駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『デカローグ』プログラムC

2024年05月30日 | 観劇記/タイトルた行
 新国立劇場小劇場、2024年5月24日19時。

 プログラムA、Bの感想はこちら
 5は、街中で見かけたタクシー運転手ヴァルデマル(寺十吾)を殺した20歳の青年ヤツェク(福崎那由他)と、彼の弁護をすることになった新人弁護士ピョトル(渋谷謙人)の「ある殺人に関する物語」。6は、郵便局に勤める19歳のトメク(田中亨)と、向かいに住む30代の魅力的な女性マグダ(仙名彩世)の「ある愛に関する物語」。
 
 十戒の物語だけれど、「十戒を守るべき道徳ではなく、これを破ってしまう人間とその葛藤を描く物語」とのことで、「人間を不完全な存在として認め」「断罪や罰や哀れみすらなく、ただひたすらに人間の弱さや間違いを見つめるまなざしの奥には、人間という存在への根源的な肯定と深い愛が流れている」とのことです。それはそうかな、とは思うのですが、例によって市井の人々のささやかな日常を切り取り、そのまま…みたいな作風でもあるので、受け取る方にもなかなか胆力が要るな、とも感じたりするのでした。
 この二本は映画にもなっているそうなので、シリーズの肝ということなのでしょうか。劇場入り口に喫煙や暴力、自傷の描写がある旨のアナウンスも出ていましたが、確かにそういう意味では濃く、重い二本でした。でも繊細にも丁寧にも描かれているのだけれど…似たような生きづらさを抱えている人やこうしたことにシンパシーを感じてしまう人、引っ張られがちな人は観ていてかなりつらいのではなかろうか、と余計な心配かもしれませんが、私はそんなことにけっこうドキドキしてしまいました。私は今けっこう元気で健康なので、というかだからこそ引っ張られすぎないようにあえて客観視して距離を置こう、所詮他人事だもの、と思わないと目を背けたくなるくらい、なんというかすごくナチュラルで、「人間だもの」という感じでけっこう怖い事態というかお話が進む二本だったので…こういう感想が正しいのかどうか含めて、全然自信がないんですけれど。おもしろくなかったわけではないし、でもおもしろかったと言って片付けてしまっていいのだろうか、とかね…考えさせられました。
 私は学校の勉強がまあまあできた子供だったんですけれど、周りから医者になれば?とか弁護士になれば?とかは言われたことがなかった気がします。それで将来の選択肢に入らず、ただ本や漫画が好きだったから出版業界に勤めた…というようなところがあるのですが、うっかり医者とか弁護士とかにならなくて本当によかったよ、と最近よく思ったりします。なれたかは別にして、なっていたら、きっと世界の理不尽さとか人間の愚かさとかに、私は耐えられなかったと思う…理想を物語に託して創作で糊塗するくらいが私にはお似合いです。
 ピョトルの絶望は、わかります。理想に燃えた新人弁護士で、世の中を正したい明るくしたいと思っていて、死刑制度には反対で、しかし弁護を担当した青年には死刑の判決が下されてしまう。彼は殺人を犯していて、おそらくそれは本人も認めているんだろうし、量刑としては重い気もするけれどこの当時のポーランドの法律では妥当なものだったんでしょう。死刑とは国家による殺人なのでそれは到底認められない、というヤツェクの考えはわかるし、私も死刑には反対です。汝、殺すなかれ…けれど、だからといってヤツェクがヴァルデマルを殺害した事実は変わらないのです。その罪は、贖われなければならない。
 しかも耐えがたいのは死刑執行に対するヤツェクの動揺です。ヤツェクは、もしかしたらどこか足りないか病んでいるのかもしれないし、そういう意味では確かに情状酌量されなければならない身だったのかもしれないけれど、要するに「人が死ぬところを見てみたい」みたいな動機で人を殺した、どうしようもない若者でした。しかも衝動的ではない、ちゃんと準備してシミュレーションまでした。シミュレーションする想像力があるのに、その後どうなるか、自分がどう罰せられるかは想像できないのか? 殺したら殺されるのがあたりまえではないのか? では何故粛々と自分の死を受け入れないのか? 怯えて死にたくないと叫ぶくらいなら何故殺すのを止めなかったのか? ヴァルデマルも死にたくなかったはずだど何故考えないのか? 自分で考え自分で決めて自分で行動して自分で責任を取る、それが人として当然のことで、だから死刑も潔く受け入れるべきなのに、そうしない見苦しさに私はほとんど耐えられませんでした。同情なんかできない、哀れみも持てない、冷たい人間なのです。でもヤツェクは目を反らせることができないし、背負い込んで、落ち込んで、終わる…しんどい、しんどい話です…
 6も若者の話であり、トメクは友達の母親と同居し、家と職場を往復するだけのような、友達も恋人もいない味気ない暮らしをしている青年です。外国語を学ぶ才能があるのに、特に活かせているわけではない、というのがミソかもしれません。そして同じ団地の、向かいの上階に住むマグダの部屋を覗いている。
 マグダは売れないアーティストで、おそらくそれとは別の仕事をしていて、恋人というか部屋に連れてきてセックスをする男が3人ほどいるけれど、特に満足もしていないし幸せでもない、そんな感じの女性です。美しいけれど、もう若くはない、くらい。
 トメクが自分を見ていたことを知って、もちろん気味悪がりはするんだけれどおもしろく感じちゃうようなところもあって、だからトメクが現れなくなると今度はこっちから関わろうとするんだけれど、いろいろあって憑き物が落ちちゃったようなトメクはもうマグダへの関心を失っていて、それでおしまい、というお話です。
 トメクも別に幸せになったわけではないけれと、何かを乗り越え、何かが進んだのならいいな、とは思います。少なくとも命あっての物種だ、大事にならずによかったです。
 一方マグダは、心配かな…ストーカーチックであれ、誰かに関心を持たれていたことが嬉しい、というような気持ちはわからなくはないし、そのとき団地のセットの後ろにある暗いだけの紗幕みたいなのがぱあっと明るい青になって、まるで晴れ晴れとした青空が広がったように見えたのは(美術/針生康、映像/栗山聡之、照明/松本大介)、それは確かにそこで感じられた「愛」を表現していたのかもしれないけれど…結局それはマグダを救わず、どこにも連れていなかった、ということでしょう。まあ彼女は立派な成人なので、未成年の一過性の初恋みたいなものに支えられたりせず、独力でなんとかしなさいよ、ということなのかもしれませんが…しんどい、しんどいよ……
 しかしゆきちゃんはとても素敵でした。フェアリーからしたらとんでもない、という台詞を言わされていましたが、特に露悪的でも扇情的でもなく、ナチュラルでよかったです。こういう舞台にも出るんだなあ、と思うと、これからもますます楽しみです。
 今回も、一幕と二幕(というのか?)で全然別のキャラをやっている役者さんたちが素晴らしかったです。そしてやはりこの亀田佳明は無駄遣いではないのだろうか…10作すべてに出ていて、しかし台詞がない、という役ですが…うぅーむ、やはり10まで観ないと語れないのかもしれません。









