駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

今年も一年お世話になりました!

2019年12月30日 | 日記
 一昨年でしたっけ?年明けに人生初インフルエンザにかかってスタートした年がありましたが、今年は怪我も病気もなく風邪もほぼ引かず、楽しく元気に健康に過ごし、50歳の誕生日も無事に迎えて人生折り返しを過ぎました(笑)。いやマジで人生百年時代をいかに楽しく元気に健康に過ごすかをこの先真剣に考えていかないといけないと思っていますし、少なくとも宝塚歌劇150周年はこの目で見届けるから!と言霊を信じてこれからも日々言い続けていきたいと思っています。こりずにおつきあいいただけましたら嬉しいです。

 今年の観劇回数は147回でした。去年から微増、ここ5年では二度目に多い回数でした。贔屓が夏に卒業したはずなんだけど、おかしいな…?(笑)細かく見ていませんが、8割が宝塚歌劇で6割が宙組でしょう。でも贔屓がいなくなれば同じ演目を10回も20回もリピートすることはなくなるはずなので、来年はもっとバランスを良くしたいし外部の演目ももっと観たいです。
 印象的だったのはりりこ、しーちゃんのライブの素晴らしさ、だったかなー。トップでなくとも歌うまだった娘役さんには活躍の場があるよなー、引き続き応援したいよなー、と思いました。
 現役では来年も気になる生徒さんにはほいほいお手紙書いて都合がつく限りお茶会を覗きに行きたいですし、なるべく生徒さんや会からチケットを買いたいのでお友達たちにも頼っていきたいと思っています。ホント友会は当たらなくなった…ただ個人的には一時の異常なブームは去りつつあって、演目が良くなければ公式には完売でも中ではダブついている印象にもなってきたので、適正になっていくといいなと思っています。どんな演目でも東京公演は激戦でお断りの嵐、とかホント異常だし良くないことだと思いますからね。
 新たな演出家のデビューも待たれます。というか劇団には本当に演出家の育成に注力してほしいし、公演期間含め生徒さんたちの働き方改革をしてほしいし、脚本・演出のチェック機構を構築してほしいです。令和なのにとかはあまり言いたくありませんが、とにかくいろいろアップデートされていなさすぎで不安です。今のままでは200周年とかホント迎えられないから!
 とりあえず年明けは花組国際フォーラム公演からの観劇始めになりそうです。花組ドラマシティ公演&雪組大劇場公演観劇が遠征始めかな。御園座にも行きますし、雪全ツや星全ツは旅行がてら地方に行けたらなーと思っていますし、来年もあれこれ忙しそうです。良きオリジナル作品との出会いも全力で待っています。
 バレエやオケももっと行きたいなー。いろいろアンテナ張って、せっせとチケット取りたいです。そのためにも稼がねば…そしてちゃんと有休もバンバン取らなくては…がんばります。

 仕事は落ち着いていて、定年までのあと10年をどんな仕事をして過ごすかとか定年後どうするかとかも、ぼちぼち考えたいとは思っています。今の業務にはやや飽きてきたし、本質的には向いていないとも思っているのですが、周りに恵まれていて楽ではあるからなー。異動希望を出すのはある種の賭けなので、慎重に考えたいです。

 今年の目標は初の海外ひとり旅をすること、終活に手をつける(遺書を書く)、ソシアルダンス教室通いの再開、のみっつでした。
 初ひとり海外は誕生日に合わせてマカオ二泊三日で敢行しまして、おたおたしながらも事故なく楽しく帰ってこられました。味をしめて、毎年の慣例にしようかなと考えています。来年の候補は上海です。近くて楽しそう(笑)。
 その旅先で、遺書というか覚え書きみたいなものの下書きもポメラでしました。今のところいたって元気で健康なのですが、歳は歳だしひとり暮らしだしいつ何があるかわからないので、何かあったとき用にちょっとまとめておこうと思ったんですよね。通帳はあそこにしまってあるよとかハンコはあそこだよとか、マンションは銀行ローンは終わってるけど会社から借りた分はまだ給与天引きで返済中だから会社と相談してねとか、本や服は古いけど売ってねとかいった指示と、デジタル関係のパスワード一覧とかを、親と親友に預けておこうかなーと考えているのです。ただ、きちんと仕上げてプリントアウトして封筒に入れて渡す、までは全然できていないので、引き続きの懸案事項となりました。
 逆に親とも実家についていろいろ相談しておくべきなんでしょうけれど、これまた両親とも今のところ元気で健康なのに甘えて何もしていません…弟とも話し合っておかないとダメなんだろうなあ…『何食べ』のシロさんちってホントちゃんとしてるよね…(ToT)
 異動で仕事が激変したときに通わなくなってしまってもう2年以上経ってしまったソシアルダンス教室は、贔屓が卒業しておちついた秋にでもまた覗きに行こう…と思っていたのに結局行けてません。せめて電話して団体レッスンの次のターンがいつ始まるかくらい聞こう、そしてそこには予定を入れないようにしよう…綺麗さっぱり忘れた気がしますがやればまた思い出すだろうし楽しいには違いないので、運動にはそんなにならない気がしますが再開はしたいと思っているのです本当に。競技会に出たい、みたいな野望はなくて、あくまで「踊れる自分でありたい」ってだけなんですけれどね…これも来年に持ち越し。がんばります。

 来年の目標、というものは特にないのですけれど、とりあえず春に念願のニューヨーク旅行に行きます! 入社以来三度目のリフレッシュ休暇を取る予定なので。ちなみに最初のときはスペインに旅行に行き、二度目は大空さん退団公演に当ててずーっと日比谷にいました(笑)。
 スペインにも一緒に行った頼れる親友が早くも飛行機と宿は抑えてくれたので、これからいろいろ計画したいです。ベタにブロードウェイ・ミュージカルを観る!とかティファニー・カフェに行く!とかもしたいのですが、エラリー・クイーンの家がある番地に行きたいのと『BANANA FISH』の図書館に絶対行きたい!というオタクミッションもクリアしてきたいです。
 ごはんとか観光とかオススメあれば、お詳しい方教えてください。アメリカは大空さんとのロス遠足以来です。旅慣れていない方ではないと思うのだけれど、ニューヨークってやはり特殊そうなので今から緊張しています(笑)。仕事が上手く片付けられるか、後輩に頼めるかも心配ではありますが…
 来年は喜寿の父親とそのよっつ歳下の母親も、ありがたいことに未だに元気で、今年は夫婦でシンガポール旅行に行っていましたが来年は初のハワイ旅行を計画しているそうです。弟が50歳になるときには記念に家族4人でどこかに行けたりしたらいいのかなーとも夢見ています。箱根とかでもいいし…

 さて、このあと実家に帰ります。そういえば一昨年まで3連続でムラ年越しだったんでした、『シェイクスピアイズ』『グラホカルーセル』『ポー』。懐かしいな! 今年は実家ぐーたらからスタートして実家ぐーたらで無事に終えられそうです。たくさん本を読みたいな。
 まさしく個人の備忘録の、でも誰かしらが読んでくださっていると思えるからこそ続けている、このブログでございます。来年もどうぞよろしくお願いいたします。お正月に読んだ本がおもしろければ、早ければ新年4日の更新かもしれません。
 あ、リアルお友達たちへ、去年から年賀状をやめています! 今年も作ってません書いていません、楽になりました!(笑)年賀状だけのおつきあいの方とかはこの先もう会うこともないだろうなとか、いざとなったら連絡つける手段なんていくらでもあるから住所を把握し合う必要もないよな、と考えてやめてしまいました。そういえば喪中欠礼のはがきを今年は一通も受け取っていません。ファンレターは未だにたくさん書くので(残念ながら贔屓には書きたくとも今のところ宛先がないのですけれど!(><))郵便には引き続きお世話になりますが、年賀状は廃れていくものなのかなと思うしそこに荷担するようで申し訳ない気もしますがしかし、すみませんです…

 みなさま、良いお年をお迎えくださいませ!



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ロシア国立サンクトペテルブルグ・アカデミー・バレエ『白鳥の湖』

2019年12月29日 | 観劇記/タイトルは行
 オーチャードホール、2019年12月28日14時。

 オデット、オディール/アッラ・ボチャロワ、ジークフリート王子/アンドレイ・ソロキン、ロットバルト/イーゴリ・ヤチメニョフ、道化師/セルゲイ・クリロフ。指揮/アレクセイ・ニアガ、演奏/東京ニューシティ管弦楽団。全三幕。

 お友達にご招待券を譲っていただいて、久々のバレエ観劇に出かけてきました。これが今年の観劇納めでした。
 学生公演と侮るなかれ、お衣装もセットも豪華でみんなスタイル良くてスキルはバッチリ、ヒロインはけっこう筋肉質でしたがちゃんと楚々とした乙女を演じてみせていました。
 ラストはどのパターンかなと思っていたのですが、王子がロットバルトの片羽毟って、ロットバルトがかなり苦しみながら息絶えるので、「王子が間違えるからいけなかったのでは…ロットバルト、まあまあ白鳥たちに優しそうだったよ…?」とか思ってしまいました。でもオデットと王子が身投げするパターンより好きなので、ハッピーエンドでよかったです。
 さすがロシア人、大きい白鳥が本当に大きかったのも印象的でした。


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宝塚歌劇月組『I AM FROM AUSTRIA』

2019年12月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2019年10月4日15時(初日)、5日11時、22日13時、18時(新公)。
 東京宝塚劇場、12月19日18時半、26日18時半。

 ここはホテル・エードラー、ウィーンにある老舗四つ星ホテル。跡取りのジョージ・エードラー(珠城りょう)は伝統と格式を重んじる両親に対して、今の時代に合わせた改革を進めていくべきだと考え、積極的に経営に参加している。この日ホテルでは悲願の五つ星達成をかけた大物ゲストを迎える準備が進められていた。ハリウッドで成功を収め、今や世界的な有名人となったオーストリア出身の女優エマ・カーター(美園さくら)がお忍びで滞在することになったのだ。しかしこのトップシークレットをフロント係のフェリックス(風間柚乃)がSNSに投稿してしまい、ホテルは大混乱に。ジョージは投稿したのは自分だとフェリックスをかばいその場を取り繕うが、エマと彼のマネージャー・リチャード(月城かなと)の怒りは収まらない。ジョージはエマに謝ろうと、名物のエードラー・トルテを手にスイートルームを訪れるが…
 作詞・作曲/ラインハルト・フェンドリッヒ、脚本/ティトゥス・ホフマン、クリスティアン・シュトゥルペック、潤色・演出/齋藤吉正、編曲/手島恭子。『エリザベート』『モーツァルト!』などの数々の大ヒットを生み出したウィーン劇場協会が2017年9月にオーストリアそのものを題材として作成したミュージカルを、日本とオーストリアの国交樹立150周年を記念して日本初上演。全2幕。

