駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

松山バレエ団『新・白鳥の湖』

2013年01月27日 | 観劇記/タイトルさ行
 NHKホール、2013年1月25日ソワレ。

 作曲/P.チャイコフスキー、振付・演出・台本/清水哲太郎、演奏/東京ニューフィルハーモニック管弦楽団。全二幕。

 森下洋子を観ておかなければ!と思って行ってきました。
 さすがに演目自体は何十回も観ているのでプログラムを買わずにすませたのですが、キャスト表はもらえるだろうと思っていたら配布がなかった…ケチ!
 そして美術や衣装がずいぶんと派手で豪華でいまどき珍しいくらいに装飾過多だったので仰天しました。いや色合いはまあまあ美しいんだけれど…お金あるなあ。
 だったらキャスト表くらい撒いてよ…

 演出も旧来のものとけっこう違っていておもしろかったです。
 ロットバルト大活躍版。
 たいていはロットバルトの魔法でオデットが白鳥に変えられてしまう場面に当てられることの多い序曲ですが、今回はオデットの侍女たち、ないしは狩り集められた貴族の令嬢たちがロットバルトの魔法で黒い女たちに変身させられてしまう場面になっていました。
 そしていわゆる一幕の王子の誕生会にロットバルトはのこのこ参上、金の豪奢な弓をプレゼントするのも彼なのです。
 ということはオデットは彼の魔法とは関係なくそもそも森に囚われた白鳥の姫で、ロットバルトは王子の国を滅ぼし森を手に入れたいから、王子を使ってオデットを仕留めさせようというのかなあ…
 ちなみに王子はウェービーな鬘なのか地毛なのかが妙にライトに光って白く、白髪のおじさんの王子なんてヤダ…と思えてしまいましたよ…
 というか全体にやはり日本人ダンサーの体型はまだまだなんですね。私はたいてい海外バレエ団の来日公演ばかり観ているミーハーなので、コール・ドでもみんな綺麗なのが当たり前だと思っていましたが…やはりみんな頭身が…がっくり。
 プリマはしかしさすが首と肩と腕が美しく、しかし腰にはコルセットでも着いているのか衣装の背中のラインが美しくなくて残念。そして脚は私の好みの形にアラベスクで上がらない(アン・ドゥオールがむしろ開きすぎているのか? 足首から先が綺麗に見えないんだよなあ…)のが残念でした…が、さすがに繊細でたおやか。
 オディールでもイキイキきびきびしていて鮮やかでした。
 しかし私が大好きないわゆる三幕の各国の姫のディベルティスマンの音楽をすべて差し替え、民族性がまったくないものに仕立てていたこと。
 王子とオディールのグラン・パ・ド・ドゥも、これは32回転を振り付けから省くためにはあの音楽を避けざるをえなかったのだろうとは思うけれど、違う曲になっていてしょんぼりでした。
 そしてラストは…ロットバルトと王子が戦っていたようには見えなかったな、でもオデットが戦ったわけでもなかったような…
 ロットバルトが倒れ、これまた倒れ伏した王子をオデットが助け起こし、そのあと倒れたオデットを貴族たちが担ぎ上げ…オデットは復活するのですが、それは本当に復活して王子とくっついてハッピーエンド、というふうには見えなかった。あくまでイメージとしての復活であり、結局は王子と国を救うのに殉じた英雄として祀られる存在になった、というだけに見えました。
 ああいかにも日本人っぽい演出だよね…とちょっとブルーになりました…

 カテコでの森下さんは本当に少女のような輝かしい笑顔で、愛らしかったです。


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『祈りと怪物 蜷川バージョン』

2013年01月21日 | 観劇記/タイトルあ行
 シアターコクーン、2013年1月20日マチネ。

 KERAバージョンの感想はこちら

 二回観てみて、最初の観劇では見えなかったものが見えてきた部分もあり、演出違いを見比べるのでどうしても最初のものの方がよく思えたり…いろいろおもしろい体験でした。
 もちろんそもそもは「俺たちの野々すみ花」宝塚歌劇団卒業後初舞台、を観に行ったわけですがね。
 そのスミカからまず語ると、カッサンドラ役まで任されるくらいで、存在感があって、声もしっかりしていて、贔屓目なしにいい舞台女優さんになりそうだなあと思いました。
 小柄すぎて見えたりほっそりしすぎているということもなく、本当にすごくよかったと思いました。
 問題の、もろ肌脱いで背中(の焼印)を見せる場面は、夏帆ちゃんはわりと舞台奥でまっすぐ奥を向いて立っていたのでどこからでも本当に背中しか見えなかったと思いますが、スミカのレティーシャは舞台のけっこう手前で斜めを向いて立って脱ぐので、上手の席からはけっこう身体の表が、ぶっちゃけ胸が見えたと思います。ヌーブラしてたけどね!

 というワケで相違点などの感想を。
 まずプログラムの人物相関図が袋とじじゃない(^^;)。普通のコクーンのプログラムだからということもあるけれど、もうあと出しじゃんけんみたいなものだと考えられているのでしょう。
 「過去なのか、未来なのか」も不確かな「架空の国の架空の町」ということを表すのに、まずコロスが全員黒紋付着て現われます。そして合唱はラップ。KERA版とそりゃ違うよね!というスタートです。
 そして美術、セットもシンプル目というか抽象的。逆に言うと、しっかり作ってあったのにそれでもどこともつかない時代、国を思わせたKERA版もやはりすごいのかも。そしてエイモス家の居間は奥の壁がおなじみの鏡です。ワンパターン…!
 ヒヨリの焼印はハーケンクロイツをみっつ重ねたもの、とあったけどふたつだよね…
 そして左右にモニターを出して、合唱の歌詞や場面転換ごとに状況説明のト書きみたいなものを出していましたが、私はこれはいただけないと思いました。説明されなくたってわかるし、聞き取れなくてもだいたいの意味がつかめるくらいでいいんだよこういうものは…まあ趣味が違うのは仕方がない。

 トビーアスは森田剛が演じた今回の方が正しいあり方なのかな、と思いました。
 前回のトビーアスはちょっと気が弱いだけの青年に見えました。対してパブロが向こうっ気が強い、というだけに見えた。
 でも森田トビーアスはすごく繊細で純朴そうで、逆に言うとああちょっと足りないんだな、だからこそこんなに優しくて純粋なんだな、と思えました。だからマチケものちにドン・ガラスも彼を気に入るのではないでしょうか。
 対して満島真之介のパブロは世間知があってちょっとずうずうしそうで、猥雑さすら感じさせる生身の男っぽい感じ。キャラクターとしてはこれが正しい形なのかな?と思えました。

 三姉妹は原田美枝子、中嶋朋子、宮本裕子。舞台は久々だという原田美枝子がさすがに声量が足りないかな、という以外はみんなちゃんとしていて、役作りとしてはKERA版とまったく同じであり、これはもう確立されているのだと思います。
 それで言うとドン・ガラスもそっくりだったな。ヘンに年上に作っていたけど…

 いいなと思ったのは染谷将太のヤン。いかにも流れ者っぽい、いわくありげな異分子感、違和感が素晴らしかった。
 エレミヤはもっと美人がよかったなー。ペラーヨは安っぽい感じが今回の方がよかった。
 ダンダブールの橋本さとしは存在感がありすぎて役不足に見えてしまいました。そしてパキオテどうするの、と思っていましたがなんと三宅弘城! なるほどなという配役にニヤリとしました。

 さて、で、私が問題に感じたのはラストでした。まちもコクーン蜷川必勝パターン(なのか?)の、奥を開けたら駐車場が見えるよ演出!
 そこへ向かってドン・ガラスがよたよた歩いていきながら幕、なんだけど、私はKERA版の、「いい夢が見られそうだぜ」とか言いながらランプに覆いかかり、寝入ってしまったのかはたまた死んでしまったのかわからない…というのが正しいオチのありかただと思ったんだけれど!?
 天罰を受けて死んだのかもしれない、それとも天罰なんて落ちなくて惰眠を貪りいい夢を見ているのかもしれない、この世とはなんて理不尽な…という怒りに震えるべきなのか、でもとにかくどちらかわからない中、暗転…という物語だったんじゃないの?
 歩いて去っちゃったら生きているってことじゃん。現実の雑踏の中に消えていき、要するにこれは現実にも通じる話なんですよ、ということではあるのかもしれないけれど、えええなんか意味がちがくなっちゃってない?と思ってしまったんだけれどなあ…
 でもまあもちろん感じ方は人それぞれなのであり、KERA氏本人も演出を任せた以上、違うと思ったとしてもそんなことは口に出して言わないでしょうしね…
 戯曲のト書きはどうなっていたんだろう…
 そしてそんなにわかりやすいことではないとは思うけれど、何が祈りで何が怪物だったというのだろう…
 まあそういう意味では私はあまりいいタイトルだとは思わないし、ものすごい傑作だとも思いません。でもおもしろくは観ました。そういうことです。




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博多座『銀英伝』役替わり感想

2013年01月20日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚歌劇宙組『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』、博多座、2013年1月18日マチネ。

 狭い舞台にあの装置をよくぞ入れ、人数が減ったことも特に感じさせず、細かい齟齬などをブラッシュアップして、いい舞台に仕上がっていたと思います。
 以下、役替わりを中心に簡単な感想を。

 一番大きかったのはやはりオーベルシュタインかな。
 カイちゃんは、最初の登場の時にやはり背の高さという意味でインパクトがなく、いろいろ解説しているけど宇宙を牛耳っているのは実は自分ですから!みたいなともちんオベの強さ・濃さがなく、ちょっと物足りなく感じてしまいました。
 でも、就活ソングからマントプレイ(笑)の場面を見て、ああそういう役作りなんだな、と思いました。
 なんというか、いい意味での小者感、姑息な知恵者という感じが実によく出ていて、けっこう必死でラインハルトにむしゃぶりついていく感じとかも、余裕なんか全然なくて勝算もなくて、でもずっとずっと待っていてやっと巡り来たチャンスにすがりつく、みたいな感じなのがとてもよかったです。そういう人物像なんですよね。
 そしてだからあたりまえでもあるのですが、マントプレイにまったく妖しい色気が漂うことはなかった…!
 逆に言えばあれはともちんであったればこその演出、演技、雰囲気だったんだなあ…!とびっくりしました。約替わりって本当におもしろいですね。

 あっきーのロイエンタール、クールできびきびしていて素敵でした! あとやっぱり私はあっきーの声が好きだわ。決して美声ではないと思うんだけれどね…そういうのが好みなんですよね…
 りくくんのミッターマイヤーも、すごくあたたかい人となりが見えてよかった。双璧が生み出す空気はちーカイのときとまた違って、それもおもしろかったです。
 しかし歌はホントがんばろうよね…
 あ、ロケットのセンターは素晴らしかったですよ、濃くて!!(ほめてます)

 ソルさんの皇帝はとてもちゃんとした人に見えました。まあ王というものは王であるというだけで罪人なのだという考え方もあるので、これもアリかなとは思いましたが。すっしぃさんはいい感じにおっとりしていて優しすぎていそうでへたれた感じの王だったなあ、とまた改めて認識。
 りんきらのアンスバッハは、いかにも高貴だったカチャと比べてちょっと庶民派というか叩き上げに見えて、だからこそラインハルトに対して思うところがあるのかもしれない、という役作りにも見えて、これもおもしろく感じました。

 まっぷーの声は持ち味として明るくて暖かなので、ソルさんのいかにも癖のあるリヒテンラーデとはまた違っていましたが、だからこそこういう寧臣っているなと思えたので、これもおもしろかった。
 フレーゲルのずんちゃんはなんかみーちゃんに似て見えたなあ。イヤ顔はまだまだ丸いんだけど、目元の印象が。
 かのちゃんのユリアンは台詞回しが完全にゆうりちゃんのまんまだったけど…前髪がビシッとしすぎておっさんぽかった。でもベレー被ると女の子に見えちゃっていた。ただ少年役としてはきちんとやれていたと思います。
 かけるのビッテンフェルトの暑苦しさがハマりすぎていました。春瀬くんのワーレンは本当に綺麗。七生のケンプは歌声がずいぶん高くて、初々しかったです。
 リンチの期待の和希さらはもう少し押し出し良くしてもらいたかったかな。
 フレデリカの瀬戸花マリーは、無駄に音色豊かな美声で耳が驚きましたよ。ロケットでは男役陣にただひとりまじってがんばりました。

 フィナーレではよりラインハルト仕様の髪型になったギャラクシー男Sと、ノリノリで踊るまぁくんがすごかったです。
 やっぱり楽しい公演でした!

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宝塚歌劇星組『宝塚ジャポニズム/めぐり会いは再び2nd/Etoile de TAKARAZUKA』

2013年01月20日 | 観劇記/タイトルた行
 東京宝塚劇場、2013年1月13日マチネ、16日ソワレ。

 春の台湾公演試演会を兼ねた三本立て。

 和物ショーの作・演出は植田紳爾。サブタイトルは「序破急」で、15分ずつの三場面立て。
 海外公演向けの和物という企画意図は理解していますし、自分に日舞を見る素養が欠けていることもわかっていて、それでもあえて言いますが、長い。
 せめて10分ずつの30分のショーにしてほしいし、もっと言えば「破」の場面はカットしてほしいです。
 「序」はいわゆるさくらのボレロの場面なのですが、チョンパで始まらないので「わああ!」というインパクトに欠けるし、だんだんとクレッシェンドしたいのかもしれませんが、だらだらしていて盛り上がりに欠けます。
 いっそ二度目の引き抜きのあとだけくらいでもいいぐらいだわー。
 「急」の場面も、衣装風俗が「序」と似ているのが気になりました。和物、着物ったってもっといろいろあるじゃん、同じ若衆と姫でいいの? もったいない…と不満。どうせならこちらは江戸時代のものにするとか、工夫がほしかったです。
 そして「破」は…どんなに本格的な声明だとしても、男声というのが宝塚歌劇の舞台にはいかにもそぐいませんでした。あと、音階というかがおもしろすぎて、ありがたがる素養がこちらにないだけなので無礼千万の発言でしょうが、しかし楽しめなかった。そしてとにかく長い。
 その後の歌の歌詞もシュールすぎますし、それが仏教の教えを反映しているのだとしても、観客である一般市民にそこまでの宗教心はないと思うので、ただひたすらポカーンとしてしまうワケですよ…
 そして、声明をジェンヌに歌わせなかったのが女人は穢れているからとかなんとかいう理屈ゆえのものだったとしたら、彼女たちに菩薩だの大日如来だのを演じさせるのはどうなの?ってことですし、それをみんなが拝む構図がもうむず痒くてやりきれない。現代の日本人は意外とこういう偶像崇拝が無理なんだと思うんですよ。
 加えて、タカラジェンヌとそのファンって、スターに対してちょっと狂信的なところとかが新興宗教と紙一重なところがあると思うんですよ、ぶっちゃけ言って。その事実をつきつけられているようで、観ていてとても居心地が悪いです。
 ましてこれをアジア圏の外国の観客に見せていいの…?
 ホント怖い、やめてほしい。マジでそう思っています。

 演じ手としてはまっかぜーの美しさにビビりました…
 そしてしゃべ化粧ではアルカイックスマイルくらいがいいのだと思うのだけれど、ベニーはにんまりしすぎだと思いました。

 40分のお芝居は作・演出/小柳奈穂子。
 前作よりさらに学芸会感が増してしまい、たわいなくなってしまいましたが、まあご愛嬌、のうちかな。
 しかし抜擢と騒がれたルーチェ役の礼真琴ですが、私には下手すぎて見えてびっくりしました…とっぱしの銀橋ではみっきーの上手さだけが目立っていたし、ヒールが高いのか心もとない歩き方も美しくなかった…
 まさこもダイコンさが目立った気がする…(ToT)はるこが変わらず可愛かったのが救いかなあ。手厳しくてすみません。

 ショーは作・演出/藤井大介。定番でいいですが、近いショーのお衣装を使いまわしすぎです!
 プロローグの歌い継ぎは本当にひどくて、今の星組は本当に耳に優しくないよね…まさこのとかなんの呪文かと思ったもん…(ToT)
 ホワイト・アリエスのねねちゃんにはデレました。でも膝が意外に美しくなかったのが残念。脚は綺麗なんだけど~。
 おひつじ座のまっかぜーはまあまあがんばっていたのではないでしょうか。
 ふたご座のベニーは芸達者なのはわかるけど、二番手スターとしてはやはりやらせすぎだと思いました。
 かに座はキャンサーになってからのねねちゃんのお衣装が、胴が余っていて心配でした。痩せすぎないでね!
 しし座のまさこはちょっとよかったかな。
 中詰めのスターメドレーはオールドファンには大喜び場面でした。まっかぜーの「サジタリウス」久々に聞いたよこの曲!って感じでしたし、ねねちゃんの「セ・マニフィーク」のパンチは本当に効いていました!
 その後のてんびん座のジュンコさんメインのゴスペルは唯一耳に優しい場面。さそり座のチエちゃんソロダンスももちろんよかったです。
 いて座の場面は大介ショーにありがちな祈り・再生テーマ場面でうーん…
 やぎ座のヤングスター銀橋渡りでは、わかばちゃんはもうこのクラスじゃないだろう!と思いました。
 みずがめ座で娘役を侍らせるベニーになんの色気も感じられなかった…大丈夫なのか?
 うお座はデュエットダンス、円熟味が出てきましたね。
 背負い羽は華やかでパレードはやはり盛り上がりましたが、台湾でこれをまた観るのかと思うとちょっといろいろと…まあブラッシュアップされるというのでそれに期待!




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『100万回生きたねこ』

2013年01月15日 | 観劇記/タイトルは行
 東京芸術劇場、2013年1月14日マチネ。

 あるとき、ねこ(森山未来)は女の子(満島かり)のねこでした。女の子がねこと毛糸で遊んでいると、毛糸がねこに絡まり、ねこは動かなくなってしまいました。ねこの死、それは新たな生の始まりでした。女の子はねこを追いかけるうちに様々な飼い主たちに出会いました。しかしねこは死ぬのなんか平気だったのです…
 原作/佐野洋子、演出・振付・美術/インバル・ピントねアブシャロム・ポラック、脚本/糸井幸之介、戌井昭人、中屋敷法仁、音楽監督・作曲/阿部海太郎、作曲/ロケット・マツ、作詞/友部正人。全2幕。

 キャストに惹かれて大雪の中観に行きましたが、とてもよかったです。
 原作の絵本は私は子供の頃に読んだことはなくて、大人になって読み、ほほうと思いましたがそれだけだったんですね。なので今回もうろ覚えのまま行きました。
 会場で絵本も販売していたので購入し、観劇後に帰宅してから読みましたが、意外にあっさりしていて驚きました。
 脚本はとてもうまく作られていたんですね。シェイクスピアもかくやというような、韻を踏んだというか駄洒落みたいな詩的で軽妙な台詞も素晴らしかったし、ねこと白いねこのしりとり会話も素晴らしかったです。
 言い過ぎちゃっているのかもしれないけれど、それくらいでないと舞台では伝わらないと思うし、全体としてはとてもリリカルで哲学的な雰囲気があったので、あからさますぎる感じはなくて、よかったと思いました。
 そういう不思議さをよく表現した舞台装置と美術も素晴らしい。ユーモアとペーソスあふれる音楽も素晴らしい。演奏家になんらかの役割を与えて舞台に出す演目が私はけっこう好きですが、今回もとてもうまい使われ方をしていて効果を上げていたと思います。
 歌いあげる系のミュージカル楽曲ではないので、キャストもそれぞれ味のある歌を聴かせてくれて、しみました。演技ももちろん素晴らしかったです。
 ちょっといろいろココロが満タンになってしまうので、一幕はやや長く感じましたけれどね。でも素敵な作品でした。
「100万回死んだんだぜ」
 と自慢するねこは、「何回生きたの?」と聞かれて答えられませんでした。
 今まで飼い主に泣かれても死ぬことをなんとも思っていなかったねこが、白いねこの死に昼となく夜となく泣き、そしてついにそのそばで死んで、二度と生き返りませんでした。
 何度死のうが生まれ変わろうが、本気で生きていないのなら同じこと。本気で生きたらそれで一度きり、もう二度と生まれ変わることはない。でもだからこそ真剣で、真実で、幸せ。…深い。
 雪の日にふさわしい観劇でした。

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