駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『ベルサイユのばら2001 オスカルとアンドレ編』

2009年10月30日 | 観劇記/タイトルは行
 東京宝塚劇場、2001年4月10日マチネ。
 池田理代子の同名の漫画を原作に、‘74~’76の初演、‘89~’91の再演に続いて三度目の上演。脚本・演出 植田紳爾、作曲 吉田優子。私にとっては初めての宝塚生ベルばらでした。
 パンフレットに田辺聖子と林真理子がまったく同じことを書いています。『ベルサイユのばら』と宝塚歌劇は幸福な結婚をした、と…私が舞台を観て感じたのは、役者と観客の“幸福な結婚”でした。
 だって、脚本がひどいんですよ。
 そりゃ、長大な原作漫画を二時間半の舞台に収めるのが大変なことはわかります。しかし、百歩譲ってこの構成でいくにしても、原作の台詞をもっと上手く使ってよりわかりやすく情感あふれる脚本にすることは絶対に可能です。様式美と、古風で大時代的な台詞回しとは決してイコールではありません。漫画の台詞は目で読むものだから、そのまま台詞で言われて耳で聞いてもわかりづらい部分はあるでしょう。そこだけ変えればいいんですよ。なんだってあんな、誰も使わないような漢語の台詞を書くんでしょう。平安時代の文章博士じゃあるまいし。もっといいホン書いてやる、と息巻く人が何千人といると思います。なんせ観客動員数300万人突破なんですから。
 私は今回、原作もアニメも多分知らない、フランス革命がなんなのかもよくわかっていないかもしれない普通のおばさんであるうちの母親を連れて行きましたが、この人には誰と誰が戦っているのかがこの展開でわかるんだろうか、と気になって仕方ありませんでした。
 つまり、そんなくらいの出来のホンなんです。手を加えないのが伝統だと思っているところが恐ろしい。
 しかし役者にとっては伝統というものは確かにあって、「宝塚歌劇と言えば『ベルばら』」という大作に自分が出られるなんて、というんで、いい意味で実に力が入っていました。そして観客の大半も、原作かアニメか過去の舞台か、「宝塚歌劇と言えば『ベルばら』」という風評かは知っているので、自分はすごいものを観るんだ、というんで力が入っている訳です。その両者の意気込みが、つたない脚本も演出も飲み込んで、その向こうにある神髄に向かって突き進んでいました。実際にそこにあるものよりも120パーセント増どころか、280パーセント増くらいのものを感じていたでしょう。
 ラストシーンに至ったときに、確かに、
「ああ、もう終わっちゃう…」
 というため息が劇場を埋め尽くしました。
 こんなに豊かになった世の中においても、まだまだここ、宝塚歌劇の舞台の上だけにしかないものが確かにあって、女たちはまだまだ全然飢えているのだ、と思い知りました。どんな時代でも、どんな境遇でも、自分として、自分らしく、自然に生きたい。できれば理解ある友や恋人を得て…こんな単純なことが、どうしてまだまだ遠いのでしょう…
 今回のストーリーは、サブタイトルどおり、オスカルを主人公にしたバージョンです。男役トップスターが男装の麗人オスカルを演じます。男役トップが演じる男性と娘役トップが演じる女性との恋愛を描くのが定番の宝塚歌劇にとって、男役トップが女性の役をやる点、ために娘役トップが演じる女性の役(マリー・アントワネット)との間に恋愛が成立しない点は、実は非常に奇異なことなのです。
 特に今回はこれがトップスターコンビの退団公演だったため、「最後はちゃんとした男役が見たい」「コンビの絡みが見たい」というファンの声がかなりありました。ノルさん(星組男役トップスター稔幸の愛称)自身もあまり中性的なタイプではなく、バリバリの男役で、かなり役作りには悩んだようでした。
 でも、すっごくよかったです。私はもともとノルさんが好きなんですが、
「目がハート♪」
 というファンではなく、いつも
「ああ、こういう役も上手いじゃん、いいねいいね」
 という感じで応援してきました。しかし今回は本当にオスカルそのものに見えました。280パーセント効果と言われてしまえばそれまでなのですがね。
「この戦いが終わったら結婚式だ」
 というところは原作よりよかった。アンドレの死に泣く悲痛な叫びもすっごくよかった。
 だから、やっぱり、構成上仕方がないとはいえ、ユリちゃん(星組娘役トップ星奈優里)との絡みが少なかったのは悲しかったです。
 というか、オスカルとアントワネットの友情と、生き方・考え方・物の見方の違いというところを、もっとちゃんとやってほしかったですね。
 舞台の場面としては二度あるんです。オスカルがフェルゼンを遠ざけるようアントワネットに進言するシーンと、パリ出撃前日に暇乞いをしに来るシーン。
 どうして原作のニュアンスをきちんと汲まないんでしょう。前者では、アントワネットが
「あなたに女の気持ちをわかれというのは無理なのかしら」
 と言い、彼女の孤独を見抜けなかったオスカルがショックを受ける、とするべきだし、後者では、アントワネットが
「あなたが民衆に同情するのはわかりますよ」
 と言い、オスカルがそういうんじゃないんだがと思う、とするべきでしょう。それなのに舞台は、
「フェルゼンとは別れません」
 とか言っちゃうし、
「命だけは大事にね」
 とさっさと送り出しちゃうしで、全然違ってしまってるんです。
 でもここで、アントワネットが差し出す手を両手で包んで手の甲にキスするオスカルはいい。
 オスカルを、時代に先駆けた現代的なヒロインと見るのに否やはありませんが、アントワネットの生き方もすばらしいものなんですよ。彼女は時代や民衆を理解できない、前時代の愚かなお姫様だったかもしれません。でも自分の生き方を貫き、誇りを持って死にました。自分の死が時代に要求されていることだけは理解していた節があります。だから自分の首を差し出したのです。その潔さは美しく立派なものです。この姿をもっと描いてあげる必要があると思います。
 アントワネットのアリアがないことに今回初めて気づいて急いで新曲が書かれたくらい、彼女の理解はあまりにされていません。少なくともエンディングだけは、天国でペガサスが曳く馬車に乗るオスカルとアンドレなんて気恥ずかしいことをやってないで(ふたりが天国で結ばれた、というのはパレードのエトワールをこのふたりにやらせれば十分表現できると思うのです)、断頭台に登るアントワネットをやるべきでしょう。ヴァレンヌもコンシェルジュリもすっ飛ばしていいから、ギロチンだけは出すべきです。これはフランス革命のお話なんですから。
 欲を言えばプロローグは、オスカルとアントワネットとフェルゼンが初めて出会った仮面舞踏会に見立てて、三人で踊ってほしかったなー。まあ、言い出したらキリがありません。宙組の『フェルゼンとアントワネット編』はさて、どうなのかな?
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東京宝塚劇場完成記念『桜祭り狸御殿』

2009年10月30日 | 観劇記/タイトルさ行
 新宿コマ劇場、2001年4月5日ソワレ。
 満月城の年に一度の無礼講、桜祭り。今年の祭りは若君・狸千代(鳳蘭)の花嫁探しも兼ねるとあって、全国から大勢の狸が集まってくる。老家老の金衛門(美吉左久子)は恋人・梅小路(大路三千緒)が中老を勤める夕月城のきぬた姫(汀夏子)と狸千代を縁組みさせたい。だがそんな見合いを嫌がって、狸千代は金衛門の息子で家臣の金五郎(峰さを理)と、きぬた姫は腰元の山吹(麻乃佳世)とそれぞれ入れ替わり、相手を観察しようとする。一方では御用人・腹兵衛(榛名由梨)が城を乗っ取ろうと悪巧みを…
 60年以上昔の、映画や舞台に何度もなった和製ミュージカルの代表作を、宝塚歌劇団OGばかりで上演する、という企画です。いや、たがだかファン歴7、8年の私などにはそのすごさが思いもつかない綺羅星のごときスター様方が大勢登場いたしました。もったいのうございます。
 ストーリーはたわいないながらもおもしろいのですが、つらいのは演出です。バタバタした展開、紗幕前のしょうもないやりとり、楽屋落ち、ゲストのコントまがいのトークと、学芸会スレスレです。
 この関西ノリは正直言ってしんどい。
 でもこの公演は、演目を観に来ている観客は1パーセントもいなくて、ほとんどが宝塚歌劇のファン、スターのファンでしょうから、これでいいのかもしれません。このアットホームさは、楽屋落ちが十分通じるだけの名作をたくさん持つ長い歴史とともに、宝塚歌劇の財産です。
 しかしすごいのが榛名由梨。声がいい、姿勢がいい、押し出しがいい、すぐ「こいつがワルだ」とわかるところがすばらしい。初代オスカルが花組版アンドレの歌を披露しちゃうんですから、これはとても楽屋落ちとかコントとは言えません。
 二番手の役所が狸千代の生き別れの弟・瀬戸内美八、これも素敵でした。相手になった寿ひづるの歌がまたよかったです。ペイさん(高汐巴)はあいかわらずだし、ミハル(森奈みはる)もヨシコ(麻乃佳世)も健在で可憐だし、ミユさん(海峡ひろき)の気弱な旦那はおかしかったし、若葉ひろみのおかみさんは達者でおかしかったです。
 逆につらかったのがヒロインの汀夏子。いくら『風と共に去りぬ』でスカーレットを演じたことがあるとはいえ男役、歌も台詞もとにかく声が苦しい。もともと女性なのになんででしょうね。とにかくきぬた姫は娘役にやらせてほしかったです。プロローグからひとり着物の裾さばきが見苦しくて悪目立ちしているんですもん。
 まあ、この組み合わせだから最後の祝典芝居『後日風艫』があるんでしょうけれどね。しかし宝塚ってジジババ芝居好きだよね、なんでだろ。
 日替わりゲストはこの日はウタコさん(剣幸)。『ミー&マイガール』初代ビルの歌声が聴けるとは思っていませんでした。練れていてすばらしかったです。
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宝塚歌劇月組『Practical Joke』

2009年10月30日 | 観劇記/タイトルは行
 赤坂ACTシアター、2001年3月29日ソワレ。
 1960年代のアメリカ、ハリウッド。ドイル・ウエンズワース(真琴つばさ)は華やかな映画界のつきもののスキャンダルや揉め事を内々に処理するトラブル・バスターだ。今回の任務は、パリでロケをする歴史映画を無事にクランクアップさせること。主演の人気俳優デイビッド・バクスター(大和悠河)は女にだらしのないトラブルメーカーである。制作発表を兼ねたパーティーに参加したライターのジル・サザーランド(檀れい)は、ネタを求めてドイルに食らいつく…
 この夏に卒業(宝塚では退団をこう言うのです。ちなみに歌劇団員、つまり役者は生徒と呼ばれます)するマミさん(これまたちなみに、生徒には芸名の他にたいていは本名に由来を持つ愛称があります。マミは真琴つばさの愛称。以下同様)の、最後の東京公演。「非常に宝塚的な男役とも言える真琴に、背広を着せた現代の舞台で、一見等身大かと感じさせるようなかっこいい男を演じさせてみたい」という作・演出の正塚晴彦の狙いは当たったと言えます。軍服もタキシードも燕尾服のトレンチコートもかっこよかったけれど、マミさんはやっぱりスーツ姿が一番でした。そのフォルムは、肩パッドやサラシや股上の深いパンツやあれやこれやで矯正して作られた、偽物なんだけれど、本当に少女漫画から抜け出してきたヒーローのようで、女の真の理想の男の形です。マミさんを見ると私はいつも、「ああ、こんな美しい男は他にはいない」とため息ついてしまいます。
 しかし、ドラマとしては疑問が残る作品でした。正塚先生は宝塚らしからぬ作風の持ち主で、男女の色恋にあまり関心がないようなんだけれど、それはまあいいです。色恋がなくてもロマンチシズムがありますからね(逆に色恋を扱ってもロマンチシズムのかけらもない、宝塚にあるまじき作風の演出家もいて、その方が問題です)。しかしヒロインがふられっぱなしの作品というのは珍しい。ジルは、マユミちゃん(檀れい)の演技の下手さもあって私にはあまり好感の持てる女性ではなかったけれど、それでも恋する女があまりに報われない展開には不愉快になりました。何も主役カップルは必ずくっつかなきゃいけないとか、ハッピーエンドじゃなきゃだめだとか、観客に迎合しろとか言いたい訳ではありません。でも、ドイルがジルによって変化することがまったくなかった、そのことには不満です。これは男性にありがちな、自分が変化することへの想像力のなさの現れだと思います。
 女性は愛されたいと願うばかりなのではなくて、相手と関係を築きたいと考える生き物です。関係ができることで相手を変えることも自分が変わることもあることを知っています。変化するから人間であり、人生です。
 でも男性はこの点に鈍感ですよね。むしろ何にも左右されないことをかっこいいと思うフシがありますが、それは人間性が硬直してるってことなんじゃないでしょうか。両想いになるとか結婚するとか、そういう結果にはならなくても、相手にいい変化を与えたい。それが女性の願いです。そこは、汲むべきではないでしょうか。
 具体的には、ドイルがついに仕事をやめて夢に描いていたカリブへ隠遁したのは、ジルとのことがあったからだ、というふうにしてほしかったのです。
 戦争で今後一生後遺症が残る傷を負い、ために故郷も捨て名前も捨てて、その日暮らしで刹那的な生き方をしていた男。金のためか人情か、単身でマフィアのドンの前に出向いてしまうような命知らずだった男。それが、女と会う。結婚はできない、一緒にもいられない。彼女のためというよりは、そこまでは好きになれなかっただけかもしれない。それはいい。だが愛されたことは事実だ。その愛が、彼に、一日一日を大事に生きる暮らしをもう一度思い出させた。危険な賭けに勝って大金と、その途中で出会った気のおけない友人とを得て、男は街を去り、南の海へ至る。太陽を浴び、潮風を感じながら、彼女が書いた本を読む、怠惰で幸せな日々…女は、たとえ愛を得られなくても、男に幸せを与えられたのだったら、それで満足なのだと思うのです。そういう物語を、観たかったかなー。
 マユミちゃんは、仕事が好きで上昇志向もある現代的な女性・ジルのキャラクターを、理解はしていたと思うのですが、いかんせん表現する技術がありませんでした。酔っ払いつつ本音を吐露する、みたいなシーンはもともと難しいんだけれど、それにしてもいじらしいというよりはうざったく見えてしまったのがつらいです。これがユリちゃんだったらもっと違うのになあ(同じ正塚先生の『Love Insurance』のヒロインは絶品!)。
 それと、最後のショーの部分は芝居のキャラクターとは別なんだから、ヘアスタイルを変えて出てくるべきでした。他の娘役がそれぞれ工夫してきれいな髪飾りや鬘で出ていたのに恥ずかしいですよ。名香智子の競技ダンス漫画『パートナー』で、請われて二度踊ることになった主人公が、審査員の先生にプロなら一度目と違う衣装で出るべきだった、それが観客へのサービスだと叱られるシーンがありますが、まさにそれです。
 タニちゃん(大和悠河)は実に楽しそうに今時の若者を演じていて、すごくよかったです。不得手の歌がなかったのもよかったのかも、というのは冗談ですが、とにかくいつもは必要以上に気負って演じるので、それがなくなっていていい感じでした。次期月組トップスターが紫吹淳にまず順当に決まって、変に抜擢されて組を背負わされるプレッシャーがなくなったのが効いたんでしょうか。これまでの彼女だと、二番手の役といっても道化役っぽいので、キリヤン(霧矢大夢)の役に負けまいとして、ヘンにかっこつけていたことでしょう。
 そのキリヤン、噂に違わぬ歌のすばらしさには震えました。ミエちゃん(西條三恵)もこんなにたくさん台詞がある役を私は初めて観たので、その独特の声に惚れました。がんばってほしいなあ。
 装置も美しかったです。私は場数があまり多い舞台は作劇としては二流なんじゃないかとは思っていますが、まあうまく転換していました。正塚先生はコロスを使うのがうまくて、効果的だったことも特筆に価するでしょう。
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はじめまして

2009年10月27日 | 日記
 別ハンドルネームで2001年4月から開設していたサイトの内容を、実際の住まいの引っ越しを機に(^^)、ブログに引っ越すことにしました。

 2001年からの観劇記録は順次コピペしていきます。
 読書日記は2010年分からリアルタイムで書いていこうと思っています。

 主に自分のための備忘録として活用するつもりですが、ぴぴぴと来た方がお寄りになってくださるとうれしいです。

 よろしくお願いいたします。
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