駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇宙組『エリザベート』中入り感想

2016年08月28日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2016年7月22日15時(初日)、23日11時、24日11時、31日11時、8月7日11時、9日13時、18時(新公)、13日11時、15時、14日11時、15時、15日13時、20日11時、21日15時、22日13時(千秋楽)。

 初日雑感はこちら
 Bパターン&大劇場新公雑感はこちら
 Aパターン雑感はこちら
 すべて日記レベルのもので、本来はひとつの演目についてマイ楽を迎えてからちゃんとした感想というか批評記事をまとめて上げることにしているのですが、今回は特別に、現時点でちょっとだけ、書いておきます。
 大劇場千秋楽翌日にみりおんの卒業が発表され、東京公演はますますチケ難になるかもしれませんしね。何よりチケットが回ってきても、フラットに観られなくなりそうです。てもそれだけ、お披露目公演でもサヨナラ公演でもなかった、ごく通常の、かつ円熟期の公演として観られた大劇場公演があったことは、本当にありがたかったです。
 みりおんの、浮世離れしたところのない、地に足付いた芝居、家族にも夫にも情愛があることが見えたことが、今回の『エリザベート』の方向性を決定付けたのではないでしょうか。ゆりかフランツもそれに応えて、ヘタレすぎたりマザコンすぎたりする役作りになることなく、真面目で誠実でちょっとだけ不器用そうなキャラクターになっていてとても良かったですし、そんな父母と対峙するルドルフも三者三様のあり方になっていてとてもおもしろかったです。
 そして何よりまぁ様が、キャラクター的に「死神」タイプなんかじゃないだけに、それでもクールなビジュアルにしっかり作り上げてきて、残酷だったり俺様だったりするんだけれどでも、根底には生来の優しさとか包容力とかが見えてそれが悩み惑う人間たちを根気強く待ってくれている神様(死神だけど)になっていて、素晴らしいトートだと思いました。
 だから全体としてのエキセントリックさが薄れた場合の、ルキーニのあり方がより難しいのかもしれませんね。私が気になっているのはルキーニがシシィを刺したあと、単純に言えばまぁ様が階段下りてきてみりおんが喪服を脱いで最後の場面のお衣装になるまでの時間を稼ぐための、警官と揉み合って哄笑する何十秒かが、もあちゃんスターレイの叫び台詞がちょっと聞き取りづらいせいもあって場面が埋まっていない感じがするところです。愛ちゃんの演技がどうとかいうより、演出の問題の気がするのですけれど。あのあたりが肝なのかなーと思ったりもします。あとそのあと、ルキーニが上手にいてトートがどセンターで登場してシシィが下手に現われるところ。これでバランスが取れているのかもしれないけれど、でもこの三人は三角関係とかではないじゃないですか。トライアングルを作っているのはトートとシシィとフランツ、あるいはトートとシシィとルドルフであって、今回のルキーニは特にトートしか見ていなくてシシィのことは眼中にない気がするし。そしてルキーニがハケちゃうと上手は空っぽになってしまう。宝塚歌劇だから、主役だからトートがセンターにいるのは当然のような気もするけれど、シシィと対等に左右ちょうどいいバランスに立っていたほうがいい気もするし、私はなんかモヤるのでした。
 でもここまで、みっつの印象的な「違う!」という台詞があって、それは運動の間でシシィがトートに「おまえが愛するのはこの俺だ」と迫られて言う「違う!」と、ルドルフがエルマーに「救世主になれる」と請われて言う「違う!」と、最終答弁でトートがフランツに「あなたは怖れている、彼女に愛を拒絶されるのを」と糾弾されて言い返す「違う!」なのですが、そういう「抵抗」がここまで物語を推し進めているのだな、と改めて思います。そしてフランツに「違う」という台詞はない。内心では母ゾフィーに対しても妻エリザベートに対しても息子ルドルフに対しても思ったことがあったでしょう、でも彼は口には出さなかった、ただ黙々とがんばった人なのでしょう。そしてルキーニは裁判官には抗弁するけれど、そもそもそういうポジションにはいない。そこが肝なんだろうなあ、と思うのです。彼は抗うことなくただ漂っている、まさに浮世離れして見せる必要があるのでしょうからね。そういう独特な存在感が出てくると、より深くおもしろくなるんじゃないのかな。愛ちゃん、期待しています。
 あとはもう、ルドルフ語りですね。というかこうなるとホントは東京もCBAの順で観たかった。役者の負担は別にして。
 だって絶対りくくんもずんちゃんも芝居が変わってくると思うんですよ、他のルドルフを見て。それを見てのさらなるあきルド、が見たかった。まあこの中では意外にそういうことで芝居が変わる人ではないのではないかしらん、と思わなくもないのだけれど。
 何度か書きましたが役替わりなんてそのうちの最下級生を上げるために劇団が仕組むものに決まっていて、大劇場初日と東京千秋楽とDVD収録をCパターンにするってのもそういうことなんですよ。でもどうせブルーレイを出すんなら、どんなに高額になろうとも全パターンをフルで収録してほしいです。受注清算にしたっていいんだからさ。周りのみんなの演技はみんな違うんだから、ツギハギで編集するのは捏造に近い。せめてルドルフ登場場面はすべて収録して、革命家たちも抑えてほしいです。三人の生徒はルドルフ役だけを役替わりしているのではないのですから、きちんと取り上げないのは不当です。脚本を収録しないなら「ル・サンク」だって写真くらい全パターン抑えてほしかった。だって写真は舞台稽古のものじゃないですか、なら初日前にひととおりやったはずでしょう。
 贔屓が絡んでいるから言っている、ということもありますが、仮にも均等に上演したんだから(例えば『ローマの休日』のAB役替わりは公演回数の差から扱いに軽重があるとされても仕方ないと個人的には思います)公平に扱ってくれよ、とは言いたいです。もちろんそもそもは役替わりに入れていただけただけでありがたいんですよ、それは発表時の日記でも書きました。ずんそらもえこでやってたっておかしかなかったと思ってましたから、もう大臣とかなのかなって思ってましたからね。でもやるならちゃんとやってくれよ、と言いたいってことです。だって生徒は本当にがんばってやっていて、かつちゃんとしていたんですから。みんな好評だったんですから。絶対に大変だったはずなのに、三人ともあんなに痩せちゃったのに。報いてあげてほしいです。
 三者三様のルドルフ、本当におもしろかったなあ。どうしても中の人のイメージを重ねて見てしまうところがありますが、役者の持ち味とか個性ってそういうものだとも思うし。思い込みもあるかもしれないけれど、新たな発見もあって楽しかったです。
 以下、本当に私個人の感想となりますが、ずんちゃんルドルフは最初に観たせいもあって本当に正統派だったかなと思います。あと初日から本当に完成されていて、技術的にしっかり確立されていました。遅れて来た宙95期だけれど、私は大事にじっくりド路線で育てられてきたスターだと思っていて、すごく買っているんですよね。
 そういう点を評価しているからか、なんかすごく「急進派」に見えました(^^)。確信犯的というか、新興勢力というか、ホントにがっつりパパとケンカしている感じというか。鞭の傷跡のことをガチで恨んでいると思う。思春期的な青さもあるんだけれど、フランツがホントに手を焼いていて苦々しく思っていそうな。
 上手く転がったら革命も独立も成功したかもしれないんだけどねー、組んだ相手がロイヤルすぎたかなーというか(^^;)。ジュラとツェップスは固定だから別にして、あきりくじゃホラやっぱ甘いお酒で女子会してそうじゃないですか。
 でもずんルドはあきエルマーに理想の父を見ていましたよね、だから組んじゃったんだよね。ごめんね?(私が謝っても)
 ママに対しても、同期だからというのもあるけれど、すごく頼っていたとか傾倒していた、心酔していたという重さはあまり感じられなくて、でも最後の砦が崩れてバッキリ打ち倒された…という感じがしました。あと上着脱ぐのが上手い(笑)、素晴らしい。
 りくルドルフは本当に甘くて優しかったよね、いい子だったよね。この息子に対しては、フランツは自分ががんばって振り切ってきた弱さや優しさを彼の中に見るようで、歯がゆかったり幻滅したりしていたんじゃないかな、と思いました。本当は似ているのにね、この父子こそが鏡なのにね。
 普段のりくの、本当によく気を遣ういい子なところを知っているだけに、そんなりくルドが小さいころ放任でかまってもらえなかったなんてそりゃ泣いちゃうよ寂しがり屋さんになっちゃうよ、って感じでした。お勉強も本当は好きじゃないし、政治のことも両親の関心を買う手段にしか過ぎなかったようなところがあるかもしれないけれど、とにかく一生懸命だったんだよ、と守ってあげたくなるようなルドルフでした。トートからしたらぺろりと一口丸のみ、みたいな。
 まどかの子ルドもこのころから本当に歌い方、芝居を変えているなという印象でした。
 そしてあきルドはねえ…どうしてあんなふうに育っちゃったんでしょうねえ…
 例えば初めて台詞を言う場面、のっけから「闇が広がる」の前奏が流れているんですよね。普通は討論場面がもともとあって、途中どこかで空気が変わる演出として音楽が入ってくるじゃないですか。つまりこのくだりには描かれていないだけで前半パートがあるのであって、つまりこの父子はずっとずっとこういう平行線の議論を重ねてきたのだ、というのが初めてわかった気がしたのでした。この場面はトートとの「闇広」との前振りなんかではなくて、さんざんされてきた父子の対立場面の最後の一押しだったのだ、ということです。
 つまりそれくらい、あきルドは皇太子として、次期国王としてきちんと立っているように見えました。優秀で聡明で賢明で堅実で、国家と国民と一族と世界を見ていて、みんなによかれと思っていろいろ考えていていろいろ提案しているのに、父の理解が得られない。それでがっくり膝を突いてしまう…(どうでもいいけどそのあと顔を覆いながら仰向く必要以上に色っぽい振りってなんなんでしょうね? 怒りすら湧いたわ…!(笑))
 ものすごく優秀で、フランツもものすごく期待していたんじゃないかなあ。自分の方が古いのだろうか、間違っているのだろうかと怯えることがあるくらいだったんじゃないのかなあ。最後の最後の最後まで、ああは言っても自分の跡継ぎはルドルフしかないと思っていただろうし、まさか自死を選ぶとは…と驚愕し動揺したと思う。葬儀での悲嘆が一番激しかった気がします。
 愛情をかけられずに育ったわりには曲がらずまっすぐに育ったのに、やっぱり満たされないうつろな部分はあって、そこにトートはするりと入ってきちゃったんですよね。ルドルフを翻弄するトートのまあ楽しそうなことと言ったら!
 そしてママ。ママのことも敬愛していて尊敬していて、本当にその帰りを待っていて。話せばわかるはずだと思っていて、信じていて。でもシシィは本当にいろいろ疲れていたんだろうなあ、だからこそ家に帰ってきたんだろうし、そんな精神状態では息子のそんな話はとても聞けなくて、つい甘えて逃げたんだろうなあ。また今度、ゆっくりね、って。そういうふうに、責められないなと思えたシシィはなかなかいなかったかもしれません。
 でもそれでルドルフは折れてしまった。というか、それでもまだ彼は立ちあがれたかもしれなかったのに、トートが待てなかったんですよね。そりゃ美味しそうな獲物でしたでしょうよ、ゆっくりねちねちしゃぶりつくされて小さくなっちゃったからあんな小さな棺に収まるようになっちゃったんだよ!(違います)ああ悲しい、ああせつない、ああ色っぽい…
 普段はホントにほややんとしている人なのになあ、なんであんな濃く深く激しい芝居ができるんだろうなあ。上着の脱ぎ方は東京でがんばってもらうことにして(オイ)、ますますの濃さ、深み、激しさを期待しています。ホント、よくある、ちょっと病的な優男に作ってくるのかなとか思っていたからさー。強くて意外だったなあ、そして惚れ直しました。私はファンイチ贔屓を信じてない自信があります…(笑)それで言ったら中の人が心配すぎてまだ泣けていませんから! 『激情』とか二度目から号泣だったけれど(初日はやはりいろいろ心配で、あといろいろおもしろすぎて泣くどころではなかった)、やはり愛のあり方が違うんだよなあ。重くてめんどくさくてすみません。ホントは役と物語に没頭して泣きたい派なんですけれどね。でもそれが私の愛なんだ!

