駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ミン・ジヒョン『私の最高の彼氏とその彼女』(イースト・プレス)

2024年02月04日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 30代なかばの女性ミレは、職場で魅力的な男性シウォンに出会う。彼は清潔感があってイケメンで、恋人になれる可能性を感じられないような「完璧な男性」だった。だが急接近、しかし驚きの事前通告が…「僕にはオープン・リレーションシップの関係にある彼女がいます。それでもよければ…」互いを独占せず、他の人と関係を持つことも許容する「非独占恋愛」とは…『僕の狂ったフェミ彼女』の著者が描き出す、前人未踏の「共有」恋愛小説。

 ものすごくおもしろく読みました。帯には「ラブ・コメディ」とあり、ヒロインの一人称小説で確かにコミカルな筆致なんだけれど、まず彼女自身がとても真面目で誠実なんですよね、恋愛にも人生にも、他者にも自分にも。それは彼女がそういう自分を客観視しておもしろく語れる、成熟したちゃんとした大人だということで、それをそう描ける著者もまたとても真面目で誠実な人なんだと思います。
 前作が「絶望編」なら今作は「希望編」というのもとてもよくわかります。巻末の著者あとがきにすべてがありますが、ひとつ引用すると、
「私は相変わらず異性愛に強い関心を持つフェミニストとして、ある人からは『そんなに男が好きなのか』と言われ、またある人からは『そんなに男が嫌いなのか』と言われる。/だが私が本当に気にしているのは自分の人生、そして女たちの人生だ。望まないことは拒み、望むことに欲求が抱ける人生。/どちらも依然として容易ではなく、これからすべきことも、言うべきこともまだまだ無数に残っているけれど、敢えて今回は、望むことについて書いてみた。/必ずしもこのかたちでなくていい。ただ、より良い恋愛、より悩み抜いた恋愛、当たり前のことなど何もない恋愛、そしてお互いにもっと尊重し合い、何より誰のものでもない自分のままで、自分の境界線を守りつつ愛し合える関係が、私たちには必要だ。」
 首が赤ベコですね…
 安易に生きない、真剣に生きる、悩み、選び、流されない、それでも傷つくことはあるし、変わることもある。それは悪いばかりのことでもない…そういう、温かくて強いメッセージを感じました。日韓の違いもあれど、欧米との違いに比べたら断然近くて、そういう意味でも勉強になります。こうしたテーマの作品は日本にもないこともないけれど、表れ方が違うなーとも感じたりします。本当におもしろい読書でした。ラストもとてもいい!
 前作と同じuyumintのカバーイラストも素晴らしい。上手い。ホント今っぽい。
 最新作は35年後の韓国が舞台の、女性ふたりの物語なんだそうです。おもしろそうすぎる! 早く訳出して!!
 そしてこの作品が、お伽話に思えるような未来が、早く来ますように…イヤ来させないといけないんですよね。自分たちが変わり、世の中を変えていかないと、人類は滅ぶのみです。ファイティン! そんな元気をもらいました。清々しい読書でした。













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ラグナル・ヨナソン『闇という名の娘』(小学館文庫)

2021年03月27日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 フルダ・ヘルマンスドッティル、六十四歳。女性警部として実直に勤務に励むも、ガラスの天井に出世を阻まれ、定年が数か月後に迫っていた。ある朝、歳下の上司から二週間後に後輩に席を明け渡すよう指示される。最後に自分に未解決事件を担当させるよう進言したフルダは、ロシア人女性不審死事件の単独捜査を始めた。当初は難民申請が通らず自殺したとされていた彼女だったが、やがて売春組織の関与が見え始め…アイスランド・ミステリの気鋭の待望の新シリーズ。

 少し前から北欧ミステリーのブームはずっとあって、ことにここの文庫はよく訳出している気がするんですけれど、どれも本当におもしろいですね。ごく近年の作品だということもあるし、社会や文化の在り方が私たちが慣れ親しんだ(気がしている)欧米のものとはちょっと違っていて、すごく新鮮に感じるのです。そしてそんな社会保障や男女平等や人権教育などのシステムや考え方がとても進んで見える社会でもやっぱり犯罪は起きて、そこに人間のドラマがある、ということが常に描かれる…非常に興味深いです。
 この作品も、帯などに惹かれて手にしましたが、まず冒頭がちょっと叙述トリックみたいなんですよね。あらすじはカバー表4から書き写したものですが、そもそも本文にはフルダという名の刑事が容疑者を尋問するくだりしか描かれていないので、フルダという名前にはジョンとかマリアみたいな馴染みがないこともあり、私はフルダとは男性名でありこの刑事はこういう名前の男性なんだと自然と思い込んで読み進め、次の章で主人公が鏡を見て「この女は誰なんだ」と思うところでやっと自分の誤解と、刑事といえば男性だろうと思い込んでいた自分の性的バイアスに気づかされたのでした。そして、主人公が定年間際の女性刑事、という小説が普通に存在していることに驚愕し、世界は本当に広いのだなあと感動したのでした。ちょっと前、中年女性の物語がないか少ない、みたいな話題があったじゃないですか。でもあるところにはちゃんとあるし、しかももっと先を行っているんですよ…
 そう、この小説は、他にもいろいろな意味でずっと先を行っている作品になっていました。自分の固定観念がガラガラと覆されていくのを常に感じる、久々におもしろい読書になりました。最近の文庫にしては全然厚くない分量だし、描写がそっけないくらいに少ないのでドライで、過剰でなく、その空気もまた主人公の人生を手放しかけている感に通じているようで、とてもおもしろいと感じました。主人公と主人公以外の視点人物による場面描写が交互に現れる構成はよくあるもので、この人物が誰でどこにつながっていくのかというおもしろさももちろんありますが、そこはまあ想定内のつながりではあったかと思います。でもすべてを総合したときにもっと大きなドラマが立ち上がり、そしてまさに驚きのラスト…! 確かに納得なんだけれど、はっきり言ってなかなかない、いや少なくとも私はまったく見たことがない結末でした。アメリカで映画化が決定しているそうですが、これをまんまやるのはかなり、けっこう難しいのではないかしら…でもきちんとできたら素晴らしいだろうなあ。
 英題はただの『THE DARKNESS』で、まあシンプルなだけに邦訳は難しいところなんだろうけれど、そこにまた女の名を悪く使うのはやめてくれ、という気もしなくはないです。でも女性は誰でも誰かの娘であり、多くは人の母となるものなので、これもアリなのかもしれません。全三部作だそうで、順に十歳ずつ若いフルダが描かれるそうです。ネタバレして読む形になるわけですが、どんな感じの作品なのでしょう…訳出が待たれます。
 女性主人公ミステリーで性暴力が題材になるものはたくさんありますが、主人公がこういう関わり方をするパターンのものは意外と少ないと思いますし、その意味でもとても興味深い作品でした。ネタバレはしません。興味あれば、読んでみていただきたいです。オススメです。




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須藤祐実『夢の端々』(祥伝社フィールヤングコミックス全2巻)

2020年11月14日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 伊藤貴代子、85歳。認知症で家族の顔さえわからなくなる日々の中、突然訪ねてきたのは、忘れられるはずもない、かつての恋人・園田ミツだった。貴代子とミツは、戦後の女学校時代に心中を図った恋人同士だったのだ。心中が失敗しても恋愛関係は続いたが、貴代子は28歳のときに見合い結婚を決めてしまい、ミツは傷つくが…離れたふたりの人生が再び重なるようになるまでの恋愛の軌跡を、時代を遡って辿るドラマチック一代記。

 端正とは言えない絵柄で、デッサンもちょっと不安定で、決して上手いとは言いがたい気はするのですが、味がある絵を描く作家さんですね。このサイズのコミックスにするには画面の密度もだいぶないけれど、それもまた味に見えます。得だなあ。
 お話の始まりは2018年、平成30年です。そこから遡って第2話冒頭は1988年、昭和63年、さらに第3話になると1969年の昭和44年になって…という、スリリングな構成です。
 ふたりは昭和8年生まれのようなので、20年生まれの私の母親より半世代くらい上の青春を送った感じでしょうか。美人でお金持ちでクラスの人気者の少女と、地味で目立たない文学少女、みたいなふたりが出会い、心を通わせ、でも時代は女の自由を許す空気はまだまだ全然なく、「この体はいつもだれかの物なんだわ」「お国の物だったり親の物だったりやがては夫の物 家の物…/でも本当はこの体も心も自分だけの物のはずだわ」「だれかに傷つけられるんじゃなくて/どう傷つくかを自分で決めたい」「だから一番幸福な時期に死ぬことにしたの」と心中するために山に登り、薬を飲み…ふたりで生きてみることにして山を下りようとし、しかし遭難して大怪我をした…
 そのせいばかりでもないけれど、その後もいろいろとふたりの関係は捻れていって…というのは、時代のせいばかりとも言えないし、そりゃ人生いろいろあるよとしか言えなかったりするし、やっと再会して、けれどまた思わぬ別れがあって…というのも、やはりザッツ・ライフな気がする、せつなく美しい物語です。
 ラスト、もう2ページあれば最後に見開きで抱き合うふたりの絵を入れられたのにな。
 貴代子の娘も孫もひ孫もみんな女ですが、彼女たちが少しは生きやすい世の中に、今、はたしてなっているのでしょうか…
 上下巻で綺麗に対になる装丁が美しい本でした。

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あだち充『ラフ』(小学館少年サンデーコミックス全12巻)

2020年08月14日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 大和圭介は私立栄泉高校に入学し、寮生活を始めた。部活は水泳部。だが同じく水泳部の二ノ宮亜美に「人殺し」という言葉をいきなり浴びせられる。圭介と亜美の家はともに和菓子屋で、ふたりの祖父の時代からライバル同士だったのだ…

 このコロナ禍で、密集した観客が大声援を飛ばす中、大汗かいて試合を戦う主人公たちの漫画を描く気になれなくなったとのことで、最新連載『MIX』を休載していた作者でしたが、ひと月ほど前の様子がちょっとおちついて見えてきたころの心境の変化に伴って連載再開を決め、合わせて高校野球の交流試合開催に合わせて全著作を電子化解禁したので、ちょっと話題になったりしましたね。私は実家に『ナイン』と『タッチ』は愛蔵していて、先日『H2』『クロスゲーム』を読んだところだったので、今回はこちらを読んでみました。
 今回のスポーツは野球ではなく水泳。主人公は競泳を、ヒロインは高飛び込みをしています。競泳は、隣のレーンの選手と争うこともあるでしょうがとりあえずタイムを競うもので、自分との戦いがシビアな競技かもしれません。作者はチームプレーとかトーナメントのおもしろさとかではないものを描いてみたかったのかもしれませんし、単に女子の水着姿をたくさん描きたかっただけかもしれませんが、ものっすごいスポ根漫画とかではなくとも(この作者はどの作品でも常に「根性」とは遠いところにあるドラマを描いていますが)きちんと競技の醍醐味は伝わる、おもしろい作品に仕上がっていました。
 やっていることは、というかキャラクターはいつも同じで、圭介は要するにタッちゃんだし亜美は南です。いつも、主人公男子はちょっとワルぶっていたとしてもテレやで優しく、不言実行のがんばり屋で、ヒロイン女子は美人で優等生で素直ないい子です。そして主人公男子のライバルないし恋敵に、主人公より容姿や学業成績や競技実績が少し上の男子が配される。しかし彼もまた優しく紳士的で気遣いの人で、ヒロインに対してゴリ押ししたりは決してしない…
 主役カップルはたいてい幼なじみとか義理の家族とかなんとかで、ふたりの心が揺れ動きやがて寄り添って行く様を淡々とした日常を淡々と描くことで絶妙に描き出し、そしてストーリーはここぞというところでほとんど卑怯なほどの交通事故や怪我、死といったアクシデントがぶっ込まれて大きく展開し、ラストきっちり仕上げる…というのも定番で、この作品もそれに漏れません。
 今回いいのは、仲西さんがメガネってのもあるけれど(だが伊達っぽいお洒落眼鏡で、キャラとしての「メガネくん」ではもちろんない)、彼が圭介にとって憧れのヒーローだと設定されていることです。だから三角関係が単純ではないこじれ方をする。それに、誤解というか、仲西さんのある種大人げない行動が波紋を呼んで、圭介が亜美に「おまえなんか大っきらいだ。」と言うかなりスリリングな、しんどい展開になったりする。
 亜美の水難事故はともかく、その後の仲西さんの交通事故はあたりまえですがとてもショッキングで重大で、その後の仲西さんの変貌も、でも実は変貌なんかではなくて人間なら当然だし彼にはもともとそういうところもあるひとりの若者で決して達観しきった大人なんかじゃなかったんだし、それでもそこからああまで復活してみせたのには彼に本当に意地と能力と努力する才能があったからこそだと思います。
 だから、描かれなかっただけで、最後の試合はやっぱり圭介が勝ったのだろうけれど、でも、仲西さんが最後に意地を見せたかもしれない、とも思わせる。私はどちらかというとそれを願う派です。でも、だからこそ、それは描かれない。そしてそれとは別に亜美の気持ちはすでに固まっていて、だからあのラストシーンになる。
 カセットテープにお気に入りの曲と、生の声の録音ですよ! 今のティーンにはもう意味がわからないかもしれませんよね! でも名作です。あだち作品としては小品と言っていいくらいかもしれませんが、佳作です。私は好きです。

 かおりちゃんみたいなデザイン(容姿も性格も)の女子キャラがヒロインの恋敵として現れて…ってのも実に定番なんだけれど、彼女と芹澤くんの顛末もよかったです。これ以上ここを掘るとストーリー上ややこしくなりすぎる、という判断があった故のことなのかもしれないけれど、芹澤くんがあまり描き込まれていないだけに、彼にとって、また物語全体のバランスとして実によかったと思うのです。亜美が選手としてはまだまだでかおりの方が断然スター、というのもよかった。亜美は南ほどはスーパーヒロインではないのでした。

 タイトルは素描、荒削り、みたいな意味で、人生を築いていく直前の青春模様、デッサンというようなニュアンスが込められているのでしょう。特に水泳とは関係のない言葉ですが、印象的でいいタイトルだと思います。でも物語冒頭に出てくるだけであとは全然出てこなくなっちゃっている言葉なので、もしもうちょっとだけ尺があれば、最終回直前に再度出してもよかったかもしれません。そこは残念です。

 あとは、まあ女子の水着に対する男子の視線の描き方とかの問題はあるんだけれど、女子が気づいていないのでまだマシかな、と甘いけれど思ったりしました。少年漫画のラッキースケベとかって、女子が「いや~ん」とか騒ぐところまでがセット、というのが問題だと思うんですよね。つまり男子は女子の身体を見たいんじゃなくて、女子の嫌がることをやってみたい、そこにこそ快感を覚えるものなのだ…という刷り込みをエンタメを通してすることがダメだと思うのです。そういう嗜虐心は人として間違っている、それは人下劣な嗜好だ、と子供に早くからきちんと教えていかなければならない。それと性的な興味を持つこととは別の問題だし、でも男子だけが性欲を露わにすることを認められていいものでもないので、そこはまたきちんと分けて考えたいと思うのです。
 むしろ気になったのは、これまたこの作者の作品あるあるなんだけれど、いわゆる不美人の、太めの少女を使った笑いの方です。これはもう、作者が女性というものに対して女神のように崇めるか、こうしたタイプの不美人をいじってからかうかしか絡む術を持っていない、対等の他者として友情を育むとかは発想すらできない魂が貧しい男性なんだから仕方ない、と考えるしかない気がしました。ただ、描写としてはこちらの方が今からでもいくらでも変えられると思うんだけど(編集が描かせなきゃいいだけの話なので)、『MIX』ではさてどうだったかな…
 こういう疵で作品が時代を超えられないことはままあるものなので、『アクタージュ』事件もあった今、作者も編集部も版元も今一度きちんと考えてみるべき案件だと思います。

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アントンシク『リンドバーグ』(小学館ゲッサン少年サンデーコミックス全8巻)

2020年06月26日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 周囲を絶壁に囲まれた高地の国・エルドゥラ。空を飛ぼうとすることが禁じられた王国で、大空を翔る冒険を夢見る少年ニットが、不思議な生き物プラモとともに羽ばたいていくSFアドベンチャー。

 作者が何に萌えて何にときめき何にこだわってこの作品世界を構築したか、手に取るようにわかります。
 空を飛びたいという願い、恐竜やドラゴンへの憧れ、品種改良、複葉機、リンドバーグにライト兄弟、アメリア・エアハート、空中浮遊都市、動物と心を通わせること、空挺騎士団、女王の統べる王国、戦争のない新たな未来…
 しかしてこの画力とイマジネーションの豊かさをもってして、このストーリーテリングの残念さ…もったいなさすぎました。
 てかニットってのはどこから来た名前なんでしょうね? 不思議。もうちょっとだけ両の目を離して描くとより幼く可愛くなって愛嬌が出るのになー。むしろ何年か経たせてより少年らしくなったときの方が、ずっとヒーローっぽくて素敵でいいビジュアルでした。ああもったいない。
 彼が主人公なんだけれど、本当のドラマは彼の親世代にあります。そういう確執がキモになる構造の物語は、実はわりとあるので、それはそれでいい。でもディエゴを主人公にしちゃった方が話が早かったんじゃないの?とは思わなくはありませんでした。
 自由闊達、豪放磊落な軍人のディエゴと、研究熱心で優しくて紳士のアルベルトは親友同士、さらにそこにのちの女王アメリアが加わる仲良し三人組の青春。アメリアはディエゴと恋に落ち、密かに娘を産み、歳の離れた妹だということにする。一方でアルベルトの愛情と嫉妬を利用し、リンドバーグの研究を悪用し兵器とし、王国を強大化させる…捻れていく運命。
 ニットの父はいっそアルベルトということにしちゃった方がよかったろうなあ、と思いました。メリウスって別にキャラ立ってないし…てか彼とナンナに実は何がどうあったのか全然語られていないのって、なんなんでしょうかね。てかメリウスの妻、ニットの母ってどうしちゃったんでしょうかね。あとモーリンは、故郷で待っている幼なじみのガールフレンドとしてこの物語のヒロイン格であるべきなので、もっと立ててほしかったです。それでティルダと三角関係にするのが筋だったと思うんですよね。そしてルゥルゥはその前に現れる、憧れの年上の女性ポジションに置かれるべきだったんです。でも彼女はディエゴ/シャークを愛していて、三角関係を築くのはむしろキリオなんだけれど…彼がニットのライバルの位置に上手くハマらないのがまた弱い。ホントなんかいろいろとちぐはぐなのです。
 そもそもニットがエルドゥラを出ていくときに、空を飛びたいとか外の世界が知りたい、みたいななんか抽象的な目的ではなくて、もっと具体的に、たとえば父親を探し出して母の元に連れ帰りたい、みたいなものを据えた方がよかったんじゃないですかねえ。それで父親が記憶の問題はあったとはいえ(むしろエルドゥラにいたときが記憶を失っていた時代になるのかもしれませんが)アルベルトだったということになれば、これは『スターウォーズ』のルークとダースベイダーの構図になったわけですよね。ディエゴはオビ=ワンです。
 でも、このディエゴ/シャークがいい人なのか悪人なのかわからないまま、また彼のバックボーンが全然説明されないままに話がガンガン進み、かつこの人がやたら強烈というか押し出しのいいキャラなので、ニットの存在がかすんじゃってるし、巻き込まれ型にしてもあまりに理不尽で情けなくて不甲斐なくて、主人公に同調して読んでいる読者はイライラさせられすぎるんです。こんな中途半端じゃなくて、主人公の目的に合致しているから今は利用してやるされてやる、なのか、意に反してさらわれ拘束されている形ならもっとさっさと反抗して脱出するとかさせてくれないと、フラストレーションが溜まるばかりでスッキリしなくて、読んでいて楽しくないのです。レースとかしている場合じゃない。
 また、ディエゴではなくニットを主役にした方がいいのは、貴重な古代種のリンドバーグと心を通わせ、新たな世界への扉を開く資格があるとされているのが彼だからですが、だからディエゴが彼に戦わせない、銃を持たせない…というのは無理があるなーと思いました。銃を持たずとも相手を殺傷することはありえるし、戦争に参加しないからってそれが神に認められる平和で賢く優しい新人類の証だとするのは屁理屈に思えます。やはりニットは戦いの中で怒りや恐怖や狂気をコントロールすることを覚え、リンドバーグとともに進化し、それで真の「空の王者」になる…という流れを描くべきだったのではないでしょうか。それでこそ少年漫画の王道だったと思うんだけれど…
 こんなにパーツやピースが揃っていて、でも全部がちぐはぐで、終盤は尺がなかったのか話が巻き巻きでバタバタで、いかにももったいない作品でした。全部最初から組み直したら、もっといいお話になりそうなのになー。ああもったいない。
 ちなみに個人的な萌えは、もちろんマティアスにありました(笑)。
 
 
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