 初日の感想はこちら。回数を観ていないのでわかりませんが、東京公演でも大きな変更はなかったようなので(パブロ(暁千星)がフェリックスを見初めた(笑)ときに照明がピンクになる、ズバリ改悪くらいでししたかね…)、おおむねこちらで語り尽くしているな、という感じです。とにかく組子ががんばっていて優秀などけに、訳詞と台詞の日本語にもっとデリカシーと深みが欲しかった。それに尽きます。仕事してヨシマサ!
 もちろんいろいろ改変は大変だったんだろうし先方との交渉も折衝も大変だったことでしょう。現地版未見で語っているので申し訳ありませんが、それでも演出的なことはおそらくとてもよく改変できていると思うんですよね。なのに脚本が、日本語がザルい。宝塚歌劇は伝統的に脚本・演出は同一人物が手がけているんですけれど、もしあまりに大変だったのなら、あるいは一方が激しく苦手なら、別の人間がやりゃいいじゃんとは言いたくなります。フレキシビリティが大事だってジョージもヴォルフガング(鳳月杏)も言ってたよ劇団…
 今回の作品が大きく宝塚歌劇化されている点として、現地版はエマが主人公なのにジヨージ主人公としたこと(『エリザベート』と同じパターンですね)、パプロの相手をフェリックスにしたこと、台詞での言及しかなかったエマの母親ヘルタ(夏月都)を実際に登場させたこと、があるかと思います。いずれも成功しているし、望ましい改変だったと思います。でもこういう改変や翻案が許諾されていたのなら、なおさら訳詞や台詞なんて、ぶっちゃけ先方には日本語の細かいニュアンスなんかわからないんだから黙テンでもいいからもっと手を入れちゃえばよかったのに、と思ってしまうんですよ。もともとがいわゆるカタログ・ミュージカル(ジュークボックス・ミュージカル、とも言われますよね)で既成の歌を並べただけのものにストーリーを後付けした作品なので、歌詞が実は話にそぐわなかったり微妙だったりするのは当然だと思うのですが、まんまドイツ語でやるわけじゃないんだからもっとストーリーに寄せて思い切って訳してしまえばよかったじゃん、と思うんですよ。
 日本人の民族性として、というと話が大きくなりすぎますから私個人の話にするとたとえば私はショーの見方が下手な自覚があって、たとえばバレエなんかもコンテンポラリー・ダンスやガラ・コンサートよりも古典の全幕ものの方が好みで、それは要するに「物語」を愛しているからなんですね。漫画でも小説でも映画でも演劇でも、それこそ歌やダンスでも、その背景に物語を見たい派なんです。歌やダンスをただ純粋に楽しむスキルがない、と白状してもいい。もちろん上手い!とかすごい!とかで感心はするけど、技術的なものすごさの裏にさらに、それがなんらかのストーリー展開やキャラクターの感情を歌ったり踊ったりしているものでドラマが見えれば、より楽しめるということです。もちろんショーはストーリー仕立ての場面ばかりが好きということはなくて、ただ歌ってるだけ踊ってるだけでも十分楽しめることもありますし、宝塚歌劇の場合はその場面や歌やダンスをそのスターがやる、ということにすでにドラマを見ることができることがあったりするものなので私は大丈夫なのです。でもコンテとかはホント困惑しちゃうんですよね私はね…まあそれはいい、なのでとにかくもっとストーリーと役の感情を掘り下げ深く表現する方向に訳詞と台詞を持っていってほしかったのです。
 たとえば主人公のジョージが最初に歌う大ナンバー「NIX IS FIX」が、そもそも訳すらされていなくて意味不明、ということがまずもって許しがたいです。現地では、外来語としての英語を取り入れていてオシャレでかつ十分通じる言葉なのかもしれません。NIXってNOTHINGの意味なんだそうですね。でもそれがわかる日本人なんていなくないですか? また主語を広げすぎですか私? 私が知らなかっただけ? でも私、友達に何人も「なんて意味?」って聞かれましたよ?
 なのでこれは「決まったことなど何もない、可能性は無限だ」みたいな意味だそうなんですが(プログラムに一応(「全てが可能」)って足されてましたけどね…姑息すぎる)、ならサビの、許可が出なかったのなら全部じゃなくて何箇所かだけでもたとえば「♪できるはず」とか「♪やってやる」とかに言い換えさせちゃダメだったの?と私は初日感想でつぶやきましたが、どうですか? ル・サンクにも実況CDにも歌詞が掲載されない(ちなみに脚本も非掲載)ので確認できませんが、前振りの台詞が良くないのもあってなんの場面、なんのナンバーなのか意味がよくわからず、ただ楽しいだけでは裏打ちだろうとなんだろうと手拍子しづらいしたくない、だって場面の意味がわからなくてキャラクターの心理に同調できないんだもん!…と考えるのが私なのでした。細かいことを考えずにノれよ! 楽しんだ者勝ちだよ、という意見ももちろんわかりますが、無理矢理ノるんじゃなくて、どうせなら、これは頭の固い両親に対していろいろチャレンジしたがっているジョージがノリノリで夢や未来や可能性を披露する明るく楽しい歌だって観客がちゃんとわかって、歌とダンスと歌詞からもあんなこともできるこんな未来もあるきっと楽しいはずってちゃんと思えて、ジョージに共感し応援したくなってついつい手拍子しちゃう…って流れに自然に誘導できた方がいいと思いませんか? それが脚本・演出の仕事でしょう?
 エマが最初に歌う「私の居場所」ももっと彼女の今の悩みや立場のジレンマに寄せた具体的な歌詞にしちゃえれば観客はもっと物語に引き込まれるし、ジョージとエマが初めて一緒に歌う「キス!キス!」も…以下同文。
 そして最大の難問、主題歌の訳詞については、逆にこれ以上は無理なんじゃないの?と私は考えているのですが、それとはまた別の問題も感じています。
 主題歌は現地では第二の国歌とも言われているそうで、国と地域の歴史的な成り立ちなんかも踏まえて現在に至るまでの、現地人のとても複雑で繊細な想いを込めた歌詞になっているそうですが、それはさすがに全部は訳せないし、訳せたとしても極東の島国に暮らす我々日本人なんかには同じように感じられるわけないじゃないですか。また主語を大きくしてすみません。でもヨーロッパの地続きの、言語も文化も近い、国籍や人種が入り乱れてでも確かに国境はあって、似ているような違うような同じような…なところで暮らすことの感覚は少なくとも私には想像しかできないし、それもかなり怪しいと考えています。「わかる」なんて口が裂けても言えません。
 だからまんまは無理。まんまを望むならそれは現地で現地人が現地語で上演するしかないし現地の観客が観ればいい、ということになってしまうでしょう。
 でもまんまは無理でも、せめて意図を、そしてそのエッセンスを組まなければいけないと思うのです。主題歌はともかく、作品タイトルは「I AM FROM AUSTRIA」ですよ、「I’m Austrian」でも「Ich bin osterreicher(「o」はウムラウトつき)」でもない。ウィーン・ミュージカルで、英語で、大文字。そのニュアンスを尊重すべきだと思うのです。
 だから安易に珠城ジョージに「僕たちはオーストリア人なんだ!」とか言わせないでほしい。全然わかってない、この件に関して考える気ゼロなんだなってモロバレです。鈍感すぎます、恥ずかしい。こんな感覚で世界に打って出るとかマジで無理だから。
 だって「オーストリア人」って何? 人種? 国籍? ジョージたちが炊き出ししているホームレスたちって多くが実は移民や難民だったりしませんか? さらに言えば国どころか家がない人に向けて、人種がどうとか言う意味あります? オーストリア人じゃなかったら助けないの? 日本でも先日の台風でそういう対応したどこかの役所がありましたけど、それの何がどう問題とされているのか、考えたことがないの? 現代劇を上演するのにそんな鈍感さでいいの? 
 人種も国籍も違っても、今、彼らはオーストリアにいる。だからオーストリアの仲間だ、我々は家族だ、この先どこかに移ったときには「オーストリアから来ました」「オーストリア出身です」と言うだろう…ってことなんじゃないの? 正直、自分でもこの解釈でいいのか自信ありませんが、少なくとも人種や国籍の話をしているのではない、ということがわかる訳、会話の流れであるべきなのでは? 
 あとホームレスだっつってんのに「ここがホームなんだ」とか支離滅裂すぎる。ちなみにくらげロミー(海乃美月)に「私たちはファミリー」って言わせるのもやめてほしい。イタリア・マフィアか? 普通の日本人はこういうときに家族のことをファミリーってわざわざ英語で言わないでしょ? 日本人が日本語で上演する作品に翻案しているんだから、脚本家には外来語も含めた日本語にもっともっと繊細でいてほしいです。
 人種とか国籍とか血縁とかではなく、今同じ場所にいるから仲間であり家族だ…というゆるく広い連帯、みたいなものがこの作品のテーマなのではないか、だからこそそこにきちんと立脚しなければこの作品を外国人が外国語で外国で上演しても意味ないんじゃないか?というのが、私が今回不満に思う最大の点なのでした。
 だったらこの程度のストーリー、それこそユーミンでもジャニーズでもAKBでもいいから許可取って並べてオリジナルのジュークボックス・ミュージカルを作ればいいじゃん。上っ面撫でただけの輸入とか、手抜き以外の何ものでもないですよ。
 理解とリスペクトが足りない仕事はやめていただきたい。日本語の細かいニュアンスが理解されていないだろうから今のところセーフなんだろうけれど、せめて先方には未だにバレていないことを切に願います。途中でバレてたら引き上げられるか、二度と仕事させてくれないかのレベルの問題だと私は思います。
 ホント毎度口うるさくてすみません。でも高みを目指すのは無駄ではないと私は思っているのです。まあライトに1、2回観るくらいなら楽しくてよかった、という方も多かったろうけれど、でも「よくわからない作品だった」「自分は好きじゃない」というお友達も私の周りには多かったので、やはりなあ、と思いました。贔屓がいるからリピートするけど毎回引っかかってつらかった、というお友達たちもね。
 海外ミュージカルあるあるで役は少ないんだけれど組子は本当にみんながんばっていて、アンサンブルなんかも現地版より人数の多さで圧倒し華やかさも賑やかさも増し増しで良かったんだろうなとも思いますし、現地スタッフや取材陣がフィナーレに大興奮したそうですけれどそれはさもありなんだし我々ファンとしても鼻が高いです。宝塚歌劇化で良くなった部分もたくさんある。だからこそ根本が甘いのが私は悔しかったのでした。

 以下、気分を切り替えて組子語り。
 ジョージ珠城さんは本当に素敵でした。本人はもうちょっと庶民派で無骨かつややギャル(笑)かなと思うだけに、いい感じにボンボンで軽口を父親から受け継いでいてもちろん真面目にいろいろ考えてもいるんだけれどライトな今どきの若者で…というキャラクターを、実に上手く的確に演じていると思いました。あたりまえだけどただの素ではないですよね。
 なんの変哲もないセーター姿が様になるのもすごいしシャツイチの破壊力もすごい。宝塚歌劇的な男役のカッコ良さが出過ぎちゃうと駄目な役だし、かといって普通にやると地味になりかねないしお話の主人公にもならないところを、絶妙なバランスで成立させていたのがさすがすぎました。
 原作準拠なだけかもしれないけれど、山小屋の一夜が情熱のあまりほぼ無理矢理…とかでなかったのも、現代のコードとしていい。エマがためらったらちゃんと一度離れますからね、大事なことです。今話題の性的同意って、「やりますか?」「やりましょう」ハンコ、みたいなことじゃないんですあたりまえですが。何故わからない振りをして騒ぎ立てるんだ世の男ども、そんなに自信がないのか恥ずかしくないのか? …脱線しましたが、そのあとのエマの反応はちゃんと違っていて、だから言葉はなくてもふたりが同じ気持ちでいることがお互いちゃんとわかって、だからなだれこむ(笑)わけでさ。お互いの愛情の確認と、望むならその先、身体も…ってだけのことなんです。シンプルで、強く、美しい。翌朝の「後悔してない?」が今さら感や言い訳感ゼロで成立するのも素晴らしい。人徳ですね、そりゃみんな結婚したいよね珠城さんと!!!
 エマさくさくは、私はさくさくファンなだけに、やややり過ぎに感じなくもなくもない…でしたが、これまたこういうベタな「ハリウッド女優」をヒロインとして演じるのって意外と難しいことだと思うので、さくさくの技量に惚れ直しもしました。
 製菓部の制服で銀橋でお芝居するところ、いつもボロ泣きの大熱演で、だからこそ余計にもっといい台詞で演技させてあげたかったと思ったものでした。派手なジャージの素晴らしい着こなしといい、現代的な役が似合うタイプのトップ娘役さんなのかもしれませんが、古典的なメロドラマもちゃんと似合うと思うので、次のレナール夫人もめちゃくちゃ楽しみにしています!
 そしてリチャードれいこ、ホント顔がいい…!
 この人ももちろんカレーニンとか大好きだったし古典的な芝居にもハマるんだけど、これだけ顔がいい人が全力で小悪党ってところが本当にいいツボなので、今回の作品にはハマりましたよねー。復帰おめでとう!
 マネージャーとしてはおそらくとても有能なんでしょうね、間違いなく彼の手腕でエマはビッグになれたんでしょう。エマに惚れたり手を出したりしていないところも素晴らしい、でも単にそれ以上にお金が好きなだけなのかもしれない(笑)。というか自分が好きなのかな、支配欲の強いナルシストで、そういう意味では古い男性像でもありますよね。エマが嫌がっているのをわかってて、言うこと無理矢理きかせる自分に酔ってますもん。だから今嫌われがちなキャラクター・ナンバーワンだと思います。それを顔のいい、えくぼがキュートなれいこがノリノリでやっているから楽しめるわけで、宝塚歌劇ってホントすごいなと感動するのでした。
 パブロありちゃんも大ヒットでした。あたりまえですがムキムキのボディビルダーみたいなマッチョではなかったけれど、筋肉質の世界的ファンタジスタ、ワイルドでモテモテのスターアスリートにちゃんとなりきってくれました。ものすごく研究したんだろうし、いい弾みになったと思います。可愛く見られがちだけどそれだけではない、というのは今までももう十分伝わっていたスターさんだと思うのですが、今すぐ古風で古典的な渋い大人の男がハマるかと言えば微妙にも思えるだけに、新たな魅力の発揮の仕方ができて、財産になったと思うんですよね。
 現地版ではフェリックスがこてこてのウィーン弁で笑いを取るそうですが、その代わりなのか日本版ではパブロが片言しゃべりの外国人をやらされていて、まあこれも表現として古いしなんなら差別的だと糾弾されてもおかしくないところをありちゃんのチャーミングさで救ってもらっているんだから劇団は感謝し反省してください。
 また、初日に私が危惧した、パブロに迫られて嫌がるフェリックスを嗤う構造にしてほしくない、それはいじめであり差別である、という点は、現地スタッフからも指摘が入ったそうで、ありちゃんもお茶会なんかで語っていましたがグイグイ迫っても最後の最後は待つ、相手の意思を尊重し、相手を無視して無理矢理押し切ったりはしない、という役作りをちゃんとしていて、安心しましたし微笑ましく見守れました。
 フェリックスおだちんも、前作は理事を向こうに回して研30の大奮闘だったわけですが(笑)、こういう等身大のライトな若者役がやっと回ってきて肩の力を抜いて演じられそうで、よかったね、という感じです。もちろん当人はもっとしっかりしているタイプでしょうが、だからこそ「駄目ダメな若者」をきっちりかつキュートに演じていて素晴らしかったです。
 フェリックスはどこにでもいる普通の、やや駄目なだけの男子なので、サッカーもF1もそりゃ大好きなわけです。だからパブロのことも普通にファンだったのでしょう。それがリアルで知り合える、というのを飛び越して口説かれたらそりゃ当惑しますよね。いくら同性愛がもっと一般的で差別がないとされている現代ウィーン社会であろうと、思ってもいなかった人から告白されたらまずとまどうのは当然です。私たちだって、大ファンでもたとえばユリちゃんとかから告白されたらまずとまどうでしょう(笑)。その案配の表現がおだちんは絶妙だったと思います。もちろん素でありおだが仲良しらしいという情報がファンにはある、というのも大きいわけですが。
 だからこそ、時ちゃんアンナ(叶羽時)の扱いが微妙で、脚本家にまた腹が立ちましたよね…フェリックスは本当にアンナが好きだったの? アンナはどう思ってたの? いい車に乗ってない男なんか男じゃない、って本当に思っているような女だったの? マーチン(春海ゆう)と舞踏会に行くのは本当に彼のダンスが上手かったから、だけ? 上手いダンスを踊れない男なんか男じゃない、ってこと? 自分に気がある男ふたりを両天秤にかけるような女なの?
 彼女をそういう女性に描くと、そんな彼女に惚れているフェリックスのことも下げることになるんですけど、ヨシマサそれわかってる? 舞踏会でフェリックスがパブロに告白されたときのアンナのあの台詞、要る? 餞別にしてももっといい出番の作り方があったと思いませんか? 残念すぎました…
 おかえりなさい!なヴォルフガングちなつもさすがの至芸でした。この軽みは簡単には出せません。脚が長くて大空さんのスーツの似合うこと!
 ちなつだったからこそのこのキャラの方向性だったのかなあ、もっと単なる「おじさん」「お父さん」だったりもありえたキャラクターだと思うのですが、くらげロミーともども理想のカップルの在り方になっていたのが新しく、素晴らしかったです。
 そのくらげちゃんも復帰おめでとう! パレードのひとり降りも快挙でしたが、そもそもこれくらいの実力者には当然これくらい遇すべきです。
 ちゃんとジョージの母親に見えたしちょっとキリキリ働きすぎてる職業婦人に見えました。若い頃のヤンチャ(笑)もよかった、素晴らしいダルマでした。これで卒業、とかでないのも本当によかった…役柄は選ぶかもしれませんがまだまだ活躍してほしい娘役さんですし、こういうところにきちんと役を書く劇団であってほしいです。
 さすがすぎるるうちゃんも素晴らしかったですね。エルフィー(光月るう)という名前は妖精のエルフから来ているのかもしれません。ホテル・エードラーの良き魔女、白き魔女ですね。ただ必要以上にババア呼ばわりされるいわれはないのでよく考えてください劇団よ。
 ヘルタのなっちゃんがまたいい感じで素晴らしく、ミス・ツヴィックルのさちかもありがちな役作りなんだけれど手堅い。てか本当にスタイルがいい。
 れんこん、るねっこ、ゆいちゃんじゅりちゃんがひと絡げなのは役がないせいで残念。ゆりちゃんはーちゃんやからんちゃんはさすが手堅い。まゆぽんも役不足ギリギリなんだけれどさすがの存在感でしたね。そうそう、ギリギリやヤス、ぱるに彩音くんとかがやはりちょいちょい目立ちました。

 大劇場新公も観られたので簡単にその感想も。
 うーちゃんは手堅かったけど地味だったかなー…でも主演ができたことはとてもよかったと思いますし、これから弾けていってほしいなと思っています。
 りりちゃんはとてもよかった! 初ヒロインでこういうお役は難しいと思うのだけれど、舞台度胸があるのかばーんとやれていて見ていて胸がすきました。あと声がとにかくいい!
 ぱるも、私はずっと気になっていたんですけどいつまでももさーっとしてるしなかなかバーンと出てこないなあと案じていましたが、がんばっていました輝いていました! さらに弾けてほしいです。
 蘭くんも小柄でニンでないのに奮闘していて好感。彩音くんは成績が悪いの? もっと役付き良くてもいい気がするのですが…
 大楠くんが達者で仰天したのと、転向したばかりでまだ濃い蘭世ロミーが濃さが効いていたのも印象的でした。あとゆいちゃんのミス・ツヴィックルが、そもそも色っぽいんだけれどちゃんとクレバーな方の役作りでむちゃくちゃよかったです。じゅりちゃんのヘルタも情感があってよかったなあ。
 そうそう、おだちんがさすが新公レベルではない上手さで光っていましたね。
 大きく代替わりしていた印象で、でもみんな奮闘していてキラキラ光っていて、楽しい新公でした。

 クリスマスに開催された「第12回演劇フォーラム 宝塚歌劇とウィーンミュージカル」にも参加してきました。
 ウィーンミュージカルの成り立ちや、主に『エリザベート』の宝塚版、東宝版との相違についてなどを語ってくださった渡辺芳敬先生の講演はとても明晰でおもしろかったのですが、オーストリアを舞台にした宝塚歌劇作品について語った石井啓夫先生の講演は配付資料をなぞっただけで、残念でした。そもそも冒頭の植田紳爾先生の開催挨拶が長かったのかもしれませんが、石井さんもお題に関して造詣が深いわけでもない単なるファントークに終始し、尺が押したせいでその後の齋藤吉正先生とのトークもまったく深い話にならず、まったくもってもったいなかったです。ヨシマサが農大出身だとかファンはみんな知ってるから! そこじゃなく、今回の作品に関しどこをどう何故改変したのかを語らせようよ! なのにそもそも現地版を観ていないような口ぶりでしたし、はっきり言って人選ミスですよね。竹下さんや中井さんならもっと勉強してきたと思うよ…?
 休憩も二部冒頭の映像も時間を短くしたりやめたりできただろうにしなかったので、たまさくれいこトークが予定よりだいぶ短かったのも残念でした。ただ、石井氏が司会をほぼ放棄したので、珠城さんの素晴らしいトーク力やれいことの楽しい絡みが見られたのは収穫でしたね。さくさくは緊張していて、それでも話を振られて現地版エマ女優のテクスチャーを大事にして演じている、と発言したのがさすがでした。テクスチャー! それで言えばウィーンときてクリムトの話を出すれいこもいかにもかつ興味深かったのに、何ソレ美味しいの?みたいな顔した石井氏ホントどうなの…
 まあまあな金額を取っているんだし、イベントとしてもうちょっと濃いものにしていただきたかったなというのが正直な感想です。


 今年はこれで宝塚観劇納めでした。来年は花組国際フォーラム公演からかな、ドラマシティ&雪組大劇場が遠征始めになりそうです。
 来年も良き演目良きスターとの出会いがありますように…!



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新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』

2019年12月21日 | 観劇記/タイトルか行
 新橋演舞場、2019年12月20日11時(昼の部)、16時半(夜の部)。

 定式幕の前に口上(尾上右近)が登場して物語の世界を紐解く。幕が開くとそこは腐海。蟲の王である王蟲の抜け殻が見える。そこへ腐海の近くにある小さな国、風の谷の姫ナウシカ(尾上菊之助)が現れる。彼女は人々が恐れて近寄ることのない腐海を遊び場とし、蟲愛づる姫と呼ばれていた。腐海に空からペジテ市の船が落ち、ナウシカは今際の際の王女ラステル(中村鶴松)から、ペジテが大国トルメキアに焼き尽くされたことを聞かされ、兄のアスベル(尾上右近)に渡してほしいと秘石を託される…
 原作/宮崎駿、脚本/丹羽圭子、戸部和久、演出/G2。1982年に連載が開始され、84年には長編アニメーション映画にもなった人気漫画を昼夜通しで歌舞伎舞台化。

 原作漫画に関する記事はこちら。アニメ映画も大好きで、私は歌舞伎にはまったくくわしくなく二、三度しか観たことがありませんでしたが、松竹の会員である知人を頼ってチケット先行販売で一等席を取っていただき、漫画については私が解説して歌舞伎については彼女に解説していただきながら観劇する、楽しい一日となりました。昼の部は3幕3時間40分ほど、夜の部は4幕4時間10分ほどの長丁場でしたが、まったく退屈することはなく、席も観やすく椅子も良く、身体が痛むこともなく楽しめました。昼の部の最初の幕間に持参したお弁当をいただき、大休憩は劇場近くのカフェでお茶して、夜の部の大詰前に人形焼きをちょっとつまんだくらいで、帰宅は21時半ごろでしたが特に空腹を覚えませんでした。興奮していたからかしらん。トイレもまあまあ数があり回転も十分で、快適でした。さすが最近の不備な施設とはワケが違います。アニメも早35年も前の作品であり、さすがにそうそう若い観客はいませんでしたが、老若男女が集ういい客席だったかと思います。タペストリー柄の特注らしき帯を締めた青い着物のご婦人が写真を撮られたりしていました、素敵ですね。
 
 私は素人なので、客席に入ると舞台にかかった黒と橙と深緑の幕にもう「わあ、歌舞伎って感じ!」とテンションが上がったのでした。緞帳じゃなくて幕なんですよね。そして開演を知らせる拍子木の「チョン!」にも感動し、花道のとっつきのセリからいつの間にか口上が現れているのにも感動しました。そして作中のタペストリーふうの引幕が引かれ、文明世界の発展と「火の七日間」、黄昏に生きる人々の間にある青き衣の白き翼の鳥の人の言い伝えが語られますが、そのあたりは原作ファンの私にはむしろ自明なので、逆に歌舞伎ファンに対して親切で上手いなと感心しました。
 そして幕が引かれると、そこはもう腐海なのでした。背景もセットも装置も素晴らしい。黒子が操る蟲たちが舞台を行き来し、胞子が撒かれるのが映像で表現され、和楽器であのメロディが演奏され、そしてあのタイトルロゴが大写しになる…思わず拍手しちゃいましたし、客席からも自然に拍手が湧いていました。まだ役者は誰も登場しておらず、物語は始まってもいないのに…歌舞伎の拍手のお作法がまったくわからないのですが、客席がすでに一体になった感覚に私はものすごく感動しました。
 以後、映画版にあたる原作漫画の部分は序幕でほぼやってしまうスピーディーな展開と、エピソードの上手い取捨選択がありつつも、とにかくめっちゃナウシカでかつめっちゃ歌舞伎で、めちゃくちゃおもしろかったです。コスプレ具合と、めっちゃ日本物めっちゃ江戸、みたいなブレンドも絶妙でした。2.5次元ミュージカルならぬ、2.5次元歌舞伎でした。原作漫画を読んでいないので『NARUTO』や『ワンピース』などのスーパー歌舞伎には食指が動かなかった私ですが、それもこんなおもしろさだったのでしょうか。すごいなあ歌舞伎!
 確かにいくら今に伝わる古典歌舞伎と言えど作られた頃には新作だったに決まっているので、新たな古典となる新作を常に作っていきたい、という菊之助のその意気やよし。今や歌舞伎専門の戯作者なるものはいないのかもしれませんが、今回もジブリ作家の脚本に歌舞伎役者たちがどんどんアイデアを投入して練り上げて、より「歌舞伎」にしていったようで、そのバランスもとても良かったと思います。
 ユパさま(尾上松也)は確かに若かったけれど声がいいのがいいし、なんせミト爺(市村橘太郎)がアニメまんまなのがとてつもなくよかったし、ナウシカの母親(中村芝のぶ)が十二単で出てきちゃうのが良かったし、これがのちに庭の主との二役につながるところがまた素晴らしすぎました。そしてケチャ(中村米吉)がホント女子っぽかったんですけどどーいうこととなの女形ってすごいな!? あれはゆりかちゃんとか珠城さんとかが「男だよね?」って言われるのと同じことですよね!?!? 大コーフンしました。そしてケチャについては改めて考えさせられたことがあったのでまた後述。
 歌舞伎でよくあるという遠見が取り入れられていたのもおもしろかったです。そして私は「幼いオームの精」にはちょっととまどったのですが、これも歌舞伎によくある手法なんだそうですね。連獅子とかのああいう毛髪キャラ(?)が植物などの「精」を表す、という約束事みたいなものがあるんだとか。そしてこれがのちの大詰の墓の主の精(中村歌昇)とオーマの精(尾上右近)との毛振り対決(違)につながるわけですよ、すごいな歌舞伎!?
 こういう歌舞伎ならではの約束事みたいなものは直観的にとてもわかりやすく、すぐなじめました。見得はピンスポか漫画の集中線代わり、とかね。宝塚歌劇で言えば背負い羽がオーラを表しているとか、そんなようなことかと思います。ガンシップとかメーヴェはホントは半笑いなんだけれどやりたいことはわかるし、かつては大ウケだったんだろうとも思います。さらに技術が進んでちゃんと宙乗りになるんだからたいしたものですよね。メーヴェの宙乗りは昼の部ラストのまさしく白眉でしたし、慈愛に満ちた微笑でメーヴェの機上から客席に手を振る菊之助はまさにナウシカでした。会場いっぱいに明かりがつくからワイヤーはもちろん3階席とか天井とかいろいろ丸見えなんだけれど、それでもそこに観客が見るのは土鬼の国の空なのです。すごい! 本舞台では見送るみんなの勢揃い、イケコの1幕ラストかと思いましたよイヤ順序が逆ですね。
 昼の部は本物の水を使った大立ち回りも圧巻で、ぶっちゃけ必要ないのに派手でおもろいからやる!というエンタメに徹する気概がものすごかったですね。撤収も鮮やかなのがまたすごい。
 一方でクシャナ様の大芝居も素晴らしいわけですよ! てか登場の仕方がもうたぎりましたよね、花道って素晴らしい…!! 義手設定はなくなっていて残念でしたが、刀の錆になりたい人生でした。
 夜の部プロローグの各キャラの名乗りのカッコいいこと! 夜の部の口上はヴ王の道化 (中村種之助)がやるという粋! 普通なら扇や花傘を手に踊るであろうところを、ガンシップのキャノピーに使う王蟲の目を持って踊るナウシカ菊之助の所作事の素敵さよ! 墓の主の精とオーマの精のバックダンサーズ(違)の効果も素晴らしく、最後にオーマを抱いて泣くナウシカ、暗転…も美しい。セリも盆も大活躍なのがいい。背景の変わり方もすごくいい。
 そしてラストが、原作漫画よりもかなり熱い仕上がりになっていたのがいかにも歌舞伎で、そしてまた今上演されるからこそのもののようで、ほんの少しの違和感を薙ぎ倒す感動がありました。焼けた野原は金色で、そこに立つみんなはナウシカだけでなくみんなが青い衣を着ているようにも見えて、ひとりひとりがこの星とともに精一杯生きていかなければならないのだ、という「生きねば。」。そして幕。かーっこいーい! 宝塚歌劇と同じく、長々繰り返されるカーテンコールがないのがまたよかったです。後半に出番のない人がもういないのが残念でしたけれどね。アスベルとケチャにはいてほしかった…でもこれも歌舞伎あるあるですよね。なんせ上演時間が長いから、出番が終わった人から帰るという…でも、いいゴールでした。大満足でした。

 さて、今回のポスターでもそうでしたし、タイトルロールのナウシカだけでなくクシャナの存在が大きい物語ではあります。でもクシャナって主人公のタイプとしてはやや古い。父や兄と確執がある弟王子の権力闘争の物語は、世に実にたくさんありますからね。たいていは劣り腹(おわかりいただけると信じていますがあえてこう書いています)設定だったりしますが。クシャナの母も三皇子の母とは違いますが、身分その他については特に触れられていなかったのではなかったかなあ。血筋正しき第四皇女、みたいな言われ方もしていますもんね。ただ、年少なのはもちろん、女だということでいらぬ蔑みを受けています。父王も三皇子も「おまえのような頭のいい、生意気な女は嫌いだよ」みたいなことをことあるごとに言います。
 今回おもしろく感じたのは、このとき客席にさざ波のような笑い声が起きたのですが、その質です。今までならそれは、観客の隠したい本音をズバリ言っちゃうキャラクターへの同意とか共感の忍び笑いだったと思うのです。でも今回は明らかに違いました。「あーあ、そんなこと言っちゃうなんておバカなキャラだね」という笑いだったのです。それも、本当のことだけれど隠しておけばいいのに、という失笑や照れ笑いの意味ではなく、そんな馬鹿なことを考えているんだからホント馬鹿なキャラだよ、という嘲笑に近かった。女は一律に馬鹿だと考える方が馬鹿だ、愚劣で愚鈍なことだ、ということが共有されている空気を確かに感じました。私の願望や気のせいではないと思います。
 男だろうと女だろうと馬鹿なものは馬鹿なだけで、女だからというだけで必然的に馬鹿であるはずはない。馬鹿な男も馬鹿な女もいる、男だから馬鹿だとか女だから馬鹿だとかいうことはありえない。なのに女は馬鹿だなどと言う者は明らかにその者こそが馬鹿なのだ。馬鹿な女を含め馬鹿を下げて罵るのは下品かもしれないが許容はできる、だが相手が女だというだけで馬鹿だと下げるのはそれこそ馬鹿のすることで、ましてクシャナはこの言い方もアレだがしかしあえて言うが男顔負けの賢い人間なのである。男だ女だ言う前にそれを理解できていないこの王や皇子たちこそ馬鹿なのであり、こんな彼らに未来などない。馬鹿は下げる、だから嗤う…
 時代はちゃんと変わっているのだなあ、と胸が熱くなりました。みんなクシャナが好きだから、というだけではないと思いました。王様は裸だ、と真実を言えることは生意気とは違います。そういうことも全部わかっているからこそ、観客はこんなことを言うこの愚かな男キャラを嗤えるのです。こういう馬鹿はこういうときには下げて嗤ってもいいと私は思います。私たちはそれこそナウシカのような聖人君子には、なかなかなれないものなのです。
 私は宮崎駿は一般的な、旧弊でマッチョな男性とはやや違うタイプの人間だとは思っていますが、かといってものすごくフェミニストであるとか女性の人権に理解がある人だとまでは思っていません。世代的なものもありますし、なんせ「少女と武器が大好き」というザッツ・男子なところがこの人の本質なのではないかとも考えているからです。でも、それとは別に、こういう主人公像として実はよくあるキャラクターを女性にして、かつタイトルロールとは別に置いたところにこの作品の特異性のひとつがあると思っています。クシャナは、いい。
 そしてナウシカもまた、単体でなら、また男性キャラクターとしてなら、物語の主人公像としてそんなに目新しいものではないと思うのです。世界を救うために世界の謎に挑み、神とも見まごう者と戦う英雄…それを女性にし、かつクシャナも置いた、そこがこの物語のすごさだと思うのです。神(それは旧時代の人間の技、にすぎなかったのだけれど)に勝利したのちにナウシカは風の谷に戻り、小国の姫ないし王として生きるでしょうがそれは所詮市井の人の生き方と言ってよく、世界を大きく統べ導く王道を拓く役目を負うのはクシャナです。だから彼女は生き残された。ナウシカだけ生還できればいいとはされなかった。これはそういう物語です。
 そして今回の舞台で、ケチャの存在感に胸打たれた私は、彼女も第三のヒロインないし主人公として配されていたのであり、そのわりにこれまであまりスポットが当たってこなかったキャラクターなのではなかろうか、とハッとさせられたのでした。
 たとえばアスベルなんて、普通ならナウシカとくっつきそうなもんじゃないですか。ヒロインと相手役ってそういうものでしょう? でもそうはならない。アスベルと恋仲になるのはケチャですよね。そしてナウシカとクシャナは清濁併せ呑んで共闘するけれど、ケチャはナウシカに対してもけっこう頑なで懐疑的だったり、クシャナに対しては復讐の的としてずっと怨嗟を抱き続けたりします。つまりすごく普通の人間なのです。感情に振り回される、素直な、賢すぎない人間。ナウシカのように聖者ではなくクシャナのように王者でもない、普通の、民。
 でも英雄が世界を救い王が国を築いても、民がいなければ世界に意味はありません。ケチャはこの民、一般市民、要するに我々の象徴なのではないでしょうか。だからアスベルと結ばれる。ナウシカもクシャナも伴侶をこの先も持たなさそうだけれど、ケチャは違う。産んで増えて地に満ちそうです。そういうキャラクターなのではないかしらん。モブみたいな、なんならいじめっ子めいた作画の少女だったけれどそれにしては重みがある、とずっと思っていましたが、米吉の好演もあってまっすぐでひたむきで一途で一生懸命で強くしなやかでいじらしく、舞台に確かに花開いていたと思うのです。
 中の人も筋書で「この世界における平均点のようなお役」「今の世界にもあるこの世の不条理を代弁しているお役」と語っていますが、だからこその「生きねば。」であり、だからこそラストシーンにいてほしかった、なんならポスターにいてもよかった…と私は思ったのでした。

 ところで私は菊之助はトレビドラマなどに出ていればわかる、くらいの人間で、でも七之助が女形で涼しげな顔立ちの人なのは知っていたので、七之助がナウシカで菊之助がクシャナな方が合うんじゃないの?とか思っていたのですが(実際に観ても七之助の方が細身だったと思うし)、菊之助も女形は女形なんだそうですね。もっと押し出しのいい立ち役で売っている人なのかと思っていましたすみません…
 でも確かにリリカルな詩情漂うたたずまいが絶妙で、ナウシカって主人公としていろいろ微妙で規格外で実は演じにくいんじゃないかなと案じていたのですが、杞憂でよかったです。
 初日開いてすぐの負傷、夜の部の休演とすぐ演出変更での再開、には驚きましたが、今はメーヴェ宙乗りは復活していて、観られてよかったです。というか歌舞伎って宝塚歌劇以上に公演日程が過酷ですよね、休演日なしで毎日昼夜二回公演を一か月…! 千秋楽まで無事の上演をお祈りしています。
 ちょうど収録の日でしたが、ディレイビューイングも見られたら見たいなあ。とにかく本当におもしろく、刺激的でした。コミックスもDVDもこの知人に貸したままなので、帰ってきたらまた浸りたいと思います。

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ミュージカルグループMono-Musica『BLACK SANTA GIRL』

2019年12月15日 | 観劇記/タイトルは行
 池袋オペラハウス、2019年12月14日14時。

 ルドルフ=グッドマン(杏)は人生の終演をプロデュースすると謳う国内最大手の葬儀会社の腕利き営業マン。ある日ルドルフは、黒いドレスの少女・シュトゥルーデル(ひかり)と出会った。彼女は悪い子にプレゼントを届けるブラックサンタガールだった…キュートなブラックサンタガールズとサンタを愛する相棒のトナカイたちとの、クリスマス・ミュージカル。
 脚本・演出/ヤマケイ、音楽/小林成宇、振付統括/マナ。全一幕。

 チラシに惹かれてチケットを手配し、四年ぶりにモノムジカの舞台を観てきました。以前の観劇はこちらこちら。娘役さん(とは言わないのかな?)が出ている舞台を初めて観たんだなあ!
 2004年結成の女性キャストだけのミュージカル劇団で、行くたびにクオリティの高さに度肝を抜かれるのでした。今回も、オペラハウスという名のライブハウスでのライブみたいなミュージカルで、とても楽しかったです! とてもとても良くできていました。
 ブラックとホワイトとくれば昨今どうしても企業の在り方とか勤務形態云々とかになるわけで、そのあたりもくすぐられましたし、ゴスロリファッションのブラックサンタたちとイケメン揃いのトナカイたちがビジュアルはもちろんキャラ立ちも良くできていて、そして歌とダンスはもちろんちゃんと萌えとドラマがありました。ブラックサンタはポイントを集めるといつかホワイトサンタになれて、トナカイは人間に生まれ変わることができると言われているのです。長時間労働はつらい、ホワイトサンタになりたい、けれどそうなったらパートナーのトナカイと別れなくてはならない…エモい!
 3組のサンタとトナカイのカップルがまたいい感じなのです。ちょっと太めでパワフルでキュートなコットンキャンディ(ずぅ)にちょっとタニに似ているブリッツェン(みき)、いかにも意地悪お嬢様っぽいコケティッシュなレディ・トライフル(チャング)にちょっとミズに似ているヴィクセン(まなむ)、そして私のイチオシ、さみしげな美貌とカマトトっぽい感じがたまらなくラブリーなチェリーコーク(紗弓)とおバカっぽさがたまらないダッシャー(マナ)…!
 ファーストクレジットはルドルフだけれど、タイトルロールはシュトゥルーデルのことだし彼女はヒロインというより主人公、これは彼女の物語だよな、という感じなのもまたよかったです。かつて彼女は良い子ではなく、家庭に恵まれておらず、不幸せで、クリスマスに吊るす靴下すら持っていない貧しい女の子だったのです。だからブラックサンタがプレゼントをくれた。片方だけの靴下…ふたつなければ履けずに意味がないのが靴下です。だから困ったプレゼント、嫌がらせみたいなものなのです。でもそんな靴下は、クリスマスの飾りになら使えるのでした。次のクリスマスに、たとえその中にプレゼントが入れられることはなくても、この靴下を飾ってサンタを待てる、クリスマスを祝える…ブラックサンタが贈るプレゼントとは、そういうものだったのでした。
 ちょっと千風カレンちゃんに似ている(なんでもコレですみません)ホワイトカラーサンタのジンジャーブレッド(ヤヤ)がまたいい味を出していて、良き魔女みたいなんですよね。赤いサンタ服ではなく軍服みたいなモスグリーンのコートドレスみたいなお衣装なのもおもしろかったです。救世軍かな(笑)。トナカイたちは黒の変わり燕尾みたいなお衣装で、これまた素敵なの! 新入りトナカイのルドルフだけが赤の燕尾を着せられて、謎にサンタチックだったのもまた良き、でした(笑)。
「トナカイレース」とかホント無意味なんだけど(笑)、ミュージカルの場面ってこういうものだし、ホントよかったです。単調にならない構成もよくできていました。バウホールでできるよ見習ってよ歌劇団の若手作家…(ToT)
 キャストがまたみんな美しいのはもちろん歌えて踊れて芝居ができる! 娘役さんたちの髪型やアクセサリーの素敵なことよ! 男役さんたちの水も滴る美形っぷりよ!! 至近距離で見惚れました。ひかりさん、すらりと背が高くてあかり姐さんを思わせました。

 私の子供の頃のクリスマスの思い出と言えば、何故サンタからのプレゼントがいつも近所のおもちゃ屋さん(「グリム」という店名でした。ベタ(笑))の包装紙なのか、何故両親はいつも私がサンタにどんな手紙を書いたか知りたがるのか、の真相がわかったときの「ウォーターーーー!!!」感が忘れられません。まさに雷に打たれたように、すべての符合に気づき真実を悟ったのです。そしてちゃんと弟には黙っていた…偉いぞ自分。
 ちょっとむずがゆい大人のお伽話だけれど、クリスマス・シーズンくらいそんなものを楽しめる心の余裕があってもいい…と幸せで温かな気持ちになれた終演後でした。






コメント (2)
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