駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

今週の言葉

2010年05月31日 | MY箴言集
やわらかな夜に ひとり
手紙を書いています
葉桜の頃 過ぎて
夏の気配

語りつくせずも 今宵
再び筆をとる
君への思いの丈
終夜


     元ちとせ『夜に詠める うた』(詞/K・Y・O・K・O)
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宝塚歌劇星組『リラの壁の囚人たち』

2010年05月28日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 日本青年館、2010年5月25日マチネ、26日マチネ。

 1944年、ドイツ占領下のパリの街は、夜には外出禁止令が布かれ、人々は自らの街を思うように歩くことすらできず、リラの花咲く春を迎えても陰鬱とした空気に満ちていた。とあるうらぶれた袋小路の中庭では、住人たちが閉塞感を抱えながら夜をすごしていたが、そこへ突然、ゲシュタポに追われたレジスタンスの男たちが、負傷した英国情報部員を連れて逃げ込んできた…
 作/小原弘稔、演出/中村一徳、作曲・編曲/吉崎憲治。1988年に月組で初演された故・小原弘稔作・演出の第二次世界大戦レジスタンスシリーズ三部作の第一作、22年ぶりの待望の再演。

 カナメさんの初演を観ていません。主題歌しか知りませんでした。

 再演希望が多かったというのも肯ける、深い、渋い、いいお話でした。
 決して宝塚歌劇を低く見ているわけではないのですが、男役の夢々しい美しさ、というものに立脚した物語ではないので、宝塚歌劇とは思えない深い渋い名作だ、よその小劇団が小さい劇場で公演していてもおかしくない芝居だ、と思ってしまいました。
 ショーアップされていますが(特にフィナーレは今回かなり新しく追加されたそうですし)、基本的には裏庭だけを舞台にした、非常に演劇らしい演劇ですからね。
 でも、20数年ぶりの再演、というのもまたふさわしい気がしました。
 しょっちゅうしょっちゅう繰り返し再演される、というのもちがう気がするのです。
 観た人が、
「よかったね、いつかまた観たいね」
 という想いをまたずっとずっと長い間胸に大事にしてきて、そしてまたずいぶんと経ったときに再演される…そんな感じがふさわしい演目なのではないかしら、とも思いました。
 重いからつらい、というのとはまた別に、です。
 何度も何度もやったら、損なわれてしまう…そんなはかなさ、美しさが、あるように思えて…

 さて、「天然のタラシ」とも言われるエド(鳳稀かなめ)。
 初演のカナメさんとはニンが似ていそうな、でもテルの方がもうちょっとだけ優男かなー。やはりカナメさんへの当て書きだったのかも、とちょっと思いました。好演していたと思うんだけれど、テルだったらもっと輝く役が別にあるな、と思えてしまった。
 しかし罪作りな優しさは朴念仁と決まっているイギリス人とも思えないわー。フランス人だというお母様の血なのかしら(^^)。そしてこの感じはもしかしたら本物の男優さんでは意外に成立させられなくて、だから宝塚でやってこその演目なのかもしれませんね。
 ちなみに初見時はあの見づらい青年館で3列目上手通路際という絶好のポジションで、客席から登場のテルちゃんをそれはそれは間近でまじまじと見られたわけですが、舞台に上がってからの方がスタイルがよく見えるのはなんのマジックなんだろう…イヤもちろん素でも素敵なのですが。
 幕開けとラストシーンは16年後。もうちょっと渋く作ってもいいかもね、と思いました。髭は素敵でしたが。
 英国陸軍の武官として今もがんばっているのでしょう、子供ふたりにも恵まれ、穏やかな家庭を持っているのでしょう。それも素敵なことです。この裏庭のことは片時も忘れたことはなかった、それでもだから今もひとりだ…なんてのはちょっと哀しすぎるので。そこも、作者の優しい、深いまなざしを感じました。

