駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『トンマッコルへようこそ』~韓流侃々諤々リターンズ17

2020年08月31日 | 日記
 2005年、パク・クァンヒョン監督。シン・ハギュン、チョン・ジェヨン、カン・ヘジョン。原題は『ウェルカム・トゥ・トンマッコル』、音楽は久石譲。

 1950年、朝鮮戦争の真っ只中で、道に迷った韓国軍、敗走中の人民軍、偵察飛行で墜落したアメリカ軍の兵士たちが、戦争も武器すらも知らない村「トンマッコル」で出会う…という、ある種の胡蝶の夢めいた夢オチでもあるような、ファンタジックな作品です。映像も音楽も美しい。
 人種も民族も言語も宗教も文化も風習も同じなのに、不信感からまったく話が通じない韓国軍兵士と人民軍兵士が、やがてゆっくり心を通じ合わせていく様子が見どころ、でしょうか。そして今なお停戦中の二国の変わらなさを、それでも今また『愛の不時着』が流行る韓国を、その現状を、思ったりもします。
 シン・ハギュンもチョン・ジェヨンもアイドル路線ではない俳優でしたが、その後、いいおじさん俳優になったのかなあ。チョン・ジェヨンは私は顔もわりと好きでした。元気だといいなあ。

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荒川弘『鋼の錬金術師』

2020年08月29日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名あ行
 スクウェア・エニックスガンガンコミックスデラックス全18巻。

 幼い頃、亡くなった母にもう一度会いたいという想いから、錬金術において禁忌とされる人体錬成を行った兄エドワード・エルリックと弟アルフォンス・エルリック。その結果、錬成は失敗し、エドワードは左足を、アルフォンスは全身を失ってしまう。エドワードは自分の右腕を代償にアルフォンスの魂を錬成し、鎧に定着させることに成功して、命だけは助けることができた。身体を失うという絶望の中、それでも兄弟は元の身体に戻るという決意を胸に、その方法を探すべく旅に出るのだったが…

 連載当初からガンガンコミックスで買っていて、その後買うのが止まってしまい、完結してからまとめて読もう、とコミックスを手放して、そうこうしているうちに月日が流れてしまって、このたびやっと完全版を大人買いしました。連載開始は2001年、完結が2010年ですから、もう一昔、二昔前の作品となってしまいましたね。でも、なんせ売れたし一時代を築いたし、テレビアニメはもちろん、見ていないのでわかりませんが出来はアレレだったらしき実写映画なんてのもありました。私は先に次作の『銀の匙』の方を読み終えてしまったわけですが、今の連載の『アルスラーン戦記』はどんななのかな…?

 さてしかし、まとめて読むと、意外にもかなり骨太で質実剛健な、どストレートなバトル・アクション・ロマンで、萌えたり浮かれた要素がほとんどなく、またストーリーが迷走したり展開がスローダウンしたりすることもまったくない、なかなか希有な作品であることに改めて感銘を受けました。
 絵も意外に愛嬌がないというか、コミカルな描写もあるんだけれど基本的には確かなデッサン力と多彩なキャラを描き分ける画力にがっちり支えられた、これまた質実剛健なものです。完全版コミックスは紙がいいので白さが光り、なので画面の黒白の使い分けの上手さ、クリアさがより引き立ちますし、アミ中心のシンプルめなトーンワークも実に美しい。コマ割りやコマ内の構図もとてもスタンダードでかつ達者。今どきの全ページ三方タチキリみたいなワケわからなさもなく、素晴らしいです。カラーページが完全再現されているので、その上手さも堪能できます。
 キャラ萌え人気もあったはずなんだけれど、作品はそちらに不必要に振れることをしていないのもまた好感が持てました。私は当然ロイ・マスタング好きなので、むしろもっとあってほしかったくらいだよリザの背中を見る経緯とかラストのその後とか!(笑)
 設定もどこまで当初から想定されていたのかわかりませんが、実によく練られていて仕込まれていて、ストーリーはきちんと展開されていきまた収斂されていき、大団円に向けてしっかり走っていて、最終回もとても綺麗なゴールっぷり。これは巻いたり伸びたりしがちな人気長期連載作品には珍しいことで、本当に素晴らしいなと感動しました。

