駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『ロミオとジュリエット』

2012年08月26日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 東京宝塚劇場、2012年8月11日ソワレ、18日ソワレ、21日ソワレ、23日ソワレ(新人公演)。

 新生月組お披露目公演。
 星組版の感想はこちら、雪組版の感想はこちら、外部版の感想はこちら
 フランス版来日公演は10月かな? 観に行く予定です。

 まさおロミオを2回、みりおロミオを1回観ました。

 とにかく楽曲が文句なく素晴らしいですし、演出もどんどんブラッシュアップされている感じがしました。
 ここが足りないとかここがいらない、ここがおかしいというようなことを感じずに観ていられる、ストレスのない舞台なので、楽しく感情移入し、楽しく泣いて観られる公演です。
 まあ普遍的すぎる物語でもありますしね。

 なので主にキャストの感想を。
 まさおロミオは…聞いてはいましたが本当にキラッキラで、初見時はその幼さに仰天しました。
 たんぽぽを手に「いつか」を歌うロミオは恋に恋する少年…ですが、ホントに恋がなんだか知ってるのボク?って感じでとにかく可愛らしい。
 「世界の王」でもモンタギュー一族の若者のリーダー、一家の総領息子というよりは、みんなに可愛がられている末っ子感がハンパなく、これはこれで新しいロミオ像だなあ…と衝撃的でした。
 ちゃぴのジュリエットが歳相応の、現実的なところもしっかりしたところもある「ごく普通の少女」に見えただけに、そんなきちんとした女の子が、恋の熱にただ浮かされて「結婚しよっ!」とか言っちゃう少年に引きずられて、「なんですって!?」と聞き返しながらも、次の瞬間には同調している…そんな「純粋な恋の恐ろしさ」をまざまざと見せ付けられた気がしました。
 これもまた、『ロミジュリ』の物語のひとつの形ですよね。
 だからロミオが、マーキューシオを殺したティボルトに激情のあまり復讐してしまうくだりが、歴代ロミオの中で一番納得しやすかったです。
 逆に言うと「僕は怖い」はとても唐突に感じました。こんなに子供で、世界がまったきものだとまだ信じていられるようなまっすぐさ、多幸感にあふれたロミオに、死の影を感じ取ることなんてできないんじゃないのかなあ、と…
 まさおが歌が上手くて低い音もよく出ているだけに余計に、不思議な違和感を感じました。
 でもそういうところもみんなひっくるめて、おもしろかったです。
 ベンヴォーリオにジュリエットの死を告げられて叫ぶ「嘘だ!」なんて台詞もとてもよかった。
 ラストに愛に見守られてジュリエットとはしゃぎながら踊りまわるくだりの、ジュリエットの「捕まえてごらんなさい」ふうの動きと、逃げられて「なんだよ、もう!」みたいなプンプン、の仕草がまたたまらん。
 素敵なロミオでした。

 対するみりおティボルトは…私には精彩を欠いて見えました。
 キタさんほどじゃなくてもいいけれど、まずティボルトにしてはいかにも小柄で、キャピュレットの若者のリーダー、には見えなかったのが気になりました。
 そしてギラギラ差が足りないというか、スネている感じが足りないというか…だからみりおは正統派なヒーロー、いかにも主人公然としたキャラクターがニンなタイプの役者なんだなあ、と思いました。
 『スカピン』のショーヴランは悪くない悪役っぷりだったと思うんだけれど、何故なんだろうなあ…

 なのでみりおは圧倒的にロミオがよかった、はまり役だった。
 そしてまさおはロミオも良かったけれどティボルトも良かった。
 演目としてはだから、みりおロミオにまさおティボルトのパターンのほうが落ち着きがよく見えましたが、それはやっぱり問題だと思うし、新生月組のこのトップスター構造とか役替わりありきの演目企画とかがやっぱり引っかかるなあとは思いました。

 みりおロミオは…「いつか」のアンニュイで内省的な感じ、これでは確かにモンタギューの中でも浮いていただろう、と思わせられる特別感が素晴らしかった。
 そんな、性格的なものなのかなんなのか、何故か実年齢より早く大人になってしまったところのある青年が、ジュリエットとの出会いによって恋を知り、歳相応の状態にやっとなって、突っ走ってしまう幸福感と、それゆえに巻き起こる悲劇…という物語の構造がとてもよく浮き彫りになっていたと思いました。
 対するまさおティボルトは、わかりやすくアンチヒーローです。乱暴者で周りが扱いかねている感じ、確かに喧嘩っ早いけどそれは義侠心ゆえのものでもあって本当はけっこう純真である感じ、でもそれがなかなか周りに理解されていない感じ…そういったあり方がとてもよく出ていました。

 みやちゃんのマーキューシオは、私は好きです。
 狂気が足りないと見る向きもあるかもしれませんが、私はこれくらいの崩れ方に留めておいてくれた方が、ロミオの友達にちゃんと見えるし、いいなと思ったのです。死に際の歌や演技も良かったです。
 マギーのベンヴォーリオは…泣きの芝居歌で聞かせた「どうやって伝えよう」がさすがに良かった。でもなんかキャラクターとしては中途半端に見えたかなあ…兄貴分なのか粗忽者なのか思慮深いタイプなのか心配性なのか…よくわからなかった。

 越リュウのキャピュレット卿の現役感は色っぽく、すーちゃんのキャピュレット卿夫人は健闘していたけれど歌がやはりギリギリだったかな…
 驚いたのはモンタギュー卿夫人のあーちゃんで、もっと聖母ふうの役作りでくるかと思っていましたが、どっしりとしたおばさまっぷり、歌もとても低い音が出ていて聞かせてくれました。
 歌といえば抜擢に近いかもしれない大公もさすが素晴らしかったです。
 道化ふうに作ってきた乳母もさすが歌では泣かせました。
 ゆうきくんの愛はとても柔らかく見えました。たまきちの死は健闘していたけれど、この世のものならぬシャープさとか冷たさとかはニンじゃなかったかな…
 あ、あちょうピーターの「ハイ!」が可愛くて、毎回笑いを取っていたのも印象的でした。

 フィナーレは…もっと普通にしてください…
 ヤングでヒップな振り付けとかは寒くなりがちなんでやめてください…
 大階段の紫スーツの組長のブロマイド発売してください…
 でもパレードからラストの「GO!!」は良かったです。


 新公は、仮面舞踏会から始まるのでなんとも難しいところではありますが…
 たまきちのロミオはのびやかで明朗で、屈託がなくて、優しく温かな人柄、ニンがよく出ていました。
 最初はものすごく緊張しているように見えましたが、だんだんエンジンかかってきたかな。
 咲妃みゆちゃんは歌がしっかりしていて好感を持ちました。物怖じしていない感じも素晴らしい。メイクはこれからもっと上手くなるのでは…
 ゆうきくんのティボルトは私にはみりおティボルトと同じ方向性に見え、これまた暗かったり斜に構えている感じが上手くないタイプなのかなと思ったり。

 晴音アキちゃんの乳母は歌に期待していたのですが、むしろ演技が良かった。「エメ」に入る前のジュリエットとのやりとりに泣かされました。
 輝月ゆうまくんのベンヴォーヘオが色っぽくて、長身だけれど年上感はなくて、たまきちロミオに情愛を抱いている感じが漂っていて、ゲイゲイしくてよかったトヨコのベンヴォーリオ以来のベンロミときめきを感じてしまいました。
 「エメ」カゲソロのゆめちゃんの美声が素晴らしかったこと、ピーターの麗奈ゆうのお人形のような美形っぷりが素晴らしかったことも印象的でした。
 みくちゃんのキャピュレット卿夫人がまた大人っぽくてよかったです。歌、もっと聴きたかったなー。
 ちなっちゃんの死の怪しい表情も素敵でした。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

碧野圭『書店ガール』(PHP文芸文庫)

2012年08月17日 | 乱読記/書名さ行
 吉祥寺にある書店のアラフォー副店長・理子ははねっかえりの部下・亜紀の扱いに手を焼いていた。一方の亜紀も、ダメ出しばかりする「頭の固い上司」の理子に猛反発。そんなある日、店にとんでもない危機が…書店を舞台にした人間ドラマを軽妙に描くお仕事エンターテインメント。

 『ブックストア・ウォーズ』を改題したそうですが、正解だったかも。でもどうせなら『書店ガールズ』の方がよかったかもしれません。
 最近、書店や出版社勤務ののち作家になり、その経験を生かしてバックステージもの…というかバックヤードものを書くのがはやっているようですが、これは「働く女子小説」としても秀逸でした。
 25歳ほども年が違おうが、結婚していようが独身だろうが、恋人がいようがいまいが、お金持ちだろうが庶民だろうが、仕事に真面目で熱心であれば、仕事もプライベートもいろいろもめるのが女性の人生というものです。
 そこを、実ににねちねちと的確に描いていておもしろかったですし、決して馴れ合わず、でもいい戦友にはなれるかもしれないふたりの女性の生き方を明るくクリアに描いていて、好感が持てました。
 もちろん男性だってそうなのかもしれないけれど、そんなことは知らん(^^;)。
 世はまだまだまだまだ男社会なんだから、女性を応援するのは当然なのです、ハイ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大江戸緋鳥808』

2012年08月17日 | 観劇記/タイトルあ行
 明治座、2012年8月14日マチネ。

 花のお江戸の吉原廓。人々の羨望のまなざしの中を悠然と歩んでいくのは、誰にも揚げられないことで名を馳せる美貌の花魁・高尾太夫(大地真央)。絵師の参次(東幹久)は仲間と共に飲み歩きながら、太夫から目を離せないでいた。一方江戸八百八町では将軍のひとり娘・直姫(湖月わたる)が柄の悪い浪人を叩き伏せていた。その騒ぎにまぎれたスリを鮮やかに絡め取ったのはね謎の女・緋鳥(大地真央)だった…
 原作/石ノ森章太郎、演出/岡村俊一、脚本/渡辺和徳。全2幕。

 石ノ森章太郎の『くノ一捕物帖』を原作にしつつ、設定を借りただけでストーリーはオリジナルだとか。
 借りた設定とは、表は花魁で裏ではくノ一、将軍家のお世継ぎ騒動に活躍し…という部分でしょうか。
 多分に漫画チックでスピーディーかつイージーに進む舞台でしたが、派手でわかりやすく、大衆娯楽作とはこうでなくっちゃという感じで、意外に楽しく観てしまいました。

 真央さまは…ミュージカルで何度か見たことがあるはずなのですが、まあなんと顔の小さいこと!
 顔が小さかっただけで黒木瞳が相手役に抜擢されたという現役時代のエピソードもなるほど納得、でした。
 実は最前列観劇だったのですが、わりにナチュラルな演技をする俳優も多い周りの中で、ただひとり大芝居をしていて、たとえば誰かと会話している場面でも相手役を見ていない、もっとずっと先に視線を置いているんですね。その大劇場サイズの芝居っぷりに感心しました。
 じゃんじゃんお衣装を変えて目を楽しませてくれますし、その分裏では早変わりが大変なんだろうし、大女優さまだなあ、と感動しました。

 ワタルは凛々しかったよ!
 将軍家のひとり娘で、男装して袴姿で剣の腕も立つ姫君。ぴったり!
 フィナーレは袴で歌うより着流しかいっそ黒燕尾でガンガン踊ってほしかったけれどね!
 突然現れたご落胤の「兄上」が世を継ぐ気がない優男(市瀬秀和。ハンサムだったけどワタルより背が低かったよ…)で、それに歯噛みしたり怒ったり…
 自分が男に生まれていたら父上を支えられたのに、と悔しがるいじらしさ、泣かせました。
 なんか全体に、少年漫画のようでもあり少女漫画のようでもある世界観でした。そして常に女性キャラクターが元気でした(^^;)。

 直姫が兄妹のドラマを演じれば、緋鳥は父と娘の、また姉と妹のドラマを演じます。
 緋鳥の父親は忍者の大ボス大蛇(隆大介)ですが、半分テロリストみたいなところもあって、かつて無辜の民を大量に殺して恨まれている人物。
 緋鳥もその片棒を担がされましたが、父親が捕縛されたときに自分は逃げられて、罪滅ぼしのように正義の味方をやっている。しかし父親は娘を我が手に取り戻し、再び世に出ることを望んでいる。その妄執…
 そしてツチノコ(早乙女友貴。美少年だったなあ!)はもしかしたらちょっと精神薄弱な、その分純粋な少年で、狂気じみた武芸の強さと姉への思慕の情を持っている…
 このドラマも泣かせました。

 なのに男性キャラクターはほぼ何もしない(^^;)。
 ヒロインの相手役は一応参次なんだろうけど、絵師としても売れてないし仕事していない、色男らしくてお七(貴城けい。可愛かったよ!)はそこに惚れているらしいけれど全然説得力がない、ぼんくらの意気地なしでした…
 緋鳥の手下として支える定吉(山崎銀之丞)とちょっと三角関係めいたメロドラマを作りたかったんだろうけれど、まったく不発でした。
 お七は参次にめろめろなのに参次は緋鳥にひと目惚れ、緋鳥も一時は憎からず思うけれど、使命とともに去っていき、結局参次はお七とまとまってハッピーエンド…という流れなんだけれど、お七ホントそれでいいの?と不安でしたよ。
 武ばったポジションにいない、文人タイプの、一般庶民の芸術家、ということでは作者の投影でもあるんだろうけれど、それを活躍させられないところが、情けないよねえ男性作家…

 さすがの存在感を示したのが長屋の大家お藤役の未沙のえる。女優デビュー作ですがまったく危なげがなく舞台を占めていました。
 しかし舞台といいプログラムのお稽古場写真といい、真央さまと並ぶと同期のはずが母と娘イヤ祖母と孫娘ができそうですよ…真央さまどう直してんの…(あわわ)

 フィナーレは、とうせやるなら小林幸子ばりにもう一押し…それか群舞に羽扇を持たせるべきでした(^^;)。
 歌はかしちゃんが一等上手かった。アイドルソングふうに町娘姿で歌うのも最高に愛らしかったわ!
 しかしアフタートークショーで真央さまにおもろい替え歌を歌わせるために原曲を歌ったマヤさんの美声が素晴らしくてさあ…! カゲソロか、ワタルの場面で歌わせてワタルには躍らせるべきだったわね!

 二幕でいきなり真央さまが歌う場面があって、「あれ? これってミュージカルだったんだ?」と激しく動揺させられましたが、それ以外はとにかく楽しい公演でした。
 博多座ほどじゃないけど売店が充実しているのも楽しいし、いい劇場ですよね。140周年、おめでとうございます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇雪組『双曲線上のカルテ』

2012年08月12日 | 観劇記/タイトルさ行
 日本青年館、2012年8月10日マチネ。

 イタリアのナポリ近郊にあるメルチーノ・メデイカル・ホスピタルは富裕層の要望に応えた医療サービスを提供することで好調な経営状態を保っていた。だが院内では、たとえマフィアであっても患者として受け入れる外科医フェルナンド=デ・ロッシ(早霧せいな)のやり方に非難の声が上がっていた。夜勤中の飲酒や女性との火遊びを繰り返すフェルナンドに不快感を示す者も多く、特に医師としての理想に燃えるランベルト・ヴァレンテノ(夢乃聖夏)は彼に反発し、何かと衝突していたが…
 原作/渡辺淳一、脚本・演出/石田昌也、作曲・編曲/手島恭子、中尾太郎。

 中居くんがテレビドラマ『白い影』をやったときに原作小説の『無影燈』も読んだ気がするのですが…あまり細かくは覚えていませんでした。
 病気で死期が迫っていてややニヒルになっているお医者さんの話だよね、くらいのイメージでした。

 しかし…『ダンセレ』でハリー老いたな、と思った私ですが、今回同じようにダーイシ老いたな、と思いましたよ…
 いや、石田先生らしい、不必要で意味不明な寒いギャグとか下品な台詞とかセクハラシーンとかはちょいちょいあるし、またいかにもなショーアップ場面もあるのですが(早めにチャリティ・ショーだと明かしてくれないと、寒い幻想なのか夢オチなのかハラハラして観ているのがつらいのでなんとかしてください)、なんかパワーダウンしている感じがしたし、あと、全体に、それだけ、なんですよね。
 お話は原作を追いかけるのに精一杯でエピソード盛りすぎ、細切れの暗転で場面をつなぐだけで舞台としての流れはブツ切れ、そして何よりキャラクターが弱い。
 ヘンに類型的にしすぎるのも考えものですが、ある程度のキャラクター付けはしないと、観客はその人をどう捕らえていいのかわからなくて混乱します。
 でも、たとえばフェルナンドはクールでランベルトはホット、みたいなわかりやすいキャラクター設定にしていないんですよね。それはナチュラルでいいとも言えるし現実の人間ってそんなにバッキリ色が分かれているものでもないからこれで正しい、とも言えるのだけれど、なんかとても石田先生らしくなく感じてしまって…
 丸くなったのではなく、老いた、老けた、情熱がなくなった、つまらなくなった…?みたいな印象を受けてしまったのです、私は。

 フェルナンドとランベルトがわかりやすく対立しすぎていなかったり、逆にがっつり親友同士!みたいな感じでもない、というところはなんかよかったんだけれどなあ。
 クラリーチェ(大湖せしる。立派な肩幅だが綺麗な女役に変身していて感心)の扱いをヘンに湿っぽくしなかったところとかもよかった。でも彼女とモニカ(星乃あんり)との対決シーンとかはホント女性観客からしたら興醒めだと思うんだけどなー。なんでこう作るのかなー…
 そのヒロインのモニカですが、天使のような清純無垢な天真爛漫な、薔薇よりひまわりといったイメージの少女…としたかったんでしょうけれど、要するに白痴美人ってことだよね、とヒヤヒヤしました。演じ手が、わかってやっているんだかただひたむきにやっているだけなのかよくわからなかっただけに…
 モニカがフェルナンドに対してクラリーチェのことを気にしていない、と言うくだりの嘘寒さったらなかったわ…モニカという女性をどういう人間だと捉えたらああいう台詞が書けるのか、ああいう演出ができるのか、ああいう演技ができるのか一体。怖い…

 まあ、ニヒルになって世を捨てかけている人間だって、ギリギリまで仕事はしたいと思っているくらいには情熱が残っているのだし、どんなに自分を律して「もう恋する資格なんかない」と思っていたとしても恋に落ちることはあるわけで止められるものでもないし、その相手がどんなタイプでもありえるので別にいいんですけれど…
 天使のような女に救われたい、みたいな男の願望が私という女にはよく理解できないのは、まあ仕方ないよね。

 ただ、こんなあれこれエピソードで手一杯になっちゃうくらいなら、原作なんか取らずに、「死病にかかっている医師」という設定だけ使ってオリジナルのドラマ、物語を作ればいいのに、それだけの力はあるはずじゃん石田先生、と思ったのは確かなんですよ。
 中心の登場人物にキャラクター性が希薄で、キャラクター同士のドラマも希薄に見えちゃったんですもん。もっと友情とか反発とか三角関係とか四角関係とかの暑苦しいドラマを書いてくる人だったんじゃないのかなー、と思ってしまったのです。
 もしかして私は意外に石田先生が好きで、買いかぶっていたのか…!?