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『ナビレラ』

2024年05月29日 | 観劇記/タイトルな行
 シアタークリエ、2024年5月23日18時。

 バレエ団に所属する23歳の新進ダンサー、イ・チェロク(三浦宏規)は、恵まれた才能を活かしきれず将来を迷っていた。一方、定年退職を迎えた70歳のシム・ドクチュル(川平慈英)は、ある秘密を抱えながら、残りの人生について考え始める。ある日、ダンススタジオの前を通りかかったドクチュルはチェロクが踊る姿に心を奪われて、子供のころに憧れたバレエへの夢を思い出し…
 作/HUN、JIMMY、オリジナル台本・作詞/パク・ヘリム、作曲/キム・ヒョウン、オリジナル・プロダクション/ソウル芸術団。上演台本・日本語歌詞・演出/桑原裕子、オンガクカントク・キーボードコンダクター/門司肇。韓国のウェブトゥーンを原作に、テレビドラマ化もされた韓国ミュージカル。全2幕。

 サブタイトルは「それでも蝶は舞う」。ナビは蝶ですが、~のように、の意味のレラがついたとても詩的で繊細で、現代ではあまり使われていない言葉だそうです。素敵ですね…!
 評判は聞いていたのですが、『赤と黒』でも観て、『メディア/イアソン』では贅沢すぎるというか無駄遣いだったのでは…とも思えた三浦くんのバレエを活かした作品を観てみたいとも思っていたので、飛びついてきました。期待に違わぬ良き作品で、ダダ泣きしました。
 韓国では年に三百本ものミュージカルが制作され、切磋琢磨しブラッシュアップされ取捨選択されているんだそうで、それはちょっと勝てないよな…と思いました。イヤ私が最近評判の『千と千尋の神隠し』とか『この世界の片隅で』、『ゴースト&レディ』とかを観られていないだけで、日本のオリジナル・ミュージカルもたいしたものですよ、と言われればそれはそうなのかもしれませんが、なんていうのかな…こういうフツーのお話をきっちり仕上げてくる地力がもうものすごい、と震えたのです。ウェルメイドを超えていると思いましたしね、普遍的な力がある…! ザッツ・韓国で、ストーリーはこのイントロダクションから想定されるように進みオチる、ベタベタのベタかもしれない。でもそこがすごい。変なひねりを入れてこない、真の力量に裏打ちされた自信みたいなものが窺えました。
 あとは、緞帳を使っていたのがよかったなあ。一幕も二幕も、幕が上がって始まり、下りて終わる…暗転よりクラシカルで、私は好きです。この作品にも合っていたと思いました。
 配役もある種の異種格闘技戦感がありましたが、適材適所で新鮮で、とてもよかったです。そしてみんな達者で歌も上手かった…! ドクチュルの長男ソンサンがオレノグラフィティ、次男ソングァンが狩野英孝、バレエ団の団長ムン・ギョングクが舘形比呂一、ぴったり!! ドクチュルの妻ブンイの岡まゆみは、私は初めてかな? いかなもなアジュンマを作っていて好感。ソンサンの娘ヘジンがダブルキャストで、この日は青山なぎさ。東宝ヤング女優枠なのかな? 良き良き。そしてチェロクのサッカー選手時代のチームメイト、ソンチョルの瀧澤翼は『SPY×FAMILY』のユーリだったそうですが、私は観ていない方かな…? タッパがあってスタイル良くて、カッコよかったです!
 アンサンブルさんもみんな素敵で、バレエはもちろん、お芝居でも何役もこなして、達者でした。バレエを習っている役者さんは多いとは思うけれど、これだけ踊れて活かせる機会もなかなかないだろうし、楽しかったのではないかしらん…
 それでいうと川平さんはジャズもタップもヒップホップもやっているのに、バレエはやっていなくて、今回の件で初めてレッスンに行ったんだそうな。意外! 実際には10歳近く若いということだし、本当はもっと全然動ける人なのに、白髪にして足取りもおぼつかないような老人の動きにして、それでも少しずつ手脚が伸びやかになっている様子を実にナチュラルに演じてくれていて、素晴らしかったです。
 うちのアラウンド80の両親を見ていても、70なんてこんな年寄りじゃないだろう、とも思うのだけれど、韓国のこの世代の人たちは子供をより良く育て上げることに全力投球で自分のことはみーんな後回しにして、やっと勤め上げたらもうくたびれきっていて…というのがリアルなのかもしれません。そこへ病気で余命が…ということかなと思っていたら、なんとドクチュルの「秘密」とは認知症でした。せつない…! てか私なんて60で定年退職したらそのあと25年くらいは遊んで暮らしてそのあとやっとおとなしくしようかなとか考えているのに、70なんてすぐすぎます…!
 それでも、身体を壊すより、夢が壊れることの方が怖い、と言ってがんばるドクチュルに、もう泣かされること泣かされること…完全にそっちの視点で観てしまいました。幼いころに親の仕事の都合でロシア(ソ連か?)に行っていた、そこで赤ずきんちゃんのような、バレエを踊る花売り娘(川西茉祐)と友達になって…とかも、ありそうだしエピソードとして本当に美しすぎました。イメージとして何度も現れ、くるくると踊る少女の姿のいじらしさ、美しさにも泣かされました。好きだから、美しいから、バレエを踊りたい…それで十分じゃないか、と心底思えました。
 そして、若いころにバレエをやっていた母親を病気で亡くし、父親はワーカホリック気味なのか子供に無関心で、バイトで生計を立て、目標を定めきれずに悩み苦しみさまよっているチェロク…冒頭、レッスンに遅れてやってきて、ウォームアップもせずにそのまま曲に乗って踊り出す彼のジュテの高さよ! これに心を鷲づかみにされない観客なんています!?(珠城さんリリーに欠けていたのはコレですよ!!)あまりにも鮮やかすぎました。三浦くんは熊川哲也に憧れてバレエを始めて、怪我で断念したそうですがそれはプロのバレリーノになるには、ということで、こういうレベルならなんの問題もなく踊れるのでしょう。これは大きな武器ですよ…! 素晴らしかったです。もちろん、演技も歌もよかったです。
 バレエ団の経営の厳しさとか、ドキュメンタリー番組でクラファンをとか、今っぽい要素も入ってくる中、最後の公演が始まり、チェロクとドクチュルのパ・ド・ドゥ(なのかな?一応…)が始まる。美しい振付、そしてクライマックスにチェロクが跳ぶ。それはポスターのポーズで、そこで暗転…! 舞台の魔法でした。着地の音なんかしなかったじゃん…! もうもう素晴らしすぎて、爆泣きでした。
 ラストは数年後で、海外で活躍しているチェロクが久々に帰国して、シム一家のピクニックに混ざる。ドクチュルは車椅子に乗っていて、もう家族のこともわからない。けれどチェロクが踊ると、そろそろと腕を伸ばす。かつてバレエを教え始めたときのように、彼の指先を直してあげるチェロク、幕…
 人は老いる、いつかは死ぬ、みんな忘れ去られる、でも何もなかったことにはならない。夢があった、美があったのだ…そう信じられる、美しいラストシーンでした。
 こういう体験ができるから、観劇はやめられない…そう、思うのでした。






