駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『リトルショップ・オブ・ホラーズ』

2010年01月07日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 青山劇場、2005年11月8日ソワレ。

 1960年代のある年の9月21日、アメリカのとあるスラム街。スキッド・ロウ通りにある倒産寸前の花屋「ムシュニク・フローリスト」の店先に、ハエトリ草に似たへんてこで珍しい花が置かれた。その花はお客を呼び寄せ、見る見るうちに店を繁盛させた。店員のシーモア(山本耕史)はあこがれの同僚オードリー(上原多香子)にちなんで、その花を「オードリーⅡ」と名づけ、一生懸命世話するが…台本・作詞/ハワード・アシュマン、音楽/アラン・メンケン、パペットデザイン/マーティン・P・ロビンソン、翻訳/常田景子、訳詞/梶真知子、演出/吉川徹。1960年のロジャー・コーマン監督の映画を元に1982年オフ・ブロードウェイ初演、1986年にはフランク・オズ監督でミュージカル映画化。2002年の新演出版を元にした「日本ゴージャス版」。

 以前一度観ていて、妙に楽しかった記憶がありました。
 なのに今回はまだ初日から間がないためか劇場が大きすぎるのか、客席が温まっていない感じで、ちょっとさびしかったなー。もっと笑いが起きていい舞台だと思うんですけれどねー。
 以前観ているのは多分95年の博品館劇場のもの。シーモアが岸田智史、オードリーが日向薫、オリンが今村ねずみだったそうです。今村ねずみが出ていたのと主題歌をうっすら覚えている気がします…99年にはアートスフィアでシーモアが西川貴教、オードリーが風花舞、オリンが谷原章介というキャストで公演されているんだそうですが、コレ観たかったなー。なんで当時アンテナに引っ掛からなかったんだろう…ユウコのためだけに観に行っていてもおかしくないんですが。

 ホントいうともっとちゃんとした(笑)大作っぽいものの方が好みなくせして、この作品はやっぱり妙に好きですね。
 ブラックというよりペーソスがある感じ、シュールでアイロニカルというよりはやはりどうにもユーモラス、というところが、なんかいいのかもしれません。それともちろん音楽がいいです。暑苦しすぎない、ホットなロック。サントラ欲しいなー。今回はアンサンブルも詞もよく聴き取りやすく乗りやすく、楽しかったです。

 「こういう気弱な感じの役、久しぶりなんですよ」
 とパンフレットで語る山本耕史は、私は『リンダリンダ』以来すっかりひいきなんですが、今回もすごくよかったです。でっかい黒縁メガネでハンサムな顔がきちんと拝めなかったことだけが残念。
 でもこの人はテレビで観る印象より大柄で、舞台俳優にすごく向いている気がしました。「自分は発散型の役者だと思うから、久しぶりにやると正直ちょっと物足りなさは感じますね」と語りつつも、それ以上にやりすぎることなく、変に作りすぎることもなく、気弱で純粋なシーモアを実に上手く表現していたと思いました。もちろん歌もあいかわらずいいです。

 初舞台の上原多香子は、最初のシーンが衣装のせいなのかすごく貧相に見えて、モンローのパロディなんだからもうちょっとボリュームないとなー、やっぱつらいのかなー、とひやひやさせられました。最初に彼女も歌う「ダウンタウン」は声がアンサンブルに埋もれてしまっていたし、しなしなしたオードリーらしい身のこなしが板についていない感じでしたし。でもその後は持ち直しましたねー。「どこか緑の街で」はちゃんと聞かせてくれました。オードリーとして自分に求められていることをちゃんと理解していて、がんばってやっている感じはまだまだ「ヨシヨシ」レベルかもしれませんが、味もある気はするので、いい舞台女優さんになってくれるとうれしいです。美人すぎるんでテレビ女優は意外と向かないのでは? どうかな? あとストッキングの色をどうにかしてくれ。

 サディストの歯医者オリンは03年に解散したリュシフェルの元リード・ヴォーカル越中睦で、これまたえらいハンサムなのにキレた演技を存分にやってくれて感心しました。ムシュニクは小堺一機。こちらも最初は病み上がりで声がつらいのかな?と思いきや、ダンスシーンもノリノリだし、実に達者でした。

 そしてアンサンブル(浦嶋りんこ、Tina、尾藤桃子)が本当によかったです。実際今回のキャストは主役クラスも歌えるメンバーだったからよかったけれど、そうとも限らないケースも多いので、実は要所はアンサンブルが歌うという構成はミュージカル作劇上正しいんじゃないでしょうか。
 ちなみにずっと男性が当てることが多かったオードリーーⅡの声は和田アキ子。録音でしたが…

 小さいカンパニーの舞台だし、もう少し小さい劇場でやってもいいのかな、ということだけが残念でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『蜘蛛女のキス』

2010年01月07日 | 観劇記/タイトルか行
 アートスフィア、2005年9月8日ソワレ。

 ブエノス・アイレスのヴィラ・デヴォート刑務所の小さな監房に、ふたりの男が収監されている。ひとりは、政治犯として捕まった反体制運動の若き革命家バレンティン(山口馬木也)。もうひとりは、未成年者に対する背徳行為で逮捕された、母親思いの同性愛者モリーナ(今村ねずみ)。育った環境から性格から思想から、何もかもが対照的なふたりは、モリーナが語る映画『黒豹女』の話で退屈と絶望感を紛らわせていた…作/マヌエル・プイグ、演出/松本祐子、翻訳/常田景子。1976年に出版された同名の小説をもとに作家自身が戯曲化した舞台。1981年マドリード初演。1991年にはミュージカル化もされ、日本では1996年初演。

 このミュージカル版の日本初演か再演を確か観ています。蜘蛛女役の麻実れいが良かったことは覚えているのです。でも何がどう良かったのかは覚えていない…原作小説の文庫版を今も持っていますし、映画の記憶もうっすらとあり、映画と小説とでオチか演出が何かちがうのではなかったでしたっけ? どっちがどういいとかいろいろ考えた記憶はあります。でも内容を覚えていない…ホント私は、こうして書きつけておかないと何もかも忘れます。私の頭の中にも消しゴムがあるのでしょうか…

 なんでこう言い紛らわしているかというと、なんか今回はあまり感心しなかったから。今村ねずみの台詞の方が括舌が良くてクリアで非常に聴き取りやすく、まさに役者がちがうという感じだなあ、でも山口馬木也も感じ出てる、でも黒髪の方が良かったんでは…という程度の感想。戯曲としては散漫に思えた、というか…

 元の台本がこうなってるんだから完全に改作する訳にはいかなかったのでしょうが、ベッドシーンをほぼ暗転もせずにあんなに見せるくらいなんだったら、いっそ腐女子モードでもっとわかり易く愛と自由と支配と正義とは、みたいな話にしちゃえばよかったのに…とも思ってしまいました。
 かつてこの作品の映画版なり小説版なりの何にどう自分が感動したのかまったく思い出せないだけに、歯がゆい時間を過ごしてしまいました…舞台の評価としては正しくないかもしれません、すみません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ドレッサー』

2010年01月07日 | 観劇記/タイトルた行
 パルコ劇場、2005年9月2日ソワレ。

 1942年、第二次大戦下のイギリスはロンドン郊外の劇場。あるシェイクスピア劇団が『リア王』を上演しようとしていた。主役のリア王を演じるのは劇団の座長(平幹二朗)だが、その日の午後に街中で錯乱状態に陥り、ちょうど通りかかった座長のドレッサー(衣装係兼付き人)の(西村雅彦)は驚いて彼を病院に連れて行く…1980年初演、1981年日本初演。作/ロナルド・ハーウット、翻訳/松岡和子、演出/鈴木勝秀。

 よくもまあしゃべるしゃべるしゃべる…という第一幕、特に冒頭の場面でしたが、芸達者な役者さんばかりで堪能しました。座長夫人役の松田美由紀はこれが初舞台だそうですが、まったく問題なかったですね。逆にお目当ての久世星佳(舞台監督マッジ役)が声量がなくてヒヤヒヤしました。演技は良かったんですけれど。新人女優アイリーンは勝野雅奈恵で、ちょっと純名りさを思わせましたがこれまた良かったです。

 愛憎渦巻く人間関係は堪能しましたが、オチというか流れというかはこれしかないというもので、特にひねりはありません。
 あまり本筋ではないけれど、カーテンコールは、暗転の間にノーマンは化粧前から離れ座長はベッドから起きて、舞台中央に板付きになっていてほしかったです。明るい中で役のまんまでいてそのまま役者に戻ってあいさつされるのは興ざめなんだよ~。バックステージものだけに余計に気に障りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『プロデューサーズ』

2010年01月07日 | 観劇記/タイトルは行
 青山劇場、2005年8月23日ソワレ。

 1959年、ニューヨーク。マックス(井ノ原快彦)はかつてはブロードウェイの敏腕プロデューサーだったが、今や手がけた舞台がオープンしたとたんにクローズされるほどのだめっぷり。今日も大金持ちの未亡人相手に甘い言葉を囁いては、舞台への出資金を引き出そうと必死だ。そんなマックスの事務所にやってきた気弱な会計士レオ(長野博)は、帳簿を調べるうちに、ハズれたはずの舞台が黒字になっていることに気づく。投資家から資金を集めてわざと駄作を上演し、すぐクローズさせて配当金も出さずに大金をせしめようと、絶対当たらないミュージカルを作ろうとレオを引き入れようとするマックスだったが…脚本・作詞・作曲/メル・ブルックス、オリジナル演出・振付/スーザン・ストローマン、演出・振付リクリエイト/ビル・バーンズ、翻訳・訳詞/高平哲郎。1968年の映画をもとに、2001年初演、トニー賞13部門のうち12部門を受賞した舞台の日本版。

 来日公演も来ていましたが、字幕を見てしまって舞台が観られないんだよな、と敬遠していました。すぐ日本版公演が決まったので、早速行ってきました。

 席が最上手だった生で音響が悪いのか? 歌が、声は聞こえるんですが歌詞がよく聴き取れないことが多かったです。マイク音量や声量は問題ないようだったのですが…訳詞の問題かなあ?
 たとえば一曲目の「オープニング・ナイト」なんてなんのパロディかすぐわかる楽しいナンバーだったのですが、肝心の歌詞がよく聴き取れず、マックスの舞台がウケたのか駄目だったのかがまったくわからなかったんですね。私はだいたいの筋を知っていましたが、ほぼまっさらで事前情報ゼロの同行者には話の成り行きがわかったのだろうか…とちょっとヒヤヒヤしてしまいました。

 だけどあとは本当に楽しいナンバーばかりで、確かにブロードウェイ・ミュージカルへの愛が詰まっているし、ストローマン演出は健在だし、原曲版CDが欲しくなりましたし『クレイジー・フォー・ユー』あたりがまた観たくなりました。
 役者もすごく良くて、主演ふたりのアイドルスターらしからぬ(失礼!)芝居っ気と歌いっぷりは頼もしかったし、この間まで死神をやっていた彩輝直も、性転換直後はこういう大袈裟な役がかえっていいんですよね(^^)、脚がきれいだし歌も良かったし(地声キーの歌の方が達者だったのはご愛敬)、楽しいヒロインっぷりでした。

 個人的にはもう少しデリケートに、マックスもレオもただ「プロデューサー」という名声やそれに付随するお金が第一に欲しくて、クリエイターとしての何か希望がある訳では特にない、みたいなことはちょっとおさえておいて欲しかったかな。その方が彼らの悪乗りにすぐ乗れるので。
 企画の意図もすごくわかります。だけど。
 日本人って生真面目で駄目だなー、って、思ってしまいました。

 ユダヤ人とゲイが本当に多いブロードウェイでこの舞台がウケた、それくらい彼らは大人で大人のジョークを解するということです。でも、私は、心の片隅で、不愉快に感じたし、不安でした。戦争や同性愛を笑いものにしてはいけない、からかいの種にしてはいけない、という、偽善的な教育が根付いちゃっていて、「オトナの反応」がしきれない自分がいたんですねー。ううーむ。意外な弊害を感じてしまったことですよ…
 しかしこんなある種の「アブない」舞台をよくアイドルにやらせるなジャニーズも、とか思っちゃいましたが、最終的にはこれはやっぱりマックスとレオという男の子ふたりの友情ものなので、実際にも10年来のグループの仲間という青年ふたりに演じさせるのは正解なんだなーと思いました。
 客席は普段の観客層より若く熱く(ジャニオタってすごい…と思った)、スタンディング・オベーションがすごかったです。でもまあおもしろかったのでよかったんですけれどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする