駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『三銃士』

2011年07月24日 | 観劇記/タイトルさ行
 帝国劇場、2011年7月21日マチネ。

 フランス・ガスコーニュ生まれの若者ダルタニャン(井上芳雄)はかつて近衛銃士だった敬愛する父から剣を授けられ、近衛銃士になるべくパリを目指す。だがパリでは、国王ルイ13世(今拓哉)を凌ぐ勢いのリシュリュー枢機卿(山口祐一郎)と彼に従属する親衛隊が幅を利かせていて、ことあるこどに銃士隊と衝突していた…

 原作/アレクサンドル・デュマ、音楽・歌詞/ロブ・ボーランド&フェルディ・ボーランド、脚本/アンドレ・ブリードランド。
 翻訳/迫光、翻訳・訳詞/竜真知子、演出/山田和也。
 2003年オランダ初演。全2幕。

 いやー久々に男優さんのいる舞台を観ました(^^;)。
 男性というのはなんというかそれだけで暑苦しいというか元気で力量感があっていいというか。
 楽しかったです。
 井上くんは楽しそうに田舎者の純粋なまっすぐな青年を演じていて、シブいアトス(橋本さとし)、スカしたアラミス(石井一孝)、面倒見よさそうなポルトス(岸祐二)のニンもピッタリ。
 リシュリューの狂信者っぷりもよかったし、その懐刀ロシュフォール(吉野圭吾)の微妙な小物感もよかったです(^^)。
 バッキンガム公爵は伊藤明賢、その従者ジェイムズに坂元健児。

 対するヒロイン陣はアンヌ王妃がシルビア・グラブ。どうしてもファンテーヌを思い起こさせるのですが、しっとりとした女王っぷり。
 その侍女コンスタンスに和音美桜。これがまあ自由自在のミュージカル女優っぷりでキュートでコケティッシュで鮮やかだったこと!
 そしてお目当てのミレディが瀬奈じゅんだったわけですが…
 なんかマイクがあっていないのか声量が感じられなくて残念でした。
 黒いドレスの奥にミニスカートとスターブーツで腿が見えて素敵!とか、コルセットに持ち上げられた胸元がいいわー、とかはあったんだけど、期待していただけにもうちょっと場をさらう大物悪女っぷりが足りなく感じられてしまったかな…?
 ただ、アトスとの恋にまつわる部分とかの演技はとてもせつなくてよかったです。
 しかも悲しい結末なだけに…うっかり涙。
 これって原作もそうなの? ミレディ、かわいそうすぎない?
 まだ少女のころに聖職者にもてあそばされて烙印押されて追放されて…なんて。ぐっすん。

 ナンバーがとても多くてなかなか話が進まない感じがしたのは、話を追いたいせっかちな私の感想で、エンターテインメントとしては盛りだくさんの過剰な贅沢さでいいのではないかなと思いました。

 『仮面の男』のいい予習になったかな…てか『ブルボンの封印』が観たい。というか舞台はアレだったんで原作を読み返すかなあ…

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『美しき人生』脚本つっこみ

2011年07月08日 | 日記
 東宝初日では変わっているかもしれませんが、「ル・サンク」を元に、いくつかつっこませていただきとうござりまする。
 時代劇口調にしたところでウザさに変わりはございませぬが、それもみな愛ゆえと思し召していただければと思いまする。

●序A

 冒頭の歌のタイトルは「なにわ春景色」というのですね。
「千成り(「千生り」では?)瓢箪 揺れている
女心も 揺れている」
 というのか正式な歌詞ですが、私はずっと「千成り瓢箪熟れている」で韻を踏んでいるのかと思っていました。まあ音が合わないんでこれで納得でしたが。

 そのあとのたつののセリフ、
「わこ様ご誕生!」
 となっているのですが、「和子」って表記すればいいのに…と思ったりもしました。

●第1場A

三成「姫様のお命も、あの者らによって支えられているのでございます」
 趣旨はとってもいいセリフだと思います。エピソードとしてとてもいい。
 わがまま勝手なお嬢様の目を開かせる、いいセリフです。だからこそ惜しい。とつっこまざるをえない細かい自分が憎いです。
 ここで言っているのは、領民たちが丹精こめて作った野菜などを食べて茶々たちも生きているのだ、ということですよね。
 そういう、なんと言うのかな、生きる糧、みたいなことと、このあと問題になる生きるか死ぬかのまさに生命そのもの、とでは、ちょっと問題が違うレベルのものになってしまっているので、それを同じ「命」という言葉で扱ってしまうのはちょっと乱暴な気がする、ということ。
 また、領民たちが作った食料を召し上げて食して生きながらえていることを「支えられている」というのとはちょっと違うかな、という気がすること。
 以上2点で、引っかかる気がするセリフなのでした。
 ホント、コマくてすみません。

 そのあとの茶々。
「…石田三成か(恋して)、覚えて…おこう」
 の「恋して」がツボ(^^;)。
 対する三成は
「(見送って)…不思議な姫だ…」
 となるのですが、ここ、ふたりの離れる距離が不十分というか、照明が変わるのが遅いので、同一空間にいる相手に聞こえていそうなセリフに思えるんですよ。
 ライティングの演出でなんとでもなると思うので、変更されないかなあ。

●第2場B

秀吉「姫様だけを生け捕りにせよ」
 直前に言っているように、「姫様方」とした方がいい。この時点で茶々のみにすでに焦点が合ったわけではないはずなのだから。
 また、生け捕り、というのは主筋の娘に対してはやや不遜な言い方ではないかなあ…「お助けするのだ」とか?

●第3場B

 これはト書きに対するつっこみですが…「気絶している茶々に『口移し』で水を飲ませる」とあるのですが、なんで「口移し」がカッコ囲みなの!
 どんだけこだわってるの大石先生!!

茶々「生きていてよかったと思える日があるのだろうか、この先」
 「だが」とかを足したい。
 というのは、直前で茶々は「迎えに来たのがそなたでなければ、母上とともに果てていたであろう(この「果てる」という言葉も抽象的すぎて本当は一考したいところ)」と言っているのですが、それはつまり、だけど迎えに来てくれたのが三成だったので、母上とともに自刃して死ぬのはやめた、ということです。
 三成が来てくれたおかげで、生きることを自分で選んだ、と言ってるのです。
 だけど、この先のことはわからない、この選択が正しかったと思えるのだろうか、という意味で続くせりふなのだから、逆接の接続詞が欲しいのです。

三成「民が豊かに暮らせることを念じまする」
 初見時、素で「念じるだけかい!」と心の中でつっこみましたワタシ。
 民が豊かに暮らせる世を作りまする、くらい言わせていただきたいです。

茶々「答えねば、生きていた意味もない」
 最初に主君のこと、次の世のため人のため、というのはいいけれど、その次、みっつめくらいは、自分のことを言ってくれるよね?という性急な恋心がいじらしく微笑ましいくだりですが、いかにも乱暴(^^;)。
 正確には、答えてもらえなければ、生きていた意味もない、ということですからね。一考していただきたい。

●第4場

三成「城の落城とともに、敵味方の思いは焼け落ちました」
 残雪が残っている、とか、馬から落馬する、とか、二重で間抜けです。
 北ノ庄の落城とともに、とかにしては?

●第5場A

茶々「昨日のことのようじゃな…母上の命日が…」
 この場面が前場面からどれくらい時間がたったものなのかよくわからないため、妙に引っかかるのです。
 つまり、直後なのだとしたら、「母上が亡くなったのは」という方が自然に思える。亡くなって一年未満で、亡くなった日のことを「命日」とはおそらく呼ばないからです。
 数年たっていて、何周忌かが過ぎた直後のことで、命日が昨日のことのようだ、というのもおかしい。
 今年の命日から今日までの時間が短く感じられる、ということではないでしょう? やはり、母上が亡くなったのが昨日のことのようだ、ということでしょう?
 こういう脚本は不注意というか、繊細さに欠けると思えます。

●第5場B

 またまたト書きつっこみ。
三成「されど(赤面)お主の言うようなこと、考えたことはござらぬ」
 テレたりどもったりする演技はできるだろうけれど、顔を赤らめるのは演技ではなかなかできないと思うよ大石先生!
 イヤでも赤くさせたいんだよね三成をね。わかる、わかるよ!

●第6場A
長泰の妻「まあ、あの毛利様に!」
正則の妻「さすが石田様ではございませぬか」
 何が「あの」で「さすが」なのかわかりづらい。

且元「なにゆえ茶釜なのだ?」
 このジョークというかボケの意味がわからない、というのはツイッターでも散々話題になり、当のカチャわからないまま言っているとお茶会で言ったということですが…
 考えるに、教養の問題というか…
 そもそも前振りの「茶菓まで産湯を沸かそう」というのが、現代のわれわれにはもはやジョークに思えるわけですよ。
 けれど当時は縁起ものとして、むしろ茶釜で産湯を沸かすというのはわりと普通に行われていたそうなのですね。
 その風習に対して、
「なんで茶釜で産湯を沸かすといい、ということになっているんだろうな?」
 というボケのセリフなのだと思いますが、それはそういう風習があったことを知らない人間にとってはまったく何を言っているんだかワケわかんないってことなワケですよ。
 武則の「茶室の茶釜で~」を「あの茶室の茶釜で~」とすれば、「おもろいこと言った!感が薄まって、通じるように…は、ならないだろう、なあ…
 つまりこのセリフの流れは考えオチしちゃってるってことですね。

●第6場B(どうでもいいが算用数字と漢数字が入り乱れてるぞ校閲甘いぞ)

疾風「おねはお前のことなぞ
虫けらとも思っておらぬ」
 なのに直後に「俺たちの一生は虫けらだ」っておかしいでしょ。虫けらなのか違うのかはっきりしろと言いたい(そういうことじゃない)。
 そのあとの「好きだ」、唐突過ぎるんですけど必要あるんですかね。だいたい妙に現代的なセリフじゃないですかね。
 そのあとのさぎりの「わたしはオンナ」ってカタカナ書きとか、すみません私は失笑しました。
 以前書きましたがさぎりの扱いは私には解せないので、冷たいです。

●第7場A

秀吉「引導を渡せるのは、その方だけだ」
 茶々にとっては不本意な要求を突きつけられることになるので、それを受け入れざるを得ないのはまさに「引導を渡される=決断を迫られる、あきらめさせられる」ですが、要求する側がこういう表現をするのはおかしいかと。
 いくら相手が嫌がっているのは承知の上で、だとしてもさ。言わないでしょ。

●第7場B

 またまたト書きつっこみ。
「疾風がさぎりを抱いた後。濡れた雰囲気のふたり。」
 ………
 ごめんホントごめん、私にはふたりがただ酒盛りしていたようにしか見えなかったんですよ…
 イヤどうでもいいけどね…

●第8場A

茶々「今死ねと申すのか。サルの側女になるなぞ、わらわにとって死も同然」
 このあとにも「自害はいたさぬ」とか言っているのですが、要するにここで言っているのは「死ぬのと同じくらいつらいことだ」ということなのですが、秀吉は実際に三成に
「言うことを聞かなければ、斬れ」
 と言っているので、比喩ではなく死ぬか従うかしかないということなんですよ。自害する自由すら与えられないこともありえるワケ。
 だからちょっと能天気に聴こえる。言い回しを替えたいところです。

●第9場

 最も耐え難いセリフの応酬シーン…

疾風「俺を信用しろ」
 せめて「信じろ」「信じてくれ」と言わせてくれ。信用、なんて話し言葉で言うかい。そして人に命令されてハイ信用しますとできるものかい。

疾風「男の真実は儀だけではない」
 真実? そんな話してるか?? まったくもって意味不明。続く「ささやかな愛の真実を手放すな!」とかまでいくともう、笑わずにはいられない。

 そのあとの
疾風「忍びに心はない」
三成「お主の心、信じよう」
 も、やりたいことはわかるよ、当の本人がないと言っているけど実はあるに決まっているものを信じる、ってことは、ね。
 でも舞台で怒涛のように聞かされると、ないってもんを信じるってアホちゃうか、理屈通ってねーだろ!って気になっちゃうの!!

●第12場

清正・嘉明・安治「えーっ!」
 おそらくは石田演出なのかと思われますが、何故ここをこんなにギャグでやらなくてはならないのかがまったくわかりません。
 そのあとの高台院の
「淀の産んだ子じゃ、かわいくもない」
 というのも、よその女が生んだ正則たちを養子に迎えてわが子のように可愛がったおねが言うのはおかしいでしょ。
 こんなことをおかかさまに言われたらみんなショックでしょ。変です。

●第13場A

三成「秀頼君にご出陣願いたく存じまする」

 それまで拾と呼ばれていた子供の新たな名だとわかる表現を足したい。
 そのあとの茶々の
「何ということを…!」
 も具体性に欠ける。こんな幼い子を戦場に連れ出すなんて、死なせてしまうかもしれないのに、というようなことをはっきり言わせないと、三成のある種の理屈が通った欲求に対してどうして茶々か反対するのかわかりづらいです。

●第16場B

 ボロ・ドンゴロスってなんですか…???

三成「しばしのお別れにございます。お嘆きなさいますな」
茶々「三成…三成…三成!」

 仕方ないの。でもね、この間までやっていた、散々観た、『誰がために鐘は鳴る』の、
「別れるんじゃないから、さようならは言わないよ」
「ロベルト…ロベルト…ロベルト!」
 をあまりにも思い起こさせます。
 座付き演出家なら違う形の別れの演出を考えてほしかった。痛恨。

 以上です。
 さあ明日の東宝初日が楽しみだ!
 てかもうあと13時間半後だね!!
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宝塚歌劇星組『ノバ・ボサ・ノバ/めぐり会いは再び』

2011年07月02日 | 観劇記/タイトルな行
 東京宝塚劇場、2011年6月7日ソワレ、16日マチネ、28日ソワレ。

 リオ・デ・ジャネイロ、年に一度のカルナバルの日がやってきた。今日から三日三晩、リオの街はサンバのリズム一色に彩られる。朝の広場で、ふたつの銀行で同時に強盗騒ぎが起こる。義賊のソール(柚希礼音)はポリスに賄賂を渡して、まんまと逃亡に成功する…
 1971年初演、72,76,99年と再演されてきた傑作ラテン・ショー。作/鴨川清作、演出/藤井大介。

 99年月組版をもちろん観ているのですが、なぜかあまり鮮烈な印象がないのでした…
 でも今回は力の入りようが違っていますよね。99年雪組版で初舞台を踏んだチエちゃんが、トップスターになって待望の、満を持しての再演、でしたからね。演出は思い入れたっぷりの藤井先生。
 本当にすばらしい舞台でした。楽しかった、熱かった!
 特にこまごま語ることはない、ただただ観て浸っていられた舞台でした。

 一応、役替わりについてだけ。
 大劇場とも違う組み合わせで、オーロ、マール、メール夫人の三役が、夢乃聖夏、紅ゆずる、真風涼帆のトリプルキャストで演じられています。
 私はキャラクターとしてはマールが大好き、そして生徒としてはともみんが一番苦手です。まっかぜーには大型スターオーラを感じるし、ベニーの愛すべき個性もすばらしい。
 でも東宝3パターンを一度ずつ観て、意外にも一番感じ入ったのは、ともみんマールでした。一番遠い席だったのに、一番感情や演技が伝わってきた。つまりそれだけの技術がしっかりと備わっているのだな、さすが一日の長がある、と感心しました。
 まっかぜーはマールだとガラの大きさが悪目立ちして見える気がしました。同じだけの大きさを持てるオーロが相手に来ていれば、また別だったんだろうけれど…ブリーザに甘く優しいマールで、素敵だったんですけれどね。
 ベニーは…歌はがんばっていたけれどダンスがなあ…お芝居フィナーレのダンスもそうだったけど、オーバーさでごまかすのには限界があるよ。もっとちゃんとシンプルに着実に、きちんと踊るレッスンを地道に続けてほしいなあ…
 ともみんはメール夫人もよかったんですよね、ラストにソールからエストレーラ(夢咲ねね)の首飾りを受け取ったあと、貴婦人風のお辞儀をしたのがとても上品で素敵だったの。慇懃無礼な挨拶じゃなくて、ソールの誠意に対して誠実に答えたお辞儀、に見えて、でもその品の良さが、育ちの違い、環境の違いを思い知らせて、確かにエストレーラはソールの下を去るしかなかったんだ、と思わせられる…
 でもメール夫人はみんな綺麗だったなあ。
 クラブなんかでのスパークぶりがハンパないので、ビギナーの同伴知人なんかは
「母親だったの!? シャペロンか家庭教師か次女のお姉さんなんかだと思っていた!」
 と言っていました(^^;)。
 ツイッターのTLで見ましたが、メール夫人の旦那様に関しては三者三様の設定があるんだそうですね。なんだったっけなあ。

 そうだ出色の雌豹ブリーザ(白華れみ)についても言及しておこう。
 ブリーザは絶対に娘役にやってもらいたかったし、れみれみのダンスは本当にすばらしかったです。
 でもアマールアマールのシーンではエストレーラも意外にセクシーですよね。十分踊っているし、白いドレスのスリットから伸びるねねちゃんの脚が三度大きく跳ね上がるのは本当に色っぽい。
 セックスの暗喩としてのダンスが絶対に下品にならないのはすばらしいことだと思います。

 
 そして今回の公演が大入り満員立ち見も大盛況の公演になったのは、あともののお芝居もすばらしかったから。
 マリヴォー『愛と偶然の戯れ』を下敷きに、小柳奈穂子脚本・演出で展開された入れ替わりもののロマンチック・ミュージカル。
 お衣装が可愛いし、アテ書きされたキャラクターたちが可愛いし、ストーリーがどう展開されるのか、いやハッピーエンドになるだろうことはわかっているんだけれどどうそこへもっていくのかワクワクドキドキさせられ、きゅんきゅんしてよかったねと笑い合って観終われる、とてもとても素敵な舞台でした。
 ラストシーンのキス場面だけがやや凡庸だったのが玉に瑕かしらん。最初の壁際のキスとか本当にすばらしかっただけにね…!
 トヨコのツンデレっぷり、ミヤルリの末っ子っぷり、まっかぜーのヘタレっぷり、たまりませんでした。
 ハルコもキトリもわかばちゃんも可愛かった。柚長はショーに引き続き色っぽいマダムだった。
 ベニーは生き生きとアドリブに走っていて、それがこういうお芝居でははまっていたので本当によかったしおもしろかったです。本人も楽しかっただろうなあ。
 
 短いんだけれどフィナーレがまたすばらしかった。カッコよかった、素敵だった!
 階段の使われ方、全カップルになるところ、ねねちゃんが中央で階段に描かれた星の絵以上に星のように輝く一瞬!
 特別な贔屓がいないと、もうただただ素直にミーハーに「かっけー!!」ってシビれられるんですね私(^^;)
 贔屓組ならいろいろ細かいしょうもないことが気になる、でもそうでなければ無心にただファンとして観られる、楽しめる…

 お芝居のほうは今後、全ツとかで再演すると喜ばれるんじゃないかなあ。


 明日が東宝千秋楽ですね。
 博多、中日と続き、新たな役替わりも出て楽しみです。
 あいかわらず休演者は出ているので、みんな体にだけは気をつけてがんばってきてほしいものです。

 …で、組替えとかいろいろあるなら、それはそれでまた、ね…

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エリン・マッカーシー『眠らない街で恋をして』(原書房ライムブックス)

2011年07月02日 | 乱読記/書名な行
 女性検事のアレクシスは、悪評高いカジノ王にたぶらかされた妹を救出するため、単身ラスヴェガスへ乗り込んだ。現れたのは想像以上にハンサムな男、彼こそ巨大カジノホテルを経営するイーサンだった。彼は妹を帰す代わりに、彼が立候補している大統領選に協力してくれと交換条件を出してくる。それが「ヴァンパイア」の大統領選だと知らされて…!?
 バーンズ&ノーブルのトレイド・ロマンス・リスト第一位に輝いたラスヴェガス・ヴァンパイア・シリーズ第一作。

 障害の設定こそが現代ロマンス小説の作り方のツボ、と以前書いた記憶がありますが、パラノーマル設定では定番のヴァンパイア・モチーフをこのシリーズではうまく使っています。
 ま、それ以上でも以下でもない気がしますが(^^;)、ニヤニヤ楽しく読みました。
 続くシリーズも読んでみたいと思います。主役キャラクターが変わっていく連作タイプのようです。全4巻。
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