 私は学校の化学の授業で元素表とか、化学式とかを勉強したときに、たとえば物が燃えて光と熱が出て炭になるとはこういう理屈なのか、とかいうことにとても感銘を受けました。なので金が作れないこと、錬金術なるものはまがいものであること、という感覚が骨身に刻まれているのですが、この作品はその感覚にとても合致していて、読んでいてとても心地良かったです。もちろん錬金術といっても金を作ることは禁止されていて(でもこれは国家錬金術師に限ったルールなのかな?)、等価交換の原理にもとづく物質ないしパワーの生成技術みたいなもののことであって、無制限の魔法なんかではない、というのがいいし、その中での国家錬金術師の在り方も非常に整合性と説得力が感じられました。そして主人公のエドワードはもちろんマスタングも、その資格をある種利用として生きている姿勢がいいなと思ったんですよね。彼らにとって国家錬金術師であることは手段でしかなくて、目的化していないのがいい。彼らにはそれを通して他にやりたいことがちゃんとあるのでした。
 そして最終的には、新生アメストリスには国家錬金術師はいなくなるのでしょう。少なくともそれを軍事利用する国ではなくなっていくはずで、そして主人公にいたっては錬金術師ですらなくなって物語が終わります。タイトルどおり鋼の錬金術師だった主人公が、鋼の錬金術師でなくなって終わる物語…なかなかないです、そして美しい構造です。

 女性キャラクターも多数出てきますが、みんな一様に女々しくないのがいいですね。ヒロインのウィンリィも、幼なじみなのはよくある設定なんだけれど、よくある少年漫画のよくあるヒロイン感がないのがいい。ラストはハナから「全部やるから全部くれ」でもいい気がしましたが、まあそれはいいでしょう。
 主人公と父親に断絶があるのもよくある設定ですが、この作品ではそれもとても上手く描かれていましたね。またこのホーエンハイムも総統も、妻ラブなのもいい。あまり性差で語りたくはないですが、こういうところは女性作家ならではなのかもしれません。
 ホムンクルスというモチーフもまたよくあるものですが、人間から生まれてまた人間に還るものであり、完全に葬り去られるのではなく共存していくことを夢見ていい、近親みたいなものとされている優しさ、そんな未来を信じてそう描く強さみたいなものは、女性的というよりはこの作家の個性によるものかもしれません。酪農家の育ち、生き物の生死をあたりまえに見て育った者の独特の強さって、あるはずだと私は考えているので。

 私は男女の身長差萌えとかは全然ないんだけれど、背が伸びたエドワードにウィンリィが抱きしめられるくだりにはキュンとしました。それもウィンリィが「じっとしてる男なんてつまんないじゃない」と言えるヒロインだからこそのものです。
 みんな何かを失って、どこかを痛めて、代償に何かを得て、やがて鋼の心を手に入れる…強く美しい作品です。またひとつ、愛蔵し繰り返し読みたいものができました。





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宝塚歌劇星組『眩耀の谷/Ray』

2020年08月27日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚大劇場、2020年2月7日15時(初日)、2月25日13時、18時(新公)。
 東京宝塚劇場、8月26日13時半(Bパターン)。

 先年の昔。諸国を追われた流浪の民・汶族は美しく豊かな地・亜里に小国・汶を築く。だが紀元前八百年頃、周王朝の宣王(華形ひかる)は当時の汶族の王・麻蘭と交戦し、汶を攻略。亜里は周の統治下に置かれるが、汶族の神・瑠璃瑠の聖地である秘境・眩耀の谷には、密かに抵抗を続ける者たちが身を潜めていた。そこへ、周の都から遣わされたひとりの若者・丹礼真(礼真琴)がやってくる。亜里の砦で指揮を執る勇将・管武将軍(愛月ひかる)は礼真に、谷を見つけ出し、宣王に対し未だ敵意を燃やす者たちを服従させるよう命じるが…
 作・演出・振付/謝珠栄、作曲・編曲/玉麻尚一、小澤時史、振付/平澤智。星組新トップコンビの本公演お披露目作品。

 初日の感想はこちら
 その後、8月上旬のお取り次ぎも確定していたのですが中止になってしまい、東京での観劇は友会SS4列目どセンターの1回のみとなってしまいました。半年ぶりに東京宝塚劇場の客席に足を踏み入れたときには、さすがに来るものがありましたね…! そしてオケがおらず、客席の私語も少ないので、ロビーの五分前スミレがくっきり聞こえてきて新鮮でした。ただでさえ視界がいいのに席が市松模様なのでそりゃもう快適でオペラグラスいらず、久々に入れたコンタクトレンズのピントもバッチリで、役者の顔がよく見える観劇となりました。
 しかし集中して観ただけに、脚本の粗をより感じてしまったかな…なんか、「この台詞に対してこの台詞で受けるの、脈絡が捻れてておかしくない?」とか、「ここはこういうことを言いたいんだよね、ならこの言い回しだとわかりにくくない?」みたいなことがけっこう、多々、ありました。贔屓公演ならル・サンクを真っ赤にして語るヤツです。全体としてとてもいいことをやろうとしているとてもいいお話、作品だと思っているだけに、いちいち引っかかって残念でした。
 東京では下級生が2チームに分かれての出演になっているので、確かにモブが減っている印象はありましたが、寂しいとかスカスカだとかって感じはそれほどなかったかと思います。
 初見では個人的には、まこっちゃんはそもそも見るからに正統な王子で王なんだから貴種流離譚は無理があるのでは…という印象が強かったのですが、東京公演ではいい感じに力みが減って、キラキラした純朴な田舎の小僧感を出してきていて、素直に物語と礼真像に入っていけました。多分管武将軍はこの程度の若者にならあちこちに声をかけていて、子飼いをたくさん持っているんだろうな、その中のひとりにすぎないんだろうな、という感じがより強く出ていた気がしました。けれどみっきーまいけるに仕えられるお坊ちゃんでもある、みたいなバランスがちょうどよかった。なので、母親が実は汶族の王の末裔で…とかはたまたまで、ぶっちゃけどうでもよくて、むしろ戦乱の中で開花した礼真自身の勇気とか思慮とかリーターシップとかの方が大きくて大事で大切で、汶族も彼が新しい王だからというよりは彼が親身になって一緒に戦ってくれた若者だから、彼の言うことに従って彼とともにこの地を捨てて逃げる決心をした、というふうに見えて、とても自然でよかったです。結局血筋かい、みたいな感じが薄れて見えたので。武闘派のクリチェ(天華えま)やイムイ(極美慎)が私が以前観たときは最後までやや不服そうな顔をしているように見えて不安だったのが、今回は最後の最後には納得して、率先して動いているように見えたので、それも感動しました。
 管武将軍の変節とかはやっぱりもうちょっとちゃんと描くべきだったと思うし、瞳花(舞空瞳)と家宝に対しての心情吐露とかもっとあってもよかったとと思うし、ラストに空っぽの谷と偽物の黄金を手にして呆然、みたいな場面も欲しかったと思うので、そういう意味ではやっぱり宝塚歌劇にありがちな、あと一歩二歩のレベルの出来の作品…ということになってしまうのかもしれませんが、それでも私はわりと好きです。生徒の使い方とかは座付きの仕事がちゃんとできているし、描こうとしているテーマ、世界観、スタイルが好きです。今まで演出、振付しかしてこなかった謝先生ですが、脚本もまたトライしてみてほしいなあ。そしてどなたかが言及していましたが、大劇場がなーこたんで東宝が謝先生で梅芸がくーみんでドラマシティーがカッシーという、たまたまなんですが女性作家揃い踏みの時代が来たというのはなかなかにエポック・メイキングなことだろうとは思うのでした。クリエイティビティは本来は性差より個人差、個性の世界ではありますが、より広く大きく羽ばたいていって、がんばっていってほしいと思っています。

 ショー・スターズは作・演出/中村一徳。
 こちらは万年中村B作品でした。
 Bだとすぐわかるプロローグはともかくとして(てかマスク越しでもはっきりわかるくらいいい匂いした! すごい!!)、金星の場面って何がどう金星で何を踊っているの…? イヤ振付やフォーメーションは素敵だったんですけれど…(せおっちにあまり興味がないのでマメちゃんと水乃ゆりちゃんばっか見てましたすみません)その次のみっきーはるこから始まる白いお衣装の場面も何を踊っているのかよくわからず…次がニューヨークでスーツで愛ちゃんがかっけー、ってのはまあわかる(ぴーに興味ないはずなのにあかちゃんよりダンスが素敵に見えたな…何故…そしてくらっちが最高…でも実はかなえちゃんもめっちゃよかった)。そしてみつるから始まる中詰めも、このお衣装の意味とこの場面のコンセプトの意味がわからない…霊鳥って何…? そしてオリンピアはせめて東京では変更できなかったの…? そして最近のBのフィナーレまんまのフィナーレ…ううーむ…
 ただ、まこっちゃんがどの場面も元気に歌い踊っているのがいいし、ひっとんはいつでも可愛いし、愛ちゃんは光っててまこっちゃんとのバランスもいいし、せおっちも仕上がってきて見えるし、新トップコンビのデュエダンの息の合いっぷりや鍛えられた体幹による無重力感、浮遊感、そしてピカピカの幸福感が素晴らしいので、楽しかったです。でも疲れた、目がチカチカした(笑)。拍手筋や手拍子筋はキープできていましたが、ショーを享受するハートの強さの衰えを感じました。鍛え直したい…! 

 あと、そもそも、同じレイならこれはカレーちゃんのネタだよね、だって光と書いてレイと読むのはあっちなんだよ…?と思ってしまうのを止められません。これはまったくまこっちゃんのせいではなくて、明らかに劇団のミスですが、残念です。
 ともあれ、このままなんとか完走して、無事にみつるに卒業していただきたいし、次は本当はなんだっけシラノだっけ? そして本公演ロミジュリまで発表されていたんでしたっけ、なんとか順次上演されることを祈っています。
 くれぐれも健康に気をつけて、がんばっていただきたいです!



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高殿円『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』(ハヤカワ文庫)

2020年08月25日 | 乱読記/書名さ行
 クール&クレバーで電脳を駆使する名探偵シャーリー・ホームズと、だめんず好きでお人好しの女医ジョー・ワトソン…コナン・ドイルの主要キャラたちを男女逆転させ、さらに舞台を現代へとアレンジ。独創性と原作への愛にあふれた新時代パスティーシュ!

 私はミステリーファンとして嗜んでいる程度でまったくシャーロッキアンではないのですが(私はエラリー・クイーン派なので)、パスティーシュが数多く出ていることも知っていますし、興味を惹かれればそれも読みます。この著者の作品もいくつか読んでいるので、手に取りました。カバーレイアウトとオビのイラスト、デザインがお洒落、というのもありました。
 性別を変えたり時代を移したりというのはよくある手法ですが、しかしこの作品は、なんかちょっと…変わっていました。
 時代は2012年、五輪開催に沸くロンドンとされていますが、なんちゃって現代というかパラレルワールドの2012年というかで、ワトソン夫人はベイカー街のフラットを管理するAIになっていたり、全体にちょっとスチームパンクっぽい世界観になっています。
 それはまあいいんだけれど、なんだか…海外小説の翻訳のように見えるようにしているのか、文体がなんだか…まあワトソンの一人称小説だから、それもあるのかもしれないけれど…シャーリーが変人なのはいいとして、何故ワトソンまで女性同士でも相手を「君」と言ったりするの? ワトソンがどんなビッチとされていても全然いいんだけれど、この作品世界における「普通」がどこなのかかよくわからないので、シャーリーのすごさも今ひとつわかりづらいものになっている気がします。残念、もったいない。これだとワトソンの外側にもうひとり、常識的につっこむキャラが必要だよね。
 娘の幼稚園のお迎えに行くグロリア・レストレード警部とか、数学者でネット裏社会の女王ヴァージニア・モリアーティ教授とか、両性愛者の英国官僚ミシェール(マイキー)・ホームズとか、いちいちいいのになあ。
 そしてこれは、特にその後シリーズ化はされなかったのでしょうか…まあこの中途半端さだとその先掘っても何もないな、となっちゃったのかもしれませんが。これでいいユリになったら化けたかもしれないのに…モヤモヤしながらの読了でした。

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『モンテ・クリスト伯』

2020年08月24日 | 観劇記/タイトルま行
 明治座、2020年8月23日16時(千秋楽)。

 世界中で愛されるデュマ(川崎麻世)の『モンテ・クリスト伯』はエドモン・ダンテス(渡辺大輔)が裏切りの果てに壮大に描く復讐劇。そして、デュマが愛した最初の女性カトリーヌ(凰稀かなめ)が描きあげる、愛憎の果ての復讐劇。劇中劇でありながら小説世界を舞台に描き出し、やがてデュマ自身を追い詰める復讐劇へと変わっていく…
 作・演出/西田大輔。全3幕の音楽劇。

 宝塚歌劇宙組版の感想はこちら、ワイルドホーン作曲のミュージカル版の感想はこちら
 かつてエドモンを演じたテルがメルセデスを演じるとあって、気になってはいたのですがいろいろ忙しくてチケット取りに手を束ねていたところ、都合が悪くなったお友達に声をかけていただきました。しかし譲っていただいたたのは千秋楽…このご時世、無事に初日の幕が上がったとしても千秋楽まで公演が完走できるか怪しくもあり、もらえるなら早い時期のチケットの方がよかったか…とか思っていたら出演者に陽性が出て初日が三日遅れとなり、もうこればかりは縁だな運だな、上演してくれてチケットがあるなら行ける限りいつでも行くよという気持ちで固唾を呑んで見守っていたところ、無事千秋楽まで上演してくれることとなり、いそいそと出かけてきました。
 明治座といえば博多座と並ぶロビー売店の賑やかさが楽しみなのに、すべて閉店…仕方ないことではありますが、残念でした。席は市松模様にしているようでしたが、販売時には一部ベタ売りだったのかな? ところどころに「この席は振り替えさせていただきます」みたいな紙が置かれていて、わりとすぐ近くの、売らなかった席に案内されているようでした。が、売られていないはずのその席のチケットを持っているお客さんがすでにそこに座っていて…みたいなトラブルが何件が起きていて、係員があたふたしている間に開演五分前のベル…幸いにというか残念ながらというか、けっこう空席はたくさんあって、私と連れも適当に散って座ったら暗転、開演となってしまいました。まあ、明治座はわりとどこからも同じように舞台が観やすい客席かと思うので、いいんですけれどね…
 というわけで千秋楽でも客席半分みっちり、という客の入りではなかったのですが、カテコでの出演者挨拶によればこの回が一番入りが良いとのことだったので、今はどの公演も集客に本当に苦労しているんだろうな、としみじみしました。それでも役者はみんな上演できたことを本当に喜んでいて、支えてくれたスタッフや関係者、劇場に来てくれた観客、配信を見てくれている人々に感謝の念を捧げていて、「心は密です」と言っていて、胸打たれました。とはいえ上演期間が短くなった分、心残りや不完全燃焼もあったのか、再演希望を述べるキャストが多かったのも印象的でした。もちろんみんな毎回一生懸命にやっているに決まっているんだけれど、舞台って回数を重ねるのが基本だから(バレエとかオケとかはまた別でしょうが、演劇は)、まだできる、もっとできる、違うこともできるって可能性がやるたびに見えてきて、もうちょっとやりたいって欲が出るんだろうな、と思いました。早く、通常どおりの上演ができる日が来ることを祈っています。それまでは対策しつつ粛々と暮らします。「待て、しかして希望せよ」、今こそ響く言葉です…

 さてしかし、そんなわけでコロナ禍の演劇は休憩なし2時間くらいのものの方が幕間もなくて飲食や会話が減らせるしベストでは、みたいな空気の中での10分休憩2回を入れた3幕3時間20分ってどーなのよ、とまず思いましたし、実際ちょっとたっぷりやり過ぎている印象はあって、もっとテンポ良く進めんかい!とは感じました。特にそんなにおもしろくない会話が行ったり来たりするところだけでも刈り込めば、あと30分か1時間くらいはすぐつまめると思うんだけど…また、ミュージカルではなく音楽劇とあって、どちらかというとオペラっぽいソロの入り方なんだけれど(いかにもミュージカルっぽい多重唱の楽曲もいくつかはありましたが)、いずれももう少しずつ短くてもいいかもしれない、と思いました。歌唱力は十分なんだけれど、芝居や歌詞がやや薄いので、どんなに上手い歌でもお客は退屈すると思うんですよね。リサイタルではないので、役の情念が表れた歌でないと、観客の心は動かないのです。キャラクターも多い原作なので大変かと思いますが、脚本としてもう少し練れるとよかったんだろうなと感じました。
 あと、ハコもちょっとこの作品には大きかったかもしれない…大枠はホームドラマなんだから、もう少し小さい劇場でみちっとやった方がよかったかもしれません。セットもそんなに大がかりなものできなかったし。映像とかはまあまあいい使い方をしているかなとは思いましたが。
 あとはアンサンブルの振付のダサさに仰天しました、すみません…プログラムが通販のみで、このまま買わずにすませそうなので音楽や振付の担当者を知らないのですが…すみません…
 でも、リピーターがちゃんといるんだなという拍手の入り方だったので、ファンが多いキャストの舞台なんだな、と思いました。きっちり盛り上がっていたとは思いました。

 史実かどうかは知らないのですが、この作品の外枠はアレクサンドル・デュマ・フィス(渡辺大輔)とその母親でデュマ・ペールの愛人カトリーヌがデュマ・ペールのゴーストライターをやっていて、デュマ・ペールの父親をエドモンのモデルにして『モンテ・クリスト伯』を書いている…というものです。デュマ・ペールはちょいちょい来ては原稿にちゃちゃを入れる。ま、そういうプロダクション制みたいな執筆って意外といいと思うし、もし本当ならあの小説がちょっと荒唐無稽でいろいろ齟齬もある大味な大衆エンタメ作品みたいになっているのも納得なのかな?という気がしました。なので劇中劇の形でエドモンの話は語られます。そこで、カトリーヌとメルセデスの二役をテルが演じ、フィスとエドモンを同じ役者が演じてふたりは母と息子から恋人同士にスライドしたりする。それが妙味の作品になっているのでした。もうひとり、デュマの娘と名乗るマリー(富田麻帆)も原稿読みに加わって、エデ姫との二役に扮します。これもおもしろい。
 この作品でもアルベール(千田京平)はエドモンの種とされていて、メルセデスは息子とともに旅立ち、エドモンはエデ姫と結ばれて終わります。そしてその後の大枠に、マリーは実はデュマの娘ではなくマリー・デュプレシという女性でフィスのガールフレンドで、フィスは彼女をモデルに『椿姫』を書こうとしていることが語られるのと、カトリーヌが『モンテ~』にかこつけてデュマの浮気を責め、しかし痴話喧嘩みたいになって終わる…というオチが来ます。
 復讐は虚しい、というのは言わずと知れたことで、自分を陥れた人物を同じような目に遭わせようとも失われたものは戻らないし、その過程で無関係の人を必要以上に傷つけてしまうこともあるので、爽快感もカタルシスも得にくいものです。なのでエドモンの物語の外枠にもうひとつ、お話があるのはいいアイディアだなと思いました。羽根ペンを手にしたカトリーヌが世界を統べる女王のごとく舞台に君臨している感じなのもよかったです。似たような青いドレス2着しかお衣装がなかったようなのが残念だったけれど、歌声も健在で、結婚前のメルセデスのときなんかむちゃくちゃ可愛くて、堪能しました。
 十碧れいやがカトリーヌの男装の執事役で、オイオイかっけーじゃんかと思って観ていたら作中ではベルツッチオ役で、なんとそれはキタさんがやっていた美味しい役だったよね今回も美味しいな!?とときめきまくりました。
 メガネだったからかもしれませんが(笑)、ダングラール役の廣瀬智紀が印象的でした。

 そうだ、最後にひとつだけ。作中のハッピーエンド場面で、エデに「私はあなたの奴隷です」と言わせるのはやめてくれ。原作小説どおりなのかもしれないし、「私はあなたのものです」という意味の愛の言葉であり、また彼女は実際に奴隷に売られたところをのちにエドモンに助けてもらった経緯があるから、というのはもちろんわかっていて、でも今の舞台であえてこう言わせる必要はまったくないし、洒落にならない、不愉快です。隷属にロマンスの要素を見るのは、百万歩譲って女性作家が書く台詞なら許せなくもなくもない、かもしれない。でも隷属させる側に属する者が書いては絶対にいけません。





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