駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

東京バレエ団『ロミオとジュリエット』

2022年04月30日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京文化会館、2022年4月29日16時(初日)。

 振付/ジョン・クランコ、音楽/セルゲイ・プロコフィエフ、装置・衣裳/ユルゲン・ローゼ。指揮/ベンジャミン・ポープ、演奏/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。
 この日はロミオ/柄本弾、ジュリエット/沖香菜子、マキューシオ/宮川新大、テイボルト/安村圭太。

 『白鳥の湖』『ジゼル』『ドン・キホーテ』などと並んでついつい観に行ってしまうバレエで、過去にはこちらこちらこちらこちらなど。
 ところでバレエっていわゆる演出は誰がやっているものなんでしょう…団の芸術監督みたいな人? 今回、場面転換が暗転で、でも音楽は続いていてつながっていて…みたいな流れだったのがなんとなく新鮮に感じたので。こういうのって振付とは関係ないよな?とか思ったのでした。
 それはともかく、最初のうちは、アラこれもキャピュレットが赤でモンタギューが青なのねとかやっぱWSSってよくできてるんだなーとかあらバリス(この日は大塚卓)白だわとか思いながら眺めていたんですけれど、ジュリエットがもうホントに小柄で軽やかで愛らしくて少女のようで、1幕はもう萌え萌えで観ました。
 ロミオはフツー…だったかな。マキューシオはいかにもなやんちゃでこれまた軽やかで印象的でした。最後の霊廟、そうだパリスは殺されちゃうんだよねーとか思いながら観てました。それでいうと原作準拠なのかもしれませんが、ジュリエットがロミオに手紙で僧ロレンス(この日はブラウリオ・アルバレス)のところに来るように伝え、ロレンスに結婚式を挙げるよう頼んだのもジュリエットのように見えました。ジュリエットの方が積極的でしっかりしているというか…まあ当時のふたりとも結婚がどういうものかはよくわかっていないで行動しているとも言えますが、逆に言えば好きだから結婚したい!というのはシンプルで正しい、基本的なことだとも言えるわけです。すがすがしかったです。
 あとはジプシーの踊り(この日は伝田陽美、三雲友里加、加藤くるみ)がとても鮮やかでよかったです。
 
 しかしGWの上野駅公園口は家族連れで芋洗いで、会場ロビーでも売店出すみたいなイベントやっていて、まだまだ感染防止対策するべきなんじゃないの?と出かけておいてなんですがちょっと恐怖でしたよね…引き続き気をつけたいです。



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宝塚歌劇宙組『NEVER SAY GOODBYE』

2022年04月28日 | 観劇記/タイトルな行
 宝塚大劇場、2022年3月1日12時。
 東京宝塚劇場、4月27日18時半。

 1936年、ハリウッド。セレブたちが集まる倶楽部、ココナツ・グルーヴでは、新作映画『スペインの風』の制作発表パーティーが開かれていた。カルメンを演じるエレン・パーカー(天彩峰里)やエスカミリオを演じる現役闘牛士ヴィセント・ロメロ(芹香斗亜)らの紹介が行われている中、突然原作者のキャサリン・マクレガー (潤花)が激しい剣幕で飛び込んでくる。映画の脚本が自分が書いたものとかけ離れたものになっていると抗議に来たのだ。会場が大騒ぎになる中、突然フラッシュが焚かれ、ひとりの男が現れる。パリの風俗を撮影した写真集で一世を風靡したカメラマン、ジョルジュ・マルロー(真風涼帆)だった。激高した表情を撮られたキャサリンはフィルムを渡すようジョルジュに詰め寄るが…
 作・演出/小池修一郎、作曲/フランク・ワイルドホーン、音楽監督・編曲/太田健、編曲/青木朝子。内戦下のスペインを舞台にしたミュージカル、2006年初演。全二幕。

 初演の感想はこちら
 今回の上演のマイ初日雑感はこちら
 東京では友会のおかげで11列目どセンターという、たいそう観やすくありがたい席で観ました。フィナーレなんかはやはり圧巻でしたね。
 東西で一度ずつ、かつ間がけっこう開いた観劇になったため、それなりに新鮮に楽しく観ました。観ないでいた間に勝手に悪い方へ捏造していた違和感は、実際に観るとそんなには感じませんでした。
 それでもやはり、いろいろと感じ考えさせられるところがあり、ぶっちゃけいろいろと問題がある作品だな、とは改めて思いました。まあ問題のない作品なんてないんですけれどね。ただここ最近数作の、主にフェミニズム的に、また人権感覚的に引っかかる問題の在り方とはちょっと違って、今回は主に戦争の描き方や扱い方について私はいろいろと引っかかりました。でも要するに結局は人間というものをどう捉えるかということにつながるので、すべては同根なのかなとも思いますけれどね。ともあれ今の時代、作り手にはなおいっそうの感覚のアップデートと、何故その作品を今こう作るのか、ということに関してよくよく考えることを望みたいと思います。16年経ってるのにほとんど間違い探しのレベルでしか変化がないなんて、はっきり言って手抜き以外の何ものでもないでしょう。ハナから完全に完成された100年後もそのまま上演されるべき完璧な出来の作品、とかならいざ知らず(ちなみに人も世の中も常に変化する以上、そんな舞台なんてありえないんじゃないかしらん…発表された時点から不変である小説や漫画だって「読まれ方」は変わってくるのだし)当時から「話スカスカやん」という批評がトップコンビの退団に捧げる涙とは別レベルで語られ、再演決定の報にも「そこまでの作品か?」と疑問が囁かれていた作品です。何故もっと手を入れないのか、何故これでいいとふんぞり返れるのか、その根性がまず気にくわないんですよホントにさあ…(><)

 1幕は、わりといい気がします。恋愛の立ち上がりがややイージーな気がしますけれど、実際にはこんなものだと思うし、宝塚歌劇なんだから常にものすごく運命的でドラマチックでないといけない、ということはないと思うので、個人的には嫌いじゃないです。
 ただ、サグラダ・ファミリア場面での暗転で要するにやってることになっているんですかねこのふたり? いわゆる朝チュンみたいな他に場面がないので、ペギーってジョルジュの孫ってことにする意味はあるのかなあ?とついつい思ってしまうのです。いや、別にふたりがプラトニックだったと思っていたとかではなくて、大人なんだしやることやってる方が自然だと思うんですけれど、当然避妊すべきものだとも思うので、ホイホイ子供ができたことにする「お話の作り方」に違和感を持つのです。それに、心当たりがあるならジョルジュは言葉は悪いですがいわゆるやり逃げをしてるってことになるじゃないですか。いや妊娠している可能性があるからこそキャサリンを帰国させたのだ、とイケコは言うのかもしれませんが、ならジョルジュもついてって全力でフォローすべきだろう、と言いたいわけです。父親の責任ってそういうことでしょ? 外国の戦争に身を投じるより、自分の妻子を守ることの方が大事なのではないでしょうか。そういう視点がないのが嫌なんです。
 あと、愛し合ったらセックスする、のはいいとしてセックスしたら子供ができる、とイージーにするのが嫌。再三言いますが避妊という発想がそもそもないように見えるのがとにかく嫌なんです。それに子供の存在こそが真の愛の結晶であり証明なのだ、みたいなイメージをフィクションで再生産していくことには大いなる問題があると私は考えています。普通セックスは避妊ありきでするもので、子供が欲しいというときにだけ避妊せずするものだ、ということを一般常識としてほしい。なので物語上も、愛し合ったらセックスする、だが避妊するのが普通なので普通子供はできない、というのがもっとメジャーな展開になっていくといいと思います。宝塚歌劇ではトップコンビがらみのメインの筋でアロマンティックとかアセクシャルを扱うことはまずないでしょうから、そこは考慮しなくていいのではないかと思います(これは差別ではなく、ジャンル区分の問題として。男役と娘役のトップコンビを中心に作劇される以上、そこで扱うストーリーは主にシスジェンダー・ヘテロセクシャルのものになる、というだけのことです)。
 ペギーはキャサリンの孫でありさえすればいいのであって、祖父はジョルジュでなくても全然関係ないはずです。キャサリンが帰国後に別の男性と恋愛しその子供を産んでも、それはジョルジュとキャサリンの恋愛がかりそめのものだったということにはなりません。なのにいじましくもジョルジュの孫とさせるイケコのその男性特有のいじましさが、もう本当に嫌です。男性はそういう形でしか女性の人生に爪痕を残せないと思っているんでしょうが、はっきり言って迷惑です。そんな呪縛からキャサリンを解放させてあげたかった…
 そもそもキャサリンは、これは2幕の話ですが、「♪あなたに出会う前は私ただの愚かな女だった」と歌わされるような女性ではありません。単なるメロドラマではない社会派の作品を執筆し、組合の必要性を考え、結婚と離婚を経験し、広い世界を自分の目で見たいと自分の足で母国を出てきた女性です。キャラクターに対する敬意が足りないぞイケコ! ジョルジュに男のエゴを自覚させる程度の視座があるなら、さらにもう一歩踏み込んでほしかったです。
 さて話を戻しますが、そんなわけで1幕はいいと言えばいいのですが、やはりザラつくのは民兵の訓練場面です。攻め込まれるから武器を持って対抗しよう、というのはわかる。でもあんなに簡単に市民が武器を手に取れるものなの? イヤこのあたりは史実なんでしょうけれど、でもあのライフルはいったいどこから出てきたものなの? 猟銃として一般家庭にほぼ常備されていて人々はごく日常的に使いこなしていたということなの? 銃器に関しては欧米と本邦は違いすぎるので感覚的によくわからないのですが、その中で女性も戦おうと立ち上がる、というのもわからなくはないのだけれど、子供たちまで兵士になろうと訓練に参加することをあんなふうに肯定的に描いてしまっていいの? けなげでいじらしい、みんなでがんばろう、みたいになっちゃってるけど、子供にはそんなことはさせられない、みんなで守るべきだ、という視点はまったくなくていいの? では彼ら市民たちはいったい何を守っているの? 地元の町、故郷、領土、つまり土地、地面ってことなの? それって家族より人命より本当に大事なもの? 家財背負って家族とともに「聖地」を逃げ出した『眩耀の谷』の展開に私はいたく感動しましたが、たとえばそういう発想はまったくなくていいの?
 せめてキャサリンに何か言わせて、ラ・パッショナリア(留依蒔世)に「何を甘いこと言ってんだ」とやり返させちゃってもいいから、これは非常事態だとしてもあまり良くないことなのではなかろうか、という視点はあった方がよくないですか? 今よりずっと平和だった16年前の日本で上演するにも、よりキナ臭くなった今の日本で上演するにも。
 イケコはもはやいい歳かもしれませんけれど、それでも今の日本が戦争を起こしたら男だというだけで兵隊に引っ張られるんだと思うんだけど、それでいいという考えなのかなあ。この作中で日本は「ファシストの国になってしまった」みたいに歌われていますが、その大日本帝国を総括も縁切りもできていなくてむしろそこに回帰したいという人が今のこの国の中枢にいるんだなってことが日々露呈している昨今なワケですよ。プーチンはまだ改憲などの手続きを踏んで戦争に突入したようですが、本邦の一部の政治家は憲法が国家権力を縛るものだという基本も理解していないし、だから改憲とかやたら言い出すし、下手したらそれすらせずただそのままに隣国に戦争をふっかけることをしそうな勢いですよねもはや。そして今の国連が経済制裁なんかくらいしか手が打てずロシアに対して実力行使で戦争を止めることができないように、聞く気のない馬鹿に憲法を遵守させる強制力を持つ者って実はいないわけじゃないですか。ことは良心や良識にかかっていて、しかし馬鹿にはそれがない。戦争ってやった者勝ちなんです。今の日本が早晩そうならない保証はどんどんなくなってきているのです。我々はむしろこの作中ではバルセロナ市民の側などではなく、モロッコで挙兵したフランコ将軍旗下の市民の方に近くなる可能性が高い。上が勝手に起こした戦争に、嫌だと言いつつ巻き込まれ、武器を持たされる側になる方がよりリアルなのではないでしょうか。そんなとき、こんなふうに、攻められたから武器を取って立ち向かう者たちの物語を描いていていいのでしょうか。戦争は始まってしまったら終わりで、戦争が起きないように、事前に外交なりなんなりで努めて関係を築くことが大事なんですけれど、たとえばそういう物語を今こそ描くべきなのではないでしょうか。
 また、それでも戦争が始まってしまった場合には、この時点ではアギラール(桜木みなと)の主張が正しいのではないかと私は思ってしまうのです。自由のために立ち上がる、それはいい。だが戦う以上勝たないと意味はないわけで、その場合やはり組織立って戦略的に戦わなきゃ無理でしょう。PSUCとかPOUMとかの政党政治のコマにされたくないのはそりゃわかるよ、でもバラバラではできることには限りがあると思うのです。これはお話だから、主人公が「ONE HEART」と歌えばみんなが一致団結して盛り上がって感動的に幕が下りるんだけど、実際にはあの睨み合いから、空に向けて威嚇射撃があったらそこから絶対に撃ち合いになるわけじゃないですか。あんなふうに一方が武器を下ろして丸腰になり、丸腰の相手を撃つことを躊躇して軍や警察が撤退するなんて多分ありえない。しかもお話の中ですら、一部の市民は武器を完全には手放さず、歌いながら行進する過程で何人かが銃を拾い上げますよね? あれはなんなの? めっちゃ怖いんですけど…なので楽曲の良さとかコーラスの素晴らしさに対する感動で震えるのと同時に、戦争の恐ろしさや愚かさへの怒りに震えるし、それをこうもイージーな「お話」に仕立ててしまうことへの恐怖や怒りに私は震えるのです。こんなんで気持ちよく泣けたりしません。それでいいのかなあ?

 2幕になると、そのアギラールさんが実は小者であることからお話はしょうもない展開をし出すので、全体になんだかなあ感が漂ってくるのでした。
 結局アギラールは国のためとか民のためとか理想の政治社会体制のためとかの志はなく、権勢欲とか支配欲とかで動いているのであって、しかもおそらくはなんかちょっと美人でかつちょっと生意気だからこそそそられるみたいな理由でキャサリンに固執し出し、コマロフ(夏美よう)にさくっと粛正されるのはもはやほとんどギャグです。これをある程度一本筋を通して演じきっているずんちゃんはホント偉いよ…
 そして主人公たちも敗走を始めるので、その意味でもまたしょっぱい。このくだりで、母国に帰りたがるタリック(亜音有星)をまたあんなに否定的に描く必要性はあるのかとか、外国人であるにもかかわらずここまで協力してきてくれた仲間に対してヴィセントがけっこうひどいことを言って、かつ和解のあとに謝りもしない脚本なのはどうなんだとか、いろいろ引っかかってなおさら素直に感動しづらいです。
 ラストについても、ジョルジュがものすごくヒロイックであるとかはないと思うのでいいんだけれど、これで戦争の愚かさや虚しさを描けていることになるのか、私にははなはだ疑問です。しかも結局この戦争はフランコ軍がマドリードに入城して終結するわけで、つまりファシストの勝利に終わっているわけです。悪が勝つんですね。ファシズムが悪であることにはさすがに議論の余地はないと思うので。それが史実なんだけれど、こう切り取られるとなおさら虚しいのです。
 なのでトータルでホント虚しいんだよなあ…もちろんそれでもジョルジュは最後に再度、「♪一つの心に固く結ばれ明日を目指し歩いて行こう」とある種の希望を歌い上げてお話を締めるのだけれど、やはりとても空虚に聞こえるんですよ…それは現代の、ちゃんとしたオリンピックを無事に開催させた今のスペインのことがほとんど描かれていないからでもあるかもしれません。ペギーとエンリケ(奈央麗斗)との会話に何かもう少し足せていたら、また違ったのかもしれませんが、そういう視線がおそらくイケコにはないんですよねえ…
 だからやっぱりトータルで、安全なところにいるつもりの(けれどもはやいつ兵隊に引っ張られるかわからない)イケコが、ある種の理想のロマンとして、ジョルジュみたいな生き方を祭り上げているだけのように思えてしまうのです。
 でも本来は芸術家肌のカメラマンだったジョルジュが報道カメラマンに転向してしまうこと、そしてやがてはそのカメラさえも置いて銃を持ち兵士として戦いそして死んでしまうことのあまりの悲しさ、虚しさ、無意味さがあまり考慮されていない気がします。それはキャサリンもそうで、彼女は劇作家だったのに、ラジオニュースの原稿を書くようになってしまう。もちろん生きていれば興味の方向性が変わることはありえるのだけれど、それとは別に、報道ではなく創作でしかできないことって確かにあるはずなのに、それを当の創作家であるはずのイケコがわりと無自覚に作中で返上させちゃっているのが本当に残念です。もちろん創作なんて衣食足りたのちにすること、戦争みたいな非常時には役に立たない、という考え方もわかりますが、でも私たちはそれを震災とかウィルス禍の状況下で「でもやっぱり必要だ」って守り抜いてきたのではないの? なんかそういう雑さが、ホント残念で虚しいんですよねえ…

 熱演する組子にはまったく責任はありません。かなこはもうちょっと芝居が上手くなってほしかった気はするけれど、ナベさん、ほまちゃん、せとぅーにアラレ、大活躍でしたし本当に組の戦力でした。退団は残念ですが、その後のご健勝もお祈りしています。
 もはやトップ・オブ・トップのゆりかちゃんの余裕綽々の仕上がりきった男役っぷり、本当に鮮やかでした。ええ声で情の濃い芝居をするかのちゃん、「愛の真実」も芝居歌として素晴らしく、フィナーレのデュエダンはまさしく至高。さらに大輪の花となっていってくれることを期待します。ハイローは…まあちょっと不安だけど…
 そしてこれまた仕上がりきっているキキちゃん、引き続き本当になんでもできるずんちゃん、プログラムの位置におっ!となったもえこ、充実していますね。キヨちゃんもこってぃもよりギラギラしてきたし、りっつはホント頼もしいし、さよちゃんもヒロコも着実にポジションを上げてきていて万全です。もちろんじゅっちゃんがまた素晴らしかった! 観られませんでしたが新公のナニーロ、春乃さくらちゃんとも評判は上々でしたね。未来は明るいと信じられます。
 ハイローの次、良き当て書きの良き作品に恵まれて、ゆりかちゃんが無事にご卒業できますように。キキちゃんへのいい代替わりができますように。組力がさらに上がっていきますように。一ファンとして、切に願っています。













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『めぐ会いグラタン』初日雑感

2022年04月24日 | 日記
 宝塚歌劇星組『めぐり会いは再び next generation/Gran Cantante!!』初日と翌日11時公演を観てきました。108期の初舞台公演にして、今の私の最愛の娘役のひとり・はるこ様の卒業公演ですもの、いそいそと出かけてきましたよ…
 お芝居の初演というか一作目の感想はこちら、二作目はこちら。正直、お衣装が可愛かったことくらい以外の細かいことはほぼ覚えていません(^^;)。ま、なーこたんがさすが手練れで少女漫画的センスを上手く持ち込むよね、とは当時思ったかな。手元に映像がなくて復習はできませんでしたし、それで特に問題はなかったかと思います。もちろんわかって観た方がニヤリとできるところも多いかと思いますが。ともあれ私はノー予習で楽しく観ました。
 なーこたんが上手いのは、冒頭でみきちぐ座長に「コスモ王国の領主になったエルモクラート先生と、何故かついていったケテル」なんて話をさせながらも、若い座員役の生徒たちに「誰の話かわかる?」「最近入ったばかりだからわからない」などと言わせているところです。前作、前々作を履修していないとわからない作品になっちゃってるんじゃないか、という世間の懸念に対して、そんなことはないから安心してね、と初っ端に表明しているんですね。この視点、スタンス、大事です。さすがです。信頼できます。
 なーこたんはプログラムで、「架空のファンタジー的世界という設定であれば制約にとらわれない世界観を作ることが出来る」「キャラを立てて、逆にオーソドックスなラブコメでも新鮮に見せることができる」「なので、舞台設定は西洋ファンタジー風世界、ただし内容的には超自然的なことは起きないラブコメホームドラマというコンセプト」で作ってきたと語っており、その計算は正しく当たったんだな、と改めて感じました。ドタバタはしているけれど、観客にもある程度受け入れられているというか、需要があるというか…なシリーズですもんね? ま、ハッピーエンドのラブコメって実は難しいしなかなか出てこないので(とはいえ最近だと『バロクロ』などがありましたが)、ちょっとアレでこういうモノでも(オイ)まあいいか、とされているところがある、というのはあるのかな。でもなーこたんはそういうのも全部わかっててやってるんですよね。そういうきっちりした職人芸を感じます。だからハイファンタジーよりローファンタジーの方が好き、というアンケート回答にも納得です。とはいえ、だからこそこの世界観には謎の流行り病とか異国の戦争だとかは、たとえ台詞だけであっても要らなかったかもしれないな、とは個人的には感じました。ムリに地続きにしなくていいんですよ…
 また今回は言っているほど「スチームパンク的世界観」ではなかったと思うけれど(せいぜいお衣装にちょっと香りがある程度?)、まあそれもフツーそこまではとても盛り込みきれないよね、ってことでこんなんで十分だと思いました。今でもキャラが渋滞していてガチャガチャドタバタにぎやかで盛りだくさんなんですからね(笑)。しかもサブタイトルに相応しい人生訓やメッセージとかまで盛り込んでいますしね。ヒロインのキャラの新進性とかもね。今の星組はトップトリオはともかく、ありちゃんが組替えしてくれば正三番手になるんだと思いますが路線の番手はそのあたり以下をごまかしている状態なので、このにぎやかさで出番の量や役の美味しさが分散されているのはいいことなんじゃないでしょうか。それともファンはやっぱり胃が痛いのかな…そこは無責任に眺めてしまっていてすみません。
 以下、ややネタバレも含めて感想を語らせていただきます。未見の方はご留意ください。

 さて、今回の舞台は王都マルクトだそうですが、ところで今さらですがこの王国はヴェスペール王国っていうんですね。初代主人公・チエちゃんの役名はドラント・ヴェスペールだったと思いますが、彼は別に王子ではなかったんじゃなかったっけ…? たまたまの一致なの? よくある名字ってことなの? 名字と国名は関係ないってこと? 現に今の王様の名前はコーラスですが…
 まあいいか。ともあれ今回の主人公、まこっちゃんのルーチェは田舎領主オルゴン伯爵家の末息子。前作ではねねちゃんシルヴィアの生意気な弟…みたいな役どころで出ていたかと思いますが、遡ると母親(これで退団の華雪りらたんが扮していました)の臨終に上手く向き合えなくて、素直になることを避けたり、愛情というものにちょっと臆病になっちゃったりしているのかしらん…というような設定であることがまず語られます。そして今や成人もし大学も出た立派な24歳の青年ですが、実家には弁護士としてバリバリ働いていると嘘を吐き、実は大学時代の友人、せおっち演じるレグルスが経営する探偵事務所の手伝いというか居候というか…でぐうたらしているという状態の模様。つまりニート、とか言われちゃっていますが、要するに悩めるモラトリアムだということが語られます。そして今回は最終的にはこれが解消されるお話になっていて、ちゃんとビルドゥングス・ロマンに仕立てようとするところが本当になーこたんだなーと思います。いつまでも子供のままではいられない、だから親も子供を信頼して、強要するのをやめようね、というのが今回のテーマになっているのです。
 レグルスの事務所(しかし親から継いだ、ってのは一度言えば十分な情報なのでは…)には女優志望のくらっちティア、発明家の水乃ちゃんアニス、メガネで遅筆な劇作家のぴーセシルも入り浸っている、という設定です。最終的にはせおみほ、ぴーゆりでカップルになってそれはまあめでたくていいんですけど、ティアは女優らしく変装でもして活躍するのかと思っていたらそんな暇はありませんでしたね…そしてアニスは科学や機械いじりが好きで人間嫌いという設定なんだけれど、そしてそれはなーこたんが芝居が棒の水乃ちゃんのために書いたキャラだと思うんですけれど、いかんせんその芝居の棒さがかえって露呈していて私はマジでつらいと思いましたよ…棒を芝居でやるには演技力が要るんですよ、なんの事故かと思ったもん(><)。小桜ちゃんと役を入れ替えるとよかったのでは…? ヘンテコな三つ編みとか背中開いたお衣装はめっかわだったんですけどねえ…
 街はお年頃の王女の花婿捜しで盛り上がっている。そこにルーチェも参加してくれ、という何やらちょっと苦しい、怪しい、だが報酬が多額の依頼が持ち込まれる。依頼人はルリハナのアージュマンド、実は王女の侍女アンヌ。そしてその王女というのがそもそもルーチェのガールフレンド、ひっとん演じるアンジェリークで、彼女は国王(朝水りょう)の甥ローウェル公爵(オレキザキ)の娘として育てられてきたけれど実は国王の娘にして王女様、彼女の夫となるものが次の王になる、とされています。ところで女性には継承権がない世界なんですね…ここ、全然違う話になっちゃうかもしれませんけど、ちょっと再考してもよかったかもしれませんねなーこたん。アンジェリークはただ守られているだけのお姫様ではない、というような描写はあって、それは現代的でいいんだけれど、一方でルーチェの方が王になる自信がないみたいなことをウダウダ言うくだりがあって、でもまこっちゃんって華の95期の主席でバリバリの御曹司で押しも押されぬ王者オブ王者ってのがみんなの共通認識だと思うので、ちょっとそぐわないんですよね…とはいえひっとんが女王になれる設定にしちゃうと、じゃあまこっちゃんに何やらせるんだ、ってなっちゃうんだけど。
 まあいい、そんなワケでアンジェリークはあまり表に出されずに育てられていて、ルーチェにも正体を明かせていないし、でもかつてルーチェと出歩いたときの楽しさが忘れられずずっと彼を好きで…ということになっています。ルーチェの方ももちろん彼女を好きなんだけど、つい意地張って喧嘩ばっかり、ってヤツですね。ベタなんだけどこういう古き良き少女漫画チックな台詞と芝居がホンも役者も抜群に上手くて、キュンキュンします。古式ゆかしいタカラヅカらしいラブストーリーだと意外とないんですよね、こういうのが。
 さて、王女の花婿候補がいろいろと競う花婿選びにはあかちゃん演じる宰相オンブルの息子、かりんたん演じるロナンが参加していて、どうやら出来レースっぽい模様…他のメンツは天希くんやさりおやさんちゃんたち、かつてのともみんやみやちゃんのキャラを彷彿とさせます。
 そこに、かつてのベニーのブルギニョンとれみちゃんリゼットの間に生まれた双子、うたちポルックスと稀惺かずとのカストルが迷子になって現れる。うたちが可愛くて嬉しい! そしてこのふたりが両親を彷彿とさせる姿でいるのが嬉しい。そこにルーチェの実家の執事、みっきーユリウスとメイド長、なっちゃんブランも関わってきたりします。一方はるこレオニードはアンジェリークのシャペロンみたいになっていて、みっきーがまこっちゃんを、はるこがひっとんを励まし背中を押すようなくだりがあるのが胸アツでした。みっきーはともかく、はるこに歌わせるなーこたんの勇気に震えましたけどね…! 千秋楽まで手に汗握る一節を楽しみたいと思います。
 さて、オンブルは要するに王家を乗っ取るために息子を王女と結婚させて次の王にしたいのですが、実はロナンには小桜ちゃん演じるジュディスという恋人がいて、お互い王女との結婚は政略にすぎないと承知していて自分たちは愛人関係でいいと割り切っているつもりが実は…というドラマが作られています。かりんたんは特技が極真空手の阿呆悪坊でいくのかなーと思いきや、意外にいい芝居をさせてもらっているのですが…さてさて、ちょっとまだテクが足りないように見えちゃうんだよなー…でも多分おいしいお役を振ってもらっている形になるんだと思うので、今後の奮闘に期待。そして私は小桜ちゃんがそんなに好きではないので、ここが水乃ちゃんだった方が嬉しいというのワガママです。
 ラストは無事にともみんと結婚したらしき柚長グラファイス夫人の「エスプリ」発言で上手いこと締めて、まあハッピーエンドなんですけど、怪盗ダアトってネタが残っていたりして、まだまだ続きも作れるよ!みたいな感じなんでしょうか…? ちょっと余計な気もしましたけどね。ダアトに間違えられる、あるいはダアトを騙っちゃうコソ泥三人衆が天飛、奏碧、大希くん。かつてかぼちゃ泥棒をしていたまさこたちのオマージュのキャラなのかもしれません。次があるなら、もう10年後に天飛くん主人公くらいの時代で、でもいいのかもしれませんね。
 こっちゃんは本当になんでもできる人で、でも本当は十兵衛先生みたいなお役が一番いいんじゃないのかなーとも思うんだけれど、こういうやっと大人に片足つっこんだような若者の役もそりゃ上手いです。ちゃんとカワイイ。「ダンスは得意なんだ」で笑いが取れるし、『名探偵コナン』のファンぶりも発揮して「真実はいつもひとつ!」とキメるシーンがあるのもご愛敬。
 てかクライマックス前におさらいを入れるなーこたんの手腕がさすがでした。ただアンジェリークの身の上とかオンブルの野望とかの、まあまあ大事なことをコメット一座の歌と踊りで説明させるのは、聞き取りづらくてやや問題かもしれません。あとルーチェの最初の銀橋ソロ、プログラムによれば「Love Ditective」なる曲は歌い終えてキメておしまい、でよかった。そのあとの台詞は蛇足だし、テレだとしても不愉快に思う観客が大半だと思うし、作品の根源的なテーマに唾していると思う。なくすよう再考していいのではないでしょうか…
 ひっとんは横アリで華ちゃんが来ていた七色の段々スカートを着ていたりしてとにかくカワイイので優勝です。歌もアイーダのときより全然いい。
 せおっちはあいかわらずいい人役なのでファンにはもの足りないかもしれませんね。あと、くらっちとくっつくところ、もっとダイレクトな、ちゃんとした台詞が私は欲しかったけどなー…
 作品としては、回数を重ねればどんどん交通整理がついて小芝居が増えて、ファンは楽しくリピートできるのではないでしょうか。なーこたんの職人芸が光る、愛すべき一作だと思いました。

 レビュー・エスパーニャ『グラタン』はダイスケ先生作。スペイン縛りでも意外とバラエティに富んだショーにできていたのではないかと思いました。
 指揮は芝居と同じくラブ一郎先生。芝居では拍手ができますが、ショーはピエロから突然始まるのでその隙がありません。ピエロはみきちぐ、まいける、ご卒業のりらたん。
 そしてとっぱしは『アパショ』かな?な大階段のサチココバヤシのまこっちゃんから。大空さんのときはお経みたいな唸り声だった「♪ああぁ~」みたいなのもめっさええ声(笑)。「オーレ」! 拍手! ライトオン! せおっち筆頭にざかざか降りてくる男役! ひっとん筆頭にざかざか降りてくる娘役! …が素晴らしいのはいいんだが、マントぶん回す振りは『ネバセイ』フィナーレでやったばっかじゃん被り考えろよ劇団…間に『夢介』挟んでんじゃん、というなら「オリーブの首飾り」で手品、も被ってるから!
 てかうたちが娘役プロローグ1列目にいて仰天しました。いーちゃんの横だよ、すごくない!?
 プロローグ終わりはあかぴーと娘役ちゃん8人残り。
 続いてセビーリャの春祭りということらしいけどなんか頓狂な格好で馬に扮したせおっちが田原俊彦の「NINJIN娘」を歌い踊り、周りの男役はブルーのスーツ。ここは私はかりんさんガン見でしたが、百面相がたいそうキュートで無駄にスタイルいいのがたまりませんでした。くらっちセンターのニンジン娘たちは何度見るんだ『ファンサン』ひまわりの黄色の段々ドレス。ニンジン型の鞭振るわせるセンスがよくわからないよダイスケ…でも可愛いからいいです。歌手はひーろーと小桜ちゃん。
 次はガウチョ姿のこっちゃんのセリ上がり、大正解。ここのエルモサ、みんな鬘が良くてノリノリで踊っていて、ひっとんボニータが出てくるまでははるこがメインで素晴らしい。ここも歌手がいーちゃんに優奈ちゃんにうたちですよすごい!
 そして中詰めは宝塚歌劇のスペインものの主題歌メドレー。まずは下手スッポンのかりんさんからなんですけど、出てきたときにすでに滝汗なのはなんとかしてくれ…愛しすぎる。続いて美穂姉さんとこっちゃんの歌、踊る柚長に娘役たち。からの男役たち銀橋ズラリで「炎の妖精」、歌がううぅ上手すぎるうぅ! さらにみっきーが歌うんですがこれがまた上手い…コーラスは優奈ちゃんとルリハナ。希沙くん以下若手男役5人のススピカは天飛くんが意外にも綺麗(オイ)。そしてダルマひっとん登場! だがスカートが重くて脚が隠れがちだぞーBoooo! ウエストもお腹も生地が余っていて皺が寄っています…ここからは銀橋歌い継ぎで、くらっちと小桜ちゃんに挟まれたぴー、あかちゃんとはるこ、せおっち。主題歌で総踊り。さらにトリデンテが銀橋残り。
 再びみっきーが歌いはるこが踊るターン。さらにマタドールのこっちゃんとトロ(闘牛は雄牛でするものだそうなので修正されましたが、当初は雌牛とされていました。そしてコンセプトはそのまま女装でのダンスで、なんだかなー…)のせおっちのダンス…だったんですけど、ここ、せおっちの闘牛士に女装のこっちゃんで踊ればよかったのに、と個人的には思いました。だってこの組み合わせコンサートでも見たし…こっちゃんの方が小さいし丸顔で女装向きじゃん? だからこそトップになってまでやりたがらないんだろうけど、往年の昭和のトップスターはわりと女装しているしこっちゃんもその系譜にあるスターな気がするので、平然とやってほしいんだよなー…その方がせおっちも立ててもらえるしね。背を気にするならあかちゃん相手とかでもいいけど…でも、せおっちを正二番手として立てるためならなんでもやりましょうよ、と思うのですよ…
 闘牛士が死んで、祈りからの復活へのよくある流れ。美穂姉さんが歌い、ひっとんが踊り、退団者餞別場面があり、総踊りのあとはかりんさんと天飛くん以下8名でのシメ。
 初舞台生ロケットはサフランのイメージ。たっぷり尺がありましたねー、主席の娘役さんはホント小さいな。センターで可愛い、脚上げは最上手。チェッサもあり。
 せおあかぴーかりん天飛に囲まれたひっとんが大階段板付きでスタンバイし、男役たちと次々踊る…のはいいんだけど、このお衣装わりと最近星組で使ったのでは…さらにこっちゃんが娘役たちとざかざか出てきて、次に男役を従えて踊り、デュエダンになって、パレードのエトワールはみっきー。そしてマイティーに続いてやっぱりせおっちも大羽根を背負わず、博多座『ビバフェス』のゆりかハネウマライダーのものか?左半分のみの雉羽根みたいなののみ。そうしたらひっとんもそれよりは大きいけれど右翼半分みたいな羽根で、そりゃこっちゃん挟めばシンメになるけど、なんなんだそのショボさ…! そうまでして同期二番手を冷遇する意味がわからないんですけれど…???
 そしてラインナップはみっきーがまさかのひっとんの隣でした! 銀橋会釈し合いましたよ破格では!? はるこはみきちぐの外でしたけどね!? なんかこう…整合性とは、と劇団のこういうところにホント虚しくなるのです…
 はー、しかしハイカロリーだな…私はこっとんが好きでかりんさんが好きで、はるこくらっち水乃ちゃんルリハナうたちを見たいんで大忙しなんだな星組は、ということがよくわかりました。東京友会一次が当たらなくてしょんぼりなんですけど、なるべく行きたいなと思いました。
 二作とも激しくてみんなけっこう痩せちゃうようかもしれないけれど、どうか健康に気をつけて、がんばってくださいね…! さて、お手紙を書こう。





 
 
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冬霞の巴里から

2022年04月20日 | 日記
 宝塚歌劇花組公演『巡礼の年/FE!』の集合日に、この公演の東京千秋楽をもってつかさっち、でぃでぃ、おとくり、せりなくんが卒業することが発表されました。
 おとくりはまあ、なんとなく予感がないではなかったんですよ…そもそも彼女に路線が用意されているなら、そもそも華ちゃん就任もまどかスライドもなかったんじゃないの?と思うので。ゆきちゃんとかくらげとかひらめみたいな逆転人事はそうそうないものだよね、とも思っていたので。なら早々に辞めて外部でオーディション受けまくるのもテだよね、とか勝手に考えていたのです。
 でもつかさっちは…つかさっちは……
 イヤ衆目の一致するところではもっといればさらにいいおじさん役者になったのに、というところかもしれませんが、私はこの人は二の線が似合うのがいいところだと思っていて、でもそれもやはり長くいればいい感じに発揮できる場所がこれからも絶対に与えられるよと思っていたということで、つまりはやはり路線はそもそも用意されていなかったと思ってはいたということなんだけどさ、だからそれならやはり早々に…という判断ももちろんわからなくはないんだけどさ、イヤ真相はわからないしご本人の決断が一番で誰も何も口出しはできないんだけどさ、でもさ、でもさ…
 とかぐるぐる考え出したら、書かずばなるまい、と思ったのでした。まずは自分のためです。そしてやっぱり、この作品が好きなのです。
 次の本公演、れいまどが好きなのでそもそもそのつもりでしたが、ちゃんと初日から行きますね。
 しかしこのご時世がホント憎いよねえ…自分のときを考えるに、入り出でご本人のお話が聞けるってのはファンにはホントありがたいことだった思いますよ…


※※※


 事件は、自宅に押し入ったアナーキストが起こしたこととして処理した。大晦日の食事会にアンブルとオクターヴが出席していたことは使用人と当の出席者しか知らなかったし、ミッシェルとエルミーヌには口止めするまでもなかった。新聞にはあれこれ掻き立てられ、社交界でも噂は喧しかったようだが、パリにはよくあることだとされて、やがては次の話題に場所を譲ったようだった。
 警察が駆けつけたときにはアナーキストの息がまだあり、私と一緒に病院に担ぎ込まれて一命をとりとめた。裁判の結果次第だが、極刑は免がれるのではないだろうか。服役中の劇場爆破事件の犯人の男ともども、いずれ釈放されるよう手を尽くしたいとは思っていた。それがなんの罪滅ぼしになるわけでもないが、ただそうしたかったのだ。
 幸いにも弾は神経や腱などを傷つけてはおらず、手術はごく短時間で終わり、入院も短期間で済んだ。安静にして傷さえ塞がればすぐにも杖をついて歩けるようになるし、いずれは杖も手放してすっかり元どおりになれるだろう、というのが医師の見立てだった。病院は住み込める看護人を手配すると言ってくれたが、クロエが言下に断った。彼女は優秀かつとても甲斐甲斐しい看護人となって、私のベッドに食事を運び、給仕をし、トイレに立つときは体を支えてくれ、着替えさせ、毎夜体を拭いてくれた。
 夜は寝室に持ち込んだ長椅子で眠った。同じベッドに入ると、寝返りを打って揺らすなどして負担になるといけないから、と言う。昼間はこれまた持ち込んだ文机で、山と来る見舞いの手紙やら何やらに返事を書いたり、私の退屈を解消しようと新聞や流行りの小説を朗読してくれたりした。私は部下の報告書に目を通しながら、彼女の低い静かな声を聞くのが好きだった。
 だが、彼女がミッシェルの産褥の床にあったときに、私はこんなふうに彼女をしげく見舞っただろうか、と思うと冷や汗が出る。息子が生まれたことは本当に嬉しくて、彼女にはただ感謝しかなかった。出産に面やつれしても彼女は美しく、私の愛情はいや増すばかりだったが、仕事が忙しい時期だったこともあり、また何故か妙に照れてしまって、今彼女がしてくれるようには親身に付き添えていなかった気がする。思えば私はいつも空回りばかりしているのだ、恥ずかしい限りだった。
 日々は穏やかにすぎ、オーギュストの幻を見ることは減った。大晦日の事件があっても、それで何かが解消されたとは思っておらず、罪は罪として一生背負っていくべきものだと考えてはいた。それは消えてしまったアンブルとオクターヴも同じだろう。どこでどうしているのだろうか。幸せを願うのは不遜なことだろうか。せめて健やかでいてほしかった。
 私が未だ出歩けない状態でも、夜会や慈善パーティー、観劇や馬術の観覧会など、クロエへの招待状は引きも切らないようだった。彼女がいない社交界は火が消えたような寂しさなのだろう。このところすっかり私が彼女を独り占めしている形になっているが、何やら申し訳ない気がしてきた。思えば結婚以来、私も仕事三昧で、こんなにもふたりきりでずっと一緒に過ごすのは初めてだろう。私は彼女を退屈させてはいないだろうか。彼女には、もっと華やかな、きらびやかな場所が相応しいのではないだろうか。
「…夜会に、出かけてきてもいいんだよ」
 ベッドの端に腰掛けて刺繍をしていた彼女に言うと、彼女はこちらを向いて片眉を上げてみせた。私はなんだかよくわからない罪悪感に苛まれて、さらに言いつのった。
「ずっと私の看病ばかりしているのも、気が塞ぐだろう。君に会いたがっている人たちは多いだろうし、たまには羽を伸ばしてきてくれても、私はかまわないんだよ」
「行きたければ行きますし、行く必要がなければ行きません」
 クロエがぴしゃりと言うので、私は仰け反った。
「そもそも私がこれまでそうした夜会で何をしてきたのか、あなたはご存じなのですか」
「な…何を…というと…?」
 ここで浮気の告白などされたら、どうすればいいのかわからなかった。泣いてしまうかもしれない。私が怯えるのを見て、クロエはさらに機嫌を損ねたようだった。どうしよう、いったい何がどう彼女の逆鱗に触れたのだろうか。
「あなたは確かに真面目で、有能で、仕事ができるお方です。でもそれを快く思わない人もいるんです。あなたは実力でとんとん拍子に出世したと思っているんでしょうが、それは私の根回しがあったからです。あなたをやっかむ警察の同僚や上司に、音楽会や昼食会で会えば愛想を振りまき、せっせと付け届けをし、宅をよろしくお願いいたしますと頭を下げたからあなたの今の地位があるのです」
「…そうだったのか…」
「ミッシェルだってそうです。幼いころはやんちゃで喧嘩沙汰が絶えず、怪我させた子供の家に私がしょっちゅう頭を下げに行き、引き続き仲良くしてくれるよう頼みました。それであの子は仲間外れにもされず、すくすく育ったんです。学校のことにしたって、ちょっと試験の点が足りなかったのをなんとかしてくれるよう、私が学院長夫人におべんちゃらを言って手を回してもらったのです」
「…そ、そうだったのか…!」
「エルミーヌだって、ミッシェルは自分で見つけてきたような顔をしていますけど、私が先にとある演劇会で紹介されたのです。押しの強い…いえ、はきはきしたいいお嬢さんだなと思って、ミッシェルはあれでぼーっとしたところがある子ですから、ちょうどいいんじゃないかと思って、次の慈善舞踏会で一緒になるよう、私があの子を無理やり連れていったのです。あなたはお仕事で欠席でしたけれど」
「…そ、そ、そうだったのか…!!」
「別に感謝されたいと思っているわけではありません。夫や子供のために尽くすのはあたりまえのことですわ。ただちょっと技が要るので、それをアンブルには教えておきたかったんですけれど、あの子は潔癖で、そういうことをまったく受け付けませんでした。あまつさえ、人を幾多の男をたぶらかす妖婦扱いして…歌手になりたいならそれこそ私がどこの劇場にも口を利いたのに、頼ってもこず…誰に似たのか可愛げがなくて、手を焼きましたわ。オクターヴの新聞社だってそうです。そもそもあの子たちはひとりで育ち上がったような顔をしていましたけれど、高い寄宿学校の学費を出したのはあなただというのに、感謝の言葉ひとつなく、本当に恩知らずな子たちですわ」
 クロエはひと息に言った。オクターヴはともかく、アンブルとはそういう、意志が強いというか、意地っ張りなところがまさに瓜ふたつなのでは…と思ったが、とても口にできる剣幕ではなかった。
「…あげくあなたにまで移り気な女呼ばわりされて、看病するのも邪険にされて、いったい私はどうしたらいいんでしょうね?」
 そう言ってそっぽを向いた彼女の、顎が震えていた。泣かせてしまったのだろうか。私は自分で自分を殴りたかった。私は何故、彼女のこんなにも深い配慮と愛情に気づかないでいられたのだろうか。
「クロエ、すまない。私が悪かった。私は…私は、自分が君みたいな素晴らしい女性には相応しくない男だと思って…自信がなくて…それで…そんなにしてくれていただなんて、全然気づけず…なのに、愚かな嫉妬などして…本当に申し訳なかった」
 彼女の手をつかむ。冷たい、ほっそりした美しい手だ。私の手にすっぽりと包まれてしまう、華奢な手だった。こんなにもか弱い、優しい女性を恐れていただなんて、私はなんと愚かな男なのだろう。
「…まあ、あなたが全快したら、快気祝いのパーティーをしましょう。ミッシェルとエルミーヌの婚約披露を兼ねてもいいわね。あんなことがあっても、エルミーヌはミッシェルと会ってくれているようだから…その女主人役は喜んで務めますわ。そのあとは…あの子たちの結婚式かしら。私たちの銀婚式も兼ねてもいいわね。でもそこまでよ、あとはもうたくさん。そのころにはあなたもお仕事を引退してもいいころでしょう。パリから離れて、田舎で庭いじりでもして暮らしましょうよ。私はもう、社交とか噂話とか根回しとか裏工作とか愛想笑いとか、そういうことにすっかり膿んでしまったのよ」
 彼女はうつむいたまま言った。溜め息まじりの、本当に疲れ果てた声音に、申し訳なくなった。だが彼女がこんな愚かな私と、銀婚式を迎えるつもりでいてくれると思うと、胸が熱くなった。私は彼女の手を握る手に力を込めた。
「愛しているよ、クロエ」
「…知っているわ」
「…君が知っていることは知っている。私が知りたいのは…ずっと知りたかったのは…」
 私はこの期に及んで言いよどんだ。まったく意気地がない。
 クロエが顔を上げた。
「…私も、愛しているわ、ギョーム。…今際の際まで言うつもりはなかったのだけれど」
「な、なんで?」
「臨終の言葉なら、どんな毒婦の言葉でもさすがに信じてもらえるでしょう」
 彼女はまたそっぽを向いた。頬が赤かった。拗ねているらしい。怜悧な美貌を詠われる社交界の華に、こんな少女のような愛らしい一面があることなど、私以外の誰が知ろう。私は彼女の手を引き寄せ、力の限り抱きしめた。
「仕事に復帰する前に、どこか南の方に旅行しよう。イタリアもいいな。そしていつかはパリを離れよう。そこでふたりで、君の好きな薔薇を育てて暮らそう」
 彼女の髪に降り注ぐ日差しはきらきらと輝いて、あたたかだった。春はもう近いのだ。




〈了〉




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『こどもの一生』

2022年04月20日 | 観劇記/タイトルか行
 東京芸術劇場、2022年4月19日18時。

 強引で次々に無茶を命じる製薬会社社長の三友(今井朋彦)と、日々三友に振り回されている秘書の柿沼 (松島聡)は、南海の孤島にある心のケアが専門のMMMクリニックランドにやってくる。どんな症状も薬を使わず1週間の滞在で改善するというクリニックの売りは「マインド・メンデイング・メソッド療法」。三友は患者として療法を体験し、本物ならば自社で類似の施設を作って儲けようとしていた。ふたりを出迎えたのは院長の木崎(升毅)と看護師長の井手(朝夏まなと)。さらにフェリーで三友たちと共に治療を受ける三人の患者が到着し…
 作/中島らも、上演台本・演出/G2。1990年の初演以来、10年ぶり5度目の上演。全1幕。

 まぁ様初のストプレというのでお友達にチケットをお願いし、いそいそと出かけてきました。私は中島らも氏の著作はそんなに読んでいないのですが、もちろん名前は存じていますしどんな人だったかもある程度は知っているつもりですし、この作品もタイトルは聞いていたように思います。
 今回院長役の升毅が初演では柿沼役だったんですね。ROLLY演じる山田のおじさん、初演では山田一郎役は古田新太、なるほどです。このときの古田新太は女子児童Bも演じていますが、では兵卒は…?と見ると、歴代キャストに中尉や兵卒がいない…? もしかしてこの部分は今回足された、とかなのでしょうか。でもこの外枠がキモな気もするけどな…? そして初演のファーストクレジットは三友役になっていますね。ほほう…
 初演の執筆依頼時に「最先端の話題を取り込んだストーリーを」としていたそうで、でも「最先端」は何年か経つと当然最先端ではなくなるので、再演のたびにリライトされ、患者の自己紹介場面なんかは今ではすっかり変わっているそうで、それもさもありなんと思いますが、それは作品の骨格がしっかりしているからだろうと思います。でもその骨格にこの「外枠」の有無は、だいぶ違ってくる気も…?
 ただ、私は今回どうしてもまぁ様目当てで観てしまったのですが、本来は主人公たる柿沼目線でこの物語に入った方が、わかりやすいのかもしれない、とも感じました。観ていて、どうもこれは裏がありそうだと思うし、はたして本当に治療されているのは誰なのか、みたいなことも考えて観ることになるかと思うのですが、まぁ様の看護師長は病院側の人間で一応治療する側なので、そこに同調して観ちゃうとちょっと視点がワンクッションずれちゃいますもんね。
 でも、トータルで言うとある種の夢オチみたいな、というか「外枠」の比重が実は大きかった、というお話なのでは?とも私は思ったので…ただ、中尉と二役をしているのは三友役なんですよね。となると主人公ってやっぱり柿沼じゃなくて三友なのかなあ…うぅーむ。
 ともあれ、ホラーだとは聞いていましたが、それは血とかナイフとかチェーンソーが出るからというだけではなくて、ちょっと星新一めいた怖さのある作品でした。アンサンブルがまた怖いんだ! そしてタイトルがまた、「こども」はともかくとして「一生」というのがなんか本当に怖いです。
 主演の役者さんはジャニーズのアイドルだそうですが、この作品セレクトでいいのでしょうか(笑)。ファンらしきお若いお嬢さんたちがたくさん客席にいましたが、大丈夫だったかしら…と余計な心配もしてしまいました。
 まぁ様は、おもしろい役どころでよかったと思います。やっぱりちょっと、ある種の特異性を買われた配役だったのかなとも思います。グレーのジョーゼットみたいな生地の制服のお衣装(衣裳/十川ヒロコ)がとてもチャーミングでした。役者が自分で装置転換をするようなストプレをやってみたかった、と語るまぁ様、カワイイですよね。引き続き応援していきたいと思います!








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