 それで思い出したけれど、病院場面でシシィとヴィンディッシュが扇を交換する演出が復活したのは素晴らしいと思うんだけれど、トートがエルマーから取り上げた銃をルドルフに渡す、という演出は何故なくしちゃったのかしらん? はっ、なーこたんにお手紙書いたら東京から直るかな? 私はあれはとてもいい皮肉というか、トートっぽい行動だなと思うんですよね。かつて母を狙った銃口を自分に向けることになる息子、というのも泣かせると思うのです。泣いてないんだけど。復活希望!
 というワケで、東京でのますますのブラッシュアップを期待しています!





コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宙『エリザ』Aパターン初日雑感&プチ澄輝日記

2016年08月16日 | 澄輝日記
 初日雑感はこちら
 Bパターン雑感はこちら

 というワケで8月13日11時のAパターン初日初回から連続5回、ベタ観劇してきました。あっきールドルフ、りくエルマー、ずんちゃんシュテファンです。
 りくはなんかタカ派の政治家みたいな熱さがあったかな。ずんちゃんもけっこう猛々しいので、かなこジュラがやや落ち着いた年上キャラに見えました。おもしろいものですね。
 この、すっかり武闘派になった革命家たちの後年のイケオジっぷりはまだ見られていません、すみません。何故なら真ん中に殿下が来ちゃうからです…! 以下、完全にファン目線の私見です。

 心配性なので事前に低く見積もりすぎるきらいがある私ですが、そんな私の低い予想と実はこっそり高く抱いていた期待を遙かに超えた、素晴らしい出来のルドルフだったと思いました。多分これは贔屓目ではないと思う。なんならずんルドが優等生的だったなと思えるほどに、思いの外、強く激しいルドルフでした。
 病んでくることはないだろうと思いつつも、優しすぎたり儚げだったり脆そうだったり神経質そうだったりするルドルフになるのではないかな、と思っていたのですが…どうしてどうして、政治的で情熱的で、現実の中で戦いもがく熱い青年になっていました。意外! そして素敵!!
 プロローグは霊魂のみなので、まあ歌が一節あるとはいえ…って感じでしたが、ヴェール越しにも綺麗な前髪と綺麗な額が見えて、青い軍服に白いパンツ、黒のスターブーツでもうそれだけで「おおぉ…」と早くも動揺したワタクシ。
 二幕に入って、まずはまどかちゃん子ルドが出てきますが(ちなみに彼女の冒頭の「ママ」四連発は絶品だと思います!)、トートが現れたときの「誰?」が今までよりすごく怯えが強くて繊細に見えて、前夜の新公ステージトークで「三人それぞれのルドルフにつながっていくように演じられたらいい」みたいなことを言っていたので、大人ルドルフもやはりそういう方向性の役作りになるのか?とさらに興味がわきました。
 で、「♪皇太子は成人」で登場するわけですが、手にした新聞の記事を読んでぱっと笑顔を浮かべ、でも父親に取り上げられて破り捨てられると、ちょっと口とんがらしてむくれるんですよね。若い! 可愛い!って感じ。もちろん長身に軍服が映えてすごくノーブルでロイヤルで素敵なんだけれど、私にはすごく少年めいた登場場面に見えて、激しくときめきました。
 そして再登場、ここでは先ほどから少し年月がたっているのだろうけれど、第一声の「父上、何故おわかりいただけないのですか」がすごく深くていい声でしっかり大人になっていて、はっとさせられました。エルマーのときに台詞の発声がこもって聞こえて心配、みいなことをここで書きましたが、もはや全然そんなことはない、力強くてクリアで明晰でよく響く口跡でした。
 そしてすごく激しくフランツに迫っていく。応えるゆりかの台詞もいつもより強い。父子の対立ががつんと、そしてふたりの平行線っぷりがくっきりと表現され、父親に献策を否定されたルドルフががくんと膝を突き、可愛い三角座りをしたところに、ひっそりとそしてなんだか嬉しげに、トートが忍び寄る…その存在に気づいたときのルドルフの、一瞬浮かべる嬉しそうな笑顔と、当惑と怯え、みたいなくるくる変わる表情! そして「♪友達を忘れはしない」のエエ声! 続くハーモニーの美しさを早くも予感させて、震えました。
 そこからの「闇広」はもう完全に恋歌でしたよね!? まぁ様トートは完全に誘惑モードだし、あきルドも危険だとわかっていてもあえて流されたいと思っている…みたいな空気がありました。トートのスーパーロングアームに抱かれながらルドルフが傾く振りって、要するにそういうことですよね!?って感じ。しかも、下の音もよく出ていて素晴らしいんだけど、たとえば「♪僕は何もできない、縛られて」の歌い方とかホント芝居味が強くて、こんなふうにも歌える人だったんだ!?と仰天しました。上手い!!!
 銀橋のあたりでは、りくルドのときは「りく、逃げてー!」とか思ったものでしたが、今回は「まぁ様、優しくしてあげて…」と思いましたね。だってあきルドにはある種の覚悟のようなものがすでにあるんですよ…
 キス寸前のくだりも吸い寄せられるようでキャー!だし、そのあとのやや平板に歌われがちな「♪王ー座ー!」もすごくニュアンスがあってよかったし、トートに幻惑されて何か見てはいけない世界を覗いてしまったのね…!というのがすごくよく伝わりました。ふたりが歌い終わって、後奏終わるのが待ちきれなくて、私が拍手切った気がします…みんな息を飲んで見守ってるから拍手のタイミングが遅れがちなんだけど、それじゃ中の人をダメだったのかな?と不安にさせちゃうんじゃないかと思って、つい…
 第二パート、ルドルフはトートに導かれるようにして革命家たちが集うカフェへ。
「駄目だった、父は説得に応じなかったよ」
 がまたものすごくいい声で、本当に大人で。そこで椅子にどっかり座るんだけど、もうカフェの椅子が王座に見えますよね。いい王様、いい為政者になりそうなオーラがあるのです。でも政治的には行き止まり…
 トートが革命家たちを扇動して、ハンガリー独立運動の蜂起を煽ると、「♪だが私は反逆者」と歌いますが、そこに迷いと躊躇いが浮かぶのがまたいい。「♪救世主になれる」と歌うエルマーへの「違う!」は、かつて同じ言葉でトートに抗弁した母の台詞そっくりだったかもしれません。
 そう、彼がハンガリー国王の座を夢見るのなら、そのとき王妃になるのは妻ステファニーなはずなのだけれど(『うたかたの恋』のステファニーが私は大好きです)、ここではルドルフはシシィと並び立つことを夢想してしまうんですよね。あまりかまってくれることのなかった、けれど憧れの、美しい母親…
 幻の王冠を取り上げられると途端に小さな子供のような顔になって、そのまま弄ばれるように蜂起の渦の真ん中に立たされて。煽られて未来と理想を夢見て輝くルドルフの美しさたるや!
 でも銃声が響くとこれまた途端に怯えとまどい、事態にただただ困惑し、エルマーたちを逃がすのにもものすごく不器用で。自分が囮になって彼らの盾に、なんて感じじゃ全然ない、ものすごく場当たり的で。あっという間に逮捕されて、父親と向かい合って、再び闇に突き落とされて。
 第三パートは「僕はママの鏡だから」。まずうなだれて柱にもたれ掛かる寂しい背中が、まどか子ルドの四度目の「ママ…」のつぶやきのときそっくり。
 そこへ待ち焦がれた母親がやっと帰ってくる。ぱっと浮かべる笑顔の悲しく美しいことよ! それにくらべてシシィの無表情には変化がありません。それでもルドルフは話せばわかってくれるはずと思っている、だから切々と歌い説明する。出るか出ないかヒヤヒヤさせられる人もいる「♪滅亡から」の「め」の音もすごく綺麗に出ていました。なのに「♪ごめんなさい、ルドルフ」…視線が揺らめいてゆっくり母親の方に向いて、眉がハの字にせつなく寄せられて…シシィは手を取ってくれるけれどそのままするりといなくなり、ルドルフはひとり残される…
「もうこれ以上生きるあてもない…」
 でもトートが現れなければ、彼はなんとかしてまた再び立ち上がったのかもしれません。それくらいの強さ、健やかさは彼の中にまだ残されていたと思うのです。その最後の糸一本を断って、トートはルドルフを追い込みます。てかまぁ様、腰に抱きつかれたときにエクスタシーっぽい顔するのやめてよね!
 上着の脱ぎ方(脱がされ方)は初回が一番自然だった気がして要修行ですが、ダンスは脚が高々上がって素晴らしい。反った背中も美しい。黒天使たちがみんな激しくひどく翻弄するので、「かける優しくしてー!」と叫びそうになる私…
 そしてトートが差し出す拳銃を受け取ってしまい、腕がゆっくりと上げられ、自決…
 がくりとうなだれた顔をあおのけて、キスするトート。そのあとセリ下がるまでに、ルドルフの髪に頬摺りしますよね…もう、もう、もう!

 …という感じで、脱力です。
 とにかく濃く強く激しく鮮やかなルドルフで、まさに大輪の花を咲かせた15分間に私には思えました。初日はあまりの衝撃と、ライトだマイルドだシンプルだと言われてきた今回の宙『エリザ』を壊す、逸脱する場面になってしまったのではなかろうかという懸念に私は震えたのですが、どうしてどうして、その後の芝居の空気までもが変わったようでしたよ。
 ルドルフの葬儀でフランツは棺に覆い被さらんばかりに悲嘆を見せるようになり、よろよろ現れるシシィの落胆ぶりもかなり激しくなっていて、くずおれる寸前に夫に抱き止められる形になりました。その後のシシィのトートへの「♪あげるわ命を、死なせて」も悲愴になり、それを受けてのトートの「死は逃げ場ではない!」も激烈になりました。そして物語は終盤へと突き進む…
 やはりそれくらいのインパクト、存在感のあるキャラクターだったのですね、ルドルフという役は。悪目立ちしてもかまわないくらい、本当に本当に大役だったのです。それをやりきったあっきーよ…!
 役替わりなんて、劇団の意向は最下級生にあるものです。そんなことはわかっています。でも、今回のあきルドには何かが確かにありましたよ…! トップスターになることがすべてではない、路線がすべてではない。それでも、何をかはわからないけれど、とにかく何かを逆転する輝きを私は見ましたよ…!

 フィナーレの群舞はルドルフをちょっと引きずっているようにも見えて、血の気がないままにクールに踊り、けれど後半は口を開け出したりひらりと笑みを口元にひらめかせたりするので危険度MAX。そしてパレードは、吊り物で見えなくても上手から白いパンツと黒のスターブーツが歩いてくるのが見え、まず一段降りてスタンバイして、そこからリズムよく降りてきて、ひとりでセンターに止まってにこやかに晴れやかに歌って…! 『王家』博多座でもひとり降りをしていますが、やはり大劇場の大階段には格別のものがありますね。明るくて伸びやかで朗らかな歌声の「♪僕たちは似た者同士だ」がもうキュンキュンきました!
 そして最後の銀橋では、みりおんが屈んでお辞儀してくれるんですよ! トップ娘役さんとご挨拶するんですよ!! 感無量…!!!
 初日初回は卒業したばかりのPちゃんやタジィが観に来てくれていたそうです。同期にこの勇姿を観てもらえてよかった…! スミカもどこかで観てくれないかなあ。そしてともちんやちーちゃんや大空さんにも!

 以下、ナイショというか、あくまで私が見聞きしたこととして、ですが。
 なんか、中の人はあいかわらずけろりんぱとしていて、初日の入りでも「お待たせしました! みなさん待ってましたよね、私もです!」とかあっさり言ってにこやかに笑っちゃって、プレッシャーを感じたりナーバスになっている様子はまったくありませんでしたし、出ではすごい人数になっちゃったので二列になったくらいじゃ端まで声が届かないからと、結局十重二十重の円陣(笑)が組まれ、その真ん中でくるくる回りながら話すおもしろいことになっちゃったのですが(「お尻を向けるのは失礼だから…」ってくるくるし、結果全方位に均等に失礼なんだけど、ぺたんこのお尻が可愛かったからもうなんでもいいよ!)、やっとルドルフができて嬉しかったようだし一安心したようでもあり、とにかくご機嫌さんでした。重圧に押しつぶされるとか、暗い闇に引っ張り込まれるとか、ホント皆無。もともと役を引きずらないタイプだけれど、追いつめられて病みかけて猫を飼い始めちゃった大空さんとは大違いです。
 大物というか、あっけらかんというか、もうそれはそういう性格であり人となりであり、そういうところをもう丸ごと愛しているので、みんなもう、あなたが幸せなら私も幸せだよ…の境地なのだと思いますが、温かい空気に包まれた、素晴らしい一日になりました。「エーヤンルドルフ、エーヤンあっきー!」のかけ声にビックリして、すぐ嬉しそうな笑顔になったこと、忘れられません。 

 そしてそして、「お互いおめでたいですね」なんて言葉をいただいた誕生日になりました。なんてなんて優しいんでしょうね…!? 本当にありがたいです。
 お友達たちともお茶したりごはんしたりバッタリ会ったりハグし合ったり過分なプレゼントをいただいたり奢ってもらったり、たくさん遊んでいただいていっぱい話せて、幸せな遠征になりました。今週末からの千秋楽遠征も本当に楽しみです!





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宙『エリザ』Bパターン&大劇新公雑感&プチ澄輝日記

2016年08月11日 | 澄輝日記
 7日11時と9日13時のBパターンも観劇してきました。役替わりはりくルドルフ、ずんちゃんエルマー、あっきーシュテファンです。
 あっきーエルマー回のマイ楽にがんばってシュテファンの立ち位置も見ておいたので(笑)、プロローグの霊魂もすぐ見つけられました。上手側とけっこう振りが違うので新鮮でしたね。そして冒頭のりくルドの甘やかな歌声にはっとさせられました。
 シュテファンの軍服はりくが着ていたものとはちょっと違うようで、渋いオリーブグリーン。私服のフロックコートになっても同系統のグリーンでした。軍服のときは帽子なので襟足が長いことしかわかりませんでしたが、ウィーンに行ったらセンターパーツの前髪の貴公子っぷりにクラクラしました。
 全体に、熱いずんちゃんエルマーを抑え諭すような年上っぽい役作りで、冷静で慎重なキャラクターに見えました。新聞の揃え方がまめまめしいのもツボ(^^)。
 でもこの革命家たちって、トート閣下に操られて後半はほとんど黒天使化して、ルドルフを無謀な賭けにそそのかすようなポジションになるキャラクターなんですね。あっきーがエルマーからシュテファンに変わったことで、私にもやっとそんな視点が得られました。
 というか全体にお芝居が進化していて、観やすいお席をいただけたというのもあるのですが、生徒たちが「こう演じたい、こういう人間の生き様を表現したい!」と訴えていることがビンビン伝わるようになってきていました。ファンはみんな知っているような、様式化して考えられがちな人気再演演目だけれど、やはり今現在、ナウ、新しく演じられている立派なひとつのお芝居であり作品であり、その一期一会の中で深まっていくものなんだな、と改めて考えさせられました。
 トップ娘役として飽きたとか歌は上手いが心に響いてこないとか私がわりとここで散々言ってきたみりおんですが、いやいやどうして、シシィ、いいですよね! なんかね、本当に芝居がいい。嫌みのない、共感できるシシィで、観ていて本当にストレスがないのです。素晴らしいことだと思います。掌返してすみませんが、ヒロインがいいと物語が見やすくていい。
 みりおんシシィはフランツをけっこうちゃんと愛していること、でもゾフィーから守ってくれなくてショックだったこと、それで一旦は死んでやる!とか思っちゃうんだけどやっぱりそんなこと簡単にはできない健やかさ、まっとうさがあることがよくわかって、悲愴でなく「私だけに」を歌い上げ、子供たちを取り上げられた母としての純粋な嘆きを見せ、意地で姑と対立しているわけではなく、愛する夫を苦しめていることがわかりながらもおとないを拒否せざるをえず、でも死神の誘惑も拒否し、美貌を武器に懸命に戦って民衆を味方につけハンガリー王冠も手にし、三度目の死神の誘いも「お誘いありがとう、でもけっこう。私は私で好きに踊るわ」と今度は余裕の笑みで断れる。なんかとても清々しいのです。
 病院の場面も、以前はモンチのヴィンディッシュの素晴らしさに泣けていたのが、今はシシィの心情に泣けるようになりました。今まで私はずっと、シシィはもはや好き勝手に旅しているのにここでなんで束縛されたままだと歌うんだろう?とか疑問に思っていたりしたんですよね実は。でもみりおんシシィは、本当はフランツのこともルドルフのこともちゃんと愛していて、本当だったら普通に王宮で彼女なりに良き妻良き母良き皇后として暮らし務めを果たし生きたいと思っている、のがわかるのです。それがせつない。そして、だけど、裏切りが許せなかったりつらい思い出が忘れられなくて、王宮にいられない。反発する磁石のようにグルグル王宮の周りを回っているだけで、旅をしていても実はどこにも行けていない。そういう自分に囚われているんですよね、そういう歌だったんですよね。だから「♪あなたの方が自由」なんですよね…
 誰にでも、自分でもどうにもならない自分というものがあるものです。その普遍性、悲しさに、泣けました。
 けれどシシィにはいつしか、それこそルドルフを失ったころから、旅のゴールがどこかにあるはずだ、行き着くべき場所が夫のいる王宮とは別のところにあるはずだという気がしてきて、旅のための旅を重ねるようになる。その果てが、レマン湖だった、トートがルキーニを遣わした地だったのだ…と、やっと私には自然に思えたのでした。そんなシシィを辛抱強く愛情深く見守り待っていてくれるまぁ様トートあってこそのことかもしれませんが、今回の『エリザ』はいろんなことが腑に落ちて、そしてとてもロマンチックに仕上がってきている気が、私にはします。
 そしてりくルドは、優しげでいい子っぽそうでホントにママ大好きっぽかったです。ずんルドは強く凛々しかったけれど、りくルドは繊細で脆い印象。ずんルドは政治的でりくルドは家庭的、というか。いいルドルフでした。
 歌はまあ安定のりく歌唱なんだけれど、ダンスの脚が高々上がるのが観ていて気持ちよかったです。
 でも観ていてだんだん「次はこれをうちがやるのか…」という気持ちになってきてしまって、ちょっとそわそわおちつかない気になってきてしまいましたよ…
 あっきーはフィナーレでは襟足の付け毛はなくして前髪センターパーツのまま出てきて、ちょっと若いというか青いというか幼く見えて、ヤング・シュテファンなのなんなのその美少年っぷりは…!?と激しく動揺、震撼しました。上手端で観たときに群舞のラストで流し目みたいな視線が飛んできて、死にかけました…
 ルドルフは金髪でこないかなー、フィナーレは前髪下ろしてたりなんかしたら死ぬなー、とか、さらにワクワクさせられたのでした。

 お友達が友会で当ててくれたので、新公も観劇してきました。
 『白夜』『シェイクスピア』と新公を観てきていて、もえこの美声は武器だけれどお芝居はまだまだかなと私は思っていて、でもその良かれ悪しかれフェアリータイプっぽいところがトートとしての浮世離れ感に上手く出るのではないかと期待していました。でも、「死にたてのフレッシュさ」と表現する秀逸なツイートを見かけましたが、そういう中途半端さに出てしまった気がしました。新人の死神、プロの死神としては弱そうというか黄泉の帝王とは言いづらい感じ。でもそれだけ人間だったころの感情や記憶に囚われていそうな、要するに感情に乗った芝居が以前よりも格段にできるようになったもえこが、そこにいました。おもしろかったです。
 言われているほどには私は彼女がキタさんににているとは思わないできたのですが、今回は本当に似て見えたなー。メイクのせいかな? 髪形も自分に似合うものをよく研究したようで、よかったです。
 そしてまどかもやや一本調子だったアイーダの芝居から、格段の進歩を遂げていたと思いました。序盤の幼さから老境に至るまで、きちんと年月を表現できていました。たいしたもんだ! みりおんシシィより感覚派、感性派として動いている感じがしました。
 そしてそしてあーちゃんのフランツが素晴らしかった! これまた歌が上手いのはわかっているし、でも持ち味として重々しくなりすぎちゃうかな?と心配していたのですが、序盤はちゃんと若々しく頼りなげに作れていて、「嵐も怖くない」が甘く爽やかで、執務室のシーンもすごくよかった。後半の歳の取り方がゆりかより早巻きな感じなのもおもしろかったです。
 上手いのがわかっていたそらのルキーニも、一本立てを新公用にダイジェストにするにあたり大量に改変された台詞を難なくこなし、各国美女や大使がいなくてひとりきりの「キッチュ」を場を掌握して歌い、鮮やかでした。
 ルドルフはこってぃこと鷹翔くん。これまた美声なのは知っていましたがお芝居は未知数で、まあそのまんまの、青く若いルドルフで、難しいことはあまり考えていなさそうで(^^;)、それはそれでルドルフとしてもよかったかな。これまたおもしろかったです。
 せとぅーのゾフィー始め大臣チームがさすが達者で、あきもグリュンネの巧まざる色気にはちょっとクラクラしちゃいました。なっつシュヴァルツェンベルクもとてもよかった。
 裁判官の声もやったほまちゃんマックスもさすがでした。本公演のバイト三昧もすばらしいもんね。ルドヴィカのしぐれちゃんも美人ですよねー。
 ヘレネはららたん、かっわ! そして娼婦でエビちゃんポジに入っていて髪型も変えて二度美味しい。「♪うちの娘もっときれい」でりらのところをやっていた話題の美少女・陽雪アリスちゃんもめっかわでした。
 マダム・ヴォルフはまいあたん。もうちょっとヒロイン路線の役もやらせてあげてほしいと思う、最近の私の贔屓なんですけれど、華やかで艶やかでパンチがあってよかったです。対してさよちゃんのリヒテンシュタインはちょっと印象薄かったかな? 歌えるんだけどなかなか前に出てこないんですよねえ…子ルドの湖々さくらちゃんも歌が上手くて可愛くて、うはうはしました。
 希峰くんのツェップスがノーブルでガン見。エルマーの真名瀬くんも美声ですよね。シュテファンのりりちゃんは軍服はよかったけどフロックコートの着こなしが残念でもったいなかったです。そしてジュラの琥南くん、本公演の執事はシンメのあきもをつい見ちゃうんでなかなか見られないでいたのですが、いいねいいね美形ですね!
 優希くんのマデレーネはなかなかごっつい太腿していましたが、脚が高々上がって素晴らしかったです。
 モブが少なく、コーラスも薄くなる中、みんな健闘していたと思いました。
 プロローグでは霊魂たちはいなくて、ルキーニが下手から登場し、上手に置かれた絵からシシィが飛び出して始まります。なのでトートの登場はシシィが木から落ちてから。なかなか難しいですよね。
 結婚式はなくて舞踏会からで、舞踏会自体も細かくカット。ハンガリー訪問も革命家たちの台詞のみ。戴冠式や「私が踊る時」もカット。まあ尺の関係でつまめるつなぎはすべてつまむ、のは仕方ないにしても、そういうつなぎが物語に厚みを出しているもので、やはり本公演の芝居の緊密さ、素晴らしさに改めて思い至りました。最終答弁がなかったのは私としてはけっこう痛くて、フランツと言い合うことなくトートがルキーニにナイフを渡しちゃうと私は本当にこのお話の解釈に困るので、ちょっと呆然としちゃいました。シシィの生きる意志を尊重して待ち、シシィに愛される日を待っていたはずのトートが、率先してシシィを殺しに行く(ルキーニに殺しに行かせる)わけがないんだけどなあ…と私は考えているので。
 このあたり、引き続き本公演でも考えていきたいです。まあAパターンの最終答弁もルドルフを見てしまって真ん中の芝居が見られ、解釈不能…となりそうではあるのですが。すんません。

 それから先週末には澄輝茶もありました。わりとベーシックな出来だったかと思います(^^;)。『シェイクスピアイズ』東京茶や『王家』博多座茶のような神がかった空気や盛り上がりは生まれていなかったと私は思いましたが、フツーに楽しかったです。
 でもやはりまだルドルフ前というのはあったのかなー。お疲れは見せず、元気でニコニコしていましたし、翌朝も「盛り上げてくださってありがとうございました、いい会ですね!」みたいなこと言ってまたヒューヒュー言われてニコニコで、楽しそうでよかったのですが、やはりAパターンに向けてそわそわしている部分はあるのでしょう。なんせ本公演が始まっても役替わりのおさらいお稽古が続いていますしね…
 いろいろレポも上がっているので(ツイもしたし)、ここでは一点だけ。ポスター撮影のときに、プログラム用に別カットを撮ることになったときのエピソードがおもしろかったので。
 あれ、あっきーが拳銃手にして膝ついてて、りくは空手で中空を見ていて、ずんちゃんは新聞を持って未来を見据えている…みたいな構図で、それぞれ三者三様すごくいいルドルフ像になっているなーと感心していたのですが、なんと撮影当日に急に言われたいきあたりバッタリ感満載のもので、イケコは次のお仕事でいなくなっちゃってて細かい演技指導や演出があったわけでもなく、用意された小道具を上級生順に取ってさあなんかポーズしてって言われて撮った…みたいなんだったそうなのです。驚き!
 で、思ったのは、小道具に王冠があって、でもりくはそれを手にせず、小道具なしで「手にできなかった王冠」を表現することにしたのかな、ということ。あくまで私の勝手な想像ですが、りくのそういう芝居心が好きだなあ、と改めて思ったりしました。
 それで言うと一番に拳銃を選んじゃうあっきーね…『王家』でも「月満ち」が一番好きだったり、わりといつもロマンチックなデュエットや楽曲が好きなのに、『エリザ』に関しては一番好きな歌として「闇広」をあげていたのが珍しくもありやはり特別でもあるような、そんな気がしました。あんまり話題にならないけどファン歴がちゃんとある人で初演から観ていて、「『エリザ』はやるものではなく観るものと思っていたので自分の組でやることになってビックリ」みたいなこと言っちゃう人なんだけど(やってみたい、とか思わないこのガツガツしなささがホントにこの人っぽいと思う…)、だからやるやらないの視点でなくそれでも「闇広」が一番印象的に思っていたというのだからこれはもう運命であり、そりゃ拳銃手にしますよね、という…
 だから一番死にそうなルドルフ(^^;)になる気はするんだけれど、病んだ作りにはしてこないと思うんですよね。全体に今回の『エリザ』は誰も病んでいなくてエキセントリックさはまったくないので、病んだ神経症的なルドルフになると浮くだろうし…ま、私が中の人のゆるさと優しさを知った気でいすぎていて愛しすぎ心配しすぎていてまともにちゃんと見られない怖れがありますが、何はともあれ、楽しみです!
 スカステの「ステージドア」で一節歌っただけでも家族のドラマが見えた気がした澄輝ルドルフ…その初日に誕生日が迎えられる奇跡を、感謝したいと思います。ありがとうママン、全然実家に帰っていなくてすみません! この夏はちょっと、イヤかなり忙しいのよ!!
 役替わり発表があった日、家を出がけに会メールが来てあわあわして遅刻しかけてスタンバイがビリになって、だから結果的に一番に「おめでとうございます」が言えました。ガード全員満面の笑顔で、それにウケてたあっきーも本当に嬉しそうでした。役替わり日程が出てあきルド初日がマイ・バースデーとわかったときの、私の震えたるや…! 長くヅカオタをしているとこんなこともあるものなのですねえ。
 千秋楽まで、さらに進化し、良い公演となりますように。全力で祈りつつ、できるだけ目撃してきたいと思っています。あ、でも貸切公演の空き時間には話題の『シン・ゴジラ』を観に行きたいわ!(笑)
 さてどうなりますことやら…生還できましたら、まずはAパターン初日雑感を書きたいです。でも仕事もテンパってるから千秋楽後になるかもな…もろもろがんばります。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉城夕紀『青の数学』(新潮文庫)

2016年08月08日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 雪の日に出会った女子高生は、数学オリンピックを制した天才だった。その少女、京香凜の問いに栢山は困惑する。「数学って、何?」若き数学者が集うネット上の決闘空間でライバルと出会い競う中で、栢山は答えを探す…ひたむきな想いを数学へとぶつける少年少女たちを描く青春小説。
 
 タイトルや帯のキャッチ、カバー表4のあらすじに惹かれて買ってみましたが、失敗でした。騙されました…青春小説なんかに全然なっていない。そもそも人間が描けていない、登場人物がキャラクターになっていない。これでは小説と呼べないと私は思う。
 数学関連の参考文献は巻末にたくさん上げられています。作者はそういうエピソードがおもしろいと思ってこの作品を書き出したのだろうけれど、キャラクターを作り出せていずその世界にこれらのネタを落とし込めていないのです。だったらもともとの数学パズル本とか数学者の伝記とかを読んだ方が断然おもしろいしドラマチックなわけですよ。でもそれじゃダメでしょ?
 登場人物の名前や性格、姿、考え方、家族構成や生い立ち、何より個性や特徴といったものがまったく描き出せていないまま、放課後の云々とかネットでの決闘とか部活とかキャンプとか展開されても、まったくもってときめきません。そもそも誰が誰だか全然区別がつかないし、主人公らしきキャラクターにも愛着も興味も持てないんだもん、読むのがつらかったです。
 いつおもしろくなるの…?と思いながら一応最後まで読みましたが…結局最後まで何が言いたい話なのかよくわかりませんでした。
 イマドキの若者とはちょっと違うところに興味を持つ、ちょっと浮き世離れした、生きづらそうにしている登場人物たちが、それでも生きて友達と交わり社会で暮らしていくきっかけを得るような、その中での天才のきらめきとか苦悩とか青春の輝きとかせつなさが描ければ、よかったんでしょうけれどねえ。というかそういうものを期待していたんですけれどねえ。そういうアオリ方だったしねえ。
 …残念。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早見和真『小説王』(小学館)

2016年08月05日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名は行
 出版不況、活字離れ…小説の役割は終わったのか? 三流編集者と売れない作家が、出版界に仕掛けた壮大なケンカ! 全国の書店の方々をザワつかせた問題作がついに刊行。

 幼なじみの編集者と小説家の魂のぶつかり合いを描いた、血湧き肉躍る物語でした。「あるある!」とか「そうなんだ!?」とか、業界人ならずとも、小説を愛読している人なら楽しめる、よくできたお仕事小説でもあると思います。「小説が俺を裏切っても、俺は小説を裏切らない」…そんな台詞が脳裏をよぎりましたよね。
 キャラクターが類型的すぎていなくて生き生きしていていいし、女性キャラクターもなかなかいい感じです。編集者の妻にああいう台詞を言わせることは、凡百の男性作家にはちょっとできないと思うなあ。感心しました。
 でもこの作品自体は、この作家が担当編集とのあれこれを元に書いたものではない…のかな? というのもこの本の帯やカバーに書かれたキャッチやあらすじは私にはちょっと的外れに思えたからです(普通はこういうものは担当編集者が書きます)。これじゃ売り逃すよ、もったいないよ。私だって眉にツバつけて読み始めたもん…
 あ、あと、作中作の文章は出さない方がよかったと思いました。歌手を主人公にした漫画で上手いものは歌詞を書いたりしないのと同じで、想像させておくだけでよかったんですよ。ここは私が担当編集だったらそう指摘して、作家と喧嘩してでも止めさせたな、と思いました。
 でも、騙されたと思って(?)読んでいただきたい1冊です。熱くなれます、おもしろかった!



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする