駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

私の「大空さん」

2011年12月30日 | 大空日記
 というワケで節目でもあるので、一応語らせていただきます。
 タイトルは、プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』の「私のお父さん」のモジリとでも思ってください。
 すっかり精神的に依存しているツイッターですが、始めてよかったと一番思っていることは、もしかしたらこの「大空さん」という呼称を得たことかもしれない、と思っているくらいなのです。後述します。

 25日に千秋楽。
 26日には卒業を発表。
 27日には退団発表記者会見。
 28日には中日公演のお稽古開始…
 ファンを下手にやきもきさせたまま年越しさせたりしないようにという優しさなのか、はたまたただのドSなのか、いっそ潔いと言っていいくらいの事態の進み方が本当に「らしい」です。
 集合日もお稽古入り待ちは大変な人出だったそうですが、安心の通常営業だったそうで…あああ、あまりにもらしすぎるわ。
 27日に期日指定配達できちんと届けられる白封筒も素晴らしい。
 記者会見ラストの笑顔があまりに可愛すぎて、萌え笑いにちょっと涙がにじんだりしましたが、それくらいで、私、本当に全然泣いていません。

 思えば10か月前、『誰鐘』千秋楽のあと『ヴァレンチノ』集合日までの数日間の方が、全然怖かった。
 『美しきルナ』で卒業なら、発表はこのタイミングなんだ、と気づいてしまった瞬間から、肝が冷えるとは本当にこのことかというくらい体温下がって感じられたし、末端冷え性でいつも冷たい手先がさらに冷たくなりました。
 全然覚悟ができなかった。まだまだ足りない、観ていない、やめないでずっといて、としか思えなかった。本当に動揺しました。

 それから考えると、『クライマックス』もまたフェイントだったね、と笑うことを脳の片隅で期待していながらも、でも今回は全然おちついて迎えられました。会からのメールに心臓がちょっと跳ねたくらい?
 やっぱり、『クラナイ』がとてもよかったから。バランスが美しかったから。
 そういうのは長続きしない。長く続いたら駄目になる。
 禅譲すべき時は満ちた。早すぎるよとかなんでなのとかも、まだやめないのもういいんじゃないのとかも言われることなく、必然のように旅立てる、今なら…そう思えたのです。

 肩の荷が下りた、というのとも違う。ゴールが見えて安心した、なんてのは全然ないな。
 新しい作品が楽しみなことに変わりはないし、今まで同様通いまくるし、普通に応援し続けたい。
 本当にそんなふうにしか思えない。特別なことのように思えないし、喪失感も感じられない。なんなんだろう?
 長く愛しすぎていて、いろいろ麻痺しているのでしょうか?
 でもやまない雨はないし死なない人間はいないし、卒業しないジェンヌはいないですしね。イヤいろいろアレなたとえですみませんが。

 専科に移って残るようなことがなくてよかったな、とは思いました。個人的に、きちんと卒業はしてもらいたかったので。
 主演作に本当に恵まれたと思うから、特出で組の主演に割を食わせるような形の作品は観たくなかった。
 男役姿をずっと見続けていたいからなんとしても残ってほしい、みたいな考えもなかった。女優さんになってくれてもいいし、違った形の芸能活動をしてくれてもいいし、結婚しても一般人になってもとにかく全然かまわなかった。人が指図できることではないしね。
 本人が幸せでいてくれればいい。好きな人が幸せなら自分も幸せ、というのはこういう形の愛でないとなかなか成立しないものだと思うし、そういう関係が持ててよかったとしみじみ思うので。
 観られることが少なくなれば去るものは日々に疎しということはあるかもしれないけれど、それでも漠然とでも愛し続けられると思うから。
 卒業の日を境に自分が燃え尽きてしまうんじゃないかとか、ライトファンになるであろう自分の観劇ライフを心配したりとか、逆に次の恋は訪れるのかしらとかいつかしらとかそのとき罪悪感を感じたりするのかしらとかの心配も、とりあえずない。
 頭が回らない、思考停止しているのとは違うと思うし、単に問題を棚上げしているわけでもないんだけれど…その先の自分に無関心ということではなく、でもなんかとにかくそんな変わらないよ大丈夫、というよくわからない信頼感だけがある。
 自分の今のこの心理が自分で本当によくわかりません…
 私は事前に最低最悪ラインのシミュレーションだけは済ませておいて心の準備をしておいて、実際の現実に対してはごく粛々と場当たり的にこなしていく…みたいな生き方を主にしているのですが、この件に関しては特にそういうことをしていなくて、そしてそれで平気で済んでいる…
 本当に我ながら不思議です。
 でも、向こう半年も楽しみだな、その先も楽しみだな、としか思えないのです。うーむ。

 また都合よく日程的にいろいろなことがなんとかなりそうだから、強気でいられる、というのはあるかもしれません。
 しかし私は観劇歴は長いがメイト歴は短くて、知らないこと、初めてのことが実はいっぱいあります。粗相をしでかさないよう、みなさんいろいろ教えてください!とは思っています…
 私の初恋はヤンさんでしたが、それは初めて観た演目の主役だったから、という部分も大きいと思う。宝塚歌劇そのもののファンになるのと同時進行の恋みたいなものだったから、卒業に関しても「そういうものがあるんだ」というくらいの感覚で受け止めていたと思うし、会にも入っていなかったし、サヨナラ公演もいつもの公演と同じく2,3回観て終わり、程度だった。まあ震災の問題もありましたけれどね。
 だからパレードとかフェアウェルとかの作法や様式をまったく理解していません。そういう意味では不安だわ。会でも新参者ですしね。
 がんばります。

 大空さんとの出会いというか恋の始まりについては、こちらなど。
 そのあともわりと紆余曲折はあったので、それはまたどこかでまとめて語りたいなと思っています。

 そんなわけで観劇つぶやきをし始めてからつながり出して俄然おもしろくなったツイッターですが、私は当初しばらく大空さんの呼び方に対し戸惑っていたのですね。語るときにどう書くか決められなかったのです。
 昔の自分の観劇ブログ記事なんかを読むと、自分でも混乱しているというか統一されていなくて笑えるのですが、「ユウヒ」「ユウヒくん」「ユウヒちゃん」とか書いているわけです。
 でも基本的には私はただ「ユウヒ」と呼び捨てしてきたと思うんですね。下級生のころから観ているし、年下だし。
 ただ私には周りに宝塚友達があまりいなくて、だから実際に名前を口に出して発することがあまりなく、そうすると脳内でも呼称が意外ときちんと固まらないというか、言葉として呼び名として確立されないままに、ただ漠然と好きだという感情だけが育まれていた、という期間が本当に長くあったんですよ…毎度理屈っぽい話ですみませんが!
 あと、当人が名乗る際のイントネーションが私にはどうにも理解不能だった、というのもある(^^;)。それを踏まえて「さん」付けするにしても、やっぱり私にはイントネーションが謎としか思えず、抵抗がありました。「ユ」にアクセントを置くのか、一本調子で発音するのかということですが。
 でもこのままいったらサヨナラショーとかで呼び捨てで怒号しそう、そしてそれはたとえ愛情故と伝わったとしても本人もいい気はしないだろうな、ましてや周りからは睨まれそうだよな、みたいなつまらない心配をずっとしていたんですよね。文字で書くにも気に障って感じる人は多いだろうしな、と…

 そんなわけで、特別ひらめいた!というわけでもありませんが、あるときから「大空さん」呼称が確定できたのですね、自分的に。
 苗字に「さん」を付けて呼ぶというのはもっとも一般的というか普通というか、むしろ他人行儀なものでしょうが、だからこれはそういったニュアンスのものではなくて、「大空さん」一語で愛称というか、そういう形のニックネームというか、なのです。
 この私が「さん」なんか付けちゃって呼んじゃってるよナニそれ笑える、みたいなテレやナゾの自分からかいつっこみも含めた、「愛称」なんですね。自分なりの。まったく伝わってないし人にはどうでもいいことでしょうが。
 とにかくそうやって気楽に発せられる言葉を得られたことが私には大きかったのです。少なくとも文字ではそうです。脳内ではどうかな、やっぱりまだ「ユウヒ」かな、あいかわらずただ好きな人というイメージだけで処理しているかな…
 最近になってやっとできた何人かの宝塚友達はみんな心が広くて優しいので(^^;)、私がぞんざいに呼び捨てしていても目くじら立てたりしないので、それには甘えさせてもらっていると思います。

 でもなあ、卒業当日、どんな呼びかけで叫んでいるかなあ私…それはやっぱり想像できないわ…
 あと、私、ホントにいつ泣くんでしょうか…




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小川糸『あつあつを召し上がれ』(新潮社)

2011年12月29日 | 乱読記/書名あ行
 一緒にご飯を食べる、その時間さえあれば悲しいことも乗り越えられる…幸福な食卓、運名の料理とのふいの出会いを描き深い感動を誘う七つの物語。

 私は食いしん坊なので、料理人情ものとかレストラン人情ものが大好きなのですが…
 そして『食堂かたつむり』は以前おもしろく読んだのですが…
 これは今ひとつでした。なんかライトに過ぎた。
 旅行雑誌の連載だったようですが、確かにそれで読むにはよかったかも。でも文芸作品としては軽いというか…
 まあもっとあざとすぎてもイヤですが。むずかしいものだなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『GOLD』

2011年12月29日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタークリエ、2011年12月27日マチネ。

 カミーユ・クローデル(新妻聖子)は、愛情あふれる父クローデル氏(西岡徳馬)と保守的な母クローデル夫人(根岸季衣)、詩作を愛する弟ポール(伊礼彼方)に囲まれてヴィルヌーヴの田舎でのびのびと育った。少女時代から彫刻に天賦の才を見せていたカミーユは、パリへ出ることを勧められるが…
 作曲/フランク・ワイルドホーン、脚本・作詞/ナン・ナイトン、上演台本・演出/白井晃、訳詞/森雪之丞。

 『ピアフ』でも思ったんだけれど、全体には単調で、でも最後は絶唱にねじ伏せられて涙する舞台でした。これが今年の観劇納めになりました。
 アトリエを思わせる、でも抽象的な空間を表すセット(美術/松井るみ)と、わざとフォルムをシャープにしていない、色も淡彩で揃えた衣装(太田雅公)が素晴らしかったです。思えば全体に白井さんっぽいな(^^;)。

 映画『カミーユ・クローデル』も昔見た記憶はありますし、史実としてはだいたいのことは知っていて、そういう意味では想定内の物語だったのだけれど、やはり男と女というものについていろいろと考えさせられました。

 カミーユの才能を認め褒め伸ばした父親は素晴らしい。しかし反対する母親をブロックするでもなく、いいことだけ言ってそのまま、みたいなところがあり、財政的に援助するとか女性の芸術家を認めない世間に対しアクションを起こすとか、そういう実効的なことは実は何もしてくれない。これも典型的な「男」だな、と思いました。
 別に男に女を守る義務なんてないよ。対等であるべきものだからね。でもいいとこ取りして責任取らないくらいだったら端からほっといてほしかった、という考え方だってあるんだよ。花を咲かせられないで終わるつぼみなら芽のうちに摘んでくれたほうが幸せだった、という考え方だってあるのだから。
 もちろん本当はどちらが幸せなのかなんて誰にも、その花自身にもわからないことなのですが。
「結婚していない女にできることはふたつだけ。結婚するか、修道院に行くかよ」
 と母親はすごいことを言いましたが、しかし当時の常識はこういうものだったんだから仕方がない。彼女はむしろ普通で、開明的であろうとした父親の方が特異だったのでしょうが、だったら完遂してほしいわけですよ。
 カミーユは母親のこの言葉どおり、修道院が経営する精神病院で後半生を送り、そこで死にました。それが彼女自身の選択の結果だなんてとても言えない。
 誰かにどうにかしてほしかった、なんて言い方はそれこそ甘ったれた女の言いように聞こえるでしょうが、しかしそれが女の叫びです。

「見てよ、私を!」
 第一幕のラストでカミーユはそう叫ぶように歌います。女の叫びはいつもこれ。そして男は応えない。この構図。
 女は誓って、約束してと言う。男は誓い、約束する。しかしそれが守られることは決してない。この構図。
 糟糠の内妻を持ちながら籍を入れず、でも手放さず、一方で創作上のパートナーでもある愛人と魂で結びつき、それで満足してしまえる男。男だから当然、芸術家だから当然といった考え方はしても、人としてその生き方はどうか、という視点はいっさい持てない。
 何故男は結婚を嫌うのでしょうね? 結婚も社会制度である以上。明らかに男が作ったものであるだろうに。
 内妻と結婚して愛人と別れるか、内妻を捨てて愛人と結婚するか、が当然なのに、それができない。というかいろいろ理由をつけてしようとしない。
 結婚と芸術活動は別問題なのに、ごまかしている。
 両立させることはできるはずなのです、望みさえすれば。女は自由で貪欲だから、それを望む。けれど男には発想そのものがないんだよね。
 愛ある束縛が得られないなら、そりゃ自由を選びますよ。
 そしてカミーユはたまたま狂気に陥っていってしまったけれど、別に男と別れた女がみんなこうして転落していくわけではないからね。いつか本当に男が女に捨てられて顧みられないときが来る。というかもう来始めている。そうして人類は滅んでいくのですね、きっと。
 でも今は、女の涙に黄金が光る。
「夢の彼方で触れたのよ黄金/涙さえも輝く黄金」
 男にありかを教えられた黄金、でもそれを掘り出したのは女であり、手に入れた黄金は彼女のもの。でははたしてその黄金とはなんなのか…
 パリのロダン美術館に、それこそ20年前に行って、「接吻」がいいなとか思った当時の私は、確かまだ恋も性愛も知らなかったのではなかったか…
 そんなことをつらつらと考えました。

 聖子ちゃんはテレビ的、というのとは違うけれどわかりやすいお芝居をする人だと思うので、こういうオペラふうな舞台が合っているのかもしれません。
 個人的にはストレートプレイ的になるロダンとの口論場面がスリリングでおもしろかったけれどね。
 キュートでチャーミングなのも魅力ですが、狂気に陥ってからはより凄絶に美しく、良かったです。もちろん複雑な楽曲を歌いこなしているのもさすがです。
 久々に男声の歌も聴けたし(^^;)満足しました。
 ワイルドホーン氏、今度は日本のカップルを題材に、なんてプログラムで振られていましたが、与謝野晶子・鉄幹夫妻なんてどうかしらん?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇宙組『クラシコ・イタリアーノ/NICE GUY!!』

2011年12月29日 | 日記
 東京宝塚劇場、2011年11月25日ソワレ(初日)、27日ソワレ、30日マチネ、12月1日ソワレ、4日ソワレ、11日ソワレ、13日マチネ、15日ソワレ、18日ソワレ、23日ソワレ、24日ソワレ、25日マチネ(前楽)、25日ソワレ(千秋楽)。

 1960年代、戦後の経済復興に華やぐイタリアの首都ローマ。フィレンツェの紳士服コレクションで衝撃的なデビューを果たしたテーラー「グランチェロ」のサルヴァトーレ・フェリ(大空祐飛)がアメリカに進出することが決まった。彼のドキュメンタリー番組を制作するため、アメリカのテレビ局が取材にやってくる。映像作家のレニー(凰稀かなめ)は気難しいサルヴァトーレに戸惑うが…
 作・演出/植田景子、作曲・編曲/甲斐正人。

 緊急入院で大劇場公演の遠征をパーにし、その悔しさのせいもあるかと思いますが初日雑感ではまあ散々なことを書いた気がしますが、その後もいつもどおり通いましたし細かいツボを見つけて楽しく過ごしました。
 しかしやはり地味な話だとは思うし、アルティジャーノの話がやりたかったにしてもロマンス要素が少なすぎると思うし、伝統産業に宝塚への思いを重ねた部分は直截に過ぎると思うし、もろもろ考えれば及第点は取れているのでしょうが将来の再演を望むほどの佳作・名作では決してない、というところでしょうか。そういう意味でもむしろ景子先生作品らしいと言えば言える…
 ショーは私は『ルナロッサ』の方が好みといえば好みなのですが、しかしやはり大介ワールドのこのベタさ加減には虜にならざるをえず、意外に毎回楽しみにしていて、それでいうと芝居に関しては私には珍しいことに後半やや飽きました。
 この感覚はやはり正直なのかもしれないな…そして、それで本人がやっと自分に満足して卒業を決めたというなら、ファンも満足して見送る決心もつけられようというものです。

