駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

清水玲子『秘密』(白泉社JETSコミックス全12巻)

2012年12月24日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名さ行
 2060年ごろの日本。殺害された死体から損傷のない脳を取り出し、電気刺激を与えることにより生前に見たものが画面上に再現できるMRIスキャナーが開発され、犯人を突き止める捜査活動が確立されていた。科学警察研究所法医第九研究室で最先端の捜査を行う、室長の薪警視正とその部下の青木の物語。

 …とまとめてみたがはたしてそうなのだろうか…
 グロテスクな猟奇殺人も、美麗で端整な絵柄のこの作家が緻密にクリアに描くことで、かえってリアリティがなくなっていて、それは少女漫画コードとしてもよかったと思いますが、全体を通してやっていることはかなりハードで政治的な問題を描いていて、なかなかスリリングでした。
 それでも結局根源的なテーマは、そういう犯罪とか政治とか外交とかのキナ臭い問題ではなくて、人間が生きている限りおなかがすくように愛が生まれ大切なものが生まれそして秘密も生まれるのだ、ということであり、けれどこうした技術により真実は常に明らかにされてしまうものなのだ、ということなのでしょう。
 その真実至上主義に生き、迷い傷つく薪さんの姿はとてもせつないけれど、すべての真実が明かされたとしても結局それをどう解釈するかはまたそれぞれ周りの人々の心にゆだねられるのだ、ということも考えさせられました。

 で、現在はスピンオフとして遡った黎明期を連載中ですが、とりあえず完結した本編では最後の最後に雪子先生が別の人と結婚しているわけですが、これが意外と言えば意外だったかな…
 雪子先生と青木君はスタートが変だったしいろいろ山あり谷ありしすぎたけれど、雪子先生が青木君への愛情を再確認したことは本当に間違いがなかったと思えたし、よかったと思ったんですよ。
 だから青木君との未来があるのかなあと漠然と思えていたのですが…一方で、雪子先生はもちろんいい女なので、青木君がおたおたおろおろしている間にもっといい男を見つけてぱぱっとまとまってしまうということも十分ありえると思うし、その方が幸せということもありえるし、それに青木君が何かを申し立てられるものでもないと思うのでいいんですけれど…
 でもじゃあ結局これは薪さんと青木君のBLってことなんですかね?
 イヤ男ふたりがただ一緒にいるだけでなんでもかんでもBLにするなよ、という突っ込みがあるのはもちろん承知していますよ? でも結局そういうことじゃん、他に大事なものを持たないということは、セックスしようがしまいが、精神的にはそういう関係なんだってことなんでしょ?
 てかだから舞を配したんじゃないでしょうね。そんなのヤダよ、和歌子さんはそんなことのために死んだんじゃないよ。男夫婦はどうしたって子供を持てないから(女夫婦でも同じだけれど。養子という手はあるけれど)、姪を娘同然として家族のようになっていけばいいじゃない、みたいなことじゃないでしょうね? それはちょっとひどいと思うぞ。
 だって薪さんだって目隠しプレイ(オイ)の相手は女性だったじゃん、イヤあの場面の詳細が語られていないからよくわかんないけどさ、要するになんだかんだ言いながらも一応はヘテロなんじゃないの?と言いたいワケですよ。要するにヘテロの男ふたりが別に女を持たずにただつるんでるってのがヘテロの女にとしては腹立たしいから絡んでるんですよ私は、ええわかってるんです。
 でもそれってやっぱり不健康じゃない? どれだけ仕事に入れあげていても、ウマが合う同僚だとしても、すべてを尊敬できて心酔できる上司だったとしても、それでプライベートまったくなしにしていいって、人間的な暮らしじゃないと思うよ、私はね。やっかみ半分ですけれどね。
 まあ総じてそういう、例えばアンドロイド同士のカップルとか、そういうものを描いてきた作家だからさ、別に女性性への憎悪を感じるとかもないけれどさ(本人は普通にお母さんなんだし)、でもなんだかなーとモヤモヤしたことは言っておきたいのでした。
 とりあえずスピンオフも楽しみにしています。鈴木さんはどう考えていたのかとか、知りたいわ。





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雲田はるこ『新宿ラッキーホール』(祥伝社onBLUEコミックス)

2012年12月23日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名か行
 ゲイビデオに売られるため、仕込みヤクザ・サクマと同居し同性とのセックスを覚えさせられる苦味。やがてポルノスターとなった苦味はサクマをヤクザ生活から抜け出させたいと思うようになるが…

 最初に読んだときには、苦味とサクマの関係ってちょっとメッシュとドルーのようでもあるなと思ったのですが(萩尾望都『メッシュより』)、そんなことより、この全体を通じてあるなんというかドライでポップでいっそシニカルな空気が、特異な作風の作家だなあと感心しました。初めて読んだ作家さんなのですが。
 私は女性キャラクターや異性愛者が全然出てこないBLはあまり好きではないのですが、これはゲイビデオ業界(?)の話だから同性愛者の男性しか出てこないのが当然なのでOKです。
 ヤクザの任侠とドライさの描写もいい。
 何より、モノガミーとかフィデリティとかとは無縁の性愛のあり方がなんかリアルで、すごくいいなあと思いました。
 もっと湿っぽくドラマチックにセンチメンタルに描くこともできるモチーフだと思うんだけれど、絶妙なランボーさだなと感心し、愛蔵することにしました(^^)。



