東京グローブ座、2007年5月17日ソワレ。
南スペインのアンダルシア地方のとある村で、一組の男女が三年の恋を実らせ婚約した。母親(江波杏子)とふたり暮らしの花婿(岡田浩暉)は誠実で器量ある青年。父親(陰山泰)とふたり暮らしの花嫁(ソニン)は優しく家庭的な娘。ふたりは誰もが羨む幸せな家庭を築くはずだった。だが花嫁の前にかつての恋人 レオナルド(森山未来)が現れる。彼は花嫁との恋が破局したのちに花嫁の従姉(浅見れいな)と結婚し、姑(根岸季衣)と子供と暮らしていた…原作/フェデ リコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出/白井晃、音楽/渡辺香津美、振付/斉藤克己。全1幕。
ごくシンプルな二村周作の美術と太田雅公の衣装がすばらしく、いかにもスペイン、いかにもアンダルシアな空間を作り出しています。渡辺香津美の 生ギターと出演者たちのパルマ(手拍子)がまたすばらしい。ブルースシンガーでもある根岸季衣のまた決して美しくない声で歌われるカンテもすばらしい。遠く血の熱い異国に運ばれました。
原作戯曲は1928年に実際にアンダルシアで起きた殺人事件に着想されたものだそうで、因習が支配する閉鎖的な社会と、そんな共同体の中で個人の情熱を 達成するために結婚式から逃げ出す男女を描いたものです。それはまた、時を越え国を選ばない物語でもありました。
タイトルからはなんとなく、同族結婚とか近親相姦の話なのかと思ってしまっていたのですが、そうではなくてこれは、流血沙汰を呼ばざるをえない愛とか、それでも惹きよせ合う情熱とか、そういうことを意味しているのではないでしょうか。
『スウィーニー・トッド』で のヒロイン役(…じゃないか、正確には)がすばらしかったソニンを観たくて取ったチケットですが、今回も大熱演。もちろん森山くんも私は大好きなのですが、今回はちょっと押されちゃっていたかしらん?
彼のダンスはもちろんすばらしかったし、アンコールに踊られたまるで宝塚歌劇のデュエットダンスのようなふたりのフラメンコはすばらしかったんですけれども、ストレート・プレイが初めてというだけに、詩的なセリフにまだやや振り回されている感じがあったか もしれません。
その点ソニンは完全に言葉を自分のものにしていたと思うなあ…女の身贔屓すぎかしらん。しかし今やこれは名前すら与えられていない花嫁こそ が主人公の物語だとも言えると思いましたですよ。
テレビドラマ『天国の樹』でソニンとも共演していた浅見れいなは、ちょっと声がテレビとは違って聞こえて、まだ舞台は二度目ということで慣れていないん だろうなと感じさせましたが(何しろソニンが達者なだけに…そして脇がまたすばらしすぎるために)、歳からしたらかなり難しい役を非常に上手くやっていたと思います。
後でパンフレットのコメントを読んだら役が全然理解できてなさそうでアプローチの仕方が間違っていそうでオイオイと思いましたが、結果オーラ イなので全然問題ないです。
かつて自分の従妹と恋愛し破局し自分と結婚することになった夫、子供もできたし一度は夫の愛をつかんだと思った、今もお腹には 夫の次の子供がいる、でも夫は今夜も馬に乗ってひとりどこか遠くへ出かけていってしまう、夫の愛はやはり別のところにある気がする、その不安…そんなもの を抱えて日々暮らすつらい女…
そんな娘を見守る母親もまた、おそらくは昔夫に裏切られた女です。婿に対する、男というものに対するやや冷めた視線、自分の同じ運命をたどりそうな娘に対する母としての憐れみや悲しみと同じ女としてのあきらめの視線…
一方花婿の母親は若くして嫁いだ後、男の子をふたり持ったところで夫を殺されているので、その後寡婦として寂しく暮らしてきましたが愛はむしろ理想化され、殺された上の息子を深く悼み、夫の姿を継ぐ下の息子を深く愛し、男を盗む女や女を盗む男を深く憎んで、愛の中に生きています。だから恋愛の噂のあった 嫁には不満で威丈高ですが、息子のために信じて譲ります。だがその嫁がかつての恋人と出奔したとき、そしてその男が夫を殺し上の息子を殺した男の一族の者 だと知ったときの、彼女の怒り…
そしてまた一方、花嫁の父は、妻に愛されていず妻に男と逃げられた男だったようです。土地を持ち人格者で立派な人物なのでしょうが、後半まったく出番が ないところから言っても、愛に生き愛と戦わなかったこの人物の生はそういう意味で希薄です。役者はパンフレットで「大人の男」「父なるもの」を演じるつもりだと語っていましたが、それはおそらく違うと思う。そんなものはこの世界には存在しないも同然なのではないでしょうか。他の男は愛に生き、死んでいきました。レオナルドも、花婿も。残るのは女ばかり。そして残った男に意味などないのです。愛に生きなかった男はまた死なない、しかしそれではその存在の意味 がない。そういうことを具現した役なのではないでしょうか。
黒い男(新納慎也)と少女(尾上紫)がまたいかにも劇的ですばらしい。
ちょっとだけわかりづらく感じたのは、結局レオナルドと花嫁が別れた理由です。かつての恋を引き裂かれたのは、身分違いが許されなかったとかレオナルド の一族に殺人者がいたせいとかなのでしょう。出奔後花嫁が離れようとしたのは、いずれ絶対に捕まるしそうなったら罰せられるのはレオナルドの方だと考えた からでしょう。でもそのあたりのセリフが少なく感じました。
花婿の葬式のあと、花嫁が花婿の母に我が身の純潔を主張する意味もよくわかりませんでした。私は花嫁はすでにレオナルドに身を捧げていたのだと思う。そ れも結婚式の夜の出奔のときにではなく、かつて、恋人時代に。こんな保守的で男性優位の社会で、傷物になるリスクは高貴な女だからこそ高く、花嫁はそれを 失っているからこそ破局したときの自尊心云々という台詞があったのだと、私は思っていたのだけれど…?
レオナルドも花婿も死んで残されるのは女ばかりなので、花嫁にレオナルドの子が残されていてもいい…というようなことを考えたわけではないのですが、とにかくあの純潔の主張の意味はわかりませんでした。
太陽が照り付ける乾いたこの地で、人は愛に生き愛に死し、男たちは去って女たちが残されるばかりで、流される血は地に広がるばかり。土地から逃げ出すこ とは叶わず敗れて、ひとりは死にひとりは土地に帰り、またその土地を作っていく。愛が勝つことはなく土地がなくなることはない。それでもそれはやめられな いし永遠に続く、人の宿業のようなものだ…というような、お話なのではないでしょうか、これは。
幕のない舞台だったので、暗転後また役者が板付きのままカーテンコールに応じるパターンだったのが本当に興冷めで、これだけは本当になんとかしてもらいたいのですが…
でも、舞台としては本当に、いいものを観ました。
南スペインのアンダルシア地方のとある村で、一組の男女が三年の恋を実らせ婚約した。母親(江波杏子)とふたり暮らしの花婿(岡田浩暉)は誠実で器量ある青年。父親(陰山泰)とふたり暮らしの花嫁(ソニン)は優しく家庭的な娘。ふたりは誰もが羨む幸せな家庭を築くはずだった。だが花嫁の前にかつての恋人 レオナルド(森山未来)が現れる。彼は花嫁との恋が破局したのちに花嫁の従姉(浅見れいな)と結婚し、姑(根岸季衣)と子供と暮らしていた…原作/フェデ リコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出/白井晃、音楽/渡辺香津美、振付/斉藤克己。全1幕。
ごくシンプルな二村周作の美術と太田雅公の衣装がすばらしく、いかにもスペイン、いかにもアンダルシアな空間を作り出しています。渡辺香津美の 生ギターと出演者たちのパルマ(手拍子)がまたすばらしい。ブルースシンガーでもある根岸季衣のまた決して美しくない声で歌われるカンテもすばらしい。遠く血の熱い異国に運ばれました。
原作戯曲は1928年に実際にアンダルシアで起きた殺人事件に着想されたものだそうで、因習が支配する閉鎖的な社会と、そんな共同体の中で個人の情熱を 達成するために結婚式から逃げ出す男女を描いたものです。それはまた、時を越え国を選ばない物語でもありました。
タイトルからはなんとなく、同族結婚とか近親相姦の話なのかと思ってしまっていたのですが、そうではなくてこれは、流血沙汰を呼ばざるをえない愛とか、それでも惹きよせ合う情熱とか、そういうことを意味しているのではないでしょうか。
『スウィーニー・トッド』で のヒロイン役(…じゃないか、正確には)がすばらしかったソニンを観たくて取ったチケットですが、今回も大熱演。もちろん森山くんも私は大好きなのですが、今回はちょっと押されちゃっていたかしらん?
彼のダンスはもちろんすばらしかったし、アンコールに踊られたまるで宝塚歌劇のデュエットダンスのようなふたりのフラメンコはすばらしかったんですけれども、ストレート・プレイが初めてというだけに、詩的なセリフにまだやや振り回されている感じがあったか もしれません。
その点ソニンは完全に言葉を自分のものにしていたと思うなあ…女の身贔屓すぎかしらん。しかし今やこれは名前すら与えられていない花嫁こそ が主人公の物語だとも言えると思いましたですよ。
テレビドラマ『天国の樹』でソニンとも共演していた浅見れいなは、ちょっと声がテレビとは違って聞こえて、まだ舞台は二度目ということで慣れていないん だろうなと感じさせましたが(何しろソニンが達者なだけに…そして脇がまたすばらしすぎるために)、歳からしたらかなり難しい役を非常に上手くやっていたと思います。
後でパンフレットのコメントを読んだら役が全然理解できてなさそうでアプローチの仕方が間違っていそうでオイオイと思いましたが、結果オーラ イなので全然問題ないです。
かつて自分の従妹と恋愛し破局し自分と結婚することになった夫、子供もできたし一度は夫の愛をつかんだと思った、今もお腹には 夫の次の子供がいる、でも夫は今夜も馬に乗ってひとりどこか遠くへ出かけていってしまう、夫の愛はやはり別のところにある気がする、その不安…そんなもの を抱えて日々暮らすつらい女…
そんな娘を見守る母親もまた、おそらくは昔夫に裏切られた女です。婿に対する、男というものに対するやや冷めた視線、自分の同じ運命をたどりそうな娘に対する母としての憐れみや悲しみと同じ女としてのあきらめの視線…
一方花婿の母親は若くして嫁いだ後、男の子をふたり持ったところで夫を殺されているので、その後寡婦として寂しく暮らしてきましたが愛はむしろ理想化され、殺された上の息子を深く悼み、夫の姿を継ぐ下の息子を深く愛し、男を盗む女や女を盗む男を深く憎んで、愛の中に生きています。だから恋愛の噂のあった 嫁には不満で威丈高ですが、息子のために信じて譲ります。だがその嫁がかつての恋人と出奔したとき、そしてその男が夫を殺し上の息子を殺した男の一族の者 だと知ったときの、彼女の怒り…
そしてまた一方、花嫁の父は、妻に愛されていず妻に男と逃げられた男だったようです。土地を持ち人格者で立派な人物なのでしょうが、後半まったく出番が ないところから言っても、愛に生き愛と戦わなかったこの人物の生はそういう意味で希薄です。役者はパンフレットで「大人の男」「父なるもの」を演じるつもりだと語っていましたが、それはおそらく違うと思う。そんなものはこの世界には存在しないも同然なのではないでしょうか。他の男は愛に生き、死んでいきました。レオナルドも、花婿も。残るのは女ばかり。そして残った男に意味などないのです。愛に生きなかった男はまた死なない、しかしそれではその存在の意味 がない。そういうことを具現した役なのではないでしょうか。
黒い男(新納慎也)と少女(尾上紫)がまたいかにも劇的ですばらしい。
ちょっとだけわかりづらく感じたのは、結局レオナルドと花嫁が別れた理由です。かつての恋を引き裂かれたのは、身分違いが許されなかったとかレオナルド の一族に殺人者がいたせいとかなのでしょう。出奔後花嫁が離れようとしたのは、いずれ絶対に捕まるしそうなったら罰せられるのはレオナルドの方だと考えた からでしょう。でもそのあたりのセリフが少なく感じました。
花婿の葬式のあと、花嫁が花婿の母に我が身の純潔を主張する意味もよくわかりませんでした。私は花嫁はすでにレオナルドに身を捧げていたのだと思う。そ れも結婚式の夜の出奔のときにではなく、かつて、恋人時代に。こんな保守的で男性優位の社会で、傷物になるリスクは高貴な女だからこそ高く、花嫁はそれを 失っているからこそ破局したときの自尊心云々という台詞があったのだと、私は思っていたのだけれど…?
レオナルドも花婿も死んで残されるのは女ばかりなので、花嫁にレオナルドの子が残されていてもいい…というようなことを考えたわけではないのですが、とにかくあの純潔の主張の意味はわかりませんでした。
太陽が照り付ける乾いたこの地で、人は愛に生き愛に死し、男たちは去って女たちが残されるばかりで、流される血は地に広がるばかり。土地から逃げ出すこ とは叶わず敗れて、ひとりは死にひとりは土地に帰り、またその土地を作っていく。愛が勝つことはなく土地がなくなることはない。それでもそれはやめられな いし永遠に続く、人の宿業のようなものだ…というような、お話なのではないでしょうか、これは。
幕のない舞台だったので、暗転後また役者が板付きのままカーテンコールに応じるパターンだったのが本当に興冷めで、これだけは本当になんとかしてもらいたいのですが…
でも、舞台としては本当に、いいものを観ました。