梅田芸術劇場、2019年5月4日15時(初日)、5日12時。
相模女子大グリーンホール、12日12時。
札幌文化芸術劇場、22日16時、23日11時(前楽)。
第二次大戦前、アルジェリアがまたフランスの植民地であった頃。総督府の置かれたアルジェの街に、ひとりの若者、ジュリアン・クレール(礼真琴)がいた。孤児として育ち、仲間たちと悪事に手を染めながら、暗くみじめな青春を送っていたジュリアンは、いつの日かアルジェを出てパリへ渡り、日の当たる場所へ躍り出るという大きな野望を抱いていた。革命記念日の夜、ジュリアンは仲間のジャック(愛月ひかる)から、アルジェリア総督ボランジュ氏(朝水りょう)の懐から財布を抜き取ることができるか否かの賭けを持ち込まれる。腕に覚えのあるジュリアンは、恋人のサビーヌ(音波みのり)が止めるのも聞かず、賭けに応じるが…
作/柴田侑宏、演出/大野拓史、作曲・編曲/寺田瀧雄、入江薫、吉田優子、振付/峰さを理、平澤智。1974年に鳳蘭主演の星組で、83年に峰さを理主演の星組で、2011年に霧矢大夢主演の月組で上演されたミュージカル・ロマンを、次期星組トップスター就任が発表された星組2番手男役・礼真琴主演の全国ツアーで再演。
月組版の感想は
こちら、配役発表時の感想は
こちら。
大好きな演目なので喜び勇んで初日の手配をし、腰軽く札幌を追加しました(笑)。ここにひっとんが来ることになろうとは正直意外でしたが(というか娘役が粒揃いすぎだろう!)こっとんコンビも楽しみです、プレお披露目も初日から行く気満々です。
それはともかく、まずはプログラムの大野先生のコメントが熱くて、こちらも胸アツになりました。初演に立ち返ろう、初演当時の同時代性をもう一度再現してみよう、という意図はイイ、と私は思いました。こっちゃんは栄えある95期の主席ですし、押しも押されぬ星組の御曹司ですが、男臭く泥臭い芝居もできるタイプです。そしてジュリアンの、ここから抜け出したい、這い上がりたい、ここではないどこかへ行ってそこで一花咲かせたい((一山当てて…いや、一旗揚げて、か?」byボランジュ)…という想いは、月組上演時より今の時代の方がよりヒリヒリ(ピリピリ? それはショー)伝わるものなのではないかな、と思うからです。期待して席に着きました。
座組やスター比重の兼ね合いもあるのか、全体に脚本がよりシンプルに、そして骨太になり、たっぷりと間を取れる緊密な芝居ができていて、いいな好きだな、と初日からしみじみ思いました。演出もまた細やかで素晴らしい。全ツ仕様でセットや装置はいたって簡素だし、暗転もカーテン前芝居も多いんだけれど、ブツ切り感がまったくないのは、前の場面の芝居が緻密で余韻が残ること、ブリッジ音楽にパワーがあること、照明などのつなぎが素晴らしいことなどが勝因なんだと思うのです。盆もセリも使わなくても芝居は打てる、という、演劇の基本、舞台の根本を感じる舞台でした。
もうなんてったってプロローグがいい、というか開演前の音楽がもう素晴らしい。そこにこっちゃんの低く甘く静かな、ちょっとかすれたセクシーヴォイスでの開演アナウンス、スルスル上がる幕、港の突堤を思わせる階段と星空、その空の色が変わるだけであとは何も変化がないままに、たっぷり聴かせる主題歌のひとつ「ジュリアン・クレール」のメロディの一節…たとえばテレビでやったらもうチャンネルを変えられてしまうかもしれない、けれど劇場は観客を軟禁しているので(と大空さんが『どうぶつ会議』を踏まえてノマドで言っていたの、めっちゃ的確でした)観客は舞台に集中せざるをえない。ただ色を変えるだけの星空に見入ってメロディに聴き入っていたら、もうこの時代のアルジェに取り込まれているのです。すごい。
こういう演出、なかなかできないと思うのです。尺の取り方が贅沢で、でもまったく冗長ではなく、無駄はなくて完璧に意味がある。すごい。
ああ、脚本が読みたいなあ。三演のときにはまあまあ話題になった、愛ってヤツが俺の胸をガンガンと、みたいな台詞がなくなっていましたが、あれはあのとき追加された台詞だったのでしょうか。だから騒がれたのかなあ?
でも、なくなっても、同じようなことが伝わるこっちゃんの演技だったかな、と思いました。それこそジュリアンの「ウォーター!」みたいな瞬間に、こちらの胸が震えました。
まさおのときはあったジャックのソロがなくなって、ジュリアンとの愛憎や仲間、ライバルとしてのバランスもまた少し変わって見えたのもおもしろかったですね。もちろん演じているのがこっちゃんより上級生の、これが専科デビューの愛ちゃんだからこそ、の部分も確かにありました。そういう改変もとてもよかった。
初演のアンドレ(極美慎)はもっと下男っぽい役どころだったと聞いていたのですが、アナ・ベル(小桜ほのか)の父親に世話になった元軍人、みたいな設定がなくなった他はほぼ前回のみりおアンリを踏襲していたように見えました。スーツだし、そんなに身分違い感はないんだけれど、でもシャルドンヌ夫人(万里柚美)からしたら単なる使用人で姪を任せられる相手ではない、ということなんだろうなあ…
彼女が言う「女の幸せ」はいいんですよ。これは昔の時代の古風な物語なのだし、彼女はそういうふうにしか女性の、というか人間の幸福を考えられない浅薄な人間なのである、ということを表しているにすぎないのですからね。というか彼女がヘンに焚きつけなければ、ジュリアンはもっと優しいままにアナ・ベルに対したかもしれないのです。悪党というより下衆な人間しか意外と出てこない(ボランジュ夫妻は、まあ違うかな)、というひどい物語なのでした、これは。ああ、ひどいよせつないよ…
とにかく私は変わらず大っ好きな話です。ドラマとしても古びていない、と思いました。すごいよなあ、柴田ロマン。
ただこっちゃんはもう『赤と黒』ではないかな、と思いました。むしろ愛ちゃんやかりんちゃんで観たいね! というかそこからインスパイアされたお話だとしても、もう全然別の作品ですよね、ホントすごい。あ、あと、三演時にはすごく感じたプロローグのWSS味も、今回はそれほどでもなかった気がしました。これは私が本物の『WSS』(と言っていいであろう!)の観劇を経たせいでもあるのかもしれません。そもそも振付も変更されているようですしね。
さて、こっちゃん。歌えて踊れて芝居ができて、本当になんでもできるし、そんなに小さく見えないときもあるし、期待の次期トップスターですね。ギラリとした目の、孤児でワルの、野心にあふれた、愛を知らない青年に、きっちりなりきってくれていたと思います。
しかしジュリアンとサビーヌはでは、周りからカップルと目されているしお互いもその気がないわけではないのだけれど、サビーヌが本気じゃないなら嫌とつっぱりきっていて結局は実はプラトニックなカップル、なんでしょうかねえ。でもなあ、のちの「あれはアルジェ時代の女だ」みたいな言い方も蓮っ葉(って男性には言わない言葉かなあ?)でイイんだよねえ。あ、愛ちゃんジャックといーちゃんイヴ(音咲いつき)はちゃんとやることやってるカップルに見えました(笑)。
朝水くんのボランジュ総督がまた大健闘でした。当初はオレキザキか、この振り分けならかなえちゃんだろうと思ったんですけれど、小男に見えかねない線の細いおじさまなところがむしろいい。こういう人との怒鳴り合いだからこそジュリアンは勝てる気がしないのだし、彼がのたれ死にしかけたことがある、泥にまみれたことがあると言うなら自分もやってみよう、と思えたのでしょう。こんな大きな役をやるのは初めてかと思いますが、色気と大人らしさがあって、とてもよかったんです。
総督もまたジュリアン同様決して恵まれた生まれではなく、そこから這い上がって今の地位を手に入れているのだというようなことが語られますが、ルイーズ(白妙なつ)はでは名家のお嬢さまだったのかなあ。そこにも何かドラマがあったんでしょうかね、最初は愛のない結婚だったのかもしれません。でもこの夫婦にはそこから本物の愛情が育まれたんですよね。
そして銀婚式を迎えるような夫婦にしては、娘のエリザベート(桜庭舞)は幼い。遅くにできた娘を溺愛し、娘は実にすくすくのびのび育っているということですよね。のちに総督が娘に向かって、妻の言うことを「お母様の言うとおりだ」という言い方をするのが、本当に好きです。この表現だけで見えてくることがたくさんありますよね、ホントすごい脚本です。
ボランジュにはジュリアンの酷薄さや、彼が愛を知らないこと、エリザベートを愛してなどいないことが見抜けなかったはずはありません。でも娘と結婚させようとした、娘の愛がジュリアンを変えると期待し、信じていたのでしょう。彼はこの物語のなかでは珍しく、いい人間なのでした。
総督の言う「野望おおいにけっこう、だがその手段は正当でなければならぬ」といった台詞は本当に正論だと思います。目的のためなら手段は正当化される、というのは詭弁というか、ずるくて嘘で駄目なことだと思うのですよ。今大劇場でやっている『オーシャンズ11』は、いくらピカレスク・ロマンだからといって私はそこがモニョるのです。相手が犯罪スレスレの悪事を働いている強欲ホテル王だからって、こっちもタタキコロシ以外ならなんでもやって復讐していい、っていうのはやはり、理屈としてはある程度成立しているのかもしれませんが人としてどうよ、と思ってしまうのです。証券詐欺は夫が自分に隠してやっていたことなんだから自分にはなんの弁済義務もないのに、指輪を売ってまで被害者に謝ろうとしたテスが、手段や過程を重んじるごく良識的な人間のはずのテスが、喜べる、あるいは許せる行為だとはちょっと思えない。そこをつついているとそもそも崩壊する話だし、宝塚歌劇だから愛あればこそ!でまとめあげちゃっていて、それはそれでラブラブハッピーエンドでいいんだけれど、でも、モニョる。だから、きちんと勉強して修行して一歩一歩階段を上がることを勧めるボランジュは正しいし、それを受けて立ったジュリアンは偉い、ダニーなんかより全然いい男だ、と私は思うのです。
ただ、ジュリアンは本当なら、ボランジュから、この夫妻から、あるいはその娘エリザベートから、つまりこの家族から、もっと多くのことが学べたはずなのです。それは愛です。
ボランジュに「あれの良さはおまえにはわからん」と言わしめたルイーズの優しさや賢さ、愛情深さ、夫妻の愛情の細やかさ、夫妻が愛し慈しみ育てている娘の賢さや心意気…絶対に身近に感じられたはずなのに、ジュリアンは目を向けなかったのです。上しか見ていなかったのです。その狭量さが結局は彼を破滅に導いたのです。彼は薔薇をつかんで、握りつぶしてしまった。でもそれでは薔薇は駄目になってしまうのです、そのことが彼にはわからなかった…人はお金や権力や地位や野心だけでは生きていけないものなのです、これはそんなことを描いたドラマなのです。その狭量さ、もっと言えば心の貧しさはジュリアンの生まれに起因するもので、それこそ「俺のせいじゃねえ」のかもしれません。だからこそ哀れで、かわいそうではあります。
攻めて彼らもっと時間が与えられていたら…しかし、何もかも、ある意味で自業自得なのでした。
ボランジュ総督についてパリへ渡り、着々と立場を固め、周りからエリザベートの夫にボランジュの婿にと見られていることに気づいていて、けれどジュリアンはエリザベートのことはまだまだ子供でまだこの先どうとでもできると思っていたのでしょう。そんなときにシャルドンヌ公爵夫人の夜会でアナ・ベル(小桜ほのか)に出会う。
当初は本当に気の毒に思い、やや気まぐれかひとときの暇つぶしではあったのかもしれませんが、なんの気なしにごく優しく応対したのでしょう。口にした煙草に火をつけるのをやめるのがちゃんと紳士ですよね。ちょっと人疲れして、なんの利権も絡みもない他人とのささやかなひとときを持ってみたいだけだったのかもしれません。
しかし彼女は公爵夫人の姪だった、公爵夫人は彼女を幸せにしてくれる男のためならなんでもすると言っている…ここで、こういうふうに水を向ける公爵夫人の悪さを、私はジュリアンのために憎みました。こんなふうに言うから、ジュリアンも反応しちゃうんじゃないですか。でも、そう言われて、これは利用できると思い至れてしまう卑しさが、もうジュリアンの中には立派に巣くってしまっていたのでした。
のちにアナ・ベルの私室を訪れたときにも、頭を下げるアンドレに対して挨拶を返しつつも一顧だにしない。自分の上昇志向に関係のないものには一切の注意を払わない冷酷さは、優秀さより心の貧しさを思わせます。ジュリアンには人の心がわからないのです。真心には真心を持って返さないといけないよって、この間まであなたは言っていたのにフロリアン…!
巡り巡ってエリザベートを落とせて(教会前の場面での「おひとり? …あら、ごめんなさい)という台詞の絶妙さよ!)、これからというときに再度ジャックが現れて、もう少しで手に入れられそうな光り輝く未来を邪魔されてなるもんか、と拳銃を手に待ちあわせ場所に行ってみたら、ちょうどサビーヌがジャックを撃ち殺したところだった…
ここの、先に撃たれたジャックだけを見せて、そのあと撃ったサビーヌにライトを当てて、そこにジュリアンが出てくる見せ方の素晴らしさよ…!
ジュリアンがアルジェで「愛はどこにいる」と歌っていたときからずっと、はるこサビーヌは「私はここよ?」というまなざしでジュリアンを見つめ、そばにいました。でも彼の瞳に自分が映っていないことにも気づいていて、戯れのキスなんか要らなくて、寂しくそっと離れていっていたのです。愛のための場所を空けておいて、と言って通じないのなら、せめて自分がそう言ったことだけでも覚えていて、と繰り返して…
ジュリアンは愛がなんなのかわからないままに、サビーヌが言っていることの意味がよくわからないままに、それでも心の隅に場所を空けて、けれど空けたことすら忘れて、パリでの修行に余念がなかったのでしょう。そしてサビーヌはジュリアンを追ってパリに出て、けれどひとりで生きてはいかれず、ジャックと暮らしながら踊り子として生計を立てていく…
はるこの名演もあって、今回のこっちゃんジュリアンは「愛ってヤツがガンガンと」の台詞がなくても、やっと愛というものがわかった、自分が愛されていることがわかった、大事にしなければならないものが何かわかったのだ、ということが表せていました。ジャックを撃って放心状態のサビーヌを立たせ、抱きしめたときにジュリアンは、心の隅に空けておいた場所にサビーヌがすっぽり嵌まったことに、やっとやっと気づいた、これが愛だ、ウォーター!…って感じがしました。だからこそ、でももう遅いだろう、という予感のなかでふたりは逃げ出し、アルジェに向かおうとし、そして…
アンドレが舞台に出てくるのがかなり遅くて、ジュリアンが何発も撃たれてたたらを踏むところが見せ場になっているのがまたいかにもでイイですよね。そして拳銃を手に呆然と出てくるアンドレと、ジュリアンにすがって泣き叫ぶサビーヌと、で、幕…素晴らしい!!!
サビーヌにはるこを配したことがまた絶妙でした。サビーヌは精神的にジュリアンよりお姉さんで、でもそれは実年齢とかではなくて男の子より女の子の方が早く大人になる、程度のことで、実際に中の人は四学年も上級生ですが変に姉さん女房めいたことにもならず、年増感もなく、とても初々しくて新鮮なヒロインっぷりでした。芝居とダンスはいいんだからあとは歌だけなんだけれど、そうだ新公ヒロインもバウヒロインも歌がアレだったんだよ…と初日はさすがに呆然としましたけれどね、あまりに下手で…(><)
思えばあーちゃんだって歌は新公時代は惨憺たるものだったんですけれど、そこから場数を踏んで、もちろん本人も大変なレッスンをしたり努力したりするんでしょうし、今ではまったくあぶなげないです。でも路線でない娘役は歌う場がほぼなくなります。場数の踏みようがないんですね。まりもだって歌は全然上手くなかったけれど、いかにも自信なさげに歌うはるこは本当に痛々しくて、ここは開きなおらんかい!とも思いましたし、ここをこそケアしてあげてよ劇団!と思いました。2日目はだいぶマシになっていたので、慣れだよ場数だよと念じてはいましたけれどね。
札幌ではほぼほぼ危なげないところまではいけていたかと思いました。
生腹はさすがで、男役にゴロゴロ運ばれる振りがなくなっていたのは残念でしたが、わりと踊りがスポーティーなのもツボでした。こういうクラブの踊り子なんて客を取らされてるに決まってるんだけれど(なんせヒモがジャックだし)、汚れきっていない感じがまたサビーヌらしくて良かったです。
単なる人事都合で降って湧いたヒロインだったのかもしれないけれど、はるこはそれに値する逸材ですよ。今後も大事にしていただきたいです。まあ幹部候補ってタイプではないかもしれないから、学年的にはこれが餞であってもおかしくはありませんけれどね。でも貴重な娘役さんですよ…!
ジャックとのことは、馴れ合いでもなんでも、ある程度の情愛は湧いていたと思うんですよね。でも、ジュリアンへの愛は、もうそれこそずっと高く大きなものになっていて、絶対に絶対に汚されたくなかったのでしょう。だから撃った、殺した。自分が死刑になることも覚悟して。そして「ジャックとのこと、許してね」と泣き、最後に望んだのはたった一度のキスだけで、そして「憐れみは嫌」と言う女…悲しい、せつないよサビーヌ!
そんなはるこサビーヌだからこそ、やっとやっとジュリアンが、心の隅に空けておいた愛のための場所を思い出せたのだ、とも言えるのだと思えました。
物語としては、そりゃ悲劇で終わるに決まっています。私の親友は柴田ロマンのこういう、泣くのはいつも女、という形になるのが根本的に嫌いだと言います。まあね、わかるよ。確かにそれが古いんだとも思いますよ。そうじゃないドラマ、もっと明るく強くみんなが幸せになれるようなものも新しく作っていくべきだと思いますよ。でも、現状この古く悲しいメロドラマを越えられているものが残念ながら生まれていないんだと思うんですよね、だから柴田ロマンがこうも繰り返し繰り返し上演される…
そしてジャック! まさおはチンピラでしたが愛ちゃんはさすがのクズ! いやーもうたまらんかったです。股上の浅いパンツがまた素晴らしい、てかガタイが良くて押し出しがいいってのがいいんですよ、ジュリアンと両雄並び立たずって感じがすっごくするもん! 正しい!!
ジャックのソロがなくなって、まさおジャックがきりやんジュリアンに抱いていたであろう愛憎を感じさせる要素は少なくなってしまったけれど、それで言ったら2番手格で出る上級生専科が下級生次期トップスターに思うところがないわきゃないわけで、そういうのもあいまって実に実にいいジャックだったと思います。男同士ってホントこういうところありそう、という感じ、というか。そういうの、貴重だと思うんですよね。
「古い古い」って台詞! 「おまえは腕がいいんだろう?」という挑発! 「アルジェのシラミがもう一匹~」たまらん! 信用できるのかと聞かれて報酬の額による、と答えるクズっぷり! 依頼を受けて動いているくせして「頼まれたんで困ってる」という言い方をするクズっぷり! 「いい辻占だ」「こんな算盤、ガキだってできらあ」はーたまらん!! あとガチDV男っぽいとこね! 店の女主人にも平気で手を上げようとするもんね!! そこからのわりとあっけない死に様が、本当に劇的で、素晴らしいと思うのでした。
そして私はエリザベートが大好きなんですよ、権高なお嬢様が大好物なんです。登場時のおしゃまさや再登場時の大人ぶり、たまりません。
「これが侮りでなくて何? これが辱めでなくて何?」
はー、いい台詞だなあ…!
教会前の場面でのジュリアンの様子がもう憎ったらしくてねえ! それこそエリザベートは、このときもまたジュリアンに侮られていることに気づいてもよさそうなものです。でも、両親の助言に自分の心を見つめてみて、愛に敗れることにしたんですよね。だから今度の「あなたを愛しています」は信じてしまう。そして本当に嬉しくなっちゃって、輝くような笑顔でほとんどるんるんとジュリアンに肩を抱かれて去って行く…
アナ・ベルと結婚してシャルドンヌ夫人の後押しを受ける方が得策だったかもしれないけれど、ジュリアンはボランジュの娘を選んだのだと思います。その程度の義理は感じていたのではないかなあ。でもそれは全然愛ではないんですけれどね…
でも、エリザベートはこのあともきっと立ち直ると思います。「私は、自分の夫は自分で探します」と言える女性ですからね。エリザベートは選ぶ、ではなく探す、と言っていて、それはジュリアンが金鉱を探すのと同じなんですよ。用意されているものの中からただ選ぶのではなく、自分の力で選択肢そのものを探していける。その姿勢、心構えは、結婚相手だけでなく人生そのものについて言えることでしょう。だから彼女は大丈夫、強く生きて幸せになれる、と信じたいです。なんせ命はあるのだから…!
