駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

Livinr Room MUSICAL 番外編『「まさこの部屋」初回記念SP』

2019年06月04日 | 大空日記
 リビングルームカフェ&ダイニング、2019年5月28日19時半。

 まさここと十輝いりすを中心に、いわゆる「3バカ」みーちー大こと春風弥里、蓮水ゆうや、鳳翔大に元星組娘役の音花ゆり、唯一の非宝塚OG荒木里佳が出演し、スペシャルゲストに北翔海莉、大空ゆうひを迎える企画。構成・演出/岡本寛子、編曲/伊藤辰哉、振付/AYAKO。

 お友達が先行抽選で当ててくれたおかげで、大空さんゲスト回に行けました。前日が贔屓の大劇場公演千秋楽でしたが、いい打ち上げになりました!
 今回はスミレキッチンのレシピを再現したお料理もついていて、なかなかにお得で嬉しかったです。お酒もグイグイいっちゃいました(^^)。

 まずは「令和最速 自らタカラヅカスペシャル昭和編」なるコーナーで、「タカラジェンヌに栄光あれ」から始まって「夢人」「ジタン・デ・ジタン」「ジュテーム」「ル・ポァゾン」、あと1曲あったんだけどなんだっけな…とにかく懐かしのショーの名曲のオンパレード(私は生では観ていないものばかりですが)で、白ジャケットに黒パンツでビシッと決めたまさこにみーちー大がバリバリ濃くポーズつけながら歌い踊り、娘役力全開のコロちゃんが華を撒きまくり、ディーバ荒木さんが美声を聴かせまくって早くもテンション上がりました。
 トークコーナーではまたゆるくなるのですが(笑)、続く「令和最速 自らタカラヅカスペシャル平成編」コーナーを「異議あり!」の台詞から始めると、元男役四人ビシッとスイッチが入って目つきが変わって『逆転裁判』から「蘇る真実」! コロちゃんと荒木さんで『ロミジュリ』の「憎しみ」が聴けたり、『アパショ』のときのまんまのトリオでヴァレンチノ場面の冒頭のあの歌が聴けたり、さらには『オーシャンズ11』の「FATE CITY」まで!! あの、両腕パッと交差してジャンプして片脚蹴り上げる振り(伝わらない)をみーちゃんが踊ってくれて、もう感涙でした…! ここもあと1曲あったけど記憶が…すみません。

 休憩を挟んで、まさこが素敵な赤いドレスで登場し、みーちー大も黒のドレス姿で、ゲストの大空さんをお迎え。大空さんはなんか不思議な柄のパンツをお召しでした。アレがオサレというものなのでしょう、大空さんあるあるです。てか並ぶと大空さんがちっちゃい! 顔も小さいが背も小さい。懐かしいよこの見え方!とまたまた感涙でした。
 で、一列に座ってトーク開始、でしたがまあカオス(笑)。打ち合わせもしてるんだろうしリハもしてるんだろうけれど、なんせお稽古では全員が揃うことはなく、このメンバーがきちんと並んだのは当日のみだったそうだから、そら大空さんも久々すぎてさばけないよね、一分に一回は「順番にしゃべって! いっぺんにしゃべらないで!!」ってみーちー大を叱ってたよね(笑)。「以前はもっと上手くさばけていた気がするんだけど」って苦笑してました。
 前半も大空さんはちゃんと楽屋だかミキサールームだかで聴いていて、ステージから引っ込んでくるみーちー大に「ちょっとピッチ悪かったよ」とかダメ出ししてあげてるのに、「そうでしたか? それでねゆうひさん…」ってみんな全然聞いちゃなくてすぐ別の話を始めるんだとか。大ちゃんは嬉しすぎてハイになりすぎてむしろ無口になってるし、まさこは本当にニコニコしているだけだし、ホントなんなんだこの関係…! 愛しすぎる…!! って感じでした。
 大空さんに入る差し入れも先に組子が食べちゃって、一番出番が多い大空さんがなかなか戻れず、戻ってきたらもうなかった…みたいなことが続いたあげくに、大空さん分の番人として常にまさこが立つようになり、先に大空さん分を確保してから組子に分け与えていた…ってのもおかしかったし、プレお披露目だった博多座にはみーちゃんが出演していなくて、ちー大から「人見知りな子ですから」みたいな説明を受けていたのに、いざ本公演のお稽古場で会ったら普通に気さくに挨拶されて「話と違うじゃん」とやや怒り口調で返しちゃった、とかももう目に浮かぶようでした。その『カサブランカ』にはリックとサッシャのロシア式ハグ、というかぶっちゃけキスシーンがあって、台本読んでみーちゃんはうほうほ、一方の大空さんは「こんな上級生と初めてこんな絡み、緊張してるんだろうな…」と気遣っていたら「ひゃっほーい! CHU!!」みたいな勢いでキスしてきたから驚いた、とかの話も。事故チューの話まで出て、「ソフトに奪っちゃいました」とか笑うみーちゃん、ホントおもしろかった!(てか新公サッシャってあっきーでは…カチャとか、そうか…)
 『クライタ/ナイガイ』までこのメンツが全員いて、あとは組替えで離れていって…でもホント濃密な3年間でした、組子にとってもファンにとっても。
 タニのファンで、まゆたんに継がれるものと思っていた方々からすれば、大空さんの落下傘で宙組の歴史は分断され変質させられたと思えるでしょう。まゆたんは宙ではなく花で、みっちゃんは星でトップになりました。ともちんまさこみーちー大カチャかい、みんなもう卒業したか、宙組にいません。大空さんの新公主演をした愛ちゃんは専科生になり、あきりくももうすぐ卒業していきます。テルの組替えとともに宙組を観出した方々も多いことでしょう、そこからすればテルキタ、まぁまか、そしてまかキキへという流れはごく自然に思えることでしょう。そもそもかしちゃんも雪からの落下傘、タニは月からの異動で、宙組は未だ生え抜きのトップスターを擁立できないでいるのであり、よその水を引き入れつつ少しずつ変わりながらたゆたい流れていっている川のようなものなのでしょう。
 でも、大空さん時代にがつっと築かれたものが確かにあったように私には思えるのです。ある種の団結力みたいなものがあのとき確かにあった、きちんとしたピラミッドが打ち立てられたのです。もともと大空さんはリーダーとか、そういうタイプではなかっただけに、トップになったからにはがんばってみんなを引っ張る、みたいなことをあえてやっていたんだと思うし、みんなはそれに必死で応えたんだと思うのです。そのときできた組の形が、確かにありました。そのスピリットが受け継がれていき、しかしさすがに時とともにどんどん薄まりゆき、大空さんのサヨナラ公演で迎えた初舞台生たちももう新公を卒業しようという学年だという移り変わりようなのであり、やはりこうしてひとつの時代が確実に終わっていくのだな、とは感じるのです。
 でもそれはいいとか悪いとか何が正しいとか間違っている、とかではありません。みんないつかは現役を離れるのだし、けれどこうして、みんなが東京にいなくても、結婚したり出産したりしても、芸能活動をしていなくても、機会があれば集まれて、現役さながらの、下手したらもっと濃いパフォーマンスを見せてくれて、フェアリーだった頃は言えなかった話も聞かせてくれて、変わらず仲良く笑いはしゃぎ、より美しく輝いていてくれる…というのを目の当たりにして、「あの頃の宙組」って今ここにあるんだ、この先もいつでもどこにでもまた存在できるんだ、なんならこのあと贔屓もそこにギリギリ加われる世代だよきっと…みたいなことが真に実感できて心強く、ちょっと泣けちゃったのでした。こういう場所って、別に変なノスタルジーだけではなくて、ちゃんと大事にしていいものだと私は思うのです。
 それがわかったことが、今の私には何よりありがたい企画だったのでした。

「スペシャルトークゲスト」だから歌わないのかな、と思っていましたが、やはり1曲歌ってくれました『アパショ』! あさこのショーだし珠城さんもやりました、でもプレサヨナラの中日劇場、私は通い倒しましたよ! 懐かしさに泣いたし、大空さんがあえての男役キーであのときのまんまの歌い方で歌ってくれて、もうもう本当にたまりませんでした。ホントそういうところだよ!!! バースデーライブも楽しみです。

 休憩中に、お腹の大きなスミカがそっと会場に入ってきてソファで観覧していましたが、トークを終えた大空さんがそのあとそっと合流して、並んで後半も楽しんでいました。
 バンドによるめっちゃカッコいいリベルタンゴ、荒木さんの素晴らしい「Sofisticated Lady」(『クライマックス』使用曲でした…!)、コロちゃんの『ブエノスアイレスの風』、そしてガイズから「Luck be a Lady」、ソレあっきーが『NW!』で歌ったヤツ…!ともう泣くしかない流れ。そして「明日へのエナジー」、手拍子染みついてますから!!てなもんでした。
 カーテンコールで大空さんがくす玉割って、まさかのミラーボールの荒木さんと全員で「フォーエバータカラヅカ」熱唱して、なんならこちらも口ずさんで、幸せな一夜となりました。宝塚は永遠ですよ本当に…!!!


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我が愛しの愛と希望のドリームガールへ~愛希日記ファイナル

2018年11月23日 | 大空日記
 2018年11月18日、月組トップ娘役・愛希れいかさんが宝塚歌劇団を卒業していきました。
 私は上野のライビュで見送りました。『エリザ』についてはやっぱりおなかいっぱいかなと思いましたが(でもやっぱり病院場面でダダ泣きしましたが)、サヨナラショーが本当に本当に良かったですねえ。最近だとみりおんのワンマンショーっぷりも圧巻でしたが、今回はすーさんの扱いも素晴らしく、胸に響きました。
 それにしても「愛希」とはいい芸名だなあ…
 本当に立派な、ビッグな、一時代を画す娘役になりました。でも、こんなになるとは当初全然思っていませんでしたよ…(^^;)
 そんな話を、今回はしたく思います。ちなみに愛希日記その1はこちら、その2はこちら。すでにして懐かしいですね…

 珠城日記によれば、珠城さんのことは研2の『ラスプレ』新公できりやんの役に抜擢されたときに「おっと」と思った記憶があり、そのあたりから私の第二期ファン人生も加熱していって月組もまあまあ通うようになったはずなのですが、ちゃぴの記憶はあまりありません。『スカピン』のルイ・シャルルにも、「こういう配役をされるってことは押されている若手なんだろうな」と思った程度の記憶…舞台の記憶は特にない気がします。
 しっかりした記憶があるのは『ジプシー男爵』で娘役がまわってきたときで、これまた若手男役を押すときに劇団がよくやる手ではあるけれど、二番手スターの恋人役で実質二番手娘役みたいなことをやるにはいかにも場数が足りなくて立ち居振る舞いがまだまだなってなくてメイクもなんだかなな出来で、フラフラぴよぴよしていて心配したことをよく覚えています。ダンサーではあるんだろうけど、他はまだまだ何にもできないじゃん…とかわいそうになるくらいでした。
 そうしたらあれよあれよという間に娘役に転向してしまい、ということは起用する気があるってことなの劇団!?と思っていたらあっという間にトップ娘役に就任してしまった、という印象です。
 しかし当時の月組はまさみりダブルトップ体制、お披露目公演の『ロミジュリ』はちゃぴにとっては相手役が毎回変わるという試練でした。なんだかなあ、気の毒だよねえ…と不憫に思いましたが、そのわりには公演自体は健闘して見えた記憶はあります。
 しかしまた『ベルばら』でまさみりがオスカルとアンドレの役代わりでちゃぴはロザリー…正直トップ娘役がやる役ではないと私は思っていますし(過去最悪だったのはディアンヌ。許さん。てかもう誰か若手に譲って全面リニューアルして植Gマジで…(ToT))、せっかくトップ娘役にしたのにこんな扱いでいいんかいなと憤ったことも覚えています。必死に小さくなろうとして見えたのがまた痛々しかったなあ…
 みりおが組替えして、まさおだけの相手役になってから、やっと少しおちついて、そしてそこからまさおにビシバシと鍛えられ、それにめげずにがんばったのか見違えるように垢抜けていきましたよね。ショースターっぷりが発揮されていったのも目覚ましかったです。
 『1789』のアントワネットは本当に素晴らしかったですし、当人もある種の納得というか満足というか手応えを感じて卒業ということを意識し出した、というのも納得です。ただ、劇団が慰留してくれたのかまさおが残るよう言ってくれたのか、とにかくちゃぴはそこでは卒業しないでくれました。近年最も若い学年でトップスターとなる珠城さんへの代替わりの架け橋に、劇団は相手役としてやはり経験者をきちんとそばに置きたかったのでしょう。それは正しい。そしてちゃぴも、もうちょっとくらいならやってみたい、とは思ってくれたのかな? 残ってくれて本当にありがとう。だってでないとあのグルーシンスカヤに、あのルイに出会えなかった…!
 全ツ『激情』が決まったときには本当に嬉しかったし、次はたまちゃぴコンビでいくってことだよね!?とめっちゃテンション上がったものでした。何箇所も追っかけたもんなあ、楽しかったなあ。
 そして『グランドホテル』、初日を観ましたよ震えましたよ…てか『グラホ』と『AfO』は双璧だなー、どっちが作品として好きかとかちゃぴの役として好きかは、悩むなー。『グラホ』は名作だけれど再演ものだし、そもそも宝塚歌劇オリジナルではない、というのは私としては減点。でも私は実は、愛は成就したが人は死に別れる、みたいな悲劇のメロドラマが大好物で、この点は大正解。そしてちゃぴのグルーシンスカヤの素晴らしかったことよ! ちゃんと年かさの女に見えていた、けれど恋に心震わせる少女のような「ボンジュール、オムール」の愛らしさが演じられていた、そして男爵に死を与える幻の女のすごみ…! しかしてその一方で、『AfO』はオリジナルだし上手く作るのが意外に難しいと私が痛感しているラブコメで、でもこれはすごくよくできていてだからすごく評価したいのですが、一本ものなのが減点材料…ことほどさように甲乙つけがたいのです。ルイ/ルイーズみたいな役がちゃぴみたいに男役から転向した娘役にしかできない役、だとも私は思いませんしね。でもちゃぴルイのキュートさは出色だったなあ…! てか早く再演しないかな、そうして評価を固め高めていってほしい作品だわー。そういうことをきちんとやらないプロデュース力の低さは課題だぞ劇団!!
 『エリザ』はおなかいっぱいだったけれどちゃぴのシシィはとてもよかったし、改めてラブストーリーとしてせつなくていいな、この役をやるのはタイトルロールだから実質主役だから嬉しいというのもあるかもしれないけれど、それより何よりヒロイン冥利に尽きるだろうなと、変な日本語ですが娘役がみんなしてこの作品をやりたがる意味がやっとわかった気がしたりしたので、そういう意味でも納得して、ちゃぴの卒業を寿げた気がします。

 そして、サヨナラショーが本当に素晴らしかったですよね。ごくシンプルで、でもそれだけ、ひとりで歌だけであの大きな空間を埋められるスターになったという証で、立派でした。 髪飾りに白い花、白いドレスで「♪私はまだ何も知らない十六の乙女だけれど…」と歌うジュリエットから、年上の同性に憧れる、でもそれは確かに恋だと歌うロザリー、愛に迷い「♪わかるなら教えてよ愛がなんなのか」となかばやけっぱちに歌う人生に倦み疲れたマノン、そして妻となり母となって家族への愛と神の許しを請う歌をせつせつと聴かせるアントワネットへ…どの歌にもその情景が浮かび、泣けました。そしてセリ下がり…! 実はなかなかないことですよね!!
 なかなかないと言えば続くすーさんもそうで、要するにちゃぴのお着替えタイムの捻出のためなんだけれど、いくら組長さんとはいえ娘役にこの扱いは破格だったと震撼しました。上手スッポンのセリ上がりから一曲まるまるソロ、銀橋ゆっくり渡って本舞台は下級生の二組の男女(ありちゃんと時ちゃん、おだちんとゆいちゃん。ああ、ゆいちゃんの色っぽさはマジで罪…!)を踊らせて、下手スッポンのセリ下がりまで。ないないない、普通こんなのない。組長、副組長の管理職ってものっすごく大変だと聞くし、だから慰労もかねて何年かしたら専科に移してゆっくり自分のことに専念できるようにするとも聞くけれど、そのまま専科として卒業すると下手したらひっそりご報告だけなんてとこもあるし、大劇場公演への特出で卒業したとしてもこんなショー場面が与えられることはほぼないし、組子で卒業するって大事…!とかまでいろいろ考えちゃいました、下賤ですみません。
 再び現れたちゃぴは組カラーの黄色のドレスで、珠城さんとの『グラホ』は当然上演時より歌が上手くなっていて、そこにさらにまゆたんはーちゃんカゲソロでのデュエダンですよ息ぴったりでしたよ合わせなくても合ってるんですよ自然に一体になっていましたよ、たまらん…!
 そして「ドリームガールズ」!
 映画も大好きですが主題歌も元気が出ますよねー。原曲の歌詞としてはまんまショーガールの気概を歌っているというか、男たちに夢を見せるドリームガールズとしての私たち、というようなことを歌っているそうですが、英語で聞き流せたというのもあるけれど(^^;)そんなこたぁ全然気になりませんでした。
 もちろん昨今のフェミニズム的には男性の性的搾取対象としてのみ女性が存在する、なんてことは糾弾され否定されているわけですが、それとはまた別の問題で、きちんと平等で対等で納得できているのならシスジェンダーヘテロセクシャルのマジョリティが性愛を謳歌するのは健康的で自然なことであり(というかあらゆるSOGIが健康的で自然なことなのですが、ともすれば反動的に異性愛が悪く語られすぎる面もいささかあると感じているので)、雄のクジャクが雌に羽根広げるのと同じでなんの問題もないわけで、そらいくらでも歌い上げてほしい、むしろ歌い上げるべきことなのです。
 そしてそういうこととはさらに別に、誰かに夢を見させるとかそのドリームやファンタジーを演じてみせる、ということとはまったく別に、タカラジェンヌは、というか全女性は、自分の夢を夢見て進み生きるドリームガールズなのです。そういう歌なんだと思います、そうだということに今しました(笑)。
 誰のためでもない、自分のための夢であり、自分のための人生です。自分の人生を、自分の夢を抱きながら生きていく。その健やかさ、強さ、まっすぐさ、けなげさを歌い上げているのだと勝手に解釈して勝手に感動したのでした。
 この「ガール」という単語がまた良くてね。そりゃ我々もいい大人ですから、女性として、つまり「性」の部分もちゃんと我がこととして引き受けて、全部背負って立って初めて本当の成人ですよ。でも、それがときにかったるいこともある、わずらわしいときもある。といって性がまだ未分化な幼児の頃にはさすがに戻れない。
 でも、性以前の、ぶっちゃけ初潮以前の、身体が重くなり出す前の、ただの「女の子」になら、戻れる。ここでなら、この時空でなら。そんなパワーが宝塚大劇場と東京宝塚劇場の空間には、宝塚歌劇の演目には、ある。女の子たちの歌やダンスや芝居を見て、女の子に戻れる魔法にかかれる。そのことが素晴らしい。それをひしひしと感じて、泣けて泣けて仕方がなかったのでした。
 かつて花總まりにあこがれたたくさんの娘役が輩出されたように、これからは、というかすでにもう今、愛希れいかにあこがれて娘役になったという生徒さんがたくさん出るのでしょう。それくらい、時代を築き上げましたよ。それは単にトップ在任期間が長かったということだけによるものではないはずです。
 そしてもっと幼い少女たちも、ちょっと前ならセーラームーン、今ならプリキュアとかがマイ・ヒロインなのかもしれませんが、ちゃぴを見られたのならそこにちゃぴは立派に加われますよね! ママが見ているDVD越しでもそのパワーは伝わると思うな(笑)。ちゃぴはそうやって、日本の、いや世界中の女の子に夢と希望と勇気とパワーを与えてくれた天使だったと思います。
 ご卒業、改めておめでとうございます。今後も舞台で観られたら嬉しいです、ご活躍をお祈りしています!






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名前の話

2017年02月13日 | 大空日記
 大空祐飛さんが大空ゆうひさんに改名することになりました。

 何度か語っていますが、私の宝塚歌劇初観劇は『メランコリック・ジゴロ/ラ・ノーバ!』で、最初に好きになったスターはヤンさんです。当時のトップスターさんだったわけですから、これはまあ刷り込みみたいなものだったのかもしれません。でもちゃんと好きでした。今でも好きです。
 宝塚歌劇自体にハマってすぐ全組観るようになって、見つけたスターが大空さんでした。観続けているうちにトップが代替わりしていって小粒に思えるようになったり、観る演目を選り好みしたりして観劇からやや遠ざかり気味になっていた時代もずっと、好きではいました。韓流にハマっていたころに『太王四神記』宝塚歌劇化のニュースが舞い込んできて飛び上がり、その出来が良くてホゲが良くて気持ちが宝塚歌劇に戻ってきたところに組替えとトップ就任発表があって、ファンクラブに入って私の宝塚歌劇ファン人生第二期が始まりました(ちなみに今は第三期です)。ファンクラブには今でも入っています。
 なので、ファンクラブ公式サイトのコメントが更新された旨をメール配信でもらって、でも仕事中でサイトを見に行く暇がなくて、でもツイッターは見られて、コメントが単なる近況報告とかではないようだ、何かもっと大きな発表だったんだな、とはファンのツイートから察せられました。そこで私が思ったのは、もしかしてしばらく休業するとかそんなこと?ということでした。ライブの次のお仕事の発表がないし、あくせくしていないと言えば聞こえがいいけれど仕事の選び方に悩んでいるのではなかろうかとか勝手に心配していたので、そんな想像が先回ったのです。つい先日まゆたんが、結婚を機会にってこともあるでしょうけれどそんなような発表をしていたんですよね? その連想もあったのかもしれません。
 そんな想像ができるくらい、そしてそれでも仕方ない大丈夫と思えるくらい、今の私は仕事と現役に忙しくて、正直言って大空さんから心がちょっと離れ気味なんですね。
 だから、名前をひらがなにすると言われても、「ああそうですか、まあそれもいいかもね」とだけしか思わなかったのでした。けっこう動揺している方も多くて、そのツイートを読んで考えれば確かに大きなことだよなとは思うのですけれど、でもやっぱり今の自分は一番にそのことを考えるとかではないんだよな、というのが、正直な今の私の心のありようなのでした。