 希薄って言うかザルって言うか流しすぎだろともう怒る気もうせたのが、ラストの院長(夏美よう)の隠し子騒動(?)ですよ…
 まずもって院長夫人(五峰亜季)のキャラが完全に謎で完全にマユミさんの無駄遣いって感じなのが許しがたかったのは百歩くらい譲って棚上げしてもいいけれど、愛人の産んだ子がいて自分の子供と骨髄の型が合ったから移植できてよかったね、みたいな話でまとめていいと思ってんの?
 あんなギャグみたいな家庭争議ですませていい問題だと思ってんの?
 そもそも冒頭でナイトクラブのママ・アニータ(夢華あみ。さすがにナギショーの母親というのには驚いたが、基本的には女役が上手い下級生だし、フィナーレのエトワールといい、正しい使われ方だったと思う。いろいろ問題はあると考えつつも、簡単に辞めちゃわないでほしいとは思っています)が愛人関係にあるのであろう院長を「パパ」と呼んだその昭和キャバレー感にぞっとしたのですが、よもや本当に間に子供を作っていてそのパパという意味でもあったのか、でも子供の存在を知らせていないのか、それは何故なのか、相手に迷惑だと思うから、相手のことを本当に愛しているからなのか、だったら潔く別れそうなものだが今でもずるずる付き合っていて、養育費はもらっていないが店の運転資金はせびっていたりして、合いなのか打算なのか全然わからない気持ち悪い関係なのがイヤ。
 息子アントニーオ(彩凪翔)は何故か健やかにまっとうに育ちあがったわけですが、腹違いの妹であるクラリーチェとの相克をいい話にしたいのかなんなのかも全然わからない。
 院長は入り婿で院長夫人に頭が上がらないということらしいけれど、婦長(麻樹ゆめみ。あんなしっかりして賢い女がこんな関係を結ぶとはとても思えないのですが…)ともよろしくやっているわけで、楽しんでるじゃん、同情の余地なんかないじゃん。
 院長夫人がアニータに頭を下げるのはいい場面として見せたいと思っているの? 冗談でしょう? ああ気持ち悪かった…

 さらにラストにもっとどっと疲れる展開が待っていようとはさすがの私も思っていませんでしたよ…
 天国のチェーザレ(朝風れい)とかはちょっといいエピソードだったんだけれどねえ…
 あの男の子はつまり、モニカが産んだ子で、フェルナンドの子供ってことなんですよね?
 たとえば『TRAFALGAR』のラストの演出が私はけっこう好きで、幻想の中で死んだ親が子供のもとを訪れて愛を伝える、というのには感動するんですけれど…今回もやっていることは同じことなんだけれど…
 私は、この子供がいることでモニカの後半生がフェルナンドに縛り付けられちゃったじゃん、としか思えなくて、ショックだったんですよ。
 フェルナンドは自分の死期を知っていた、だから恋を禁じていた。相手を泣かせるだけだから。でも恋に落ちてしまった。それはいい。仕方ない。
 でも、末期ガン患者に恋をする権利はないとは言わないが、子供を作る権利はないんじゃないかとは言いたいワケですよ。少なくとも避妊する義務がある。それでもできてしまうのが子供というものだけれど、それでも。
 もちろんモニカが望んだのかもしれないし、モニカは子供が持てて幸せなのかもしれないけれど。でも。子供が成人するまで生きられないのにさ、無責任だよね。そしてモニカに対しても無責任だと思うのですよ、全部押し付けて去るワケだしさ。
 モニカは何も知らずに恋をして、恋人を失って、それでも恋そのものを悔やむことはなかったろうし、これからも強く生きていく。魅力のある女性なんだろうし、いつかまた別の出会いに恵まれて恋をすることもあるだろう。そして幸せになるだろう。
 それが残された者の、生きていく者の人生というものですよ。彼女の後半生にフェルナンドはいない。
 なのに子供が残されたら…たとえば次の恋の障害になりがちでしょ? 彼女の残りの人生までもをフェルナンドは奪おうと言うの? そんなわがままが許されるの?
 そうやって女をいつまでも解放せず縛り付けて自分の種を残そうとする男の妄執がもう耐えがたかった、私は…
 どっと疲れたラストでした…

