駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

角幡唯介『アグルーカの行方』(集英社文庫)

2017年04月28日 | 乱読記/書名あ行
 1845年、英国を出発したフランクリン隊は北極探検中にその姿を消した。ヨーロッパとアジアを結ぶ幻の航路を発見するために出航した一行は、北極の厳しい環境と飢えにより総勢129名が全滅。極寒の地で彼らはどんな光景を目にしたのか。著者は冒険家の友人とふたり、その足跡をたどる旅に出た。三か月以上にわたって北極の荒野を進んだ壮大な探検記。第35回講談社ノンフィクション賞受賞作。

 私は小説の他にノンフィクションも読むのが好きで、そのジャンルもいろいろですが、この旅行記というか探検記というか歴史ミステリー解決編というかな作品もおもしろく読みました。自分が生きる世界、生き方とは違いすぎて、ね…
 地球の広さ大きさを知るために人は旅に出、またその本を読むのでしょう。通勤中にちみちみ一週間ほどかけて読みましたが、脳内旅行を十分に楽しみました。
 

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桐野夏生『夜の谷を行く』(文藝春秋)

2017年04月23日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 39年前、西田啓子はリンチ殺人の舞台となった連合赤軍の山岳ベースから脱走した。5年余の服役を経て、今はひとり静かに暮らしている。だが2011年、元連合赤軍幹部・永田洋子の死の知らせとともに、忘れてしまいたい過去が啓子に迫ってくる。元の仲間、昔の夫から連絡があり、姪に過去を告げねばならず、さらには連合赤軍を取材しているというジャーナリストが現れ…革命を夢見ていた女たちの、もうひとつの真実の物語。

 あさま山荘事件は1972年。私は1969年生まれなので、親の世代かちょっと下の人が起こした事件であり、またうちの親は中卒で働き出して事件時点ですでに家庭を持っていたような人たちなので学生運動への関わりもなかったろうし、とちょっと他人事のような、でもやはり特殊な事件だと知識としては知っていて興味もあって…というので手に取ってみました。
 とてもおもしろく読んだのですが、結局はこれはフィクション…なのかな? でもたとえルポルタージュだったとしても、事件をどう切り取りどこの何を訴えようとして描くかはその作家なりの視点が必要だと私は思っていて、それがどうにも見えなかったので、けっこうびっくりなオチにもかかわらずそこから何も立ち上がらずにあっさり終わってしまったように見えて、ちょっと肩透かしでした。
 こういうこともあったろう、こういうふうに生きている人もいるだろう。一言では言い表せないものでもあろう。でもだからこそ小説にしたためたんじゃないの? でもなんか淡々としすぎていて「え? だから?」となってしまいました。
 若さの愚かさを訴えたかったの? 革命の愚かさを? それともそれでも営まれる生命の尊さを? 過去からは逃れられない、とか、それでも明るい未来はありえる、とか?
 もちろん結論がないことが結論である…ということなのかもしれないけれど、なんか中途半端に私には思えて、ちょっと残念だったのでした。


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『エレクトラ』

2017年04月19日 | 観劇記/タイトルあ行
 世田谷パブリックシアター、2017年4月17日19時。

 戦禍渦巻く中、ギリシアの地アルゴスの王アガメムノン(麿赤兒)は自分の長女イピゲネイア(中嶋朋子)を生贄に差し出すことでトロイアとの戦争を終結に導く。帰国したアガメムノンは妻クリュタイメストラ(白石加代子)とその情夫アイギストス(横田英司)によって暗殺される。アガメムノンの次女エレクトラ(高畑充希)は父の死や弟オレステス(村上虹郎)の不在を嘆きながら、母と情夫への復讐を胸にひどい暮らしをしている。エレクトラの妹クリュソテミス(仁村紗和)は姉を説得しようとするが…
 原作/アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス、上演台本/笹部博司、演出/鵜山仁、作曲・演奏/芳垣安洋、高良久美子。りゅーとぴあプロデュース公演第2弾。全2幕。

 何度か書いていますが私はギリシア神話というかトロイア戦争オタクで、このあたりのネタが大好きなので(たとえばこちらとか)いそいそと出かけてきました。
 とてもおもしろかったです。まったく退屈しませんでした。古典劇となると変に詩的で意味不明瞭な台詞が連なることもままあるものですが、今回の台本はそういうことはなかったし、それでも長く饒舌で膨大な台詞を七人の役者が類まれなる力量と集中力で明晰に感情豊かにしゃべり、飽きさせず芝居に集中させてくれました。
 高畑充希はいい女優さんですね。声がいいし、集中力が素晴らしい。歌もいいミュージカル女優さんでもありますが、こんな芝居のタイトルロールができるんだからたいしたものです。ウザ可愛い主人公をチャーミングにまた苛烈に演じきっていました。
 仁村紗和はこれが初舞台だそうですが、とてもよかったです。この人が一番まともなキャラクターなんだけれど、だからこそ後半出てこなくなっちゃうんですよね。ひどいなギリシア悲劇!(笑)
 二幕からの登場となる中嶋朋子もさすがでした。彼女たち姉妹からするとオレステスの村上くんにはもう一息アクがあってもよかったと思うけれど、これは女の物語として描いているようなところもあるんだろうから、これはこれでいいのかな。
 その意味ではアイギストス、アガメムノンの存在感のなさも同様ですね。ふたりとも他の役の方が出番が多いというか舞台にいる時間が長いくらいでした。でもそういうのもいい。
 そして白石加代子が圧巻となりすぎていなかったこともよかったと思いました。やはりタイトルロールはエレクトラですしね。クリュタイムストラはもちろんヒロインに足る魅力的で豊かな女性キャラクターだなと改めて思わされましたが、今回はやはりヒロインの母親であり父の仇、というポジションをきちんと務めていてとてもよかったです。あともちろんアテナ役ね! てかアポロンとかまで出てきちゃうの、いいよねギリシア悲劇! もちろんもっと神と人との距離が近かった時代の物語だからかもしれないし、神様が出てきてバン!と裁定して話にケリをつけるというのは乱暴ですがなかなか爽快でもありました。
 そしてオチは意外と単純なんですよね。父を愛し母を憎んだ娘に、人の妻となり母となる未来が提示され、愛と憎しみは表裏一体で不可分であること、だから許せ、愛せ、未来の命に希望を託せ…と神に命じられて人もそれに応えようとし、そうして幕は静かに降りるのでした。
 クリュタイメストラはアイギストスとの間に子供もなしていたようだし、そこがまたオレステスたちに復讐したら本当に連鎖は避けられないわけです。だからどこかで止めるしかない。その勇気を持てるかどうかが勝負なのです。
 2500年も前にそんな真実が書かれ、しかし人類は残念ながら未だその域に到達できていないようです。世界は争いに満ち、愛は足りていないように思えます。しかしだからこそ戯曲は繰り返し上演され、人は劇場に詣でるのでしょう。神の託宣を聞くかのように。それで少しでも前進できると信じて。その助けになると信じて戯曲もまた上演される。そんな美しい営みに想いをはせたりも、したことでした。



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『王妃の館』東西新公雑感

2017年04月16日 | 観劇記/タイトルあ行
 お友達のおかげで東西で観られましたので、覚え書きを。
 『グランドホテル』もそうだったのですが、東西両方で観ると何故か大劇場のときの方が良く思えるのは、やはりこちら側の心持ちの問題なのでしょうね。こちらが初めて観るという新鮮さもあるし、生徒の体当たり感に感動しちゃうのかもしれません。普通なら東京の方がより上手くなっていて感心するはずですからね。あと大劇場の方がご家族とかが多くて空気が温かいのかもしれません。
 今回の公演も、間が難しいコメディー、かつ本役さんがそれぞれ当て書きかと思えるようなハマりっぷりなのでなかなか大変かと思われましたが、みんな工夫して健闘している感じはあったかな。違いなどおもしろく見ました。でも笑いはやはり東京では少なかった気がします。難しいものですね。最初から空気が動かせてなかった気がしたんだよなあ…本役さんって偉大ですね。

 さて、では主演から。
 右京さんという役は、売れっ子なんだろうしカッコいいんだけどなんかちょっと残念、という愛嬌が必要で、まぁ様がそのあたりが絶妙なだけにあーちゃんはどうかな?とちょっと心配していました。言い方アレかもしれないけれど、わかりやすく美形!ってタイプじゃないから、外見でカバーできないじゃないですか。
 でも、まぁ様とはまた違った残念さや変人さをきちんと出せていたし、より生真面目で一生懸命っぽそうというか、ナルシストとかではなく視野が狭そうな感じというか、ある種の若さとまっすぐさが、このキャラクターを応援してあげたいなと観客に思わせる効果を出していたように思えて、良かったと思います。そういう部分はあーちゃんの個性だし技だと思います。歌もうまいし、そこは安心。
 主演ができてよかったよね、あーちゃん。怪我と休演で試験が受けられなかったのか成績も落ちちゃってたけど、歌えるし踊れるし確実に組の戦力になる生徒です。これまた言い方アレだけど路線かと言われれば正直微妙かなとは思うんですけれど、でも力量がある生徒には新公主演くらいさせておいた方がいいと思うのです。このあとの扱いが全然違ったりしちゃうんだもん、他の組でももったいない例はいくつもあげられますよ…?
 この経験を糧に、さらにおっきくなっていっていただきたいです。

 ららたんは東京では鬘を変えてきていましたよね? そして東京ではより丁寧に歌を歌っている印象で、とても好感を持ちました。もっと自信持てばいいのになー、苦手そうに歌うのはもったいない気がしました。
 大劇場でも私は十分「働いているお姉さん」感が出せていたかなと思っていましたが、東京でさらにシャカリキ感を強く出そうとしたのかな? ちょっとキンキン感じました。
 でも全体に声がいいのは舞台人として武器だと思うんですよね。バウヒロイン来ないかなあ、観たいなあ…

 こってぃは大劇場ではかなり緊張していたとも聞きましたが、ルイの慇懃無礼さとか生きた国や時代が右京さんたちとは違う感じにうまくつながっていて、良かったと思いました。歌声は本当に安心できますね。ただこれまた路線の顔かと言われると微妙な気がする…でも大物感はある生徒なので、上手く育ててほしいです。
 ディアナまどかは、正直しどころのない役なので勉強になっているんだろうかと不安になりました。東京の方がなんとなく感じがよかったかな。
 プティ・ルイは湖々さくらちゃん休演により水音志保ちゃん、可愛かった! ちゃんとした娘役の役も見たいです。
 ムノンのナベさんは上手いよね手堅いよね安心だよね。ご主人様よりおっきい侍従ってのも愛らしくて良かったです。
 アンヌ・ドートリッシュのはる香心ちゃんが美人で怖くていい感じでした。マリー・テレーズの花宮沙羅ちゃんはなんと研一さん、立派なものでした。声がいい! 

 光ツアーでは金沢さんのもえこが出色だったと思いました。主演をしてからまたこういう役に回るとホントいいよね。素の性格としてははっちゃけるタイプじゃないんだろうから大丈夫?と心配していただけにうれしい誤算でした。硬軟自在で楽しそうにやっていて、頼もしかったです。
 ミチルのまいあも芝居が良かった。美脚が素晴らしいってのもありますが、まどかちゃんとは持ち味がそもそも違うので、古風な意味での水商売上がり感があってよかったし、ヘンにきゃいきゃいしていないからこそ金沢さんとは真剣な恋愛なんだろうな…って感じで、「私には一生言わせないつもり?」のくだりはきゅんきゅんしました。次は新公ヒロインをゼヒ!
 下田夫妻はなっつと天瀬はつひちゃん、これまた上手い! 私はなっつの声が好きで、顔も見つけやすいし(^^;)ついつい追っちゃうのですが、お芝居もいい感じのしょぼくれ具合でした。はつひちゃんの疲れた主婦感も素晴らしい。しっとり情感があって、山場に見せてくれました。
 早見さんのさよちゃんは大劇場では場をさらいましたよね。せーことはまた違うノリのキャリアウーマンっぷりと酔っ払い芸、メガネメガネのギャグ、素晴らしかった!
 ピエールの真名瀬みらくんはそらより美形でよりプレイボーイ? なんかすごくキラキラしていて、こちらも良かったです。

 影ツアーでは戸川くんわんたが大劇場と少し台詞や芝居を変えてきたようでした。上手いし、舞台度胸を感じるなあ。わりとでっかく見える方なだけに、ちっちゃくなっておたおたしていて寝癖つけてるだけでおもしろい…というのは得だったかもしれません。この先が楽しみ。
 岩波夫妻はせりちゃんとりらちゃん。せりちゃんができる子なのは知っていましたが、りらちゃんには驚きましたよね。可愛いけど役が全然つかないし、何もできないタイプなのかと思っていましたが(失礼)、お芝居いいじゃん!と思いました。
 丹野夫妻はりりこと雪乃かさりちゃん。りりこのうさん臭さはれいか様とはまた違っていて、妙な色気もあって、でもなんかドジっ子そうなところがよかったです。かさりちゃんもクールビューティーをきっちり演じてくれていました。
 そしてわれらがこんクレはきよちゃんとあられちゃん。あられちゃんのハイヒールがりくのと違うのはわかったんだけれど、きよちゃんのお衣装は本役のものママなのかなあ。上着がものすごくダボついて見えるんですよね。きよちゃんも小柄な方だとは思うけれどあっきーだってペラッペラなワケで、あんなに差が出るかな?と不思議なのですが、補正の年季は学年分あるからな…あのダボダボさはきよまこちゃんのダサさにつながっていてよかったと思います。パンツの丈は詰めてそう(^^;)。
 ただやはり、あられクレヨンだと普通の女性に見えちゃうんですよね。だから登場だけで客席が笑う、ということはない。りくが今、喉がしんどそうなのは本当に心配なのですが、男役の声ができていて、その上で高い女声を出してちゃんとオカマを演じているからこそちゃんとオカマに見えるんであって、そこはやはりあられちゃんではまだ弱いんですよね。男役になりきっていない下級生だから、難しいのはあたりまえなんですけれどね。クレヨンには、むしろこういう可愛らしいタイプの男役さんを配さなかった方がよかったのかもしれません。いっそきよと逆とかね。
 でも同期ゆえのこんクレの喧嘩しつつもイチャイチャと仲良し、って空気はよく出ていて、やっぱり微笑ましいカップルでした。東京ではあきりくもより身長差をつけているんだけれど(りくのヒールが高くなり、あっきーはスニーカーのインソールを抜いた?)、きよあられも身長差がかなりあって、きよまこちゃんのチューされたらやり返チューがかなり下から唇とんがらして迫る、中学生感あふれるものになっていましたね。あれもダサいきよまこちゃんだからいいのです。
 ここは、東京ではあきまこちゃんもちょっとそっちにシフトしているように私には見えるのですが、私はここはまこちゃんにしてはスマートすぎる!ってくらいスマートなキスでもいいんじゃないかと思っている派なので、この先も注視したいです。だってあきまこちゃんだから。あっきーのまこちゃんは、まこちゃんにしては無駄に美形でスマートなところがいいんだと私は思っているからです。
 大劇場前半で、下田夫妻を見ていてふと寂しくなっちゃったクレヨンを追うまこちゃんが、クレヨンの背中に手を当てるのはまこちゃんとしてはスマートすぎる!と私は思っていて、ここが途中からただクレヨンの隣にドラえもん立ち(いわゆる仁王立ちのこと。手をグーにして脇を開いて立つ、まこちゃんのあのポーズのことです)するように変わったのはよかったと思っていたんですよね。その開いた脇にクレヨンが腕を組んでこないのが寂しい…みたいな。
 でも、チューされたらやり返チューは、スマートでいいと思うんですよね。だってドリームだから。どんな自主練を!?とか彼女いない歴30年とか詐称では?くらい、カッコいいキスでいいんだと思うんだよなあ。ここにおもしろさは求めていないのです。そもそも状況がおもしろすぎるからこそ、ドリームがあった方がいいと思うんだよなあ…ま、あくまで私のごく個人的な要望ですが。

 東京公演は今日が中日かな? 後半の盛り上がり、仕上がりがますます楽しみです。堅い企業の貸し切り公演のアウェイ感に翻弄されつつも(笑)、必死で頑張る組子たちを尊敬せずにはいられません。暖かになってきましたし、健康に気を付けて、よく笑ってよく食べてよく眠って、元気にがんばっていただきたいです。
 







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音楽夜話

2017年04月09日 | 日記
 あれだけ書きっぱなしだとなんかちょっとアレかしらとも思ったので、今回はょっと真面目ぷろうと思います。
 私は宝塚歌劇ファンであることをまったく隠していませんし、人に布教するのも大好きです。面倒なこともあるけれど、「一度は観てみたいんですよー」くらいなことを言う人をちゃんと観劇セッティングしてアテンドするのがけっこう好きなのです。先輩ぶるチャンスを逃さない、嫌な人間だと自分でも思います(^^;)。
 私の現在の交友関係は仕事・会社関係かヅカ友、にほぼほぼ二分されるので(あとはやや最近疎遠になってしまいましたが乗馬仲間と、最近忙しくてまったく通えていない社交ダンスのお教室のお友達くらいしか友達がいません…)、新規で誘うのは要するに職場の後輩とかお仕事相手ばかりです。で、みんな好奇心旺盛で楽しみに来てくれるんだけど、いかんせん忙しい仕事をしている人たちなので、ぶっちゃけ観劇中に寝ちゃうことはよくあります。
 その観察から考察したことが最近ありまして、今回はその話なのです。
 私が得た結論は、「人はたいてい、ミュージカルの歌で寝る」ということです。
 暗くなり静かになるとどうしても眠気を誘われがちなものですが、芝居パートでは舞台が暗かろうとトーンが静かだろうと人は意外に台詞を聞き物語を追おうと集中するので、寝ないものです。でも歌になると途端に寝る人が多い。慣れないと歌詞が聞き取りづらいから、ということもあるでしょうが、ミュージカルの歌は感情を抽象的に歌うものだから、情報量としては少ない、と脳が判断するんだと思うのですよ。だからどんなに盛り上がったドラマチックな楽曲だろうと、ここは真剣に追わなくてもいい、休憩して平気、という信号が脳から出るんだと思います。
 例えば『王妃の館』だとルイのソロとか玲子さんのソロ、右京さんと玲子のデュエットとかね。実にみんなよく寝ます。でも芝居になると、台詞が、人の話し声が聞こえ出すと起きるんですよね(歌の直後の拍手に起こされるというのもあるけれど)。で、下田夫妻の心中騒動が解決されるあたりからはちゃんと集中して観てそのまま大団円を迎えるので、みんなが上手くいってよかったね、楽しいいい作品だったね、と大満足大興奮で幕間に語り合うことになるのでした。彼らがけっこう寝ていてもストーリーはほぼほぼ追えていることはそういうときの話でわかるし、たいしたものだなと感心します。
 ショーではほぼみんなが寝ないのは、照明も明るい、音量も大きい、リズムも激しいということもあると思いますが、歌の歌詞にあまり意味がなくて聞いていないことはほぼ変わっていなくて、むしろダンスの情報量に引き付けられて寝る暇がないんだと思います。群舞やフォーメーションの変化から意味を読み取ろうとするのだろうし、ストーリー仕立ての場面なら衣装からキャラクターを読み取ったりダンスが表す物語を読み取ろうとして脳が忙しく働いているんだろうと思うんですよね。
 で、最後はフィナーレとパレードの怒涛の洪水に飲み込まれ脳が心地よく披露し、「楽しかった、また誘ってくださいね」となって終わる…のではないかと思うのでした。
 だから、もちろんショーの主題歌を口ずさんで帰るくらいは一見さんでもするだろうけれど、例えば音楽がいいとかいうことをほめられることはまずない、というのが私の経験です。演者の歌が上手、と言われることはありますが、それは声が大きい(マイク乗りがいい)とか音程が正しくて聞いていて心地よい、という程度のことのように私には思えます。歌唱だけでドラマチックなパフォーマンスを見せられる生徒は限られていますし、そもそもこちらにもそこまで耳の訓練ができていないのではないかとも思うのです。
 根拠は何か今ひとつ怪しい気もしますが、日本人は音楽性に乏しい民族である、と言われたりするのはもしかして一理くらいはあるのではないでしょうか。私は宝塚歌劇にはもっと新しい才能を持った演出家やショー作家が欲しいともちろん思っていますが、それより何より新しい作曲家が欲しいと本当に思っています。いつまでも高橋城と青木朝子の起用の繰り返しじゃダメなんじゃないのかな?
 海外ミュージカルの何がいいって楽曲がいい、とみんな言いますが、要するにそういうことなんだと思うのです。海外の作曲家が作った音楽に日本のオリジナルの音楽が勝てていないということなのです。というか勝負にすらなっていないんだと思うのです。
 エリザしかりスカピンしかり、話は意外と単純だし何度も再演されているのでみんな知っているしそうそう変えようがないし、だから飽きかねないんだけど、でも音楽は本当に何度聞いてもいい…みたいな評価をされることが多いように思うのは、そういうことだと思うんですよね。
 でもそれではすごく寂しい。宝塚オリジナルの、楽曲も高く評価され再演や海外輸出上演に足るクオリティの作品がもっともっと生まれてほしい。一朝一夕にはなんともならないものなのでしょうが、作曲家の育成にも力を入れてほしいなあと切に願っているのでした。
 なので広く門戸を開き才能を集った方がいいので、今週もせっせと知人を同伴して通う所存です。彼らがファンになってくれて自分でチケット取るようになって甥とか姪とか子供たちを誘って観にいくようになってそこからまたファンが生まれて、彼らが入団して作り手になってくれたらうれしい。そういう長期戦略です(笑)。
 夢は大きく、豊かに。今週も楽しくがんばりたいと思います。あ、仕事もします! 稼いでなんぼですからね(^^;)。
 

 




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