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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『BLUE RAIN』

2022年01月29日 | 観劇記/タイトルは行
 博品館劇場、2022年1月24日18時半。

 1997年、ニューヨーク。強欲な富豪、ジョン・ルキペール(今拓哉)が殺害された。犯人と目されたのは、父と反発し12年間家に戻っていなかった長男テオ(この日は石井雅登)。弁護士となった次男のルーク(東山光明)はこの事件の真相を追ううちに、殺害現場から大金が消えていたこと、テオの恋人ヘイドン(彩乃かなみ)がジョンの愛人になっていたことなど、兄に不利な証拠ばかり見つけてしまう。現場で倒れていた家政婦のエマ(池田有希子)はテオをかばうが、新しく入ったばかりの使用人サイラス(この日は染谷洸太)らの証言もテオが犯人であると示しているようで…
 脚本・演出/荻田浩一、音楽監督/河谷萌奈美、振付/港ゆりか、歌唱指導/福井小百合、美術/角田知穂。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を1990年代後半のアメリカに移し変えたチュ・ジョンファの作・演出とホ・スヒョンの音楽によるドラマティコ・ミュージカル。2020年初演の日本版再演。全1幕。

 ミホコが観たくてホイホイ出かけてきました。カラマーゾフは昔読んだことがあるような…宝塚版は生では観ていなくてスカステで昔見たような…な程度の記憶だったので、まったくストーリーの先行きがわからず、ドキドキ観ました。てかコロナ感染対策で前方席をつぶしているためかお席がC列で最前列だったんですけれど、そうやって舞台との距離を取っていてもなお迫る圧…小さい舞台、小さいハコではありますが、熱く濃くテンション高い作品で、テオとサイラスがダブルキャストとはいえコレを昼夜やる役者ってホント強いな!?と感心したりしました。元が韓国ミュージカルだからでしょうか、こんな血管が切れそうなテンションって日本オリジナルではあまりない気がします…それとも原作準拠なのかな?
 個人的には、ジョンが何故こんな人間なのか、というところにまったく触れられていないのがいいなと思いました。こういう理由があったからこんな悪人になっちゃったんた、みたいな説明をしたがる作品ってたまにありますが、そんな解説をしてもだからって被害者はじゃあ仕方がないね、とはならないんですよ。だからそれは余計な、要らない情報なんです。それになんら理由がなくても悪人に育つ人間っているものなんだと思うんですよね、残念ながら。だからもしそういう人間の家族に生まれたら、天災を生き抜くがごとく辛抱して工夫してなんとかして生き延びるしかない。なんの解決にもなっていないし人はバタバタ死ぬし全然ハッピーエンドでもないんだけれど、これはそういう物語だと思いました。そして雨は、人は降るのをやめさせることはできないけれど、大事な人と一緒に濡れて歩いてあげることはできる…これはそういう物語です。
 初演が緊急事態宣言まっただ中だったせいか、それを逆手に取ったような、薄青い(あるいは透明だけれど照明で青く見える)ビニールカーテンやパーテーションみたいな装置がとても印象的でした。役者を守るためでもあるかもしれないけれど、役同士の分断や心の隔たり、嘘や屈託を仮託していて、素晴らしかったです。でも舞台中央のパーテーションはぐるぐる回転させられるもので、役者が演技しながらそれを動かし場面を変え役の立場を変えていて鮮やかでしたが、ひとつのミスがあったら台無しだったろうとも思われ、このテンションこの集中力で2時間弱の芝居をノンストップでやり続けてかつこのミザンス、すごいなとホント感動しました。
 あと、みんな歌が上手い…歌詞がちゃんと聞こえる…訳もクリアで良い。ほら、これが普通のミュージカルのクオリティですよ、とまた思ってしまうくらいちょっと森の後遺症がある私なのでした…
 単に集客がそこまででもない…からかもしれないけれど市松配席になっていて、換気もガンガンにしていてとても安心で快適な劇場でした。でもこれでペイしているのかなあ、とか全18回公演ってのはちょっともったいないなあ、たくさんの人に観てもらいたいなあ…とかも思ったりしました。演劇業界、まだまだいろいろ厳しいのでしょうね。せめてもの、の意気で私はこれからも軽率にチケットを買い、しっかり感染対策してマスクも二重にして、気になる演目には通いまくりたいと思います。



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『ヴェラキッカ』

2022年01月28日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京建物Brillia HALL、2022年1月21日18時。

 名門貴族ヴェラキッカ家のノラ(美弥るりか)は一族の仲間と養子たちに囲まれて暮らしていた。ヴェラキッカ家の吸血種たちは全員がノラに強烈なまでの愛情と執着を見せる。そこに新しい養子キャンディ(平野綾)が現れ、ノラを巡るマウントゲームが激化し、やがてヴェラキッカ家の秘密が暴かれていく…
 作・演出/末満健一、音楽/和田俊輔。2009年初演の『TRUMP』から始まる、吸血種たちの叙事詩を描くミュージカル。全2幕。

 2018年上演の『マリーゴールド』にえりたんとあゆっちが出演したんでしたっけ? それでひととき私のTLでは話題になっていた気がします。それ以前にもなんとなく名前は聞いていて、吸血鬼の話でオリジナル・ミュージカルでマニアックなファンが多いらしい…みたいなイメージはなんとなく持っていました。シリーズ最新作の主演にみやちゃんが決まって以降も再三話題は聞こえてきましたが、私は格別みやちゃんのファンだったわけでもないし、門外漢にはおよびでないものなのだろう、とスルーしていました。
 が、今回の作品はシリーズ未履修でも問題ない、とかノー予習でも大丈夫、とかこの演出家の作品にしては珍しく観易く優しい(易しい?)という評判や、コレは全みやちゃんファンが観たかったヤツだ、とかこれこそみやちゃんの退団公演だイヤ真性お披露目公演だとかの評判も聞こえてきて、ほほう、と興味を持ったところに譲渡ツイートを見かけたので、もうすぐ千秋楽というタイミングでしたがシュッと行ってきました。よかったです!!!
 ちなみにブリリア席ガチャは…後ろが中通路、という列のセンターブロック下手寄りだったのですが、前列は背が特別高いわけでもないごく普通のお若いお嬢さんでしたが、ゼロ番から下手半分くらいが全然見えませんでした。上手側半分と下手端だけが見える。すごく姿勢良く座ってやっとなんとか下手のセンター寄りに立つ役者の顔だけは見える、足もとなんかは全然見えない…という感じでした。このハコの1階前方の床の段差、他の劇場より確実に小さいですもんね。そんなところ上品ぶっても仕方ないやろ、と思います。ホント今すぐ工事し直してほしいよ、やたら足音が響く床の材質も含めて…でも音は良かったです。確かアルバムなんかも出しているくらい楽曲にもこだわりがあるシリーズ、という認識でいたのですが、そのとおりにみんなガンガン歌うし踊るし、だけどみんなちゃんと上手くて踊りながら歌っていても演奏が大音量でも歌詞がちゃんと聞こえて、非常に心地良かったです。音響(百合山真人)とかチューニングとかがすごくちゃんとしているんだろうなと感じました。
 開演前にプログラムにざっとでも目を通して軽く予習したい…と思って開場すぐに入ったのに、客席の照明はすでにほの暗く、プログラムの印字の色が紺で(客席ではグレーに見えました)見出しは七色のグラデになっていて(35年か40年前にこういうインクで同人の便箋とか作ったよね…!?と震えました)、鳥目と老眼とコンタクトレンズによる遠視では全然読めなくて断念しました。なので本当にノー知識で観ました。でもまったく問題なかったです。

 みやちゃんの卒業公演みたい、いやお披露目公演みたい、という評については、確かに私も『武蔵』はホントしょーもない脚本だったと思っていますし『クルンテープ』もサヨナラ仕様にはあまりなっていなかったと思うので、なるほどなとは思いました。ただ、トップスターのプレお披露目の別箱公演でも、こんな主役ありき、主役一本被りの、主役の主役による主役のためだけの演目なんて作ってもらえませんよ…!とは思いました。ショーやコンサートでもなかなかこうはいかないと思います。それは宝塚歌劇が他のスターや最下の組子にまでなんとか出番を作ろうとするせいもあるけれど、やはり在り方というか覚悟というか振りきり方が違うんだろうな、と思いました。なんせこれまでの経緯をスルーしていたので演出家がどこでみやちゃんを見初めたのかとかどういう意図でキャスティングしたのかみたいなことを全然知らないのですが、もともとノラの物語はうっすら構想していて、そこにどんぴしゃの役者が現れた…みたいな感じなのでしょうか。素晴らしい出会い、奇跡ですね。でも別にノラとその他大勢、みたいになっちゃっていないところがいい。養子たちはアンサンブルかもしれないけれど、メインキャスト8人にはちゃんとキャラクターとドラマがありました。これはロビン(宮川浩)が刺さる人もウィンター(西野誠)が刺さる人もあるいはマギー(斎藤瑞希)が刺さる人もいるでしょう! 配役もしっかりしていました。このクオリティは純粋にすごいと思います。
 ただ逆に言うと、ファンの喜び具合が私には少し奇異に感じられました。私は彼女の卒業後の活動を全然追えていないのだけれど(私が観たいと思う作品に出ていないので)、それに不満があった、ということなのかな…? あるいは未だ男役姿みたいなものを求めているということなら、それはちょっと不幸なことなのでは…とも思ったりしました。また、ノラは確かに中性的というか性を超越したようなキャラクターで(私はなんせ未履修ゆえに吸血種にも性別ってあるのかいな、とか性交による生殖で繁殖してるんかいな、とか考えながら観ていたわけですが)、かつザッツ座長というか、それこそ登場人物全員の中心かつ頂点にいる存在のお役なのですが、ぶっちゃけて言うと要するに幻、幻想のキャラクターなわけで、もちろんその演技は意外に難しいとは思うのですが、ただただ美しく絶対的に在るだけの役とも言えるので、ある程度の美貌を持つ役者なら誰でもやれちゃうんじゃないの…?とちょっと思っちゃったんですね。みやちゃんじゃないとできない役、とまでは思わなかった。まあそれはどんな役でもそうなんだけどさ、戯曲が先にあって役者はそれを演じるだけだし、再演で交替することもあるわけですからね。イヤもちろん今回はみやちゃんあっての当て書きだったのかもしれないけれど、でもみやちゃんの役者としての資質、可能性はコレだけじゃない、こんなもんじゃないだろう!?とファンじゃないからこそ思ってしまいました。そういう意味では私はやはり芝居が好きで芝居が観たいんだと思います。だからもっとがっつり芝居するみやちゃんをどうせなら観たい、という欲が出ました。この作品を見るまでほぼノー興味だったんだから、逆に考えるとすごいことですね。
 私が一番感じ入ったのは地下室の少女時代のノラのくだりでした。つまりちゃんと生きていたころのノラ、ということです。ラスト、それまでお衣装も鬘も取っ替え引っ替えしてきたノラがどんな姿で現れるんだろう?と思って、いざポスターの姿で出られたらなるほどやられた!とは思ったのですが、一方で私はあの地下室の姿で出てきてくれてもよかった、襤褸を着て伸び放題のぼうぼうの髪で、それでも、あるいはだからこそ美貌がいっそう際立ち、一番美しく見えた気すらしたあの真実の、生前のノラの姿でもよかった…!と思ったのですよ。みやちゃんの役者としての真骨頂はそこにあるのではないかと思いました。
 もちろんそれはそれとして、ラインナップですら新しいお衣装を着て出てきちゃうスーパーモデルスターっぷりとか、最後の最後に「また同じ夢を見ましょう」みたいな殺し文句を言って締める千両役者っぷりとかにはギャー!と興奮させられたんですけれどね。まあでもそれくらいここまでファンが不憫だったということなのかな…かいちゃんに先駆けてユニセックスな感じで元気に活動しているのかなー、と遠目に眺めていたんですけれどねえ。てかホントこんだけ歌って踊れるんだからもっとなんでもできるだろう、と思っちゃうけどなー、事務所とかなんとかあるのかなー、芸能界コワイ。

 さて、そんなわけで舞台は、これまた「1幕はショーで2幕は芝居」とも聞いていたのですがまさしくそんな感じの構成なのと、ヴェラキッカに新たに加わるキャンディというキャラクターが置かれていることもあって、彼女と一緒に世界に入っていけてとてもスムーズでした。あゆっちのジョー(愛加あゆ)がわりとすぐに、鮮やかにかつ躍動的に出てきてくれたのも心強かったです。ガンガン歌い踊るナンバーがけっこう多くて、でも歌もダンスもクオリティーが高くて観ていてとても楽しく、普段の私なら「それはいいからさっさと話を進めてくれ」とちょっとは思いそうなところを全然そんなふうに感じませんでした。
 で、ジョーを起点にして話が動き出し、バーン!って感じの引きで1幕が終わり(『SLRR』に足りなかったものはイロイロあるがコレもだよ)、2幕の「そうだったのかー!」からのもう一展開、そして主題歌「ヴェラキッカの一族」エンディングバージョンで盛り上がるフィナーレとラインナップ、キメてジャン!で暗転!!でもう「フウゥーッ!!!」ってなりましたよね。気持ち良くスタオベしましたし、最後に上手袖に引っ込むみやちゃんの優雅なお辞儀に痺れました。いやコレが刺さらないオタクはいないでしょう!?!?(巨大主語)
 というわけで大変楽しく観たのでした。

 お話は、突き詰めると、ノラを「初恋」と語るシオン(松下優也)の、そしてノラの異母弟で彼女に対して屈託や罪悪感があるカイ(古屋敬多)のドリーム、願望、理想、幻想のノラの物語…ということですよね。そこにこのシリーズの吸血種に特有の設定、「イニシアチブ」が絡む。実によくできていると思います。ホント偉そうな物言いで申し訳ないんですけれど、ぱっと見オタクならすぐ考えつきそうな設定だったり話だったりするとは思うんですけれど、これだけのクオリティのミュージカル、作品、ストーリーに仕立て上げることはなかなかできるものじゃないと思いました。その熱意と技量に感心するし、このシリーズの演目をブラッシュアップし続けレベルアップさせ磨き上げてきた成果なんじゃないかなと思いました。見習わせたい脚本・演出家にたくさんたくさん心当たりがあります…
 美しい、元男役のみやちゃんの特性、魅力を引き出すため、という一方で、だからノラはあんな男言葉で話すんですね。それは唯一話し相手になってくれたシオンから学んだものなのでしょう。そしてだからノラはあんなに現れるたびに違う髪型、違う服装なわけです、それはみんながそれぞれに思い描いた幻想の姿だから…説得力があり、素晴らしい。
 愛ってなんなのかとか、存在しないものを愛せるのかとか、それは幻想にすぎないものなのかとかは、哲学的なような形而上的なような感傷的なようなエモいような…な、永遠のテーマのひとつかな、と思います。この吸血種たちは不老不死ではないらしく、ごく人間臭い感情を持っているようでもありますしね。だから忘れてしまうことや忘れられてしまうことへの恐れも持っている…それで人間臭く足掻くさまが、観ている我々人間のオタク心にも刺さるんだと思います。また対象に一方的に愛を捧げることは、スター、アイドル、キャラクター、推しというようなものを愛することと似通った部分があり、そのあたりも我々にはぐさぐさ刺さるワケです。そして結論としては、そうした愛や夢に罪はない…というようなことに至り、「また同じ夢を見ましょう」と誘われて終わるんだから、そらファンは柔らかな繭に包まれて幸せな夢を見る繭期の野良ヴェラキッカになりますよ、ってなもんですよね。ホント、わかる!ってなりました。
 イニシアチブに関する説明なんかも上手くて、ホントにノー知識で観ても大丈夫なところ、ちゃんと萌えどころがわかるところが本当に素晴らしいなと思いました。

 ところでプログラムにシリーズの物語に関する年表があって、第一作を元年として前後1万4000年あまりのことが解説されていましたけれど、この単位って本当に「年」なんですかね? 365日の? てかこれ地球の話? シリーズに人間は全然出てこないの? この元年は人間の世界の西暦だと何年くらいのイメージなの? もちろん人間種と吸血種が共存している社会なんて実際にはなかったんだから、架空歴史ものでありなんちゃって地球なのかもしれませんけれど…あとアジア人とかの吸血種はいないのか?とかね。いや中の役者は日本人でしょうが役は西洋の白人っぽいじゃん? そういうのは今やちょっと気になりました。あとは純粋に、私はこの先の人類は文化の爛熟と種としての衰弱とであと数世紀も保たないんじゃないかと考えているので、「いちまんねん…」ってなっちゃったのでした。ま、人類が滅亡しても地球は肥大した太陽に飲まれる何十億年か後まではあるんだと思うので、そこが吸血種の楽園となってもいいのですが…あ、でも血を吸う相手がいなくなっちゃうのか? うーむもう少しシリーズを勉強しないと損な考察はできないのかもしれません、失礼いたしました。
 でも人間のキャラクターが全然出てこないんだとなると、吸血種って血を吸うってだけで、そして人間より運動機能的に俊敏だとか思春期の不安定さが激しいとかはあるにせよ、日光に当たっても平気だしニンニクも十字架も苦手じゃないしコウモリに変身したりもしないようなら、ほぼ人間ですよね…人間との差異が問題になるようなエピソードはないのかな? 人間とも交配可能という設定だそうだけれど、人間種とは関わりを持つことを禁じられているとありますが、どういうことなんでしょう…では誰の血を吸うの?
 あとイニシアチブを発動させる噛むという行為と吸血とは、イコールではないということなのかな? そのあたりはよくわかりませんでした。でもまあ、そういう禁忌やルールが多い設定でアレコレ物語を作ろうとしちゃうのがオタクというものですよね…そして永い時を生きる者の愛や苦悩を想像して年表作っちゃうの、わかりみしかありません。私も『ポーの一族』を読んで似た話やキャラを夢想して系図とか年表とか自作しましたよ…てか「人は二度死ぬという」は『トーマの心臓』のあまりにも有名な冒頭のフレーズですもんね。
 末満さんという人は最も成功したオタクのひとり、ということなのだろうな、と思ったりしました。すべての創作者かくあれかし。機会があれば別の作品も観てみたいですが、私は配信がどうにも苦手なので、また再演や新作の上演があれば、かな…くわしい方の解説や語りを聞いてみたいです。ご教示、待っています!
 公演は大阪まで行くんですね、無事の上演をお祈りしています!!









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『リトルプリンス』

2022年01月22日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 シアタークリエ、2022年1月20日18時。

 砂漠に不時着した飛行士(井上芳雄)は、宇宙に浮かぶとある星から来た王子(この日は土居裕子)と出会う。王子が暮らしていた小惑星はとても小さく、火山がみっつとバオバブの木、一輪の花(花總まり)が咲いているだけ。ある日、花と喧嘩した王子は渡り鳥とともに旅に出、いろんな星を巡り地球にたどりつき、不思議なヘビ(大野幸人)やキツネ(井上芳雄)との出会いを経験したと言うが…
 原作/アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、演出/小林香。音楽座ミュージカルオリジナルプロダクション総指揮/相川レイ子、脚本・演出/ワームホールプロジェクト、音楽/高田浩、金子浩介、山口琇也。1993年初演、95年『星の王子さま′95』として再演、著作権保護期間の終了で『リトルプリンス』の題名に戻し、以後何度も上演されている音楽座のミュージカル。東宝制作の音楽座ミュージカル第3作。全2幕。

 以前に別の脚本、演出、座組で観たものはこちら。宝塚歌劇花組の『サンテグ』の感想はこちら。
 もし無人島に一冊だけ本を持っていくとしたら…L・M・ビジョルド『バラヤー内乱』か柴田よしき『聖なる黒夜』かこの『星の王子さま』(私が愛蔵しているのは2000年に岩波書店から出たオリジナル版、訳は内藤濯)かで一生悩み続けると思います。私はこの本には幼いころに出会った記憶はなくて、大人になってから読んだ気がします。愛読書が『星の王子さま』です、とはこっぱずかしくてちょっと言いづらい空気がありますよね。でもやはり、しみじみ深くて詩的で哲学的で悲しく美しいお話だと思うのです…というわけで今回の舞台も、後輩が行けなくなったというのに飛びついていそいそと出かけてきました。自分で取っていたら加藤梨里香回を取っていたと思うので(だってみんなレジェンドを観たがるでしょ?というあまのじゃくと逆張り…)、土居裕子が観られてむしろよかったです。やはり素直に観ておくべきですよね。音楽座初演王子、ということは知っていましたが24年ぶりとは知りませんでした。でも出てきたときから、そして笑い出すとまさしく「ああ、その笑い声…!」と早くもダダ泣きするくらいザッツ王子で、素晴らしかったです。子供の声として歌う、ってこういうことだと思うよ某の赤ずきんよ…!
 イヤもう出てくる人がみんな歌が上手くてノーストレスで芝居もダンスもアンサンブルのコーラスもビンビン響いてきてダダ泣きで、しつこいですが森の疲れが一気に癒やされました。てかべーちゃんのヒツジ、可愛かったー!
 セット(美術/松井るみ)がとてもいいですよね。あちこちに大小さまざまな丸い穴が開いているだけの壁、なんですけれど、その丸が星々にも夕陽にもヘビやキツネの巣穴にもなる。プロジェクション・マッピングで映る映像(映像/KENNY)も素敵だったけれど、圧巻は1幕ラストに天井が降りてくるところ。王子が地球に降り立つ様子を見事に表現していて鳥肌ものでした。きっと神様が地上に降り立つのもこんな感じ…とまで思ってしまいましたよ……
 花がいじらしくて、ヘビも下心があるからかもしれないけれど意地悪じゃなくて親切ででも妖しくて怪しくて、キツネはもうホントに可愛くて、きゅんきゅんでした。唯一惜しいなと思ったのは、ヘビに噛まれた王子が倒れるくだりがないところ。暗転してブランコで昇天…という演出でした。原作の音もなく声もなく倒れるくだりとその挿絵と、王子がいない寂しい砂漠の絵が私にはすごく印象的だったので…でもこういう部分は舞台でそのままやるのが意外と難しいんだろうな、とも思います。倒れてセリ下がる…というのもなんだかなあ、ですしね。ともあれマスクの中が涙と鼻水でべしょべしょになるくらい泣きました。
 ラインナップで、飛行士の姿で出てきたヨシオさんが最後にキツネの尻尾を出して振ってみせるところに思わず笑っちゃいました。ちょうど東京公演中日、かつイープラス貸切ということでちょっと長めなのかな?なカテコのトークがあったんですけれど、先日の休演日にヨシオとハナちゃんが出演した「あさイチ」裏話なんかもあって、とても楽しかったです。「あさイチ」で「生の僕たちは五割増しですから」とテレビの視聴者に向けて劇場へ来るよう誘ったヨシオさんでしたが、「言いすぎたかな、三割増しにしておけばよかったかなと」とか語ってまたまた笑いを取っていました。テレビでの生歌(録画、編集ではなく生放送、という意味で)ももちろん素晴らしかったですけれど、やはり生の舞台は違いますよ、八割増しと言ってもいいと思いますよ! 後方席でしたがエネルギーがビンビン届きましたし、そこに、その場にいる生身の人がやっているというリアルと、だからこそ生まれる魔法というものが劇場、舞台にはあるんだと思うのです。それは心の栄養になり生きる糧となります。不要不急のものなんかじゃないんです。「王子の要素は、誰しも何パーセントずつかはある」「100パー王子だって人はね、いないと思います」「知らないうちに減ってく王子のパーセンテージを増やすために、人はお芝居を観たり本を読んだりする」というのはプログラムの座談会にあったヨシオの言葉で、この王子要素とは純粋さとか子供の心とか目に見えにい大切なものを見る力とか、そういったもののことだと思います。現世の人間には100パーは無理だけれど、0って人もいないのだ…と信じたい。みんなが自分の花を愛し世話を焼き、夕陽を眺め、キツネと特別な関係になる経験をできていたら、世界はもう少しだけ優しく、良くなるはず…
 そうそう、ラインナップで王子が肩に星のついた、あの不思議な形のローブ?を着て出てきてくれて、私は思わずはしゃぎました。それまでの、パジャマみたいな水色の上下と黄色のマフラーももちろん王子ルックなんですけれどね。でもこういうコスプレ(コスプレ言うな)って大事だと思うのです。あの瞬間、私の中の全王子要素が湧いたしだいぶ増したと思う(笑)。そういうときめきや喜びを求めて、明日からも私はできるだけの対策をしつつも、劇場に向かうのでしょう。そこに泉がきっとあるから…


