東急シアターオーブ、2023年6月20日11時半、23日11時半。
第一次世界大戦の戦闘、飢餓、そしてスペイン風邪の流行によって人類史上類を見ない犠牲者を生んだ未曾有の脅威が、去ってから4年の1922年7月。ある金曜日の深夜、ヴェニス北部の山道を猛スピードで飛ばす一台の車があった。座席に立ち、クレイジーな真夏のドライブを楽しむ令嬢は、イタリア貴族のランベルティ公爵(風間柚乃)の一人娘グラツィア(海乃美月)である。運転しているのはその婚約者コラード(蓮つかさ)で、グラツィアの両親と、公爵夫妻の亡き息子ロベルト(ヤングロベルト/七城雅)の妻アリス(白河りり)、グラツィアの親友デイジー(きよら羽龍)、公爵家の使用人兼運転手ロレンツォ(一星慧)も同乗している。彼らはグラツィアとコラードの婚約をヴェニスで祝った帰りだったが、突如現れた「闇」に車が覆われ、コラードがハンドルを取られた瞬間に、グラツィアは車から投げ出されてしまい…
脚本/トーマス・ミーハン、ピーター・ストーン、作曲・作詞/モーリー・イェストン、潤色・演出/生田大和、音楽監督・編曲/太田健。アルバート・カゼーラの戯曲を元に製作され、2011年にオフ・ブロードウェイで初演されたミュージカルの日本初演。映画『明日なき抱擁』『ジョー・ブラックによろしく』などにも翻案された、死と愛の超克を描く名作。
映画は未見。舞台もドラマディスクアワードにノミネートされただけのようなので、楽曲の出来は評価されてもあまりヒットしなかったのでしょうか? でも、もちろん生田先生の潤色の手腕もあるのかもしれませんが、とてもお洒落でリリカルでポエジーあふれる、ザッツ・海外ミュージカルな宝塚歌劇に仕上がっていて、私は満足しました。ハコとの相性もよかった! 関係者の感染で初日が遅れて手持ちチケットが二枚とも飛びましたが、お友達のおかげで二度追加できて、マイ初日は1階後方どセンターから、二度目は3階てっぺん端っこから観られてどちらも堪能できて、とても良かったし助かりました。一度観ただけでももちろんだいたいのことはわかるんだけど(あたりまえですがすべての作品は一度の観劇で十分楽しめるように作られるべきだと考えいていますし)、一度だけでよかったかな、とはならなかったし、ちゃんと二回観て楽しめたのです。そういうのも大事なことだな、と思いました。
何かいい邦題をつけてもよかったんじゃなかろうか、とは思うし、こういう楽曲先行っぽい作品にはいつも台詞が足りない!とか芝居を足せ!とイキるのが私の定番ですが、今回はあまりそういうことは感じませんでした。とっぱしの車の装置が素晴らしく(装置/國包洋子)バックの映像(映像/石田肇)も素晴らしく、その後もむりくり作った盆含めた丸い板の上で多彩に動くセットが素晴らしくて(これは人力だそうですがバトンはさすがに電動ですよね…? これも素晴らしかった。そして『ディミトリ』にあったように黒衣のスタッフさんがちょいちょい見えるなんてことがまるでなかった、素晴らしい)、流れるように美しくあえかに展開される物語絵本を見るような、そしてその物語も「死神が休暇を取る」というまさしく大人のお伽話のようなものだったのでなおさら、その世界にやわやわと誘われ楽しく眺めていられた…のかもしれません。難しい楽曲を軽々と歌いこなす月組子たちの力量や、歌詞の翻訳の明瞭さも、引っかからせずよかったと思います。
確かにいうなれば『
エリザベート』であり『
ファントム』であり『美女と野獣』であり『シザーハンズ』かもしれませんが、こうしたテーマ、モチーフで人口に膾炙された物語というものにはすでに一定のパターンがある、というだけのことかと思います。そしてこれは要するに、若く健康で裕福な女性でも交通事故で死ぬときは死ぬ、というだけの、ただそれだけの物語である、と私は解釈しました。だから今生きていられる人は日々を大事に生きていこう、という、そういう意味での生命賛歌、人生賛歌の物語かな、と感じました。
この死神は、シシィに「私を帰して!」と強く要求されて一目惚れしちゃったトートみたいなんでは全然ない、と私は思います。グラツィアは、最後の一滴にすぎなかったのです。戦争、飢餓、病気で人はバンバン死に、そのたびに神様か何かに命じられて彼はその人間のもとに赴き、「せめてあと一日、あと一晩、あと一分だけ…」と言われつつもその生命だか魂だかを奪い連れ去る、のを仕事としてきたワケですが、最近の過重労働にそれこそ死にそうに息も絶え絶えで、我慢や苦渋がコップに満々と満ちていて、そこに最後の一滴が落とされたのでもうあふれてしまって全部イヤになってしまって、「休暇を取らせていただきます!」とばかりに48時間のストライキに入ったわけです。で、人間がそうまでこだわり死の間際に抗う要因となる、命とは、人生とは、愛とは何かをちょっと知りたくなった…ということで、モンテカルロで死にかけているロシアの王子ニコライ・サーキの姿を借りて、ランベルティ邸ヴィラ・フェリーチタの週末のお客になったのでした。
彼が主人公として愛や人生を知って変化していく…ような物語でもある一方で、彼は単なる狂言回しにすぎず、むしろ他のキャラクターたちの愛や人生がオムニバス的に語られることが主眼となっているような構成でもあります。明らかに死神/サーキ視点ではない場面が、特に2幕には多く、そのせいでメインのストーリー展開は遅くなっているので、それを中途半端に感じた人もいるかな、とは感じました。
でも私は、それを言ったらこんな尺要る?みたいなパリ場面のタップもエリック(夢奈瑠音)が語る飛行訓練場面も、とてもミュージカルっぽくて素敵だなと思いましたし(日本のオリジナル・ミュージカルにはもしかしたらこういうナンバー重視のある種余剰だが豊穣なダンスシーンが足りないのではあるまいか)、何より私は幸か不幸かくらげちゃんがあまり好きではないためヒロインのグラツィアにこだわって観ることがなかったせいで、ふたりのラブストーリーとして中途半端だとかヒロインのこの選択はどうなんだ、とかをあまりうだうだ考えずに済んだのでした。
グラツィアはどうやら、ロマンティストでちょっと浮き世離れしたところがあるお嬢さん、と設定されているようで、くらげちゃんもずいぶんと若く軽い発声で台詞をしゃべっていましたが、別にシシィみたいにそもそも死に惹かれるメランコリー気質の人で…みたいなことではないだろうし、特に特徴のない、若く健康で裕福なごく普通の21歳の女性、でいいのではないかと私は思いました。地元の伝説に残るような悲劇のカップルの話が好きだったり、隣の敷地に住む好青年とうっかり婚約するくらい、普通の若い娘なら普通にやるでしょう。そういう人間でも交通事故に遭うときは遭うし死ぬときは死ぬ、それが人生だ、というだけのお話なんだと思うのですよ、これは。彼女が死神と運命的な恋をして生よりも死を選び、それで死神が救われて天使になった…みたいな話では別にないだろう、というのが私の解釈なわけです。
死神の方は彼女に恋したかもしれません。少なくともアリスにされてときめかなかったキスを、自分からグラツィアに対してはするようになったわけで、ある程度選択はしているんだろうけれど、それはグラツィアがものすごく特別な人間だったということではなくて、単にそこにいたからだと私は思う(意地悪な見方で申し訳ない…)。要するに恋なんてそんなものだということだとも思うし、つまりそれくらいグラツィアというキャラクターは平凡な設定でいいと思うのですよ、物語的には。平凡だけど、人間である、ということが死神にとっては非凡そのものなのであり、これはそうした「一人間」の彼女とのやりとりを通して彼が愛や人生や生きる喜びを学ぶ、というお話だからです。
で、結局、公爵と約束しようがグラツィアが何を望もうが、世界からひとりも死人が出ないのは死神が休暇を取っていたからなだけのことであって、休暇が終われば元どおりで、グラツィアは運命のとおりに車から投げ出されて死ぬのです。それだけのことなのです。
一度は望みを持ってしまったので、公爵夫妻たちはより傷ついたかもしれませんが、それはそれこそ彼らが死神との約束を破った罰、なのではないでしょうか。でもそれこそ、人は愛する家族や友人には秘密を持てない、たとえ死神と守ると約束した秘密であっても…というのが、とても人間臭いことでもあると思います。
息子を戦争で失った夫妻が、娘を事故で失うのはかわいそうなことです。しかし残念ながらものすごく稀ということではないでしょう。彼らがものすごくいい人たちであったとしても、世界に対して何か素晴らしいことをしていたとしても、神は人の命を奪い残された家族を傷つけるものなのです。それが世界の真実です。それでも「愛は死より強い」というのは、残された家族や友人たちは、死によって奪われた亡き人をそれでも愛し続ける、ということかと思います。むしろ相手が生きていたらその愛は変質することがある…というのは不都合な真実なので、ここでは目をつぶりましょう。
死神はグラツィアに恋をして、まずは彼女を共に連れていこうとし、次に彼女のためにおいていこうとしましたが、彼女の方が強硬に死ぬと言い募つのりました。でもそれで彼の姿が白く変わったのは、神がもうこいつには死神仕事はさせられないなと判断して、天使かはたまた別の何かかは知らないけれど、とにかく別の仕事をさせるべく生まれ変わらせたのかな、とか思いました。まあそれで天国かどこかでふたりで何かの仕事をさせられつつ永遠にラブラブハッピー、ならいいんだけれど、そんなことは我々下々の人間にはわからないことなので、ハッピーエンドでよかったね、というよりは、やはり残された家族たちのことなどを思ってざらりとさせられる余韻が残るし、それでいい、それがいい作品なんだと私は感じました。
もっといえばこれは、車から投げ出されたグラツィアが死の間際に妄想、空想した勝手な物語かもしれませんよね。こんな素敵な白き王子さまが仕事を投げ出して自分と永遠に生きるべくやってきてくれる…くらいの妄想でもしなければ、死なんて受け入れられませんもんね。それくらい、死は無です。未来、可能性、変化や喜びのすべてを奪うものです。死んだらそこですべて終わりで、あとは無で、永遠の愛も何もありません。魂があろうとなんだろうと肉体が灰燼と化したらもう何もできないのです。生きている者としてはもう何がなんでも避けるべきものです。みんなおてんとさまに感謝して、犯罪や事故に巻き込まれないよう、病気に罹らないよう注意して、日々を大事に大切に、明るく楽しく暮らしていかなければなりません。それができれば、どんなに老齢になっても死にたい、死んだ方が楽なんて思わないで済むわけで、とにかく大往生のそのときまで人生に感謝し味わい尽くす、それが人間の生きる道というものでしょう。そういうことを訴えている作品なんだ、と私は捉えました。
認知症というか、夫の戦死を受け止めきれず主治医のダリオ(英真なおき)を夫マリオだと思い込んでいる、というぶっちゃけ棺桶に片脚を突っ込んでいる状態のエヴァンジェリーナ(彩みちる。てかプログラムによるとコラードの祖母なのか、でもステファニーの母みたいな説明してなかった? でもそれもありえるのか、となるとコラードとグラツィアは従兄妹同士なのか?)の存在があるので、グラツィアの代わりに彼女が死神と逝く…というような展開になるのかな?とも思ったのですが(それで彼女が若返ったら『ハウル』だな…)、そういうことはなくてやっぱり死ぬのは最初から最後までグラツィア、というのもいいなと思いました。
エヴァンジェリーナが歌う「Dicember Time」というのは人生を1年にたとえたら老境の自分は今12月にいる、というようなことだと思うのだけれど、人は誰も自分の死期を知らないので、自分が本当は何月にいるのかはわかっていないのです。これは味わい深いなと思いました。私も人生百年だしまだ折り返したばかりで宝塚歌劇150周年を観る気だし、まあ7月くらいのもうすぐ夏休みってあたりかなーヤダ一番ルンルンじゃーん、とか考えたのですが、ホントのところはわからないんだから日々大事に生きねば、と改めて考えたりしましたよ…
そんな、笑いとペーソスのある、ドライな仕上がりが、いかにも海外ミュージカルという感じで、私はたいそう気に入った作品となったのでした。
れいこちゃん、当たり役だったのではないでしょうか。美貌なのにすっとこどっこい(笑)、本領発揮でしょう。でも、触れた花が枯れないなんて! 浴びる日差しが温かいなんて! 目玉焼きが美味しいなんて! とピンクの縞しまパジャマでキャッキャするいじらしさに、じんわり泣けましたよ…あたたかなお芝居と素晴らしい歌声、堪能しました。
くらげちゃんは上手いです、髪型もお衣装(衣装/加藤真美)もホントお似合い。しかしこれ以上のプリマドンナっぷりはたとえシシィでもアントワネットでもスカーレットでももうないので、そろそろ満足してご卒業していただけると、れいこちゃんの新しい姿が見られるのにな…と私はついつい考えてしまうのでした。くらげちゃんファン、れこうみファンにはホント申し訳ございません。個人の嗜好です。
おださんはヒロインの父、副組長の夫って学年じゃないのにもうジェンヌ人生何周目?って上手さでホント脱帽…チャーミングなおじさまっぷりでさすがでした。
そのさちかステファニー(白雪さち花)にも大きなソロが1曲あるのがいいですよね、こういうのも通常のオリジナル公演だとあまりないので…尺のためにカットされたりしなくてよかった、泣かされました。もちろんナンバー以外の佇まいもとてもいい、上手い。
るねっこもれんこんもさすがで、そして素晴らしき白河りり劇場をかますりりとデュエットでも三重唱でもなんでもござれのおはねちゃんがまた素晴らしかった! 男役たちがダンサーに徹して娘役三人で歌う「とうとうわかったの!」も宝塚オリジナルではまず作られない楽曲かと思うので、いじらしさに泣いちゃいました。
ヤスがいつなんどきでも上手いのも知ってるし、桃歌雪ちゃんのソフィアの塩梅がまた良くて、上級生娘役が卒業していなくなるとこのあたりにまたスポットが当たっていっていいぞいいぞ、となりました。るおりあとこありちゃんにも歌があり、特にこありちゃんはダンサー枠かと思っていたら歌も絶品で仰天しました。あとはみちるだよ、雪組時代からは考えられませんよこんなにまろやかな歌声で泣かせてくるなんて…! そしてじゅんこさんのあたたかな芝居が全体の良き重しとなっていたと思いました。
短い公演となってしまいましたが配信もあるし、円盤もちゃんと出るようですね。良き財産になったかと思います。