駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『シルバースプーンに映る月』

2013年06月29日 | 観劇記/タイトルさ行
 グローブ座、2013年6月28日マチネ。

 敷島家の御曹司・綾佑(坂本昌行)は放蕩三昧で、姉のミユキと結婚した義兄の雅也(鈴木綜馬)とも折り合いが悪い。敷島家のコンシェルジュ・彩月(戸田恵子)は雅也の妻の座を狙っている。ある日、彩月の隠し子・美珠希(新妻聖子)が敷島家を訪れて…
 作・演出/G2、音楽/荻野清子、美術/松井るみ。日本人の日本人による日本人のためのオリジナル・ミュージカル、全1幕。

 ウェルメイドなハートフル・コメディ、という感じの、可愛らしい作品でした。序盤の勘違いによるラブヒメ・モードが楽しかったけれど、それだけで突っ走るには日本人はやはりウエットなんですよね。
 というか洋館だし嵐の山荘ものだし御曹司なんてムズムズするし、むしろ外国設定にした方が舞台の虚構性とは相性がいいし、その上での方がドラマや感情のリアリティがかえって出るのでは…とか途中までは思っていたのですが。
 これは三年前の春にいなくなった人を巡る物語、だったのでした。
 ミユキさんは事故死したのか失踪したのか、死体が上がらず、でもみんなおそらく死んだのだろうと思っていて、でも思いたくなくて、思い切れずにいる。
 つまり出先で津波に遭ったということなのでしょう、明言されていませんが。だから遺体がなくとも亡くなったことはほぼ確実だと思われる、しかし確証はなく、屋敷の時は止まっている…
 そういう状態から始まる、物語なのでした。

 幽霊なんて嘘です。幽霊騒ぎは彩月のせいでも、最後に出てきた幽霊は、おそらくは綾佑の、雅也の願望であり幻です。人は見たいものを見るのだし、死者が帰ってこられることなどありえません。
 それでも、愛していたこと、愛されていたこと、愛があったことは伝え合いたい。だからこういう形でそんな思いが現われるのです。
 そんな、ウエットな、せつないお話なのでした。
 だからこれがそのまま海外に輸出するに足る作品なのかどうかはわかりません。でも、とりあえず、今の日本人の、日本人による、日本人のためのミュージカル、というのには納得です。来年再演されたら、これは四年前の失踪に端を発する物語になる。そういうことです。

 キャストは芸達者で素晴らしく、特にメイン四人以外のサブキャスト四人もとてもいい仕事をしていました。
 でも恭平(上口耕平)の扱いにはそれこそ現代日本の限界を感じたかな…LGBTをギャグで扱うのはもう古いんだけどなあ。

 それからセットがとても素敵でした。私は上手二階席だったので実は見づらかったのですが、上手端に屋敷の今の大きな窓から通じる中庭が作られていて。この空間のマジックが舞台の醍醐味だと思いました。
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ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

2013年06月29日 | 観劇記/クラシック・コンサート
 サントリーホール、2013年6月25日ソワレ。
 オペラシティコンサートホール、2013年6月26日。

 Aプログラムはベートーヴェンの交響曲第7番とブラームスの交響曲第1番。アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番。
 Bプログラムはベートーヴェンの「エグモント」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。アンコールはクライスラーのレチタティーヴォとスケルツォカプリース、同じくクライスラーの「愛の悲しみ」。
 指揮者はミヒャエル・ザンデルリンク、ヴァイオリンは川久保賜紀、ピアノは上原彩子。
 
 きらきらと輝かしく、久々のオケを堪能しました。
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宝塚歌劇花組『戦国BASARA』

2013年06月29日 | 観劇記/タイトルさ行
 シアターオーブ、2013年6月20日マチネ。

 時は戦国、群雄割拠の時代。甲斐武田軍の攻撃の要として、二本槍を自在に操る熱き闘将がいた。真田幸村(蘭寿とむ)、天下統一を目指す甲斐の虎・武田信玄(華形ひかる)をして虎の魂を継ぐ者と言わしめる男である。そんな幸村の身を、かつて彼の命を助けられた少女・いのり(蘭乃はな)は一途に案じるが…
 原作・監修・制作協力/カプコン、脚本・演出/鈴木圭、作曲・編曲/吉田優子、千住明。2005年の発売以来累計330万本もの売り上げを誇る人気ゲームのミュージカル化。全2幕。

 私はゲームをまったくやらないし、最近のアニメにもとんと疎いので、うっすらとした史実の知識と、それはあまり関係ないらしい、という前情報のみで観に行きました。
 まあネタ公演としてはいいかな、私は一度見るだけだしね、という感じで、ゲームファンにもおおむね好評なようだし、初のオーブ公演もチケット歓迎の大成功ということで、まずはよかったのではなかろうか、でも続編とか勘弁してね、というのが正直なところです。
 私は宝塚歌劇に関してはわりと保守的な方で、基本的にトップトリオによる三角関係のラブロマンスを上演するべきであるという考えを絶対的に持っているので、ロマンスとして、ドラマとして弱かったのがとにかくつらかったし、キャラクターの三次元化を楽しんだりコスプレ祭りを堪能するだけなら一度で十分で、タカラジェンヌの真価はもっと別のところにあると考えているからです。
 ゲームはそもそもアクションものなのでしょうから筋などはなく、筋を作るのがこの脚本家の仕事なのだとすれば、それには期待できないから…というのもある。
 だって、オリジナルキャラクターのいのりに間諜としてのドラマがあったこと、敵方の大将・上杉謙信(明日海りお。いい感じに浮きまた馴染み、上々の花組デビューになったかと)に献身的に使えるくノ一かすが(桜咲彩花。よかった可愛かった、素晴らしかったよ絶対領域!)と幸村に仕える忍・猿飛佐助(望海風斗。これまたよかった!)とが同郷であり愛情がある流れにドラマがあったこと、以外は本筋不在なんだもん。
 主人公がいつも能動的だとはもちろん限りません。主人公が巻き込まれるタイプの物語、というのはもちろんあるのです。でも巻き込まれたことに迷って立ち止まっていたら話は進まないじゃん。なんだ夢(芽吹幸奈。花組きっての歌手に歌わせない意味がわからない)って。なんだ「自分に帰れ」って。
 てか男子は戦いが、勝ち負けが好きなんじゃないの? だからチャンバラするし戦争ごっこするしアクションゲームにハマるんじゃないの? 「何故戦うのか」とか悩むくらいならこんな題材扱わなくていいですよ、女性にはこんな戦いへの興味など本質的にはない。無意味で無価値だと知っているからです。
 この中途半端さが嫌なんだよねー。ある世代をゆとり世代とくさすことが差別語であるのと同じような意味で、これだから『エヴァ』世代は…とか言っちゃうよおばちゃんは。
 こんな割り切れない、潔くないところで話を作らないでくれ、生徒に演じさせないでくれ。生徒の素敵さを見せるのが宝塚歌劇団の座付き作者の最低限の仕事です。ファンは優しいからなんでも受け入れてくれるけれど、ファンが増えない仕事をさせるのはプロとして下の下だろう。
 というわけで一回こっきりにしてくださることを切に望みます。
 映像も多用しすぎで、だったらCGバンバン使って実写映画でもなんでも作ればいいじゃん、という感じで、私は閉口しました。
 分身だの変身だの高速だの、そら生身でやるのは難しいよ、それをダミー使ったりダンス使ったり照明使ったりの舞台ならではのテクニックで見せてこそ、演劇なんじゃん、ミュージカルなんじゃん。その気概を持ってほしいよ…
 フィナーレも退屈しました。私は教養がないので、宝塚の和物ショーでよく見るあのヒモを使った踊りの何を鑑賞すればいいのかがよくわかっていません。
 まゆたんがハケたあとの、主題歌で総踊りはちょっとおもしろいなと思ったし、ゲームファンにもこんなアレンジとこんな舞踊があるんだ、とおもしろく思ってもらえたと思うのです。
 でもせっかくのダンサートップコンビノデュエットダンスがあんなに大きな内掛けで揺れるだけのものだなんて泣くしかない…
 もっと軽装とキモノドレスでバリバリ躍らせようよ、どんなに着替えが大変でも黒燕尾とカラードレスを一瞬でもいいから出そうよ、それでこそ次の公演にも新規ファンを呼べたと思うよ、もったいなかったですよあまりにも…
 ファンの愛は重いのです。劇団にはもっとがんばっていただきたいです。

 生徒さんはもちろん大健闘。
 少年のキラキラさをきちんと演じられるまゆたんしかり、使命と愛に引き裂かれる流転の少女を演じて輝いているランちゃんしかり、浮世離れした美貌と才知を体現してあまりあるみりおしかり。
 がっちりしたお館様を演じ抜いたみつる(しかし体罰とかDVとかが問題視されるこの時代に「殴り愛」ってどうなの…)、ゲームの人気キャラだけにチョイ役ででも出したのか、しかし場をさらった伊達政宗(春風弥里)のみーちゃん。まよまよやがりんちゃんもきっちり仕事をしていました。
 大きな思い衣装で汗だくで、大変でしょうに。体にだけは気をつけて、千秋楽までがんばっていただきたいものです。そして次の本公演はゼヒ、ベタベタの恋愛ドラマを…! 景子先生、頼みます!!

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『天翔ける風に』

2013年06月15日 | 観劇記/タイトルた行
 シアタークリエ、2013年6月14日マチネ。

 1867年、夏。「ええじゃないか」踊りに埋め尽くされた江戸では民衆の不満と変革を求めるエネルギーが爆発していた。優れた頭脳と剣の腕を持ち、女だてらに江戸開成所の熟成として学んでいた三条英(朝海ひかる)は、変革を求めて思いつめ、金貸しの老婆殺害を実行してしまう…
 原作/ドストエフスキー、脚色/野田秀樹『贋作・罪と罰』、演出・振付/謝珠栄、ミュージカル台本/TS、音楽/玉麻尚一、作詞/謝珠栄、佐藤万里、玉麻尚一。
 ドストエフスキーの『罪と罰』を日本の幕末に移した野田秀樹の戯曲をミュージカル化、2001年初演。新キャストでの上演。

 原作は未読で、大島弓子の漫画での知識くらいしかありませんでしたが、なかなかワクワクと観ました。
 だからこそ、冒頭がとても駆け足で、状況がよくわからないうちから老婆殺害が起きてしまうのはちょっともったいない気がしました。
 私はTSファウンデーションの舞台を観るのが初めてだったし、お衣装のデザインがとても素敵(衣装/西原梨恵)なだけにでもこれっていつのどこの話?ホントに幕末ものなの?とか思ってしまって、いろいろつかめないでおいていかれてしまったんですよ。
 もっと、これがいつでどこでどんな状況の話で、そんな中でヒロインはどんな立場でどういう人間とされていて、ということをきちんと見せてもらって、その上で、老婆殺害を実行してしまうヒロインを観たかった。
 シンクロするとか感情移入するとかは難しいかもしれないけれど、感情は沿わせたかったのです。
 このいかにも若者らしいねじれた理屈は誰しも思い当たるところがあるだろうし、まして今や時代がこんななんだから、もっと響いたと思うのですけれどね…
 そして、ラスコーリニコフを女性にしたことで、親友役のラズミヒンに当たる才谷梅太郎(石井一彰。あいかわらず声量がすばらしい。いい暑苦しさもある二枚目役者だと私は思っていて、意外に贔屓にしています)とはやはりラブが生まれるわけで、でも才谷梅太郎って坂本龍馬なので、原作ではラスコリーニコフを支えたのは娼婦のソーニャだったかもしれないけれど、諸馬は死んでしまうんですよ…
 明治は来たが才谷は来なかった。門は開いたが男は待っていなかった。女が男を牢の中で待つのではない、男が女を牢の外で待つのだ、そして門を開けるのだ、と男は言ったのに。女は男にあんなに熱い愛の告白を手紙でしたのに。男が死んでしまって来られなかったのは男のせいではないにしろ。こんなふうに残された女をどうしてくれるって言うの?
 才谷が来ないことをまだ知らない英が、喜びに顔を輝かせて開いた門を見つめるところで、幕は下ります。悲しすぎるわ…

 殺される老婆とその善良な妹を、英の母・清(伊東弘美)と妹・智(彩乃かなみ。あいかわらず歌唱絶品!)に二役でやらせるところがまたおもしろいと思いましたが、原作にはラスコリーニコフの家族というのはどんな感じで出るのかなあ?
 英がまた、女性キャラクターになったことで、父親の遺志を継ぎ(そして実際には父親は生きていたわけですが…岸祐二ねこれまたよかった)男勝りに生きる聡明で苛烈でエキセントリックな娘、ということになり、それがまた悲しくつらい。
 対して智は家族のために大金持ちとの意に沿わぬ結婚を了承するような、心優しくたおやかな娘で、姉妹は互いに思い合い気遣い合い、けれど言葉も想いもなかなかそのままには伝わらないのでした。悲しい…
 溜水(吉野圭吾)の政治的に立ち位置が私にはちょっとよくわからなかったのですが、それでもこういう人が意外に智を聖母のように崇め愛す、と言うのはあるだろうなと思えたので、それもまたドラマチックでした。
 ともあれ女は本来男より賢いので、自分が天才であることを立証するために犯罪を起こしてみるとか絶対にしません。でも英は父の娘として、息子以上のものとして生きようとした女だったから、そして世の男たちが議論するばかりで何も実行しなさそうな愚か者にしか見えなかったから、やってしまったんですよね。
 その後のラスコリーニコフが後悔に苛まれたりするのは下手したら潔くないとか何を今さらって感じで同情できなかったかもしれない私ですが、英が苦悩するのは女の弱さというよりは人間として当然の迷いに見えて、だからこそ余計にかわいそうでした。こんな翻案を考えつく野田秀樹は悪魔だな!

 というワケでなかなかスリリングで感慨深い観劇体験でした。
 ゴツくて凛々しいアンサンブルも素晴らしかったです。





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『不道徳教室』

2013年06月15日 | 観劇記/タイトルは行
 シアタートラム、2013年6月11日ソワレ。

 リラクゼーションルームでマッサージ嬢リカコ(黒川芽以)に問われて、高校の現代国語の教師だと答える山城(大森南朋)は、教え子の須佐あかね(二階堂ふみ)のことを思い出していた…
 作・演出/岩松了。全1幕。川端康成の『みずうみ』にヒントを得て描く禁断のラブストーリー。

 小さな舞台にもかかわらずすばやく転換するセット(舞台美術/伊藤雅子)が鮮やかでした。
 他は…なんとも言えない(^^;)。その『みずうみ』を未読なのですが、若い女をストーキングする老人の話、なのかな? プログラムの高橋源一郎との対談では『ベニスに死す』なんかの話も出ていますし、若く美しい者に惹かれた老人の話から、それを中年男性にして現代日本を舞台にしたところが肝なのでしょう。
 でも、結局どういうこと?という気がしてしまった、よくわからなかったのですよ。舞台の時間が行ったり来たりしているようだけれど、それを正しく捉えられなかったらしい私の方が悪いのかもしれませんが。
 リカコは仮名というか源氏名だそうですが、まさかこれがあかねってことでもないんでしょう?
 だいたい、あかねが山城にあんなふうに応えるなんてありえないとしか思えない…でも別に幻想ってことでもないんだろうし…
 あと、わざとだとは思うのですが、岩松了(俳優としてテレビドラマでは観ていましたが、作品を観るのは初めてかも)の脚本は、日常的な台詞をずっとつなげるもので、それがまた話をとてもわかりづらくしているわけです。
 実際の会話ってああですよ、尻切れトンボだったり話が跳んだりして一直線には進まないし、中身がないことも多い。それでその場の空気感を演出することはもちろんできると思います。でもずーっとそれだとストーリーが見えなくて対屈するし、イライラするし、集中力が続きません。
 結局あかねは、チャコ(趣里。ときどきやっぱりママに似て見えますね!)はどうしたの? 山城は何をしたの? リカコってなんなの? ってのが、私には全然わかりませんでした…
 大森南朋、色っぽかったけれどね。二階堂ふみは初舞台も観ていますが、いい存在感があっていいですけれどね。ただ上背がないのは役柄によっては舞台では不利かもね、今回のような少女役はいいんだろうけれど。
 親友ふたりのバランスを取ろうとする弥生役の大西礼芳もとても達者だと思いました。
 でも不完全燃焼であったよ…
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