 ヒロインのポーラは白華れみ。
 花組に組替えになって次期トップ娘役候補かと思われていたのに、すでに同期の夢咲ねねがトップ娘役を務めている星組にまたしても組替えと、歌劇団の意図を疑う荒波にもまれていますが、テルとは映りが良くて美しいコンビでしたね。
 ただし私は個人的にはあまり好きなタイプではないのだった…年末のタカスペのときは可愛いなと思ったんだけれど、なんかやや歯が出ているのが気になるし、ぶっちゃけ今回の役がぴったりすぎで、そして私はポーラが好きか嫌いかと言われれば、すみません好きじゃないかもね、としか答えられないからなのでした…
 イヤいい子なんですよポーラは。戦争で不具になって人が変わってしまった婚約者に仕えて、愛しているから愛してほしい、一言でいいから優しい言葉をかけてほしいと願っていて、でもずっとずっと言えなくてただひたすら耐えて、待って、待つことに慣れてしまった不幸な娘…
 わかるんです、そのありかたも、つらさも。だからこそ目を背けたくなるのかもしれない…
 ぶっちゃけエドが、何故マリーじゃなくてポーラを好きになるのかはやや不可解なんだけれどね(^^;)。マリーも同じくらい同じように不幸ですからね。

 というわけでこの物語の軸はポーラの婚約者ジョルジュ(紅ゆずる)にあるわけです。
 バウ公演よりだいぶ抑えたという演技ですがそれでもキレキレ。でも私はこれくらいでいいと思いました。ホントは4年もグレ続けるのは疲れるし、そうそうできないもので、もっとおちつくか別の段階に進んでしまう方が自然だと思う。でもお芝居としてはこの段階の状態を見せる必要があるのだと思いますしね。
 彼は自分以外の何もかもがとにかく憎いのだ、と最初は思えました。しかしやがてドイツ軍の方がより憎いのであり、その前にはフランス人をかばったり肩入れしたりすることもできるのだ、と見えたときに、泣きそうになりました。エドが歌い出したフランス国歌に最初に和するのは彼なのです。
 エドは裏庭から脱出できずに
「まるでリラの壁に囲まれたこの庭の囚人のようだ」
 と嘆くのですが、ジョルジュは自分の周りに高い壁を自分で作ってしまうのを自分でも止められず、その中で囚われている自分を嘆き泣き叫び絶唱します。泣けました…フィナーレで晴れやかに踊るベニーを観られてどれほどほっとしたことか!
 ポーラには死亡フラグが立っていたけれど、ジョルジュにもまたそういう運命が待っていたわけで、それを救いとか解放とか呼びたくないのだけれど、父親のルビック医師(にしき愛)に抱きしめられてこときれているジョルジュにただただ涙です。ポーラとちがって即死だったところもまたなんとも…
 初演はノンちゃん。それはそれはまた上手かったことでしょう…!

 パンフレットで剋目したのはみやるりちゃんのギュンター・フォン・ハイマン大尉(美弥るりか)でした。美貌だけれど好みのセンではなかったのですが、とにかく美しさが目を引いたし、舞台でも決して書き込まれた役ではないのですが、やたらと注目してしまいました…
 「結婚しよう」ではなく「世話をしよう、面倒を見よう」としかマリー(音波みのり)に言えなかったのは、マリーを愛していなかったわけではなくて、ナチスの将校としてフランス人に対する人種差別意識があったりとか、故国にドイツ貴族の婚約者とか妻とかがいたのかもしれません。でも彼は確かにマリーを愛していたし、マリーにある程度は愛されていたと思っていたわけです。そしてマリーも自覚がきちんと追いついていなかったにせよ、ギュンターをある意味きちんと愛していたのだと思うのです。ただ彼女も幼く、また人種差別意識があって、「こんなのは愛じゃない、気がする」と思ってしまっていたのでしょう。
 そこにエドが現れて、波風を立ててしまった…
 連合軍がパリを解放して、ドイツ軍は撤退し、ギュンターはドイツに撤収しました。将校だった彼にその後どんな運命が待っていたのか、少なくとも彼はパリには戻らなかったようです。
 マリーが16年後もこの裏庭でキャバレー「パラディ」を継いでいたのは、別にギュンターの帰りを待っていたからではなかったかもしれない。エドの再訪を待っていたわけでもなかっただろう。けれど彼女が「エド、結婚は?」と聞いたのは、彼女はきっといまだ独り身なんだろうなと思わせます。それは決して不幸を意味しないけれど…すごい台詞を書くなあ、すごい芝居を作るなあ、と作者に敬意を感じざるをえないのはこういう瞬間です。