 フィナーレはなかなか素敵だったけれど、チギちゃんは髪型を変えるべきじゃなかったかなー。長髪は本編で堪能したので、ちがうものが見たかった。
 あと、えりたんの返り咲きが決まって待たされる形になったチギちゃんですが、充実した二番手時期というのは絶対に必要なので、ここで踏ん張ってがんばってほしいのですが、この作品はとりあえず彼女の鍛錬の場にはなっていない気がしたのが気になりましたねえ…
 逆転のともみんってのもあるんじゃないの?とかちょっと思ってしまいましたよ…育てる側ががんばらないと大変だぞ!

 あ、最後になりましたが、タイトルは素敵だと思いました。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『叔母との旅』

2012年08月09日 | 観劇記/タイトルあ行
 青山円形劇場、2012年8月7日ソワレ。

 銀行の支店長まで務め上げ、今は静かな引退生活を送る独身男ヘンリーは、ある日、86歳で他界した母親の葬式で、叔母オーガスタと50数年ぶりの再会を果たす。すでに70代後半だという叔母だったが、その生き方は自由奔放で、誘われるままに共に旅に出たヘンリーは波乱と冒険の真っ只中へ…
 原作/グレアム・グリーン、劇化/ジャイルズ・ハヴァガル、翻訳/小田島恒志、演出/松村武。全2幕。

 小さなリーフレットを劇場でいただいただけなのでわからないのですが(プログラムは売っていなかった)、確か去年初演されたものの再演。
 役者は段田安則、浅野和之、高橋克実、鈴木浩介の四人だけ。
 ひとりで何役もやるし、主人公ヘンリー役は四人が交互に演じたりして、魔法を見ているような、演劇の醍醐味の権化みたいな舞台でした。
 この劇場独特の白いサーカスリングのような何もない舞台が、世界のどこにでも変化するおもしろさと言ったらたまりません。
 浅野和之の女役はいじらしくて可愛いよなあ。

 そして、改めて西欧文学とは詩と切っても切れないのだな、ことに戯曲はとても詩と近いところにあるのだろうな、と思わせられました。和歌を手放して長い我々日本人の庶民にはなかなかわかりづらい感覚でもある…でもその豊かさ、まさしく詩情は十分感じられました。
 オチというか、叔母の正体については確かに途中で類推がつきますし、そのとおりに展開してもだからそれで感動するということではないのですが、でもヘンリーが世界をほとんど半周してたどりついた場所、そこで得たものの素晴らしさにはやはり強く胸打たれました。
 そしてそれを一言でまとめてみせるのが、かの有名な詩のワンフレーズなのでした。その深さ、ハマり具合…泣けました、ボロ泣きしました…!

 そして私がそれに泣けたのは、私がその詩を知っていたからであり、そしてなぜ知っていたかといえばその詩が入った詩集を読んだことがあるわけではなくて、その詩が出てくる漫画を読んだことがあったからです。
 私のすべての感性や教養はこれまで読んできた漫画に立脚していると言ってもほとんど過言ではないのでした。そして私はそれを自慢に思います。そんな自分も、自分にそういうものを与えてくれてきた日本の漫画というものについても。
 ちなみに今回のことで言えば、その詩を私が読んだのは萩尾望都『ポーの一族』の『小鳥の巣』でした。名作だよね!

 まあそういうことを別にしても、とてもよくできた、楽しい、おもしろい舞台でした。
 おっさん四人(失礼!)が生み出すロマンあふれる絶妙な舞台、堪能しました!

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする