博品館劇場、2022年1月24日18時半。
1997年、ニューヨーク。強欲な富豪、ジョン・ルキペール(今拓哉)が殺害された。犯人と目されたのは、父と反発し12年間家に戻っていなかった長男テオ(この日は石井雅登)。弁護士となった次男のルーク(東山光明)はこの事件の真相を追ううちに、殺害現場から大金が消えていたこと、テオの恋人ヘイドン(彩乃かなみ)がジョンの愛人になっていたことなど、兄に不利な証拠ばかり見つけてしまう。現場で倒れていた家政婦のエマ(池田有希子)はテオをかばうが、新しく入ったばかりの使用人サイラス(この日は染谷洸太)らの証言もテオが犯人であると示しているようで…
脚本・演出/荻田浩一、音楽監督/河谷萌奈美、振付/港ゆりか、歌唱指導/福井小百合、美術/角田知穂。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を1990年代後半のアメリカに移し変えたチュ・ジョンファの作・演出とホ・スヒョンの音楽によるドラマティコ・ミュージカル。2020年初演の日本版再演。全1幕。
ミホコが観たくてホイホイ出かけてきました。カラマーゾフは昔読んだことがあるような…宝塚版は生では観ていなくてスカステで昔見たような…な程度の記憶だったので、まったくストーリーの先行きがわからず、ドキドキ観ました。てかコロナ感染対策で前方席をつぶしているためかお席がC列で最前列だったんですけれど、そうやって舞台との距離を取っていてもなお迫る圧…小さい舞台、小さいハコではありますが、熱く濃くテンション高い作品で、テオとサイラスがダブルキャストとはいえコレを昼夜やる役者ってホント強いな!?と感心したりしました。元が韓国ミュージカルだからでしょうか、こんな血管が切れそうなテンションって日本オリジナルではあまりない気がします…それとも原作準拠なのかな?
個人的には、ジョンが何故こんな人間なのか、というところにまったく触れられていないのがいいなと思いました。こういう理由があったからこんな悪人になっちゃったんた、みたいな説明をしたがる作品ってたまにありますが、そんな解説をしてもだからって被害者はじゃあ仕方がないね、とはならないんですよ。だからそれは余計な、要らない情報なんです。それになんら理由がなくても悪人に育つ人間っているものなんだと思うんですよね、残念ながら。だからもしそういう人間の家族に生まれたら、天災を生き抜くがごとく辛抱して工夫してなんとかして生き延びるしかない。なんの解決にもなっていないし人はバタバタ死ぬし全然ハッピーエンドでもないんだけれど、これはそういう物語だと思いました。そして雨は、人は降るのをやめさせることはできないけれど、大事な人と一緒に濡れて歩いてあげることはできる…これはそういう物語です。
初演が緊急事態宣言まっただ中だったせいか、それを逆手に取ったような、薄青い(あるいは透明だけれど照明で青く見える)ビニールカーテンやパーテーションみたいな装置がとても印象的でした。役者を守るためでもあるかもしれないけれど、役同士の分断や心の隔たり、嘘や屈託を仮託していて、素晴らしかったです。でも舞台中央のパーテーションはぐるぐる回転させられるもので、役者が演技しながらそれを動かし場面を変え役の立場を変えていて鮮やかでしたが、ひとつのミスがあったら台無しだったろうとも思われ、このテンションこの集中力で2時間弱の芝居をノンストップでやり続けてかつこのミザンス、すごいなとホント感動しました。
あと、みんな歌が上手い…歌詞がちゃんと聞こえる…訳もクリアで良い。ほら、これが普通のミュージカルのクオリティですよ、とまた思ってしまうくらいちょっと森の後遺症がある私なのでした…
単に集客がそこまででもない…からかもしれないけれど市松配席になっていて、換気もガンガンにしていてとても安心で快適な劇場でした。でもこれでペイしているのかなあ、とか全18回公演ってのはちょっともったいないなあ、たくさんの人に観てもらいたいなあ…とかも思ったりしました。演劇業界、まだまだいろいろ厳しいのでしょうね。せめてもの、の意気で私はこれからも軽率にチケットを買い、しっかり感染対策してマスクも二重にして、気になる演目には通いまくりたいと思います。
1997年、ニューヨーク。強欲な富豪、ジョン・ルキペール(今拓哉)が殺害された。犯人と目されたのは、父と反発し12年間家に戻っていなかった長男テオ(この日は石井雅登)。弁護士となった次男のルーク(東山光明)はこの事件の真相を追ううちに、殺害現場から大金が消えていたこと、テオの恋人ヘイドン(彩乃かなみ)がジョンの愛人になっていたことなど、兄に不利な証拠ばかり見つけてしまう。現場で倒れていた家政婦のエマ(池田有希子)はテオをかばうが、新しく入ったばかりの使用人サイラス(この日は染谷洸太)らの証言もテオが犯人であると示しているようで…
脚本・演出/荻田浩一、音楽監督/河谷萌奈美、振付/港ゆりか、歌唱指導/福井小百合、美術/角田知穂。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を1990年代後半のアメリカに移し変えたチュ・ジョンファの作・演出とホ・スヒョンの音楽によるドラマティコ・ミュージカル。2020年初演の日本版再演。全1幕。
ミホコが観たくてホイホイ出かけてきました。カラマーゾフは昔読んだことがあるような…宝塚版は生では観ていなくてスカステで昔見たような…な程度の記憶だったので、まったくストーリーの先行きがわからず、ドキドキ観ました。てかコロナ感染対策で前方席をつぶしているためかお席がC列で最前列だったんですけれど、そうやって舞台との距離を取っていてもなお迫る圧…小さい舞台、小さいハコではありますが、熱く濃くテンション高い作品で、テオとサイラスがダブルキャストとはいえコレを昼夜やる役者ってホント強いな!?と感心したりしました。元が韓国ミュージカルだからでしょうか、こんな血管が切れそうなテンションって日本オリジナルではあまりない気がします…それとも原作準拠なのかな?
個人的には、ジョンが何故こんな人間なのか、というところにまったく触れられていないのがいいなと思いました。こういう理由があったからこんな悪人になっちゃったんた、みたいな説明をしたがる作品ってたまにありますが、そんな解説をしてもだからって被害者はじゃあ仕方がないね、とはならないんですよ。だからそれは余計な、要らない情報なんです。それになんら理由がなくても悪人に育つ人間っているものなんだと思うんですよね、残念ながら。だからもしそういう人間の家族に生まれたら、天災を生き抜くがごとく辛抱して工夫してなんとかして生き延びるしかない。なんの解決にもなっていないし人はバタバタ死ぬし全然ハッピーエンドでもないんだけれど、これはそういう物語だと思いました。そして雨は、人は降るのをやめさせることはできないけれど、大事な人と一緒に濡れて歩いてあげることはできる…これはそういう物語です。
初演が緊急事態宣言まっただ中だったせいか、それを逆手に取ったような、薄青い(あるいは透明だけれど照明で青く見える)ビニールカーテンやパーテーションみたいな装置がとても印象的でした。役者を守るためでもあるかもしれないけれど、役同士の分断や心の隔たり、嘘や屈託を仮託していて、素晴らしかったです。でも舞台中央のパーテーションはぐるぐる回転させられるもので、役者が演技しながらそれを動かし場面を変え役の立場を変えていて鮮やかでしたが、ひとつのミスがあったら台無しだったろうとも思われ、このテンションこの集中力で2時間弱の芝居をノンストップでやり続けてかつこのミザンス、すごいなとホント感動しました。
あと、みんな歌が上手い…歌詞がちゃんと聞こえる…訳もクリアで良い。ほら、これが普通のミュージカルのクオリティですよ、とまた思ってしまうくらいちょっと森の後遺症がある私なのでした…
単に集客がそこまででもない…からかもしれないけれど市松配席になっていて、換気もガンガンにしていてとても安心で快適な劇場でした。でもこれでペイしているのかなあ、とか全18回公演ってのはちょっともったいないなあ、たくさんの人に観てもらいたいなあ…とかも思ったりしました。演劇業界、まだまだいろいろ厳しいのでしょうね。せめてもの、の意気で私はこれからも軽率にチケットを買い、しっかり感染対策してマスクも二重にして、気になる演目には通いまくりたいと思います。