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宝塚歌劇花組『アルカンシェル』

2024年05月28日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2024年2月14日13時、3月23日11時。
 東京宝塚劇場、4月23日18時、5月2日18時半(新公)、22日11時。

 ナチス・ドイツ占領下のバリ。ミュージック・ホール「アルカンシェル・ド・パリ」では、ドイツ軍の進駐を目前にユダヤ系演出家が亡命し、残された看板歌手のカトリーヌ(星風まどか)が演出を任され、ダンサーのマルセル(柚香光)が振付を担当することになった。マルセルは振付の経験がない上に、カトリーヌとも意見が合わず、稽古は難航する。そこへドイツ軍文化統制官のコンラート(輝月ゆうま)が副官のフリードリッヒ(永久輝せあ)や部下たちを引き連れて現れ、高圧的な態度でジャズの禁止とウィンナ・ワルツの上演を強制し…
 作・演出/小池修一郎、作曲・編曲/青木朝子、小澤時史、多田里紗。トップコンビの退団公演、一本立ての全2幕。

 マイ初日感想はこちら
 今読んでみると、やはりその後の組子の仕上げ力はすごくて、芝居もキャラも深まったと思うので、作品への私の評価はもう少し高いです。『エタボ』が私はダメだったこともあって(東京だまた観たら印象が変わるかもしれませんが…)、佳作とまでは言わないまでもきちんと及第点を取る出来に仕立ててくるイケコは、さすが腐っても大家だな、など思いました。ただ本当に腐っているなら問題なわけで、引き続きこのままスルーなの? 本当に?? ということは言い続けていきたいです。
 まったくの事実無根なので関わりを持つのも馬鹿らしい、とスルー…というポーズを取りたいキモチはわかりますが、叩けば誇りが出る身なのはもうみんなわかっているじゃないですか。自浄作用、働かせましょうよ…他にも作家、演出家はいるじゃないですか。違う演出の『エリザベート』も『モーツァルト!』も『ロミジュリ』もファンは観たがっていますよ、新機軸でまた客が呼べますよ? そうしないなんてどんだけ弱み握られてんの、と邪推もしようというものですよ。たとえ社長まで含めて乱交パーティーに及んでいたとかだったとしても、全部クビ切って出直してくださいよ…このままでもどうにかなると思っているらしい様子が、本当に絶望的です。みんなちょっとずつ観劇回数減らしてるんですよ? ジリ貧だよ、それでいいの…? ああ、OGになった卒業生たちがイケコと外部で仕事をすることがないよう祈ります。そこじゃないところでも仕事はできるんだよ…そういうことで姿勢を示していってほしい、と切に願います。
 その後私もいろいろ学習して、今は「ナチスはダメだけど国防軍はマシだった」みたいな言説は最近の研究では否定されていることや、ジャズは当時プロテストソングとして歌われてひどい弾圧も受けていたりしたので、こんな「隠れてやればいんじゃね? みんな喜ぶんじゃね??」みたいな安易な展開はありえなかろう、みたいなことを知っています。ただ、宝塚歌劇が何をどこまでやるか、という問題はあり、作中でも語られているように、まずはひとときの気晴らしを求められているようなところはあるから、事実に対してそんなに厳密ではなくていもいい…のかもしれません。ただ、作り手があからさまにそういう態度を見せるのはどうなんだ?とは思います。創作の作り手としてまずは歴史や史実をきちんと調べて、その上で取捨選択してこの形にしたのだ、くらいの言及はすべきであって、何も言わず、かつろくに調べもせずイメージだけでテキトーに作りました、みたいなのが見え透いちゃっちゃあダメなんだよ、とは思うのです。そこはちゃんと反省してほしいし、こんなの外国人には見せられない、外国には持っていけない代物だ、ということは劇団も意識しておいてほしいです。そういうレベルのものしか作れていないのだ、という自覚はちゃんと持っていてよね、とは心底思います…
 そして観客・ファン側も、その問題意識は持ちつつも、この枠の中で贔屓やスターたちを応援する…という芸能なんだ、ということに自覚的でなければならないでしょう。特殊だし、ある意味で正しくない。もっとできるはず、理想は高く持っていいはずなんです。それも、言い続けていきたいです。

 さて、そんなわけで、私は今はマルセルもカトリーヌも好きですね。
 マルセルは、初見で私があまり好印象を持たなかったというか、愛嬌がないキャラだなあと思ったのが正解で、トップスターがやるお役には珍しく、ダンスは天才的に上手いかもしれないけれど性格的に偏屈で孤高で人に合わせないし人好きがするタイプでもなく、自分の目的だけに邁進している、周りがちょっと扱いに困るタイプの男…なんですよね。それが、ジェラール(舞月なぎさ)たちの亡命によって振付を担当させられることになって、ひとりだけで好きなように踊っていればいいだけではなくなって…という変化が肝だったんだろうと思います。ただ、脚本が今ひとつ下手で、そう見えないんですけどね…ロベール(帆純まひろ)やアンヌ(凛乃しづか)が振付に関して云々言う台詞がありますが、あれが効いていないんですよね。マルセルが全体のために、舞台の出来のためにみんなに優しくなっていって、それでみんなも踊れるようになるしマルセルを中心に集まるようになるし、それでやっとレジスタンス活動にも誘われるようになる(つまりそれまではハブられていた)、というのが本来の流れなんだろうと思いますが、今、なんかそうは見えませんもんね。
 まあでも、そういうかたくなだったところから一回り人間的に大きく、優しくなるマルセルをれいちゃんは生き生きと演じていて、それがとてもいいなと思いました。カトリーヌとの恋愛の推移も、ナチュラルでとてもよかった。最後の、抱きついてきたカトリーヌをぐるりんとぶん回すところ、ホント面目躍如という感じがしました。良きお役で、よかったです。
 劇中劇の形でショーナンバーはありましたが、それでもれいちゃんとしては踊り足りなかったかと思います。でも『ビシャイ』でたくさん踊ったし、仕方ないのかなとも思います。フィナーレのソロダンスも、どちらかというとザッツ宝塚なポーズを決めていくばかりの振付だったかなと思いますが、それこそこういう踊りってもう観られなくなると思うので、堪能しました。外部ではダンスを活かした公演ってなかなかないものですが、ご卒業後も良き芸能活動をしていただきたいと思っています。
 私はファン歴のスタートがヤンさんだったこともあって、オサのあと、まとぶん、まゆたん、みりおちゃんを挟んで再び生え抜きの、いかにも花男らしい、ダンスに秀でた花組トップスターが出現してくれたことが本当に嬉しかったですし、ここまで見守れて、そして見送れて、本当に感慨無量でした。お疲れさまでした。

 カトリーヌも、可愛いだけのわかりやすいヒロインではなくて、頑固な職人気質なところがある、プロ意識の高い、ベテランになりかけなくらいのキャリアのある歌姫、という設定ですが、それこそまどかの仕上がりきったキャリアと経験からしたら難なく演じられるお役で、むしろ本当に今のまどかにちょうど良く、好きなキャラクターになりました。お衣装がどれも似合っていたのも素敵でした。
 本人はずっとそこまでではない、と思っていたようですが、クラシック歌曲もちゃんと歌える人だと私は思っているので、アデーレのアリアもヴィリアの歌もとても耳福でした。れいちゃんマルセルとの、アドリブもあったらしいやりとりも可愛らしかったし、新公では変更がありましたが、ドイツでひとりでちゃんとがんばるのもよかったです。
 フィナーレのデュエダンも本当に美しかった…! 私は華ちゃんが苦手で、特にデュエダンで懸命にカウント取って踊っているようなところがジュンナ以来だな…!とあきれるくらいにダメだったんですけれど、れいまどになってダンスが本当に伸びやかになって、観ていて気持ちがよかったです。OGミュージカルスター枠は飽和状態な気もするけれど、是非ゴリゴリ突入していっていい仕事をしてください!というキモチです。私のスマホの待ち受けはまどかです、娘役ちゃんの写真にしたのは初めてですよ…! 気に入っている写真でもあり、しばらくはこのままかな…お疲れさまでした。

 さて、マイ初日感想ではいい役だなあと思ったフリッツは、イヤむしろこのお役をひとこホント上手くやってるよね…!と思うようになりました。ドイツ軍にもいい人はいる、エンタメ好き、フランス贔屓の人はいる…ってのはいいんだけど、ホントちょっと無責任というか、ちゃんと考えて言ってる?ってところがあるし、異動はしても粛正も処刑もされないのって実家が太いの?って気にもなるし、なんかホントちょっと、かなり、微妙なキャラですよね…あとこれは完全にイケコのせいであり、おかしいと指摘し修正させない周りのせいなんだけれど、台詞の日本語がちょいちょいおかしいのも、言わされるひとこが本当に気の毒でした。でもこんな難役を、ありったけのキラッキラを投入してなんとか成立させているひとこが本当にすごい…!と改めて思いました。次期トップスター、まったく問題ないと思います。どうぞこの先いいお役、いい作品が当てられますように…!!
 そして私は星空ちゃんも苦手なんですけど、それでもアネット(星空美咲)の芝居も良くなっているのはちゃんとわかるので、こちらもこの先もなんの問題もないことでしょう、がんばれー!と思っています。
 ほのかイブ(聖乃あすか)は…役不足なようでもあるし、力不足であるようにも思えました。中に入ってみんなと絡むお役をやらせた方がよかった気もするし、こういう額縁役って儲け役になることもあるんだけれど、役自体にそこまでギミックがなかったこともあって、爪痕が残せていなかった気がします。新公では変更があり、まるくんは目立っていたかなと思ったんですけどね…
 あとはホントまゆぽんとあかちゃんが仕事しているだけで、ほってぃーはなこだいやらいとはひとからげのグループ芝居だし、びっくまいこつゆかちゃんあたりも頼もしいんだけどいつも似たような敵方をやらされているかなという気がします。娘役に至ってはみこたんにもみさこにも特に餞はないし、つーか糸ちゃんみょんちゃんあわちゃんと特に仕事もないし、なんだかなーという感じです。柴田先生ならこのあたりまでいいお役を書いてくれそうなんですけどねー…
 まあでも、ミュージック・ホールを存続させるためがんばる人々、を宝塚歌劇に重ねて、上手く胸アツに作ってあって、やはり水準にはあったかな、とは思います。悪役のドイツ帝国と組んでたんですけどね我が国は…という視点がないのは怖ろしいことですけれどね…


 東京新公は観られたので、以下簡単に印象を。
 担当演出は平松結有先生。ショーナンバーをカットしてコンパクトにまとめるだけでなく、不必要だったり不可解だったりしたイケコの台詞も細かくカットしていて、とても好感が持てました。逆に、星空ちゃんがやっていたからかもしれませんが、お衣装部さんとダンサーたちが協力して工夫している様子なんかの台詞が足されていて、単なる場つなぎではなく、そういうことを表現したい、という意志が感じられたのもよかったです。お若く新しい作家さんは大歓迎です、早くバウデビューが観てみたいものです!
 ラスト、手が足りないからというのもあるんでしょうけれど、出演者をほぼほぼパリ市民にして銀橋に出して「たゆたえども沈まず」を歌わせたのもGJでした。初舞台ロケット以来の銀橋という生徒も、これが最後の銀橋となる生徒もいることでしょうからね…そのあとフリッツだけが舞台を横切り、それで他にもドイツ兵たちは投降、退却していったのだろう、と思わせたのもうならされました。マルセルとカトリーヌは下手花道にはけるのではなく、舞台奥に向かって進んでいく形で幕、でそれも美しかったです。

 さて、マルセルは天城れいんくん。二度目の新公主演ですが、序盤はだいぶ緊張して見えましたね。ただ、そういう硬さや頑なさ、空回りギリギリの必死な様子が、「ああ、マルセルってこういう役だったんだな」と私には思えて、とても好感を持ちました。れいんくん自体にも、これまでも手堅く上手いけど私のツボじゃないかな、などと思っていたのですが、なんか今回すごくときめいてしまいました…ヤダ私にはらいとがいるのに…!(笑)声で識別できるので本公演ではドイツ兵にいることは知っていましたが、マイ楽にじっくり観てみたらなんかやさぐれた芝居をしていて、それにもちょっとキュンと来ました。華もあるし声にあたたかみがあって、いいですよね。大きく育てー!
 カトリーヌは七彩はづきちゃん、こちらも二度目の新公ヒロイン。私はなんか顔立ちというか持ち味がお姉さんっぽいというかおばさんっぽいというか(失礼!)、おちついているなと感じていて、こういう役の方がハマるのでは?と考えていたのですが、やはりだいぶ緊張して見えたし、けっこうやりあぐねているようにも見えたのが意外でした。本人的には可愛い役の方がやりやすいのかな…? あとは紫のワンピースが、ダーツの位置の問題もあるのかもしれないしそもそもそまどかのものだからサイズが合っていないのかもしれないけれど、胸の位置がすごく下に見えて、それこそおばさんっぽいぞー、ってのがすごく気になりました。もっと高い位置にキープする下着を着けてほしい…私は乳にはうるさいのです、すんません。
 フリッツは遼美来くん、ひとこよりさらにあっかるーいパワーで押して、この役を成立させている感じでした。でも好印象。歌も良かった!
 アネットも楽しみな新進歌上手娘役の花海凛ちゃん。歌は万全、お芝居もよかったです。ちょっと大柄に見えたかな? まあ痩せるのはこれからか…
 まるくんのイヴ(美空真瑠)は少年イヴ(真澄ゆかり)本人となっていて、劇中の立ち位置もちょいちょい本公演と変わっていて、単なる外野、額縁の狂言回しではなくなっていて、すごくよかったです。そしてまるくんはものすごくおちついていて、全体を掌握しているような感じがあって、それが新公全体をものすごく支えていた気がしました。
 でもMVPはコンラートの夏希真斗くんかな…本公演ロケットではセンターで圧をかましている男役さんですよね? いやーよかった、振りきってしっかりやっていました。
 鏡くんはペペ(鏡星珠)でしたが、勉強にはなるだろうけど起用としてちょっともったいない気もしました。これでご卒業のみこたんはマダム・フランソワーズ(愛蘭みこ)で、歌はちょっと力みが見られたけれど、ちゃんとマダムに作っていて感心しました。ああもったいない…!
 そしてみさこがハナコのポールをポーラ(美里玲菜)としてやっていて、これがよかった! お稽古場のピアニストはもちろん、レジスタンスにも参加していて、パンツにブーツでバリバリ踊るのがカッコいいったら! 男役が足りない、というのもあるのかもしれませんが、他にも娘役が数人レジスタンスに参加していて、そうだよね女性もいたはずだよね、荒事ではあるかもしれないけれど男性ばかりっておかしいよね…!と思う、とても良き改変でした。
 おっ、と思ったのがあかちゃんのジョルジュ(光稀れん)の光稀くんで、わりと抜擢に思えましたが、台詞もしっかりしているし、背格好も良さげだったので、磨かれていくといいなと思いました。
 娘役ちゃんたちはあとはホントやりようがないので…ドイツ軍人たちも、まあしっかりしていたけれど、特筆して何か、とかはなかったかな…
 雪『ベルばら』から大劇新公も復活するようですが、引き続きコロナもインフルその他も油断できないし、でもなんとか調整してやはり東西二度やれるといいよね、と思います。お稽古が重荷になりすぎることのないよう、その中でがんばってみていただきたいです。


 千秋楽も無事終わったようで、よかったです。れいちゃんの武士みたいなご挨拶も素敵でした。みなさん、まずはゆっくり休んでね…の気持ちです。
 そして『ドン・ジュアン』、楽しみです!!


※※※


 先日、雪『ベルばら』の集合日があり、主な配役についてはジャンヌ復活に期待するしかない!というところではありますが、そして退団者については覚悟していたようなところもあるのでここでは泣き言は述べませんが…ひまりー!(ToT) しかしせいみーはもったいないのではなかろうか…
 そして、集合日付けで一禾あおくんのご卒業が発表されました。
 本当に残念です。戻ってきてほしかったし、きちんと送り出してあげたかった…ファンには会えたのでしょうか? ご本人とご家族、ファンの方々が一番悲しいでしょうね…でもせめてここまで在籍してくれたのは、お姉さんの件が一応の決着を見るまでは、ということだったのかもしれません。そもそもこんな事件がなければ、もっとずっといてくれて活躍してくれたことでしょう。もちろんみんながみんな、いろんな形で夢を絶たれるものなのかもしれませんが…それでもこんなことがあっていいはずはなかったのです。申し訳ないし、無念です。これからのご多幸をお祈りしています。
 一応の決着、とは書きましたが、あくまで一応であり、何もなかったことにはできませんし、問題も山積しています。劇団からは何やらふわっとした進捗報告もありましたが、宙組公演も再開に向けて動いているので、事故のないよう、また不当な誹謗中傷を組子やファンが受けることのないよう、何より生徒始め関係者全員が健康で安全で幸福に舞台に関われる環境を作るよう、劇団と阪急には引き続き努めてもらわねばなりません。それは見守るし、できていないように見えるなら苦言を呈し続けたいし、だからこそ、あるいはそれでも、私は観劇を続けたいと思っています。宙組公演も友会が当たりましたしね…
 ブーイングしたり、生卵を投げつけるような観客が出ないことを祈ります。抗議したいことがあるんだとしても、劇場に持ち込むのは違うと思うので…最近、外部公演で客席から舞台に上がっちゃった人がいたりした事件もあったようですが、ホタル嬢のみならず警備員でも警官でも投入してしっかり見張らせて、まずは出演者をきちんと保護してほしいな、とも思います。手荷物検査でも本人確認でもなんでも、やるべきなのではないかしらん…ああ、心配。

 ひとこみさき大劇場お披露目公演の初日はずらさないのかしら?とずっと思っていたのですが、命日は月曜で休演日なんですね。来年以降、劇団がどうするつもりなのかも注視したいと思います。歌舞音曲禁止で、経営陣と各組幹部で墓参に行くくらいで当然だと思っています。
 改めて、どうぞ劇団関係者全員が、安全で健康で幸福に働けますよう、そしてファンも楽しく幸せに観劇できますよう、祈りたいですし、自分でもできることはがんばりたいと思っています。ファンはみんな多かれ少なかれ悩みながら、迷いながら、客席に座っていることでしょう。意見の違いはいろいろあるのかもしれませんが、なるべく穏便に、前向きに、やっていきたいものです…










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ミン・ジン・リー『パチンコ』(文春文庫上下巻)

2024年05月26日 | 乱読記/書名は行
 日韓併合下の釜山沖の小さな島、影島。下宿屋の娘、キム・ソンジャは粋な仲買人のコ・ハンスと出会い、恋に落ちて身籠もるが、実はハンスには妻子がいた。妊娠を恥じる彼女に牧師のイサクが手を差し伸べ、ふたりはイサクの兄が住む大阪の鶴橋へ。しかし過酷な日々が待ち受けていた…国家と歴史に翻弄されながらも生き抜く家族の姿を描いた、比類なき最高傑作。

 作家はソウル生まれではあるものの、1976年に家族でニューヨークに移住して、イエール大学、ジョージタウン大学ロースクールを経て弁護士となった人だそうで、この作品は大学在学中に構想され、東京在住中の取材に基づいて草稿を破棄し、2017年に刊行されたものだそうです。韓国風にいうとイ・ミンジンさんなのかな? おそらく英語で書かれたものなのでしょう。Apple TV+でドラマ化され、アメリカの放送映画批評家協会賞を受賞しているそうです。韓国でも翻訳されているのでしょうか? 「在日コリアン一家の四世代にわたる年代記」で、韓国に朝ドラがあるならそのいい原作になりそう、とかも思いました。そういう物語です。ものすごくおもしろく読みました。
 ソンジャが主人公とされているけれど、特にそういうことはないのではないかしらん…また、これではたしてオチなのだろうか?とも思ったかな。家族の血脈は続いていくので…ただ、彼女の孫息子のソロモンが父のあとを継いでパチンコ店経営の仕事に就くと決めたこと、自死した息子ノアが失踪中も父親の墓参りを欠かさなかったことを彼女が知ったことで、一応ひとつの区切りにはなったのかもしれないな、とは思いました。
 作品とはあまり関係ないようですが、パチンコっておそらく日本でガラパゴス的に進化したギャンブルなのではないでしょうか? 韓国始め外国ではあまりウケないギャンブルなのでは…というか、ものすごく日本人向きっぽいギャンブルだと思います。自分対、台。でも自分の部屋でひとりでやるゲームとかではなくて、わざわざ店に来て、大勢の中で、喧噪の中で、孤独にやるゲーム。音や光に中毒している。ポーカーとかの、周りとのコミュニケーションや戦略が要るようなゲームとは違う。求道的ですらある…日本人が好きなのがわかる気がします。やったことないのでイメージだけで語っていますが…で、卑賤な職業、業界とされていて、それで在日韓国人に押しつけてきた部分があるのでしょうね。
 アメリカと戦争して負けたことすら知らない若者も多い今の日本で、朝鮮半島を併合していたことなんかまして知られていないのでしょうが、朝鮮人からしたら忘れることなどありえない近くも近い歴史、現代と直結した歴史なわけです。正しい言い方ではないかもしれませんが、改めて勉強になりましたし、読んでいて、差別とかいじめとかの在り方が「ああ、ホント、日本人がいかにもしそう…」って感じで的確に描かれていて、とてもわかりやすかったです。それが今では日本人内にも持ち込まれていて内ゲバ化しているわけですが、それはまた別の話です。
 あとはそういうことは抜きにしても、家族の年代記ものとして本当におもしろく読めました。花は私には不可解すぎて、物語の中でもどういう意味があるのかな、とかは思いましたけど…また、病名を明かさないのは別の差別では、とかも思いましたが、まあ些細なことです。
 私はもちろんキム・チャンホが好きでしたよ…生きていきくれるといいな、今はもういくつになるのかしら…今年の夏、久々にソウルに旅行する予定です。楽しみです。







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『舞台 サイボーグ009』

2024年05月25日 | 観劇記/タイトルさ行
 日本青年館ホール、2024年5月21日17時。

 世界中に戦争を引き起こし、兵器を売りつける謎の組織「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」に誘拐され、最強の兵士=サイボーグに改造されてしまった少年・島村ジョー(七海ひろき)。世界各地から集められ、同じように改造された8人のサイボーグ戦士たちとともに反旗を翻し、襲い来る刺客たちに立ち向かう…
 原作/石ノ森章太郎、演出/植木豪、脚本/亀田真二郎。誕生から60周年を迎える漫画を原作にした90分のステージ。

 1968年、79年、2001年にテレビアニメ化されていて、私は79年の「新アニメ」(当時そう呼ばれていた記憶…)を見て育った子供の世代です。でも今回のクリエイターやキャストたちは、01年版を見て育ったような世代なのねねねね…
 原作漫画も、学童保育で通っていた子供会館の図書館とかで読んでいたと思います。記憶ナシ、自分で買って持っていたことはナシ。アニメの「♪吹き荒ぶ風がよく似合う9人の戦士と…」という主題歌は未だに歌えますが、細かい内容はまったく覚えていません。
 でも、9人のナンバーとフルネームと人種・国籍と特殊能力は未だにソラで全部言えます。今考えるとステロタイプだし、偏見や差別がありまくりだと言われても仕方がないかと思いますが、当時の私はこれでお国柄というものを学習したのです。今考えるに多用性表現の走りとも言えるかもしれないし、世界のあちこちで戦争や紛争を起こして儲ける武器商人の組織が、そのために各国の若者を誘拐してサイボーグに改造して兵士として送り込む…というのはある種の説得力がある設定だと思います。そしてそれでも人の心を失わなかったゼロゼロナンバーの9人が組織に反旗を翻し、世界平和のために組織と戦う…というのは説得力ありすぎの胸アツ設定だ、と改めて思いました。
 ただ、なんで揃いの制服(?)着てるんねん、とか(イヤなんか強化素材の云々…って設定はあったかも)、やはり物理的、科学的に考えて不可能すぎる特殊能力とかもあるので、現代に真面目にリメイクするのは無理があるとは思います。なので舞台、しかもミュージカル化というのはどんぴしゃの転換だと思いました。舞台って、その場で生身の役者が演じているのに、というかだからこそかかる魔法があるというか、リアルとは別次元のファンタジー感が生まれるものだと私は考えているので、こういう題材にものすごく合うと思うんですよね。そしてそのパフォーマンスを通して原作のテーマやメッセージがより深く遠く届けられる…
 というわけでかいちゃんだしはるこだし、イワン(天華えま)の声はぴーちゃんだしで、喜び勇んではるこのお席で拝見しました! 植木さんは観たことはないけど名前は知っていましたしね。『ヒプノシスマイク』の人なんですね、これまた名前しか知りませんが…キャストも多くはこの関連の方のようでした。2.5っぽいってことかな?など思いつつ、それもまた新鮮だし楽しいだろう!とワクテカでした。
 しかしこの公演日程はなんなんだ、子役が出ているわけでもないのにソワレが17時開演とは…? 上演時間90分なんだから、平日ソワレは19時半開演でもいいくらいで、勤め人にもう少し優しくしてくれてもいいのよ?とは思いました。ただ配信が非常に手厚く、SNS告知なども活発で、後半はチケットが無事に完売して当日券のみとなったようなので、それは興行として本当によかったな、と思います。
 ノー予習でもまったく問題ない構成はさすがでした。キャラ紹介みたいなオープニングはあるだろう、とは思っていましたが、それをやったのちにさらにそれぞれがどんな生い立ちの人でどんな状況で改造されたかまで、しっかり語られる親切設計。これは各キャラの濃いファンも嬉しいでしょう。
 ストーリーはジョーの少年院時代の友人で、やはり改造されてしまったシキ(滝澤諒)とリク(相澤莉多)のプラスとマイナスの兄弟を巡る物語で、これは原作だかアニメだかでも人気エピソードだったはずです。ある意味でシンプルなお話を、アクロバティックなアクションや、戦闘・バトルを表現するダンス、それぞれの特殊能力を演出してみせる映像や照明その他いろいろを駆使しまくったパフォーマンスでつないで観せていき飽きさせない、とてもよくできた構成になっていたと思いました。純粋に圧倒されたし興奮しました。サーカスみ、アトラクションみが強く、ドラマが薄いと言われればそれはそうなんだけれど、あえてそう舵を切って作っている舞台なんだと思います。というか真面目なリメイクが苦しい題材なので、真面目なストプレとかには向かないんだから、この作りで正しいと思いました。
 イヤしかしホントすごかったなー! 殺陣とかって、斬られ役が上手いからこそカッコ良くキマる、みたいなのがあるじゃないですか。まさにソレでした。細かいプロフィールがプログラムにないのが実にもったいない、BG SOLDIERSのみなさんが、身体能力もスキルも素晴らしくて(残念ながら台詞は滑舌含めてやや怪しく、籠もって聞こえづらいことが多くて、そこは純正の?俳優さんたちはさすがスキルがあるんだな、と痛感しましたが…)とにかく圧巻! この盛り上げがなければ成立しないステージでした。
 対するゼロゼロナンバーのみなさんもホント芸達者揃いで、ちゃんとそのキャラになってくれているのはもちろん、歌やダンスやパフォーマンスも良くて、いずれも素晴らしかったです。ジェット(高橋駿一)のいかにもアメリカンでちょっとイキっててでも本当は気遣いもできるところ、アルベルト(里中将道)のクールでニヒルなようでいて本当は優しいところ、ジェロニモ(桜庭大翔)の気は優しくて力持ちな感じの大男っぷり、張々湖(酒井敏也)とグレート・ブリテン(川原一馬)のおじさん漫才コンビっぷり、ピュンマ(Toyotaka)の寡黙で、でも熱いところ…もうきゅんきゅんでした。特にグレート・ブリテン(ホントどうなのこの名前、ってな感じではあるのですが…)はよかったなあぁ! 原作ではチーム最年長でそういう意味でのリーダーでありつつも、いつも飄々としていておちゃらけていてムードメイカーで…っていう感じのキャラだったかと思うのですが、そこまで歳がいっていないだろうにそういう年長感が出ていたし、なんせ歌が上手かったし、プログラムの写真で常にウィンクしているようなところがホントそのまんま!って感じでたぎりました。酒井さんがダンスとなるとイワン人形を抱いてカウント取るだけになるのもよかった(笑)。イヤいいんですよ、感じがよく出ていました。
 ギルモア博士(大高洋夫)はだいぶダンディになっていましたが、別にヘンに胴布団をつけすぎなくてもいいわけで、これもちょうどよかったと思いました。
 そしてはるこフランソワーズ(音波みのり)ですよ! OG実はなんでもできる説もありますが、こういうゴリゴリのダンスもできるのねキレッキレじゃないのアナタ!という驚きがすごかったし、ポーズの決めや立ち姿、佇まいの美しさがさすがだし、歌も現役時代より良くなっていたし(むしろ作曲的に謎のメロディラインで、歌いづらそうで聞きづらかった気がしました…)、何より可愛いし、芝居がいい…! 役作りが大正解すぎました。
 フランソワーズって、紅一点だしパリジェンヌだけど、モモレンジャーみたいなチームのアイドルとかでは全然ないんですよね。むしろクールで冷静でとてもクレバーな人で、イワンが立てた戦略に対して特殊能力を駆使して戦術を立てるような、もうひとりのチームの頭脳であり現場指揮官でありみんなのリーダーでもあるのです。そして改造されたことをとても悲しんでいて、戦うことにずっと忌避感を持ち続けている…他のみんなが多かれ少なかれこの状態を受け入れ、なかば前向きに戦っている中での彼女のこの姿勢は、別に女性ならではの優しさとや弱さとか女々しさとはされていなくて、あくまで彼女の人間としての個性であり、むしろ知性の表れなのだ、とされているのです。男の子って幼稚でおバカさんで女の子の方が聡明でオトナ、というのが原作ないし当時のアニメにあったことは私はものすごく覚えていて(記憶の捏造だったらすみません)、石森正太郎(当時)ってそういう作家だったと思っていますし、そんな作家が単なる添え物のヒロインではなく、確固たるメンバーのひとりとして描いたフランソワーズを、はるこが凜々しく美しく体現してくれたことに、私は本当に感動したのでした。はることよかったよはるこ、さすが俺たちのはるこだよ…てか卒業後もこんなに芸能活動をやってくれるとは思っていなかったので、本当に嬉しいです…!
 そしてそして、もちのろんでかいちゃんジョーの素晴らしさですよ!
 ジョーは最後に改造されたので、ブラック・ゴースト側の科学力も上がっていて一番高性能、という設定なんですけれど、最後に改造されたのでみんなと比べると状況・状態を理解できていなくて、受け入れられていない。そしてその違和感や悲しさ、寂しさをずっと持ち続けている、ものすごく人間臭いヒーローなんです。ポーの一族でずっと人間に戻りたがっていたエドガーと同じなんです。恐るべし89期! アカレンジャーとかの王道タイプではない、明るくまっすぐでマッチョなヒーローではない。この造形が、原作の丸っこい絵柄もあって、それこそ腐女子の走りのような女性ファンのハートを当時つかんだんだと思います。それを体現するのに、七海ひろき以上の存在がありますか? いやナイ。即答でしょう!
 髪型が完璧だし、黄色いマフラーのたなびかせ方すら完璧だし、アンニュイだけど清々しい立ち姿とかたまらなかったですし、もちろん歌もダンスもアクションもこなすし…いやもう素晴らしい座長っぷりだったと思います。こういう企画ってどこから、何ありきで立ち上がっていくものなのか、私は素人なので皆目わかりませんが、この世界にかいちゃんがいてくれてかった…!と拝みたいレベルです。彼女が卒業後に切り開いてきた道は、本当に本当にすごいし尊いものだと思います…!!
 パレード、じゃないかラインナップ前に再度キャラというかキャスト紹介がある中で、フランソワーズだけジョーとのデュエダンになってるの、ホントたまりませんでした。いいのココはホントにカップルだから。てかここのかいちゃんジョーの優しい眼差しにキュンとしない女子、います…!?
 はー、楽しかった、おもしろかった、よくできていた。私は全然観られていませんが、2.5次元舞台もおそらく玉石混淆なのでしょう。でも、いいものはいいんだと思います、あたりまえのことのようですが。観られてよかった、制作してもらえてよかった…! アラ還おっさんがノスタルジーだけで作るようなこのあたりの年代の作品のリバイバルものとは、一線を画していたと思います。作るならちゃんと作るべき、これもあたりまえですよね。こういう作品はノンバーバルというか、海外にも輸出していけるんじゃないのかなあ…やはりこのあたりのコンテンツって日本の最大の利点のひとつでしょう。国が沈みきる前に、何か展望があるといいな、と切に願います。



 



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