私は神奈川県出身なので、横浜の神奈川県民ホールには気安いイメージがあります。ただし今は東京都民なので、特に来易くはありません。やはり松戸より遠かった…古くて馬鹿でかくて音響が悪いホールですよね。三階席観劇だったのでかなり遠くて残念でしたが、舞台の奥行きがかなりあるので、一階前方席からでもけっこう遠く感じる舞台かもしれませんね。かなこレアンドロにたしなめられたロドリーゴが下手階段に移動するとき、かなり長く走っていましたよ…
でも三階ロビーからの銀杏越しの港の眺めは素敵でした。中華街目撃情報もあったし、組子も横浜をゆっくり楽しめたんだったらよかったな。おいしいものがたくさんあるので、いっぱい食べて行ってくれたらいいな。そしてここからは首都圏を離れて本当に旅興行、地方公演という感じになりますよね。リピーターもたくさんついていくとはなかなかいかない土地で、アウェイ感もあるでしょうが、心を強くしてがんばってきていただきたいです。
神奈川県出身者はりりこ、カテコでまぁ様に紹介されていました。よけてあげるあっきーの姿が可愛らしかったよ…
横浜初回のお芝居のプロローグ、一度上手袖に引っ込むところであっきーが入る袖を間違えかけていたのが激カワでした。ショーのプロローグではきゃのんにはスポットライトが当たっているのにすっしぃさんにしばらく当たらなくてヒヤヒヤしたり、全ツあるあるも変わらず続いています。
日曜は収録だったようですが、はりきったまぁ様が歌でケロッたりしていたのもご愛嬌。雰囲気は変わらずいいままで、順調に公演を続けている印象です。マルガリータのスイカズラのソロのあとにも拍手が入るようになって、嬉しいです。(※追記あり)
さすがにいろいろ慣れてきて、それでもやっぱりまだまだいろいろ発見があったり、深読みし始めたりと、あいかわらず萌え活動が忙しいです。
配役発表以前には、例えばイサベラがまどかになるならゆうりちゃんのシルヴィアか?とか思ったり、ゆうりイサベラが発表されてからもシルヴィアはしーちゃんあたりかな?とか思っていたものでしたが、今となってはららたんでよかった!としか思えませんね。どちらでももちろん観てみたかったけれど、あたりまえですがこのシルヴィアにはならなかった。そうしたらあっきーロドリーゴもきっと何かしら変わっていたろうと思うのです。
ゆうりちゃんやしーちゃんだともう少しおちついたシルヴィアになって、あきらめかけた哀しさみたいなものももっと漂ったのかもしれません。それに対してあっきーはどう出ていただろうかな…ロドリーゴの方がかなり子供っぽく見えるような役作りもあったかもしれませんね。
でも、今のものが、やはりいい。仮定で比べても仕方ないんだけれど(^^;)。本当に相手役さんがいるって素晴らしい、がっつり組んだお芝居を見せてくれるって楽しい。そしてあっきーとららたんの映りの良さ、相性、お互いがお互いをより素敵に見せている相乗効果に、本当に感動しかありません。
ロドリーゴというキャラクターは、まあこの三人の中ではクールな二枚目のアオレンジャーであればいいのだと思うので(ちなみにフェルナンドがザッツ主人公のアカレンジャー、ラモンがカレー好きの好漢・キレンジャーです。だからプロローグのスパニッシュのキーカラーは、今はまぁ様が赤、ゆりかがオレンジ、あっきーが緑だけれど、この三色にすればよかったのにと思っている私なのでした)、その枠さえ守っていれば役者によってどんなふうにでも色づけさせられる役なのだと思うのだけれど、今回のあきリーゴは本当に絵に描いたようなロドリーゴっぷり(ヘンな日本語ですみません)と言っていいのではないかしらん。柴田先生にも満足していただけたのならよかったなあ。
なんか、中の人は、本当ににゆるくて可愛くていい子なフツーの人なんですよ。ちなみに脱線しますが、なのでポスターカレンダーはあんな画一的な決め顔じゃなくて、ほわわんとした笑顔の方がよかったんじゃないかと思うんだよなあ。本人は男役としてカッコ良く見られたいから決めたがる、それはわかるんだけど、それはみんなもすることだからさ。素のあの笑顔のやわらかさは、ガードやギャラリーに来る人、お茶会に参加する人くらいまでしか知られていないワケで(最近はスカステの露出も増えたかな…革の番組、ゆるくて可愛かったよねえ…)、もっとどんどんアピールして表に出して売っていった方がいい面なのではないかと思うのですよ。
で、まあそれはともかく、そんなワケで中の人はそんななのですが、どうしてひとたび舞台に立つと生まれながらのお貴族さま、上品で高貴でロイヤルでノーブルな空気が生まれちゃうんでしょうかねえ? そりゃ美貌ってのもあるんだけど、本当に不思議。
で、そんな持ち味の人に今まで貴族っぽい役が来なかったっていうんだから、そりゃ今までなかなかブレイクしないはずだよね、としかもう言いようがありませんよね。一昨年の全ツ『ベルばら』のジェローデルくらい?ってことですもんね。演目の巡り合わせとかもあるから仕方ないんだけれど、そりゃ劇団、損失だったよ…そして今、やっと、取り返すかのように、水を得た魚のように、当たり役を得て輝いているワケですよこの人は!
何不自由なく育ったお坊ちゃんで、聡明で、優秀で、挫折を知らず、だからちょっと高慢で頑固で、生真面目で神経質なところもあって、でも愛する者に対してはちゃんと優しいし情にも篤い。自分の非はちゃんと認める潔さもあるし、広い度量もある。
けれど、叔父(伯父かな?)に言われるがままに恋人をおいて首都遊学なんかに出て、その間に恋人を奪われ、でも何もできないし叔父に文句も言えない自分を責め、悔やみ、恋人にも当たり、あきらめようとしても思いきれず、拗ねている。
友達に安酒場に呼び出されて出向くものの、こんな下町に来ることそのものが不本意だし、不潔そうで嫌だし、つきまとう女たちはわずらわしいし、絡んでくる男は小うるさいし…ともう不機嫌全開でプンスカしているロドリーゴが愛しくて仕方ありません。これがチャーミングに見えるんだからたいしたものですよね。え、欲目かな?
ロドリーゴとシルヴィアの出会いとは、どんなものだったのでしょうね? あるいはフェルナンドとイサベラの出会いは? どんなふうに恋に落ちたのでしょうね?
ラモンとイサベラはロマのコミュニティの中で一緒に生まれ育った幼馴染かな?とかイメージできるのですが…描かれていない部分も想像させる柴田ロマンの深さがたまりません。
で、ロドリーゴとシルヴィアに関しては、当人同士は結婚を前提としていて、つまり清いおつきあいだったに決まっているじゃないですか。貴族の子女同士のことでもありますし(シルヴィアの生家の爵位は出てきませんが、貴族でなければルカノールがわざわざ後妻に据えないとも思うので)。なのに、奪われてしまった、人のものになっていた、純潔を汚されていた。それが、悔しい、という男の小ささすら見えるようなのが、またたまらなくいいんですよ。でも「♪奪われて知ったこの恋しさに…」と歌うロドリーゴは本当に甘くせつなく悲しげで、愛しいですけどね! 「苛む」って歌詞がまたたまりませんよね!!
シルヴィアは、何を求めているということはないんですよね。「そんな目で見ないで」とか言うんだけど、以前のようなおつきあいはできないんだし、といって愛人になりましょうってことでもないんだし、混乱してただ嘆いている。でもすべてロドリーゴ恋しさゆえに言っていることで、自己正当化しているとか自己憐憫に浸っている女、というふうになっていないところがいい。「どこか遠いところへ一緒に逃げて」ってのもものすごく非現実的なことを言っているわけで、でもそれにある意味で応えてしまうのが愚かな男というもので。で、ロドリーゴはフェルナンドたちとの計画をシルヴィアに打ち明け、待っていてくれと告げ、抱き寄せ、誓いの口づけを交わし、一夜を過ごす…(と私は勝手に思っている)
そしてこれが結果的にはシルヴィアを追い込むのでした。結局彼らがしようとしていることは殺人なわけです、犯罪なのです。スペインの独立のためにフランスの傀儡を倒すとかなんとかいろいろ大義名分も被せているし、貴族同士の正当な決闘の面もあるかもしれないけれど、つまるところは女仇討ちであり個人的な意趣返しであり単なる復讐なわけです。法律的にセーフかもしれないし民意もあるかもしれない、けれど神は許さない。シルヴィアもまた、愛する男の手を汚させてしまう自分を許せなかったのでしょう。
それにこの時代、男は二度も三度も結婚しても、女には二夫にまみえずみたいな理想を推しつけて寡婦として残りの一生を送らせる圧力があったようです。シルヴィアがロドリーゴと再婚するなんてことはおそらくほとんど不可能だったのでしょう。強行しても外聞が悪く、社交界からつまはじきにされ、ロドリーゴの将来を奪うことになる。ロドリーゴは誰かもっと別の、清らかなお嬢さんを妻に迎える必要があるのです。それには自分が障害になる、そこまでシルヴィアは考えたに違いないのです。
ところで結局のところ彼女はどんなふうに命を絶ったのかしら、そしてそれをどんな状況でロドリーゴは見つけたのかしら…考えるだけで泣けます。でもそれをフェルナンドに訴えちゃうところが可愛いんだけどね! イヤまあそれは物語の都合でもありますが、ロドリーゴのフェルナンド好きっぷりにはニヤニヤしちゃうのでした。フェルナンド、ロドリーゴの面倒を見てあげてね…(ToT)(なんか違う話になりそうだ)
しかしあっきーの高笑いが聞けるのなんて今回だけかもしれませんよ? 貴重だわあ…
あ、会場先行で舞台写真(の一部、と信じたい)が発売されていましたが、ロドリーゴの単独ショットは柱プレイのところでしたよさすがわかってる! でもららたんとのツーショが欲しいよお…!!
夜会でのダンスといいキスシーンといい、どんどん深まってきていて繊細さを増していて、一瞬も見逃せません。キスがむやみと長い回も…あったよ…? ららたん死んじゃうから加減してあげてねあきちゃん…イヤやっぱいーや心のままにやるがいいさ!
会総見もノリノリで、ショーの「キッスは目にして」のてっぺん指差しウィンクをちゃんと三階席てっぺんの会席に飛ばしてくれたり、ラヴィングアイズの光の男なんか見上げる振りが多いものだから心おきなく会席見上げてくれていて、嬉しくて微笑ましくて笑っちゃいました。
三組デュエダンも本当に楽しそうですよねえ。最初に下手の脇階段にちょっと降りて、まいあを迎え入れるところ、まいあがすっごい嬉しそうに笑うので、きっとあっきーがいい笑顔で迎えているんだろうなあと思うとキュンキュンします。あっきー自身は後ろ向きなんだけれど。
ラスト近くに縦一列に並ぶときにもまぁ様とアイコンタクトしているのが、あっきーは後ろ姿でもまぁ様がニコッとしているので窺えます。嬉しい。その前の男役群舞が大好きだったのでそこにいないのは寂しいけれど、ここを例えば二組のデュエダンに変更するとかではなくて、三組のままで、あきまいあを入れたくれたことが本当にありがたいし嬉しいです。
でもつい、かけるとかまりなとか、エビちゃんとかゆいちゃんを探してしまうのです…バウ公演はKAATで観ます、こちらも楽しみです!
今夜はみんな横浜泊まりかな、お茶会や親睦会があった生徒さんもいたそうですね。働くなあ、お疲れさまです。
一週間がんばって働いたら、次は福岡です。私は月全ツ以来の会場かな? 博多は街ごと大好きなので、楽しんできたいと思います!
※追記
ところで私の周りでもそろそろ、前回宙組版『バレンシア』を映像でも見ていずノー予習で今回の公演を観てラストに「ええええっ!?」となる、という人は現れているし、その気持ちもわからなくはないのですが、そのまま感想のたいていが「結局はマルガリータみたいな女が勝つんですねえ…」みたいなことになるのがどうにも私は解せません。
まあ恋愛というか結婚というかを勝ち負けで語るのはどうなんだ、ということもあるけれど、それより何より、それじゃフェルナンドとマルガリータは結婚すべきではないってこと?マルガリータがフラれて不幸になればいいって思ってるってこと?って、不思議なんです。だってマルガリータって別に何も悪いことしていないじゃないですか、だからこういう人がきちんと報われる世の中であるべきなんじゃないの? 現実はそんな世の中じゃないから、なおさらお話の中でくらいそう決着すべきなんじゃないの?
だいたいさ、これは私が独身女であることのひがみから言っていると思っていただいてかまわないんですけれど、宝塚歌劇の観客の大半は女性で、その大半は主婦で、そのほとんど半分くらいは、夫の浮気に耐えながらも目をつぶって平穏な家庭生活を営む努力をしているんじゃないの? それって要するにマルガリータの生き方ってことじゃないの? だからマルガリータに共感し同情し彼女を擁護し「そうよフェルナンド、ちゃんと責任取ってよね!」って言う側に回る方が自然なんじゃないの?
そりゃ物語の主人公とヒロインはフェルナンドとイサベラだから、ふたりに結ばれてもらいたい、ハッピーエンドのお話がいい、という願望はわかります。マルガリータは考えようによっては、親の決めた結婚に安穏と乗っかってあぐらをかいているだけで、なんの努力もしていない小賢しいお嬢ちゃんで、でも「待ってる」とか言っちゃって重くてウザい女だぜ!って見方もあるでしょう。でも、世のメジャーはここにあるんじゃないの? 私は残念ながら女子らしい女子の生き方ができなくてこんなになっちゃってますけど、もっと生きるのが上手い女子はみんなちゃっかりこうじゃないの? それともみんな自分をイサベラやシルヴィアのようだと思っているの?
まあ自分がどのキャラクターのタイプかと考えることと、キャラクターに共感するとか感情移入するとかとは違うことだとはわかっていはいるつもりなのですが。とにかく、マルガリータが嫌われることに納得いかないし、近親憎悪なのかな?とすら思うのです。私は何度も書いていますが『コルドバ』のアンフェリータとか『琥珀』のフランソワーズとかの、「主人公の正当な妻・婚約者・許嫁」ってキャラクターが大好きなんですね。それが尊重されるべきだと考えているし、なのにスムーズにそうならないところがドラマチックなのだとも思っているし、だけど単なる嫌な女とかヒロインの恋敵にしてしまうのではない作家の姿勢が好きだし、私が今のところなれていない立場なだけに憧れるというのもあるのです。ここを否定して自分の首を絞めたくないんですよね。
現実には、フェルナンドみたいな男がマルガリータみたいな女と結婚しながらイサベラみたいな女と愛人関係を続ける、ということが多いのではないでしょうか。そして誰も幸せにならなかったりする。けれど柴田ロマンはそれを選択しない。イサベラから、女から別れを切り出させ、残された男が泣いて終わる。宝塚歌劇だから、お話だから。どんなにつらくても、それが理想的で、美しいから。この先、また違った、幸せな未来がそれぞれのキャラクターにありえるのかもしれないという希望を残せるから。
そしてここで話を切り上げる。イサベラがラモンと本当に幸せになってしまったら、フェルナンドがイサベラを忘れてマルガリータと幸せになってしまったら、それはあまりに現実的で、「お話」にはならないから。実際にそうした選択をした人間はその後、絶対にそういう別の形の幸せを手に入れて生きていくと思います。失恋を抱えて生き続けるには、人生はつらすぎるから。
…というのが私の人生観であり物語観であり、だから柴田ロマンが好きなんだけれど、もちろんだから嫌、そこが嫌という人もいるだろうことはわかるのですがしかし、どうもそういう人と話をしていて納得できたことがないというか、論理的にほほうと思える説明にあったことがない…まあ私がそこからの話を避けちゃってるところはあるかな?
今回に関して言えば私にはまどかが好演していると思えるだけに(映像でしか見ていませんが和音美桜ちゃんもとてもよかったと思う)、なんかすごくモヤモヤするのでした。マルガリータの生き方も楽ではないと思うし、でも生まれ落ちる場所をもし選べるなら三人の中ならここじゃない?とかも私は思うし、なので私はそういう感覚に素直でいたいんだよなあ…
全然違う理由でこのお話やこのキャラクターに違和感を感じている、という方がいましたら、すみません。すごく一面的な、個人的な見方しかできていない自覚はあるのです。でも自分をスッキリさせるために、ちょっと書いてみました。
でも三階ロビーからの銀杏越しの港の眺めは素敵でした。中華街目撃情報もあったし、組子も横浜をゆっくり楽しめたんだったらよかったな。おいしいものがたくさんあるので、いっぱい食べて行ってくれたらいいな。そしてここからは首都圏を離れて本当に旅興行、地方公演という感じになりますよね。リピーターもたくさんついていくとはなかなかいかない土地で、アウェイ感もあるでしょうが、心を強くしてがんばってきていただきたいです。
神奈川県出身者はりりこ、カテコでまぁ様に紹介されていました。よけてあげるあっきーの姿が可愛らしかったよ…
横浜初回のお芝居のプロローグ、一度上手袖に引っ込むところであっきーが入る袖を間違えかけていたのが激カワでした。ショーのプロローグではきゃのんにはスポットライトが当たっているのにすっしぃさんにしばらく当たらなくてヒヤヒヤしたり、全ツあるあるも変わらず続いています。
日曜は収録だったようですが、はりきったまぁ様が歌でケロッたりしていたのもご愛嬌。雰囲気は変わらずいいままで、順調に公演を続けている印象です。マルガリータのスイカズラのソロのあとにも拍手が入るようになって、嬉しいです。(※追記あり)
さすがにいろいろ慣れてきて、それでもやっぱりまだまだいろいろ発見があったり、深読みし始めたりと、あいかわらず萌え活動が忙しいです。
配役発表以前には、例えばイサベラがまどかになるならゆうりちゃんのシルヴィアか?とか思ったり、ゆうりイサベラが発表されてからもシルヴィアはしーちゃんあたりかな?とか思っていたものでしたが、今となってはららたんでよかった!としか思えませんね。どちらでももちろん観てみたかったけれど、あたりまえですがこのシルヴィアにはならなかった。そうしたらあっきーロドリーゴもきっと何かしら変わっていたろうと思うのです。
ゆうりちゃんやしーちゃんだともう少しおちついたシルヴィアになって、あきらめかけた哀しさみたいなものももっと漂ったのかもしれません。それに対してあっきーはどう出ていただろうかな…ロドリーゴの方がかなり子供っぽく見えるような役作りもあったかもしれませんね。
でも、今のものが、やはりいい。仮定で比べても仕方ないんだけれど(^^;)。本当に相手役さんがいるって素晴らしい、がっつり組んだお芝居を見せてくれるって楽しい。そしてあっきーとららたんの映りの良さ、相性、お互いがお互いをより素敵に見せている相乗効果に、本当に感動しかありません。
ロドリーゴというキャラクターは、まあこの三人の中ではクールな二枚目のアオレンジャーであればいいのだと思うので(ちなみにフェルナンドがザッツ主人公のアカレンジャー、ラモンがカレー好きの好漢・キレンジャーです。だからプロローグのスパニッシュのキーカラーは、今はまぁ様が赤、ゆりかがオレンジ、あっきーが緑だけれど、この三色にすればよかったのにと思っている私なのでした)、その枠さえ守っていれば役者によってどんなふうにでも色づけさせられる役なのだと思うのだけれど、今回のあきリーゴは本当に絵に描いたようなロドリーゴっぷり(ヘンな日本語ですみません)と言っていいのではないかしらん。柴田先生にも満足していただけたのならよかったなあ。
なんか、中の人は、本当ににゆるくて可愛くていい子なフツーの人なんですよ。ちなみに脱線しますが、なのでポスターカレンダーはあんな画一的な決め顔じゃなくて、ほわわんとした笑顔の方がよかったんじゃないかと思うんだよなあ。本人は男役としてカッコ良く見られたいから決めたがる、それはわかるんだけど、それはみんなもすることだからさ。素のあの笑顔のやわらかさは、ガードやギャラリーに来る人、お茶会に参加する人くらいまでしか知られていないワケで(最近はスカステの露出も増えたかな…革の番組、ゆるくて可愛かったよねえ…)、もっとどんどんアピールして表に出して売っていった方がいい面なのではないかと思うのですよ。
で、まあそれはともかく、そんなワケで中の人はそんななのですが、どうしてひとたび舞台に立つと生まれながらのお貴族さま、上品で高貴でロイヤルでノーブルな空気が生まれちゃうんでしょうかねえ? そりゃ美貌ってのもあるんだけど、本当に不思議。
で、そんな持ち味の人に今まで貴族っぽい役が来なかったっていうんだから、そりゃ今までなかなかブレイクしないはずだよね、としかもう言いようがありませんよね。一昨年の全ツ『ベルばら』のジェローデルくらい?ってことですもんね。演目の巡り合わせとかもあるから仕方ないんだけれど、そりゃ劇団、損失だったよ…そして今、やっと、取り返すかのように、水を得た魚のように、当たり役を得て輝いているワケですよこの人は!
何不自由なく育ったお坊ちゃんで、聡明で、優秀で、挫折を知らず、だからちょっと高慢で頑固で、生真面目で神経質なところもあって、でも愛する者に対してはちゃんと優しいし情にも篤い。自分の非はちゃんと認める潔さもあるし、広い度量もある。
けれど、叔父(伯父かな?)に言われるがままに恋人をおいて首都遊学なんかに出て、その間に恋人を奪われ、でも何もできないし叔父に文句も言えない自分を責め、悔やみ、恋人にも当たり、あきらめようとしても思いきれず、拗ねている。
友達に安酒場に呼び出されて出向くものの、こんな下町に来ることそのものが不本意だし、不潔そうで嫌だし、つきまとう女たちはわずらわしいし、絡んでくる男は小うるさいし…ともう不機嫌全開でプンスカしているロドリーゴが愛しくて仕方ありません。これがチャーミングに見えるんだからたいしたものですよね。え、欲目かな?
ロドリーゴとシルヴィアの出会いとは、どんなものだったのでしょうね? あるいはフェルナンドとイサベラの出会いは? どんなふうに恋に落ちたのでしょうね?
ラモンとイサベラはロマのコミュニティの中で一緒に生まれ育った幼馴染かな?とかイメージできるのですが…描かれていない部分も想像させる柴田ロマンの深さがたまりません。
で、ロドリーゴとシルヴィアに関しては、当人同士は結婚を前提としていて、つまり清いおつきあいだったに決まっているじゃないですか。貴族の子女同士のことでもありますし(シルヴィアの生家の爵位は出てきませんが、貴族でなければルカノールがわざわざ後妻に据えないとも思うので)。なのに、奪われてしまった、人のものになっていた、純潔を汚されていた。それが、悔しい、という男の小ささすら見えるようなのが、またたまらなくいいんですよ。でも「♪奪われて知ったこの恋しさに…」と歌うロドリーゴは本当に甘くせつなく悲しげで、愛しいですけどね! 「苛む」って歌詞がまたたまりませんよね!!
シルヴィアは、何を求めているということはないんですよね。「そんな目で見ないで」とか言うんだけど、以前のようなおつきあいはできないんだし、といって愛人になりましょうってことでもないんだし、混乱してただ嘆いている。でもすべてロドリーゴ恋しさゆえに言っていることで、自己正当化しているとか自己憐憫に浸っている女、というふうになっていないところがいい。「どこか遠いところへ一緒に逃げて」ってのもものすごく非現実的なことを言っているわけで、でもそれにある意味で応えてしまうのが愚かな男というもので。で、ロドリーゴはフェルナンドたちとの計画をシルヴィアに打ち明け、待っていてくれと告げ、抱き寄せ、誓いの口づけを交わし、一夜を過ごす…(と私は勝手に思っている)
そしてこれが結果的にはシルヴィアを追い込むのでした。結局彼らがしようとしていることは殺人なわけです、犯罪なのです。スペインの独立のためにフランスの傀儡を倒すとかなんとかいろいろ大義名分も被せているし、貴族同士の正当な決闘の面もあるかもしれないけれど、つまるところは女仇討ちであり個人的な意趣返しであり単なる復讐なわけです。法律的にセーフかもしれないし民意もあるかもしれない、けれど神は許さない。シルヴィアもまた、愛する男の手を汚させてしまう自分を許せなかったのでしょう。
それにこの時代、男は二度も三度も結婚しても、女には二夫にまみえずみたいな理想を推しつけて寡婦として残りの一生を送らせる圧力があったようです。シルヴィアがロドリーゴと再婚するなんてことはおそらくほとんど不可能だったのでしょう。強行しても外聞が悪く、社交界からつまはじきにされ、ロドリーゴの将来を奪うことになる。ロドリーゴは誰かもっと別の、清らかなお嬢さんを妻に迎える必要があるのです。それには自分が障害になる、そこまでシルヴィアは考えたに違いないのです。
ところで結局のところ彼女はどんなふうに命を絶ったのかしら、そしてそれをどんな状況でロドリーゴは見つけたのかしら…考えるだけで泣けます。でもそれをフェルナンドに訴えちゃうところが可愛いんだけどね! イヤまあそれは物語の都合でもありますが、ロドリーゴのフェルナンド好きっぷりにはニヤニヤしちゃうのでした。フェルナンド、ロドリーゴの面倒を見てあげてね…(ToT)(なんか違う話になりそうだ)
しかしあっきーの高笑いが聞けるのなんて今回だけかもしれませんよ? 貴重だわあ…
あ、会場先行で舞台写真(の一部、と信じたい)が発売されていましたが、ロドリーゴの単独ショットは柱プレイのところでしたよさすがわかってる! でもららたんとのツーショが欲しいよお…!!
夜会でのダンスといいキスシーンといい、どんどん深まってきていて繊細さを増していて、一瞬も見逃せません。キスがむやみと長い回も…あったよ…? ららたん死んじゃうから加減してあげてねあきちゃん…イヤやっぱいーや心のままにやるがいいさ!
会総見もノリノリで、ショーの「キッスは目にして」のてっぺん指差しウィンクをちゃんと三階席てっぺんの会席に飛ばしてくれたり、ラヴィングアイズの光の男なんか見上げる振りが多いものだから心おきなく会席見上げてくれていて、嬉しくて微笑ましくて笑っちゃいました。
三組デュエダンも本当に楽しそうですよねえ。最初に下手の脇階段にちょっと降りて、まいあを迎え入れるところ、まいあがすっごい嬉しそうに笑うので、きっとあっきーがいい笑顔で迎えているんだろうなあと思うとキュンキュンします。あっきー自身は後ろ向きなんだけれど。
ラスト近くに縦一列に並ぶときにもまぁ様とアイコンタクトしているのが、あっきーは後ろ姿でもまぁ様がニコッとしているので窺えます。嬉しい。その前の男役群舞が大好きだったのでそこにいないのは寂しいけれど、ここを例えば二組のデュエダンに変更するとかではなくて、三組のままで、あきまいあを入れたくれたことが本当にありがたいし嬉しいです。
でもつい、かけるとかまりなとか、エビちゃんとかゆいちゃんを探してしまうのです…バウ公演はKAATで観ます、こちらも楽しみです!
今夜はみんな横浜泊まりかな、お茶会や親睦会があった生徒さんもいたそうですね。働くなあ、お疲れさまです。
一週間がんばって働いたら、次は福岡です。私は月全ツ以来の会場かな? 博多は街ごと大好きなので、楽しんできたいと思います!
※追記
ところで私の周りでもそろそろ、前回宙組版『バレンシア』を映像でも見ていずノー予習で今回の公演を観てラストに「ええええっ!?」となる、という人は現れているし、その気持ちもわからなくはないのですが、そのまま感想のたいていが「結局はマルガリータみたいな女が勝つんですねえ…」みたいなことになるのがどうにも私は解せません。
まあ恋愛というか結婚というかを勝ち負けで語るのはどうなんだ、ということもあるけれど、それより何より、それじゃフェルナンドとマルガリータは結婚すべきではないってこと?マルガリータがフラれて不幸になればいいって思ってるってこと?って、不思議なんです。だってマルガリータって別に何も悪いことしていないじゃないですか、だからこういう人がきちんと報われる世の中であるべきなんじゃないの? 現実はそんな世の中じゃないから、なおさらお話の中でくらいそう決着すべきなんじゃないの?
だいたいさ、これは私が独身女であることのひがみから言っていると思っていただいてかまわないんですけれど、宝塚歌劇の観客の大半は女性で、その大半は主婦で、そのほとんど半分くらいは、夫の浮気に耐えながらも目をつぶって平穏な家庭生活を営む努力をしているんじゃないの? それって要するにマルガリータの生き方ってことじゃないの? だからマルガリータに共感し同情し彼女を擁護し「そうよフェルナンド、ちゃんと責任取ってよね!」って言う側に回る方が自然なんじゃないの?
そりゃ物語の主人公とヒロインはフェルナンドとイサベラだから、ふたりに結ばれてもらいたい、ハッピーエンドのお話がいい、という願望はわかります。マルガリータは考えようによっては、親の決めた結婚に安穏と乗っかってあぐらをかいているだけで、なんの努力もしていない小賢しいお嬢ちゃんで、でも「待ってる」とか言っちゃって重くてウザい女だぜ!って見方もあるでしょう。でも、世のメジャーはここにあるんじゃないの? 私は残念ながら女子らしい女子の生き方ができなくてこんなになっちゃってますけど、もっと生きるのが上手い女子はみんなちゃっかりこうじゃないの? それともみんな自分をイサベラやシルヴィアのようだと思っているの?
まあ自分がどのキャラクターのタイプかと考えることと、キャラクターに共感するとか感情移入するとかとは違うことだとはわかっていはいるつもりなのですが。とにかく、マルガリータが嫌われることに納得いかないし、近親憎悪なのかな?とすら思うのです。私は何度も書いていますが『コルドバ』のアンフェリータとか『琥珀』のフランソワーズとかの、「主人公の正当な妻・婚約者・許嫁」ってキャラクターが大好きなんですね。それが尊重されるべきだと考えているし、なのにスムーズにそうならないところがドラマチックなのだとも思っているし、だけど単なる嫌な女とかヒロインの恋敵にしてしまうのではない作家の姿勢が好きだし、私が今のところなれていない立場なだけに憧れるというのもあるのです。ここを否定して自分の首を絞めたくないんですよね。
現実には、フェルナンドみたいな男がマルガリータみたいな女と結婚しながらイサベラみたいな女と愛人関係を続ける、ということが多いのではないでしょうか。そして誰も幸せにならなかったりする。けれど柴田ロマンはそれを選択しない。イサベラから、女から別れを切り出させ、残された男が泣いて終わる。宝塚歌劇だから、お話だから。どんなにつらくても、それが理想的で、美しいから。この先、また違った、幸せな未来がそれぞれのキャラクターにありえるのかもしれないという希望を残せるから。
そしてここで話を切り上げる。イサベラがラモンと本当に幸せになってしまったら、フェルナンドがイサベラを忘れてマルガリータと幸せになってしまったら、それはあまりに現実的で、「お話」にはならないから。実際にそうした選択をした人間はその後、絶対にそういう別の形の幸せを手に入れて生きていくと思います。失恋を抱えて生き続けるには、人生はつらすぎるから。
…というのが私の人生観であり物語観であり、だから柴田ロマンが好きなんだけれど、もちろんだから嫌、そこが嫌という人もいるだろうことはわかるのですがしかし、どうもそういう人と話をしていて納得できたことがないというか、論理的にほほうと思える説明にあったことがない…まあ私がそこからの話を避けちゃってるところはあるかな?
今回に関して言えば私にはまどかが好演していると思えるだけに(映像でしか見ていませんが和音美桜ちゃんもとてもよかったと思う)、なんかすごくモヤモヤするのでした。マルガリータの生き方も楽ではないと思うし、でも生まれ落ちる場所をもし選べるなら三人の中ならここじゃない?とかも私は思うし、なので私はそういう感覚に素直でいたいんだよなあ…
全然違う理由でこのお話やこのキャラクターに違和感を感じている、という方がいましたら、すみません。すごく一面的な、個人的な見方しかできていない自覚はあるのです。でも自分をスッキリさせるために、ちょっと書いてみました。