THEATER MILANO-Za、2023年7月29日14時。
手術台に寝かされているひとりの男、田口(安田章大)。付き添っている親友の有沢(細川岳)とその婚約者ビンコ(小野ゆり子)は、看護婦(桑原裕子)から田口の身体の一部を取り除くかと迫られる。その一部とは、誰のものかもわからぬ一握りの髪の毛だった。有沢が答えに窮する中、田口は妹の雪子(咲妃みゆ)を探しに夢の世界へと旅に出た…
作/唐十郎、演出/金守珍、音楽/大貫誉、美術/大塚聡。1985年劇団状況劇場初演、1994年には新宿梁山泊が上演し、フランス、韓国、アメリカ、オーストラリアでも上演されてきた傑作戯曲。全1幕。
Bunkamura×唐十郎×金守珍公演は4度目だそうで、前作『泥人魚』は私も観ていて感想はこちら。
というかプログラムがコクーン仕様で、そうだ東急歌舞伎町タワーなるものにできたこの新しい劇場は同じ系列に当たるのか、と今さらに思いました。確かにハコの作りはやや似ているかな。
ただビルの六階なのにエレベーターが止まらず、エスカレーターでしか上がれない、という導線のひどさが本当にひどいです。改札前も味気ないし、劇場内もロビーやホワイエみたいなものが全然ない、ほぼ通路みたいな無味乾燥な作りでホントどうかと思いました(線路やビル群が眺められる大きな窓のあるバーも、端っこには作られていましたが)。お洒落で無機質に仕立てているんじゃなくて、単にお金をかけてもらっていない感じがうら寂しすぎました。
客席も、今回私が座った二階サイド席は見切れを防ぐために椅子を高くしているようで、足が床から浮いて落ち着かないこと甚だしかったです。男性身体基準で作るな、床ごと上げろ。というかこういう見えない席を作るな。舞台に向かってまっすぐコの字型になっている客席のサイド席なんて観づらいに決まってるじゃん、舞台を半円形に囲むような客席を作れないのなら潔く正面席だけにしていただきたいです。一階席の床も歩いてみたら安普請の音がするし、椅子の座面も薄く平たく、あまりいいものでない感触でした。でもコクーン改修中はあそこでやりそうだった演目はみんなここでやるということなのか、はあ…つら……
あと、これはハコのせいではないけれど街の周りの治安が悪すぎて、夜公演なんて絶対に行きたくありません…今回は週末のマチネで目の前の広場もイベントなどやっていてにぎやかでいい感じでしたが、普段は酔いつぶれた人が座り込んでいたり寝そべったりしているそうです。歌舞伎町って、言うても少し前までは言われているほどでもないというか、素人さん手出し無用、みたいな空気がちゃんとあって、映画に行くのも普通に安心安全だったのにな…もうダメですねホントこの国は。なので行くなら西武新宿駅からさっと最短距離で行くことをオススメします。新宿的から街を突っ切って来るのはもはや無謀です。
出演者たちが安全に移動できていることを祈ります…それともちゃんと事務所の車の送迎とかがビルの下まで来ているのかなあ? ゆうみちゃん、気をつけて通ってね…(><)
さてそんなわけで、ハコは残念だし上手奥が見切れ上手の手前端は手摺りが邪魔で見えないお席でホントしょんぼりでしたが、舞台そのものはわからないなりにすごくおもしろく観ました。それはもうとにもかくにもゆうみちゃん雪子が素晴らしかったからです。
雪子は、ピノコです。双子として一緒に生まれるはずだったのに、何かの拍子にもう一方の体内に入ったまま生まれてしまって、そのまま育たずただそこにい続ける「妹」。田口はずっとその存在を感じていて、嬉しいときにはお腹の中の妹にもその喜びを味わわせるかのように、お腹を抱えて身体を弓なりに反らす癖があった…という設定です。
アングラって、というかすべての創作はその作家の願望のイマジネーションを描くものだと思うのですが、要するにこれって、イマジナリー兄弟とか、むしろ自分が生まれなかった兄弟の方だったら生きなくてすんで楽だったのにとか、自分が双子の女の方だったら親友とも添えて生きるのがもっと楽だったかもしれないとか、なんかそういういたって都合のいい男性の願望、妄想みたいなものの物語なんだな…と、観ていて感じました。
田口は夢の中で雪子に会いに行くのだけれど、双子というわりには雪子は田口より十ほどは若く見え、まさしく少女のようです。この、少女のようだけれど成人女性であり、天真爛漫なようでそれを通り越して野性的でもあるような、神秘的な美しさを持ったキャラクターを、まんま体現するゆうみちゃんが実に素晴らしいのでした。
ゆうみちゃんはこれが初ストプレということですが、実はこの作品はミュージカルではないけれど歌もダンスもあり、歌い踊るゆうみちゃんがこれまた実に艶やかなのです。唐十郎が観たかった雪子ってまさしくコレなのでは!?とホントちょっとコーフンしてしまいました。
雪子は身体をだんだんガラスにしていく手術を受けていて、ヴァギナはもうガラスでひんやり冷たくてツルツルなの、みたいな台詞を言うんですけれど、それすらも清らかで禍々しくて素晴らしい。てか男ってどんだけ女体にファンタジーを抱いているんだろうね、と頭のもう一方の隅では激しく呆れ冷めている自分もいたのですが、とにかくいろいろあって田口は雪子と約束の指の交換というかなんというか…をするんだけれど、要するに田口は実は有沢のことが好きでビンコのことを妬んでいて、自分が雪子になって有沢と沿いたかった、ということなんじゃないのかなあ、と私は思いました。ただ、田口の手術はなされてしまい、雪子の存在はなかったものとされてしまい、少女も少女都市も少女都市からの呼び声も田口にはもう聞こえない、と否定されてしまったけれど、本当はあるんだよ…と雪子は昇天していき、そして子宮の涙とされる輝くビー玉が何千何万と舞台の床を転がって、幕は降りたのでした。
ワケわかりませんね? でもそれでいいんだと思います、とにかくゆうみ雪子が素敵だったので。
もちろんフランケ醜態博士役の三宅弘城も、連隊長役の風間杜夫も達者でした。でも満州へのこだわりとかは、もうお若い観客には全然わからないんじゃないかな、てか私もコレだとよくわからん…とか思いました。主演の安田くんはジャニーズらしからぬとんがった指向の持ち主だそうで、だからファンも慣れていて彼目当てで初めて演劇を観に来たような若い女性がワケわからなくてどん退く…みたいな事態にはなっていないと聞きましたが、ならよかったです。
風間杜夫は『泥人魚』もよかったけれど、「経験してないのはアングラと歌舞伎くらい」とプログラムで語っていて、前回で七十すぎてのアングラデビューになったそうですが、歌舞伎もスーパー歌舞伎なら浅野和之といい勝負の仕事をするのではないかと思います。テレビドラマの印象も強いけれど、もともとそういう舞台畑の役者さんですもんねえ。
6月に新宿梁山泊がテント版公演をしていたそうで、その田口は六平直政、今回は老人A役。肥後克広の老人B役とともに、本編にはほぼ関わらないと言っていい客席いじりの、場面転換の間のつなぎのコントみたいなのをやっているんですけど、そのメタさはだいぶ謎でしたね…ここでしか笑いが起きないってのは、要するに本編の意味が伝わっていないのでは、という気がしました。
あと、ポスターやプログラムのビジュアルが、雪子以外はほぼそんなイメージのお衣装で舞台に出ていましたが、雪子は全然ちがうものだったので、雪子も最初の青いワンピース姿でポスターに出してもよかったのでは、とは思いました。
大阪公演は知らないハコだなあ…公演のご安全をお祈りしています。
手術台に寝かされているひとりの男、田口(安田章大)。付き添っている親友の有沢(細川岳)とその婚約者ビンコ(小野ゆり子)は、看護婦(桑原裕子)から田口の身体の一部を取り除くかと迫られる。その一部とは、誰のものかもわからぬ一握りの髪の毛だった。有沢が答えに窮する中、田口は妹の雪子(咲妃みゆ)を探しに夢の世界へと旅に出た…
作/唐十郎、演出/金守珍、音楽/大貫誉、美術/大塚聡。1985年劇団状況劇場初演、1994年には新宿梁山泊が上演し、フランス、韓国、アメリカ、オーストラリアでも上演されてきた傑作戯曲。全1幕。
Bunkamura×唐十郎×金守珍公演は4度目だそうで、前作『泥人魚』は私も観ていて感想はこちら。
というかプログラムがコクーン仕様で、そうだ東急歌舞伎町タワーなるものにできたこの新しい劇場は同じ系列に当たるのか、と今さらに思いました。確かにハコの作りはやや似ているかな。
ただビルの六階なのにエレベーターが止まらず、エスカレーターでしか上がれない、という導線のひどさが本当にひどいです。改札前も味気ないし、劇場内もロビーやホワイエみたいなものが全然ない、ほぼ通路みたいな無味乾燥な作りでホントどうかと思いました(線路やビル群が眺められる大きな窓のあるバーも、端っこには作られていましたが)。お洒落で無機質に仕立てているんじゃなくて、単にお金をかけてもらっていない感じがうら寂しすぎました。
客席も、今回私が座った二階サイド席は見切れを防ぐために椅子を高くしているようで、足が床から浮いて落ち着かないこと甚だしかったです。男性身体基準で作るな、床ごと上げろ。というかこういう見えない席を作るな。舞台に向かってまっすぐコの字型になっている客席のサイド席なんて観づらいに決まってるじゃん、舞台を半円形に囲むような客席を作れないのなら潔く正面席だけにしていただきたいです。一階席の床も歩いてみたら安普請の音がするし、椅子の座面も薄く平たく、あまりいいものでない感触でした。でもコクーン改修中はあそこでやりそうだった演目はみんなここでやるということなのか、はあ…つら……
あと、これはハコのせいではないけれど街の周りの治安が悪すぎて、夜公演なんて絶対に行きたくありません…今回は週末のマチネで目の前の広場もイベントなどやっていてにぎやかでいい感じでしたが、普段は酔いつぶれた人が座り込んでいたり寝そべったりしているそうです。歌舞伎町って、言うても少し前までは言われているほどでもないというか、素人さん手出し無用、みたいな空気がちゃんとあって、映画に行くのも普通に安心安全だったのにな…もうダメですねホントこの国は。なので行くなら西武新宿駅からさっと最短距離で行くことをオススメします。新宿的から街を突っ切って来るのはもはや無謀です。
出演者たちが安全に移動できていることを祈ります…それともちゃんと事務所の車の送迎とかがビルの下まで来ているのかなあ? ゆうみちゃん、気をつけて通ってね…(><)
さてそんなわけで、ハコは残念だし上手奥が見切れ上手の手前端は手摺りが邪魔で見えないお席でホントしょんぼりでしたが、舞台そのものはわからないなりにすごくおもしろく観ました。それはもうとにもかくにもゆうみちゃん雪子が素晴らしかったからです。
雪子は、ピノコです。双子として一緒に生まれるはずだったのに、何かの拍子にもう一方の体内に入ったまま生まれてしまって、そのまま育たずただそこにい続ける「妹」。田口はずっとその存在を感じていて、嬉しいときにはお腹の中の妹にもその喜びを味わわせるかのように、お腹を抱えて身体を弓なりに反らす癖があった…という設定です。
アングラって、というかすべての創作はその作家の願望のイマジネーションを描くものだと思うのですが、要するにこれって、イマジナリー兄弟とか、むしろ自分が生まれなかった兄弟の方だったら生きなくてすんで楽だったのにとか、自分が双子の女の方だったら親友とも添えて生きるのがもっと楽だったかもしれないとか、なんかそういういたって都合のいい男性の願望、妄想みたいなものの物語なんだな…と、観ていて感じました。
田口は夢の中で雪子に会いに行くのだけれど、双子というわりには雪子は田口より十ほどは若く見え、まさしく少女のようです。この、少女のようだけれど成人女性であり、天真爛漫なようでそれを通り越して野性的でもあるような、神秘的な美しさを持ったキャラクターを、まんま体現するゆうみちゃんが実に素晴らしいのでした。
ゆうみちゃんはこれが初ストプレということですが、実はこの作品はミュージカルではないけれど歌もダンスもあり、歌い踊るゆうみちゃんがこれまた実に艶やかなのです。唐十郎が観たかった雪子ってまさしくコレなのでは!?とホントちょっとコーフンしてしまいました。
雪子は身体をだんだんガラスにしていく手術を受けていて、ヴァギナはもうガラスでひんやり冷たくてツルツルなの、みたいな台詞を言うんですけれど、それすらも清らかで禍々しくて素晴らしい。てか男ってどんだけ女体にファンタジーを抱いているんだろうね、と頭のもう一方の隅では激しく呆れ冷めている自分もいたのですが、とにかくいろいろあって田口は雪子と約束の指の交換というかなんというか…をするんだけれど、要するに田口は実は有沢のことが好きでビンコのことを妬んでいて、自分が雪子になって有沢と沿いたかった、ということなんじゃないのかなあ、と私は思いました。ただ、田口の手術はなされてしまい、雪子の存在はなかったものとされてしまい、少女も少女都市も少女都市からの呼び声も田口にはもう聞こえない、と否定されてしまったけれど、本当はあるんだよ…と雪子は昇天していき、そして子宮の涙とされる輝くビー玉が何千何万と舞台の床を転がって、幕は降りたのでした。
ワケわかりませんね? でもそれでいいんだと思います、とにかくゆうみ雪子が素敵だったので。
もちろんフランケ醜態博士役の三宅弘城も、連隊長役の風間杜夫も達者でした。でも満州へのこだわりとかは、もうお若い観客には全然わからないんじゃないかな、てか私もコレだとよくわからん…とか思いました。主演の安田くんはジャニーズらしからぬとんがった指向の持ち主だそうで、だからファンも慣れていて彼目当てで初めて演劇を観に来たような若い女性がワケわからなくてどん退く…みたいな事態にはなっていないと聞きましたが、ならよかったです。
風間杜夫は『泥人魚』もよかったけれど、「経験してないのはアングラと歌舞伎くらい」とプログラムで語っていて、前回で七十すぎてのアングラデビューになったそうですが、歌舞伎もスーパー歌舞伎なら浅野和之といい勝負の仕事をするのではないかと思います。テレビドラマの印象も強いけれど、もともとそういう舞台畑の役者さんですもんねえ。
6月に新宿梁山泊がテント版公演をしていたそうで、その田口は六平直政、今回は老人A役。肥後克広の老人B役とともに、本編にはほぼ関わらないと言っていい客席いじりの、場面転換の間のつなぎのコントみたいなのをやっているんですけど、そのメタさはだいぶ謎でしたね…ここでしか笑いが起きないってのは、要するに本編の意味が伝わっていないのでは、という気がしました。
あと、ポスターやプログラムのビジュアルが、雪子以外はほぼそんなイメージのお衣装で舞台に出ていましたが、雪子は全然ちがうものだったので、雪子も最初の青いワンピース姿でポスターに出してもよかったのでは、とは思いました。
大阪公演は知らないハコだなあ…公演のご安全をお祈りしています。