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秀良子『宇田川町で待っててよ。』(祥伝社onBLUEコミックス)

2012年12月23日 | 乱読記/書名あ行
 渋谷区宇田川町、人通りの多い街中で同級生・八代の女装姿を目撃してしまった百瀬は、その日から毎日「あのこ」のことを考えてしまう…臆病な女装男子と一途すぎる男子高校生との不器用で青いラブストーリー。

 
 このレーベルにはセンシティブでエッジの立った秀作BLが多く、これもおもしろく読みました。絵はゴツくて好みじゃないんだけれど、ヘンに整いすぎて綺麗すぎないところも、いい感じのリアルさを出しているなと思いました。
 八代は「クラスでいちばん派手なグループにいて」、どちらかと言うと影が薄く鬱屈した百瀬とは全然つきあいがなかったし、百瀬から見たらなんの屈託もなく生きているように見えていたクラスメイトです。
 そんな男子が何故女装するのか、そこにヘンに心理学的に解説じみたことを持ち込まないところがまたよかったと思います。なんの問題も内容でも、それこそが問題だということもあるわけだし、理由がわかったからって何かが解明されるわけではない。そんなことよりその先の方が大事で、百瀬は女装姿の八代に恋してしまったのだし、八代はそんな自分を見つめてくれた百瀬に応えたのです。
 これが同性愛なのかとか異性装なのかとかトランスジェンダーなのかとかそういうことはどうでもよくて、ただ惹かれ合った者同士が、心でも体でも魂でもつながった、というだけのことなんですよね。
 それを描いた佳作だと思いました。

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三浦しをん『舟を編む』(光文社)

2012年12月23日 | 乱読記/書名は行
 辞書は言葉の海を渡る舟である。その舟を編む、辞書を編纂する人々の物語。2012年本屋大賞受賞作。

 今さら読みましたが、やはり上手い。
 西岡のパートなんか、男性作家が書くと「ケッ」ってなりそうなんだけれど、やはり上手い。
 そして岸辺のパートが、表記が「みどりが~」とかでないのがいい。男性キャラクター視点の場面は苗字表記で女性キャラクター視点の場面は名前表記、というのは意外と多いと思う。でもそれっておかしいもんね、と今さらながらに気づかされたフェミニスト読者の私です。

 でもなあ…映画かかあ…なんでもかんでも映像化すりゃいいってもんじゃないし、漫画や小説ばかり原作にしていないで、映画もオリジナル脚本でもっとがんばれよ、とは言いたいよ…




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『祈りと怪物 KERAバージョン』

2012年12月15日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアターコクーン、2012年12月12日ソワレ。

 過去なのか未来なのか定かではない、架空の国に属する架空の町、ウィルヴィル。海と火山に囲まれたこの小さな島の小さな町は、ドン・ガラス・エイモス(生瀬勝久)に支配されている。彼は巨大な邸宅に長女バララ(久世星佳)、次女テン(緒川たまき)、三女マチケ(安倍なつみ)、後妻エレミヤ(峯村リエ)とともに住んでいる…
 作・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ、音楽/パスカルズ、美術/BOKETA。全3幕。

 10分ずつ2回の休憩含め4時間10分の長丁場でしたが、退屈はしませんでした。
 わらわら出てくる登場人物がつながり出していってさてどうなる、というのを追っているうちにカタストロフィが…というような展開なので。
 私はギリシア神話もシェイクスピアもまあまあ読んでいますが、そんな香りは出ていましたね。
 ダーク・ファンタジーとか大人のおとぎ話とか言われているようですが、むしろ寓話かな。痛々しかったり過激だったりおどろおどろしい部分もありますが、私は後味は決して悪いとは思いませんでした。何を描いたラストとはもちろん明言できませんが、死や眠りや夢や忘却や滅亡はみんなに等しく訪れるものなのだ、ということを言っているのだと私には思えて、そしてそれは別に当たり前のことで、後味が悪いとか絶望的で暗い終わり方だとかとは思えなかったので。
 同じ脚本で蜷川バージョンが年明けに上演されるわけですが、お衣装やセットや音楽は変わってくるのだろうし、どう違って見えてくるのかがまた楽しみです。

 サブタイトルでもある三姉妹は美しく禍々しい三美人で、ノンちゃんもちゃんとそう見えました。さすが役者だわ。
 蜷川版でスミカが演じるのは夏帆がやっていた被差別階級の娘レティーシャですよね? 背中しか見せないまでももろ肌脱ぎシーンがありましたよ、楽しみ!(オイ)

 ケラ作品では常にキーパーソンに扮する大倉孝二、このパキオテは蜷川版では誰がやるのかな?
 でも役の軽重や意味も違って見えてくるものなのかもしれませんね、それも楽しみです。


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