 


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『INTO THE WOODS』

2022年01月21日 | 観劇記/タイトルあ行
 日生劇場、2022年1月18日18時。

 昔むかし、はるか遠い王国でのお話。この王国の村でパン屋を営む男(渡辺大知)とその妻(瀧内公美)には、何故か子供が授からない。ある過去のいざこざから、魔女(望海風斗)がこの一家に呪いをかけていたからだ。その魔女がパン屋夫妻に提案する。子供が欲しければ森へ行き、ミルキーな白い牛と血のような赤い頭巾と黄色いコーンの髪、きらめく金の靴を取ってこい、と。森へ入ったパン屋夫妻が出会うのは、それぞれに人生の屈託を抱えたお伽話の登場人物たち。赤ずきん(羽野晶紀)は思春期真っ只中で、シンデレラ(古川琴音)は継母(鞠谷友子)たちにいじめられながらも王国のフェスティバルへの出席を計画中で、『ジャックと豆の木』のジャック(福士誠治)は唯一の財産である雌牛を豆五粒と交換してしまう間抜けだ。そして塔の上に住むラプンツェル(鈴木玲奈)は母である魔女の言いつけを守り、幽閉の孤独に耐えている。パン屋夫妻は彼らの隙を窺うが…
 作詞・作曲/スティーヴン・ソンドハイム、脚本/ジェームズ・ラバイン、演出/熊林弘高、翻訳・訳詞/早船歌江子、音楽監督・指揮/小林恵子。1987年ブロードウェイ初演、2014年には映画化されたミュージカル。全2幕。

 日本でも何度か上演されているそうで、それこそ赤ずきんはさーやだったこともあったそうなのですが私は未見。映画も見ていません。プレビューのときからはかばかしくない評価、感想ばかりが流れてきていたので、さてどんなもんかな…と出かけてきました。もちろん私はだいもん卒業後初舞台ということで早々に知人にチケットお願いし、おかげさまでオペラいらずの前方ほぼどセンター席で拝見できました。OGは他にシンデレラの継姉がワタルとコムちゃんで、スウィングとシンデレラの影役で則松亜海ちゃんが出演していました。そろそろプリンシパルで出てほしい…! 台詞のない、スカーレットⅡみたいなお役でしたが、華があって存在感があって立ち居振る舞いが美しくして、素晴らしかったです。私はテレビドラマでしか見ていないけど古川琴音が大好きなのですが、舞台の立ち姿はやはりまだまだまだまだ(重ねた…)だったので、余計にあみちゃんが鮮やかに見えました。
 さて、その「プリンシパルが歌えない」「そもそもミュージカル俳優じゃない人間を起用するな」説ですが…私は原曲を知らないし、ソンドハイム楽曲って不協和音が多かったりなんたりの複雑でわかりやすいものではないので何が正解なのかもよくわからなかったから…というのもありますが、歌が下手というより、声が良くない、あるいは舞台向きに鍛えられていなくて、かつ苦しそうに歌うしいかにも喉に負担がかかってますって感じの歌いっぷりだから、歌が上手く聞こえないし耳障りで聴いていて疲れるんだな、と思いました。それはもう開始3分でわかります。あとは、慣れかな…つまり私は「仕方ない、そういうセンね」とわりと早々にあきらめがついて、それ以上あまりこだわらないことができたのでした。そこまで音楽的素養がない人間ですみません。
 じゃあ一方で内容がおもしろかったかというと…これまた「翻訳が下手、歌詞が日本語として良くない」とも聞いていましたが、私はこちらもそれほど気になりませんでした。ただ、主題歌というか、「♪Into the woods」をそのまま「♪イントゥザウッ」と歌わせていて、そりゃそうなんだけど同じ音でも英語と日本語ってやっぱり違うしこんなに詰まってちゃ役者も歌いにくいだろうし聴く方もしんどいし、でもこれをたとえば「♪森へ」とはしない、できない訳の方針、スタイルなんだな、と思ってそこで割り切ったというか、じゃあそれなりに観るよ、とこの作品を見限ってしまったところはあります。あとは、群像劇といも言いがたいんだけれど、誰が主役とかが特になくて、感情移入しづらい構成だったので、私はもう作品に対してただのお客さん、完全なる傍観者として眺めるスタンスに早々になってしまったのでした。
 最後まで観ると、というか二幕になると、赤ずきんとシンデレラとパン屋とジャックの4人が主役なんだな、ここがチームなんだな、とはわかりました。でも、そのうち3人だけを子供たちとしてそれぞれの幕の冒頭に作品世界の外に置く意味がわかりませんでした。というかそう解説しているとあるブログを読むまで、あの子供たちがシンデレラたちの俳優の二役であることに私は気づけませんでした。そんな感じでなんか全体に演出がぬるいというかあいまいというか、どう見せたい、どう語りたいのかが伝わってこなくて、こっちも考察をやめてキャッチしようとせずただ眺めてしまった…というのは、あるかも。でも赤ずきんちゃんはグレてて、シンデレラはドレスやダンスには興味があっても恋愛や結婚はちょっと…らしく、その王子(廣瀬友祐、渡辺大輔)も浮気性だし、兄弟でなんだかいざこざがあるようだし…と、お伽話の登場人物たちにも本当はいろいろあるんだよ、みたいなことをシュールにブラックに大人向けに描いたファンタジー…ということなんでしょうけれど、そもそもこのあたりのグリム童話とかディズニー・ロマンとかに私はそこまで思い入れがないので、「はー、さよけ」と思っちゃったんですよね…これで誰かに感情移入して観る形になっていれば、もうちょっと親身にストーリーやドラマを楽しめたかもしれないのですが…
 なので、そんな虚無になりかけた観劇を颯爽と救ったのが魔女のだいもんですよ! 世紀のトリックスター、裏主役でしたよね。いっそこちらをがっつり主役に立てればよかったのに!! なんせもうそういうふうに頭を使うのをやめて観ていたので語る資格はないかもしれませんが、レイプされて孕まされたのでその男の家系に呪いをかける、って別に悪いことじゃないですよね。まあその呪いが息子夫婦にかかっちゃってるのは気の毒かもしれませんが、受けた傷から考えたら報復すること自体はまったく正しい。パン屋が条件をクリアすると、実は解かれる呪いというのは魔女にかかっていたもので、呪いが解けて彼女は若く美しくなる…が、魔力は失う。このあたり、フェミニズム的にいろいろ考えられるし考えるべきなんでしょうけれど、再三言いますが私はそういう見方を一切放棄してしまったので、ただただだいもんの達者さと自由闊達な演技、歌、ダンスに酔いしれて見入って終わりました。でもそれで十分楽しかった!
 だってだいもんが登場するなり客席が、「聴くに足るものがやっとキタ! てか上手えぇ!!」ってぐっとテンションが上がって集中力が増しましたもんね。あの空気の動き方はすごかったです。客席にファンが多くいた、というのもあるでしょうが、でもすごかった。ファンでない人も、だいもんを全然知らない人でもハートを掴まれていたと思いました。それくらい圧巻でした。生き生きしていた、自由自在でした。のびのびと楽しそうな魔女っぷりでした。トップスターの卒業後の迷走をたくさん観てきましたが、これはいい再デビューだったと思います。芸は身を助けるなあ、てかそもそも本当に声がいいんだよね…でももちろんちゃんと鍛えられている。ただの天性のものではない、ちゃんと時間をかけて鍛錬されたものだと素人でもわかるのです。だからだいもんは跳んでも跳ねても踊ってても担ぎ上げられていても自由に、楽々と、朗々と歌えるんです。その域にいた役者はこの舞台に他にいなかったでしょう。王子始め、男優陣はわりとしっかり歌えていたかなと思いましたが、でも上手さに笑っちゃうほどではなかったですよね。だいもんには、上手さで笑わせる破壊力がありました。
 羽野晶紀は子供っぽい地声のまま歌おうとしたことが敗因でしょうし、酷評されている(確かにあのインタビューは良くなかったろう…)瀧内公美も私は声は特徴的で芝居はすごくいいなと思ったんですよね。ただ高音は出ていなかったし、それは古川琴音もそうでした。お稽古期間がもっと取れればもうちょっと違ったのかもしれません。でもオペラ歌手の鈴木玲奈の美声は浮いていたよね…とかまで考えると、やっぱりこのプロダクションそのものがアレだったんじゃないの?と言いたくもなります。とにかくトータルで私には謎な作品でした。また違う座組で観られる機会があるなら、観てみたいとは思いました。ハマれたら楽しく感じ入りまた考察に励めるような作品なのではないか本来は、と思ったので…
 カーテンコールのラインナップで、だいもんとあみちゃんがどセンターに前後で並ぶ瞬間があって胸アツでした。立派なMVPだったと思います!
 これは梅芸まで行くんですね。ちょうど蔓防期間ダダ被りになりそうですが、どうぞご安全に、無事の完走をお祈りしています。




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宝塚歌劇雪組 『Sweet Little Rock’n’ Roll』

2022年01月19日 | 観劇記/タイトルさ行
 宝塚バウホール、2022年1月16日15時。

 1950年代のアメリカ。田舎町からリールハイスクールに転校してきたばかりのビリー(縣千)は、クラスメイトのシンディー(夢白あや)と顔を合わせれば喧嘩ばかり。ちょっとおせっかいで世話好きなフットボール部のコーチ・フレディ(真那春人)は、実はビリーとシンディーはお似合いのカップルなのでは?とふたりのクラスメイト・ロバート(彩海せら)に聞くが、頑固でクールを装うところがあるビリーと理想が高くうぬぼれ屋なところがあるシンディーの様子を見ているだけに、ロバートにはまるで想像がつかない。そんなロバートは優等生のメアリー(音彩唯)に夢中。それを知ったフレディはある作戦でふたりの仲を取り持つが…
 脚本・演出/中村暁、作曲・編曲/手島恭子、振付/AYAKO、百花沙里。シェイクスピアの『から騒ぎ』を下敷きに、1985年に月組で『スウィート・リトル・ロックンロール』として上演された作品を大幅にリメイク。全2幕。

 花はほのか、月はおだちんで来たバウ初主演シリーズ、雪は一期下のあがちんで来ました。
 あがちん、華がありますよね見事ですよね、ちょっと小柄かなと思うんですけどそう見せないパワーがありますよね。ビリーって出番が中途半端で、ずーっと出ているときもあればちょこちょこ引っ込むときもあり、そしてストーリーを引っ張るわけでも逆に受け身に徹するわけでもない中途半端な立ち位置の主役で、やりづらいんじゃないかなーと心配になるほどでしたが、その中では脚本に書かれた頑固でスカしてカッコつけようとしているけれど根は熱くて素直でいい子、みたいなキャラを十二分に演じていて、さすがでした。
 ただ歌が弱いのは気になったなー、もっと歌えてるときは歌えてるのになー。今回は歌がヘボくてダンスになったとたんに雄弁になるのが、ちょっとあからさますぎました。雪の御曹司としてトップへの道が見えているスターさんだと思うので、このあたりで最低限もう少しなんとかしておかないとちょっとつらいかもな、と、酷なようですが注文をつけておきたいと思います。音痴だとか声量がないとかではないよ、でも息もつけないくらいに大変なのかもしれないけれどもそれでも口先だけで歌ってちゃダメだし、感情が乗せられなきゃダメだと思うのです。芝居歌、ミュージカルですからね。
 プロローグも本当はもっと歌詞を聞いて作品の世界観を知りたかったのに、客席がすぐ手拍子しちゃうから…でもこれは、曲のノリもあるけれど歌がつらいから支えようとして打っちゃうところもあるんだと思うんですよ。でもそれじゃダメですよね。ちなみに歌詞は全然聞き取れませんでした。これから、本公演のショーの歌なんかはさらに情感が必要になったりもっと難しくなるものだと思うので、ホントがんばっていただきたいです。
 でもきっとめっちゃいい子なんだよね、だから順番に仕上げていくんだと思います。がんばれ! 期待しています、好みの枠にいるタイプじゃないはずなのに、好きです。というか本公演でもいつも目が行くもん。そして本当に身体が利いてダンスが素晴らしい。その長所は生かして、弱点をなんとか補っていく時期かなと思うのです。元気に学べ!
 しかしフィナーレの1曲目は…お衣装は『カンパニー』のバーバリアンとかだった? なんにせよ曲はK-POPのものだったかと思うんですけれど、なんかまんますぎて、宝塚の男役群舞には全然なっていなかった気がしたのが気になりました。イヤまったく生徒の責任ではないんだけどさ。A先生の好みだとは聞きますが、もし本当にこれがやりたいなら営業してジャニコンのスタッフ目指せば?と思うなー…宝塚歌劇とは美の文法が違うんだし、ダンスだけを見ても違うとしかいいようがないんですよね…
 あがちんは若くても黒燕尾もデュエダンもとてもしっかりしていました。そういう意味では古典的な、クラシカルな男役さんなんだと思います。こっちのセンで鍛えるべきだと思いますよ、てか若手にはジャニかKやらせとこ、みたいなのホントやめてくれ。それこそおっさんの発想なんだよ…
 ヒロインはやっと来たよ!の夢白ちゃん。宙組から組替えしたときにはてっきりあーさ嫁かと思っていたのにあーさバウのヒロインはまさかのひまりで(もちろんジェインは結果的にひまりでよかったと思っていますし、その後のちょっと別格くらいにまで扱いが良くなっているのはホント嬉しいし、そもそも私はひまりが大々好きなのですが)、雪娘って充実しているからピックアップの最下で硬質な美貌を放つ…みたいな仕事をショーでずっとしていましたが、ついに広いんです。そーなんですよ強い芝居もできるし娘役力もあるんですよすごいでしょ!?と言って回りたくなるような八面六臂の大活躍っぷりで、鮮やかでお見事でした。頭が良くて気が強くて、美人だからモテるんだけどそこらの男には鼻も引っかけない気位と理想の高さを誇る、キュートでチャーミングなヒロインを生き生きキビキビと演じてまあ小気味のいいこと! お衣装もどれも似合う! そしてオーバーなアクションもときめき繊細モーションも美しい!
 フィナーレでは、娘役では珍しい三角形隊列の頂点で華やかな女王然として踊り、デュエダンではリリカルに愛らしく相手役に添い、軽々と持ち上げられてみせカテコではキャッキャウフフして、ホントもうサイコー!でした。初舞台とか初組子のころは痩せぎすに見えましたが、いいバランスの身体になりましたよね。特に新調なのかな?一幕後半の地がライラック色の花柄のドレスが、細部のデザインもキュートでめっかわでした。
 2番手カップルはあみちゃんとはばまいちゃん。脚本がもの足りないからこのふたりが優等生でおとなしやかで引っ込み思案で…ってのがわかりづらくて歯噛みしましたが、その中でふたりとも素晴らしく上手くキャラを表現していたと思います。はばまいちゃんも『CH』新公香より(すごくよかったのですが!)こういう方がニンなんだろうし、まずはこのあたりから修行していきたいところですが、娘役力はまだまだだったかなー。まだとおりいっぺんの技量でやっているだけに見えちゃった気がしましたすみません。あみちゃんもそこへの包容力はまだ足りない、というか遠慮が見えた気がしましたが、下級生娘役と組むのが初めてってナウオンで言ってましたもんね。出世が早いと上級生娘役と組むことになるから、知らず知らずのうちにサポートしてもらっちゃうんですよね。そろそろ逆転するタイミングだということですし、それこそ組替えがいい方向に出ることを期待しています。歌えるしキラキラしているし、月組でもいい戦力になると信じています!
 3番手格はロッキー(眞ノ宮るい)のはいちゃん、リーゼントはアレだがいいヤツですよね。さすがに上手いし過不足ない。相手役は華純ちゃんのミリー(華純沙那)でこれまたカワイイ! わざとなのかまだできていないだけなのかわからない感じの野暮ったさもたまらなく可愛かったです。でもここの告白シーンとかがあるんだから、プロローグはともかくとして、二幕オープニングで番手都合なんだろうけどロッキーが妃華ちゃんマーガレット(妃華ゆきの)と踊ってるのって変じゃない? 私は気になりました。
 あとはぐいぐいジョー(天月翼)の天月くん、さすがの達者さでした。先生チームは校長のにわさん、まなはるに愛すみれ。ちょいちょい滑っていたのは脚本・演出の不明瞭さによるものだと私は思いました。不憫…
 スクールガールとかウェイトレスとかをやっていた麻花すわんちゃんがどこにいてもやっぱり可愛かったです。そして私は『CH』でギャーこういう顔ホント駄目…!となったのが琴羽りりだとついに判別できました個人の好みの問題ですすみません。
 あとはコロナ太りなのかなんなのか、体型がちょっとアレレな下級生娘役さんがいらっしゃいましたね…イヤ若い身空で大変だとは思うんだ過度のダイエットは良くないとも思うんだ、でも夢が壊れて悪目立ちするのでなんとかしていただきたいと思いましたすみません。いやルッキズムの問題とかいろいろあるけどさ、それを是正していく役割は別のエンタメが負うべきだと思うんですよね。で、宝塚歌劇は最後の最後まで「まだ美男美女だけの世界とかやってるの? ダサ…」って言われるくらいでいいんだと思うんです。今までだって女子供の学芸会とスルーされてきたのだから、そこに甘んじてていいんです。いっちょまえにコンプラとか添おうとしてみなくていい、独自の美学を貫いていていいんです、それがどんなに歪んだものだろうと。世が正されて初めてその歪みが意識される、くらいでいいのだとこの問題に関しては思います。

 さて、そんなわけで毎度のことではありますが生徒は全員大発奮大健闘で明るく元気に楽しく世界観を表現していたと思います。単に若者ががんばってるね、だけではなくちゃんと作品にしようとしていたことに好感を持ちました。勢いだけのパワーで押し切ろうとはしていなかったと思ったのです。
 では何が寒くて何が滑っていたのかといえば、脚本・演出でしょう。特に脚本は初演から何をどうリメイクしたのか教えてほしい。あとシェイクスピアに謝ってくれ中村A。ちなみにサトルと読むのは知っています、A呼ばわりなのは悪口です別称です。ショーも凡庸だが芝居の新作は今後ホントもうやらなくていいからマジで。だってリメイクしてこれなんだもん、手を入れてこのレベルなんだもん。それか全然手を入れていないってことなんでしょ? つまり問題点が把握できていないってことですもん、絶望的すぎます。
 冒頭、ビリーと校長の会話からもう意味不明でした。スカステニュースで編集されたワンカットだけでもう意味不明じゃないですか? 原作に似た言い回しがあるんだとしても、全然日本語になっていませんでした。ここは校長が、この学校で青春を謳歌しなさいよ、みたいな歓迎の言葉を言い、けれどちょっとつっぱらかってるビリーは反抗的なことを言い返してみせる…ってだけのシーンだと思うのですが、その会話が意味不明ってホントどーいうことなの…もう初っ端からアチャーで、私はちょいちょい天を仰ぎましたよマジで。耐えきれなくてギュッと目をつぶっちゃったりね。でもそうすると生徒のがんばりが見えなくなっちゃうので、あわてて目を開けて耐えたことも何度もありました。
 夢白ちゃんが立て板に水でシンディーの台詞をシャキシャキしゃべるのに本当に感心したんですけれど、これで台詞がもっと粋でおもしろいものだったらなおよかったのにねえ…と溜め息しきりでした。ときに理屈があわない台詞まであって、よく覚えられるなーとも感心しましたよ…シンディーは頭でっかちな理論武装をした根は乙女で純情、ってキャラなんだと思うので、そういう台詞をしっかり書いてほしかったです。
 あと、一幕の終え方には何か工夫が必要では…綺麗に終わっちゃってて「二幕何すんの? いらないじゃん」ってなっちゃうじゃん。せめて、相違相愛になれたのはいいけどクラスメイトたちがハメようとしたことは許せん、仕返ししようぜ、とかになって「いいわね! どうする!?」耳打ちコショコショイチャイチャで幕、とかはどうですかね先生? それと二幕のロッキーとミリーの顛末のくだりでビリーとシンディーが大喧嘩したのは、その仕返し、つまりクラスメイトをあわてさせるための作戦、芝居だったんだと思うんですけれど、正直全然わからなかったんですけど…演出がぬるすぎます。そのままフィナーレに突入するから楽しくて忘れてもらえるからって、甘えすぎだと思います。ホントもっとちゃんと仕事してほしいよ…バウは若手の登竜門だけれど、デビュー作から進化していないんじゃ問題ですよ演出家…! 若手が若さ故のがんばりだけで勝負するのは生徒だけで十分なのです。ブラッシュアップを、研鑽を、進化を、深化を望みます。

 収録は無事済んだようですね。あとは千秋楽がライブ中継でしたっけ? もう1チームの分も、無事の完走をお祈りしています!

 

コメント (2)
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