 大劇場よりレニーのキャラがナンパになったとか、台詞が足されて過剰になったという意見も聞きますが、私は何しろ東宝でしか観ていないのでなんとも言えません。
 台詞に関しては、たいていの場合は私は「足りない!」とイライラすることが多く、そして今回はそういう思いをほとんどしなかったので、それも景子先生作品っぽいなと思いました。
 過剰だとは思わなかったけれど、単純すぎる言葉だなとはたびたび思いました。確かにDVDとも「ル・サンク」の脚本とも違うところもあるので、気がついた分は語りたいと思います。

 というワケで、他の公演については以後わりと作劇に関する理屈っぽい感想を述べているわけですが、贔屓公演に関してはちまちまと萌えツボを語らせていただきます。
 そういう見方しかもうできない体質になってしまっているのです、すみません…

●第1場
 冒頭のあっかるーいレニー、いいですよね。
 才能があるのかどうかはよくわからないけど(^^;)、仕事は上手く回すタイプの調子のいい好青年であることをよく表していました。
 クリスマスには「はーいみなさん、メリー・クリスマス!」みたいなアドリブもあり。
 サルヴァトーレの看板に対するアドリブは「ちょっとルドルフ・ヴァレンチノに似てるけどね」「ちょっと石田三成に似てるけどね」で、千秋楽には「ちょっと大空祐飛さんに似てるけどね」でした。毎回ウケてたから、ちゃんと初見のお客さんがいるんだなあと安心していましたよ。
 ちなみにグッズとして販売されたタペストリーは絶対にこの看板の図柄にすべきだったと思う。そういうアイテムが欲しいんだよファンは。劇中と同じものが欲しいの、劇中の世界に浸りたいの。でなきゃ棘の指差しポーズ、コレ絶対。

「ストップ!」
 の声とともに看板が割れてサルヴァトーレ登場。本当はここで一度ピンスポを当ててまず拍手を入れさせてほしかった。
 実際には、ミュージカル音楽のスタートとともにライトが明るくなって拍手、となります。
 ドキュメンタリー番組のオープニング演出のアイディアとして、コレクションの様子をミュージカルふうにして再現しよう、というサルヴァトーレの意見というかイメージが実現される形で、プロローグとしてのミュージカル・ナンバーになる、上手い展開です。
 サルヴァトーレは仕事には妥協しないし本質的には融通が利かない職人気質の人間なのだけれど、必要とあればアメリカ人のウケが取れるような「セクシーなイタリア人色男」になってみせることができる、ということも表していて上手い。
 金髪のベラたちを楽しそうに侍らせ、自慢の男性モデルたちにランウェイを歩かせ、客にお辞儀してみせます。
 指を鳴らした音がよく響いたときはニヤリとしました。お尻を突き出す振りがラブリーで好きだったなー。最後にベラを手招きする指も好きだった。

●第2場
 しかしファッション・ジャーナリストのジョルジオ(凪七瑠海)というのはやりようがなかった役だったろうなあ…みー大が抜けてまーくんが来るわけですが、スター路線としてはどう構成するつもりなんだろう…
 レニーの「最後、セリ下がってましたよね…」という台詞は東宝から増えたようですが、つっこみとして正しいので好きです。
 フランク(春風弥里)のフランクさやジェフ(七海ひろき)以下の服装のだらしなさ、挨拶のお行儀の悪さにさも嫌そうに顔をしかめるサルヴァトーレさんが本当に好きでした。まさに柳眉を逆立てる王者、という感じ。
「仕事に言い訳は通用しない!」
 にビクッとなって固まり、小さく「すみません…」と答えるレニーのいじらしさにも毎回笑わせてもらいました。

●第3場
 ヒロイン・ミーナ(野々すみ花)が客席から登場。銀橋に上がる階段でコケてみせて、ドジっ娘を表現しています。
 グランチェロのスーツを着て現れたレニーに対し、サングラスをちょっと下げてじろりと見てみせるサルヴァトーレさんが好き。
 ミーナは、番組のナレーター役の女優がドタキャンし、代理で呼ばれた映画学校の研修生であることが明かされます。南イタリアの出身であるらしいこと、貧しいために学校に行っておらず文盲であるらしいことも。
 履歴書は親の代筆か、演技の台詞は耳コピかいなというつっこみはさておき、泣いて立ち去ろうとするミーナにイタリア男らしくハンカチを貸しつつ、知恵を授けるサルヴァトーレ。このやりとりが短すぎてわかりづらいのが難点だけれど、最後にミーナの尻を子供をあやすようにぽんぽんと叩くサルヴァトーレの優しさがツボでした。
 ミーナがお涙ちょうだいの迫真の演技を披露して、サルヴァトーレが鶴の一声で「仕方がない彼女でいこう」と宣言。
 ここで、「ちょっとぉいいの!?」みたいな感じでルイジ(珠洲春希)の肘をひっぱるパメラ(純矢ちとせ)と、それをはたいて離れようとしながらもあわてふためくルイジ、が可愛らしかったです。
 このふたり、のちのレセプション場面では組んで踊ったりしていますが、ただの同僚なのかなあ、とかにまにましたりしました。イヤなんでもかんでもロマンがあればいいというものではないので、個人的にはあれくらいでちょうどよかったんですけれど。

●第4場
 ペッピーノ(蓮水ゆうや)やこれで卒業のこーまい演じるミゲル(光海舞人)を銀橋に出してあげながらセットチェンジ、素晴らしい。
 テレビの取材に浮かれる若い職人たちと、むしろ不機嫌になっているマリオ(北翔海莉)との対比もわかりやすく素晴らしい。
 手縫いのスーツはナポリの伝統産業とも言えるものであること、サルヴァトーレはそこに廉価版の既製服という概念を持ち込んでローマに出てきて成功したものであること、しかしアメリカ進出とまでなれば職人の手が足りなくなることにマリオを懸念を抱いていること、などが語られます。
 ビジネス・パートナーのジュリアーノ(寿つかさ)はおそらくローマの人間で、サルヴァトーレがローマに出てきてからの共同経営者みたいなものだと思うのですが、マリオとの口論のあと、ジュリアーノにごく短く言う「行くぞ」が何故か毎回ものすごく好きでした。
 というか短い台詞に情感を漂わせるのが本当に上手いよねこの人は…

 口論を見ていたレニーはサルヴァトーレの人柄というか生き様に興味を抱き、番組の趣旨を外れて深い取材をしていくようになります。
 しかしこのくだりのクラウディア(五峰亜希)とのやりとりの台詞には芸がなくて、本当に聞いていて毎回つらかったよ…「本当の彼」とかやめてほしいわダサくって。自分探し禁止!

●第5場
 レセプション・パーティー。300年前の貴族の館を改修したものが会場で、私はそういう宴会場みたいなものかと思っていたのですが、脚本によればなんとサルヴァトーレの私邸(! 公邸に対する言葉だからおかしいだろう。まあグランチェロの社屋や職人たちの作業場に対して、の意味なんだろうけれど…)なんだそうな。まあスノッブ。
 敏腕バイヤーのロナルド(鳳樹いち)が自らをアメリカの成金呼ばわりすることでこのスノッブさを揶揄し、またまたサルヴァトーレさんが眉をひそめるのがツボ。
 アメリカ進出のスポンサーとなるヘンリー(悠未ひろ)の妻エマ(鈴奈沙也)は、アメリカ人らしいミーハーさを出そうとしているのはわかるのですが、台詞に抑揚がありすぎて聞き取りづらく、意図が伝わらないのではと毎回ヒヤヒヤしました。

 外務大臣令嬢シルヴィア(すみれ乃麗。しかしあまりイタリア人らしからぬ名前なのでは?)をエスコートするサルヴァトーレ。
 群がるパパラッチたちを秘書のエットーレ(澄輝さやと)とファビオ(愛月ひかる)がパーティー仕様でちゃんとタキシード姿で、でも職能としてちゃんと働いて追い払っていたりするのがツボ。
 サルヴァトーレの元カノで女優のルチア(大海亜呼)が酔っ払ってふたりをからかいます。差し向ける手にストールが握られていて(DVDでは逆の手に持っていた)、そのストールがさっとひらめくのがとても効果的でした。
 一方、レニーとマネージャーのリズ(愛花ちさき。好きなんだけどしかし役が大きすぎないか? 本人的にも初めてだったのでは…でもここがれーれというのも当たり前すぎるしなあ…『仮面のロマネスク』のえりぃトゥールベルといい、意外に配役は娘役に優しいのが景子先生の謎の特徴のひとつだ)もドレスアップして参加。
 クラウディアの夫チェーザレ・ロレンツォ侯爵(鳳翔大。ちゃんと旦那に見えたよ大ちゃん! 逆に若くして侯爵というボンボンタイプには見えなかったけれど)がイタリア貴族のたしなみとして(笑)リズを褒めて手にキス、舞い上がるリズとあわてて割って入ってぶんぶん握手するレニー、というのも可愛かった。
 侯爵はパトロンとしてローマに出てきてからのサルヴァトーレを支援しています。クラウディアはサルヴァトーレと昔恋仲でもあったようなのですが、さて三人の出会いとしてはどの順番でどんな感じで、と考えるのも楽しかった。設定としては侯爵夫妻は結婚5,6年目くらいで子供はまだなく、チェーザレはクラウディアとサルヴァトーレがかつてつきあっていたこともちゃんと知っている、ということだそうです。
 だからこそ私ならチェーザレの「クラウディア」に「おまたせ」と足すけれどね。
 景子作品の定番の「オトナのイイ女」ポジションのマユミ姐さんですが、今回はホントに陳腐に感じたわ。やっかみかしら…てかヒロインがもっと立ってればこのあたりも楽しめたのかもしれませんが…
「だから、彼と結婚したの。あなたをあきらめて」
「…謝るべきなのかな?」
 というやりとりは素敵です。サルヴァトーレとしてはむしろ自分の方がフラれたという認識だったのだろうし、それが自分のせいだと言われても正直困る…というのが本当のところでしょうしね。
 でもそのあとが良くない。
「あなたは、誰かを幸せに出来る男じゃない」
 って何? クラウディアを、誰かに幸せにしてもらうことを望むような安い女に描かないでくださいよ。人は自分で幸せになるんだよ、自分で自分を幸せにするんだよ。あるいは女が男を幸せにすることだってできるんですよ、なのになんなのこの理屈は。
 それと
「本当の心を閉ざした人間を、愛し続けることは出来ない」
 がもう本当に嫌。マユミさんが毎回ここを発音しづらそうにしゃべるので毎回本当に耳障りだった。「本当の私」がこの物語のサブテーマですが、本当に賛同できません。しつこいが自分探し禁止!!

 銀橋に出たサルヴァトーレが主題歌を歌っている間に本舞台ではセットチェンジ、ここも上手い。
 タキシードに付けている青い花のコサージュはお衣装なのかな、私物かな? 去年の手帳リフィルでこんな感じの着けてなかったかな?

●第6場
 ミーナがナポリの祖母に電話する場面が追加されています。私は、二回繰り返すことに意味があると思ったのでOK派でした。祖母があげる共演希望俳優がすでに死去したスターであるのは、ボケの表現でしょうか。

 グラマラス派の男性陣とスレンダー派の口論はギリギリのところで、あれ以上やると下品だしセクハラだし、当人たちはすべてそもそも女性だしね、というところでした。
 見本を見せるリズに拍手しちゃうところはミーナの素朴さを表していいんだけれど、だったらリポーターはリズでもよくない?というつっこみが生まれたことも事実。

 重なるNGにヨロヨロしていくポール(星吹彩翔)がおかしかった。フランクも上着脱いで椅子にべろーんと座っちゃって。
「ぼそぼそ喋べらない!」
 っていうレニーのちょっと神経質にも聞こえる言い方がまたよかったなあ。ファビオの「絶望的です」もよかった。

「NG!!」
 に天を仰ぐサルヴァトーレ。撤収するスタッフ、様子を伺って待機するエットーレを今日はもういいよ、って感じで手振りで下がらせるサルヴァトーレさんの仕草が素敵。
 ミーナが謝りに来るのは流れとしていいとして、「私、魅力とか、そういうの何もないし」というのはやめてくれ。こんな言葉を実際に口にする人間はいない。
 そのあとのサルヴァトーレの「人から見下され、自分の居場所もなく、ただオロオロするばかり」は元の脚本の「クズ同前に扱われ」が自分の過去を重ねているとしてもきつく聞こえすぎたと思うので、改稿されてよかったと思います。

 のちに明らかにされますが、サルヴァトーレもまた貧しい南の出身であり、戦争で家族を失う以前から生活は厳しく学校にも通えず、まともに扱われることがなかったのです。彼はミーナに自分を重ねていて、手を差し伸べられずに入られなかったのでした。

 ミーナがナポリの小さな漁村の出身であること、家族で仮面劇の一座をしていたこと、道化のプルチネッラが持ち役だったことが語られます。
 故郷を思い出して遠い目をするサルヴァトーレを、約束を思い出したミーナが驚かせます。
「ええっ?(ギョっとする)」
 は毎回オーバーアクトが笑いを誘っていてよかった。驚いて固まったサルヴァトーレさんが、行かなくちゃとあわてるミーナに固まったまま小さくこくこくうなづいて、でもあわてたミーナが不慣れなハイヒールにつまづいて転ぶものだからまたまた驚いて、あきらめたように手を貸して…(ここのポーズの美しいこと!)
 ベタですが、まあ恋の始まりと言ってもいいのでしょう。

●第7場
 ローマの下町、ミーナの叔父夫妻が営むピッツェリア前の広場。
 サルヴァトーレがミーナを車で送ってくれたらしいのですが、ミーナが靴下を履き替えているのは何故なんだろう…プルチネッラの衣装は結局ズボンなんだけれど、足元が素足やヒールじゃおかしいから? 車の助手席で履き替えたのかな、スカートがめくれ上がったりしてもミーナは気づかないだろうしサルヴァトーレは見ない振りしたんだろうな、とか思うとニヤニヤ。
 仮面劇が始まり、懐かしいナポリふうのピザを勧められ(二口かじったあと指の粉を払って、親指についた油をぺろりと舐め取る仕草をするのが好きだった!)、サルヴァトーレの想いは故郷に帰っていきます。

 サルヴァトーレの回想を舞台奥で展開するのも上手い。
 そこから、少年から花を買うくだりもいい。しかしこの兄弟はどこの『シャングリラ』かと思った。
 買った花をミーナにあげるのは、まあそこにたまたま女性がいたから、といういかにもイタリア男らしいほとんど脊髄反射的な反応なのでしょうか(^^;)。
「ほとんど枯れかけているが」
 は私には特に照れ隠しには聞こえず、言い訳でもなく、単に事実を表明しているだけに思えましたが、意外に客席から笑いがこぼれることが多かったです。花束をもらって舞い上がるミーナをあざ笑う笑いではないのだけれど、なんとなくユーモラスなものが漂ってしまうんだろうなあ。
「私、花なんてもらったの初めてで…」
 を遮るように店にお礼を言ったりするのは明らかに照れ隠しというか、対応にちょっと困っちゃったからなんだよね。でもそのあとの
「懐かしいものを見せてもらった、ありがとう」
 は台詞としてもいいし人間として素晴らしいし芝居として本当によかった。ちょっとささやくようにかすれるように、でもちょこんとだけでもきちんと頭を下げて言うサルヴァトーレさんが好きです。

 ミーナが銀橋で歌う間にセットがチェンジするのがまた上手い。「満天の星もバラ色に輝く」という歌詞に合わせてホリゾントにちゃんと星空が映るのだけれど、DVDでは拾われてなくて残念でした。つくづく舞台って空間全部を観るもので、映像だと部分が切り取られるだけなんだなあと思います。

 さらにサルヴァトーレの回想に移るのも上手い。施設職員(藤咲えり)のえりぃがいいんだよねまた。きっとサルヴァトーレ少年(桜木みなと)の初恋の相手は意外と彼女にちがいない(^^;)。
 アレッサンドロに優しく扱ってもらえて、彼はおそらく初めて頼れる大人の存在を得たのではないでしょうか。空襲があってもなくても、おそらくあまり頼りにならない、愛情のない両親のもとで育ったような悲しさが彼からは感じられるからです。
 ずんちゃんの慟哭が胸にしみます。それに誘われるようにラブ・テーマを歌いだすサルヴァトーレ、という流れがまた上手い。

●第8場
 というわけで舞台は翌日のスタジオに。しかしサルヴァトーレは銀橋で歌ったまま出て行くので、結果的に昨日と同じ服着てます朝帰りですニヤニヤ(バカ)。
 ミーナは見違えるような仕事をしてみせて一発OK。
 それを背中で聞いていて、驚き、そして笑みをこぼしてしまうサルヴァトーレ。
 昨夜のお礼を言いに来るミーナに、「初めて笑った」なんて言っていますが、それはこちらの台詞ですよ。
 ミーナの笑顔にこの台詞が出るのに妙に間があく回もあって、あ、サルヴァトーレさん今見とれたでしょ恋に落ちたでしょ、って感じがして微笑ましかったです。
 逆にリズがミーナに声掛けるのが早すぎて被り気味だった回もあって、サルヴァトーレになのか中の人になのか立ち去り際のタラちゃんが頭下げてたりして、それも楽しかったです。

●第9場
 ここはもう下手花道の芝居が注目でしたね! 「マリオは必要な人間だ。私…いや、会社にとって」ああもう!!
 マリオの「やっと来たか」もいい。おそらくは、サルヴァトーレときちんと話をするまではこれ以上どんな作業もしない、と表明して、彼が来るのを待っていた、ということなのですが、それとは別に、彼としては本当にサルヴァトーレとただ会いたかった、向かい合って腹を割って話したかった、昔のようにふたり同じものを見て同じように仕事をしたかった、という想いの表れなんですよね。きゅん。
 ペッピーノの「…金儲けは大切だよ」もいい。正論です。しかしこの夫婦は新婚ではないかもしれないがお腹の子供がふたり目って感じはしなかったけどなー。あと最初の銀橋芝居以外は、ペッピーノが何か言ったり反応したりするたびにそれをちょっと諌めるようにジーナ(琴羽桜子。ご卒業おめでとうございます)が動く、という芝居ばかりでやや単調だったのが残念。

 ここから本舞台での芝居と上手花道や銀橋での芝居が交差する作りは、ちょっと目がチカチカしたかなー。
 ミュージカルというにはナンバーが少ない、と初見では言いましたが、ミーナが出演したテレビCM場面は実は可愛いナンバーになっています。ディレクター(風莉じん)のちや姉が振付家も兼ねているわけではないんでしょうが、ノリノリでリハに自ら踊っちゃうのも可愛かった。
 宣伝するのが掃除機に洗濯機にトースターという、いわゆる「最新電化製品」なのは、イタリア人があこがれるアメリカン・ニュー・ライフスタイルを象徴する場面でもあるからなのでした。

 前後しますが、豹変するヘンリーの要求はゴリ押しでも確かに一理あって、サルヴァトーレが追い込まれるのが納得できます。
 ただ「本物だろうが、まがいものだろうが」という台詞を引っ張るには、その前の台詞は「本物のナポリ仕立て」とすべきだったかも、とも思いました。

 グランチェロのアメリカ進出は最終契約を前に暗礁に乗り上げ、ドキュメンタリー番組の撮影も一時中止されます。それでもレニーは取材を続けます。
「まぁ、なんとかって思ってたけど」は「なんとかなるだろうって思ってたけど」とか足さないと何がどうなんとかなんだ、という気はしましたが。
 どんどん巻き舌になる「グラチェ、セニョーラ」が可愛かったです。

●第10場
 スリーピースでフォロロマーノの前に立つサルヴァトーレさんの後ろ姿が素晴らしくて天然記念物もの。
 この場面のラストのやりとりは元の脚本より東宝版の方がいい。
 しかしそうだ、第3場とか第9場aとかのちの第11場とかの、こういうタイプの暗転と場面転換は映像チックなのでやめてほしいなー。

●第11場
 ここの「抽象空間」の作り方はいい。
 ジャコモ(十輝いりす)との口論で、「最低だ」と言ったあとかな? 左肩を引いて立ち尽くすポーズがあって、力が入っているものだから決して美しくない体勢なんだけれど、でも見とれるくらい素敵なんだよねー。キャー。
 脚本だと「まがいもののナポリ仕立て」となっているところはDVDでは「粗悪品」、東宝では「まがいもの」だったけれど、脚本の台詞の方が通りがいいと思いました。

 本舞台でナンバーが歌われる中、照明が当てられずシルエットのまま銀橋半ばまでざかざか歩くマリオが素敵。

●第12場
 このマリオの歌に、よもや別の意味づけがあとからされようとは…マリオが故郷に帰るくだりは、きりやんの後任として月組に送り出す布石だとばかり思っていたのですけれどね…(ToT)

 バールでの送別会での台詞は脚本より東宝版がいいと思いました。すがりつくように、でも言い出し歩み寄るまではかなりの間をおいて言われるサルヴァトーレの「もう一緒にはやっていけないのか?」(「は」は実際にはなかったような気が…?)を遮るように、馬鹿話を始めるマリオったら、テレやさん。
「俺のために、お前の人生の何年かを、犠牲にしてしまった」どこの不倫カップルの台詞かと!
 マリオの話を聞いているときの座り芸がまた神。右腕をだらんと椅子の背から垂らして、脚を無造作に組んで。それが何故あんなにも美しいの!

 そして大空さん恒例酔っ払い場面に突入です。
 サルヴァトーレが脱いだ上着を丁寧にたたんで椅子の背にかけるマリオ、サルヴァトーレが乗ったテーブルから下りやすいように椅子を寄せてやるマリオ、どんだけ恋女房なの…!
 アモーレカンターレマンジャーレ。酔って歌い踊り騒ぎ、抱擁を交わすサルヴァトーレとマリオ。サルヴァトーレの口元は泣くのを我慢して食いしばられてむにっとしている。そしてがくっと足の力が抜ける。それを支えるように抱きかかえるマリオ。
「まだまだ飲むぞ」「こっちへ来いって、マリオ」などなど、毎回アドリブしながら酔いつぶれてテーブルに伏すサルヴァトーレはどこの『カサブランカ』かと。愛しそうに上着をかけてやるマリオ。
「こいつと一緒にやれて良かった…俺が、そう言ってたって」
「伝えとくよ」
 答えるペッピーノの声が、千秋楽では震えていました。
 立ち去り際のマリオの気障なポーズの素敵なこと! もう一公演あるからアレだけれど、でなかったら絶対拍手が入るハケ際でした。

 そのままサルヴァトーレの幻想に入っていくのも上手い。
 シルヴィアがジャコモ相手にも同じことをやっているというのも、それをアレッサンドロが「未練がましい顔しおって」と冷やかすのもいい。
 孫娘の話を持ち出されて笑う声が本当に好き。
 サルヴァトーレとアレッサンドロの口論が激しくなると、身をすくめて小さくなるプルチネッラ(秋音光)がいじらしくてせつない。
 照明が変わって、そのまま未明ないし早朝の街になる、この展開も上手い。

「ミーナ…」「どうして?」「何故、君が?」「素晴らしい」「…インタビューはいつ?」「ああ」…短い台詞が本当に素晴らしい。ここも脚本からやりとりが変わっていますが、役者の芝居がたっぷり十分なので言葉は少なくていいのです。

●第13場
 テーブルに作業中の上着が出ていない回があったんだそうな…でも店内を見つめるサルヴァトーレの後ろ姿、で場が保ったんだそうだ…恐るべし研20の背中!

 アレッサンドロに「妙なアメリカ人」呼ばわりされたレニーが、すみませんねてへへって感じで頭を掻く仕草が好きだったんだけどな。後半、鼻をいじる仕草に変わっちゃいましたね。
 アレッサンドロの採寸をする為に腕まくりする(しつこいですが、どこの『ヴァレンチノ』かと)姿が美しい。
「あれから何年たったと思ってるんだ」
 と、ちょっとふくれっつらになるところが可愛かったのだけれど、このやりとりは脚本にないんですね。
「おやっさんのよう(な、一流の仕立て職人)になるのが夢だった」というのは、最上級の告白の台詞だと思います。
「ああ、必ず」とした変更点もいい。

 アレッサンドロとの再会と別れに、毎度マジ泣きして、レニーに向き合う前に涙をぬぐっていた仕草が好き。
 握手はどこの『誰鐘』かと思いましたが。
 しかし立ち去り際にミーナにだけは振り返る芝居をつけてもよかったと思います。
 ここのラストはちょっと『ヴァレンチノ』チックでもあった…

 インタビューではやりすぎなくらいのニーノ(月映樹茉)の熱い演技が印象的でした。
 でもこーまいも実直で泣かせた。卒業の挨拶では、「俺は早起きが得意でね、と言ってきましたが、実は大の苦手です」と笑いを取っていました。

●第14場
 レニーのソロはベタベタすぎる歌詞ですが、そのストレートさがこの場合はいい、とも言えました。
 というワケでサルヴァトーレはジュリアーノと別れて(オイ)、いやローマの店を譲ってナポリに帰るわけですが、アレッサンドロの店を継いだとかビアンカ(瀬音リサ)と結婚したとかきちんと明言されていないので、ああまたマリオと一緒に始めたんだよね…と思えなくもない。
 だってそんなBL展開でもなくちゃロマンスがなさ過ぎるよこの話! ミーナがナポリの店に行ったらマリオがいたりして、でもちゃんとサルヴァトーレの居場所を教えて、でも「…迷惑?」のあとに「いや、実は今マリオと一緒に暮らしていてね」とかなっちゃったらどーすんの?というムダな心配をしました。てかそんなSSを書きかけましたすみません。ナポリのマリオの店にサルヴァトーレが「来ちゃった」って現れるんだよ!(爆)
 桟橋、ではないのか、でも海岸にたたずむ白い服のサルヴァトーレの美しい後ろ姿は、どこの『グレート・ギャッビー』かと。

●第15場
 というワケでさんざん素敵スーツを着倒してきたサルヴァトーレが、最後に着てみせるごくカジュアルなシャツとスラックス姿が一等素敵ってどういうこと! てか何あのこだわりありげなベルトの結び方!!

 少年たちの相手をするさまはまたまた『シャングリラ』を彷彿とさせます。

 プルチネッラのあとを追いかけていく様子は少年すぎますサルヴァトーレさん、どんだけ仮面劇が好きなんですか(^^;)。
 そのプルチネッラと入れ替わるようにミーナが現れる、ように見せたかったんだろうと思うのだけれど、残念ながら上手くいっていなかったかな。
 その後の会話の流れに過不足はありませんが、コメディエンヌが格下だということはないはずなのでちょっとヘンかもね。
 あと、この時代の女性の生き方のことなので恋もキャリアもという発想がそもそもないのだろうけれど、観る観客は現代の女性なのでミーナの言っていることは恋のためにキャリアを捨てようとしているように聞こえて、やや情けない。
 いっそミーナにはやっぱり才能はなくて、家庭に入るのが一番いいんだよだからそれでよかったんだよ、と言えるならそれもまたぐるっと回って現代的でアリかとも思いますけれどね…
 ううむ…だからやはりマリオ説が…(オイ)

 ラストシーン、新公ではあっきーがゆーりちゃんのすぐそばに自ら座ったそうですが、本役はわざとかのようにサルヴァトーレがミーナからちょっと離れて座り、あらぬほうを見てなんとなくおもしろそうに微笑み、ミーナがにじり寄っていく芝居になっています。
 どちらもそれなりに恋の予感はさせると思うし、ゆーりミーナはやはりもう少しは仕事ができそうに見えたのではないかと思うので、そういうミーナとしてのキャラクターの違いもあるかな。
 そしてそこにこそこのヒロインのヒロインとしての問題もあるのかなと思いました。
(しかし話は違うがゆーりちゃんは美人だとは思うが個人的にはまったく好みではなく、かつ娘役にしてはいかに宙組といえど明らかに背が高すぎではなかろうか。バウでテルの相手役、大丈夫? てかスミカの進退しだいでは…どうなるの?あわわわ。普通にいけばれーれですが、でも組替えもありえなくもない。あみちゃんとかもデカいよテルには合わないよ! いっそマジで短期でれみちゃんでは?)

 後ろから抱きつかれてびっくりするサルヴァトーレさんの顔が、毎回本当に大好きでした。

***

 長くてすみませんが、続いてショー・アトラクト(笑)のツボを。作・演出は藤井大介。作曲・編曲は青木朝子、手島恭子。

●第1章
 セリ上がるスミカのプリンセスが、当初は後ろ向きから振り返って、という演出だったのだが、かまくらだか氷山だかに見えてしまうのでやめた、というナウオンでのトークが忘れられません…(^^;)
 ピュアウィングではさすがにえつ姉のドレスの翻りが美しく、みんなこういうところを真似していくんだよ、と念じました。

 ナイス・プリンスの衣装というかナイス・ブロード・マインデッドの衣装は、私はダメです。というかこういうの着た大空さんがダメ。似合わないと思う。なるべくスルーして観てましたすみません。
 YAMATO(蒼羽りく)とNADESHIKO(伶美うらら)の衣装は懐かしの『火の鳥』…! 白馬に乗ったと歌われる王子様が、謎の馬をペットに従えているカオス…!!

●第2章
 掛け声とともにスターが順番に登場!
 そして、「100年に一度のナイス・ガイ祭り」が始まります。ホントに意味不明で楽しいです!!

 アダージョになって、テルの肩に手を置いてくるんとしたあと、センターへにじり寄っていくときの特にどうってことない振りが好き。
「○○○○ナイス・ガイ!」のあとスポット浴びて数人で踊るときの振りがどれもわりと好き。
 右、左、右、伏せ、の振りが好き。
 銀橋に出て歌になると入る手拍子が好き。
 銀橋から下手階段に降りる前にくるりなと回るみっちゃんが好き。上手最前列関前でくるりんと回るみーちゃんが好き。
 テルのナンパなチャラい歌い方がたまらん。みっちゃんの確かな上手さがたまらん。

 ラストに本舞台では東宝プログラム表紙のポーズをみんなてしていたことには、かなり後半になるまで気づきませんでした…銀橋での暗転直前のベタなウインクをガン見していましたからね…

●第3章
 大好きな場面。カップルソングの息が終盤やっと合ってきたのも微笑ましい。
 スミカの髪型はプログラムを見ると大劇場版と違うようですが、髪飾りの位置など東宝版の方がいいと思いました。
 嘘くさい「スポーツ万能」なスウイングがたまらん。「大好きだと」とデレるところがたまらん。

●第4章
 しかしイケメン・オークションが「Young blood」というのは苦しすぎるのではあるまいか…

 クリスマス・イブと当日前楽にはクリスマス・バージョンも登場し(仕込みはみっちゃんとのこと)、シルエットからして違うので客席は湧く湧く、拍手も盛大に入りました。
 そしてピンクちゃんことナイス・アイドルがキラキラのたくさんついたトナカイ・カチューシャを付けた日には…!!!

 『ファンキー・サンシャイン』でも意外とお天気レポーターが気に入っていたようですが、ここのらしからぬどピンク衣装も意外に楽しかったんだろうな。まったくダンサーではないしショースターでもないんだけれど、それでもこういう楽しい場面が作れたこと、ショーでのキャラクターがやれたことに納得して満足して、卒業を決心できたんだろうなと今となっては思ったりもします。

 一度、4列目どセンターのSS席で観劇できた日がありましたが、紫の薔薇は前列にいたハーフっぽい少年に向けて投げられました。残念…!

●第5章
 さっきまでピンクちゃんだった人が怖ろしくも美しい薔薇の棘の化身に…! 宝塚って怖い…!!

 赤いドレスに黒いエプロン、赤い花を髪に飾ったれーれ少女がテル逃亡者の軍帽を被る怖ろしさ、美しさ…!
 少女がいつ圭子お姉さま伯爵夫人と下手の大理石(今私が勝手に決めた)の上で絡み出すかと思うと、真ん中に集中できませんよ…!

 …ウソです。
 実は私はこの場面にはあまり期待していなかったのですよ。
 というか、私は大空さんに妖し系とかBLチックなものを求めていないので(…ホントです…)、さあハイみなさん萌えてー、って感じで差し出されるこういう場面に対する抵抗というのもあって、なんか最初の数回はよく観ていなかった気がします。
 しかし今年のショー・キャラクターでは豹とかエトランジェとかより何より、このナイス・セクシャル(! だから何故こういう命名を…)ですよ!!

 と言うのはまずなんといっても振り付けがいい。大空さんが上手く見える(!!!)。
 あと、あまり扇情的でないのもいい。というか私にはそう見えた。淫猥とか淫靡とか淫らというよりは、生き様の違う生き物、無機的な異生物、に見えた。ああして食べていかないと生きていかれない生き物だから人を襲っただけ、に見えて、それが怖かったし美しかったし良かった。

 だからこそDVDの不備には文句を言いたい…!
 逃亡者アングルがあるんだったら通常映像は引いて全体を撮るか棘メインで撮るべきてじょう。象徴的とも言える「刺しちゃうぞ!」ポーズが二度とも映っていないのはひどすぎる。神ダンスをあまり捕らえていないのにも泣ける。一世一代のダンス(笑)を…!
 キスシーンもさあ、逃亡者の右手が焦ったように動いて相手のキモノを脱がせようとしていて、遅れて左手が、まあ口元を隠すためでもあるんだけれどナイス・セクシャルの頬に当てられて、一方でナイス・セクシャルの右手が逃亡者の腰に回されて、そして奥では棘たちがキモノを外していて…
 で、キスに対して「罠にかかったな!」って感じでニヤッと笑って攻撃(?)に出る、という流れというか振付の意図があるわけじゃないですか。それがあのアングル、トリミングではわからないんだよ…
 ちょっとマジで千秋楽映像に期待していますから!

●第6章
 中詰めアバン。
 カイちゃんセンターのあっきー、ひかるんのドアボーイですが、あっきーは本当に伸び伸びしてキラキラしたオーラが出るようになったよね。新公卒業学年での初主演、本当におめでとう。

 続くチャールストン・ボーイはみーちー大。同期でまるまる一曲よかったね、だったのがよもやの組替え発表で、千秋楽はハケ際に「Thank You!!」のアドリブ、泣かせました…!
 そしてチャールストン・ガールの振り付けが可愛い! 粋!! ロケットまで一連が素晴らしい。センターは卒業の凛ちゃんと桜子ちゃん。

 セリ上がり、鏡に映る、階段に足かけた後ろ姿が絶品すぎるナイス・スマート。
 ほとんど吐息のようなスキャットふうの歌もたまらん。
 絡むスマート・レディーはトモエさんとカチャ。卒業のトモエさんに合わせたんだろうけれど、ぼちぼちカチャはショーでこういう女役をさせるのはかわいそうだと思う。えつ姉でもせーこでもよかったのに…

 そうそう、ナイス・スマートがあおいちゃんの出す脚を跨いで前に出るところも大好き。
 ねっとり絡むトモエをふりきるでもなく、ただすっと無頓着に前に出て、掛け声入れて次のくだりへ…素晴らしい。
 歌い出すために前に出るみっちゃんも素敵。歌は本当に本当に素晴らしい。ここのダンスは圧倒的にみーちゃんが上手い。でも肩を払う振り、大好きでした。

 そのあと登場する美女には、本当はライトが当たったときに拍手を入れたかったけれどなー。
 そして三組デュエダン。でも贔屓目かもしれませんがゆひすみが一番好きでした。
 そしてかなり後半まで気づかなかったのですが、最後に美女の体を撫で下ろすナイス・スマートの手つきが意外とキワドい…! くそうシャーハンシャーが化けて出たな!!

 花火が上がって中詰め本番へ。
 まさこ、せーこ、れーれではせーこの腕の美しさが際立っていました。
 ともちん、トモエ、カチャはR18で素晴らしい。
 みっちゃんの安心感。スミカのファッショナブル・レディーも、歌はともかく(オイ)お衣装がよく似合って、ダンスになってからは抜群の輝きで観ていて楽しかったです。
 そして一見似合わない黄色いお衣装のナイス・ファッショナブル。でもニコニコだし楽しそうだし「じゃ~んぷ!」は可愛いし(だってひらがなが似合う感じなんだもん!!)、体育館ダンスふうのかけあいは元気でいいしみっちゃんともテルともいちゃいちゃしてるし、銀橋から下手花道引っ込みまでとても流れがよく美しい。
 引っ込みのときにテルの「じゃ~んぷ!」に合わせてるのか、はたまた銀橋と花道の境目の照明をただ飛び越しているだけなのか、軽くぴょんとして右腕をぐるんとしてから去るナイス・ファッショナブルがラブリーすぎました。
 残ったテルのナンパな優男っぷりがまたたまらん。上手階段でちょっと棒立ち気味に突っ立って手拍子するのも妙にいい。
 ときどきテルとのハイタッチのタイミングが合わなくて、振りが変になる大ちゃんが愛しい。

●第7章
 テルの歌い上げのあと、暗い中で板付くためにゆっくり出てくるナイス・スマートと美女が好き。
 一度、早変わりが遅れ気味だったのかなかなかふたりが出てこないときがあって、出てきたと思ったら美女があわて気味でさかさか歩いてたんだけれど、ナイス・スマートが諌めてゆっくりエスコートした回があったんだよね。
 照明だって待って遅れて点くし、それよりおちついて役として綺麗に出ることが優先、と教えたんだと思う。感動したなー。

 美女の衣装は同じですが、ナイス・スマートは白い蝶ネクタイだったのがマフラーふうのスカーフになっていて、胸には紫の薔薇を挿しています。
 美女はお酒が回っているらしく、ダンスもフラフラ。スミカの酔っ払い芸が日々向上し、「いやん目が回るわ酔っちゃったわ、だって美味しいんですものあなたが楽しく飲ませるんですものいやん」みたいな台詞が全身から聞こえるようでした。素敵。
 酔って寝てしまう美女、苦笑して薔薇を置いて立ち去るナイス・スマート。猫手で美女を起こそうとするNADESHIKO、ふたりを気遣いながらもナイス・スマートに白いコートを着せるYAMATO。
 コートは肩に掛けるだけで袖を通さないので、落ちないようにしっかり着せているだけなんだけれど、その手つきが妙にドキドキさせたよりくくん!(^^;)
 歌詞の「次の住処へ」にちょっとニヤリ。スミカが演じる次の場面の次のスミカのところに行くんだよね!

●第8章
 いわゆる「風」の場面。ここでもスミカのダンスが素晴らしい。はっきりと言葉になるものではないのだけれど、でも全身で台詞を発しているような踊りが鮮やかです。
 もちろんあもたまの歌唱は本当に素晴らしい。千秋楽も涙でよれることなく、いつもどおりに聞かせてくれました。
 「夕日」が歌うのは『坂の上の雲』のエンディング曲。その後の流れはこれがサヨナラ公演であればさぞ…という場面でしたが、ここでの主役は今公演で退団する6人。本舞台で踊り始めるところには前楽から拍手が入るようになりました。
 退団者に必ず見せ場を作る、ベタでもこういう優しさが私は好きです。

●第9章
 感動を吹き飛ばすというか(^^;)さらに上書きするイキオイのセクシャル9。
 ともちん自重…! R18感ハンパない。
 ダンスはやっぱりみーちゃんが上手い。でもついちーちゃんを見てしまう私…
 大ちゃんの開襟の気合を買う。雪組で本当に暴れてほしいなー。雪組担さん、いじめないであげてね。

 暗転後、フィナーレ突入。
 大階段でアダルト・ドール(裾が斜めにカットされた白いドレスが素晴らしい。お揃いの大きな丸いお花の髪飾りも素晴らしい)を侍らせるアドルト・ガイSのテル、本領発揮。
 私は女役に囲まれて踊る大空さんも大好きですが(つまり男役に囲まれて踊る方が断然いいという派ではない)、しかし確かに空気というか持ち味が違うんだよな、なんなんでしょうね。
 最後の数日は髪を切って少年のようになっていて、ますますアヤしいいいムードを出す場面になっていました。

 ハケ際にいい笑顔をしているのに、大階段からおらおらと言わんばかりにざかざか大きい人たちが降りてくるので、いつも目を奪われますすみません。最上段に、ナイス・アダルトだけが下手からだかだか出てくるのも好き。
 アダルト・ガイを引き連れてそれはそれは楽しそうに激しく踊るナイス・アダルト。
 ラストの掛け声やみんなの気合は日に日に熱く激しくなっていました。いい巻き舌、誰だったんだろうなあ。

 そしてそこへまた大階段をさかさかと降りてきてパン!とピンスポでポーズを取ってみせるアダルト・ドールSのスミカが素晴らしい。
 下手からテルが再度現れて、トリプル・ダンスへ。
 駆け寄るスミカを両腕広げて迎え、ぴょーんと飛んでくるんと回らせたあと、三人で斜めに並んでポーズするところが大好き。
 銀橋に出るため移動するやや間抜けな振りも大好き。
 デュエダンがないのはさびしいという意見もありましが、まったく組んでいないわけではないし、いわゆる「二番手」が完全に正しい形で機能しているのが現状では宙組だけと言っても過言ではないだけに、「ザッツ・ゴールデン・トリオ!」といった感じのこの場面は、最近では新鮮だしおもしろいしよかったと思うのです。
 最後のベタな決めポーズもたまらん。

 パレードのシャンシャンはYの字(^^;)。
 幕下り際の振りもなんか可愛くて好きでした。

***

 まゆたんには申し訳ないくらい二番手の役が小さい公演が続いていて、それは『美しき生涯』でもそうだったけれど、今回は本当にテルがポジションとキャラクターを得ていて、バランスが良かったし、連れて行ったビギナー知人はみんな「あのアメリカ人の人がいいですね」と目がハートの状態でした。
 ナウオンでも本当に大空さんに甘えるのが上手くなっていて、大空さんも距離感がつかめて安心していじったり甘やかしたらいじめたりしている感じが出ていました。
 こうして関係性は作られていくのだし、出来たとなったら煮詰まりすぎる前に旅立つのはむしろ必然なんですよね。
 絶好調の星組公演ほどではないにしろ、まあまあ入った公演だったのではないかなあ。ああ、よかったよかった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『8人の女たち』

2011年12月20日 | 観劇記/タイトルは行
 ル テアトル銀座、2011年12月19日ソワレ。

 クリスマスを祝うために集まった家族と忙しく働く使用人の目の前で、ひとりの男の遺体が見つかる。遺体の背中にはナイフが刺さっており、自殺ではない。家は雪に閉ざされており、外部から何者かが侵入した形跡もない。誰が犯人なのか、8人の女たちは互いの詮索を始め、秘密が次々明らかになっていく…
 原作/ロベール・トマ、演出・上演台本/G2。1961年に発表された戯曲で、2002年のフランス映画も有名な作品を現代フランスに置き換えて上演。

 映画も見ましたがオチはすっかり忘れていたので楽しく観ました。
 映画は1950年代に設定されていたそうですが、今回も現代にしたといっても携帯電話やパソコンが出るわけでなく、ファッションもいつの流行と言えるものでもなく、特別なこだわりは感じられませんでした。
 8女優の競演となるよう、配役後に当て書きされたそうで、それぞれニンも合っていました。
 戯曲としてはアイディア勝負、舞台としては8台女優競演の企画ありきの作品ですね。それで勝ったも同然の作品です。

 舞台を8人の女たちが戦うリングに見立て、客席が双方から眺める形になっています。
 私は最前列席で舞台をやや見上げる形になったため、捕らえづらかったのですが、半円形のソファがふたつ配されるような舞台になっていて、円形劇場に近く、どこが正面と言い切れない中でドラマが展開するのでした。
 袖には控え席が設けられ、舞台というかみんなが集まるリビングの外に出たとされる女優たちはそこで座っていたりして、でもその姿も客席からは見える、おもしろい形になっていました。

 8女優は格で並べられるのではなく、50音順ということなので、以下順番に。

 浅野温子、遺体で発見されたマルセルの妹。
 赤いレザーっぽいボディコンワンピにくるんくるんのロングヘア。
 ある意味で彼女なりに兄を愛していたのでしょうし、わかりやすい生き方はしていないかもしれませんが、確かに「友達になるなら」選びたい役柄ではあるかもしれません。
 発声に独特の癖があって、一番非ナチュラルに聞こえました。まあこのキャラクターたちはみんな芝居をしているというか、嘘をつき秘密を抱えているので、演技をしているように見える、のは自然なことでもあるのかもしれませんが…
 舞台がかなり進んでからの登場になるので、それも苦しかったのかもな、とはちょっと思いました。
 でも私は『あぶない刑事』の大ファンだったので(^^;)生で観られて嬉しかったです。

 荻野目慶子、メイドのマダム・シャネル。
 熟練メイドとはいえ地味に、という不美人に作りすぎていたと思う。もったいない!
 後半、私生活が明らかになってからも、オーギュスティーヌの変貌くらいわかりやすくてもよかったと思うし…
 それか、映画のようにもっとパンチある体格の女優を持ってくるか…
 この役にはもっと色気が必要とされると思うけどなー。手堅かったけれどねー。

 加賀まりこ、マルセルの妻ギャビーの母マミー。
 老けて見せてるけど本当は全然元気で、あと20年くらい楽勝で生きそう…という感じがとてもよく出ていてとてもよかったと思いました(^^)。

 大地真央、マルセルの妻ギャビー。
 白いドレスにファーコートが似合う、セレブなマダム感たっぷり。でも小娘めいたところがあって、愛に生きたいとか言っちゃう感じとか、地味めな妹をいじめちゃう派手な姉娘の感じとか、本当にキュート。
 自分が男だったらどの役柄を口説くか、という問いにオーギュスティーヌを上げる真央さま、素敵だわ。

 戸田恵子、ギャビーの妹オーギュスティーヌ。
 綺麗で器用な姉にスポイルされた、コンプレックスでいっぱいのオールドミス。でもチャーミング。こういう役が本当に上手いよなー!
 母親や姉娘が軽んじていたらしい父親のことが大好きで、今は姉の夫に同情なのか共感なのか思慕なのか抱いちゃってて、ギャビーとはある意味でよく似た乙女姉妹なんだよね。カワイイ。

 マイコ、ギャビーの長女シュゾン。
 初舞台ということでしたが、役によく合っていてまったく遜色なく舞台を務めていました。天晴れ。
 美人で優等生でちゃんとしていて実は…という感じがとてもよく出ていました。素晴らしい。

 牧瀬里穂、新米メイドのルイーズ。
 メイド服の背中が開いていてメッシュなんですけどコレ選んだのご主人様ですよねちょっとマルセル!?
 それはともかくお色気担当なのでわかりやすい役ではあるんですが、濃い化粧も美しく観ていて楽しかったです。

 南沢奈央、ギャビーの次女カトリーヌ。
 女以前の、ギリギリ少年のようなまっすぐさ、でもやはり女として父マルセルを愛してもいたような…そんなあやうさも上手く表していました。これまてよかった。

 というワケでとても楽しく観たのですが、最後に一点だけ。
 プログラムの巻頭に製作記者発表のログが掲載されているのですが、女優は優劣つけがたい8人を配役したしみんなが主役だしだから50音順に並べたし座長はいないのだと表明されているにもかかわらず、南沢奈央に関して
「あいざわなお、でも採用したか(浅野温子より名前が前に出ることになっても、の意)」
 と聞いたり南沢奈央に対して
「み、から始まる名前でよかったですね」
 と言ったりしている司会者は、ナンセンスだし女優をバカにしているし企画意図を理解していないし語るに落ちていて最低最悪だと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする