駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『新版 天守物語』

2014年04月29日 | 大空日記
 フェスティバルホール、2014年4月23日マチネ(初日)。
 オーチャードホール、2014年4月26日マチネ、ソワレ、27日マチネ(千秋楽)。

 時は封建時代。播州姫路・白鷺城の天守、最上階・第五層。そこは人間が立ち入ることが許されない、魔性の者たちの棲家であった。下界を見下ろしながら超然と暮らす彼らの主は、天守夫人・富姫(大空祐飛)。晩秋のその日は、猪苗代に住む妹分の亀姫(中村梅丸)がやってくることになっていた…
 原作/泉鏡花、総合監修/梅若六郎玄祥、脚本補綴/村上湛、演出/高橋正徳。1917年に発表された戯曲で、1995年には坂東玉三郎の富姫、宮沢りえの亀姫で映画化もされた。全一幕。

 三上博史を泉鏡花役として据え置いている部分が「新版」で、あとはほぼ原作どおりのようです。
 事前のチラシであらすじを読んでも「はたしてこれはストーリーになっているのか?」と思ったものでしたが、大空さんが妖しの女王役ともなれば素敵でない訳はないので、いそいそと出かけて全回観劇してしまいました。
 初回は、能・狂言・歌舞伎に現代演劇のあまりの異種格闘技っぷりにとまどい、相手役であるはずなのに『唐版 滝の白糸』のお甲さん以上に遅い図書之助(須賀貴匡)の登場にとまどい、「デウス・エクス・マキナ」という言葉自体は知ってはいても今まで意外に目の当たりにすることはなかったそれそのものの登場にとまどっているうちに終わりました(笑)。
 でもあらすじに表われていなかった細かいエピソードがちゃんとつながって、ちゃんとお話になっているとは思いました。無駄なのでは?と思っていた亀姫の訪問は姫路の殿の兄弟の首をおみやげにもらったり、姫路の殿の白い鷹を捕っておみやげに渡したことがのちにつながるのであり、殿に命じられてその鷹を追って図書之助は天守を訪れるのであり、討手には殿そっくりの首を投げつけて追いやるのでした。
 その過程で富姫と図書之助は恋に落ち、けれど富姫たちが崇め奉り霊力の源としていた獅子頭の目が討手たちに傷つけられ、富姫たちもまた光を失い、そこに奇跡が起きる…とストーリーにはなっているのだけれど、しかし現代的な解釈で考えれば明らかに前半が長すぎるだろう!と思わなくはありませんでした。
 でも二回目からは、もちろんこちらが話の流れがわかって観るので心安らかに観ていられるというのもあるけれど、役者たちの芝居もずっとこなれてきて、異種格闘技も不思議な調和を見せてきて、退屈に見えかねない前半もすごく楽しめてしまったんですね。
 という訳で、総じてとてもおもしろく観てしまったのでした。

 素顔は17歳の高校生だという梅丸くんの女形姿はそれはそれは愛らしい。歌舞伎の女形独特のあの白塗りは素人には老けて見えるし、独特の女声も素人にはヘンに聞こえるものですが、でも愛らしいのはわかる。おあ姉さまに甘えるわ拗ねるわ、手毬をつくためだけにわざわざやってくるわ、こんなに可愛くいじらしいのにおみやげが生首で平然としてるその妖怪っぷりがすごいわ、とても素敵でした。
 これは大空さんがお茶会で言っていたことですが、千秋楽になって梅丸くんのお芝居が歌舞伎の伝統美・様式美の範疇から外れ、ぐっと演劇寄りになった、演技が変化したのがわかって嬉しかったということで、短い公演日程は残念でしたが、やはりそういう化学変化が起きるのが舞台のおもしろいところですよね。
 もちろん最初から歌舞伎よりはぐっと砕けた演技をしていた訳ですが、それにまた鷹揚にかつナチュラルに応える大空さんも素敵だったのでした。

 狂言チームの舌長姥(中村京蔵)と朱の盤坊(茂山逸平)もコミカルさが素晴らしかった。そして敢闘賞は薄(青井陽治)だと思いました! 私にとっては翻訳家さんで、舞台出演は7年ぶりとのことですが、素晴らしい女形っぷり、乳母というか侍女っぷりでした!
 図書之助を返してしまってからしどけなく文机にもたれて横座りする富姫のもとに参じて語る一連の会話(「いたみいります」が絶品)、その後のお天守下での様子を報告するくだり(富姫の「知らないよ!」も絶品)、素晴らしかった!!
 スリーゴッデス女童ちゃんたちも愛らしかったし、宝塚歌劇団OGによるお腰元衆も美しく危なげなく艶やかで鮮やかで、堪能しました。

 須賀くんは毎回滝汗の大奮闘でしたが、富姫を抱いて見劣りしない背格好が素晴らしかったし、涼しげで凛々しげな若武者っぷりがとてもよかったです。
 ときに鷹に、ときに蝙蝠になって作品世界にまざりつつこの作品を書いている、というスタンスの三上さんも、ちゃんと時代の差を感じさせてくれていました。
 そしてザッツ「デウス・エクス・マキナ」の桃六(梅若玄祥六郎)…! 私は本当にこの舞台で初めてこの存在の意味を理解したように思いました。それと大空さんをキャスティングしてくださってありがとうございます…!(あっ、立ち位置が(^^;))

 ホント毎度一風変わった作品に出るなあ、というか呼ばれるのか。でもありがたいことだよね。そして新たな面を見せてくれて、進化して深化していて、がっかりさせられることがない。さらに素敵な役者さんになってくれそうで楽しみです。
 いいカンパニーだったろうことはお茶会でもうかがえましたし、公演期間は短くてもお稽古はたっぷりやっていい刺激になったのだろうし、幸せそうで本当によかった。
 所詮ファン馬鹿と言われてしまいそうな感想ですみません…でもとにかく楽しかったです!!








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮部みゆき『ソロモンの偽証』(新潮社)全3巻

2014年04月29日 | 乱読記/書名さ行
 彼の死を悼む声は小さかった。けど、噂は強力で、気がつけばあたしたちみんな、それに加担していた。そしてその悪意ある風評は、目撃者を名乗る匿名の告発状を産み落とした…著者5年ぶりの現代ミステリー。

 ミステリーだし法廷ものでもあるけれど、何より青春小説でした。思春期小説といっても、ジュヴナイル小説といってもいいと思う。この時期の子供たちの物語でした。
 ギミックについては私にしてはかなり早い段階から気づいていたのですが、何せ和彦みたいなキャラクターが大好きなので、後半は「彼を幸せにしてあげて…!」と念じながら読みました。
 井上くんとかも好きです。ああいうお姉さんがいるというのもまたそれっぽいキャラクターです。
 藤野さんも好きです。優等生が好きなんですよねー。幼い妹たちがいる姉、というのはよくわからないんだけれど、さもありなんという感じ。

 大出くんや三宅さんがきちんと更生できたのかは、はっきりいってなんとも言えないとも思いました。
 でもたとえば、野田くんは確かに変わった。それでよかったのかな、と思います。柏木くんは自分で自分を殺してしまったけれど、それで憎悪とか混乱しか生まなかったわけではなくて、いい変化もちゃんとこの世界に与えて去ったのです。彼はこの世界に絶望してしまっていたけれど、本当は世界はこんなにも伸びやかなものなのでした。
 だからこそ彼の死を悼みつつ、泣きながら読み終えました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今週の言葉

2014年04月29日 | MY箴言集

 侠気あるいは男気といった美徳は、何も男が占有するものではない。女にも同様に備わり、場合によっては男以上に過激に発せられる。そしてその美しさを披露した女に、心惹かれぬ男はいない。





 和田竜『村上海賊の娘』(新潮社)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇雪組『心中・恋の大和路』

2014年04月19日 | 観劇記/タイトルさ行
 日本青年館、2014年4月15日マチネ(初日)。

 大坂の飛脚問屋・亀屋の忠兵衛(壮一帆)は大和の新口村から養子に入り、今では当主として差配を振るっている。しかし新町の遊郭・槌屋の梅川(愛加あゆ)と馴染みになってからは梅川恋しさに槌屋に通い詰め、できることなら梅川を身請けしたいとまで考えるようになっていた…
 原作/近松門左衛門、脚本/菅沼潤、演出/谷正純。全2幕。『冥途の飛脚』をミュージカル化した作品で、1979年の初演以来たびたび再演されている名作。

 幸ちゃんミリちゃん版は生で観ていて、でもあまりよく覚えていなくて、その後テレビ放送なども見たのですが、どうも内容が頭によく入ってこなかったのですが、久々に生の舞台を観劇してその理由がよくわかりました。
 はっきり言って筋らしい筋はないのです。しょうもない男が暴走したというだけのしょうもないお話なのです。だから距離のあるところで見るとピンとこない。
 でも目の前で生の役者が役に血肉を与えてその生き様を生きてみせてくれると、しみしみと心にしみるのでした。
 オチがわかっていても、それでも泣ける作品でした。

 えりたんはなよやかで優しくて考えなしのしょうもない男をそれはそれし素晴らしく演じてくれました。生まれついての性格なのか、養母に邪険にされて歪んだのか、しっかりした定見とかビジョンとかが抱けるようになれないまま大人になってしまったような、でも可愛らしいいじらしい、憎めない男。八右衛門(未涼亜希)みたいな硬く真面目でしっかりした男がそれでも縁を切れず友達づきあいを続けるのもわかる、というキャラクターでした。
 感情移入や共感はしづらいかもしれない、好きにもなりないかもしれない。なんてったって要するにただの駄目男ですからね。でも憎めない。こういう主人公像もあるんだなあ、と感心しました。
 あゆっちの梅川はなんとまあ可愛らしいことおぼこいこと。歳が若いのか、遊女になってまだいくらもたたないのでしょうか。おそらくこれが彼女の初恋なんでしょうね。これが酸いも甘いも噛み分けた訳知りの遊女だったらまた違ったいやらしさ、重さがお話に生まれてしまったでしょうが、ほとんどただの少女みたいなところがよかったのかもしれません。
 対してかもん(大湖せしる)はもっと経験豊富で、お客と悲しい本気の恋をしたことも一度や二度ではなかったのかもしれません。だからこそ身請けされ嫁いでいける、晴れ晴れと大門を出ていける。人生とはそういうものだ、結婚とはそういうものだとわかっているからです。
 そもそもこの時代の結婚なんて庶民でもほとんどがつりあいとかで決められたもので、好いた腫れたでするものではなかったのではないでしょうか。でも梅川にはそういうことがわからないんだよね、あるいはわかりたくないとごねるくらいには子供なんだよね。可愛かったなあ。
 しかしかもんの門出に自棄酒をあおる梅川は可愛すぎたわ、なんなのそんなに姉さんがいなくなるのが悲しいの? デキてたの? てか梅川に遊女の手練手管を仕込んだのはかもんだったんですかねやっぱり! といらぬ百合ユリしい妄想がアタマを駆け巡りましたよすみません。

 がおりやホタテが上手いのはもちろん知っていましたが、あすくんも芝居の声がとても素敵でよかったなあ。本公演だとどうしてもダンサーで扱われる程度だと思うので、もっと使ってあげてほしいなあ。
 宿衆もでっちたちも素晴らしいし、二幕のソロはそれぞれ歌上手に当てられて耳に優しく素晴らしい。適材適所で緊密に作り上げる舞台というものは本当に素晴らしいものですね。

 ラストのまっつの絶唱はそれはもう素晴らしくて、もう絶対この人にしかできない!というものでしたが、かなとくんの若々しく熱い主題歌もとてもよかったです。与平(月城かなと)はギリギリのところで助かったんだよね。自分は引き返せた、引き返してもらえた、なのにご主人様は…という悲痛さ、しみました。

 カテコは二度目からはお辞儀だけでいいと思いました。二度も三度も雪山に入るのは興醒めします。
 私は出演者の顔見せをねだるような長々した拍手が嫌いなのですが、でも作品自体に賞賛を送りたくてする拍手というものは確かにあって、だからカテコも一度はあった方がいいと思う。でも一度で十分かなと思いました。その潔さ、物足りなさまでもひっくるめてこの作品として、受け止める観客でありたい、と思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『酒と涙とジキルとハイド』

2014年04月12日 | 観劇記/タイトルさ行
 東京芸術劇場、2014年4月11日ソワレ。

 19世紀末のイギリス、ロンドン。科学者・ジキル博士(片岡愛之助)の研究室を恩師ダンヴァース博士の娘でジキルの婚約者のイヴ(優香)が訪ねてきていた。ジキルは留守で、彼女の相手をしていたのは助手のプール(迫田孝也)だ。やがて帰宅したジキルは、イヴの来訪と明日に控えた新薬研究発表会への緊張からかテンションが高い。さらにジキルの呼び出しで俳優ビクター(藤井隆)が研究室を訪れ…
 作・演出/三谷幸喜、美術/松井るみ、音楽/高良久美子。ロバート・ルイス・スティーブンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』に着想を得た三谷幸喜最新作。全一幕。

 「ただただ笑っていただいて、後には何も残らない」ことを目指したそうで、それってただのコンとみたいなくだらないものじゃないんだろうな…とちょっと構えていたのですが、ちゃんとしていました。すみません。
 イヴが自分を解放していくくだりなんかはもしかしたらもっとフェミっぽく扱えるのかもしれないし、「飛ぶときはひとりで羽ばたきます」なんて台詞もあって「まさかの『エリザベート』ネタ!?」とか思いましたが、イヴが結局のところあれで幸せになったのかとか強くなれたのとかとかそしいうことは語られませんし、それでいい舞台なのでした。
 しかし藤井隆の怪演に支えられている作品ではあるなあ(^^;)。
 天井というか屋外を上手く見せる装置がなかなか素敵でした。BGMを演奏するというよりは効果音を入れるような音楽も良かった。お洒落な舞台でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする