駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

和田竜『村上海賊の娘』(新潮社)

2014年03月30日 | 乱読記/書名ま行
 和睦が崩れ、信長に攻め立てられる大坂本願寺。海路からの支援を乞われた毛利は村上海賊に頼ろうとした。当主の娘・景は海賊働きに明け暮れ、地元では嫁の貰い手のない悍婦で醜女だった…

 おもしろかった! 私は就英さんのファンです。わかりやすいですね。
 この時代の武士の生き方、海賊のものの考え方というものにリアリティが感じられたし、海戦のアクションもおもしろかった。話がどこに行くのかわからず揺られ揺られて、タイトルロールに偽りありじゃん、と思えたときもありましたが、どうしてどうして。
 もちろん多くがフィクションなのでしょうが、きちんと資料にあたって浮かび上がってきたことから構築されているのがよくわかりました。
 例えば大河ドラマってどうしても人の一代記で大味になりがちだと思うのですが、こういうごく短い時間の戦闘とそこにかかわる大勢の人間の、刻一刻と変化する戦況と心理、みたいなものをねちねち描くタイプのものがあってもおもしろいのではないかしら。そういうのをじりじり味わうドラマがあってもいいと思うんだけれどなあ。
 イヤ別にこの作品の映像化が見たいとかそういうことを言っているのではなくて、要するに昨今の時代劇ドラマが物足りないと言いたいのです。小説はやっぱり楽しいなあ、自由だなあ。
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沼田まほかる『ユリゴコロ』(双葉文庫)

2014年03月30日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 ある家で見つかった「ユリゴコロ」と題された四冊のノート。それは殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白文だった。この一家の過去に何があったのか…第14回大藪春彦賞受賞作。

 「恋愛ミステリー」となっていますが、むしろ家族小説…かな? もちろんミステリーでありホラーでありサスペンスであるのですが。
 私は姉妹については推理がついたけれどラストについては予測もしていませんでした。上手い。
 そして主人公兄弟の適度な距離感と親密さがいかにも家族っぽいな、ととても好感を持ちました。
 猟奇殺人ものの作品は数あれど、そんな殺人者にも普通の人間の部分はあって彼らを愛したり彼らが愛したりする人がいる、という部分の描き方がとても新鮮でした。そして衝動的な一過性の殺人ではなくこうした何がしかの欠落とか病とかを得て殺人を繰り返している人は、こうやって折り合って生きていくしかないのだろう…というのもすごくリアルに思えました。
 そういう、あくまで「普通の人間、人間の普通な異常さ」を書いているところが、すごく文学的だなと思いました。
 初めて読む作家さん、変わったペンネームですが、推理小説家…なのかな? 機会があれば他の作品も読んでみたいと思います。

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『ピトレスク』

2014年03月29日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタークリア、2014年3月28日マチネ。

 1942年9月、ドイツに占領されて2年がすぎたフランス・パリ。ナチスの表現規制によって閉店させられたキャバレー「La Figue」のスピリットを継いだショーを秘かに作って地下で上演し、復活させようと額縁工場に集う者たちがいた。元「La Figee」文芸部のジャン・ルイ(中川晃教)、衣装係のカミーユ(彩輝なお)、歌手のマヌエラ(JKim)、食材を卸していたパン屋のピョートル(岡本知高)と肉屋のリュシエンヌ(風花舞)、そしてシンボルとなる絵を描いた画家のタマラ(保坂知寿)。そこにさらに新たな仲間が加わる…
 作・演出/小林香、音楽監督/前嶋康明、振付/港ゆりか。SHOW-ism第7弾、大人の音楽劇。全2幕。

 キャストは芸達者ばかりで素晴らしいと思ったのですが、退屈しました…
 メリハリがない、盛り上がりがない、ドラマがない、キャラクターがない。ユダヤもロマも同性愛者も設定でしかない。
 「近年の社会の状況に対して、今、私たちの仕事=舞台を通してダイレクトに声を上げていく必要がある」という思いはわからなくはないですが、政治活動・社会活動ならもっとダイレクトに動くべきだと思うし、フィクションの作品にするならもっとクオリティが必要です。今、あまりにイメージしかない、直截すぎる。鼻白むか、何も感じられなくてぽかんとするか、だと思います。
 実際、客席には「いつおもしろくなるんだろう、この話…」という空気が漂っていました。睡眠率ハンパなかったし、拍手はおざなりだったし…
 ショー場面の華やかさも足りなかったと思うし、お話もオチていなかったと思う。エンターテインメントとしてあまりに未熟だと思いました。
 わかるんですけれどね、今の空気に対して、こういうものを作りたい気持ちは。本当にキナ臭くなっていますからね。
 でもこれではダメだと私は思う。だっておもしろくなかったもん。それじゃダメだよね。
 私はこのシリーズは『TATOO14』の再演くらいしか観ていないと思うので、がんばっていただきたい作り手ではあると思っているのですが…

 ちなみにヒロイン格のサエちゃんはなんかすごくやわやわとイイ感じでした。ユウコはあいかわらずきびきびと胸のすくようなダンスを見せてくれて怒鳴る芝居がまったく変わっていなくて感動しました(^^)。同期だったんですねえ、ショー場面でボンテージふうお衣装で絡んでくれてときめきました。
 でもホントそこだけだった、見所。残念…



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ミュージカル座『何処へ行く』

2014年03月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 THEATRE1010、2014年3月25日マチネ。

 西暦60年代。暴君ネロ(菊地まさはる)の治世下でのローマ帝国はヨーロッパの大部分を支配していた。イエス・キリストの十字架刑から30年、使徒ペテロ(宝田明)たちの伝道によってキリスト教徒は秘かに信者の数を増やしていた。ローマの軍団将校マルクス・ウィニキウス(松原剛志)はクリスチャンである美しい娘リギア(彩乃かなみ)を愛してしまうが…
 脚本・作詞・演出/ハマナカトオル、作曲・編曲・音楽監督/tak。ノーベル文学賞受賞作であるシェンキェヴィッチの『クオ・ヴァディス』を原作にしたポップ・オペラ形式のミュージカル。全2幕。

 気になってはいたのですがチケットを取るには至らないでいたところ、縁あって観ることになりました。が、意外に(失礼!)おもしろかった、感動した! 縁って大事だなあ。

 オペラふうに全編歌で綴る形式で、なかなか難しい楽曲が多く、大ナンバーでつなぐというよりすべての台詞に音がついているような形だったので、これは歌稽古が大変だったろうなあと思いました。
 幕開きにマルクスの叔父でローマ貴族のペトロニウス(岸田敏志)がローマの現状を歌うのですが、これが今ひとつだったのがネックだったかなー。観客は、少なくとも私はまだこの舞台の形式というかノリに慣れていなくて、なのに特にキャッチーな歌でもないメロディーで聞き取りづらい歌詞でローマの現状を説明されても、世界観に入りづらかったしややぽかんとしました。
 ここでローマが周辺の国をがんがん征服してその国民をばんばん奴隷にしてその宗教を弾圧していることが歌われていたのだと思うのですが、そして私もかつて高校の世界史とかでそのあたりを勉強した程度の知識はありましたが、やはりそれだけでお話に入っていけるものではないではないですか。
 で、やや置いてけぼりを食っていると、主人公になるらしき青年が現われ、好きな女がいると叔父に打ち明けるので、なるほどこのロマンスを追えばいいのねと思うのですが、女は異国から連れてこられた娘なので青年は結婚する気はないようで、自分のものにしたい、引き取りたい、奪いたい、みたいなことしか言わない。ぽかん、です。
 当時はそれが普通だったのだろうけれど、どう普通だったのかの説明は十分だったとは思えないし、現代の感覚ではついていきづらいわけで、ここはもっとデリカシーを持ってスタートしてほしかったです。
 ぶっちゃけ現状では我々にはマルクスの良さがよくわからない。リギアが姿だけでなく心栄えも美しい娘であることはわかります。だからマルクスがリギアを愛するのはわかる。でもリギアがマルクスのどこをどう愛しているのかはさっぱりわからない。それでヒロインの心情にもついていきづらく感じる。これはつらいスタートです。
 しかもマルクスはちょっと人に諭されたくらいですぐにリギアを対等に考えるようになり、妻に迎えようとします。だったら最初からそうしておこうよ。この時代のこの階級の男のスタンダードは異民族の異教徒の女を人間以下で奴隷として奉仕させるもの、使役するもの、愛玩するものとしてしか考えていなかったのだとしても、マルクスだけは周りから変わり者と言われようとリギアのことだけは最初からそんなふうには扱えなかったんだよね、としましょうよ。その方が現代に生きる観客にはよほどわかりやすい。民族や宗教による差別や弾圧なんて愚劣だ、という話になるんだからなおさらです。

 原作にあるのでしょうし多彩なドラマを描きたかったのかもしれませんが、ペテロニウスとエウニケのエピソードはなくてもよかったかもしれません。女解放奴隷が主人を愛し主人もまた…というのがまた現代の感覚としてはわかりづらくてもぞもぞしました。そんなに簡単に身分差って越えられるもの? 本当に対等に考えてくれているの? きちんと遇する気があるの? とか余計なことを考えてしまう。身分差などない現代日本においても妻や恋人を対等に扱わず隷属させているだけの男はざらにいるからです。
 さらに、ペテロニウスがこんなに開明的だとマルクスのそれが目立たなくなってしまいます。そんなに進歩的な男ばかりじゃなかったはずだろう、この時代。
 昔ネロの寵愛を受けていて今は冷遇されている女解放奴隷のアクテのエピソードは逆にとてもよかったんですけれどね。こんな悪役にもきちんと向き合っていた人間がいたのだ、というのはいいドラマだし、なかなか泣かされました。

 後半はローマの大火とキリスト教弾圧の物語になっていきますが、ペテロに預言が与えられちゃうのに個人的にはちょっと驚いてしまいました。私は遠藤周作の『沈黙』をキリスト教文学の傑作だと考えていて、神とは決して応えないもの、それでもただ信じるしかないものだと考えているのですよ(そして私はもちろんクリスチャンなどではないのでした)。
 なのにこの神は人に命令とか下すのか! ラクだなー! とか思ってしまいました。
 いやでもこうやってたくさんの犠牲を払いながらもひとつひとつ勝ち取っていくことは大事だなと思いましたし、今なおこの世から争いはなくならず差別も弾圧もなくなっていないわけで、でも愛によって生きていきたいよな、とか考えて感動したのでした。
 力のこもった、いい舞台だったと思います。

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Mono-Musica『BROTHER MOON』

2014年03月23日 | 観劇記/タイトルは行
 パフォーミングギャラリー&カフェ絵空箱、2014年3月23日マチネ。

 聖ステファン学院、大学進学を志す男子生徒たちが集まる全寮制のギムナジウム。卒業を控え、自分の将来を決める岐路に差し掛かった最上級生たちは、長い時間をともに過ごした友人たちとも離れ、これからはそれぞれの道を歩むことになる。自分の望むこと、望まれていること、望んではならないこと。この温かな場所を捨て、見据えなくてはならない新たな世界。やがてほんの些細な嘘と罪が、四人の歯車を少しずつ狂わせてゆく…
 脚本・演出/ヤマケイ、作曲/橋本かおる、振付/MIKU。全1幕の音楽劇。

 2004年に結成された女性キャストだけのオリジナルミュージカルを上演する劇団だそうで、知人に誘われて覗いてきました。
 私は日生とか帝劇とかでやるグランド・ミュージカルが好きで小劇場系はまったくくわしくなく、宝塚歌劇以外の男役を観ることにもなんとなく気恥ずかしさを感じるので(例えば私はOSKは微妙だった。スタジオライフもダメだった…)、誘ってもらって暇で安価でなければきっと行かなかったろうと思うのですが(すみませんすみません)すっごくよかった、おもしろかったです!
 誘ってくださった方によれば前回公演もすごく良くて、それはまた全然違った演目だったんだそうです。すごいなあ、興味湧きました。

 今回の演目は男役四人のみのギムナジウムものです。こういう言い方はアレかと思いますがあえて言うと、萩尾望都『トーマの心臓』とか竹宮惠子『風と木の詩』のエピゴーネンって世の中に腐るほどあると思うのですが、一定のクオリティに達しているものはごくわずかだと思いますし、これはその数少ない例外だと思いました。
 ちなみに本当のところは違うのかもしれません、まったく別のところから着想されたものなのかもしれません、それは知らない。でも今のこの年代の創作物でコピーのコピーということはあってもまったく無関係なんてことはありえないのではないでしょうか。その意味でもあえて言います。
 でもとてもちゃんとしていました。この舞台設定、この世界観で、でもきちんとオリジナリティがあり、役者のニンに合わせたキャラクターが描かれていて、きちんとした台詞で構成されていました。
 どのレベルかって言ったらこの言い方もまたまたアレですが上田く~みんレベルですよ。世の中にはきちんとキャラクターが作れてきちんと台詞が書ける書き手はけっこういるのかもしれませんよみなさん! 狭いところであの人だけを絶賛している場合じゃないのかもしれません! てかホントちゃんとして歌劇団!!
 脚本がしっかりしていたのはもちろん、演技もとてもしっかりしていました。ハコが小さくて舞台と客席の距離が近かったけれど、決してナチュラルな芝居ではないので、もう少し引いて観たかったかな、と思ったくらいです。
 男役に対する気恥ずかしさは当初こそありましたが、すぐ忘れてお話に没頭できました。そこまでスターシステムにはなっていないのだろうし、なっているのだとしてもそれは私が知っているものとは違うのだろうし、とにかく役者が演じている役がちゃんと立っているんだからなんの問題もなかったのでした。

 ボーイソプラノのソリストとして演奏活動を始めているルカ(MIKU)。
 ガリ勉ではないのに成績優秀で卒業生総代になる予定のマルコ(杏)。
 優等生で医師志望で、でも養家の要望で士官学校に進学予定のヨハン(弥生)。
 財産家の跡取り息子で幼なじみとの婚約も決まっているレビ(マナ)。

 だんだんにキャラクターと関係性とその奥の想いが見えてきて、複雑に絡み合っているのがわかってきて…今ちょっと自分が個人的に人生に疲れているので、こういう思春期特有の「いかに生きるべきか」みたいな悩みがちょっと可愛らしすぎて見えなくもなかったんですけれど、でも誰にでもある、あった、切実な悩みで、やっぱりせつなくて愛しくて…
 単純なハッピーエンドでもないし悲劇とも言い切れない、みたいな感じがよかったです。あと不必要にBLっぽすぎないのもとてもよかった。
 友情であれ愛情であれ人の想いというものは多かれ少なかれ一方通行の片想いなのかもしれないなあ…なんてことを考えたりもしました。そして何ものにも縛られず完全にひとりで生きていくことなんてできない。何かを抱えながら、何かに絡まりながら、生きていくものなのかもしれないな人生って…とか、とか。
 そんな余韻も残す、美しい舞台だったのでした。満足。



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