 ポーラに横恋慕しているジャンの壱城あずさも、とても嫌な男の役を好演。
 ポーラの父ロジェ・モランの美城れんも渋いわ上手いわですばらしかったです。
 それからエドのレジスタンス仲間ピエールの天寿光希が体型の補正がすばらしくて、ホントに刑事ドラマに出てきそうな若いゴツい男って感じでこれまたすばらしかった。

 ノルマ役の白百合ひめの声が星奈優里ちゃんに似て聞こえてときめきましたが、この公演でご卒業とのこと。残念です。
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宝塚歌劇宙組『TRAFALGAR/ファンキー・サンシャイン』初見雑感

2010年05月24日 | 観劇記/タイトルた行
 宝塚大劇場、2010年5月21日ソワレ(初日)、22日マチネ。

 ヨーロッパの大国が制海権を巡って熾烈な争いを繰り広げていた18世紀後半。ナイルの戦いでフランス軍に圧勝したホレイショ・ネルソン(大空祐飛)は英雄としてロンドン市民に迎えられる。だが息つく暇もなく次の任務が下る。ナポレオン・ボナパルト(蘭寿とむ)率いるフランス軍に屈しようとしているナポリ王国から、地中海艦隊への支援を取り付ける必要があるのだ。ナポリに駐在するウィリアム・ハミルトン郷(北翔海莉)はホレイショの友人だった。国王臨席のパーティーで、ホレイショはウィリアムの妻エマ(野々すみ花)と出会う…
 作・演出/斎藤吉正、作曲・編曲/寺嶋民哉、太田健。副題は「ネルソン、その愛と奇跡」。

 微妙にネタバレで語らせていただきます。

 初日は…
 まず「序」の場面での説明台詞が早口すぎてまったく聞き取れないのに不安になり、カッコいいだろうと想像してはいたプロローグ(第1場A)はなんかバタバタしていて不安になり…生徒も見てキャラも見てお話も追ってなので、こちらが忙しいというのもあるんだけれど、とにかく総じてバタバタして見えて、緩急もなくツボもなく進み、終わり、
「…ま、伝記ものってどうしても駆け足になりがちだよね…」
 と苦笑する、という感じでした。

 もちろん金髪に軍服のビジュアルはそれだけですばらしい。
 でも、でも、それだけじゃね…
 一番心惹かれたのは、ホレイショと義理の息子(妻ファニーの連れ子)ジョサイア(愛月ひかる)との「なさぬ仲の父と息子のドラマ」、とかじゃダメだろう!と思うワケですよ…

 二日目のマチネは、生徒もおちついたのかこちらもわかってておちついて観られるからか、
「もしかしたらこれはこれでまあまあがんばって作られた、まあまあの佳作かな」
 と思えるようになってしまうから、怖いというかマズいのだと思いますが。
 まあでも芝居は明らかに締まってきていたし、こうやって舞台は進化・深化していくものなのでしょう。
 『シャングリラ』同様、またブツクサ言いながらも意外に通ってしまうかもしれませんしね…ま、でも『カサブランカ』越えはないな。

 あと、美術や装置や照明が今後大きく変わることはないと思われるので、そのあたりの不安は残るままかな…なんか安っぽく見えたんですよねー。
 あとあの映像使い。エンドマークはよかったけれど、他は異論アリ。
 まずオープニングの、キャスト・クレジットを映画ふうに見せるやつ。
 最近の舞台ではとてもよく見ますが、私は舞台は舞台なんだからと思うので、好きじゃないです。まあ今回はカッコいいから百歩譲って許してもいい。
 しかし歌詞に獅子が出ているからといってライオンを映し出したりするのはやめてくれ。それこそそのイメージを芝居で観客の脳裏に表せてこその舞台演劇だろう。
 ラストのホレイショの肖像もあまり意味がない。ロビーの写真ですか?てなもんで失笑ものです。改善してくれないかな…

 全体的な脚本の改訂案としては…
 やはりあれこれと詰め込みすぎだと思うので、もう少し絞れ込めないものだろうか、と思います。

 私だったら、たとえば、ホレイショとエマとウィリアムとファニー(花影アリス)の四角関係に的を絞っちゃうけれどな。みっちゃん、よかったもん。
 だから、ウィリアムをまゆたんにする。で、がっつりメロドラマをやってもらう。
 二番手をナポレオンに当てるから、彼の側のドラマも描かなくてはならなくなって、彼が出世していく様子とか変質していく様子とかを一生懸命見せようとしているんだけど、観客もやっぱりそこまでは追いきれないと思うんですよねー。
 ジョセフィーヌ(五峰亜希)にマユミさんを専科からわざわざ呼んだのなんか、ホントに無駄になってるもん。『HAMLET!!』のガートルードの方が全然よかったもん。
 ジョゼフィーヌに対抗意識ありありのナポレオンの妹ポーリーヌ(大海亜呼)とかはすっごくよかったんだけど、やっぱり枝葉なんですよね。
 ナポレオンの弟で腹心、でもなんかいわくありげな腹黒そうなムードがとてもよかった、でもしどころのないリュシアン(春風弥里)なんかにみーちゃんとかを当てておくのももったいないワケですよ。

 だから二番手にはメロドラマでの主人公のライバルを演じてもらって、お話の基本はこちらに置いて、戦争のライバルであるナポレオンは最後の最後に出てくるだけにして、スッシーさんとかアモタマさんの役にするか、いっそ大ちゃんとかの若手に振るか、とかでいいと思うんですよねー。

 ホレイショとウィリアムの友情ってのもどれくらいのものなのかよくわからなかったので、それを掘り下げるのに浮いた時間を割いてもいいと思いますし。
 ホレイショはウィリアムをファーストネームで呼んだり「ハミルトン郷」と他人行儀で呼んだりします。ニュアンスの差が出ているんじゃなくて、脚本が無頓着なだけなんですよね。でもそういうことじゃダメなんです。単に観客がキャラの名前が覚えられなくて混乱するというのもあるけれど、呼び方は関係性を示すとても重大なファクターですよ。
 おそらくは既婚婦人層が最大の観客だろうから、不愉快に思われないためにもこのダブル不倫劇は丁寧に見せないと…
 ちなみにトマス(悠未ひろ)もハーディーと呼ばれることも多くて混乱してよくなかった。ただしこれはホレイショだけがトマスと呼んでいる感じもしたかな? 「ル・サンク」が出たら吟味しないと…トラファルガー海戦では負傷して一線を退いているホレイショに替わって提督になっていて、「ハーディー館長」とか呼ばれて困る、みたいなのはいいエピソードだけに、普段から呼び方にはこだわってほしいのです。

 脇筋では…
 私はちーちゃんがひいきだから、というのもあるけれど、「ホレイショを仇と狙うナポレオンの部下」オーレリー(蓮未ゆうや)ってのは『シャングリラ』の雹に続きおいしい役になりそうだな!と思っていたのが肩すかしで、これまたなんとかしたい。
 まず仇討ちの理由が弱い。戦争なんだから、ホレイショに殺されたフランス人なんか山ほどいるし、仇はホレイショってよりむしろイギリス軍でしょ。そんな嘘くさいドラマには乗れない。もっとなんか個人的怨恨をうまく作りたい。

 それからナポレオンの愛人なのかも?とも思わせるミラノ・スカラ座のプリマドンナ、ジュゼッピーナ(純矢ちとせ)がオーレリーとともにスパイとしてロンドンに送り込まれるんだけど、ほとんど何も活躍しないのももったいない。ここにももっとなんかドラマが欲しいですよねー、特に女スパイには色仕掛けで主人公に近づくお約束がないとつまんないよね!
 オーレリーには復讐を果たす活躍場面?が一応はあるのですが…しかしホレイショの小姓トム(凪七流海)は主人をかばってオーレリーの弾に当たって死ぬものとばかり私は思っていましたよ…ははは。

 ホレイショの副官トマスは楽しそうにやっていたしよかった。ホレイショをその腕の中で死なせてよかったネ(^^)。
 ホレイショの盟友ヘンリー王子(十輝いりす)はしどころのない役だったけど、これは仕方なかったかな…ただ、航海王子とも呼ばれた人ではありますが、一応王族なんだし、別誂えの軍服を着せてもよかったかも。背が高いからわかるとはいえ、ときどき埋もれて見えてかわいそうでしたよ…
 ホレイショの部下アルバート(鳳翔大)、ジュリアン(七海ひろき)も、まあこういう役はこんな程度なんだけど、特に大ちゃんはビジュアルが決まりまくって目立っていたので、それでいいんじゃないでしょうか(^^;)。

 娘役陣も、ナポリ王妃マリア・カロリーナ(鈴奈沙也)とか、その侍女ソニア(琴羽桜子)とか、エマの侍女ジゼラ(藤咲えり)とか、ファニーの侍女ミリー(綾音らいら)とか、ホレイショの娘ホレイシヤ(すみれ乃麗)とか、まあみんなあんなもんでしょ、仕方ないよねという感じ。
 やはり儲け役はジョサイアだったと思うなあ…あいくんもひいきなんで全然いいんですけれど。

 というわけで本筋ですが。
 戦争は天才的なんだけど無骨で不器用で意外に人を見る目がない生真面目なヘタレ、ホレイショのユウヒ…いいんじゃないでしょうか(^^)。甘くてすみません。
 着替えの時間が取れないから仕方がないんだけれど、第6場、反乱に荒れるナポリにエマを救いに行くシーンは、ヘンリー王子の許可が出ずに個人として行動しているんだから、軍服ではなく私服にさせるべきでしたよね。でもあのマントに私も隠されたいよ…そして第6場Bの唯一の私服はスカーフなのかインナーなのかよくわからなかったけど喉元の色が変でした…「世紀をまたぐキス」は素敵だったけど。ちなみに軍服は第9場の赤と金のものが一番好きだなー。でもトラファルガー決戦での帽子も素敵だったなー。ちなみに一瞬だったけど銀橋でのまゆたんナポレオンとの火花散るチョウチョウハッシはよかったなー。
 婚約者に借金のカタにその伯父に売り飛ばされた娘、寂しさを隠すために陽気な社交界の華ぶっていたハミルトン夫人エマのスミカ、これもまったくもって問題なかったです。歌もかなり健闘しているかと。
 これまた冷めた夫婦関係に悩む妻ファニーのアリスは、最初のうちはラブがあったのかとかそもそもの原因がなんなのかとかがあまり語られないのでなんとも言えませんが、掘り下げたいところ。「私はレディ・ネルソンになれていたのかしら」はなかなか深い台詞でした。
 そしてみっちゃんはすばらしいよ! 最初は余裕を持って妻の浮気を見守っていた感じとかが出るともっとイヤらしくなってさらにイイと思います(^^)。

 だが…やはりつっこんでおこう。
「どんだけぬくいねん!」
 と…

***

 えーと、『ファンキー・サンシャイン』については…
 私は『ハイパー・ステージ!』が大好きだったので、プロローグはインカムつけてるもんだとばかり思っていましたので、残念でしたってのと、ポンポンも欲しかったかなってことで。
 パンフレットの黒が効いたお衣装の方がよかったかなーというのもありますが…

 えーとあとは、お天気レポーターの黒縁メガネ姿もとても素敵ですが、いつか瓶底メガネにしていただきたく、ってのと…
 そのあとのカチャーシャは微妙に笑えないんでどうなんだろうってのと…
 中詰があんま詰まってないんだよねってのと…
 とにかくまゆたんがショースターっぷりを発揮してくれているのでなんとか保ってるよね、ってのと…
 三組のデュエダンはとても素敵だけど、いつリフトが揃うのかね、ってのと…

 くらいでしょうか。

「宙組で大空祐飛だからソラでソーラー・パワーね」
 って、石田先生も小柳先生も変わんないんだなってことですよね…

 とりあえずおしまい。
 また二週間後にお茶会合わせで下阪します!
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今週の言葉

2010年05月24日 | MY箴言集
黒いドレス 精一杯着飾ったのに
外は雨 だいなしだわエナメルの靴
はだしで踊ってこまらせてあげる
人の視線 気にする人だから



   『今夜はソフィストケート』(Song by松田聖子)
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『絹の靴下』

2010年05月20日 | 観劇記/タイトルか行
 青山劇場、2010年5月17日マチネ。

 東西冷戦さなかのバリ。ソ連芸術の偉大さを示すために派遣されていたロシア人作曲家ボロフ(渡部豪太)は電報を受け取ってあわてていた。彼を連れ戻しにモスクワから使者(戸井勝海、伊礼彼方、神田恭兵)がやってくるというのだ。ハリウッドの敏腕プロデューサー・スティーブ(今村ねずみ)はボロフの音楽で映画を作るため、あの手この手で使者を引きとめる。ソビエト政府は最後の切り札として、「最強の模範共産党員」ニノチカ(湖月わたる)を送り込むが…作詞・作曲/コール・ポーター、脚本/ジョージ・S・カウフマン、ルイーン・マクグラウ、エイブ・バロウズ、演出・訳詞・上演台本/荻田浩一。原作は1939年公開のグレタ・ガルボ主演の映画『ニノチカ』、1955年ブロードウェイ初演。日本初演。

 古式ゆかしいロマンチック・ミュージカルで、甘く優しい楽曲の数々はいかにもザッツ・コール・ポーター。上手く脚韻を踏ませた日本語歌詞も聞き取りやすかったです。
 これまたやや長く感じましたが、楽しかったです。

 キャストで絶品、出色だったのはハリウッドのお色気女優ジャニス役の樹里咲穂でした。ニンとはちがうかもしれない、キュートでセクシーで教養がなくて手練手管はある美女役を、とても楽しそうに演じていました。かわいかったなあぁ!
 なんで助演ばっかりなんだろうなあ、やっぱり宝塚現役時代にトップスターを張っていないということがネックなのかなあ…ともあれいい女優さんです。

 他のキャストも、アンサンブル含めて好演なのですが、唯一よくわからなかったのが今村ねずみでした…
 ダンサーだから、というキャスティングだったのかもしれませんが、そんなに激しく踊るタイプのものではないし、なんか浮ついたセリフまわしが気持ち悪くて、ただでさえスティーブというのはただの山師ギリギリのところがあるわけで、ニノチカに対して本当に本気で恋しているのかとかがまったく見えず、不安でした…
 ワタルより背が低いのはギャグになっていたしいいんだけれど、もっと別のキャスティングがよかったんじゃないのかな…

 それから、派手で素敵なフィナーレ・ナンバーがついているせいかもしれませんが(ワタルとジュリちゃんが白燕尾に白パンツで踊りだした時にはなんてサービス!と思いましたし、パンツ引き抜いてダルマになったときにはさらにきゃあ!でした。しかしジェンヌはみんな美脚だが胸が今ひとつ残念なんだよね…)、お芝居のラストはわかりづらかったです。え?これでハッピーエンド?みたいな。
 今だからこそファンタジーに見える、とオギーはパンフレットで語ってはいますが、ナチスドイツほどではないにしてもソ連時代の大変さというのは笑うにはやや重い気がしました…あるいはそれは、私が社会主義思想には一理あると思っていて、ただ人間の方がそれを実践するには幼すぎたがゆえに成功しなかったんだと思っているからかもしれないのですが。
 つまりこのお芝居では、コメディだからというのもありますが、「ソ連のやり方のひどさ」というのがそんなに強く出ていなかったので、下手したら義務とか全部捨てて逃げ出そうとしているニノチカたちがただのわがままでダメな人間に見えてしまう危険があるかな…という点が引っかかったのでした。
 映画公開時は、完全に東側を敵国・悪者扱いして笑っていてすんだと思うんだけれど、いまや「価値観のちがう人と付き合えるか」が大事な時代でもあり、そんな一方的なことは許されないと思うんですよね。スティーブの儲け主義で著作者を軽んずるちゃらんぽらんさはもっと糾弾されるべきだし、ニノチカがスティーブによって変わっていくのと同様にスティーブもまたニノチカによって変わらなければ公平ではないのです。浮ついた業界人だった彼がニノチカの純粋さによって真の愛を知る…という描写は必要だったのでは?

 それから、タイトルは『シルク・ストッキング』の方がいいと思うけれどな…「靴下」ってやっぱりソックスのことでストッキングじゃないもん…
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