てかマメちゃんって謎ですよね…謎の組替えで、でも新公ヒロインをやらせてもらうわけでもなく、でも歌えるし踊れるからめっちゃ起用されている。どういうことなのこれは…
あ、これまた柴田ロマンあるあるの「♪ジュリアンが~アナ・ベルと~」ってコーラスも大好物です!
さて、一方で、命を奪われてしまったアナ・ベルです。
前回の月組版では盆が回って奥へ遠ざかり、かつセリ下がりし、駄目押しのようにみりおアンリが歌って、アナ・ベルの入水自殺がこれでもかと描かれたんだと記憶していますが、今回はごくシンプル。それでもほのかちゃんの歌が絶品で、背中見せて震えているだけなのにかりんちゃんの芝居が熱くせつなく激しく、充分意味が伝わるんではないでしょうか。
ピアノはツアーに本物が運べないので録音だそうですが、そもそもほのかちゃんが弾いたものの録音だそうで、お稽古場ではずっと本当に弾いていたとのこと。ジェンヌさんって本当にすごいなあ…
ほのかちゃんは私にはちょっとおへちゃに見えて、苦手な顔立ちではあるのですが、上手いことは認めています。ホント戦国ですよね星娘…!
で、そのおつきのアンドレです。はー、好き(笑)。下手したらしどころない役になりそうなところを、台詞がなくて表情や仕草、立ち姿だけでも、いい意味でうるさい、感情丸出しの演技でアナ・ベルへの敬愛やジュリアンへの猜疑心を表現していて、見事でした。こういう辛抱役の経験もきっと身になることでしょう。
ラストの芝居は、梅田ではやや呆然としているように見えましたが、その後嘘寒い薄ら笑いを浮かべる回もあったり、狂気すらほの見えて、ああこの人はこのあとすぐ自分の頭を撃ち拭くか、山荘に戻って湖に身を投げるんだな…と思えました。はー、好き。
あとお姫さま抱っこの素晴らしさね! しかも降ろすときにね、立て膝付いて腿に座らせてから降ろすんだもんね、素晴らしすぎましたよね! はー、好き(三度目)。イヤ大丈夫です、なんの利害関係(?)もなくただ無責任に下級生を愛でる喜びに浸っているだけです…
逆にしどりゅーのミッシェルは、初日はなんかぼんやりした芝居に見えて、しどりゅーならもっとできるのでは?と思ったりしたのですが、ホントにボンボンに作って口だけでジュリアンに協力を申し出ているように見せるのもアリだし、本当に世の中の酸いも甘いもわかっていて、ジュリアンをまだまだ格下に見ているような大人びた友達、に作ることもできるおもしろい役だと思うんですよね。本当に親身な友達、というのはジュリアンがなんせああだから実はけっこう難しい気が私はしていて。ボランジュの大臣就任のくだりで固い握手をしてはいるけれど、そのあとジャックとのことが持ちあがったときに、ジュリアンはミッシェルに相談することなんて思いつきもしないわけじゃないですか。その友情の一方通行ぶりは、やるせないですよね。
ところで回数を観たのでさすがに秘書官仲間たちも顔を覚えられました。エスケープくんだりの毎回のアドリブもお疲れ様でした、楽しかったです。
他に印象的だったのはまいけるミシリューかな。「くだらんければくだらんほどいい」って言い方がホントいいよね。ジャックの報酬に関する見栄を喝破して笑うくだりといい、、前金を渡すときのわざとらしい溜め息といい、ホント下卑てるのがいい。政治家としては有能なんだとしても人間としてはこの人もクズ、ってのが脚本の示すところなんだと思うし、それをさすが上級生の芸達者ぶりで演じていたと思いました。
あとはどこにいても綺麗ですぐわかる水乃ゆりちゃんや、可愛い澄華あまねちゃん、なかなか目立つ瑠璃花夏ちゃんもそれぞれ目を惹きました。あと華雪りらたんもホント美しいのよ麗しいのよ…!
今回で娘役ちゃんたちもかなり識別できるようになったなー。本当に観甲斐のある演目でした。
スーパー・レビューは作・演出/中村暁。定番の中村Aショーでほぼ『ビバフェス』って気もしたんだけれど、こちらも人数はぐっとコンパクトになっても変化も多く充分厚みも出せていて、楽しかったです!
プロローグはこっちゃんとはるこ。はるこの歌が弱いのは難点でしたが、これはホント場数なんだと思うのでしゃーないです。2番手としてビシッとキメてくる愛ちゃんが頼もしく、かいちゃんとせおっちだったところにはしどりゅーとかりんちゃん、イイですね! 客席降りもあってつかみはバッチリ。
こっちゃんのスタパレはかりんちゃんと天飛くん。梅田初日はかりんちゃんはともかく(決して上手かないがまっすぐ素直に歌うタイプでよき、と思っているので)天飛くんの声があまりに出ていないのに仰天し、緊張しているんだろうとは思うけれど励ましの手拍子入れて歌をかき消す方がいいですか…?って気持ちになっちゃいました。でもそこからグイグイ乗っていって、よかったです。ほのかちゃんと水乃ちゃんのコーラスとサポートもよき。
かいちゃん場面だったところはまるっと新曲で、愛ちゃんあんるちゃんの同期コンビが紫のお衣装でセンターを務めて吉。
星夢はこっちゃんとなんと瑠璃花夏ちゃんで、こちらも梅田初日は歌えていなくて何故抜擢した!?と冷や汗でしたが、どんどん仕上げてきましたねー。あとちっさくてもホントきびきび踊っていて気持ちがいいです。でもここのはるこのお衣装も鬘もたまらないのだ…!
しどりゅーマメちゃんの間奏曲めいた場面も、充分埋められていて素晴らしい。ここの振付はモモサリ姉さん、イイよね!
そしてBackを譲らないこっちゃん、ホントすごい。よりダンサー選抜になっているのもイイ。
そこから中詰め、まずは愛ちゃんのHot Stuff。まぁヤラしい、イイね! 初舞台のときに愛ちゃんのお手伝いをしていたと聞くかりんちゃんが、愛ちゃんのバックでめっさいい笑顔で踊っているのもたまりません。そこからの娘役場面ははることあんるちゃんがセンターで、でもみんな色っぽくてイイ! さらにしどりゅーのSunny、かりんちゃんははること組んでねっとり踊っていてそれもまたよき。リベルタンゴはこっちゃんのソロダンスになっていて圧巻。からのチャンピオーネと客席降りの盛り上がりはホント毎回楽しゅうございました。
ロケットは中高なので両端が華雪りらたんと瑠璃花夏ちゃんなの、もーたまらんかったとです!
星サギは愛ちゃんジョバンニにほのかちゃんカンパネルラになって、シメに星サギSのこっちゃんが出てくる構成に変更になりました。これもよき。
せおっちの銀橋ソロだったところはしどりゅーとかりんちゃん。からの黒髪ショートのあーちゃんが絶品だった娘役群舞はあんるちゃんがセンター、いーちゃんと水乃ちゃんがシンメで、本公演では一番下手で色気勉強中です!みたいだった水乃ちゃんがすっかり綺麗で色っぽいお姉さんが板に付いている成長っぷり、感動しました。
そして黒燕尾の情熱大陸はこっちゃんと愛ちゃんがいい色の違いを出していて、星組らしからぬ揃いっぷりで圧巻。からのデュエダンは本公演まんまでしたが、はるこのえも言われぬたおやかさ、それを受け止めるこっちゃんの頼もしさよ…と、これが「尊い」ってヤツか!と震えました。はるこのお団子キャップのワイヤー芸がまた素晴らしく、上級生娘役の尊さを思い知らせてくれました。
エトワールは白妙なっちゃん、パレードまで華やかで、よくできたショーでした。
しかし3日ほどしかお休みがなくてすぐ集合日とは、くれぐれも身体に気をつけてがんばっていただきたいです。ひっとんの合流も楽しみですが、まずは悲しい卒業発表みたいなものがないことを祈ります。まあ悲しくない卒業発表なんてないんでしょうけれど…常にこれが最後かもしれない、と心して、大事に観ないといけませんね。改めて、肝に銘じたいと思います。