駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

新国立劇場バレエ団『こうもり』

2009年11月30日 | 観劇記/タイトルか行
 新国立劇場オペラ劇場、2002年9月26日ソワレ。
 所はウィーンもしくはブタペスト、とにかく昔のオーストリア・ハンガリーの首都。典型的なブルジョワ風の住まいで、つつがない日々の暮らしにベラ(アレッサンドラ・フェリ)はちょっと倦怠気味。夫のヨハン(マッシモ・ムル)は夜になるとこうもりに変身して遊びに出かけてしまう始末。夫妻の友人ウルリック(ルイジ・ボニーノ)がベラにした助言とは…振付/ローラン・プティ、音楽/ヨハン・シュトラウスⅡ、舞台美術/ジャン=ミッシェル・ウィルモット、衣装/ルイザ・スピナテッリ。管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団、全2幕7場、1979年初演。
 何故かオペレッタのバレエ化演目が続いてしまいました。ウィンナ・ワルツに乗ったラブ・コメ、という点も同じ。しかもフェリ。いやあ、チケットを取ったときには気づきませんでした。こちらも楽しかったです。
 『メリー・ウィドウ』に比べるとこちらの方が大人っぽいというか、若々しさには欠ける感じ。何しろ主役カップルが見事に美形中年(失礼!)で役にピッタリという感じで、5人も子供がいて納まり返っていてもいいのに夫婦ともどもまだまだ色気が抜けないふたりのミドルエイジ・クライシスの物語、なんですもの。でも「道徳的ではない」とプティが語るほどではないと思います。いくつになっても冒険心や遊び心は持っていていいものだろうし、それを夫婦で楽しむのがベストなのではないでしょうか?
 あまり組んで踊るシーンがなくて、ベラもヨハンもひとりでのびのび凛々しく踊ってかっこいいこと。ウルリックもコミカルででも上手くて場をさらいました。王子様でない、二枚目でない、若きダンスール・ノーブルでない、でもめちゃくちゃ上手い男性舞踊手、素敵です。ギャルソン(メインは奥田慎也)、チャルダッシュもよかった(メインの男性はマイレン・トレウバエフ)。
 舞台と衣装がスタイリッシュで美しかったのも特筆。グランカフェのシーンでは場面は赤、ギャルソンと紳士が黒い衣装、淑女方は赤い衣装、ベラは黒。仮面舞踏会のシーンでは場は赤と黒、紳士は赤やピンクの燕尾、淑女は白のドレス、チャルダッシュのメンバーはブルーグレー、ベラは赤でした。そして、最初と最後でベラは紺のドレス。かーっこいーい。
 初めて行った劇場でしたが、新しくてきれいで、それにも感心しました。
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アメリカン・バレエ・シアター『メリー・ウィドウ』

2009年11月30日 | 観劇記/タイトルま行
 東京文化会館、2002年9月18日ソワレ
 舞台は1905年のパリ。バルカン半島の小国ポンテヴェドロ王国は深刻な財政危機に襲われていた。パリ駐在公使ミルコ・ツェータ男爵(ヴィクター・バービー)とそのフランス人妻ヴァランシエンヌ(パロマ・ヘレーナ)は舞踏会の準備に忙しい。そこへ、最近夫を亡くした若く美しいポンテヴェドロ人女性ハンナ・クラヴァリ(アレッサンドラ・フェリ)の舞踏会出席の知らせが届く。彼女が外国人と再婚すればその財産は国外に流出してしまうため、公使は筆頭書記官のダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(アンヘル・コレーラ)を彼女に印象づけようとするが…音楽/フランツ・レハール、原台本/ヴィクトール・レオン、レオ・シュタイン、振付/ロナルド・ハインド。75年初演、全3幕4場、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。
 その昔、ABTで『ジゼル』を観て、ガチャガチャした色合いの衣装とばらんばらんのコール・ドにあきれ、バレエ・ブランをアメリカのバレエ団で観るのはもう止めようと決心したものでしたが、今回は同名のオペレッタと同じく「古き良き時代のラブ・コメ」といった演目で、楽しく観られました。
 あいかわらず群舞にそろえる意志すら見られず、もうちょっときれいにやってもいいんでないかいなと思わせられましたが…衣装は派手で豪華で良かったです。
 私はなんだかんだ言ってバレエは結局『白鳥の湖』が一番好きだったりするんですが、でも、こういう明るく楽しいバレエもいいな、と思いました。
 細かいマイムはどうしても我々日本人には理解しがたく、パンフレットであらすじを読んでおかなければ細かい筋はわかりづらかったと思いますが、若かったころ一度は愛しそして別れた相手と立場を変えての再会、回想と感傷、恋と打算の駆け引き、嘘と偽り…というような心の動きは十分伝わります。特に回想シーンのパ・ド・ドゥは、オペレッタ版で有名なアリア「ヴィリヤの歌」を使って甘くロマンティックに踊られ、ウットリしてしまいました。
 ダニロを演じるはずだったフリオ・ボッカが足の負傷で来日を中止、変わったコレーラはやや小柄すぎたかな。ヴァランシエンヌがものすごく生き生きしていて良かったこともあって、その愛人カミーユ(マルセロ・ゴメス)の方が目立ってしまっていたかもしれません。ところでこのカップルはこのあと駆け落ちでもしたのかしら…ツェータ男爵がいい人っぽかったのでちょっと哀れだったかも…
 気になったのは各幕が短く、休憩は長く感じられたこと。衣装替えやセット替えの問題もあるのかもしれませんが、2・3幕はノンストップでできないもんかなー。やや間延びして感じられました。
 蛇足ですが、パンフレットではジュリー・ケントの写真が多く使われていて、これがまた美人なんだ! というか私はこういう顔が好きなんだが。ちょっと、宝塚歌劇団元雪組トップ娘役月影瞳を思わせました。ははは。
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宝塚歌劇雪組『追憶のバルセロナ/ON THE 5th』

2009年11月30日 | 観劇記/タイトルた行
 東京宝塚劇場、2002年9月8日ソワレ。
 1800年代のスペイン。バルセロナの貴族アウストリア家の長男フランシスコ(絵麻緒ゆう)は親友のアントニオ・ヒメネス(成瀬こうき)、婚約者のセシリア・オリバレス(白羽ゆり)とともにカーニバルを楽しんでいた。だがフランスがスペインに宣戦布告し、フランシスコは召集される。抗戦虚しく、スペインはフランスの支配下におかれ、重傷を負ったフランシスコはジプシー娘イサベル(紺野まひる)に命を救われる…作・演出/正塚晴彦、作曲/高橋城。
 正塚先生らしい芝居でした。やっぱりファンだわあ。
 大劇場作品、お披露目公演にして退団公演ということを意識して、なるべく派手に華やかにとダンスシーンや大立ち回りを導入したようですが、基本的には脚本が良くて台詞に力があるので、ストレート・プレイ向きの作家さんなんですよね。でも歌詞も上手いんだよなあ…「愛」に関する観点がややずれている座付き作者も多い中、やはり宝塚歌劇団にいてもらわなくてはならない、貴重なミュージカル作家さんだと思います。
 東京公演では大劇場公演に比べてだいぶ台詞が書き足され、より脚本が練り上げられたそうですが、やろうとしていることがすごく良く思えただけに、もうひとつふたつ言葉を足してよりわかりやすくしてほしかった、と思えたところがまだいくつかありました。脚本にアカ入れしたいよ…
 宝塚歌劇ほぼ初見という友人ふたりを連れていっての観劇だったので、気に入ってもらいたい、これでわかってもらえるだろうかと不安に感じすぎたのかもしれませんが。彼女たちはおもしろがってくれたようなので一安心ですが、個人的にはもう少しじっくり見せてもらいたいやりとりがあったことは事実です。
 でも、おもしろかった。キャラクターが多彩で、筋に起伏があって、ハッピーエンドで、エンターテインメントの王道でした。
 正塚作品のいいところのひとつが、キャラクター造型です。なんというか、みんな気持ちのいい人間なんですね。今回は特にアントニオ、ロベルト(朝海ひかる)、セシリアがよかった。あおりで、あまり書き込まれていない感のあるフランス軍大尉ジャン・クリストフ(貴城けい)まで何かありげな、妙に深い役に見えましたものね~
 しかし演技はスパイのイアーゴー役のマヤさん(未沙のえる)だけがひとりレベルのちがう芝居をしていて、さすがすぎるとちょっと絶句してしまいました。
 さて、まず、アントニオ。類型的にやろうとすれば、主人公のかつての親友で、それが敵側に寝返って、もともと横恋慕していた婚約者も奪ってしまって…というような悪役にしがちなところですが、正塚先生はそうはしないんですよね。
 アントニオは戦争前からそもそもフランスの共和制の理念に惹かれていたのであり、保身のためのみでフランス軍に協力しているのではなく、敗戦は敗戦として受け入れ、その中でただ死ぬよりもましだから、と生きる道を探している男なのです。現在の状況にただ甘んじるだけなら死んだ方がまし、と立ち上がって対フランスゲリラ戦を戦うフランシスコとは対立・葛藤がありますが、お互い認め合いもする訳です。そこがいいよね。セシリアに対しても、確かに昔からアントニオの方は想いを寄せていたふしがありますが、決して自分から好意を押し付けることはしませんでした。アントニオの説得でオリバレス男爵がフランスに恭順し、解放されたあとのアントニオとセシリアのシーン(第6場)は、せつなくていい名場面だったと思います。
 フランシスコの生死がまったくわからない中、セシリアの心がアントニオに傾いていくことは自然だったでしょう。アントニオを悪役にしてしまうと、セシリアは弱みにつけ込まれて結婚に応じた形になり、フランシスコと再会したときに別の意味で悲劇になってしまって、しかもそのときにはもうフランシスコにもイサベルがいたりする訳で(厳密に言うと、このときはまだイサベルの方に気があるだけで、フランシスコはセシリアがくれたロザリオを大事にしているし、だからイサベルもそんな気はないふりをしている。でもフランシスコの方にももうイサベルへの情はすでにあるんですね。この微妙な感情の力学!)、下手な作家が書くと結局セシリアを殺しちゃったりして解決させようとするんだけれど後味が悪くてすっきりしない、となるものなのですが、正塚先生はさすがです。アントニオがフランス軍に逮捕されて、セシリアはフランシスコに助けを求めますが、そこには過剰で厭らしい後ろめたさや罪の意識がありませんでした。よかったなああ。
 ロベルトもまた、パターンでいくとイサベルの兄貴分というか幼なじみで、ロベルトの方はイサベルが好きで、フランシスコと対立する…とかなんとかなりそうなものですが、一味ちがうところにまたシビれました。ロベルトには今は亡き恋人をまだ想っているようなところがあって、イサベルに対しては「惚れてしまえればむしろ楽」(細かい台詞回しはちがったかも…ああ、脚本が欲しい)という感じで、イサベルのフランシスコへのつっぱりを見守っていたような存在になっているのです。これはいいよね。処刑場での戦闘シーンで安易に死んだりしなかったのもよかった。ホントに、なんでもかんでも死にゃあ悲しいでしょ、感動でしょというような作りの作品は下の下だと思うよ…ロベルトに想いを寄せているエスメラルダ(森央かずみ)の細かいくすぐりエピソードも好感が持てました。
 相対的に、貴族のお坊ちゃまで誇り高くてまっすぐで、というキャラのフランシスコと、情熱的なジプシー娘でひたむきででも意地っ張りで、というキャラのイサベルは、普通で薄く見える形になってしまったかもしれません。これまた正塚芝居の特徴である「やせ我慢の美学」「ストイックな美しさ」を体現しているはずなんだけれどなあ。
 本当は役者の力で十分カバーできる程度の問題だったとも思うのだけれど、長身で手足が長く頭が小さいオッチョン(成瀬こうきの愛称)と並ぶとどうしてもブンちゃん(絵麻緒ゆう)の分が悪かったのは痛かった。マヒルちゃんは、5場Bなんかはもっとアピールできたと思うし、10場や16場も見せ場なのに駆け足で演じてしまっていてもったいなかったです。
 でもこの作品は、いつかまたどこかの組で再演されていい、非常に出来のいいお芝居なんじゃないかと思いました。
 グランド・ショー『ON THE th』は原案/小林公平、作・演出/草野旦、作曲/高橋城、振付/ランディ・スキナー他の、マンハッタン五番街をテーマにしたもの。街のスターとインディアン娘を軸にしたストーリーがあり、パレードのあとタップの総踊りで幕引きとなるちょっと珍しいパターンでした。
 ただ、いわゆる「セプテンバー・イレブンス」アメリカの同時多発テロ事件に結び付けたのはどうなんでしょう。そもそもそういう企画だったのでしょうが、ただニューヨークのすばらしさを謳いあげるだけでもよかったんじゃないでしょうかね。私は個人的には、第16~18場はともかくとして、19場の延々と続く「GOD BLESS AMERICA」が聞き苦しくて耐えられませんでした。あの飛行機を乗っ取った人たちもまた神の名のもとに行動していたのであり、神が恵みを垂れたもうのはアメリカ合衆国だけではないことは、神なき国の、あるいは八百万の神を奉じる我々日本人こそがよく知っている、知っているべきなのではないでしょうか。
 ここでもこれがサヨナラのオッチョンが大スパークしていました。ご卒業、おめでとう…
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レニングラード国立バレエ『華麗なるクラシックバレエ・ハイライト』

2009年11月30日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 ハーモニーホール座間、2002年7月13日ソワレ。
 ガラを観るのは久しぶりでしたが、親友に誘っていただいていそいそと出かけてきました。白鳥、眠り、ドン・キ、海賊、くるみ、ジゼルと非常にわかりやすい演目で楽しかったです。
 都心から離れたご当地ホールという感じの会場でしたので、地元の方らしき家族連れなどの観客が多く、幕が開いて「白鳥の湖」のコール・ドがすらりと並んでいる様に感嘆のさざめきが広がるなど、微笑ましい客席でした。
 やっぱりロシア・バレエはいいなあ。コール・ドの脛の長さ・美しさ・しなりかただけでもううっとりしてしまいました。ゲストの、あの美人の草刈民代の顔が大きく、足が短く見えてしまうのですから、やはりまだまだ彼我の差はなんとも…カーテンコールで少女たちがソリストたちに花束を捧げるセレモニーがあって、彼女たちの何人かはおそらく地元でバレエを習っている子供だと思うのですが、彼女たちの時代にはもう少し差は縮まっているのかしらん…
 以下、寸評。
 ラヴェルのピアノ協奏曲に乗って恋人たちの朝の目覚めを描く「タジラート」、素敵でしたが、草刈民代とミハイル・シヴァコフの息が合っていなかったような気が…もっと揃うとより美しくなったと思うのですが。
 全幕で観るのも大好きな「海賊」ですが、このメドーラ(オリガ・ステパノワ)、ダイエットの必要あり! バレリーナにあるまじき巨乳に最初は思わず見惚れましたが、アリ(ドミトリー・ルダチェンコ)がリフトでふらついていました。
 アクロバティックな「春の水」を踊ったエレーナ・エフセーエワ、プラチナ・ブロンドで色が白くて手足が長くて繊細で大胆で、まさにロシアの妖精といった感じでした。『SWAN』のリリアナってこんなかな? 2幕の「くるみ割り人形」のマーシャも良かったです。
 アダンの音楽が私はあまり好きではない「ジゼル」ですが、踊りはいいなあと再認識。アナスターシャ・ロマチェンコワのウィリーとなったジゼル、それを嘆き後悔するアルチョム・プハチョフのアルブレヒト、良かったです。
 「ドン・キホーテ」はバジル(ロマン・ミハリョフ)がバシバシ決めていたのに対しキトリ(オクサーナ・クチュルク)がやや不安定でもったいなかったです。結婚式を祝う娘たちの中で、本当に足音を立てずに踊っていたソリストがいて驚きました。すごい!
 男性同士のパ・ド・ドゥというような「スポーツのワルツ」、軽快で豪快でスポーティーででもあやしくて、良かったです。
 ああ、眼福、の3時間でした。
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西原理恵子『ぼくんち』

2009年11月28日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名さ行
 小学館スピリッツとりあたまコミックス全3巻。

 ぼくのすんでいるところは山と海しかないしずかな町で、はしに行くとどんどん貧乏になる、そのいちばんはしっこがぼくの家だ…今は亡き文芸春秋漫画賞受賞。
 2003年春の映画化に伴い全一冊になったコミックスも出たのですが、一色に落ちていたので、やはりもともとの三巻本を買いました。

 「絵本のような」この色彩の美しさは、そのほとんどがアシスタントと装丁家の手になるものだとしても、やはりこの作品の大きな魅力だと思うからです。
 最初に読んだときも衝撃を受けましたが、買って、読み返してみて、やっぱり言葉になりません。でもとにかくずっとずっと読んでいきたい作品です。

 好きはねえ、毎日ゆうとかんとかんじんな時に出てこんなるから。つらいけど、人はね、神様がゆるしてくれるまで、何があっても生きなくちゃいけない。そのうちええ天気で空が高うて、風がように通る、死ぬのにちょうどええ日がくる。それまでしんどい。誰か知らないだろうか、一番大好きな人をなぐさめる方法を。あんたが笑てくれたらワシ一生シアワセ。
 ぼくのすんでいるところは、山と海しかないしずかな町で、はしに行くとどんどん貧乏になる。そのいちばんはしっこがぼくの家だ…「ビッグコミックスピリッツ」の巻末に毎週1話2ページで連載された傑作。

 珠玉の、という言葉は…あたらないんだろうなあ。なんと評していいかわからない、言葉を失ってしまう名作です。
 ある人の言葉によれば、この作品は雑誌掲載時の、あの当時のあの雑誌であの位置に載ってるのを毎週読んでいた時空間の中でこそ真の輝きを見せた、ということですが、薄くて愛らしい寸法で天地や小口がきれいな色のグラデーションになった美しい造本のこのコミックスもまた、愛しくすばらしいと思います。
 やや露悪的というか、ブラックジョークというかギャグというかなのは最初の4話だけで、あとはもう…すみません、やっぱり言葉になりません。
 女性作家の手になるものらしく非常に美しい女性礼賛(これは母性礼賛とだけは言えないでしょう)があふれている作品ですが、1巻の後ろの方の鉄じいの台詞に、私は自分の父親をあらためて尊敬しましたよ。
「新聞が読めて、/九九ができればええ。」。
 私の父は私を大学まで出してくれましたが、その教育哲学は
「新聞が読めておつりの計算ができればいい」
 でした。掛け算ですらなかったんだよ、引き算で十分だったんだよ…
 いくぶんかは装丁家の手によるものなのかもしれませんが、非常に着彩のセンスが優れています。これも作家の故郷の海と山が育てたものなのでしょうね。各巻の口絵の、わんこの家族が増えていくのがすごく好き。真ん丸の目とギザギザの歯なの。でも表情がちゃんとある。すごい。
 ぼくの町が見えなくなって…二太、そんな笑顔で笑っちゃダメなのに。でも、これは笑うときなのだ。そんな中にも幸せはあるのかしら。でも神様が許してくれるまで、生きなくちゃいけないから。誰かに抱きしめてもらったことがあり、抱きしめてくれた誰かがいて、いつか誰かを抱きしめることがあるかもしれないから…アフリカのサバンナじゃなくても、ニューヨークのハーレムじゃなくても、砂漠の紛争地帯じゃなくても、生きていくことはきっと幸せで、しんどい。
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