駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

浅田次郎『王妃の館』(集英社文庫)全2巻

2016年12月30日 | 乱読記/書名あ行
 パリはヴォージュ広場の片隅にたたずむ、ルイ14世が寵姫のために建てたという「王妃の館」。今は一見の客は決して泊めない、パリ随一の敷居の高さを誇る超高級ホテルとなっているこのシャトーに、何故か二組のワケあり日本人ツアーが同宿することになり…傑作人情巨編。

 配役も出たことだし、と宙組公演の予習に読んでみました。映画は未見。
 演目発表時から「クレヨンは誰がやるの?」と騒がれている印象があったのですが、なるほどみんなこういうキャラクターが好きだねぇ…
 ただ、贔屓がその相手役(笑)を務めることになったようなので、さて大丈夫なんだろうな?とあわてて読んでみました。
 結果としては、心配していたほどではなかった…かな。つまりもっと目も当てられない扱いなんじゃないかと心配していたし怒りまくる気満々だったのです(いつも何かに怒る準備をしていて申し訳ない…)。くだらないギャグ扱いになっているとか、リアリティのかけらもないとか、ちょっと前の作品とはいえセクシャルマイノリティに対してあまりにあまりな偏見や嘲笑に満ちみちた描写なのではあるまいか、と…
 ツイートでスクショを上げている人がいて、語尾にハートマークがついているのとかも耐え難かったんですよね。ラノベならまだしも、一般文芸が恥を知れ!と。
 ま、結果から言うとハートマークは確かにありましたし、なんの効果も上げていず作家のアタマの悪さを露呈しているだけだなとしか思えませんでしたが、総じてこのカップルの、あるいは彼らのキャラクターの描き方はそこまで悪いものではなかった、と私には思えました。というか、そもそも全体にそんなに人間をきちんと描いているような文芸作品ではなかった。エンタメ中間小説としてはまあこんなものだよね、という印象でした。あまり読んだことがない作家さんなのですが、なんかもっと歴史大作みたいなのでブレイクした人なんじゃなかったっけ?
 まあでも、なので全体としては意外にも、「で、どうなるの?」という興味でちゃんと引っ張られて、最後まで楽しくスイスイ読みました。
 ただ…これってそんなにものすごくおもしろいしいい作品って感じじゃないですよね? 映画化したり舞台化したりするほどの価値があるもの? ぶっちゃけこの程度の群像劇なら、少なくとも宝塚歌劇オリジナルでいくらでも作れそうじゃない?
 『銀英伝』や『ルパン三世』、『るろうに剣心』くらい原作にネームバリューがあれば「あの作品を宝塚歌劇でやるなんて!?」ってインパクトや宣伝効果があると思うけど、この作品にはそんな力はありませんよね…? なんでオリジナルで作らないの?
 私にはいかにも注文されて書いただけの、言いたいことやテーマやメッセージは特にない、なんてことない作品にしか見えなかったけどな…ラストにトートツにいいこと言おうとしている感じがいっそ鼻につきました。
 百歩譲って、あまり有機的に絡んでいるとは思えない劇中劇というか、作品の中で小説家キャラクターが書いている小説の内容パートが、宝塚歌劇では正しくやれる、というのはあるかもしれませんが…
 ただこれも、観ていないのでホントはなんとも言えませんが、映画の、フランスのルイ14世のエピソードなのに日本人俳優がやることのおかしさ、おもしろみ、の方が正しくて、タカラジェンヌが外国人に扮することはフツーすぎてそれだけでは笑えない、みたいになったりしませんかね?
 あと、原作小説では現代パートと劇中劇パートはまったく独立していますが、それでいいのかな? それでおもしろくなるのかな? なんか、そつちの方が心配です…
 もちろんマコちゃんとクレヨンについても、マコちゃんの「熱血堅物警察官」設定は踏襲するようだけど、年齢とかガタイとか警察辞めてるのかどうかとかはそのままやるのか謎だし、やれるものなのかやった方がいいのかも謎、変更するならどう修正するのかも現時点では見えなくて謎で、心配ではあります。下手にやるとクレヨンよりデリケートな問題になりそうで激しく不安。
 クレヨンについても、女性の男役に、性自認が女性の異性愛者の現段階では体(の一部はまだ)は男性、というキャラクターをやらせるんですからね、よく考えて台詞書いてくださいよ田渕くん! クレヨンは同性愛者じゃないんだからね、ここ試験に出るからねマジで!!
 私にあきりくを美味しくいただかせてください、頼みますマジで。

 …こんなおそらく年内ラストの更新ですみません…
 来年も良き一年となりますよう!


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須賀しのぶ『神の棘』(早川書房)全2巻

2016年12月30日 | 乱読記/書名か行
 1935年、ドイツ。若く優秀な保安情報部員アルベルトは、党規に従い神を棄てた。そして上官からヒトラー政権に反発する国内カトリック教会の摘発を命じられる。一方、アルベルトの幼馴染マティアスは、大恐慌で家族を亡くし、修道士として静かに暮らしていた。道を分かたれたはずのふたりが再び出会ったとき、友情と裏切りに満ちた相克のドラマが幕を開ける…歴史ロマン大作。

 …という裏表紙のリードからも、カバー装画からも、これは精神的BLとして読む物語なんだろうな…と思って臨んだのですが、どうにもメインキャラクターのふたりに愛嬌が欠けていて親近感が持てず、ドラマとしてもそこまで盛り上がらず、ストーリー展開も歴史を追う部分が多くてちょっと教科書チックで、中盤はかなり退屈しました。
 最後の最後である種のギミックが明かされ、やっぱりこのふたりのドラマが描きたかったんじゃん、とは思ったのですが、それがうまく表れていなかったような…そんな印象でした。
 ふたりを通して、愛とか祈りとか許しとか罪とか、神とか政治とか国家とか民族とかのねじれやぶつかりを描きたかったんでしょうが、残念ながら力足らずというような…そんな印象でした。
 でも人気がある作家さんですよね。いくつか読んではいますが、他の作品も機会があれば読んでみたいです。

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篠原悠希『後宮に星は宿る』(角川文庫)

2016年12月30日 | 乱読記/書名か行
 名門・星家の御曹司・遊圭は皇帝崩御に伴う一族すべての殉死が決定されて、ひとり呆然としていた。からくも逃げ延びるが、追われる身に。かつて助けた平民の少女・明々に窮地を救われるも、彼女の後宮への出仕が決まり絶望する。だが、遊圭も女装して後宮に行くことに…中華ふうファンタジー。

 文庫書き下ろし作品で、キャラクター小説というよりはライトノベルでした。中華ふうの架空世界での少年主人公の冒険譚で、キャラクター造形はやや累計的でしたが世界観やディテールの設定がちゃんとしていて、楽しく読みました。
 …が、オチていないんですけど!? っていうか、途中で終わっちゃってるんですけど!? なんなの? 連作予定なの? でもいかにも連載打ち切りになっちゃった漫画のラストの「これからもがんばるぜ!」みたいな、無責任な話の閉め方なんですけど!? よくこんな中途半端なものを売り物にするな角川書店! 始めた話は完結させてから売れよ、読者をなんだと思っているの!?
 楽しく読み進め、しかし美しいオチの形が想像つかなかっただけにオチを楽しみにしていたのに、オチないで終わるという目に遭わされるとは…もったくもって腹立たしいです。

 ヒロインが男装して男子寮に潜入するとか、この話のように少年が女装して後宮に入るとかの、異性装の物語は少女漫画やライトノベルには根強い人気があります。今回の場合は主人公が声変わりを迎え女装もしんどくなり、さてどうなる…?というスリルがありましたが、それも未回収。
 そしてこういう物語では、性別を偽っていることによるラブのこじれがたいてい大きなモチーフになるものですが、今回は周りのキャラクターの布陣が、彼女に仕える形で後宮に共に行くことになる明々と、そこで出会い主人公の正体をいぶかしむ宦官の玄月で、後者とBL風味になるのも微妙だし、といって明々にもヒロイン力が欠けているようで…と心配していたら、結局未回収のまま、でした。
 読者を馬鹿にしてんのか!!!

 おもしろかっただけに、残念でなりません。


 以下、脱線。
 こういう物語に頻出する「宦官」ですが、実は私は正確なところをよく知りません。競馬を観ていたし乗馬をやっていたので馬の去勢については知っているんだけど、人間の去勢ってどうなってるの?
 馬は、睾丸の精巣を取るだけなんですよね。だからペニスは残る。人間もそうなの? ということは勃起できて性交もできるの? ただ射精せず子供ができないだけなの? それともペニスも切っちやうの? でもそれだと排尿に困るの?
 そのあたりの設定によっては、生じる障害とかエピソードが変わってきそうなのですが、ちゃんと描写されたものを読んだことがなくて…調べるほどのことではないしとここまで放ってきたのですが、ちょっと気になったのでこの機会に書いてみました。
 くわしい方がいましたらご教示いただきたく…

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2016年観劇総括(と、トップ娘役絶対必要論と、年末のご挨拶)

2016年12月28日 | 日記
 去年の総括はこちらこちら
 観劇数は145回。去年より微減、一昨年並みとなりました。8割が宝塚歌劇かな。
 一昨年、去年は全演目観劇ができたのですが、今年は『NW!花』とみちふうバウがチケットがどうにもなりませんでした…残念! 来年もチケ難必至公演がすでにいくつかある気がしますが、なんとかがんばりたいと思います…

 今年はなんといっても初のムラ年越しから始められたのが思い出深いです。拝賀式入り待ちに鏡割り振る舞い酒、元日初日と、楽しかった! まさか二年連続でやることになるとはね(笑)。今年は基本的にはひとりでしたが、来年はお友達とがっつり一緒です。楽しみです!
 宝塚歌劇の総括としては、私は常にオリジナル作品を押したい派なので、元ネタもなしの完全オリジナル新作ということで言えば、『金色の砂漠』をまだ観られていないので『ケイレブ』ということになるのかもしれません…が、出来としては史実アリとはいえ『Shakesreare』の方が良かったかなあ(再演も込みなら『バレンシアの熱い花』ですね)。
 ショーは、個人的には『ロマンス!!』が好きでした。クラシカルなレビューで。通ったのは『HOT EYES!!』でしたし全ツも盛り上がりましたが、まあ定番のダイスケショーでしたものね…新しい演出家の誕生が待たれますし、特定の作家が特定の組に偏らないよう、常に歌劇団には求めていきたいです。
 別箱公演でしたが、『ドン・ジュアン』や『アーサー王伝説』が今後も再演されたり外部でも上演されていく作品になっていくかどうかは、見守りたいところです。どちらも素敵な作品でした。

 外部はお友達のおかげでシアタートラムによく行かせていただきました。よく泣いたなあ。かわいそう、とかよかったね、とかではなく、驚いた! すごい!! みたいな涙が多かった気がします。『コペンハーゲン』とか。
 『1789』『グラホ』『スカピン』などのグランド・ミュージカルも楽しく観ました。
 四季には今年も行けなかったなあ、定番の作品なのに観ていない、というものが実はたくさんあるので、ちゃんと押さえておきたいです。
 2.5次元ミュージカルももっと観ていきたいですね。あゆっち目当てで行った『FAIRY TAIL』、おもしろかったなあ。ここにはクール・ジャパン(ダサ…)の可能性がもっとあると思っています。

 バレエはいくつか観たけれど、オペラやクラシック・コンサートには行かなかった年になりました。残念。

 生ではないけれど、観劇納めはタカスペライビュでした。
 映像で観てどーする、って気がしていたので今までライビュにはまったく行く気がなかったのですが、今回はまさかの取次ナシだったため、あわててライビュのチケットを余らせているお友達に泣きついて観させていただいたのでした…
 結論から言うと、見易くてとてもよかったです。スターばかりで目が足りないかと思われたけれど、カメラが順を追ってよく押さえてくれるし、構成のまとまりも普通のショーなどより断然あるし。贔屓がアンサンブルで出ているときには、オペラでならそこをロックオンするのに!とは思いましたが…
 何より立ち位置が去年より全然良くて、まあそもそもどこにいてもすぐ探せるんだけど探す苦労が格段に減ったというか、初っ端からまぁ様の斜め後ろに映りこんでいて感無量というか、でした。学年順とかから考えると一年でそんなに変化はないはずで、一列目の端になるか二列目の真ん中寄りになるかはささいな違いでしかないのだけれど、そこが大きかったのだろうな、とかね。
 3ルドルフで博多座『王家』ふうに「おまえは奴隷フィナーレバージョン」を歌ったときも、センターにさせていただいたりしましたしね。博多座ではずんちゃんセンターだったのにね、気を遣っていただけてありがとうございます! ってなもんでした。
 各組コーナーもラストは真ん中にトップトリオが集まって他のメンバーは上下に散っていたのに、宙組だけそうじゃなくて、真ん中ひとかたまりの中に入れてもらっていましたありがとうございますありがとうございます!
 去年は同期で数小説歌うだけだったようなところも、りくくんれなちゃん引き連れてがっつり歌わせていただいて…馴染みもゆかりもない曲だし合っていたとも思えないけど、それでもいいの! 感無量!!
 贔屓に関すること以外でも、なかなか満足な構成でした。まずとんちきなお衣装がなかった、特にトップ娘役のドレスはどれも素敵だった!
 各組二番手、すなわちキキちゃんみやちゃんまこっちゃんゆりかがみんな星組出身で、ベニーのトップお披露目としての出番を見届けられたのも嬉しかったろうなと思うし、まぁ様とベニーが同期でわちゃわちゃして、月出身のみりおと珠城さんがニコニコちんまりしているのも可愛らしかったです。
 『エリザベート』コーナーも本当におもしろかった! でも「闇広」でベニーだけお衣装が違うのは何故? ベニーとみやちゃんもお似合いだったけど、珠城さんとまこっちゃんも声と芸風の質が意外とよく合っていておもしろかったです。そこからのまぁ様とみりおの「最後のダンス」対決(笑)も熱かった!
 トップ娘役の「私だけに」歌い継ぎもよかったです。新公でシシィをやったかのちゃんから始まって、みんな歴代シシィデュエダンのお衣装を着て、あーちゃんもすごく上手くなっていて、トリのみりおんがさすがで。でも去年も素晴らしかったけど今年のちゃぴシシィも本当に素敵で、ニン違いのまぁ様でもハマったんだから珠城さんトートもアリだよちゃぴシシィ観たいよ!となりました。
 イシちゃんの出番はもっと削ってもいいのではないかしらん、とは思いましたが(あと再演させる気がないなら『凱旋門』はもうええやろ、と言いたい)、総じて楽しいイベントでした。


 さて、来年はまたまたあれこれ激動ですね。雪組トップコンビと宙組トップ娘役の卒業がすでに発表済みなワケですが…
 みりおんの後任を立てないとされたことについては、発表が遅かったので怪しいなと思わないでもなかったのですが…正直、ショックです。
 ゆうりちゃんでは足りない、まどかちゃんでは早いというなら、べーちゃんでもしろきみちゃんでもわかばちゃんでもくらげちゃんでも、誰を組替えさせてでも、とにかく誰かを次期トップ娘役としていただきたかったです。誰でもいいわけではもちろんない、しかし誰かが必要です。カチャを転向させるとか? でなきゃみりおんを慰留してほしかった。乱暴な物言いなのは承知しています、仮に名を挙げた生徒さんのファンの方々、すみません。
 でもそれくらい、トップ娘役の空位って意味がないことだと私は考えているのです。百害あって一理もないと言いきりたい。
 今のようなトップスター制度、トップコンビ制度が確立されたのは宝塚歌劇100年の歴史の中で昭和『ベルばら』ブーム以降のたかだか30年かそこらでしかない、だからそんなに大騒ぎすることではない…という言い方もできるでしょうが、しかし1/3近くも歴史があるなら十分に伝統だと思います。そしてトップ娘役の不在は過去にほとんど成功例を見ていない。歴史から学ばずして何をどう改善させ、未来につなげていけるというのでしょう。
 ターコさんの前にモックさんが卒業して、ターコさんが卒業するまでの1公演。サエちゃんの前にエミクラちゃんが卒業して、サエちゃんが卒業するまでの1公演。これらは暫定的な処置として、まだわからなくもありませんでした。
(イチロさんは、トンちゃんが卒業したあとすぐハナちゃんだった…よね? 違っていたらすみません)
 でもアサコのときは本当に観ていて楽しくなかった、つらかった。当人はミホコと一緒に卒業したかったのを慰留されたのかな、と私は思っていましたが、卒業までの3公演、結局はほぼほぼあいあいが各作品のヒロインを務めながらもトップ娘役扱いはされないという不遇を受け、男役二番手スターのきりやんがショーなどで女役に回ってデュエダンの相手を務めたりと、不規則で不自然な状態が続きました。あまりにもあまりでした。
 のちに当人も相手役がいなかった時期はつらかった、みたいなことを語っていますし、空位のあと月組トップ娘役に就任したまりもも見本がなくて困惑した、みたいなことを語ったことがありました。生徒にそんな負担をかけてどーする、と劇団には言いたい。
 何より、常に主演する役目を負うトップスターとって、固定された相手役がいないことは負担になると思うのです。トップ娘役という固有の相手役が持てることはトップスターだけの特権、というよりむしろ権利だと私は思う。そういう共闘するパートナーがいないとしんどすぎて耐えがたいくらい、トップの大任は重いのだと思う。だから劇団には相手役を与える義務があるのではないか、とすら私は思うわけです。
 多様な作品でたくさんの娘役に個性を発揮する機会を、なんておためごかしにすぎません。だってぶっちゃけそんな筆力ある作家がいないじゃん。ヒロインひとりですらまともに描けていないくらいの作品を平気で上演しているくせに、ちゃんちゃらおかしいです。
 誰かを次期トップ娘役にしないということは、みんないいから選べない、と言われているというより、みんなダメだと言われている気が私はしてしまうのです。それが悲しい。
 帯に短し襷に長しだろうがなんだろうが、立場が人を育てるということは絶対にあるんだし、誰かに決めてやらせてみればいいんです。絶対的と思われる二番手格の娘役がいたって、そのトップ就任にはガタガタ言う人は必ず存在します。誰に決めたって文句は必ず言われるんですよ劇団は、だからそういうことは無視して誰かに決めるしかないんです。そのために他の生徒をやめさせるようなことだって、今までさんざんしてきたじゃないですか。トップスターを1公演でやめさせることすらやってきたのに、何を今さら日和っているの? 何が怖いの? 何を目指してるの?
 女性は、あるいは日本人は、あるいは宝塚歌劇ファンは、清く正しく美しく、確立された規律に従い遵守する傾向が強いと思います。だから例外を嫌う、不測の事態を嫌う、ということもあるかと思います。でもそれより何より、この措置の意味がわからないから嫌なのです。いいことだと思えないから嫌なのです。
 逆に言えば誰が就任しても、そう決められれば、文句を言いつつも結局は受け入れるし観に行くんですよ。だってファンだから、だって決まったことだから。
 でもこの決定は受け入れがたい。少しも早く収拾して、宙組次期トップ娘役を決定していただきたいです。
 キムお披露目の際に相手役たるトップ娘役を定めず、ヒロインをダブルキャストで上演したときも、結局その状態は1公演で終わりましたよね。あれもなんの意味もなかったと思っています。今回も早々にそういう判断が下され、方向転換されることを祈ります。
 セクシャルマイノリティなど、多様な愛と性の在り方が顕在化してきた現代において、変わらずマジョリティであるのが男女の異性愛だと思われますが、現実においてはまだまだ幸せな帰結を見ることが少ないじゃないですか。お互いの無理解や無理強いや、婚姻制度を始めとする社会制度の不備、さまざまな抑圧や偏見、家事育児仕事の問題などなど幾多の障害が山とあり、美男美女がお互い対等に愛し合い信じ合い許し合い支え合い幸せになることなど、まさしく夢物語の中にしか存在しないのが現状です。
 その夢物語を紡いでくれるのが宝塚歌劇でしょう。そして私たち観客はそれを観て、ただの夢物語に現実をひととき忘れるだけの逃げ場とするのではなく、現実が目指すべき理想の姿、あるべき未来の指針を見て、より良い明日目指して日々の現実を生きる心の支えにしているのだと私は思うのです。愛し合い、支え合い、人と関わり合いつながり合うことは美しい、と思いたいから、信じたいから、それを見せてほしいのです。だから宝塚歌劇を観るのです。
 青春を捧げて己を鍛え光り輝く生徒たちの真ん中に、常に結ばれるカップルを演じてくれる最も美しい一対の男女(役)がいる…そのことがどれだけ大切で重要なことか、想像できないというのなら、それはあまりに鈍感にすぎませんか? 組のトップスターとトップ娘役は、その男女のカップルを常に演じ、舞台の上で真実の愛を生き、美しい輝きを放ってくれる存在なのです。大事でないはずがない。
 そしてそこにはただひとりのトップスター、そのただひとりの相手役、という魔法が必要なのです。現実はそう単純には一対にはなれていないからこそ、絶対に絶対に必要な魔法なのです。
 誰でもいいなら、どんな組み合わせでもいいなら、その魔法は消えてしまう。というか、それでもファンは、各自の贔屓をすでにそのように愛しているのです。トップになることがすべてではないこともちゃんとわかっているから。その上で、それでもトップコンビが存在していること、それが大事なんじゃないですか!
 ただひとりの男と、そのただひとりの相手の女、という幻想を女が手放したら、人類は滅亡します。それでいいの? いいわけないよね??
(まぁまかは仲良しだし相性もいいからトップコンビの代わりでもいいじゃん、とは私には思えません。ゆりかちゃんが娘役に転向するとかでないなら、二番手男役スターがトップスターの相手役だとは私は言いたくない。そもそも男女の異性愛すらなかなかまともに描けていないのにBLやろうなんてちゃんちゃらおかしい。というかそもそもそういうニッチなジャンルにメジャーは手を出すべきではないのである! メジャーの矜持を持たんかい!!)
 私はトップ娘役の不在に反対です。できる手段で劇団に意見を伝えていきたいと思います。
 よもやこれが私の今年最後の課題となるとは思ってもいませんでしたが…課題図書(笑)の『王妃の館』についても読了したらきっとアレコレ騒ぐと思います。こりずにおつきあいいただけたら嬉しいです。

 そうそう、ずんちゃんバウ主演作発表にお祝いも言えない流れで、それは残念でした。
 でも、これまたぶっちゃけ意外…
 私はずんちゃんには本当に力があると思っていて、個人的には95期の最終兵器だとか冗談半分ですが思っていて、まだだいぶ実績が足りていなかったころのマイティーやせおっちあたりと同列に語られたりするのが本当に不満だったんですけれど(こういう表現がいろいろ問題なのは承知しています、すみません)、でもカレーちゃんもれいこちゃんも未だやっていない二度目のバウ主演をさせるほどなのか、というとさすがにちょっと驚く、というか…
 普通に愛ちゃんか、タナボタでうちでもいいよがんばるよ!とか思っていましたすみません。
 一方はまぁ様のコンサートですが、ゆりかちゃんや愛ちゃんがずんちゃんバウに脇役として出演することは考えられないので、DSとか巴里祭みたいなさらに別の公演がないのであれば、このふたりはコンサート組なのでしょう。
 となるとうちはバウ、なのかな…
 私は以前からバウの二番手としてがっつり芝居が観てみたい、とは言っていたので、いいと言えばいいのですが…それを望んだのは前回の『相続人』のタイミングで、ではあったのですよ…全ツが良かっただけに、もうひとつステップアップを夢見ていたので、やっぱりちょっとしょんぼりしています。
 かつ、『相続人』もそんなにいい作品じゃなかったけど『スターダム』もちょっとどうよという出来だと思ったので、ハリーファンだけどハリーに期待できないターンに今の私は入っており…かつ『メラジゴ』があまりハマっていなかったと思うのでなおさら、ハリー芝居で贔屓が本当に輝けるのか激しく不安なのでした。というか実際、どんな扱いになることやらと不安です…
 何かと発表が遅い宙組ですが、振り分けは本当に早く出していただきたいです。でもとりあえず宿は押さえますね、梅芸でも観たいしね。

 その次の本公演は待望のくーみん…ではありますが、ペースが速すぎてちょっと心配。かつこのタイミングでなら『マージナル』みたいな、温めているというSFを観てみたかったかもしれません。さてどうなりますことやら…


 さてさて、自分のための備忘録として更新しているブログですが、読んでくださる方がいてこそやっているというのはもちろんあります。いつも考え方が一方的だったり物言いがきつかったりしているかと思います、変わらず読みに来てくださっている方には感謝しかありません。
 お時間ありましたら、コメントなどもいただけましたら嬉しいです。でも大多数の方がただときどきふらりと読みに来てまた去っていく、という感じを嬉しくも思っています。平和が何より(^^;)。
 来年もどうぞよろしくお願いいたします、みなさまにとっても良き一年となりますように。







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バレンシアの夜が明けなくて…

2016年12月28日 | 澄輝日記
 思いあまって、『バレンシアの熱い花』後日談二次創作SSを書いてみてしまいました。ラモロドです。興味ない方はスルーしてください。
 『バレンシアの熱い夜』というよりは『バレンシアの青い小さな花』みたいになってしまいましたが…
 初演以降の上演のどの中の人とも特に無縁で、あくまで脚本のキャラクターに準拠する個人的な妄想だとお含み置きいただければ幸いです…が、お城の執事は美月悠さんでお願いします(笑。ダメじゃん)。







 よろしければ、こちらから。







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