 もちろん、名前というものはアイデンティティに関わる問題でもあり、その変更となれば大問題です。
 私ですら、本名の他にここでの名前とかツイッターのアカウント名とかいくつかの名前を持っていてちょっとずつキャラが違ったりします。韓流ブログも違う名前でやっていましたし、同人誌時代には別のペンネームがありました。いずれもそれなりにこだわりがあったりします。
 タカラジェンヌには本名の他に芸名があって、愛称もあって、宝塚歌劇団を卒業しても芸能活動をする場合にはそれを使い続けることが多いものです。でも活動内容がかなり変わるので、悩む人も多いのでしょう。最近だとねねちゃんとか、ね。

 「大空祐飛」というのは四字熟語にも通じるようなずいぶんと堅い文字面で、でもそれがいかにも大空さんらしくもあったと思ってきたのですけれど、卒業を見据えた頃に、このまま女優でやるには堅すぎる芸名なのではないか、みたいな心配は私もしました。
 また、卒業を決めた心境みたいなものの話で、本名とは違う、愛称とも違う、「大空祐飛」という人間像、キャラクターをやっと完成させられたから、だから満足して、納得して、辞められる…みたいなことを言っていて、すごくわかるなと思う一方で、それはやはりタカラヅカのスターとしての、男役としての「大空祐飛」なんだろうし、その名前で今後また違う活動をしていくかもしれないことに関してはどう考えているのかな…とかもちょっと心配していたのです。でも、そもそも芸能活動をする気があるのかどうかも半信半疑でしたけれどね…最近の多くのスターさんのように、卒業の日付が変わったらもう次の仕事が発表されるような人ではなくて、そのままいなくなっちゃうかもしれない疑惑がごくごく自然に湧くタイプの人でしたからね。
 でも結局、多少の時間はかかりましたが、いわゆる女優さんとして芸能活動を続けてくれることになって、名前もそのままで、だからファンとしても楽しく新作に通っていきましたし、ゆるくなったなでも可愛いな素敵だなやっぱり好きだな好みだな、と感じてはきましたが…でも当人はいつしかその齟齬をやはり感じるようになったのかなと思えば、やはりなんとなく納得できる気がします。「ゆうひ」というのはずいぶんと丸く優しい文字だけれど、今の大空さんのゆるさ、気取らなさにはちょうどいいのかなしれないし、いずれなじむことでしょう。
 私にとっては変わらず「大空さん」だし「ヨウコちゃん」だしな、というのも大きいかもしれません。普段からきちんと「祐飛さん」と呼んでいる人は、やはり据わりが悪く感じられるかもしれませんね。

 でも、それより何より仕事の発表を求めているんですよね実は私は…『ヘッズ・アップ!』再演決定はそりゃめでたいです。オリジナル・ミュージカルとしてとても良くできていたと思っています。でもほぼほぼ同じ座組みなら私はもう行かないでしょう。
 私は、新作が観たい。新しい大空さんが観たい。ぶっちゃけ名前なんてどうでもいい、とまでは言いませんがしかし、私の一番の関心事はそこにはないのでした。どんな名前でも中身は変わらない、♪薔薇という名の花は名前を変えても…です。でも新作がないなら興味が持続できないのです。
 今でも一番に大空さんのファン、という方には不快かもしれませんが、私にとってはもうそういうことになってきてしまっているんだと思います。
 あいかわらず好きな女優さん、好きなOGさんです。好きな顔、好きな声、好きな芝居、好きな歌、好きな佇まい、好きな話し方の人です(もっとたダンスも観たいよ!)。今後もずっと、良さそうな演目に出てくれるなら観に行きたい、いろいろ観たい。
 でももう今までのようには通わないでしょう。そもそも宝塚歌劇のようにリピートする方が異常なのであって、例えば今なら『ロミジュリ』とか、役替わりがあったりアンサンブルも豪華だったりするグランドミュージカルなら何十回も行くファンも多いかもしれませんが、例えば『ワーニャ伯父さん』を全通する、とか普通しないわけじゃないですか演劇ファンって。むしろまた次に再演されるときに、別の座組みで公演されるからそれを観る、そうやって演目を、戯曲を愛していく…というものですよね。
 そもそも宝塚歌劇とは公演のタイプが違うから比べても意味はないのかもしれませんが…宝塚歌劇は新作主義で再演されるとは限らないし、常に誰かの退団公演でメンバーも一定しないし、出演人数が多くて場面数が多くて見きれないから通うしかない、そして通うに足る公演だと思うのです。外部なら普通は飽きちゃうんじゃないかな。そんな鑑賞回数に耐えない、というかそういう見方をするものではない、というか。
 そして大空さんは現役生ではない、OGであり普通の外部の舞台に出演する人になりました。だから今までのような回数では観ない。そして私は舞台が好きだけれど宝塚歌劇というジャンルそのものを愛してもいるので、現役と同等の愛と情熱とお金と時間は注げないのだな、と自分でもわかってきたのです。
 さびしいことではありますが、人の心は移ろうものなのです。私もひとつ大人になったということです…

 それでも元トップスターだから外部でも活躍の場があるし、その気になれば追っかけやすいからいいよね…と今から先を心配していじいじしているくらい、今の現役が好きなんです。
 ああ、普通にお嫁に行ってほしいな、中途半端な公演に中途半端に出たりリアルな知り合いにしかおもしろくないインスタとかされたら萎えるなー…と今からいじいじしているのです。
 大空さんは、たゆまず、颯爽と、あるいはのんきに、歩いて行ってくれると思っています。それは信じられる、だから大丈夫。そういうふうに、ちゃんと好き。
 そんな、言い訳をしてみました。



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想像の翼

2015年03月03日 | 大空日記
 大空さんの「表現者ノマド~演じること、物語ること~」の第三回を観覧してきました。ゲストは漫画家の美内すずえ先生。
 ところでこれって観覧というのはヘンなのかな、講座だから受講、かな? 参加、ではない気がします。
 でも第一回も観ましたが、クリエイター同士がお酒でも呑んで、でも真面目な話をしている会合?を、ちょっとだけオフィシャルな形にして横から覗き見させてもらっているような、なんかそんな感じなんですよね毎回。単なる対談とかトークショー、というのとは違う空気を感じます。それはホストの「俳優・大空祐飛」の手腕なのかもしれません、もしかしたら。
 というワケで今回は、言わずと知れた演劇漫画の傑作『ガラスの仮面』の作者がゲスト。大空さんてばどアタマから「女の子なら誰でも…」と始めて一瞬固まりました。確かに会場は女性が多かったけれど男性もいないことはなかったし、50になっても60になっても女子は女子という今の風潮から考えても「女の子」と呼ぶのはさすがに…という妙齢以上の女性が大半でしたからね(^^;)。
 まあでもとにかく、読んだことがない人はいないとまでは言わないけれど、その存在は大半に知られているであろう少女漫画作品です。大空さんは入団前くらいにその頃刊行されていた分くらいはコミックスで読んでいて、あとはわりに最近、アタマから最新巻までを一気読みして「なんておもしろいんだ!」となったそうです。また美内先生とは、美輪明宏の舞台を観劇したときに席が偶然お隣だったり、児玉先生が演出した『女海賊ビアンカ』(ご存じ『ガラスの仮面』の劇中劇を舞台化したもの)を観劇したときも席がお隣で児玉先生に紹介してもらったり、といったご縁があったそうです。大空さんの宝塚歌劇団卒業後第一作『滝の白糸』を演出した蜷川先生も、かつて舞台『ガラスの仮面』を演出しましたしね。ちなみに私は去年のG2演出の舞台は観ました、おもしろかった!!
 私自身は、マヤより幼い頃から、おそらくまだコミックスが数巻しか出ていなかった頃から読み始めて、しばらくは最新巻が出るたびに買って全巻保有していました。引っ越しか何かのときに手放して、真澄さんより年上になってから知人に借りてそれまでの巻を一気読みし、その後は続巻が出るたびにその友人から借りて読んでいます。雑誌では追いかけていません。不定期連載で掲載されたりされなかったりしているし、最近の美内先生は雑誌に掲載した原稿をコミックス収録時にほとんど描き直して、話も変えてしまうからです。
 今回の美内先生の話によればラストは20年くらい前から決まっているそうですが、だったらさっさと描こうよそろそろもう煮詰まりすぎよ、というくらい話が進みきっているので、マジでちゃんと近々完結させていただきたいです。『王家の紋章』は延々グルグル同じことやってて完結しないまま作者逝去とかになっても仕方がないしそれでもいいと思えますが、『ガラスの仮面』はそういうタイプの作品ではありません。ちゃんとストーリーがあるんだから、オチをつけるのは作者の義務です。読者を裏切らないでいただきたい、と切に願っています。
 でもそんなワケででは私がものすごくディープで熱心なファンかというとそんなこともなくて、たとえば美内先生が大阪出身だということも知りませんでしたし、貸し本漫画を読んで育って賃料がかさんで親に止められたので自分で漫画を描き始めた、なんてエピソードも今回初めて知りました。しゃべりの楽しい、明るいおばさまでした。
 自分で描いたら描けて、読んだクラスメイトに好評で、先生に「漫画家になれ」って言われてその気になって…というのは、すごくわかるなあ、と思いました。私も字が読めるようになった頃から漫画を読んで育ち、自分でも描いていました。B4の画用紙帖を横長に置いて真ん中で分けて見開きに見立てて、鉛筆描きでコマを割ってストーリーものを何冊も何冊も描いていました。私はクラスメイトに読ませるようなことはしなかったけれど。同様に文章を書くのも好きで、国語の授業の作文なんかお手のもの、これはかなり成績に貢献したと思うなあ。自前の小説は教室の中で回し読みされたりしましたかね。
 そんな小学四年生のある日、私はある一冊の本に出会いました。鈴木光明『少女まんが入門』(白泉社)です。担任の先生の親戚が白泉社で描いている漫画家さん…だったのだと思います、よく覚えていないのですが。この本に従って私はペン先だの墨汁だのケント紙だのの道具を揃えて、本格的な漫画原稿制作に取りかかるようになったのでした。
 しかもこの頃、白泉社は、というかおそらく花とゆめ編集部は、表参道のとあるビルの一室に漫画家志望の少女たちを集めて、漫画の描き方講座みたいなものを開いていたのです。有料で週一回、全10回、生徒数20名、みたいな。
 春先だけだったのかなあ、よく覚えていないのですが、私はそこに2タームほど参加したことがあるのです。まだ中学校に上がる前とかで、クラスの最年少でした。初めてひとりで電車に乗って、乗り換えを間違えないか気が気でなくて大緊張した記憶があります。
 おそらく美内先生はその講座に講師としていらしたことかあるはずです。私が受講したかどうかはまったく記憶がないのですが。当時クラスでもらった複製原画は今も実家に残してあると思います。
 ことほどさように私は正しいオタクな漫画少女で、この『少女まんが入門』は長らく私のバイブルでした。というか私はその後何度か投稿してすぐ、プロの漫画家になることをあっさりあきらめ、代わりにといってはなんですが出版社に就職し、本当は雑誌記者みたいな仕事がしたかったのに何故か漫画誌の編集部に配属されて(就職試験の面接で漫画の話しかしなかったのだから当然だと今は思う)漫画編集者になったのですが、この本はバイブルであり続けました。実によく出来た本で、今でも十分通用する内容だと思っています。
 この本の中で、ストーリーもののプロローグの優れた例として『ガラスの仮面』連載第1話の冒頭部分が紹介されています。そんなもろもろの深い印象や顛末があって、今回のノマドに私はいそいそと出かけたのでした。ちなみに私は美内先生とお仕事をしたことはありません。

 話は本当におもしろかったです。漫画家は自分が描いているキャラクターになりきってその絵を描くので、泣いているキャラクターを描くときは泣き顔になるし怒っているキャラクターの絵を描くときは怖い顔になっている、とか、「わかるわかる!」とか思いました。自分もそうだったし、自分が担当させていただいてきた漫画家さんもみんなそうでした。そうやって作品を描きながらキャラクターたちの人生を生きているようなところがあるので、漫画家は演目の中で役を生きる役者みたいなものなのかもしれない…というのも、すごくおもしろいなと思いましたしその感覚はわかるな、と思いました。
 短いページ数の作品でも数人、長い作品になれば何十人とキャラクターを生み出し、作品に表さない部分の全人生も考え出してしまうくらいのパワー、それが想像力です。そしてそれをこそ、才能というのです。美内先生がズバリそう言ったとき、私は目ウロコでした。
 漫画ならどんなに絵が上手くても、小説ならどんなに文章が上手くても、原稿のアタマ数ページを見ただけで書き手の才能のあるなしがわかる。それは結局、作品にはその人が世界を、人間をどう捉えているかが表れてしまうからで、その人が大きな想像の翼を持っていて多様なキャラクターの生き様を想像できて広い世界を想像できていると、その作品はおもしろく、冒頭だけでもそれが窺えるのです。想像力がない人が知っていること、自分が考えられることだけで作った作品は、狭く浅くつまらない。才能とは、想像力なのです。そしてそれがあるかどうかはもう、生まれつきなのでした。
 同じ寝物語を聞いて育ち、同じ本を読んで育っても、そこから大きな想像の翼を生やせる者とそうでない者とがいる。それはもう、生まれつき足が速い人がいるとか泳ぎが上手い人がいるとかと同じことで、誰にもどうしようもないことなのです。
 編集者時代に、担当した作品に対してここを生かすためにはここをこうしたらいいとか、こう直した方がここのつじつまが合うとか、そういう助言はたくさんしてきたけれど、おもしろくないものはどう直してもおもしろくないままで、でも何がどうダメなんだろうとか悩んだものでしたが、やっとわかりました。想像力は天性のものであり、才能のあるなしは残念ながら誰にもどうにもできないものなのです。多少でもあれば、鍛えたり伸ばしたりということはできるのでしょう。でもないものはないのです。
 編集者は才能ある作家に対して、助言したり支援したり、プロデュースしたりご馳走したり、刺激を与えたり休ませたり、とにかくいろんなことをして全力でサポートしますが、ない才能にできることは残念ながらないのでした。
 美内先生が言った「想像の翼」という言葉は、『赤毛のアン』にあった言葉だそうです。少女小説というかジュブナイル文学、ビルドゥングスロマンの傑作ですね。アンはいつでも想像の翼を羽ばたかせて、広い世界を旅していました。美内先生もそうやって、マヤや亜弓、真澄さんや月影先生始めたくさんのキャラクターを生み出し、その人生を紡ぎ出し、その物語を漫画の形に仕立てている。漫画を描きながら、キャラクターになりきり、その人生を追体験するかのようにして生きている。それは役者が舞台で役になりきり役を生きるのと同じなのかもしれない。自分が知らない、経験したことのない時代や世界に生きる役でも、想像力があればその人間になれる、演じられる、それが優れた役者です。滑舌とか身のこなしとか、そういうことは漫画でいう画力とかと同じで、鍛えれば上手くなるテクニックにすぎず、それより何より肝要なのが想像力のあるなしなのです。それを才能と呼ぶのです。
 大空さんは次回作『死と乙女』で、独裁政権下に生きたことも拷問を受けたこともないけれど、ヒロイン・ポーリナを演じます。大きな想像の翼を広げて、ポーリナの人生を想像し、シンクロし、表現する。楽しみです。
 才能のある者同士は響き合い、違うジャンルで仕事をしていてもすぐに通じ合えるのでしょう。そのトークがおもしろくないわけがなく、そんな貴重なものを観覧させてもらえるこの企画は、なんて贅沢でありがたいものかとしみじみ思います。次回の人選も楽しみですし、都合がつく限り観覧したいです。自分にもちーっちゃいけれど想像の翼がなくもないかなそれとも幻想かなとか思っているごくごく平凡な人間であると私としては、自分では飛べないような大きな空を見せてくれる人には憧れないではいられないのです。そういう意味でも、やっぱり大空さんは私にとって特別な人なのでした。


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村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)

2015年01月10日 | 大空日記
 1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、著者は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地でフル・マラソンや100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは著者の生き方をどのように変え、書く小説をどのように変えてきたのだろうか? 日々路上に流された汗は何をもたらしてくれたのか? 村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。

 あけましておめでとうございます。新年初の更新です。今年もよろしくお願いいたします。
 さて、こちらの本ですが、年末の大空さんフェスタでじゃんけんに勝ち抜いてクリスマス・プレゼントとしていただいたものです(笑)。『華クラ』大劇場お茶会でもじゃんけんに勝って赤いバラを一輪いただいたことがあったのですが(ちゃんと東京まで持ち帰りました)、そのときと同様、なんとなく大空さんとシンクロして「次はコレ出すな、ってことはアレ出せば勝てるな」ってのがわかって、それでゲットしました。
 フェスタでも「最近読んでおもしろかったのはシュタイナーの食物論みたいなの」とか言って会場中をぽかんとさせたくらい(自分が体調を一定に整えるために自己流でやってきた食事法みたいなものが、その本の理論で裏打ちしてもらえた気がしたらしい…)、読書家ですが乱読で読書傾向が一般的な流行とかとはかなり違っていることがファンにも有名な大空さんですが、プレゼント用にセレクトした10数冊はまあまあ一般的でした。以前読んでおもしろかったので勧めたいものや今興味があって自分も読みたいと思っているものなど、そのラインナップを見ているだけでも大空さんの人柄やものの見方、考え方が窺えておもしろかったです。
 私自身は村上春樹は昔に初期の何冊かを読んだだけで、特になんとも思わなかった記憶しかなく、その後大ブレイクしても「みんなが読んでるなら私はいいや」みたいな感じで素通りしてきたので、こういう機会に触れられてよかったです。しかもこれは小説ではなくエッセイなので、作家の考え方がダイレクトに表れますし、それを大空さんがどう捉えてどこをどうおもしろがって何故人に勧めたいと思ったのかがとてもよくわかって、おもしろい読書体験となりました。好きな人が読んでおもしろかったと言っている本を当人から勧められて読むなんて経験はなかなかないことですよね。そもそも人に本を薦めるのって意外と難しいものですし。でもそれをあえてやっちゃう大空さんが本当に愛しいし、そんな機会に恵まれてとても幸運でした。

 というわけでこの本ですが、確かにエッセイというよりはメモワール、でした。人生すべてについての回顧録ではなく、走ることに関してのみではありますが、覚え書きというか自分語りというか、なのです。
 著者はある日、小説が書きたくなって、書き上げて、応募して、受賞して、デビューして、売れちゃって、職業作家としてやっていくことにした…のだそうです。で、小説家として長くやっていくにあたり、作品をコンスタントに書いていくためには体力が必要だし規則的な生活が必要だ、ということで走り始めたようです。ものすごく勝手な要約ですが。
 で、単なるランニング程度だとアレなので、年に何回かレースに出ることを目標にコンディションを整えていくようになって…ということで、今もストイックなまでの生活を続けているようです。
 このあたりが、大空さんの日々の暮らしに通じるものがあるのかな、と私は思いました。著者はあくまで小説家を本業としていて、その生活というか精神を支えるために走っていて、その課程にレースがあるのですが、大空さんにとってはこのレースが公演で、それに向けて日々コンディションを整え走るランニングがお稽古にあたるのかなあ、と。日々のランニングや年数回のレースの先に、著者の最終的な目的としていい小説を書くことがあるように、大空さんにとっては日々のお稽古と年数回の公演の先に「大空祐飛」なるものを作り上げることが最終的な目標としてあるのかな、とかね。
 大空さんは、現役時代にそれをずっと作ろうとしていて、自分がそれらなろうとしてきて、ついにやっと自然にいられるようになったから卒業を決めた、みたいなことをフェアウェルなどでも語っていました。
 今の「大空祐飛」は宝塚歌劇団の生徒の、とか宙組トップスターの、という枠はなくなっても、本名の大空さん(ヘンな言い方ですが)と表裏一体というかまさに一心同体として今もあって、今後もその名前で役者として働いていき生きていくのだ、と決心したからこそまた舞台に戻ってきてくれたのだろう、と私は思っているのです。
 大空さんがこの本を読んだのが最近なのか現役の頃なのかはわかりませんが、おそらくシュタイナーのときと同じで、自分にとってベストの方法であろうものをずっと自己流に模索してきてある程度つかんだと思えたものがあって、それと同じようなことを他の人もしていてやっぱりどうやら正しい方法らしい、と思えた喜びがこの本を読んだときにあったんだろうな、と思うと、その「そうそう、そうなのよ!」と膝を打ちながら読書する大空さんを想像するだけで微笑ましくて私は幸せになってしまうのでした。イヤあくまでこちらの勝手な想像なんですけれどね。
 翻って自分自身を見れば、好きな仕事について日々楽しくまた苦しく働いていますが、自分の名前を出して自分だけの力量で勝負するというよりはやはり組織の一員として円滑に業務を回すことに専心するタイプの仕事ですし、仕事があるから食べていけてそれで幸せに生きていくつもりですが、最終的になにものかになろうと目指しているとか日々研鑽しているとかはない怠惰な流され人生でもあるわけで、著者のストイックな姿勢にも感心はするのですが共感はしづらいというか「すごいねえ、そういう人もいるんだねえ」って感じで、お恥ずかしい限りではあります。
 でももちろんだからこそ大空さんのような人にシビれるのだろうし、素敵だなと思うわけですけれどね。せめてファンとして見苦しくない程度にはありたいと思いますが、今さら性格も生き方も変えられないでしょうし、今後も私はゆるゆると人生をいき、ゆるゆると好きな人の才能を応援をし続けたいと思っています。
 なんか読書の感想じゃないな、これは大空日記カテゴリーかな。
 まあでもいいや、そんなこんなで今年もゆるゆるとよろしくお願いいたします!




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