよかった。アルノー(ときどききりやんの台詞回しが甦ってきたよ!)のまーくんとの背の高さの差がすごくて、伸び上がってするキスは胸キュンでしたねー。
 きらりんフローレンスはもうもうキュートでチャーミングで女っぽくて、アメリカ女の弁護士、って感じはあまりなかったけど、ちょっとおもしろかった。でも素敵すぎて、ステファンが落ちないわけがよくわからなかったかな(^^;)。
 ブリスのだいもんがすごーくよくってさー! だいもんと結婚したい!! 「かみさん」って言われたい!!! と悶えました。
 キキちゃんも馴染んでいた、じゅりあママははじけていた…!

 話は、なんかバタバタして見えたせいもあるけれど、よく考えると微妙な話だなーと思えてしまいました。都合よく感じちゃったのかな…?

 『カノン』はだいもんがいい感じに活躍していました。
 ヴォヤージュのマリアンヌがユキちゃんになったのを期待していたのですが、意外に固くて伸びやかさがなくて、みりおんの方が鮮やかだったかなー…
 カンツォーネ・メドレーではクラブ・ガイがよっちになったため、きらりんの独壇場になったように見えたわ。ルナ・アズロもよかったなー。
 アダージオに入ったのはじゅりあ。これがまたバンとしてて存在感があって、蘭ちゃんといい対象性が出ていて、本当に色が変わっていい場面になりました。
 その前のプレイヤーではえりたんがとても良くて、ひきつけられたなー。
 まあでもやっぱりトータルではまったりしたショーかなあ、と思えてしまいました。あと市川は本当に音響が悪い、特に芝居がつらい…残念でした。
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うちの親の言うことには。~とあるバカ娘のひとりごと~

2012年04月28日 | 日記
 『精選女性随筆集一 幸田文』(川上弘美選/文藝春秋)を読みました。
 恥ずかしながら、お父さんの影響が強い、古式ゆかしい、着物の話かなんかを書く人…みたいなイメージしかなかったのですが、読んでみたらたいそうおもしろかったです。
 確かに産みの母とは早くに死に別れていて、父が後妻に迎えた継母とはそりが合わず、父親の死後人に勧められて父のことを書くことから始めた人だったそうなので、父親の影響が強いのは当然なのでしょう。
 それでちょっと思ったのが、あたりまえのことではあるのですが、人はみな親に育てられるものなんだなあ…というようなことです。血がつながっているかどうかは別として、家族として暮らす人たちから学ぶのだ、というようなことです。
 私の両親は文豪でもなんでもない一般人ですが、確かに私を育てた人でもあるので、今回はそれをちょっと語りたいと思いました。
 読書の感想でもなんでもなくて申し訳ない。

 私の両親はともに中卒で働きに出て、社内結婚したカップルでした。私と弟が生まれても、というか一応定年を迎えた今でも、共働きしています。
 とても仲が良くて、ちょっとお互いしか見ていなくて、子供のことはあとまわし、みたいなところがある人たちです。子供の教育に関しては、放任主義といってよかったと思います。
 私はどちらかというと子供らしい可愛げのない、逆に言えばしっかりした手のかからない子供だったと思うので、それで信頼され任されているのだろう…と子供のころから私は勝手に解釈していました。
 自分たちが進学できなかった分、子供たちには望むなら大学まで行かせてあげたいと考えていたようでしたが、そういうことも含めて、自分で考えて自分で決めて自分で責任を取りなさい、というようなことを、きちんと言葉で言われることはなくても、私は感じて育ちました。
 だから進学先も就職先もわりと事後報告でした。気楽でしたね。
 でも弟は、根本的には私と似たタイプの人間なのだとは思うのですが、私ほど図太くないというか、男の子である分私より若干甘やかされたのか、私よりだいぶ繊細なところがあって、この放任主義が彼には見放されているような寂しさに感じられていたそうです。かなり大人になってから彼からその話を聞いて、私はけっこう驚いたものでした。

 望むなら大学まで行ってもいいが、基本的には新聞が読めておつりの計算ができればいい、とは父親がよく言っていた言葉です。読み書き算盤、の父親なりの表現でしょうか。
 文字が読めて、なおかつ新聞が読める程度の読解力があれば、社会のことはある程度そこから読み取れるわけだし、働いて食べるだけのお金が得られてそれで買い物ができて、きちんと計算ができる程度の経済力がある人間になれれば、十分だ…というようなことだと私は解釈していました。それは今でもとても正しい、最低限の教えだなと思います。
 でもそれ以上に、私は父の蔵書を読んで育ちそこから学び、青い文学青年だったのであろう父以上のオタクになってしまい、最低限の社会人生活どころかかなり豊かな文化人ライフを送れていると思うのですが、それはあくまで余禄なのでした。
 逆にいうと、経済的にはどちらかというとかつかつで、習い事などをさせてもらう余裕はない家でした。私はバレエやピアノを習っているクラスメイトはお嬢さまなのだ、おうちがうちと違ってお金持ちなのだと思って育ちましたし、あこがれましたがあきらめて育ったのでした。
 それを不満には思っていません。当時はそれで仕方がなかったんだし、長じて自分のお金が手に入るようになってからはそういったことに湯水のように遣い込んで楽しく暮らしていられているのですからね。
 何もかも与えられて、我慢することを知らない人間に育つよりは全然よかった、と思っています。

 さて、そんな野放図というか放任主義の親でしたが、あえて教えようとしているな、と思ったこともあります。
 父親に関して言えば、彼は何故か、「男とはエッチであるものだ」ということを、ことさら私に教えようとしました。
 具体的に言うと、たとえば家族でテレビなんかを見ているときに、CMに水着の女性が出てくるとか、ドラマでお色気シーンが出てきたりすると、わざと「おっ」とか言って身を乗り出すのです。
 私は子供ながらに、それが「わざと」なのを感づいていました。だって普段の父親は全然そういうタイプではないから。それがだいたいいくつのころのことなのかはすでに定かではないのですが、当時すでに私は、うちの父親は世間的にはあまりおじさんぽくないというかもっと言うと男らしくないタイプの人間だと知っていたのです。
 父は優しくてロマンティストで気が弱くて、小さいものや可愛らしいものが好きな人で、文学青年で、まったくマッチョではなく、会社で飲んだりするのも好きではなくまして風俗通いなんてとんでもないと考えるような人で、まっすぐ家に帰って母を相手に晩酌するのが一番の楽しみ、という人でした。そして世間のお父さん、おじさん、男性というものはどうもそうではないらしい、ということに私は十分気づいていたのでした。
 父自身はそういう自分を情けなく思ったり歯がゆく感じたりもしていたのでしょうし(私が大学進学を考えていたころに会社を辞めることになり、学費を出してあげられないかもしれないといって泣いたり、本が好きだから古本屋でも始めようかなとか言い出したときには私だって情けなく思いましたが)、だからことさら娘の前で悪ぶっていたのかもしれません。
 私はそういうことも全部見抜いた上で、その教育だけは受け入れることにしました。すなわち男とはバカでエッチな生き物だ、ということを、です。この教育が役立っているのかどうなのか、私自身にはなんとも言えないのですが。
 幸田文の父は娘に真面目に性教育をしたそうですが、もしかするとこれが数少ない共通項なのかもしれません。

 私は父より母にずっと似ています。
 でも母は私よりもっと勝気で正義感が強く、がんばりやです。
 そんな母が私に教えたこと…というか教えなかったこと、それは家事でした。
 幸田文はこれまた家事一般も父親から仕込まれているわけですが、うちの母は私にそういうことを一切させませんでした。
 それは私をお嬢さま扱いしたからではありません。子供に家事を教えながら、手伝わせながらやるのは面倒で時間がかかるので、母には耐えられなかったからです。ひとりでやってしまったほうが楽だし早いからです。
 両親は共働きでしたが、昔の世代でもあるため、父はほとんど家事をしません。母は父にも家事を教えたり手伝わせたりするよりは、大変でもひとりでやってしまったほうが結局は早いし楽だ、という考え方だったのでしょう。
 性格的にもきっちりしている人なので、手抜きもせず、食事が冷凍食品ばかりだということもなく、家事は万端完璧にこなしていました。それができる人なのです。
 母親自身は七人兄弟の末っ子で、大きい兄や姉に育てられたようなところがあり、お嫁に行くまで家事は一切しないできたようです。だから新婚当初は大変だったのだとか。
 でも、見よう見まねでやったらできた。人はなんとかしなければならなくなればなんとかするものなのです。そういうことを身をもって知った母は、自分の娘にも、小さいころからお手伝いなどをさせて教育するよりはほうっておいて、やらなければならないときが来たら自分で覚えて学ぶだろう、と考えたのでしょう、多分。
 そして私は社会人になってひとり暮らしを始めて、もちろん何もできなくて困りましたとも。
 でも失敗してもひとりだし、誰に笑われることもないし、適当に勉強したりそれこそ見よう見まねでやってみれば、やれないこともないのでした。だから私はこの教育方針?には感謝しています。
 もうひとつ母に感謝していること…それは、母が私を褒めることでした。
 私はしっかりしたお嬢さんね、勉強がおできになるんですってね、と褒められることはあっても、可愛いお嬢さんね、美人になるでしょうね、みたいな形で褒められることはない子供でした。要するに容色の点では十人並み以下だったわけです。それはどんなに別方面にプライドを持っていても意外に傷になる点です。
 でも母だけは私を女のことして褒めました。それも嘘ではない褒め方を常にしたのです。あんたの髪はまっすくで綺麗ね、とか、脚が細くて素敵ね、とか、そういうことです。
 現実が見えていない猫っ可愛がりはしなかった。数少ない本当の美点を見つけて、褒めて可愛がってくれた。そして、人は誰でもある程度きちんと身奇麗にして綺麗な格好をすれば美人に見えるものだと思いますが、そういう形で綺麗にすると母は本当に嬉しがりました。母にとっては私はお姫様なんだな、私が綺麗でいると母は嬉しいんだな、と思うと、ことさらに外見にかまわなくなるとかそういったグレ方はできなかったのでした。
 これは私の容貌に関するコンプレックスをかなり軽減してくれたと思います。少女にとってこれは大きい。そして立派なアラフォーになった今でも私はやっぱり母の可愛い娘で、肌が綺麗だのなんだのつまらないことを褒めてくれるのです。なんて可愛い母親なのでしょうか!
 私は本当にいい親に恵まれているのでした。


 しかし結局のところうちの両親はいたって普通の人間で、ものすごい教育理念の元に子供を育てたということはまるでなく、ただただ偶然ふたりの子供が健康に元気に育ちあがったというだけです。ふたりとも未だ結婚もしていなければ子供も持っていないので、その意味では不十分であるかもしれず、それは親不孝ということも含めて申し訳ないのですが。
 ただ、自分が子供を持ったとして、こんなふうに子供をきちんと育てられるかと思うと、とてもそんな自信が自分には持てないのでした。
 もともと子供があまり好きではなかったということもあるし、いろいろ巡り合わせなどもありまして、おそらく私はこの先も子供を持たないままで終わるでしょうが、それでよかったんだろうなとは思ったりします。
 子供を捻じ曲げずに、まっすぐ健康に健全に育てることって、けっこう奇跡的なことなんじゃなかろうか、うちの親は天然でたまたま運にも恵まれて私を育て上げてくれたけれど、同じようなことってなかなかそう簡単にはできないことなんじゃないんだろうか…とかついつい考えてしまうのです。
 思い上がりにも聞こえそうで、なんか変な言い方なのですが。

 高校一年のときのクラスメイトで、当時はそれぞれ別のグループにいたんだけれど、クラスが離れてからむしろ仲良くなって、別々の大学に行きまったく違うタイプの就職をしても未だに気の合う親友ふたりがいて、そのうちひとりが去年娘を産んだのですが、今はその子の良き義理伯母みたいなものになってあげたいな、と思ったりします。
 親の大変さは代わってあげられない。でもその子を育てる周りの一員として、何がしかの役に立ちたい。その子に未来を、希望を与える要因になりたい。少なくともそばで楽しく生きてみせて、あんな大人になるのもいいかもしれないと思わせるくらいはしたい。それが私にできる精一杯の子育てかな。
 本当は自分の子供を産んで育てて、その子に「お母さんの子供に生まれてよかった」とか思ってもらえて初めて、私が自分の両親に報いたことになるのだろうな、とは思うのです。そうやってつなげていくことが最大の親孝行なのだろうとは思うのです。
 でもどうもそれはできそうにない。それは本当に謝るしかありません。
 でもあなたたちの娘でよかったし、今私は本当に楽しく生きていて、それは両親がこういうふうに私を育ててくれたおかげだと思うので、日々感謝して、機会を見つけては親孝行せにゃならん、と思っては、います。


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『華クラ』中日直前にして想うことなどなど

2012年04月27日 | 大空日記
 初日から五連続観劇に続き、お茶会遠征も行ってきました。
 本拠地ラストのお茶会でしたが、あえて退団話を避けるということではなかったけれど、ヘンに湿っぽくならないよう、いつも以上になごやかでにこやかで朗らかで温かな空気に包まれた会になっていたと思いました。
 『カサプランカ』以降のお茶会は、入院でドタキャンした『クラナイ』宝塚お茶会以外はすべて参加しているのですが、ご機嫌で妙にハイテンションなときもあれば、さすがにお疲れなのかな静かだよね…みたいなときもあるものでした。
 でもなんか今回は本当にナチュラルで…それを感じて、ファン側も泣いてすがりつくみたいな感じを出さないようにして、心をひとつにして盛り上げている…みたいな印象を受けました。とても楽しかったです。

 そしてあいかわらずホントーに泣いていないワタシ…
 ツイッターでは報告済みですが、実はじゃんけん大会で勝ち抜いたんですよ。
 大空さんがグーチョキパーの札を上げる形でなく、実際に手を使って参加してくれたのがよかったのかもしれません。
 普段の私はじゃんけんが強いも弱いも特にありませんが、このときはなんとなく、
「自分だったらコレを出すな、だから大空さんもソレを出すな、だから勝つためにはアレを出せばいいんだな」
 という、よくわからない推理が働きまして、四回か?五回か?勝ち続けたわけですね。「わー私今大空さんと一心同体」とか思った自分が僕は怖い@ロミオ。
 というわけで最後の最後に勝ち残ったときにはさすがに鳥肌が立ってじーんとしたのですが、しかしだからって泣かなかった…
 入場時にロナウドばりに持ってきた赤い薔薇の花束から、一輪ずつもらうことになり、そのとき指が触っちゃったんですけど、そのときもぎくしゃく固まっていただけでした。
 勝ち抜いた10人くらいと集合写真を撮りましたが、そのときも固まっていたなー…笑顔が渇いていたにちがいない…
 まあそれはともかく。
 なのでそんな貴重な体験をできたのはとても嬉しかったのですが、やっぱり
「やめるのやめて、行かないで」
 みたいな涙、涙…の心境にどうにもなれないのでした。なんでなんだろう…

 『華やかなりし日々』を観ていると、たとえば冒頭のパーティー場面で、楽にはレナちゃんのソロに拍手が入ったりするんだろうな、とか、初日の場面のもちもちのソロや、ちや姉とえりぃの最後のハケに拍手が入るんだろうな、とか想像して、それでちょっとうるっとする、とかはあるんですよね。
 でも真ん中のことはなんかよく考えられない…
 東宝初日に最後に銀橋で花束を見つけるのがジュディに変更されていたら、泣いてやってもいいけどね原田先生!

 …それはともかく。
 「NOW ON STAGE」で大空さんが言っていたように、退団の実感はあるんですよ、ちゃんと。もう新しいお芝居は観られない、新しいショーは観られないってわかってる。男役・大空祐飛とはもうすぐお別れ、タカラジェンヌの大空祐飛はこの世に存在しなくなる、ってわかってる。
 でも、本人が消えてなくなっちゃうわけじゃないじゃないですか。
 彼女が「大空祐飛」をやめてしまっても、彼女は普通に生き続ける。芸能活動を始めるか、まったくの一般人になってしまうか知りませんが、とにかくこの世のどこかで(しかもおそらく東京で)生きていてくれるんですよ、明るく楽しく暮らしていってくれるはずなんですよ。
 私達一般のファンは彼女の「大空祐飛」以外の部分のことなんて知りません。リアル知人じゃないからね。でもわかりますよ、これだけ長く舞台を見続けているんだから、舞台を下りたところでも見せてくれる顔は見続けてきたんだから、「大空祐飛」をやっている人の中身というか人柄というかは、充分うかがえます。
 そして、そこもちゃんと好きなの。少なくとも、私はね。勝手にね。思い込みでもなんでも、ね。
 だから彼女が男役でなくなっても、「大空祐飛」をやめてしまっても、彼女は彼女だし、だから好きでい続けられると思うのですよ。
 そして、その彼女が幸せに生きていってくれていたら、それで私も幸せ、嬉しい、とか思える域に至ってしまっているんですねえ。ああ怖い。
 赤の他人なのに、直接知りもしない人なのに、その幸せをこんなに祈っている…! 神か!!
 …でも愛ってそういうものですよね。

 昨今の歌劇団のその他のドタバタを見ていると、実際には我々大空ファンはかなり恵まれていて、満足して成仏できそうな展開になっているワケじゃないですかここへきて。
 そら今まではイロイロいろいろありましたよ。でもなんだかんだ言ってトップスターにもなれた、いい嫁ももらえた、落下傘だけどいい組も作れた、3年間で本公演6作もやれた、オリジナル作品もできた。万々歳ですよね。
 終わりよければすべてよし。あとは悔いなく通いまくるのみですよ、そして笑顔で送り出すのみですよ。

 ショーの黒燕尾とかデュエダンとかも、もちろんじーんとするんだけど、でも私は苦労人なので(^^;)、アタマの片隅で、いつもなんかポカやらかすんじゃないかとかハラハラしながら見守っているようなところがあるのです。
 全然陶酔できないの(^^;)。失礼なくらい心配性。信じて酔えよ、って感じですが、そういう性格なんだもん仕方ないやね。
 最後の最後、挨拶とかでは、さすがに泣くのかなあ。
 でもそれはきっと、やめないで、とかの涙じゃないな。
 お疲れさま、大好き!みたいな涙になるのかな。

 泣かないようにしているつもりもないのだけれど、今のところ自分でも不思議なくらい泣いていないので、ちょっと考察してみました。
 涙で愛は計れないし、そもそも愛って計れないものだしね。
 でもとにかく愛してる。それにはムダに自信がある(^^;)。わあウザい。
 とにかく7月1日まで走り抜けますし、その先も愛し続けますよん!



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『負傷者16人』

2012年04月27日 | 観劇記/タイトルは行
 新国立劇場、2012年4月26日マチネ。

 オランダ・アムステルダムの街で小さなパン屋を営むハンス(益岡徹)のもとに、暴行されて血だらけになった青年マフムード(井上芳雄)が飛び込んでくる。ハンスはマフムードを病院へ運び面倒を見る。当初は反発していたマフムードも、やがてハンスに心を開くが…
 作/エリアム・クライエム、演出/宮田慶子、翻訳/常田景子。2004年ブロードウェイ初演、日本初演。全2幕。

 世界史でイスラエルの勉強をしたときは、なんというか感動してしまったものですが、では現代のパレスチナ問題とか、ユダヤとかアラブとかホロコーストとかの国際政治問題に関する知識とか常識はといえばそういったものが私にはほとんどなく(恥ずかしいことだとわかってはいますが、興味が持てないといってもいい)、そんなんでこんな、中東問題をモチーフにして現代劇についていけるのかいな、と不安に思いながらの観劇でしたが…
 やはり力のある戯曲は違う。そしてそれをきちんと役者がこなすと、遠い異国の、ぶっちゃけ違う世界に住んでいるようなキャラクターでも、ちゃんと存在感を持って、しかもチャーミングにさえ思えて、観客の心に届いてくるのです。すごいなあ。
 民族とか、宗教とか、人種とか、テロとか、強制収容所とか、わかんないじゃないですか、我々には。でも響くものがある。響かせる戯曲の力、役者の力、しみました。
 途中でラストは読めてしまったんだけれど、でもずっと、「それしかないの? そんなことないはずだよ?」と舞台に向かって叫びたかった。それくらい、ハンスのこともマフムードのことも、親身になれました。
 ここまで苛酷な環境で暮らしていなくても、家族のしがらみならたいていの人には理解できます。
 マフムードは新たな家族を得て、新たな人生を手に入れかけていました。そこに現れてかつての家族、兄アシュラフ(粟野史浩)はその存在感の重さといいほとんど悪魔のようなものでしたよ。それでもそこから逃れられなかった、断ち切れなかったマフムード…
 もう、ノラ(東風万智子)の子供が女の子であることを祈るより他に、我々にできることはないのかもしれません。
 だって女は戦争しないから。そして生まれた家を出て、新たな命、新たな家族を作っていくものだから。風のように、水のように。
 生まれてくる命には世界のすべてが待っているのに、ただひとつの神の名前しか与えられないなんておかしいよ。
 でも、そんな言葉は届かないんだろうなあ…
 一方もちろん、女性でもソーニャ(あめくみちこ)のように、結婚せず家族を作らず子供を持たない生き方をする人もいます。あまり語られませんでしたが、彼女の出自にもまたいろいろとあるのでしょう。
 だから愛こそがすべてだとか、埋めよ増やせよなんてことは言いません。
 でも、どこかに、そうでない生き方はなかったのマフムード?と問わないではいられないのです。弟のために、もといた家族を捨てられなかったのはわかる、でもだからって新しい妻と子供を捨てていいなんてことはあるはずがないんですよ。
 でももちろんマフムードが弟を見捨てて新しい家族を選び、それで本当にいい世界が、未来が作れたかというと、それはまたそう簡単なものではない、ということも感じてしまう、現代に生きる我々なのでした。
 傷を負っていない人は、この世のどこにいるのでしょうか…?

コメント (2)
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