駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

萩尾望都『王妃マルゴ』(集英社愛蔵版コミックス全8巻)

2020年02月29日 | 乱読記/書名あ行
 16世紀フランス。素敵な王子さまとの結婚を夢見る美しい王女・マルゴ。宗教対立が激化する中、マルゴの運命は翻弄され…恋愛、結婚の秘密に分け入る作者初の歴史劇。

 最近観た『メアリ・スチュアート』とか、もっと言えば『SANCTUARY』の世界ですよね。愛とセックスと政治と戦争のめまぐるしい物語でした。
 マルゴと三人のアンリ、すなわちギーズ公と次兄アンジュー公とナヴァル王の物語…というような提示も序盤にはあったのですが、そして確かにそれぞれと深く愛と憎悪の確執が描かれたのですが、少女漫画としてはアンジュー公はともかくギーズ公ないしナヴァル王とのラブロマンスにもっと振ってもよかったのではないかなあ、と思います。ギーズ公なら、結婚できなかったけれど初恋の人としてずっとずっと好きで、いろいろ事情があって引き裂かれ翻弄されたカップルだったけれど確かに愛はあったのだ…という悲劇にしてもいいし、ナヴァル王なら、最後は離婚に終わってしまったけれど確かに愛はあったしこれまた運命に翻弄されたカップルだったのだ…ということにしてもいい。要するにロマンチック・ラブ・イデオロギーを貫いた方が据わりがよかったと思うんですけれど、そういう意向はなかったようですね。わりと淡々と描いているというか、みんな勝手にあちこち恋愛するしフラフラするししょうもない浮気をする。「これこそが真実の愛!」みたいなのがない。そういう意味ではオトナな作品に仕上がっていますが、物語の芯がないとも言えるかなーと感じました。単なる歴史絵巻になってしまいますからね。
 もちろん、ストーリーは複雑な史実をよく描きほぐし、虚実入り乱れながらドラマチックに紡がれているのですが、結局物語で大事なのって主人公の感情とその生き様だと思うので。マルゴ自身が何かを貫いたとか達成したとかの描き方にはなっていなくて、流されつつも命長らえた、というだけの終わり方になっちゃっているように見えるから、ちょっと弱いなと思うのかもしれません。
 とはいえ下手したら何百人という登場人物をきちんと描き分けているのがすごいし(少女漫画家では実はこれができる人は少ないですよね)、コミックスの紙がいいせいもあるのですがベタが綺麗で、抑制された端正なトーンワークと生き生きした描線が白と黒の美しさで見せる漫画本来の力を発揮していて素晴らしい。コマ割りもコマの中の構図も抜群に読みやすく、ベテラン作家によくあるようにフキダシが小さくなりすぎたりもしていない。漫画として抜群に読みやすいのが素晴らしいのです。基本的なことを今でもきっちりやっているだけと言えば言えるのですが、どんどん崩れていくベテランが多い中でこれはすごいことです。たくさんの資料にあたっているらしい、当時の服飾や城郭の描写なども素晴らしいです。
 一点気になったのは、こんなにデッサンもしっかりしているし過去にはバレエ観劇にはまってバレエをモチーフにした作品もたくさん描いていて人間の肉体をそれこそ完璧に描いてきたこの作家が、マルゴの下半身、つまりお腹とか腰とか脚の付け根あたりを描くときだけデッサンがちょっと狂っていて、そしてマルゴのセックスへの執着というか感覚というかの描写もなんかちょっとヘンに思えることです。ものすごく処女の妄想っぽい…それも古い…ここがとにかく不思議で奇妙でした。
 でもこれで作者は『ポーの一族』の連載に集中できるのかな。これもベテランにありがちな残念な二番煎じになっていないのが素晴らしく、続きを待ち望んでいます。あとホントにスーパー歌舞伎になればいいのにのと思っている…新シリーズが楽しみです!


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凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社)

2020年02月29日 | 乱読記/書名や・ら・わ行
 再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した傑作小説。

 あらすじはいつもカバーとか帯とかから流用しているのですが、なんかよくわからない説明文ですねコレ…でも他に特に内容がわかる宣伝文句がないのです。そして私は何故これでこの本をジャケ買いできたのだろう…不思議…
 もともとBL作家さんだそうですが、非情に繊細でていねいな筆致で、関係性を描くことに注力している印象なので、さもありなんと思いました。
 簡単に言ってしまうと、いっぷう変わった両親の元でのびのび育った少女が、親を失い、養い親の家にはなじめず、性的虐待を受けて、公園で出会った青年の家に庇護されて…という物語です。昨今の似たケースの犯罪事件なんかを嫌でも想起しますが、それを奨励したり憧れさせるような描き方はしていないとは思いました。
 でも、やはりこれはファンタジーだと思いました。こういうケースももちろんあるかもしれないしそれで彼らは幸せなのかもしれないけれど、それはあくまでとてもまれな可能性でしかないし、ヒロインにはもっと選択肢があったのではないか、もっと別のチャンスがあったのではないか…と私は思ってしまうのです。まあまあ安全に育ってこられた者の傲慢さなのかもしれませんが。でもこんなにも閉じていってしまうことが、私にはやはりあまり幸せなことには思えないし、逃避にすぎないとも思えてしまうのです。そして相手の青年の設定は、いかにも嘘くさいと私は思ってしまうのでした。
 でも、やはり、物語なので、そうとしか生きられなかった人々、それで幸せな人々を描いてみせることにも意義があるのだろうとは思います。もちろん読後感は決して悪くありませんでした。というかとてもきちんと書かれた小説だと思いました。ヘンなバズり方はしなくていいけれど、もっと何かで話題になってもいい本なのではないかなーとも思いました。いい出会いをしました。


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metro『少女仮面』

2020年02月23日 | 観劇記/タイトルさ行
 テアトルBON BON、2020年2月21日19時半。

 宝塚の大スター「春日野八千代」(月船さらら)が潜む地下の喫茶店。ヅカ・ガールを目指すひとりの少女によって虚飾の世界は揺らぎ始める。嵐が丘と満州の曠野が重なるとき、「春日野」の仮面が崩れ落ちる…
 演出/天願大介、台本/唐十郎、舞台美術/加藤ちか。1969年初演、全一幕。

 先日シアタートラムで観た『少女仮面』の感想はこちら
 というわけで細かい演出はもちろん違うものの同じ戯曲だったことはわかったわけですが、何故か今回は全然、意味が、わからなかったのです…!
 老婆(村中玲子)が少女趣味の服装をして少女漫画誌を持ち歩いているのや、ボーイ主任(若松力)が指に包帯をしているのなんかが同じだったので、ト書きに指定されているものなのかな、とかの発見はあって、そういうのは楽しくはあったのですが…なんか全体に、全然わからなかったのです。舞台が小さくて役者の圧が強く、よりアングラ感はあったかもしれません。
 私はこの作品は要するに、スターとしての自分とか役としての自分に疲れてしまった役者が、ただの自分を取り戻したがる話、要するにキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」という話なのかな、と前回観たときには思えて、その悲しさとか虚しさにわりと感動したんですけれど…なんか今回はそういう「理解」が訪れませんでした。
 ああ『嵐が丘』のヒースと満州の荒野が重ねられているのだな、というのは今回初めて気づいたんですけれど、それとても、「でもなんで『嵐が丘』なんだろう、そもそも宝塚オリジナル作品じゃないしな…所詮世間の認識はその程度なのかな…」とか思えてしまって…
 前回は貝(熊坂理恵子)が役者として春日野を逆転するようなところから俄然おもしろく感じ出した記憶があるのですが、今回はそんなふうに見えなかった気も…
 ただ、さららんの春日野はやはりおもしろく感じました。宝塚OGがこの役を演じるのは初めてだそうですね。やはりジェンヌが、まあOGですが、とにかくジェンヌがジェンヌをあえて「演じる」ときの過剰な本物感はそりゃものすごかったです。そうそう、演出として、さららんの春日野は宝塚メイクで登場しました。若村麻由美は単に化粧がやや濃いめなだけの、舞台メイクとも言えない程度のものだったかと思います。
 あいかわらず綺麗でいい声で、全然老けてないなー変わってないなー、という印象。そしてもちろん芝居はちゃんとしている。それでも全体としてこの役が、この作品が私にはよくわからないままで終わってしまった…ううーむ。
 前半やたら客席から沸いていた笑いが後半全然起きなかったのも印象的でした。私はこんなにシュールで不条理な世界観の中で人が転んだだけで笑うような客席の方をけっこう疑問に感じたのですが、後半静かだったのは笑うところがなかったというより、さらに世界が不条理になっていってついていけなかったんじゃないか、と思いました…が、私が慣れ親しんだ客層より全然男性が多くしかもおじさんが多い客席だったので、アングラにくわしい層だったのかもしれません。ではウケていたのかな…よくわかりません。
 そしてどうでもいいことではあるのだけれど、あれは付け乳だったのかな…やたら豊満でしたが。イヤどうでもいいの、その前から私は、胸元にブラウスのフリルがあってウェストで絞られたベストを着けていても胸が豊かなことがよくわかる春日野だなあと感心していて、それがいいなと思っていたんですよね。春日野は現役ではないから(それとも死ぬまで生徒だったんでしたっけ?)、ないし昔の男役はオフでは普通にスカートを履いていたりもしたからか、胸をつぶしたりもしていなかったはずなので、正しい描写だしそれこそ春日野の「肉体」を感じていいな、と思ったんですよね。その象徴的なシーンではありました。あえて見せるのは露悪的だとも思いましたが、生だったのならそれはそれでごちそうさまでした。
 でもやっぱり、作品が全然わからなかったことの方が衝撃でした…しょぼん。



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宝塚歌劇月組『赤と黒』

2020年02月23日 | 観劇記/タイトルあ行
 御園座、2020年2月18日12時、16時半。

 ナポレオンが没し、再び王政復古となったころのフランス。フランス東南部フラッシュコンテの小都市ヴェリエールに貧しい製材業の息子として生まれたジュリアン・ソレル(珠城りょう)は、繊細な神経と聡明な資質と強い自尊心を備えた美しい青年であった。彼は立身出世をし、富と名声を手に入れることを生涯の目的としていた。司祭のシェラン(颯希有翔)についてラテン語を学び、神学生になる準備をしていたジュリアンに目をつけたのは、町長のレナール氏(輝月ゆうま)だった。彼は助役のヴァルノ氏(千海華蘭)と何かにつけて競い合っていて、息子たちの家庭教師としてジュリアンを迎え入れ、息子たちにラテン語を学ばせてヴァルノ氏に差をつけようとしたのだ。ジュリアンの親友フーケ(月城かなと)は一緒に商売をしようと誘うが、上流階級への糸口をみつけたジュリアンはそれには応じず…
 脚本/柴田侑宏、演出/中村暁、作曲・編曲/吉田優子、寺田瀧雄。1975年月組初演、1989年には月組バウホール公演で再演、2008年には星組で上演されたミュージカル・ロマン。
 生では観たことがなくて、トウあすチエねね版を以前スカステで観たことがあるだけでした。そのときも、いい芝居だけどいかにも役が少ないなあ、と思ったものでした。なので御園座公演に決まったときには、地方公演にショーとの二本立てを持っていかないなんてダメすぎるし、今の月組に組の半分とはいえ役不足すぎるし、だいたい珠城さんてジュリアンってタイプじゃなくない? ちなつの公演と逆にしたら? てかそもそも3番手か4番手スターの若手バウ初主演とか向きの演目なのでは…といろいろ心配したものでした。
 ま、観てみたら、未だアナクロには堕ちないギリギリの古式ゆかしいクラシカルな柴田ロマンで、ザッツ・タカラヅカで、スローな展開ながら登場人物が少ないのでストーリーや心情把握はしやすく宝塚歌劇を初めて観るような観客には向いているだろうし、新調されたゴージャスなフィナーレがついていたので、いろいろ配慮はされているのかな、とは思い直しました。
 劇場も素敵で、アクセスが良く、1階の売店が素晴らしく、ロビーもまあまあで、トイレは私は使用しませんでしたがスタッフのホスピタリティ含め評判は上々でしたね。1階席の床の傾斜はゆるやかで、センターブロックが千鳥配席になっていないので、前方席だとかえって見づらかったかもしれませんね。私はサブセンと端ブロックでの観劇だったので、斜めに視界がよく開けて、ストレスはまったくなく、コンパクトで観やすい劇場に感じました。2階席はどんな感じだったんでしょう…
 なんにせよ、通が5回も10回も通うのはさすがにしんどい演目だと思われ(とはいえ贔屓が出演していたら行かざるをえないのでしょうが、それでも減らすよね…)、入りが悪いと言われても「そりゃそうだろ」としか言えません。柴田作品の再演は続けていく意義があるとは思うんだけれど、座組含めもう少し考えてほしいなあ、とはやはり思うのでした。

 さて、しかし珠城さんジュリアンは素敵でした。もちろんもはや役不足くらいではあるんだけれど、自意識が強くプライドが高く思い込みが激しく被害妄想も激しくて、ときにとても卑屈な、若く美しいけれど滑稽にも見えることがある聡明だけれど愚かな若者、という像をきちんと演じてくれていました。その滑稽さでちゃんと客席から笑いを誘っていて、でも単に「しょーもないなー」とか思わせず、チャーミングだな、破滅するんだろうけど応援してあげたいなー、と思わせられる芝居をやってのけてくれました。「こう見えて」(本人談)熱くディープなラブシーンを多々やってきた珠城さんですが、今回もとてもいい感じに「キャー! ヒュー!!」とさせてくれました。先行画像が出たときにはみんなが「どうしたオイ」となった髪型もスッキリし、良きジュリアンだったと思います。
 人はなんのために生きるのか、それは幸せになるためだ…というのが物語のテーマですが、メインの三人、つまりジュリアンとルイーズ(美園さくら)とマチルド(天紫珠李)はいずれも、一瞬の幸せは得ますが滅んで終わります。ジュリアンは、やっと愛と幸せを知って、栄達はならなかったけれどある意味満足して死んでいくのでしょうから、いいと言えばいいのでしょう。とても男性っぽいですよね。そしてルイーズは当人も言っているように、この数日後に心労で病没してしまうのでしょう。それか、さらに田舎に引っ込んで幽霊のようにして生きながらえるか…子供のためにまた良き家庭婦人として社会復帰する、というのは難しいのではないかしらん。それほど情熱的な女性だったのだと思います。対してマチルドは、自分の決断に酔ってジュリアンの首を葬り子供を産み、その子は父なり兄なりが乳母などに養育させるのでしょうがマチルド自身は何もせず、しかし社交界の女王の座は追われ、何もすることがなくなったときにさすがにふと、虚しさに襲われるのではないでしょうか。実は人は愛の思い出だけでは生きていけないものだ、と私は思うからです。しかもマチルドはまだ若い。憧れの先祖のように若くして死ねなかった彼女の後半生こそ、惨めで悲しいものになることでしょう。結局泣かされるのは女なのです。ひどいわスタンダール…
 でも、そんな、現代ではほぼ成立しえない愛と破滅の物語を、がっつり舞台で見せてくれることが、そして観客の心情は沿わせてかつある種のカタルシスに導いてくれることが、優れた演劇のひとつの効用だと思うのです。良き作品、良き主役でした。
 でもさくさくルイーズは…あすかがすごくよかった印象があって、それ以上ではない気が私はしたなー、さくさく好きなのに残念だったなー。何が悪かったとかではないんですけれど…公演後半だとまた違っていたのかもしれません。とにかくとおりいっぺんに見えた気がしました。
 そしてじゅりちゃんマチルドも、なんせ私はねねちゃんのベスト・アクトでは?と思っているくらいねねマチルドのケンケン才走ったこじらせ具合とかが大好きだったので、やはりそれを越えてこなかったかなーという印象でした。寝室でのガウンがレベルダウンしていたのも残念…そういうところはケチらなくていいんですよ劇団…(ToT)
 れいこちゃんはよかった! 二役ともよかった! カナメさん版ではフーケがユリちゃんでコラゾフはノンちゃんだったんですね、二役になったのはチエちゃんから。フーケはニンだし今の珠城さん大好きわんこれいこちゃんの素も見えていい感じでしたし、この役の意味をちゃんと体現していました。でも役不足だったけどね、れいこちゃんはもっと複雑な役にも心理描写にも出番数にも耐えられますからね。コラゾフの恋愛達人っぷりもなんせ美貌の説得力がすごいわけで、立ち居振る舞いもちゃんとフーケと変わっていてよかったです。プロローグやフィナーレも鮮やかでした。
 からんちゃんの嫌みったらしさの上手さ、まゆぽんのしょーもない感じの上手さもたまりませんでしたし、絶品だったのははーちゃんのデルヴィール夫人(晴音アキ)でした。ルイーズの「学校時代のお友達」で、おそらくともに貴族の令嬢で親の言うままに初恋も知らず嫁がされ子をなし、でもパリの社交界のご婦人方のように恋愛ゲームを楽しむような気質でもなくて、でも今の生活や人生に満足しているわけでもない、聡明な女性。「娘時代と変わらない」ルイーズを案じ、なんならユリユリしい友情を少し越えた情愛を注いでもいる女友達…という感じの漂わせ方が抜群に上手くて、上級生娘役として一段上がったなと感心しました。このところしっかりタイプのアネゴをやらされがちでしたからね。脇の娘役で言えば結愛かれんも絶品で、鞘当てに使われるフェルヴァック元帥夫人での色っぽさもさることながら、フィナーレのダンスのシャープさ上手さコケティッシュさんがたまりませんでした! ホント芝居いいのでもっと起用されてほしい!! タイプじゃないと思われそうだけど、マチルドも観てみたかったです。
 若手男役ではマチルドの兄ノルベール伯爵(夢奈瑠音)のるねっこ、宮廷一の貴公子クロワズノワ侯爵(蓮つかさ)が出番が少ないながら大健闘していて、それぞれ単に美しいだけでなく宮廷貴族のスノッブさをちゃんと演じていて、作品世界を彩っていました。ラ・ジュマート男爵(礼華はる)のぱるも『IAFA』新公リチャードを経てスイッチが入ったか、垢抜けてきていてプロローグは目を惹きましたし、仲間内のいじられ役をとても上手く演じていたと思いました。あと一息下半身が痩せればもっとシュッとなるのになー。
 あとは、私はおはねちゃんよりは羽音ちゃんの方が味があるなと思いました。
 ひろさん、ハッチさんの素晴らしさは言わずもがな。サン=ジャン(大楠てら)の大楠くんはもう少し何かアピールできるとよかったかなー、フーケから小遣いをせしめる門番(瑠皇りあ)のるおりあは儲け役だったかもしれません。看守(甲海夏帆)の甲海くんもなんとなく好感を持ちました。
 あ、レナール家三兄弟はみんな可愛くてよかったです! フィナーレのデュエダンのカゲソロの咲彩いちごもよかった、こういう起用は大事です! エトワールの白河りりも!!

 一新されたフィナーレも盛りだくさんでよかったです。ただ、珠城さんのソロダンスはおはりちなっちゃんに軍配が上がったかな…(^^;)お芝居総浚いみたいなデュエットダンスが素敵でした。娘役の吐息みたいなカゲコーラスも、いかにも柴田作品でよかったです。
 
 次の本公演ポスターもなかなか素敵でしたし、ますます期待が高まる組です!



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ヨルン・リーエル・ホルスト『カタリーナ・コード』(小学館文庫)

2020年02月19日 | 乱読記/書名か行
 ラルヴィク警察の警部ヴィリアム・ヴィスティングが失踪したカタリーナ・ハウゲンの行方を追い始めて、24年がたっていた。事件が起きた10月10日、今年もヴィスティングはカタリーナの夫マッティン・ハウゲンを訪ねたが、彼は留守だった。異例のことだった。翌日、国歌犯罪捜査局のアドリアン・スティレルが来訪する。スティレルはカタリーナ事件の2年前に起きたナディア・クローグ誘拐事件を殺人事件と見なして再捜査を始め、その被疑者としてマッティンの名を挙げたのだ…英訳された北欧ミステリに与えられる最高賞「ペトローナ賞」2019年受賞作。

 500ページ近くある文庫で、流行りの北欧ミステリで、楽しくねちねち読んだのですが、近年まれに見る「えっ、これだけ!?」というオチに悪い意味で驚倒したので、書き付けておきます。
 普通、もっとあるじゃないですか、ドラマが。別に「どんでん返しのケレンに頼らな」くても、小説なんだから、なんかもっとあってよくない? これだけネタ揃えていて?
 たとえば、このお膳立てなら普通、ヴィスティングと娘リーネやその兄との確執とか、何か家族のドラマを読者は期待しませんかね? 何もないのに主人公が定年間際で娘がシングルマザーで記者の仕事に復帰しかけたところで…とかの設定、要ります?
 スティレルにも、別に実は彼が真犯人だった!みたいなことまでは望まないけれど、もっとなんかワケありな感じでずっと描かれてきたじゃないですか。辣腕エリートなのは虚像で、陰に不眠症のストレスとか、もっと言えば病的なものがあるのに、何もつっこまれず解消もされないままに、終わり?
 ヴィスティングとマッティンの友情だって、なんかもっとあるはずでは? 刑事と容疑者という立場で出会ったけれど、アリバイが判明して容疑が晴れたあとは、友達づきあいめいたことをずっとしてきて、でも怪しいような、でも信じたいような…って葛藤のドラマが、匂わせただけで結局何も描かれない。というかあっさりマッティンの死で終わる。
 タイトルのコードも、暗号などではなくマイナーな番号だと判明して、終わり。殺人ではなく事故だったという真相がわかって事件が終わるにしても、もうひとつ殺人はあったわけだし、でもそこで彼らがどんな夫婦だったのかとか彼女が家族とどんな問題を抱えていたのかとかは見えてこない、描かれない。え、じゃ何が書きたくて書いたのこの小説? ホント謎なんですけど…
 真相が解明されておしまい、じゃただのパズルです。それは小説ではない、人間ドラマではない。筆致もいいのに、ずっと何かありそうに書かれているのに、最後は何もない。もっと社会派というか人生の、人間の物語に、いかにもなりそうでまったくならない、驚きの一冊でした。もしかしたらシリーズ化されて少しずつ何かが進み解き明かされていくのかもしれませんが…ううーむむむ。


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