駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ウェイトレス』

2021年03月31日 | 観劇記/タイトルあ行
 日生劇場、2021年3月29日18時。

 アメリカ南部の田舎町。そこに、とびきりのパイを出すと評判のダイナーがある。ウェイトレスのジェナ(高畑充希)はダメ男の夫アール(渡辺大輔)の束縛とつらい生活から現実逃避するかのように、自分の頭にひらめくパイを作り続けていた。ウェイトレス仲間のドーン(宮澤エマ)はオタクな自分を受け入れてくれる男性がこの世にいるのかと恋に臆病で、姉御肌のベッキー(この日は浦嶋りんこ)は病気の夫の看病に疲れている。そんなある日、ジェナはアールの子を妊娠していることに気づき、産婦人科のポマター医師(宮野真守)に身の上を打ち明けるが…
 脚本/ジェシー・ネルソン、音楽・歌詞/サラ・バレリス、原作映画製作/エイドリアン・シェリー、オリジナルブロードウェイ振付/ロリン・ラッターロ、オリジナルブロードウェイ演出/ダイアン・パウルス、翻訳・訳詞/高橋知伽江、日本版演出補/上田一豪。2007年の同名映画を原作に、主要スタッフ部門を女性クリエイターたちが占めた史上初のブロードウェイ・ミュージカルとして16年に初演。全2幕。

 なんか話題になってるなー、高畑充希ってホント上手いよねテレビでは私はくどくて見てられないくらいなのでやっぱり舞台で観たいわー、くらいのノリでチケットを取ったのですが、S席14000円はさすがに二度見して決済でちょっと悩みましたよね…それこそ高畑充希は演劇のチケットは高いしそれだけで来ない客もいる、みたいなことを先日どこかで言っていましたが、この演目に関しての発言だったのでしょうか。ブロードウェイのスタッフ招聘分、なのかもしれないけれど、正直やはり高価に感じます。もちろんこれが正価で他が安すぎるのだ、という考え方もあるのでしょう。それだと帝劇なんかで盆もセリもガンガン動かして電飾も映像もすごくて衣装もギンギラなグランド・ミュージカルは18000円とかの値付けをしていくべきなのかもしれません。オペラやバレエに近づいていきますね、でもそちらももっと値上がりしていくものなのかもしれませんね…なんせ世はインフレってますからね。宝塚歌劇の良心的値段設定がはたして本当に正しい「良心」なのか、という問題ももちろんあります。ともあれこの公演は、すでに全席販売でちゃんと客は入っていたようなので、興業として成立し成功しているならもちろんそれはよかったです。
 それから、もともとの座組がオールフィーメール(正確にはメインのみですが)という企画だったのは知りませんでした。日本版でもそうすればよかったのに…いるでしょう任せられる女性演出家が他にも! でも一応、衣裳補にヘアメイク補、通訳、演出助手、振付助手などはすべて女性のようなので、他の座組よりは女性スタッフを多く起用しているのかもしれません。意識的にやっていることならいいなあ、評価したいなあ。あたりまえですが世の半分は女性なので、いろんなことをまず男女半々でやっていくべきなんですよ? その他の性別、ないし性がない人々に関してももちろん配慮が必要ですが、まずはデカいところから達成したいものですよね。
 …と、のっけからあれこれ言い立てましたが、そんなわけでわりと気楽に観に行ったしノー知識だったので「おおぉ、こういう題材、こういうお話だったの!?」となかなかにワクテカして観ましたが、ザッツ・アメリカ~ンな作品で、でもとても上質で、とてもいい舞台だったかと思います。私はすごーく楽しんじゃいました。なんせ上手い人しか出てこない! 楽曲も良くて、ちょっと歌の上手さが先行しすぎて歌詞が聴き取りにくいなとか心情が伝わりづらいなと感じる部分もなくはなかったのですが、バンドの入り方もお洒落だし、とにかく全体にキュートで洗練されていて、舞台マジックにあふれたミュージカルに仕上がっていたと思います。
 もちろん、お話は大人のお伽話、ある種のファンタジーだとは思います。ジョー(佐藤正宏)が本当にこの手術で亡くなってしまったのか、それともその後の余生を楽しめたのか、最後の場面に出ていなかったのは(出ていませんでしたよね?)天寿をまっとうして世を去ったあとだからなのかは全然説明されませんが、ジェナ的にはいい話でも彼には彼の人生があったはずなので、ラッキー!みたいに片づけていいのかいな、という問題はある。ベッキーとカル(勝矢)の関係が続いているのか、という問題もあって、割り切ってるならいいじゃんとか火遊びでリフレッシュできるならいいじゃん、という考え方もある一方で、ベッキーの夫やカルの妻が本当に何も気づいていないのか、気づいていないなら傷つけられていないからいいのだと考えていいのか、という問題もあります。ベッキーは本当に夫を愛しているんだと思うし、でもその介護に疲れているのも本当で、慰めを欲しがっている人には何かしらが与えられるべきだとも思う。でも浮気、不倫、不貞は、婚姻に対してはルール違反な事柄です。ドーンはおめでたなようで、それは本当にめでたい。でもルル(この日は金子莉彩)含めて、子供がきちんと幸せに育てていってもらえるかは、今の世の中では賭けでしかないという現実があるわけです。
 ジェナとポマター医師が綺麗に別れたのは立派なことですよね。だからってアールはともかく、ポマター医師の妻に対するふたりの罪というものは残ります。そしてジェナについても、「アールとの子供なんて欲しくない」と思っていたのが、産まれた子供の顔を見たとたんに豹変して、アールに離婚を切り出す強さを身につけるという「母性」の描き方がもう、そりゃ実際にはそういうこともあるんだろうけれどでもそういう展開させるんだ?って絶望しちゃう層だってあるよ、と思うと、なかなかしんどい展開でした。でも確かにここで、産んでもやっぱり可愛く思えずモラハラ夫との暮らしはつらいままででも経済的に独立していないので別れられず、日々のチップを稼ぐ働き方をし続けなければならないのが現実だよね…みたいなことをフィクションで、ましてミュージカルで描いても仕方がないので、作品としてはそりゃこうするよね、とは思います。そしてこの作品は、誰もがジェナのようであり、ジェナのように好きなこと、こだわり、才能を何かしらは持っていて、そこから運命は変えられるんだ、ということを信じたい、信じてあとちょっとだけがんばろうと訴えたい、励まし合いたい、連帯したい…という想いで作られたものだろうと思うのです。だから、そこは素直に、感動し、新しい店名にニヤリとし、気持ち良くスタオベして拍手して見終えられました。
 役者もみんなチャーミングで素晴らしかったです。特に男性陣はポマターもアールもカルもオギー(おばたのお兄さん)もジョーもみんな一癖あってなかなかに難しい役だったと思うのですが、絶妙な塩梅だったと思います。そして歌もダンスもみんな上手い。
 ベッキーのダブルキャストのLiLiCoは初舞台だったそうだけれど、出来はどうだったのかな…浦嶋りんこはそりゃパワフルで他のふたりとのバランスも良くて、素敵でした。宮澤エマもホント上手いよね、こういう役をウザくなりすぎないよう演じるのって難しいと思うんだけれど、すごく良かったです。そしてホントちいちゃいな、でもホント上手いな!な高畑充希、いい座長っぷりでした。
 アンサンブルも在り方が粋で、美術もすごくセンスが良かったです。このところのミュージカルはそのあたりのレベルが本当にハイクオリティになっていると思います。楽しい舞台でした。梅田のみならず御園座や博多座公演があるんですね、無事に進んでいきますように!



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ラグナル・ヨナソン『闇という名の娘』(小学館文庫)

2021年03月27日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 フルダ・ヘルマンスドッティル、六十四歳。女性警部として実直に勤務に励むも、ガラスの天井に出世を阻まれ、定年が数か月後に迫っていた。ある朝、歳下の上司から二週間後に後輩に席を明け渡すよう指示される。最後に自分に未解決事件を担当させるよう進言したフルダは、ロシア人女性不審死事件の単独捜査を始めた。当初は難民申請が通らず自殺したとされていた彼女だったが、やがて売春組織の関与が見え始め…アイスランド・ミステリの気鋭の待望の新シリーズ。

 少し前から北欧ミステリーのブームはずっとあって、ことにここの文庫はよく訳出している気がするんですけれど、どれも本当におもしろいですね。ごく近年の作品だということもあるし、社会や文化の在り方が私たちが慣れ親しんだ(気がしている)欧米のものとはちょっと違っていて、すごく新鮮に感じるのです。そしてそんな社会保障や男女平等や人権教育などのシステムや考え方がとても進んで見える社会でもやっぱり犯罪は起きて、そこに人間のドラマがある、ということが常に描かれる…非常に興味深いです。
 この作品も、帯などに惹かれて手にしましたが、まず冒頭がちょっと叙述トリックみたいなんですよね。あらすじはカバー表4から書き写したものですが、そもそも本文にはフルダという名の刑事が容疑者を尋問するくだりしか描かれていないので、フルダという名前にはジョンとかマリアみたいな馴染みがないこともあり、私はフルダとは男性名でありこの刑事はこういう名前の男性なんだと自然と思い込んで読み進め、次の章で主人公が鏡を見て「この女は誰なんだ」と思うところでやっと自分の誤解と、刑事といえば男性だろうと思い込んでいた自分の性的バイアスに気づかされたのでした。そして、主人公が定年間際の女性刑事、という小説が普通に存在していることに驚愕し、世界は本当に広いのだなあと感動したのでした。ちょっと前、中年女性の物語がないか少ない、みたいな話題があったじゃないですか。でもあるところにはちゃんとあるし、しかももっと先を行っているんですよ…
 そう、この小説は、他にもいろいろな意味でずっと先を行っている作品になっていました。自分の固定観念がガラガラと覆されていくのを常に感じる、久々におもしろい読書になりました。最近の文庫にしては全然厚くない分量だし、描写がそっけないくらいに少ないのでドライで、過剰でなく、その空気もまた主人公の人生を手放しかけている感に通じているようで、とてもおもしろいと感じました。主人公と主人公以外の視点人物による場面描写が交互に現れる構成はよくあるもので、この人物が誰でどこにつながっていくのかというおもしろさももちろんありますが、そこはまあ想定内のつながりではあったかと思います。でもすべてを総合したときにもっと大きなドラマが立ち上がり、そしてまさに驚きのラスト…! 確かに納得なんだけれど、はっきり言ってなかなかない、いや少なくとも私はまったく見たことがない結末でした。アメリカで映画化が決定しているそうですが、これをまんまやるのはかなり、けっこう難しいのではないかしら…でもきちんとできたら素晴らしいだろうなあ。
 英題はただの『THE DARKNESS』で、まあシンプルなだけに邦訳は難しいところなんだろうけれど、そこにまた女の名を悪く使うのはやめてくれ、という気もしなくはないです。でも女性は誰でも誰かの娘であり、多くは人の母となるものなので、これもアリなのかもしれません。全三部作だそうで、順に十歳ずつ若いフルダが描かれるそうです。ネタバレして読む形になるわけですが、どんな感じの作品なのでしょう…訳出が待たれます。
 女性主人公ミステリーで性暴力が題材になるものはたくさんありますが、主人公がこういう関わり方をするパターンのものは意外と少ないと思いますし、その意味でもとても興味深い作品でした。ネタバレはしません。興味あれば、読んでみていただきたいです。オススメです。




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『The PROM』

2021年03月24日 | 観劇記/タイトルさ行
 赤坂ACTシアター、2021年3月20日13時。

 アメリカの高校で、卒業を控えた学生たちのために開かれるダンスパーティ「プロム」。インディアナ州の高校に通うエマ(葵わかな)は、同性の恋人アリッサ(三吉彩花)とプロムに参加しようとするが、多様性を受け入れられないPTAがプロムを中止にしてしまい、それが原因でいじめを受けていた。そこに、落ちぶれかけたブロードウェイ・スターたちが、自分たちの話題作りのためにエマを助けるべく街にやってきて…
 脚本/ボブ・マーティン、チャド・ペゲリン、音楽/マシュー・スケラー、作詞/チャド・ペゲリン、日本版脚本・訳詞・演出/岸谷五朗、演出補/寺脇康文、寺崎秀臣、音楽監督・歌唱指導/福井小百合、訳詞/長島祥。2018年ブロードウェイ初演、2020年にはNetflixにて映画化されたミュージカルの、初・海外プロダクション。全2幕。

 オリジナルにこだわってきた地球ゴージャスの、初の海外ミュージカル作品だそうですね。私の地球ゴージャスの観劇記はこちらこちら。いつもなんか大味で、なんだかなあな印象があったのですが、今回は話題の演目を扱うというので、一応観ておくか、と出かけてきました。でも海外版も映画版もまったく観られていません。2010年にミシシッピ州で実際に起きた出来事に着想を得た作品だそうですが、その事実も私は今回のプログラムを読んで初めて知りました。
 なので、どの程度まんまなのかはわかりませんが…もっと手を入れてほしかった、というのが正直なところです。役者と題材と楽曲は素晴らしい。でも翻訳と訳詞はあんまり良くなくて、脚本が足りてなくて、演出は雑でした。もったいない!!!
 あらすじはブログラムから書き写しましたが、まずこの「プロムとは何か」が舞台では一切説明されていません。え、それで今の日本で通じるか? 私ですらイメージでしか捉えていなくて本当はどういうものなのかよくわかっていないので、きちんと説明してほしかったんですけれど? だってまずはそこからじゃない? タイトルの意味がわかっていなくても劇場に来る客ってけっこういると思うんだけど…つきあわされただけ、とか役者のファンで、とかさ。そういう人たちにそもそもの題材をもっとわかってもらおうとする親切さが、足りてなくないですか?
 それに、ファーストクレジットはエマ役の葵わかなですが、作品自体はD.D.アレン(この日は草刈民代)たち「落ちぶれかけたブロードウェイ・スター」たちから始まる構造になっています。そしてプロムはすでに中止になっていて、エマがどんな行動を起こそうとしたのか、それにどんな反発があったのかが全然描かれていません。エマが同伴しようとしたパートナーが誰なのかも全然出てこないので、私はパートナーは別にいて、アリッサは学園の人気者でシスヘテロの女の子で、だけど友達として人間としてエマの主張に同調して協力を申し出ようとするキャラクターなのかと思ってしまいました。だって説明が全然ないんだもん。でもそれじゃわからなくないですか?
 アメリカで、ブロードウェイで上演するならある程度自明だったのかもしれないけれど、日本でやるなら、まず全体の立ち位置を確認してから始めた方がよかないですか? だっていうても観るのはシスジェンダーヘテロセクシャルの女性がほとんどじゃない? そりゃこういう演目を観に来る以上ゲイ・ポジティブかもしれない。でも作品の中では、あるいは一般的な世間では、どういう状況なのか、それに対してヒロインは、そしてそれを見守る自分たち観客は何を主張していこうとしているのか、ってことをまず抑えてから話を始めた方がよかないですか? でないと観てる方だって自分の立ち位置が不安になると思うんですよ。
 アレンたち側は、いい。新作ミュージカルの劇評がさんざんで、セレブ気取りのナルシスト呼ばわりされて、汚名挽回のために手頃な社会運動に参加して名声を上げようとする、というセコさはわかるし、ちゃんとそう説明されているし、物語のスタートとしていいと思いました。それがいつしか本気になって終わるのよね、というゴールが見えるのもいい。
 でもきりやんのアレンが観たかったよね…てかこのトリプルキャスト、大黒摩季は初舞台だそうだし、となると保坂知寿一択でしたよね。だって草刈民代は歌えないんだもん…こんなにデカい役だと知らず、誰でもいいかと日時の都合だけでこの回のチケットを取った私が馬鹿でした。草刈民代の舞台は何度か観ていますが、バレリーナとしてはともかく、そしてストプレならまだしも、ミュージカル女優としては技量的に明らかに苦しい。この役に起用したのには完全に無理がありました。『エレノア』が作品としてハズレだから、出演者たちに往年の力がもうないから、ではなく、単に下手だからそのまま劇評に出ているだけでしょ、って気がしちゃったもん。でもそれじゃ駄目じゃん…とっくに盛りが過ぎているのにいつまでも大物気取り、って芝居も足りていなかったと思います。残念すぎました…あと、この人は離婚歴もあるしシスへテロ女性っぽいですが、何故ゲイ・ポジティブなの? そこも説明が欲しかったなあ…そこだけが進んでる、って設定なのは変じゃん。
 バリー(岸谷五朗)はゲイなんだけれど、このコケた作品ではタイトルロールのヒロインより前に俺が俺がと出ようとするマッチョなところがあって…というようなことだったのかなと思ったんだけれど、違うのかな? このあたりも中途半端でしたね。そしてこの役はブロードウェイ版では中年太りでお腹が出た男優さんがやっていたそうで、そういうおかしみもあったんだろうけれど、岸谷さんだとそこはスマートすぎましたね。でもいいギャグいくつかやってたのになー、ことごとく滑っていて気の毒だったなー…
 トレント(寺脇康文)が舞台では端役も怪しいくらいの役者なのに、過去にテレビ番組に出ていたことがあって田舎町ではよっぽどメジャー、というのもおもしろい設定だったんだけれど、これも今ひとつ伝わっていない気がしました。あと、遠目にはバリーとほとんど同じ枠に入っちゃう、つまりわりとスマートな中年男になっちゃうので、差異が出ないんですね。これも意外と痛かったと思います。日本で日本人だけでやると、そもそも幅の狭い多様性しか表現できないんだな、と痛感しましたね…
 その点、小浦一優(芋洗坂係長。役者としては本名でいくことにしたのかな? この間観た舞台ではまだ芸人の芸名だった気が…)の体型は強みなんだけれど、シェルドンがやっていることってトレントにやらせちゃってもよかったと思いました。キャラクターというか役割が分散している気がしました。これだけの役者にこの役不足っぷり、もったいないよー…この人は本当にいいミュージカル俳優だと私は思っているのです。そしてそれはアンジー(霧矢大夢)にも言えて、20年間『シカゴ』のアンサンブルをやっているという設定はいいんだけれど、でもぶっちゃけキャラクターや作中での役割がアレンと差別化できていません。エマを励ますのはアレンでいいし、アレンであるべきだったのでは? だからきりやんがアレンをやった方が話が早かったと思いますし、芋洗坂係長はホーキンス校長(この日はTAKE)をやればよかったと思います。
 そしてちゃんと、という言い方はアレかもしれませんが、校長役は黒塗りすべきだったんじゃないかなあ。だって台詞でしか出てこなくて「えっ、そうだったの!? てか全然そう見えないし全然わかんないんですけど!?」ってなっちゃったけど、この校長先生が黒人さんという設定であることには意味があるんじゃないでしょうか。おそらく彼もまた差別されているんですよね。ブロードウェイのファンで、独身。こんな田舎町ではこうした芸術鑑賞が趣味だなんて理解されないし、いい歳して独身だなんて「オカマなんだろ」とか言われていたに決まっているのです。そういう描写が全然ない。この作品は単にセクシャルマイノリティ差別を告発しているだけではなくて、こうした人種差別とかマイナー趣味差別とか、もっといろいろな、あらゆることを描いているはずなんですよ…もったいないです。そして彼は普通に(あえて言いますが)シスヘテロ男性でたまたま理想が高すぎたかたまたま今まで女性と上手くいかなかったかで独身であるにすぎず、しかもきちんとした教育理念を持った進歩的で開明的で熱心な教師なのに、周りから陰に日向に馬鹿にされ嘲笑され差別され、でも憧れの大スター・アレンと出会って、アレンもまた…ってドラマがあるのが、素敵なんじゃないですか。なのにこの中途半端な描写よ…
 そして主人公のエマも、その描写や演出がいろいろと足りてなくて、歯がゆかったです。もっと彼女に最初にガツンと主張させるべきだったと思うんですよね。「卒業記念のダンスパーティー。みんな着飾って、パートナーと出席する、楽しい、晴れがましい、高校生活最後で最大のイベント。私もここの生徒で、みんなと一緒に卒業する。だから私も最愛のパートナーと参加したい。それが同性だからって、なんで駄目なの?」と。それに対して、学友たちやPTAがわあわあ反発するくだりもちゃんと欲しい。きっと、「そんなの不自然だわ、病気だわ、異常だわ。神の教えに背くことよ、パートナーは異性って決まってるの。モテないからってひがんじゃ駄目よ、誰かが誘ってくれるわよ、大丈夫よプークスクス」みたいなことがあったんでしょ? それをまず見せなきゃ。そこがスタートラインなんだから。主人公の主張と、世間の反応と。それをどう貫き、どうひっくり返すかって話なんだからさ、そこをあいまいにしたまま出発してもグズグズになるだけです。
 エマとアリッサがどんなカップルなのかも、もっと知りたいです。最初からできあがっているカップルが出てきてそれを応援していくような構造の作品もあるけれど、本当は出会って恋に落ちるところから一緒に観客に体験させてくれる形の方が感情移入はしやすいです。今回もせめてちょっと遡って、ふたりの出会いを描いてほしかった。台詞だけでいいから触れてほしかったです。さらにいえば、エマはいつどうしてレズビアンであることを家族に、また周りにカミングアウトしたのか?とか。アリッサはいつ自分がレズビアンだという自覚が芽生えて、なのに親にも周りにも言えず葛藤してきたのか、とかも知りたかった。そしてエマとアリッサがどう出会い、お互いのどこにどう惹かれて、とりあえず周りには内緒でつきあい続けてきたのか、とかをもっと説明してほしいです。そりゃ出歯亀的な興味もありますよ、でも観客がその恋心に共感できないとたとえ主人公カップルだって応援しづらいしじゃないですか。しかも観客の大半はおそらくシスヘテロ女性で、同性と愛し合うってことが感覚的にピンと来ていないはずなんです。そこを、「あ、別に性別なんて関係ないね、人がことは好きになるってそういうことだもんね、わかるよ、応援するよ!」って気持ちにさせるための描写が今、全然ない。基本的にずっと喧嘩してるか諍いを起こしてる、これじゃつらいですよ…
 個人的には、アリッサの造形はプログラムの写真にあるブロードウェイ版よりすごくいいと思ったのです。つまり三吉彩花は、すらりと背が高くてほっそりと美しく、赤毛のロングヘアがとても素敵で、ああ男女ともに人気がある学園のアイドルで母親はPTA会長で優等生で先生方の信望も篤い存在なんだろうな、とパッと想像できたからです。だからプロムに関しても「誰と行くの? ボブ、トム、ジム、それともハリー? いいなあ、選びたい放題じゃん」とか周りから言われるのを懸命に流していて、実はエマと行くことにしていて、そこでカミングアウトもするつもりなんだけれど、でもやっぱり不安で…みたいな葛藤がすぐにも想像できる、そしてその葛藤がとても似合いそうなキャラクターになっていたんですよ。そしてそういう心情は、たとえ同性愛者じゃない観客にもすごくわかりやすいものじゃないですか。だからそういうふうに、観客の理解や共感を綺麗に丁寧に落とし込んでいく脚本に、きちんと仕立ててほしかったのです。でも、今、残念ながらできてない…もったいないです。もっとわかりやすく伝わるのに、もっとわかりやすく盛り上がれるのに!
 お衣装もメリハリが利いていなくて、アレンたちはもっとド派手でギラギラで周りから浮いているものをいつも来ているべきだし、バリーが選んだエマのドレスも今レトロでシックでちょっといいじゃん、ってなっちゃってるけど、駄目でしょ? もっとダサダサに見えるデザインのものを着せなきゃ意味ないじゃん。1幕ラストのエマのドレスが素敵なのは正解。でもエマは「ガーリーすぎない?」と違和感を持っている、大事。これが、2幕ラストでタキシードで出てくることにつながる。このタキシードが、宝塚歌劇の男役みたいにスマートに似合いすぎちゃっていないところがまたミソで、大事なの。ちんちくりんに見えるところがいいの、それでもエマはそれでやっと自分らしくいられて、輝いているの。そこが大事なポイントなのです。エマは別に男装したいトランスジェンダーなのではなくて、あくまで性自認は女性で性的指向が同性のレズビアンで、でもガーリーな服よりボーイッシュな服の方が楽だし自分らしいと思っているだけの女の子、なんですよね。それがちゃんと表現できている。そしてエマより背が高くてスレンダーでスタイルのいいアリッサが、とても素敵なパーティードレスを着ている。そこに男男カップルや女女カップルや男女カップルが集まってくる。でもみんな足もとはスニーカーで、バリバリ踊る…そこがいいのです。最高に素敵なラストシーンでした。
 だからこそ、そこまでに至る流れが、なんかふわふわしていてキメ切れていなかったようだったのが残念な舞台でした。アンサンブルのダンスも身体能力も素晴らしく、葵わかなもめっちゃ歌えて、三好彩花とのデュエットもめちゃくちゃ素敵で、ああ女声二声の歌っていいな!とマジで感動したんですよ…この役者を得てこの脚本、もったいない…としょんぼり劇場をあとにしたのでした。
 ちなみに市松配席で、それは居心地がよかったです。しかしこの劇場の2階席は通路の作りがなってなくてダメダメですね…これまた残念でした。




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宝塚歌劇月組『ダル・レークの恋』

2021年03月21日 | 観劇記/タイトルた行
 TBS赤坂ACTシアター、2021年2月19日13時。
 シアター・ドラマシティ、3月18日16時。

 インド最北部、インダス河の流れるカシミール。毎年夏になると、世界各国の大使・公使や富豪たち、それにインド諸州の王族たちが避暑にカシミール・ホテルまでやってくる。今宵は今夏最後の舞踏会。ベナレスの領主チャンドラ・クマール(千海華蘭)の孫娘で、やがてデリー大公ゴヤール王家の女官長になる身の上のカマラ(海乃美月)も、祖母インディラ(梨花ますみ)、従兄弟クリスナ(風間柚乃と夢奈瑠音の役替わり)とその妻アルマ(夏月都)らとともにこの地で一夏を過ごしていたが、明日にはクリスナの城があるハイダラバードへ発つことになっていた。カマラはこの夏、騎兵大尉ラッチマン(月城かなと)と恋に落ち、ふたりの仲は舞踏会で公然のものとなった。ふたりの噂が夫チャンドラやゴヤール王家にまで聞こえ、カマラと家の名誉が失われることを恐れたインディラは、カマラにラッチマンと別れることを命じるが…
 作/菊田一夫、監修/酒井澄夫、潤色・演出/谷貴矢。1959年初演、1997年に1本立てにリメイク、2007年にも上演された不朽の名作。全2幕。

 マイ初日雑感、というかまさかの月城日記はこちら

 はー、あと100万回観たいです。
 ドラマシティは、2階席もないし客席としては赤坂ACTより小さいかと思うのですが、舞台のサイズは気持ち大きかったりしますかね? そんなこともないかな? なんとなくややスッキリして見えて、好感を持ちました。そしてそんな空間でよりしっとり、より練り上げられ、より濃密に展開されるお芝居よ…はー、堪能しました。「ル・サンク」ってトップ主演公演しか出ないんでしたっけ? もっと舞台写真が欲しい、そして脚本が読みたい…浸りたい…はー……
 役替わりについては、星組大劇場公演『ロミジュリ』でもティボルトも死も愛ちゃんで観たい!となったりしたのですが、今回もペペルもクリスナもおだちんで観たい!となりました。
 いや、るねっこのクリスナも優しそうで鷹揚そうででも実は全然相手とか民草のこととか考えてなさそうな薄ら寒いお貴族さまっぷりを漂わせていて、とてもよかったです。あとバリバリ踊るれんこんもよかった。
 でもありペペルが私にはややもの足りなく思えたので、そこがさすがおださんさすが研30で(笑)、バリッと濃く強い色悪をやってくれたー!とワクワクできたのですよ。プロローグやフィナーレのダンスはもちろんありちゃんの方が断然上手いし、真珠場面の歌もおださんは低い音がまだ出きっていませんでした。そういう技術的な研鑽はまだまだ必要なんだと思うんだけれど、でも芝居はとにかくよかったよなんといってもガラに合っていましたよ! なのでそろそろ白い二枚目とかもちゃんとやらせないと変な色ついちゃいそうだよね、とまで心配しちゃうようなスターさんっぷりでした。よかった!
 おはねちゃんリタに声かけられて、一拍おいて「彼氏」の顔作ってから振り向く詐欺師っぷりとか、たまりませんでした。あと、ありちゃんペペルよりしつこそうで、れいこラッチマンへの恨みつらみをことあるごとに思い出しては悔しがり復讐の炎を燃やしてそうなところとか。そしてラストの「逃げやしねえよ」の大物っぷりね! 口でこう嘯いてカッコつけつつ、やっぱりするっと逃げ出して、またしょーもない悪事をし出しそうなふてぶてしさがすごーくよかったです。そしてそれでも、あるいはそれだけに、ちゃんとラッチマンが格上に見えて、この件に関しては正義の味方に見えて、物語としても締まったと思います。無頼漢を気取っていても、どこの馬の骨ともしれぬ百姓の小倅に身をやつしてはいても、真実とか仁義、正義のためには立ち上がってくれちゃう凜々しさ、清々しさ、優しさや強さがラッチマンから立ち上がる…そりゃみんな惚れるよね、カマラだって本当はそこに惚れたんだよね。ただ家族や体面を捨てきれなかっただけで、それはカマラの弱さだけのせいとも言いきれない。けれどやはり今さら謝ってやっぱり愛していますと言ったって、それはラッチマンの方でも、そもそも自分がハナから身分を偽ったりしなければ…という自責や自嘲の念もあるだけに、やはり受け入れがたかったのでしょうよ…と、結末の納得度も上がる。1幕の展開といい、2幕の種明かしと決着の展開といい、改めて素晴らしい構成ですよねこの戯曲…!
 座付き作家のオリジナルの1幕ものでないことが残念なくらいに(私はこの枠での最高傑作を常に求めているので)、素晴らしい、愛すべき作品にまたひとつ出会えて、幸せでした。

 ミトさんは素晴らしく、なっちゃんの塩梅も絶品で、からんちゃんはもちろん上手く、れんこんも達者で素晴らしいんだけどもっと若手スターな役をやらせてくれてもいいのよ?と思ったり…たんちゃんがさすがでヤスが本当にいつでもどこでも頼れて、蘭くんももうこういうポジションはお手のもので、そしてぱるのジャスビルがちゃんとした笑いを取れるようになっていて安心しました! 赤坂ではまだお芝居感がなかった気がしたので…DCではちゃんと役のマヌケさで笑われていたかと思います。あとプロローグとかホント目立つ! 好き。そしてペルシャの美しさは武器。おはねちゃんはホント声がいいよね、顔が面長なのは気になるんだけれど(月娘に丸顔の可愛子ちゃんを可及的速やかに投入してほしいよ…)。詩ちづるはもっともっと可愛くなれるぞー、期待してるぞー!
 うみちゃんのヒロインはたくさんたくさん観てきたけれど、今回がベスト・アクトだったかもしれません。カマラにとても良くニンが合っていたと思いますし、これをもっとヨロメロやられていたらそもそも作品が成立していなかったと思うので。
 そしてれいこ様(あっ)、カテコのご挨拶も毎度おもろいことになっていますが、トップになっても別箱ではずっとコレを続けていってね…(笑)てかお披露目初日行くからね、もう今から楽しみです。なんでまだ発表ないの?(澄んだ目)
 組替えも、休演も、いろいろ大変だったことではありましょう。でも一皮も二皮も剥けて、まさに機は熟した!というところかと思います。そして次は2番手となるありちゃんが一皮剥ける時期が来るわけですよ…! 今、各組いろいろアレなので、最下級生2番手スターになっちゃうけれど、もともとありちゃんは抜擢続きだったんだしそれはもう仕方のない運命なので、切り開いていってもらうしかありません。きっと、絶対、大丈夫。
 『桜嵐記』は、主人公の跡を継ぐ弟がれいこだというから、一緒に自決する弟がありちゃん? 仇役はちなつ? それじゃベタすぎ? でも、楽しみに待ちたいと思います。目玉が涙で溶ける覚悟をしておきたいと思います。月組に、幸あれ!





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宝塚歌劇月組『幽霊刑事』

2021年03月20日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 宝塚バウホール、2021年3月18日11時半。

 巴東署の刑事・神崎達也(珠城りょう)は、上司の経堂芳郎(光月るう)に突然射殺された。結婚を間近に控え、殺された理由に心当たりがない神崎は、成仏できず幽霊となった。しかし母親(京三紗)も、フィアンセの森須磨子(天紫珠李)すら神崎の存在に気づかない。だが警察学校の同期で霊媒体質の早川篤(鳳月杏)だけは、神崎の姿を見ること、声を聞くことができた。神崎は経堂を逮捕してくれと訴えるが…
 原作/有栖川有栖、脚本・演出/石田昌也、作曲・編曲/手島恭子。月組トップスター・珠城りょうのプレ・サヨナラ公演。全2幕。

 初日が緊急事態宣言下でバウホールなのに客席半分で、さすがにお取り次ぎがお断りになり、一度だけの観劇となってしまいまししたが、ま、それでよかったかな…というのが感想です。
 原作小説も読みましたが、ミステリーとしてもドラマとしてもものすごくおもしろいと思ったとか萌えたとか感動した、とかは特になかったんですよね。で、それが舞台になってものすごく改善されているかというと、残念ながらやはりそんなことはなく、しかも舞台作品としても暗転が多く細切れでパタパタした印象で、全体にあまりいい出来ではなかったように感じられました。いつものダーイシ節を被弾覚悟で行ったのですが、『カンパニー』のときのように青筋立てたくなるようなことはなかったのでそこはよかったのですが、全体にパワーダウンしているというか作品のクオリティが落ちている気がしたので、そちらの方が気になりました。単に時間があまりなくて手をかけられなかっただけ、とかならいいんだけれど、加齢による衰えなのかしらん、と心配で…とにかくなんかすごく凡庸な舞台で、ぶっちゃけ私は退屈してしまったのでした。
 もしかしたら私のごく個人的な意見かもしれませんが、でも、いくらミステリーでも、犯人が誰か、ということに読者や観客の関心はあまりないのではないでしょうか。主人公が被害者、という設定なら、普通の物語なら誰であれ犯人が逮捕されて事件が解決されてハッピーエンドで終わる、ということはごく安易に想像がつきます。だからそこではドキドキしない。それよりも、そうした事件なり捜査の展開なりに絡めて、主人公の心がどう動くか、周りの人物との間にどんなドラマが紡がれるか、に関心が集まるものではないでしょうか。
 だからもっと、達也の須磨子への愛情とか、須磨子に絡む佐山(英かおと)への嫉妬とか、母親や妹(結愛かれん)への情愛とか、刑事としての情熱や誇りや正義感や後悔、心残りみたいなものを、もっと深く描いてほしかったです。みんな、そこを観たいんじゃないのかなあ。
 でもなんか、そういうパートはほとんどありませんでしたよね。神崎さんはわりとあっさりこの状況や自分の死を受け入れているように見えました。だからなんか、観ていてこちらの心も動きませんでした。早川だけが見える!となってわあわあやりとりするくだりはユーモラスで楽しかったけれど、それだけだったかなぁ…まあ、私がじゅりちゃんをあまり買っていなくて、ヒロインとして認めがたいと思っているせいもあったかもしれませんが…なんかあんまり、せつなくなったり、かわいそうになったりしませんでした。せっかくプレ・サヨナラにかぶせてあれこれ良さげな歌を歌わせたりしているんですけれど、なんか響かなかったんだよなあ…萌え萌えで涙、涙だった方、こんな感想ですみません。
 しかし結愛かれんは上手いし可愛いよ、婦警はバイトの彼女が一番可愛いってどーしちゃったんだ月娘…ホント可愛子ちゃんがいないよね…白河りりも可愛いけど、子役じゃもったいないよ…
 あと、ゆりちゃんがいい仕事をしているなと思いました。これまたもったいない使い方ではあるとは思いましたけれどね。まゆぽんはさすが上手い。
 バウでプレ・サヨナラでたまちなバディものを…という企画意図だったんだろうけど、そしてそれはとても大正解だったと思うんですけれど、でもちなっちゃんならもうちょっとキャラを掘り下げてくるかな?と期待していたのですが、意外にバタバタした芝居だからやる隙がない感じだったかな? なんかもっと、おとぼけなり気弱でへっぽこなり実はクールで切れるメガネくんなり、キャラとしての色をつけてくるかと思ったんですけれどねえ…わりとフツーで、もの足りなかったです。
 それでいえば珠城さんも、いつものフツーの珠城さんで、熱血にもお調子者にもものすごい好青年にもちょっと振りきっていない感じで、やはりもの足りなかったです。脚が長くてカッコいい、のは堪能しましたが…ううーむ。
 フィナーレは短かったけれど、振りがお洒落で素敵でした。ただマスタード色といえば聞こえはいいけれど、黄土色みたいなあのお衣装の色はいかがなものか…もっといい黄色が他にあるだろうに、これまたちょっと残念だったのでした。

 そんなところに、卒業公演のポスターが発表されましたね。ショーのロゴはお洒落さのかけらもなくて残念ですが、ポスター図案はとても素敵。れいこちゃんは仇役ではなく弟役で、そちらも楽しみです。題材的にも、くーみんにしてはベタベタなサヨナラ悲恋悲劇ロマンスになるんじゃないかなという予感ですが、さて、どうなることやら。期待しています!





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